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表現者クライテリオン 2018年 07月号 雑誌 雑誌 – 2018/6/15
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ナショナリズムとは何か
「右」と「左」を超えて
座談会
ナショナリズムとは何か
施光恒(九州大学大学院准教授)
藤井聡(京都大学大学院教授)
柴山桂太(京都大学大学院准教授)
浜崎洋介(文芸批評家)
川端祐一郎(京都大学大学院助教)
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著者について

藤井 聡(ふじい さとし)京都大学(大学院工学研究科・都市社会工学専攻)教授 1968年奈良県生まれ。
91年京都大学卒業、93年京都大学大学院修了後、93年同大学助手、98年スウェーデン・イエテボリ大学客員研究員,02年京都大学助教授、03年東京工業大学助教授、06同大学教授を経て,09年より現職。
専門は土木工学(土木計画学)、交通工学,ならびに,公共問題のための心理学.
受賞歴は、
『社会的ジレンマ研究』で03年土木学会論文賞,07年文部科学大臣表彰・若手科学者賞、10年日本学術振興会賞。
『認知的意思決定研究』で05年日本行動計量学会優秀賞(林知己夫賞)。
『村上春樹に見る近代日本のクロニクル』にて06年表現者奨励賞。
『交通政策論』で08年米谷・佐々木賞。
『モビリティ・マネジメント入門』にて08年交通図書賞。
『交通需要予測研究』で98年土木学会論文奨励賞。
『コミュニティに関する進化心理学研究』で09年社会心理学会奨励論文賞。
詳しくは、
http://trans.kuciv.kyoto-u.ac.jp/tba/index.php/fujiilab/fujii.html
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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ネーション(国家)・ステート(相互不可侵権の主権)は、「近代」に始まる。
ナショナリズムは、イデオロギーを超えた「事実」であり「危機」に際して輝く。
それは、母語・母文化にに拘束される。
そして、ナショナルなものがベースにあって始めて自由主義も社会主義もある。
なので、現れとしては右も左もある。
他方、グローバリズムは世界的危機を齎しつつある。
多国籍企業が力をつけ、格差が拡大しつつあり中産階級が没落しつつある。
社会は、一部のエニウェアーズと大多数のサムウェアーズに分化する。前者は、高学歴層で社会的移動性が高い。日本に於いては、自覚はないだろうが被支配植民地空間での勝者である。
後者は、普通に高校を卒業してナショナルな文化を普通に生きている土着性が高い人たちである。
エマニュエル・トッドは、エリートの方が国による違いがはっきりしていて連帯できない人たちだけど、連帯する振りをする。逆に、庶民の方が共通感覚を保有していると言っている。
世界政府と云うアイデアがあるが、これは極端な個人主義の裏返しでしかない。
母語・母文化を抜きに我々は生きてはいけない。
それは、ナショナリズムの根源でもある。そこから、国家ビジョンもでてくる。
国家主権とは、立法権(憲法制定権)及び交戦権である。
だが、敗戦日本は、どちらも持てなかったし経験していない。
それはまるで、人ごとのようになっている。
そして、アメリカ的価値感である自由民主主義を受け入れる事によって、国際社会に復帰したと云う「物語」を刷り込まれている。
戦後的枠組みを乗り越えるためには一回、日本と云う存在がナショナルな土着な文化によって支えられていると云う認識を通す必要がある。つまり、安全保障は、自分達の手でやる必要がある。
また、グローバリストは「緊縮」を好む。その影響を強く受けている日本は、デフレ状態が続いている。
だけど、「反緊縮」は、少数派である。
グローバリズムや新自由主義は、凄まじい反動によってひっくり返される可能性が高い。
エニウェアーズにしても、その根拠が学歴・収入くらいしかなく、「自由」が増していくリアリティはゼロで益々、アトム化している。米英では既に反エリーティズムが起こっている。
日本のマスメディアは、例によって例の如くグローバリズム一辺倒でしか報道しない。ナショナリズムも国家観も価値観もない。情報の断片を垂れ流しているのみである。その矛盾の自覚さえないのはかなりの重症ではなかろうか。
「表現者クライテリオン」を初めて手にしたが、若手の学者が多数集まり刺激に満ちた内容が多かった。
ナショナリズムと言っても、ここでの議論は、「日本万歳!!!」みたいな右寄りの議論でもなく、逆に「ナショナリズムは危険だ!!!」みたいな左寄りの議論でもないです。
「人間とはどういう生き物なのか?」「国家とは何なのか?」といった問いに答えるような形で、先生方が、解りやすい言葉で、ナショナリズムについて語ってくれていて、とても勉強になります。
他にも、文学論や文化論など、様々なテーマが描かれており、普通におもしろいです。
個人的には、竹村公太郎氏の連載「地形が作る日本の歴史」が好きです。
少々難しい内容の論稿もありますが、自分の興味関心にあった論稿に出会える雑誌だと思います。
結論から言うと、便利だが、スマホでの閲覧には向いていない。
テキストデータとして改行などが画面にあわせて反映されるわけではなく、PDFの画像をみるようなイメージに近いもので、パソコンやタブレットで見る分には申し分ない。
しかしスマホで見る場合は、文字が小さくなってしまい、部分部分を拡大する必要がある。
けっこう分厚い雑誌なので、電子版にしておくことでカバンの荷物が減ってよいという点は大きいと思う。
まずは、佐藤の論稿から、西部邁に対する重要な記述を引用してみましょう。
弟子に雑誌を引き継がせながら、それを意図的につぶそうとしたのです。
思想以前に、人間としてのモラルが破綻していると批判されても仕方ないんじゃありませんかね?
