「アルタッドに捧ぐ」と「鳥打ちも夜更けには」が面白かったので、迷わず読みました。
やっぱりすごく変わっていて面白かったです。人名が日本人で地の文も日本文学なのに、人物の語り口調や行動が外国の昔話のようなとこも、「鳥打ち〜」と似て不思議な世界で、想像力をかき立てられます。
監禁父子は引きこもって、地図を描きながら想像の中で旅をする。双子は旅に出て、働いて人に認められ、お金も貯めて目的もある。動物や自然と触れ合い、リア充だなぁ、いいなぁと思いつつ、自分は父子側の人間だなと思ってしまいました。(笑)
雇われ人達は、思考停止して現状維持しようとし、対決する双子もおかしな人相手でも今までのやり方を変えられない。ある意味こちらも思考停止か。結局誰もが停滞している。
でも、現実もこんな感じに回ってるんじゃないかと思えました。これは外国の童話のように現実を皮肉ってるのではないかなと感じました。
帯にありましたが、
「文学には、もっともらしい教訓やわかりやすい答えなどは必要ない。読者も、作者さえも、自分自身の読む力で作品の世界を楽しみ、自由に感じたり考えたりすることそのものが文学なのだ」
何を表してるのか思いを巡らしながら読めて、想像する楽しみがありました。
誰が読んでも分かりやすくて良い感じに終わるお話ではないので、売れなさそう…。(悲)
応援したいと思いました。
光浦さんがTVで「鳥打ち〜」を紹介していてこの作家を知りました。光浦さんありがとう。
プライム無料体験をお試しいただけます
プライム無料体験で、この注文から無料配送特典をご利用いただけます。
非会員 | プライム会員 | |
---|---|---|
通常配送 | ¥410 - ¥450* | 無料 |
お急ぎ便 | ¥510 - ¥550 | |
お届け日時指定便 | ¥510 - ¥650 |
*Amazon.co.jp発送商品の注文額 ¥2,000以上は非会員も無料
無料体験はいつでもキャンセルできます。30日のプライム無料体験をぜひお試しください。

無料のKindleアプリをダウンロードして、スマートフォン、タブレット、またはコンピューターで今すぐKindle本を読むことができます。Kindleデバイスは必要ありません。
ウェブ版Kindleなら、お使いのブラウザですぐにお読みいただけます。
携帯電話のカメラを使用する - 以下のコードをスキャンし、Kindleアプリをダウンロードしてください。
双子は驢馬に跨がって 単行本 – 2017/9/22
金子 薫
(著)
{"desktop_buybox_group_1":[{"displayPrice":"¥1,760","priceAmount":1760.00,"currencySymbol":"¥","integerValue":"1,760","decimalSeparator":null,"fractionalValue":null,"symbolPosition":"left","hasSpace":false,"showFractionalPartIfEmpty":true,"offerListingId":"%2FmfMYCi1R3UqBtWv6o2E2JhghLkIpaZRaURhsNxfDqzFNxkx8tsn%2F%2FV1DBkQWk0meR5BX%2FH37hCwdxI51kAMS6rLzf74lrla%2ByITBFVrS0EfFmpnDym5R9xIHikC9I23Grq8okefnGc%3D","locale":"ja-JP","buyingOptionType":"NEW","aapiBuyingOptionIndex":0}]}
購入オプションとあわせ買い
「アメトーーク!」読書芸人特集・光浦靖子氏紹介でブレイク! 独自の世界観で大注目の気鋭が描く、双子と驢馬の荒唐無稽な冒険譚。
- 本の長さ188ページ
- 言語日本語
- 出版社河出書房新社
- 発売日2017/9/22
- 寸法13.7 x 1.8 x 18.7 cm
- ISBN-104309026052
- ISBN-13978-4309026053
よく一緒に購入されている商品

対象商品: 双子は驢馬に跨がって
¥1,760¥1,760
最短で3月30日 土曜日のお届け予定です
残り1点(入荷予定あり)
総額:
