誤って『氷の城』も購入してしまったのでご注意……。
こちらには判決文抜粋も掲載されているのでよかった。

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「あさま山荘」籠城―無期懲役囚・吉野雅邦ノート (祥伝社文庫) 文庫 – 2002/4/1
大泉 康雄
(著)
- 本の長さ362ページ
- 言語日本語
- 出版社祥伝社
- 発売日2002/4/1
- ISBN-104396330383
- ISBN-13978-4396330385
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登録情報
- 出版社 : 祥伝社 (2002/4/1)
- 発売日 : 2002/4/1
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 362ページ
- ISBN-10 : 4396330383
- ISBN-13 : 978-4396330385
- Amazon 売れ筋ランキング: - 500,433位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年4月30日に日本でレビュー済み
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綺麗な本でコロナにも関わらず発送も早く ありがとうございました、未だ読んで無いのでかんそうは控えてさせて頂きます
2019年5月18日に日本でレビュー済み
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事件の前後を通じて、題材とする人物と、長く一貫して友人関係であり続ける著者にしか書けない内容。第三者の中で、本人と最も近い位置に居ながら、それを充分に意識するゆえか、抑制した筆致と冷静な観察眼に説得力があり、一気に読み切った。連合赤軍事件に連座した者には、身を投じる対象の違い(政治と宗教)こそあれ、やはりオウム事件の加害者(兼被害者)たちと同質の何か(比較的高学歴を持つ普通の若者が、短期間で突出した異形の存在に変遷していく怪)を感じざるを得ない。当時小学生だった私には、全共闘運動の残り香のような記憶しかないが、あの時代の青年層の誰もが、今とは比べ物にならないぐらい切羽詰まった生き方をしていたことだけは理解できる。オウム事件の演者は、一握りの人一倍生真面目な青年だったが、更に20年以上を遡った全共闘世代(親世代が直接的な戦争体験を持つ、いわゆる最初の戦争を知らない子供たち)は、エリートに限らず、皆が真剣に社会と向き合っていたのだろう。若い頃から、のんべんだらりと流れに抗うこともせず、のほほんと暮らしている身には、皮肉な悲劇だ。
2009年9月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
本書は連合赤軍の同士殺しの惨劇を生き延び、その後あさま山荘事件で逮捕された吉野雅邦の人間ドキュメントである。著者は吉野の小学校からの親友であり、大学卒業後も雑誌記者として事件に関与した。幼馴染という立場上、吉野家についての情報は豊富である(初公開の写真も数点ある)。未公刊の吉野の手記や手紙のほか、雑誌記者としての立場での見聞、それに一審判決(石丸判決)の要約や抜粋も収録されている。これらの材料に対する著者の態度は誠実で、資料的価値は高い。連合赤軍事件に興味ある読者なら買って損はない。
ところで、連合赤軍事件で最後まで自供を拒んでいた坂口弘が「落ちた」のは、2つの死体の写真を見せられた時であった。ひとつの死体は連合赤軍兵士・金子みちよであり、もうひとつの死体は今に至るまでその名は明らかになっていない。妊娠8ヶ月の胎児だったからである。
その胎児の父が、本書の主人公・吉野雅邦である。金子は吉野の妻であった。そして著者はこの二人と学生時代に親しく付き合った。本書には金子の写真も(不鮮明だが)2点収録されている。
著者は、この悲惨すぎる事件の非日常と、著者が知るこの若いカップルの日常のコントラストを通して、いわば時代の狂気を描こうとしたように見える。一方でもう一人の共通の親友・津田の渡米という事件をそれに絡ませて、吉野の人生という軸に2人の人生軌跡が螺旋状に絡まるという形で、いわば文学的にこの物語を構成したかったように思える。
しかし残念ながらこの試みは成功したとは言えない。前半の吉野と金子の純愛物語は、おそらく両者を親しく知る著者の照れが影響してなのか、どうも中途半端である(些細な点だが、見出しのつけ方が耐えがたく悪いのと、三角括弧を使った引用の仕方が見にくい)。津田の存在に至ってはおそらく確実に不必要である。
しかしその失敗を補って余りある貴重な情報が本書にはある。私が特に注目したのは、1983年1月28日付けの著者宛の吉野の手紙である(p.229)。この手紙で吉野は、女性同志殺害を命じた永田洋子の心境を、理論的能力で抜きん出ていた最高幹部・森恒夫をめぐる女性ライバル抹殺の物語として解釈している。
