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「鬼畜」の家:わが子を殺す親たち 単行本 – 2016/8/18
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虐待家庭の「核」に迫る戦慄のルポ!
子供たちは、こうして殺されていく。
次男をウサギ用ケージに監禁、窒息死させ、次女は首輪で拘束した夫婦。
電気も水も止まった一室で餓死させた父親。
奔放な性生活の末に嬰児2人を殺し、遺体は屋根裏へ隠す母親。
「愛していたのに殺した」という親たち、その3代前まで
生育歴をさかのぼることで見えて来た真実とは?
家庭という密室で殺される子供たちを追う。
Case1 厚木市幼児餓死白骨化事件
地獄絵図と化したアパート
親子三人
夫婦喧嘩
妻の失踪
監禁生活
なぜ救出されなかったのか
愛欲、そして死
判決の後
産んではいけない夫婦
風俗嬢として
箱根の老舗旅館
Case2 下田市嬰児連続殺害事件
伊豆半島の南
母子一族
結婚
夜の仕事
再婚という悲劇
二〇一五年、下田
怪物の子
「天井裏の子」
「太っただけ! 」
「押入れの子」
二〇一五年、沼津
Case3 足立区ウサギ用ケージ監禁虐待死事件
荒川
裁判──二〇一四年
家族の肖像
モンスターの子
夫婦の関係
再逮捕
裁判──二〇一六年
判決
もう一人のモンスター
- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2016/8/18
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- ISBN-104103054565
- ISBN-13978-4103054566
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
「親子愛」という粉飾が家族を追い詰める
虐待に関する書籍は九〇年代後半から数多く出版されているが、その価値は加害・被害の二分法からどれだけ自由であるかによって決まる。殺した親を「鬼畜」扱いし特殊化・周縁化すれば、ふつうの家族や親子の価値は保護され脅かされることはないからだ。厚木市幼児餓死事件などを扱った本書は、そんな予定調和的構造を裏切っていく。
加害者である親が子どもを殺そうと思っていたわけではないこと、出産直後には親子の絆やハッピーな家族像を夢見ていたことなどを丹念なインタビューから描き出す。さらに彼ら彼女たちの悲惨な生育歴を足を運んで聞き出すことで、著者は加害・被害の複層化に成功している。
あまりの悲惨さに驚かれるかもしれないが、本書で描かれた三つの事件は日本の児童虐待における氷山の一角に過ぎないことを知ってほしい。殺された子どもの背後には、表面化しないまま病死や事故死とされ闇に葬られた多くの被虐待児が存在するはずだ。幸運にも第三者に発見され、いくつかの偶然が重なって殺されることを免れて成長した子どもたちの数を加えれば、相似形の家族・親子は膨大な数にのぼるだろう。
「鬼畜」と呼ぶしかない親に育てられ、かろうじて生き延びて成長した人たちの語る言葉を、評者はカウンセラーとして二十年以上にわたり聞いてきた。戦場からの帰還兵同様に、単純に「殺されなくてよかったね」と言うことが憚られるほど、彼ら彼女たちはさまざまな後遺症や深い影響に中高年になるまで苦しめられる。それだけではない、親子の絆を称揚し、どんな親でもやっぱり血がつながっているから最後は許すべきだという日本社会に深く根を張った常識によって、そのひとたちはずっと苦しめられることになる。本書を読めば、親子愛という粉飾がどれほど家族を閉鎖的にし、結果的に子どもを殺すことにつながるかが手に取るようにわかる。
幸せを夢見ながら瞬く間に坂を転げ落ちるように破局に至る親たちの姿から、一九九〇年のバブル崩壊から二十五年を経た貧困化の進行が、このような脆くてあっけない、まるで底が抜けたような児童虐待を生み出したのではないかと思わされる。貧困は「言葉」の貧困を生み、理由や考えを語れない底辺層を厚くする。本書には著者のインタビューで初めて事件について考え言語化できたのではないかと思わせる親たちが登場するが、じっくり言語化を促し加害者を丹念に描き切ることにノンフィクションの意味を見るのは評者だけではないだろう。
評者:信田 さよ子
(週刊文春 2016.10.10掲載)著者について
1977(昭和52)年、東京生まれ。国内外を舞台にしたノンフィクションを中心に、
児童書、小説など幅広く執筆活動を行っている。
主な著書に『物乞う仏陀』『神の棄てた裸体』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』
『地を這う祈り』『遺体』『浮浪児1945─』、児童書に『ぼくたちはなぜ、学校へ行くのか。』
『幸せとまずしさの教室』『きみが世界を変えるなら(シリーズ)』、
小説に『蛍の森』、その他、責任編集『ノンフィクション新世紀』などがある。
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2016/8/18)
- 発売日 : 2016/8/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 272ページ