一方、富岡の論稿で注意すべき記述を引用してみましょう。
自殺幇助の疑いで逮捕された事情もあり、あらためて西部先生の自死について、ここで記してみたいのである。これは筆者の勝手な判断であり、本誌の編集委員会(筆者は顧問として参加している)を通してのことではないことを、あらかじめご了承いただきたい。
この富岡の論稿に、私は敬意を表します。一方、佐藤には人格的な意味における軽蔑しか感じられませんでした。死人に口なしということを、最低の形で利用していますから。
上記の記述から、『表現者クライテリオン』の編集委員会の見解は、佐藤のそれと同じであることが分かります。なぜなら、佐藤の論稿では、佐藤の主観だけではなく雑誌(表現者クライテリオン)側からの見解も語られており、それを編集委員会が載せることを許可しているのですから。一方、富岡の論稿は編集委員会を通してのことではないと明言されています。ですから、客観的な事実から導かれる結論は一つでしょう。
まあ、今までの経緯を振り返ってみれば、自殺幇助は都合のよいきっかけに過ぎず、これは規定路線だったのでしょう。
(1)最終号の『表現者2018年1月号』で、藤井聡が『表現者criterion』編集長として、〈西部先生が表現し続けてこられた保守の精神を継承(conserve)する〉ことを表明する。
(2)『正論2018年4月号』で浜崎洋介が『西部邁 最後の夜』を書き、自殺の不信点を世間に公表する。
(3)『表現者criterion 2018年3月号』の創刊号で、藤井聡が〈保守を超えた再生〉を表明する。
(4)『表現者criterion 2018年5月号』で藤井聡が、生前は西部から論戦撤退しておきながら、死後に西部が論戦を回避したと言い出す。
(5)『表現者クライテリオン 2018年7月号』の表紙で、「表現者」の文字サイズを最小化し、「クライテリオン」の文字サイズを最大化する。佐藤健志の『保守主義者が自殺する条件』が公表される。一方で、富岡幸一郎の『信仰と盟約—四月五日以降の西部邁再論—』が編集委員会を通していないと明言される。
こうして並べてみると、西部の思想の排除は、段階を踏んだ計画的なものだったのだと思えてきますね(笑)。
本号の編集後記では、〈最悪廃刊もあり得る状況〉だったと報告されています。私としては、いったん廃刊し、新しく「クライテリオン」という題目で新雑誌を創れば良いのにと思います。ここまで西部邁を侮辱するのなら、「表現者」を継ぐ必要はなく、勝手に新たな基準(クライテリオン)を打ち立てれば良いだけの話です。そうしないのは、西部を侮辱しながら、その読者層はそのまま取り込みたいという卑しい商売根性の他は考えられないからです。
こういった状況をみれば、こんな雑誌の論稿はすべて読む価値がないと言ってしまいそうですが、そこには注意が必要です。西部邁も生前は、請われればたいていの雑誌には書いていました。編集委員会がどうあれ、良い論稿が記載されていることは、あり得ることなのです。ですから、できるだけ誠実に冷静に、私なりに本号で読む価値のある論稿を、ここを見ている方のために挙げておこうと思います。
・『農は国の本なり』鈴木宣弘
・『恥辱と自尊』柴山桂太
・『グローバル化の歪みはどこから生じるのか』施 光恒
・『ドゴールの思想と行動PartⅡ』伊藤貫
・『北海道の分際』古川雄嗣
・『信仰と盟約—四月五日以降の西部邁再論—』富岡幸一郎
上記の論稿は非常に高いレベルにありますので、是非とも読んでみることをお勧めします。
さて、いわゆる表現者グループも、その読者も、戦後日本や政権を偉そうに非難してきたはずです。それでしたら、身内にだけ甘いといったことは、あってはならないでしょう。卑劣に対しては、きちんとした批判が必要でしょう。少なくとも、今回の富岡の論稿には気概を感じることができました。私も、私なりに意見を表明しました。それでは、そこのあなたはどうでしょう?
※ 本書の感想の内容から判断し、登場人物を敬称略とさせていただきました。