当社の価格を見るには、これら商品をカートに追加してください。
ポイントの合計:
pt
もう一度お試しください
追加されました
一緒に購入する商品を選択してください。
この商品をチェックした人はこんな商品もチェックしています
ページ 1 以下のうち 1 最初から観るページ 1 以下のうち 1
商品の説明
著者について
一九九〇年、神奈川県生まれ。慶應義塾大学大学院文学研究科仏文学専攻修了。二〇一四年『アルタッドに捧ぐ』で第五一回文藝賞を受賞しデビュー。他の著書に『鳥打ちも夜更けには』がある。
登録情報
- 出版社 : 河出書房新社 (2017/9/22)
- 発売日 : 2017/9/22
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 188ページ
- ISBN-10 : 4309026052
- ISBN-13 : 978-4309026053
- 寸法 : 13.7 x 1.8 x 18.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 621,908位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 27,520位楽譜・スコア・音楽書 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2019年1月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年1月2日に日本でレビュー済み
第一作から現在まで一貫して「書くこと」と「書かれること」、言い換えると「想像すること」と「創造すること」の相関性を命題としているであろう作家「金子薫」による第三作目。
鶏が先か卵が先か、事実が先行しているのか、想像が創造を呼んでいるのか、物語は監禁された「君子危うきに近寄らず」と「君子」の父子と、双子の姉と弟、そして驢馬との旅の交感により進んでいく。交わりそうで交わらず、いや、手紙を介した交差こそあるが、しかし彼らは最終的に顔を合わすことなく物語は終わり、そして始まる。
そうした展開は荒唐無稽で幾分まだるっこしいながらも、しかし確かな筆力でもって描かれる挿話の一つ一つ、描写の一つ一つには不思議な魅力が溢れている。この不条理さとそれを押し進めたことで生じる奇妙な笑い(ユーモア)には、あるいはカフカを思わす部分があるかもしれない。
また静と動のモチーフとなる「父子」と「双子」も、当初は明確な目的の元に行動していた。それぞれ「脱出」であり、「救出」である。だが彼ら・彼女らはその目的のための「逃避としての囲碁」と「救出に至るまでの旅」にそれぞれ幸せを見出してしまう。そしてこの不条理さに満ちた世界はある種の人々の思いを叶えてくれる世界なのだろうか? 彼らはそれぞれ目的も記憶も忘れ、その行動を続けざる負えない状況をプレゼントされる。考えてみれば駱駝と共に脱落した(ように見える)浮浪者の二人もその直前に受け売りでこそあるが、旅の魅力について口舌を振るっていたではないか。四人の従業人も最初から終いまで一貫して、ただただペンションで働き続けることを願っている。つまりはこの世界は「そういう世界」なのであろう。なんだったら一度も登場しなかったオーナーもあるいは本人の「願い」でもってそうなのかもしれない。
このファジィさや人名のセンス、シンメトリカルな構図や作中の雰囲気等に酔え、そして未解決の部分、意味深長な仄めかしの数々に目を瞑ることが出来る人であれば、あるいは充分に楽しめ、本を閉じることが出来るかもしれない。だがしかし、私の個人的な感覚から言えばそれらのいくつかは「寓話であるから」だとか「シュールだから」だとかいった理由で看過できる要素ではない。
つまり明言こそされていないものの、作中の世界が「そう」であるからといって、登場人物のことごとくが――主人公さえも、脇役さえも――その世界のルールに人知れず屈服し、それこそ盲いた囚人のように行動をする様を描いたって、どうしようもない。当人方がラクか苦しいかはいっそどうでもよい。ただ登場人物が現状維持を選び続ける様に、どのようにカタルシスを得ようというのか。仮にこの世界に屈服するのであれば、それは反抗の後でなければ意味はないはずだろう。