永田は、有能な女性兵士をほぼ全員粛清した後、事実婚の状態であった坂口に離婚を告げ、そしてその場で最高幹部森恒夫との結婚を宣言したのだった。その結婚宣言が、能力的にライバルと目されていた金子みちよ・大槻節子の処刑の後であったことに吉野は注目する。
「彼女は何か本当に金子・大槻さんあたりが永田を排除して森に接近し、『指導者の妻』の座を占めるかもしれないという不安を抱いていたのではないかと今思い返すとそう思われます。」(p.230)
「それゆえ、大槻さん・金子の死によって安心して、森を連れて上京し、結婚にこぎつけたのはではないかと思います。」(同)
大槻節子、金子みちよとも、理論的能力に優れ、リーダー性もあり、その上、美人であったとされている。上のように言ってしまうと、山岳ベースでの出来事はすべて単なる痴話事件も同様となってしまうので、坂口弘はじめほとんどの当事者はこれを決して認めることはないだろうが、これが、連合赤軍中央委員であった吉野雅邦の、事件から10年後の述懐である。
ところで、連合赤軍事件で最後まで自供を拒んでいた坂口弘が「落ちた」のは、2つの死体の写真を見せられた時であった。ひとつの死体は連合赤軍兵士・金子みちよであり、もうひとつの死体は今に至るまでその名は明らかになっていない。妊娠8ヶ月の胎児だったからである。
その胎児の父が、本書の主人公・吉野雅邦である。金子は吉野の妻であった。そして著者はこの二人と学生時代に親しく付き合った。本書には金子の写真も(不鮮明だが)2点収録されている。
著者は、この悲惨すぎる事件の非日常と、著者が知るこの若いカップルの日常のコントラストを通して、いわば時代の狂気を描こうとしたように見える。一方でもう一人の共通の親友・津田の渡米という事件をそれに絡ませて、吉野の人生という軸に2人の人生軌跡が螺旋状に絡まるという形で、いわば文学的にこの物語を構成したかったように思える。
しかし残念ながらこの試みは成功したとは言えない。前半の吉野と金子の純愛物語は、おそらく両者を親しく知る著者の照れが影響してなのか、どうも中途半端である(些細な点だが、見出しのつけ方が耐えがたく悪いのと、三角括弧を使った引用の仕方が見にくい)。津田の存在に至ってはおそらく確実に不必要である。
しかしその失敗を補って余りある貴重な情報が本書にはある。私が特に注目したのは、1983年1月28日付けの著者宛の吉野の手紙である(p.229)。この手紙で吉野は、女性同志殺害を命じた永田洋子の心境を、理論的能力で抜きん出ていた最高幹部・森恒夫をめぐる女性ライバル抹殺の物語として解釈している。
永田は、有能な女性兵士をほぼ全員粛清した後、事実婚の状態であった坂口に離婚を告げ、そしてその場で最高幹部森恒夫との結婚を宣言したのだった。その結婚宣言が、能力的にライバルと目されていた金子みちよ・大槻節子の処刑の後であったことに吉野は注目する。
「彼女は何か本当に金子・大槻さんあたりが永田を排除して森に接近し、『指導者の妻』の座を占めるかもしれないという不安を抱いていたのではないかと今思い返すとそう思われます。」(p.230)
「それゆえ、大槻さん・金子の死によって安心して、森を連れて上京し、結婚にこぎつけたのはではないかと思います。」(同)
大槻節子、金子みちよとも、理論的能力に優れ、リーダー性もあり、その上、美人であったとされている。上のように言ってしまうと、山岳ベースでの出来事はすべて単なる痴話事件も同様となってしまうので、坂口弘はじめほとんどの当事者はこれを決して認めることはないだろうが、これが、連合赤軍中央委員であった吉野雅邦の、事件から10年後の述懐である。
2015年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あさま山荘事件。
今となってはリアルタイムで通過した世代のひとびとにしかその記憶の片隅にしか留められていない、ひとつの事象。
籠城実行犯のひとりと親友であった著者からの、ほかに誰にも書きえない側面からの稀有な記録である。
巨大な鉄球が建物を打ち壊す当時の映像は、いまどきの事件特番テレビでも頻繁に放送される。
みんなに知ってもらいたい、とは言わない。
一括りに「正義と悪」と断罪できない時代の流れ(時代の空気かもしれない)は存在した。
歴史は常に勝者によって作りあげられる。
ただ、自らの信念によって、ひとは行動する生き物であることを忘れてはならない。
事件に興味がある方はwikiを参照されたし。
今となってはリアルタイムで通過した世代のひとびとにしかその記憶の片隅にしか留められていない、ひとつの事象。
籠城実行犯のひとりと親友であった著者からの、ほかに誰にも書きえない側面からの稀有な記録である。
巨大な鉄球が建物を打ち壊す当時の映像は、いまどきの事件特番テレビでも頻繁に放送される。
みんなに知ってもらいたい、とは言わない。
一括りに「正義と悪」と断罪できない時代の流れ(時代の空気かもしれない)は存在した。
歴史は常に勝者によって作りあげられる。
ただ、自らの信念によって、ひとは行動する生き物であることを忘れてはならない。
事件に興味がある方はwikiを参照されたし。
2017年12月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
いま、70年代の激動の時代に興味がわく。
吉野さん本人はいま刑務所で何を思うのか?
