写真だけ見ると、東北の自然の景色が写し出されているだけである。しかし書いてある文字を読んでいくと、原発事故により放射能で汚染されてしまった現実と、そこに住んでいた人々の悔しさとやるせなさが伝わってくる。

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福島 飯舘村の四季 単行本(ソフトカバー) – 2012/6/20
烏賀陽 弘道
(著)
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福島第一原発事故において、放射性物質飛散予測を隠ぺいされたうえに強制避難地域にならなかったため、多量の被ばくを余儀なくされている飯舘村。諦めて村に残り淡々と暮らす人々は、涙も枯れ果てている。国からもメディアからも取り残され、原発事故を最も象徴する村の1年を、美しい風景写真と数々のレポートで浮き彫りにする。
- 本の長さ128ページ
- 言語日本語
- 出版社双葉社
- 発売日2012/6/20
- ISBN-104575304255
- ISBN-13978-4575304251
登録情報
- 出版社 : 双葉社 (2012/6/20)
- 発売日 : 2012/6/20
- 言語 : 日本語
- 単行本(ソフトカバー) : 128ページ
- ISBN-10 : 4575304255
- ISBN-13 : 978-4575304251
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,238,815位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 162,654位社会・政治 (本)
- - 188,859位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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うがや・ひろみち
1963年1月京都市生まれ。
1986年、京都大学経済学部を卒業し朝日新聞社に入社。名古屋本社社会部などを経て1991年からニュース週刊誌「アエラ」編集部員。
1992~94年に米国コロンビア大学国際公共政策大学院に自費留学し、軍事・安全保障論で修士号を取得。
1998~99年にアエラ記者としてニューヨークに駐在。
2003年に早期定退職。
以後フリーランスの報道記者・写真家として活動している。
http://ugaya.org/
https://note.mu/ugaya
Facebook: https://www.facebook.com/hiromichiugaya
Twitter: @hirougaya
カスタマーレビュー
星5つ中4.1つ
5つのうち4.1つ
12グローバルレーティング
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- 2021年10月7日に日本でレビュー済みAmazonで購入
- 2012年7月23日に日本でレビュー済みAmazonで購入数日前のTVニュースで、私が里親をしている猫の故郷であるこの村の避難指定区分が変更され、村内が三つに分断されることになるということを知った。
そのときにも、あの荒涼としたチェルノブイリ近辺とは違う、高原の美しい村のたたずまいを見、却って大きな憤りを感じたのだが・・・。
震災後の一年間、ほぼ無人となった村で撮影された写真がたくさん掲載されたこの本を読んで、その気持ちはもっと強くなった。
そして、著者である烏賀陽(うがや)弘道さんは、出版後に大阪で講演会など開き、積極的に活動されていることも知った。
「理不尽に故郷を追われた村人たちの無念が、私に乗り移ったのかも」と、本書のあとがきにもあるが、そもそも、飯舘村の人たちがなぜ避難しなければならなくなったのかを正確に把握している人は、案外少ないのではないだろうか。
少なくとも、関西の私の周りではそうだ。
これまで、猫がなぜ私のところに来たのか、その経緯を説明するのには、骨が折れることが多かったから。
この猫を引き受けた者として、このことは今後もずっと、一人でも多くの人に、伝えていかねばならないと思う。
そうそう、この本を手に取られたら、カバーを外して背表紙を見るのをお忘れなく。
- 2013年8月16日に日本でレビュー済みAmazonで購入とにかく 残念な事に 奇麗な飯舘村は汚されてしまった
奇麗な風景場所は全て高線量地帯なのだ それを もっと表現しないと!
- 2012年6月29日に日本でレビュー済みAmazonで購入声高に反原発を訴えているわけではない。現場に行って写真を撮り、現地の人に会って取材し、自分の目で見て、五感で感じたこと、考えたことをそのまま記しただけの様に思える。しかし反原発の活動家の過激な言葉よりも強く訴えるものがある。
掲載された写真が美しいだけに、なおいっそうふるさと喪失の悲しみが、心にしみる。
経産省や電力会社などいわゆる原子力ムラの人たちや、何よりも政治家の皆さん、特に首相や経産相、原発担当相などに読んでもらいたい。
- 2013年3月11日に日本でレビュー済み*
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原っぱの十字路で、赤いムクゲの花が咲いていた。でかいムクゲだった。30センチはあるのではないか。
車をおりてカメラを構えた。排気ガスもないからだろう。怖くなるほど空が青い。ムクゲの赤と空の青が、ファインダーを半分ずつに割った。
エンジンの音が近づき、背後で止まった。振り向くと、白い軽トラックの運転席から、おじいさんがじっとこちらを見ていた。ベージュの作業服に作業帽をかぶっている。赤銅色に日焼けした顔がガラス越しに見えた。
私は一礼して軽トラックに歩み寄った。無人になった村で、村人が警戒のために「見回り隊」を作って巡回している。怪しまれたのだろうと思った。
私は名刺を出し、説明した。自分はフリーの記者です。原発災害の被害を伝えるために、村で写真を撮っています。
黙っていたおじいさんが小さな声でぼそっと言った。
「ちがう」
−−何が、ですか?