総評するに、おそらくこの作品は行間を読むタイプではない。これら人物の全てをなんらかの隠喩であるとして受け取らないことには、カタルシスは得られないことだろう。だが、その隠喩先を示唆するものが(おそらく)作中にはない。各々が各々の尺度でもってその「変換先」とでも言うべき「当て嵌めるもの」を探す必要があるのだろう。だから私は物語としての好みで判断させてもらう。筆力や技法は十二分だと思う。
だが、私はこの「物語」が好きではない。
鶏が先か卵が先か、事実が先行しているのか、想像が創造を呼んでいるのか、物語は監禁された「君子危うきに近寄らず」と「君子」の父子と、双子の姉と弟、そして驢馬との旅の交感により進んでいく。交わりそうで交わらず、いや、手紙を介した交差こそあるが、しかし彼らは最終的に顔を合わすことなく物語は終わり、そして始まる。
そうした展開は荒唐無稽で幾分まだるっこしいながらも、しかし確かな筆力でもって描かれる挿話の一つ一つ、描写の一つ一つには不思議な魅力が溢れている。この不条理さとそれを押し進めたことで生じる奇妙な笑い(ユーモア)には、あるいはカフカを思わす部分があるかもしれない。
また静と動のモチーフとなる「父子」と「双子」も、当初は明確な目的の元に行動していた。それぞれ「脱出」であり、「救出」である。だが彼ら・彼女らはその目的のための「逃避としての囲碁」と「救出に至るまでの旅」にそれぞれ幸せを見出してしまう。そしてこの不条理さに満ちた世界はある種の人々の思いを叶えてくれる世界なのだろうか? 彼らはそれぞれ目的も記憶も忘れ、その行動を続けざる負えない状況をプレゼントされる。考えてみれば駱駝と共に脱落した(ように見える)浮浪者の二人もその直前に受け売りでこそあるが、旅の魅力について口舌を振るっていたではないか。四人の従業人も最初から終いまで一貫して、ただただペンションで働き続けることを願っている。つまりはこの世界は「そういう世界」なのであろう。なんだったら一度も登場しなかったオーナーもあるいは本人の「願い」でもってそうなのかもしれない。
このファジィさや人名のセンス、シンメトリカルな構図や作中の雰囲気等に酔え、そして未解決の部分、意味深長な仄めかしの数々に目を瞑ることが出来る人であれば、あるいは充分に楽しめ、本を閉じることが出来るかもしれない。だがしかし、私の個人的な感覚から言えばそれらのいくつかは「寓話であるから」だとか「シュールだから」だとかいった理由で看過できる要素ではない。
つまり明言こそされていないものの、作中の世界が「そう」であるからといって、登場人物のことごとくが――主人公さえも、脇役さえも――その世界のルールに人知れず屈服し、それこそ盲いた囚人のように行動をする様を描いたって、どうしようもない。当人方がラクか苦しいかはいっそどうでもよい。ただ登場人物が現状維持を選び続ける様に、どのようにカタルシスを得ようというのか。仮にこの世界に屈服するのであれば、それは反抗の後でなければ意味はないはずだろう。
総評するに、おそらくこの作品は行間を読むタイプではない。これら人物の全てをなんらかの隠喩であるとして受け取らないことには、カタルシスは得られないことだろう。だが、その隠喩先を示唆するものが(おそらく)作中にはない。各々が各々の尺度でもってその「変換先」とでも言うべき「当て嵌めるもの」を探す必要があるのだろう。だから私は物語としての好みで判断させてもらう。筆力や技法は十二分だと思う。
だが、私はこの「物語」が好きではない。
2019年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
習作の域をでない作品。「全国中学生作文コンクール」金賞受賞なら、納得もできる。
2017年10月2日に日本でレビュー済み
父と息子が妄想の中で創り出した、双子と驢馬の冒険の旅路の物語。
この本の中には、二つの世界が描かれます。
一つは、監禁された(と思い込んだ)父と息子の奇妙な関係のとじこもり世界。
もう一つは、双子の姉と弟、そして驢馬の冒険の旅路の世界。
こんな二つの世界が結末では、シュールに出会います。
この出会いを一冊の本として綴じ合わせている糸は、
糸の結び目のような一通の手紙です。
監禁された父と息子を救出にいくと予告する、双子が出した手紙です。
