タフネスという言葉がぴったり。私もがんばろうって勇気をもらえる本でした。
あしたも元気に生きたいな。
病気によって仲間を得られたみなさんが、ある意味でうらやましいです。
私も私なりの良さを見出して、そのことを尊重しあえる仲間づくりをしようと思いました。
とてもよかったです。ありがとうございました===

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精神病院はいらない!: イタリア・バザーリア改革を達成させた愛弟子3人の証言 単行本 – 2016/9/26
大熊一夫
(著, 編集)
精神病院をなくし、地域で24時間開かれた地域精神保健を実現したイタリア。映画「むかしMattoの町があった」DVD付き。
- 本の長さ189ページ
- 言語日本語
- 出版社現代書館
- 発売日2016/9/26
- 寸法15 x 1.8 x 18.8 cm
- ISBN-104768435505
- ISBN-13978-4768435502
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商品の説明
著者について
ジャーナリスト、東大(科学史科学哲学)卒、元朝日新聞記者、元大阪大学大学院教授(日本の国立大学初の福祉系講座の初代教授)。1970年に都内の私立精神病院にアルコール依存症を装って入院、『ルポ・精神病棟』を朝日新聞に連載。鉄格子の内側の虐待を白日のもとに。『ルポ・精神病棟』(朝日新聞社)、『精神病院を捨てたイタリア捨てない日本』(岩波書店)など著書多数。2008年フランコ・バザーリア財団からバザーリア賞を授与。
登録情報
- 出版社 : 現代書館 (2016/9/26)
- 発売日 : 2016/9/26
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 189ページ
- ISBN-10 : 4768435505
- ISBN-13 : 978-4768435502
- 寸法 : 15 x 1.8 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 442,427位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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2021年8月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1970年代のイタリアで、精神病院を閉鎖する「精神科医療の脱施設化」という大改革のリーダーだったフランコ=バザーリアの弟子にして後継者である3人の医師、それにバザーリアと二人三脚で改革を進めた1人の政治家が、バザーリア改革について語る。
この改革が、医師や市民の意識改革と、日常的な治療やケアのあり方の改革と、狭義の政治による制度改革の「三位一体」改革だったということが分かる。特に、精神病院の「改善」ではなく「閉鎖」という大胆な制度改革を、7年間という長いとは言えない期間に一気にすすめたところに驚いた。
精神病の患者を人間/市民とし、対等に対話をするというプロセスが重要なのだなと思う。そしてその後ろには、精神病を個人に帰属させる「医療モデル」的な見方でなく、周囲の人々や社会との関係性に帰属させる「社会モデル」的な見方があるのだろう。
講演のあと、個別具体的な手立てに関する質疑に対して、講演者が理念や精神を語る箇所があった。講演者としては、「そこを分かってもらわなければ、具体的なレベルだけ学んでも『仏つくって魂入れず』になる」と思ったのではないだろうか。
批判的なものも含め、バザーリア改革についてもう少し知りたいと思った。
この改革が、医師や市民の意識改革と、日常的な治療やケアのあり方の改革と、狭義の政治による制度改革の「三位一体」改革だったということが分かる。特に、精神病院の「改善」ではなく「閉鎖」という大胆な制度改革を、7年間という長いとは言えない期間に一気にすすめたところに驚いた。
精神病の患者を人間/市民とし、対等に対話をするというプロセスが重要なのだなと思う。そしてその後ろには、精神病を個人に帰属させる「医療モデル」的な見方でなく、周囲の人々や社会との関係性に帰属させる「社会モデル」的な見方があるのだろう。