「それ」
おじいさんは私の脇の下を指差した。一眼レフがぶら下がっている。
「それで、そのカメラで」
のど骨が動いて、息を絞り出すように言葉が出てきた。
「そのカメラで伝えてほしい。この村のことを」
私はごくんと息をのんだ。言葉が出なくなった。
「ここは土地が汚染されてしまった。ここで何が起きたのか伝えてほしい。外の人たちに」
彼は雑草の原っぱになった田んぼを見た。そこは彼が毎年慈しみながら手入れをしてきた田んぼなのかもしれない。
一体何年くらい、この人はその土とともに生きてきたのだろう。この村の土地は、この人にとって自分の子どものようなものだろう。いや人生そのものかもしれない。時間、季節、年齢、人生すべての記憶は土地とともにあるはずだ。
その土地が放射能で汚れている。むごたらしく荒れ果てている。何もできないまま、去る。それは瀕死で血を流すわが子に何もできない親のようなものではないか。
おじいさんは目を落とした。
「ここは見た目には何一つ変わらん。何も変わらん。だから去るのがつらい。よけいにつらいんだ」
トラックが走り去ったあとも、私は十字路に立ち尽くしていた。しばらく動けなかった。
爆弾が落とされたわけではない。虐殺された死体が転がっているわけではない。だが、私が踏みしめている大地には、それと同じくらい惨たらしいことが起きていた。
(本書38〜47ページより)
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これが、原発事故後の飯館村の現実である。著者は、この本に収められた写真と文章によって、この村人の願ひに答えた。この老人の思ひを、そして、著者の怒りと悲しみを、全ての日本人は共有するべきである。この本が、多くの外国語に訳され、全世界で読まれる事を願ふ。
(西岡昌紀・内科医/東日本大震災と福島第一原発事故から2年目の日に)
*
- 2013年9月11日に日本でレビュー済みもう放射線の強いところに帰りたくない。役所がやる気がない、ただ、田舎なだけでしょ?こんな景色みても価値はない。こういう非常時に何もできない税金泥棒集団w
- 2012年6月30日に日本でレビュー済みこれまで文章での報道を中心にしてこられたジャーナリスト烏賀陽(うがや)さんの、はじめての写真集。震災後、飯舘村に通って撮った全ページオールカラーの写真たくさんと、烏賀陽さんの文章がたっぷり詰めあわされている。
私には写真技術の巧拙を判断できるような知識はないし、烏賀陽さんご本人はあとがきの中で「私の写真は素人です」とおっしゃっている。でも、不思議なことなのだが、少なくとも彼の写真は、その場の空気と、彼の感じた美しさ、驚き、せつなさ、いたたまれなさ、そんな場面ごとの感情とを静かな強さで伝えてくる力がある。
「秋に来たときもそうだった。(略)村は色彩に満ちていた。でも、コンビニやファミレスの看板のような毒々しさがない。派手なのに違和感がない。自然は人間の予想をあっさりと超える。」(p.121)
飯舘村の自然を、彼はこう形容する。今や日本中どこの田舎にもコンビニができチェーン展開の衣料品店やレストランがあって、便利にはなったが、その人工色に霞んでしまって私たちは自然の鮮やかさを忘れようとしている。そんな、貴重な色彩がいまだに残る飯舘村。そこを放射能で汚染してしまった私たちは、最後に残っていた日本の原風景を失いつつあるのかもしれない。
しかし自然は、汚染されてなおダイナミックに営みを続けている。烏賀陽さんが見上げるようにして撮った木々の写真がある(p.58)。半分ほど色づき始めた初秋の背高な木々は空へすっくと伸びて私たちを見下ろしている。人間の起こした愚かな行為もすべてわかっているかのように、すべてを包み込むように見下ろしている木々。そして終盤で登場する放射能プールで烏賀陽さんと見つめ合ったカエルの写真(P.130)。このカエルも、自分の置かれた境遇を知っているみたいに、こっちを見つめているのだ。笑みさえ浮かべているように見える。
こんなふうに、あまりに美しい飯舘の自然、こちらに語りかけてくるような写真たちをぜひご自身でじっくり見て欲しい。
飯舘は原発事故であまりに大きな痛手を被った村だ。でも、誤解を招く言い方かもしれないが、放射能のヴェールに覆われているとはいえこんなにも美しい飯舘自慢の四季が烏賀陽さんの写真と文章で繊細に記録されたという意味では、飯舘村はほんの少し救われたんじゃないかな。飯舘出身でない者にとっても、読後にそっと本を抱きしめて無人の飯舘村に思いを馳せたくなるような、そんな本だ。
- 2012年8月14日に日本でレビュー済み2011年3月11日、福島県飯舘村
地震の被害を殆ど受けなかった村の人々は誰に言われる事もなく毛布や食料を持ち寄って震災から逃れてくるであろう人たちの避難所を整えた。人口6000人ほどのこの村に千数百人が避難し、暖かい食事を取り、疲れを癒した。
その数日後、この村に東京電力福島第一発電所が撒き散らした死の灰が降った。しかし、その恐るべき事実は直ちに村民に伝えられる事はなく、多くの人が政府の無策のせいで被曝させられた。そして、避難者に食事と休息を提供した村民が今度は避難を強いられる事になった。彼らは生活の場を奪われ、あとには死の灰に汚染された自然が残った。
カフカの小説のような不条理の世界がここにある。
村民が何をしたというのか。彼らはこの村で自然と折り合いをつけながらつましく平和に自立自給の暮らしをしていただけである。大震災から逃れてきた人たちに避難場所と食事を提供しただけである。
著者は残された自然の美しい写真を撮り続けることでこの不条理をあぶりだす。抑制された筆致から深い悲しみと静かな怒りを感じる。
もし、日本語を解さず原発事故のことも知らない誰かがこの写真集を見たら、その人はこの風景に魅了され、人の生活の名残を見てこう思うのではないだろうか。人々はどうしてこの美しい村を去ったのだろう、彼らはどこに行ったのだろう、ほかの土地で元気で幸せに暮らしているのだろうか、と。