こんな奇妙な手紙が、二つの世界をつなぐように、ペンションに届く。
というのもシュールなことです。
監禁された父と息子が共同でペンションの壁や天井の上に描いた地図。
模造紙の上に双子が体当たりで描く、旅の目的地の地図。
こんな妄想の地図に導かれた別世界の旅路。
監禁されたものと勝手に思い込んだ父と息子。
彼らを救出しようと旅に出た双子。
幸福なことに、最後は、どちらも大切な記憶を失ってしまいます。
記憶なんて、どうでもよくなってしまいます。
監禁されている人々、そして、親子を助ける双子。
その目的のためには、記憶もまた、捨てねばならぬお荷物なのです。
記憶を捨てることの心地よさも描かれています。
表紙の装画は、岡上淑子の「暮色」(1956年)という古いコラージュ。
ハイブリッドな現代に、古いコラージュを掘り出してくる編集陣。
岡上淑子には『はるかな旅』という作品集もあり、この本の表紙に
ジャストミート。
登場者を簡単に紹介させていただきます。
双子: 姉「ことみ」ちゃんと弟「みつる」くんの二人。
Sからもらった地図をナカタニに食べさせてしまいます。
驢馬: 名は「ナカタニ」。老いたU夫婦が飼育する牡驢馬。
狭い世界と感じるようになった双子は、この驢馬の背に跨がって
半砂漠地帯の旅に出るのです。
父と息子:
父の名は「君子危うきに近寄らず」。息子には「君子」と名付けます。
親子はペンションの部屋の壁と天井に地図の壁画を描くことに没頭します。
双子のために、ペンションに来るまでの旅路の道筋を示します。
しかし、オーナーの配下に地図を黒く塗りつぶされた二人は、
今度は桃色の小部屋(トイレ)に籠って壁に書いた碁盤で囲碁に没頭します。
双子が驢馬に乗って助けにくるのを信じて、ただ待ち続けるのです。
二人は不安を乗り越え、精神の均衡を崩さずに暮らしていけるようになります。
そのうち、親子は囲碁の名勝負の幸福に溺れていくのです。
オーナー: 森の中のペンションのオーナー。
オーナーの配下の従業員たち:
ペンションで働く、青年、白髪の老人、小太りの中年、義手をつけた中年の四人。
森に倒れていた父を保護し、徘徊していた息子をペンションに連れてきて、
二人を再開させてやり、食事の世話をしてやります。
老いた大柄な浮浪者: 双子がつけた名は「ジャム」。
幾分か年若い小柄な浮浪者: 双子がつけた名は「バター」。
駱駝:
Wたち金持ちからもらった。駱駝の名は「フルカワ」。
浮浪者二人を乗せて旅に出るが、突然、神経を昂らせ、制御不能となり、
地平線の彼方へと走り去って行ってしまいます。
老夫婦: U夫婦。
棟梁と六人の大工: 老夫婦おために働きます。
E: 双子の父。
Eの妻: 双子を出産。
浮浪者: 五十代と思われる男。ガード下の浮浪者たちの一人。
S:
養豚業。Uの友人。
畜獣のように監禁され虐待されている人間がいるらしいとの噂があるので、
様子を見に行くよう、二人はSから頼まれます。
U:
喧嘩別れをしてしまったSに、謝罪の手紙を届けてほしいと双子に頼みます。
この手紙を届けた双子は、Sの豚舎で三年働きます。
花売り女性: 柑橘系の植物の白い種が詰まった布袋を三つもくれた。
旅の道中で、道ばたにこの種をまきます。
帰り道の道しるべに。
W:
浮浪者たちと驢馬を従える双子へ好奇心を持ち、自分の屋敷に招待します。
食事をしながら、彼らの話す物語に大真面目に耳を傾けてます。
結末は、双子は、再び旅に出ます。驢馬に跨がって。
シュールな絵のような、奇想天外でシュールな冒険の旅に。
驢馬や駱駝の名前が人間ぽくて、
人間の名前がアルファベット一文字なんてシュールに感じました。
喰うためだけに生きているような浮浪者の名前が、
「ジャム」とか「バター」という食べ物の名前であるのも、おもしろい。
「君子危うきに近寄らず」という名前の父は、この不条理の世の中から
ただ逃げて閉じこもり、妄想にふけるだけ、とも考えられます。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という名前に変えて、再出発し、
自分の人生を現実的に生き抜いていってほしいと思いました。
この本の中には、二つの世界が描かれます。
一つは、監禁された(と思い込んだ)父と息子の奇妙な関係のとじこもり世界。
もう一つは、双子の姉と弟、そして驢馬の冒険の旅路の世界。