講演のあと、個別具体的な手立てに関する質疑に対して、講演者が理念や精神を語る箇所があった。講演者としては、「そこを分かってもらわなければ、具体的なレベルだけ学んでも『仏つくって魂入れず』になる」と思ったのではないだろうか。
批判的なものも含め、バザーリア改革についてもう少し知りたいと思った。
2016年10月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神病院を廃止にし、患者を町に送り出した医師、それがバザーリアです。彼は機知に富み、気性が激しく、人間が不正な仕打ちを受けたり、モノとして扱われたりしているのを見ると、自分を抑えられなくなったこともあると言います。けれども、対話をしながら自分の情熱を巧みに伝え、患者たちのおかれている状況(反抗的だというだけで病院に閉じ込められたり、そこで医師や看護師から暴力・暴言を受けたり、劣悪な住環境に置かれたり、抗議・抵抗すれば電気ショックを受けさせられたり・・・)を改革するという大事業を実現したのです。
バザーリアの愛弟子たちは言います。
「精神科医の精神医学的診断なんて、なくすに限ります。そんな診断より、患者の人生に価値をもたらすものをつくることが大切です」(p.14)。
「病院の中で見られた患者の奇妙な態度・行動といったものは、決して狂気の中から出てきたものではなくて、周りの環境から生まれたものなのだと、わかってきました」(p.39)。
「統合失調症をはじめとする慢性化した精神疾患の症状のかなりの部分が、社会的につくられている」(p.25)。
「犯罪と精神病に関して常に語られる言葉群、つまり『犯罪』『精神疾患』『責任能力』『危険性』といった言葉にはつながりがあるように言われてきましたが、実はそのつながりなんて全く根拠がない」(p.82)。
「彼は単に頭のおかしい狂人だということではなくて、その背後には彼の人生の苦しみの歴史というものがあるのであって、そのことを理解してもらうことを通して、この精神疾患という概念を変えていく仕事を我々は行っているわけです」(p.128)。
イエスは弟子たちと旅をする途中で、鎖につながれた男に出会いました。人びとからは「汚れた霊に取りつかれている」とされ、町から追放され、墓場に住んでいたのです。しかし、イエスは「汚れた霊」を追い出し、その人は「正気」に戻ったと言います。けれども、イエスが追い出そうとしたのは、じつは、その人が汚れた霊に取りつかれているという人びとの偏見であり、取り戻させようとしたのは、彼をそのように扱ってしまう人びとの「正気」だったのではないでしょうか。
ならば、バザーリアと愛弟子たちは、イエスと使徒の後継者なのかも知れません。
バザーリアらの改革によって人びとが精神病院から町へ解き放たれていく過程を描く長編映画「むかしMattoの町があった」のDVDがついていて三千円ですから、お買い得です。とてもすばらしい映画です。Mattoとはmadのことだと思います。しかし、今はその町はないと。ぼくはまず映画を観てから本を読みました。
バザーリアの愛弟子たちは言います。
「精神科医の精神医学的診断なんて、なくすに限ります。そんな診断より、患者の人生に価値をもたらすものをつくることが大切です」(p.14)。
「病院の中で見られた患者の奇妙な態度・行動といったものは、決して狂気の中から出てきたものではなくて、周りの環境から生まれたものなのだと、わかってきました」(p.39)。
「統合失調症をはじめとする慢性化した精神疾患の症状のかなりの部分が、社会的につくられている」(p.25)。
「犯罪と精神病に関して常に語られる言葉群、つまり『犯罪』『精神疾患』『責任能力』『危険性』といった言葉にはつながりがあるように言われてきましたが、実はそのつながりなんて全く根拠がない」(p.82)。
「彼は単に頭のおかしい狂人だということではなくて、その背後には彼の人生の苦しみの歴史というものがあるのであって、そのことを理解してもらうことを通して、この精神疾患という概念を変えていく仕事を我々は行っているわけです」(p.128)。
イエスは弟子たちと旅をする途中で、鎖につながれた男に出会いました。人びとからは「汚れた霊に取りつかれている」とされ、町から追放され、墓場に住んでいたのです。しかし、イエスは「汚れた霊」を追い出し、その人は「正気」に戻ったと言います。けれども、イエスが追い出そうとしたのは、じつは、その人が汚れた霊に取りつかれているという人びとの偏見であり、取り戻させようとしたのは、彼をそのように扱ってしまう人びとの「正気」だったのではないでしょうか。
