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現代思想 2014年2月号 特集=キルケゴール ムック – 2014/1/27
國分功一郎氏プロデュース!
2013年11月29・30日、高崎経済大学にて開催された「現代思想の源泉としてのキルケゴール――生誕200年記念シンポジウム」に加え、キルケゴールに関する新旧重要翻訳論文、および初学者のためのブックガイドも掲載。
いまキルケゴールを読むための記念碑的特集。
反復、一回性、他者、瞬間……現代思想に轟くキルケゴールの残響を聴け!
【イントロダクション】國分功一郎
【概論】藤野寛
【現代思想の源泉としてのキルケゴール】國分功一郎/宮崎裕助/大橋完太郎/柿並良佑/佐藤啓介/松本卓也/星野太/串田純一/長門裕介
【テクスト】Th・W・アドルノ/M・フリード/H・デ・ヴリース/P・フェンヴズ
【ブックガイド】それぞれのキルケゴール
2013年11月29・30日、高崎経済大学にて開催された「現代思想の源泉としてのキルケゴール――生誕200年記念シンポジウム」に加え、キルケゴールに関する新旧重要翻訳論文、および初学者のためのブックガイドも掲載。
いまキルケゴールを読むための記念碑的特集。
反復、一回性、他者、瞬間……現代思想に轟くキルケゴールの残響を聴け!
【イントロダクション】國分功一郎
【概論】藤野寛
【現代思想の源泉としてのキルケゴール】國分功一郎/宮崎裕助/大橋完太郎/柿並良佑/佐藤啓介/松本卓也/星野太/串田純一/長門裕介
【テクスト】Th・W・アドルノ/M・フリード/H・デ・ヴリース/P・フェンヴズ
【ブックガイド】それぞれのキルケゴール
- 本の長さ245ページ
- 言語日本語
- 出版社青土社
- 発売日2014/1/27
- ISBN-104791712749
- ISBN-13978-4791712748
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登録情報
- 出版社 : 青土社 (2014/1/27)
- 発売日 : 2014/1/27
- 言語 : 日本語
- ムック : 245ページ
- ISBN-10 : 4791712749
- ISBN-13 : 978-4791712748
- Amazon 売れ筋ランキング: - 789,312位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年5月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
買ったまま置いておいたが、少しずつ読み始める。自分の興味にひっかかった論考「神学者たちのキルケゴール」で、キルケゴール、バルト、モルトマンをつないで論じている佐藤啓介氏のにはさまざまに教えられた。「可能性」「不安」「希望」の関係を鋭敏に論じていて、説得される。日本人はキルケゴールを必死で読まなければならないと確信した。取り急ぎ、それを再確認しておきたい。ほかの論考も、國分氏のプロデュースなので、信頼できるはずだ。
2015年1月25日に日本でレビュー済み
國分さんのプロデュースした特集だから、
新しい何かを期待したけど、がっかりした。
若手研究者がキルケゴールに陽をあてるという発想はいいけど、
多くはポストモダン思想でキルケゴールがどう読まれるかという話だった。
國分さんはドゥルーズがキルケゴールをどう取り上げたかという論考で、
黴の生えた権威でキルケゴールを読み解くのはただの堕落だと思った。
非ポストモダン的な「神の前の自己」はほとんどの人がスルー。
アカデミックな流行に凝り固まった保守的な若手ばかりで、
歳のわりに若くもない人たちばかりだった。
現代の価値観を前提に古典を読むなんて、
意味がある行為だとはわたしには思えない。
新しい何かを期待したけど、がっかりした。
若手研究者がキルケゴールに陽をあてるという発想はいいけど、
多くはポストモダン思想でキルケゴールがどう読まれるかという話だった。
國分さんはドゥルーズがキルケゴールをどう取り上げたかという論考で、
黴の生えた権威でキルケゴールを読み解くのはただの堕落だと思った。
非ポストモダン的な「神の前の自己」はほとんどの人がスルー。
アカデミックな流行に凝り固まった保守的な若手ばかりで、
歳のわりに若くもない人たちばかりだった。
現代の価値観を前提に古典を読むなんて、
意味がある行為だとはわたしには思えない。