聞いてみたい。
吉野さん本人はいま刑務所で何を思うのか?
聞いてみたい。
2008年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
吉野雅邦は連合赤軍の一員で、あさま山荘に籠城した五人のうちの一人(現在、無期懲役囚として千葉刑務所にいる)。著者の大泉康雄は、吉野の幼馴染で親友、そして小学館で「女性セブン」の編集長なども務めた人間だ。本書は、吉野雅邦がどういう人間で、どういう風に成長し、事件にどう関わって行って、事件のあとどういう考え・気持ちでいるかを、吉野の手紙・ノート、大泉から見た吉野の言動などを通じて迫ろうとするものだ。
じつをいえば、坂口弘の『あさま山荘1972』を読んだ時点で、もう連合赤軍について他の本を読む必要はない、坂口がすべてを語っている、という気持ちになっていた。しかし、この大泉の本は事件に別の角度から光を当てるものになっており、ページをめくりながら新たな興味をかきたてられる思いがした。
その別の角度というのは、簡単にいってしまえば「すぐ外から見た連合赤軍」ということだ。大泉は前記のとおり吉野の親友で、小学校時代から成人に至るまで吉野の身近におり、吉野の恋人・妻でのちに山岳ベースで胎児とともに殺害されることになる金子みちよとも親しかった(山岳ベースから用事で上京してきた金子とも会っている)。組織の内部の人間でもなく、かといってまったくの第三者でもない、連合赤軍のメンバー個人に非常に近しい人間にとって、あの事件がどのように見えたか。
そこから浮かびあがってくるのは、あれが狂人たちによる狂気の沙汰の事件ではなく、ごく普通の若者たちによるものだったということだ。吉野に限っていえば、普通以上に正義感も思いやりもあり、真剣に誠実に生きようとしていた、そのような若者。金子みちよもしかり。結果的には、やったことは狂気の沙汰ではあるが、普通の人間が、少しずつ逸脱していき、結果的にそこまでに至った。言い換えると、誰でもそうなる可能性があったということだ。
組織の外にいた人間ならではの観察の一例として、逮捕前の永田洋子を見たときのエピソードがある。1969年に、羽田空港突入事件で逮捕された吉野の裁判を大泉が傍聴しに行ったときのことだ。裁判を批判するヤジなどで傍聴席が混乱し、革命左派のメンバーと警備員たちとがもみ合いにある。そこで女性が転倒し、ひざに血がにじむ怪我をする。それが永田洋子。すると、革命左派のメンバーから「鬼ババがやられたぞ」と声があがる。永田洋子は警備員に詰め寄り「お前の名を教えろ」と泣き叫びながらくってかかる。そして「叫び、わめき(中略)「ウォー」とまた獣じみた声を上げ、床を転がり回って手足をバタつかせていた」。この一件に大泉は、革命左派には凄い人がいるんだなと思いながらも、この組織に対して不気味さ、うさんくささを覚え、女性同志を「鬼ババ」と呼ぶ神経にも奇異なものを感じたという。
吉野や金子みちよのプライベートの写真も掲載されている。たとえば、上記の羽田空港の件での勾留から保釈になった際の出所パーティのときのもの。穏やかな表情の吉野と金子みちよ。個人宅で催されたそのパーティで、吉野雅邦と金子みちよはジルバ、ワルツ、タンゴなどを踊ったりもしたそうだ。二人が在籍していた横浜国立大学の合唱団で歌っている際の写真もあった。(永田洋子の薬剤師時代の写真もある)
著者が吉野と金子の両者と親しかったことから、本書は二人の関係についての記録という側面もある。二人が交わした手紙や、「ふたりだけのおしゃべり」と名付けられた交換ノートに綴られた文章からは、二人の愛情の深さ、真剣さが伝わってくる。運動に傾倒していく過程において、横浜国大の学内で心中未遂を起こしたこともあったという。ともに生き、ともに死のうとした二人が、山岳ベースにおいて、片方は加害者、片方は被害者という関係になってしまうのだから、やりきれない。
本書には、吉野雅邦の両親や金子みちよの遺族の声も紹介されている。著者が直接聞いたものだ。
『あさま山荘1972』には坂口弘の最大限の努力による、事件の詳細が記録されていたけれど、やはり一人の人間に見えるものは限られている。本書を読んでその印象を持った。事件に関わったそれぞれがそれぞれの記録を残すというのは、大いに意味のあることだといえるだろう。