ならば、バザーリアと愛弟子たちは、イエスと使徒の後継者なのかも知れません。
バザーリアらの改革によって人びとが精神病院から町へ解き放たれていく過程を描く長編映画「むかしMattoの町があった」のDVDがついていて三千円ですから、お買い得です。とてもすばらしい映画です。Mattoとはmadのことだと思います。しかし、今はその町はないと。ぼくはまず映画を観てから本を読みました。
2020年2月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
精神科にかかわってきたのですが、イタリアだけのものにならないように、どうしたら実践できるのか、考えていきたいです。
2016年10月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者の大熊一夫氏は、精神病院を廃止したイタリアの精神医療改革にいち早く注目し、長年にわたって日本への紹介につとめられてきた。
2009年に発表された『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)では、そのイタリアの大改革の全貌が描かれるとともに、
現在の日本の精神医療の問題点が鋭く告発されている。
またここ数年、氏はイタリアの精神保健改革の立役者であったバザーリアの愛弟子たちを日本に招いては、連続講演会を主催されてきた。
私自身、そのほとんどの講演会に参加してきたが、その講演録がまとめられたのが本書である。
連続講演会では、精神病院が閉鎖され、治療の中心が地域に移されて以降、イタリアの精神医療がどのような姿になっているのかが語られてきた。
とりわけ興味深かったのが、精神病院を廃止した国イタリアで活躍するバザーリアの愛弟子たちが、日本の精神保健の現状をどのように考えているのか、ということだった。イタリアとは対照的に、日本の精神科病院では、合わせて30万床以上のベッドが今でも稼働しているからである。
精神病院を捨て去ったイタリアの事例とくらべてみると、日本の精神保健の異常さが、より際立って見えてくる。
2009年に発表された『精神病院を捨てたイタリア 捨てない日本』(岩波書店)では、そのイタリアの大改革の全貌が描かれるとともに、
現在の日本の精神医療の問題点が鋭く告発されている。
またここ数年、氏はイタリアの精神保健改革の立役者であったバザーリアの愛弟子たちを日本に招いては、連続講演会を主催されてきた。
私自身、そのほとんどの講演会に参加してきたが、その講演録がまとめられたのが本書である。
連続講演会では、精神病院が閉鎖され、治療の中心が地域に移されて以降、イタリアの精神医療がどのような姿になっているのかが語られてきた。
とりわけ興味深かったのが、精神病院を廃止した国イタリアで活躍するバザーリアの愛弟子たちが、日本の精神保健の現状をどのように考えているのか、ということだった。イタリアとは対照的に、日本の精神科病院では、合わせて30万床以上のベッドが今でも稼働しているからである。
精神病院を捨て去ったイタリアの事例とくらべてみると、日本の精神保健の異常さが、より際立って見えてくる。
2017年9月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画の収録されたDVDも中に入っていて、それも視聴しました。どちらも実にすばらしいと思いました。イタリアでバザーリアという精神科医が、精神病院を廃止させたことにまつわる物語です。それだけ聞いても「????」だと思いますが、その廃止には人類社会にとっての大きな意味があるのです。
わたしは30年ほど前、精神医療における作業所の試みについてのイギリス人の講演会を聞きに、新宿まで行ったことがあります。精神病患者が今よりひどく社会から恐れられていて、病院から出て作業所で働く制度ができるまでには多くの越えなければならない壁がありました。それを先駆けていたのは、当時ヨーロッパだったんですね。今では日本でも作業所は一般的になったようですから、制度化がされたのだろうと思います。
バザーリアの改革はもっと先に行っていて、精神病院そのものを廃止して、患者は地域医療の中のオープンな場でさまざまな人々のチームによる支援を受られるようにするというものです。わたしは、心底その方がいいと思います。日本ではまだまだその方向に動く気配はないようですが、是非多くの人々が関心を持って、協力してその方向を紡ぎだしていくべきだろうと思います。この本がその媒介になってくれるのではないかと思います。
