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41歳からの哲学 単行本 – 2004/7/17
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- 本の長さ175ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2004/7/17
- 寸法14 x 2 x 19.7 cm
- ISBN-104104001066
- ISBN-13978-4104001064
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
「週刊新潮」での連載「死に方上手」を収録した1冊。中心テーマは「死」である。戦争、自殺、ネット心中など、時事問題、身近な話題を基に、「なぜ人は死を恐れるか」「死は現実にはあり得ない」「死ぬ時は1人である」といったことを考察する。
人間は自殺する唯一の生物である。これは、人間が「観念としての死」を持つからだという。生きている限り、人間にとっての死は現実にはあり得ず、すべて観念である。死が観念であるために、自分の思いのために死ぬ、殉じて死ぬという行動が出てくる。自殺する人は、死ねば楽になるという一念で実行するが、死んで楽になる保証など、どこにもないと説明する。
著者の人生観、死生観も盛り込みながら、易しい言葉で哲学を論じる。
(日経ビジネス 2004/08/23 Copyright©2001 日経BP企画..All rights reserved.)
-- 日経BP企画
内容(「MARC」データベースより)
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2004/7/17)
- 発売日 : 2004/7/17
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 175ページ
- ISBN-10 : 4104001066
- ISBN-13 : 978-4104001064
- 寸法 : 14 x 2 x 19.7 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 27,947位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 79位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 404位思想
- - 442位哲学 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

1960年(昭和35年)8月21日、東京生まれ。1983年(昭和58年)3月、慶應義塾大学文学部哲学科倫理学専攻を卒業。文筆家と自称する。池田某とも。「哲学エッセイ」を確立して、多くの読者を得る。2007年(平成19年)2月23日死去(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『事象そのものへ!』(ISBN-10:4901510789)が刊行された当時に掲載されていたものです)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
目から鱗の意見が満載です。
時事問題に対しての考察中心の内容で、読んだタイミングが遅かったのか期待を超える内容とはなりませんでした。
著者の他の書籍を読みたくなりました。
図書館本
副題:考えることに、手遅れはない。
週刊新潮に連載された「死に方上手」の単行本化
「14歳からの哲学」を読んだら、次はこれでした。
週刊誌の連載ですから時節の話題やある程度うけ狙いもありますが、ピリッとスパイスが効いている料理のようです。特に養老先生の「バカの壁」の読み解きは面白い。
いずれにしても、考える事なくして人間で有り続ける意味がないのだと再認識。
今頃は天国で「考える」快楽を貪っているのでしょう。合掌
備忘録として。
おそらく、多くの人は、人生の価値を生活の安定に求めているだろう。「先が見えない不安」とは、人々の口癖である。しかし、人生の先が見えないのは、当たり前のことである。そんなのは今に始まったことではない。人は、生まれた限り、死ぬものであり、その間にいろんな目に遭う。それが人生というものである。 中略 人生の価値は、生活の安定や生命の保証にあると思っていると、その事自体で、人は萎えてくるように思う。倒産から脳梗塞まで、人生にはいろいろあるのが当たり前だからである。むろん、それはそれで本当に大変なことである。けれども、そんな大変なことどもを、どれだけ萎えずに生き抜くことができたか、それこそが人生の価値なのだ。そう思った方が、逆に生き易いような気がする。 p44
人生の快楽を追求するより先に、そも人生とは何かを追求する方が先だろう。快楽だけなら、サルだって知っている。なにゆえに快楽なのかを考えるから人間なのである。しかい、きょうび「考える」なとど言って、その意味すら理解しないサル化人類が大量に出現している。携帯でテレビを観るサルである。サルは自分がサルであることを自覚していない。「自覚する」とは、精神を所有する人間にのみ可能な行為だからである。「一億総白痴化」とは、テレビ文化創成期にその本質を看破した大宅壮一氏の言だが、その氏とて、人がここまでサル化することを見抜いていただろうか。 P53 地上デジタル放送に関してのコメント
言葉なんて、タダだし、誰でも使えるし、その中は言葉だらけだし、なんでそんなものが価値などと、人は言うだろう。しかし、違う。言葉は交換価値なのではなくて、価値そのものなのだ。相対的な価値ではなくて、絶対的な価値なのだ。誰でも使えるタダのものだからこそ、言葉は人間の価値なのだ。安い言葉が安い人間を示すのは、誰もが直感している人の世の真実である。安い言葉は安い人間を示し、正しい言葉は正しい人間を示す。それなら、言葉とは、価値そのもの、その言葉を話すその人間の価値を、明々白々示すものではないか。p67
わざわざ大変なことをしたいとは思わない。しかし、楽でいることによって馬鹿になりたいと思わない。馬鹿にならずに、賢くなりたいと思う。だから私は本を読む。人間が賢くなるためには、本、すなわち言葉を読むことが一番だからである。p75
養老孟司の『バカの壁』がよく売れている。私も読んでみた。いつも通りに面白い。言われていることはいつも同じなのに、中略 養老氏の言説は、いつも、それ自体がからくり構造になっているということに注意しなければならない。すべては脳から説明できる。社会も世界も脳が作り出したものだからだ。しかし、社会や世界を作りだしたその脳は、人間が作り出したものではない。それは自然が作ったものだ。自然は人間の理解を超えている。わかってわかるわけがない。「脳」という前提は、説明のためのトリックである。これに気がつかなければ、我々はいつまでも、氏の言説に騙されたままである。当該書の中でも書いている。中略 まあ、誤解も理解のひとつだと言えば、言えなくはない。バカの壁は、とにかく厚い。それなら、これを突破するものは何か。決まっている。脳に磨がれた知恵の槍である。p88
じっさい、老いることは、これを否定しさえしなければ、きわめて豊かな経験なのである。四十を過ぎて、私はこのことを実感する。何というのか、この玄妙な味わい、人生の無意味もまた意味のうち、意味でも無意味でもない在ることそのもの、存在と時間、時間の時熱。自身の人生として味わえる成熟である。この味わい、この思想が、何ともおいしいのである。飽きないのである。ここまま六十、七十の歳を迎えるものなら、どのような思索の深みに遊べるものか、ワクワクするところである。人生の快楽は、快楽としてむろんある。だからこそ人として生まれて、この快楽を知らずに死ぬのはもったいない。金もかからない。中高年の皆さん、考えることなら、今すぐ始められますよ! p115
私は、仏教の中でも、禅というあの変てこな超宗教には、体質的に似たものを覚えるのだが、古神道は、ある意味で、あれに近いのではなかろうか。宗教学的定義は知らないが、教祖も教養ももたないあのようなありようも、やはり宗教と呼ぶのだろうか。だとしたら、わが国に古神道とは、なんと自在でいい加減な宗教だろう。そこが私などには、信頼できるのである。 p161
興味をもちました。
わかりやすい、です
14歳の哲学の本の様なものを期待していたのですが、ちょっと違ってました。
でも短編ごとに考えさせられるものでした。