じつをいえば、坂口弘の『あさま山荘1972』を読んだ時点で、もう連合赤軍について他の本を読む必要はない、坂口がすべてを語っている、という気持ちになっていた。しかし、この大泉の本は事件に別の角度から光を当てるものになっており、ページをめくりながら新たな興味をかきたてられる思いがした。
その別の角度というのは、簡単にいってしまえば「すぐ外から見た連合赤軍」ということだ。大泉は前記のとおり吉野の親友で、小学校時代から成人に至るまで吉野の身近におり、吉野の恋人・妻でのちに山岳ベースで胎児とともに殺害されることになる金子みちよとも親しかった(山岳ベースから用事で上京してきた金子とも会っている)。組織の内部の人間でもなく、かといってまったくの第三者でもない、連合赤軍のメンバー個人に非常に近しい人間にとって、あの事件がどのように見えたか。
そこから浮かびあがってくるのは、あれが狂人たちによる狂気の沙汰の事件ではなく、ごく普通の若者たちによるものだったということだ。吉野に限っていえば、普通以上に正義感も思いやりもあり、真剣に誠実に生きようとしていた、そのような若者。金子みちよもしかり。結果的には、やったことは狂気の沙汰ではあるが、普通の人間が、少しずつ逸脱していき、結果的にそこまでに至った。言い換えると、誰でもそうなる可能性があったということだ。
組織の外にいた人間ならではの観察の一例として、逮捕前の永田洋子を見たときのエピソードがある。1969年に、羽田空港突入事件で逮捕された吉野の裁判を大泉が傍聴しに行ったときのことだ。裁判を批判するヤジなどで傍聴席が混乱し、革命左派のメンバーと警備員たちとがもみ合いにある。そこで女性が転倒し、ひざに血がにじむ怪我をする。それが永田洋子。すると、革命左派のメンバーから「鬼ババがやられたぞ」と声があがる。永田洋子は警備員に詰め寄り「お前の名を教えろ」と泣き叫びながらくってかかる。そして「叫び、わめき(中略)「ウォー」とまた獣じみた声を上げ、床を転がり回って手足をバタつかせていた」。この一件に大泉は、革命左派には凄い人がいるんだなと思いながらも、この組織に対して不気味さ、うさんくささを覚え、女性同志を「鬼ババ」と呼ぶ神経にも奇異なものを感じたという。
吉野や金子みちよのプライベートの写真も掲載されている。たとえば、上記の羽田空港の件での勾留から保釈になった際の出所パーティのときのもの。穏やかな表情の吉野と金子みちよ。個人宅で催されたそのパーティで、吉野雅邦と金子みちよはジルバ、ワルツ、タンゴなどを踊ったりもしたそうだ。二人が在籍していた横浜国立大学の合唱団で歌っている際の写真もあった。(永田洋子の薬剤師時代の写真もある)
著者が吉野と金子の両者と親しかったことから、本書は二人の関係についての記録という側面もある。二人が交わした手紙や、「ふたりだけのおしゃべり」と名付けられた交換ノートに綴られた文章からは、二人の愛情の深さ、真剣さが伝わってくる。運動に傾倒していく過程において、横浜国大の学内で心中未遂を起こしたこともあったという。ともに生き、ともに死のうとした二人が、山岳ベースにおいて、片方は加害者、片方は被害者という関係になってしまうのだから、やりきれない。
本書には、吉野雅邦の両親や金子みちよの遺族の声も紹介されている。著者が直接聞いたものだ。
『あさま山荘1972』には坂口弘の最大限の努力による、事件の詳細が記録されていたけれど、やはり一人の人間に見えるものは限られている。本書を読んでその印象を持った。事件に関わったそれぞれがそれぞれの記録を残すというのは、大いに意味のあることだといえるだろう。
2021年9月18日に日本でレビュー済み
社会に対してあまりにも真面目に向かい合って生きようとした吉野雅邦と金子みちよさん(とそのお腹の子)夫妻の悲劇として読みました。時代の激流は二人を加害者と被害者にさせ、そして吉野自身が加害者であると同時に被害者でもあったわけで、それがなんとも切なくて悲しい。あさま山荘事件は確かに馬鹿な若者たちが起こした凶悪事件なのでしょうが、それだけで済まして葬ってしまってはいけないような気がします。友人たちの前で金子さんは兼田みえこの『私もあなたと泣いていい』を歌ったといいます。彼女は彼女なりに二人で共に精一杯生きていきたいと考えていたのだろうと思うと涙が出ます。