わたしは30年ほど前、精神医療における作業所の試みについてのイギリス人の講演会を聞きに、新宿まで行ったことがあります。精神病患者が今よりひどく社会から恐れられていて、病院から出て作業所で働く制度ができるまでには多くの越えなければならない壁がありました。それを先駆けていたのは、当時ヨーロッパだったんですね。今では日本でも作業所は一般的になったようですから、制度化がされたのだろうと思います。
バザーリアの改革はもっと先に行っていて、精神病院そのものを廃止して、患者は地域医療の中のオープンな場でさまざまな人々のチームによる支援を受られるようにするというものです。わたしは、心底その方がいいと思います。日本ではまだまだその方向に動く気配はないようですが、是非多くの人々が関心を持って、協力してその方向を紡ぎだしていくべきだろうと思います。この本がその媒介になってくれるのではないかと思います。
2017年11月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
確かに、イタリアでは精神病院の解体が行われた。しかし、これはあくまで、国立の精神病院を完全に閉鎖したということであり、南イタリアにある私立の精神病院は未だに閉鎖されずに経営している。日本の場合は、精神病院の実に90%以上が私立の精神病院で、だから閉鎖が難しいということである。また、少ない医療スタッフで治療に(?)当たれるという精神科特例が1960年代から未だに続いていて、とても日本の精神医療の改革は難しいと私は思うが、何かが必要だと思う。この本の中に2枚のDVDが入っているが、皆さんには、この映画を見て欲しいのです。昔の1970年代までのイタリアの精神病院の姿が映像化されていて、今の日本の精神病院は2017年になっても1970年代のイタリアの精神病院の姿と何ら変わりはないのです。「むかしMATTOの町があった」この映画を国民に観てもらい、今の日本の精神病院は、こうなんですと著者は言いたいのです。身体拘束の場面もありますが、元来、身体拘束は、病院では行ってはいけないことです。先日、福祉大国のニュージーランド人が長期の身体拘束で精神病院に殺されました。日本国憲法の基本的人権や行動、言動の自由は、憲法の中で何人にも保障されていることです。しかし、精神保健福祉法の中では、知的、精神障碍者の搬送には、警察の利用を唱ってあります。ここで、すでに、憲法で保障されている基本的人権も行動の自由も、言動の自由も保障の対象から外してあります。そして、精神病院では、人権も言動も行動も自由は奪われてしまい、人間扱いそれすらなくなります。院長が「長期身体拘束を行う」といえば、その病院ではそうなるのです。そして、牧畜業者が、精神病院の経営者たちなのです。牧畜とは患者のことです。精神科医師会の会長の言葉です。
これが、日本の精神医療の実態です。戦争になれば、福祉も障害年金もありません。太平洋戦争のとき、日本の陸軍は、知的だろうが精神だろうが兵士にしました。そして、他の戦争障碍者には厚い恩給を付けましたが、知的、精神障碍者の兵士には付けませんでした。戦場に行く前までは健常者で、殺戮の現場に立ち、健常者から精神障碍者になった人たちにも恩給はありませんでした。これが戦争です。そういうことも頭に入れて映画は見て欲しいと思います。
これが、日本の精神医療の実態です。戦争になれば、福祉も障害年金もありません。太平洋戦争のとき、日本の陸軍は、知的だろうが精神だろうが兵士にしました。そして、他の戦争障碍者には厚い恩給を付けましたが、知的、精神障碍者の兵士には付けませんでした。戦場に行く前までは健常者で、殺戮の現場に立ち、健常者から精神障碍者になった人たちにも恩給はありませんでした。これが戦争です。そういうことも頭に入れて映画は見て欲しいと思います。
2017年11月5日に日本でレビュー済み
日本の精神保健のあり様と全く様相を異にする、イタリアのそれの可能性を強く感じる。
具体的にはDVDが雄弁だし、文中に見られる力強い語りからも、それがうかがえる。
病者とされる人の中に、どれだけ可能性が感じられて、それの開花のためにどれだけエネルギーを傾けられるか。
そして、それを組織的に行っていくことが肝要な様に思われた。
具体的にはDVDが雄弁だし、文中に見られる力強い語りからも、それがうかがえる。
病者とされる人の中に、どれだけ可能性が感じられて、それの開花のためにどれだけエネルギーを傾けられるか。
そして、それを組織的に行っていくことが肝要な様に思われた。