こんな二つの世界が結末では、シュールに出会います。
この出会いを一冊の本として綴じ合わせている糸は、
糸の結び目のような一通の手紙です。
監禁された父と息子を救出にいくと予告する、双子が出した手紙です。
こんな奇妙な手紙が、二つの世界をつなぐように、ペンションに届く。
というのもシュールなことです。
監禁された父と息子が共同でペンションの壁や天井の上に描いた地図。
模造紙の上に双子が体当たりで描く、旅の目的地の地図。
こんな妄想の地図に導かれた別世界の旅路。
監禁されたものと勝手に思い込んだ父と息子。
彼らを救出しようと旅に出た双子。
幸福なことに、最後は、どちらも大切な記憶を失ってしまいます。
記憶なんて、どうでもよくなってしまいます。
監禁されている人々、そして、親子を助ける双子。
その目的のためには、記憶もまた、捨てねばならぬお荷物なのです。
記憶を捨てることの心地よさも描かれています。
表紙の装画は、岡上淑子の「暮色」(1956年)という古いコラージュ。
ハイブリッドな現代に、古いコラージュを掘り出してくる編集陣。
岡上淑子には『はるかな旅』という作品集もあり、この本の表紙に
ジャストミート。
登場者を簡単に紹介させていただきます。
双子: 姉「ことみ」ちゃんと弟「みつる」くんの二人。
Sからもらった地図をナカタニに食べさせてしまいます。
驢馬: 名は「ナカタニ」。老いたU夫婦が飼育する牡驢馬。
狭い世界と感じるようになった双子は、この驢馬の背に跨がって
半砂漠地帯の旅に出るのです。
父と息子:
父の名は「君子危うきに近寄らず」。息子には「君子」と名付けます。
親子はペンションの部屋の壁と天井に地図の壁画を描くことに没頭します。
双子のために、ペンションに来るまでの旅路の道筋を示します。
しかし、オーナーの配下に地図を黒く塗りつぶされた二人は、
今度は桃色の小部屋(トイレ)に籠って壁に書いた碁盤で囲碁に没頭します。
双子が驢馬に乗って助けにくるのを信じて、ただ待ち続けるのです。
二人は不安を乗り越え、精神の均衡を崩さずに暮らしていけるようになります。
そのうち、親子は囲碁の名勝負の幸福に溺れていくのです。
オーナー: 森の中のペンションのオーナー。
オーナーの配下の従業員たち:
ペンションで働く、青年、白髪の老人、小太りの中年、義手をつけた中年の四人。
森に倒れていた父を保護し、徘徊していた息子をペンションに連れてきて、
二人を再開させてやり、食事の世話をしてやります。
老いた大柄な浮浪者: 双子がつけた名は「ジャム」。
幾分か年若い小柄な浮浪者: 双子がつけた名は「バター」。
駱駝:
Wたち金持ちからもらった。駱駝の名は「フルカワ」。
浮浪者二人を乗せて旅に出るが、突然、神経を昂らせ、制御不能となり、
地平線の彼方へと走り去って行ってしまいます。
老夫婦: U夫婦。
棟梁と六人の大工: 老夫婦おために働きます。
E: 双子の父。
Eの妻: 双子を出産。
浮浪者: 五十代と思われる男。ガード下の浮浪者たちの一人。
S:
養豚業。Uの友人。
畜獣のように監禁され虐待されている人間がいるらしいとの噂があるので、
様子を見に行くよう、二人はSから頼まれます。
U:
喧嘩別れをしてしまったSに、謝罪の手紙を届けてほしいと双子に頼みます。
この手紙を届けた双子は、Sの豚舎で三年働きます。
花売り女性: 柑橘系の植物の白い種が詰まった布袋を三つもくれた。
旅の道中で、道ばたにこの種をまきます。
帰り道の道しるべに。
W:
浮浪者たちと驢馬を従える双子へ好奇心を持ち、自分の屋敷に招待します。
食事をしながら、彼らの話す物語に大真面目に耳を傾けてます。
結末は、双子は、再び旅に出ます。驢馬に跨がって。
シュールな絵のような、奇想天外でシュールな冒険の旅に。
驢馬や駱駝の名前が人間ぽくて、
人間の名前がアルファベット一文字なんてシュールに感じました。
喰うためだけに生きているような浮浪者の名前が、
「ジャム」とか「バター」という食べ物の名前であるのも、おもしろい。
「君子危うきに近寄らず」という名前の父は、この不条理の世の中から
ただ逃げて閉じこもり、妄想にふけるだけ、とも考えられます。
「虎穴に入らずんば虎子を得ず」という名前に変えて、再出発し、
自分の人生を現実的に生き抜いていってほしいと思いました。