- ISBN-10 : 4103054565
- ISBN-13 : 978-4103054566
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 396,536位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 59,900位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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一番得られたのは、子供は普通に育つのではなく、しっかりと親がサポートしてあげないと、おかしな方向に進んでしまう、ということでしょうか。
(厚木の事件で子供が放置された箇所は、辛過ぎて涙がでました•••)
・厚木市で起きた幼児菓子白骨化事件
・下田市で起きた嬰児連続殺害事件
・足立氏で起きた監禁虐待死事件
まず、虐待親の心理や考え方を一般人が理解するのは難しいと思います。
というのは、虐待親の来歴や精神状態はたいてい社会のスタンダードから隔絶しきってしまっているからです。
筆者の別の書籍からの引用になりますが、人間の「物事を考える能力は、生まれつき備わっているものではないし、誰かに教えてもらって一日で身につけられるものでもない。自分を理解してくれる人たちに囲まれ、人から影響を受けたり、希望を抱いたり、何かに挑戦したりする中で、だんだんと身につけていくものだ。想像力を得るには、それなりの訓練が必要(石井光太「本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式」)」で、虐待親はたいていその機会が非常に乏しかったため、根本的なものの考え方が違うからです。
中には器質的に異常な親もいるため、事件をおこした当時の状況だけに焦点を当ててどうこう論じてみても、結局「理解できない」という結論になるのがオチでしょう。
本書に出てくるケースでは、いずれも親やそのまた親の「常識」と、一般的な社会規範にはかなりの差があります。
その点を念頭において読まないと、ただ虐待親は異常で糾弾すべきという結論しか出てきません。
そのうえで私がこの本を読んで特に印象に残ったのは、三つの事件のあった「下田」、「本厚木」、「足立区竹の塚」はどれも非常によく似ているという箇所です。
文中を引用すると「駅前には歓楽街が広がり、郊外の住宅地には貧困が蔓延している。そこで、家庭環境に恵まれなかった者たちが高校を中退して十代で子供を産み、夜の街でホステスとして働きながら、やがて我が子を殺める、というおおよその図式だ。そうしてみると、この風景が多くの若者にとって、闇に閉ざされた行き先のない路地のように見えてくるのだった。」という部分です。
虐待事件は家族という狭い世界の中で突然起こるのではなく、過去から現在に至るまでの人間関係や生活状況(とくに貧困)、そして地域の社会環境や経済状況といった、時間的にも空間的にもかなり広い範囲にまたがって原因が少しずつ連鎖し醸成されていくものです。
それゆえに、端的に虐待を防止するとか、虐待事件の責任の所在を明確にするとかいっても、手を付けなければならない問題の範囲が膨大すぎて、根本的に解決するのは無理ではないかという閉塞感があります。
一方で、本書の冒頭には、虐待親は子どもを愛していないわけではなく、「彼らなりに愛した」結果、子どもの死を招来してしまったという趣旨の文がありますが、ここは疑問に思いました。
この主張は、上に書いた通り、虐待親はたいていの場合本人に責任のない劣悪な生育環境で育てられており、一般的な社会規範を欠くに至った結果子どもを虐待しているという認識がないまま事件発生に至った、というふうに読めるからです。
これは、ある人間が精神を患い、特定の行為が刑法の構成要件に該当することを認識できないまま犯罪を犯してしまった(それゆえ処罰は効果がなく治療が妥当だ)という論理に似ていると感じました。
しかし、本書のどのケースを見ても、虐待親は児相や捜査機関に家庭内の実態を把握されることを厭っており、居留守を使ったりマネキンを使ったりして欺いてもいます。
つまり、彼らには一般的な社会規範で要求される子育ての常識が欠落しているとしても、「なにかよくないことをやっている」「咎められるようなことをやっている」という違法性の意識の可能性のようなものはあるとしか思えません。その点において、虐待親には虐待親なりの言い分や事情があるとしても、やはり厳罰化は必要と思いました。
本書を読み終えて、さしあたり社会ができることは、児童福祉の充実と、やはり将来の虐待親を生まないための教育ではないかと思いました。
虐待親はそもそもまともに学校に来られないような家庭で育ったりしているので、教育しようとしても難しいかもしれませんが、きちんと教育を受けていない人は、行政が提供する福祉サービスについて細かい字でかかれた文書を見ても内容が理解できません。
初等教育という人生の初期段階でセーフティネットをしっかりかけることは重要と思います。
小さいうちから、こういうことが起こった際はここに助けを求めれば対処してもらえるといった教育はもっと重要視すべきと思いました。
また、赤ちゃんや就学前の児童は虐待に関しては常に被害者でとくに危うい状況に置かれています。かれらには非難されるところがなく最も助けを必要としていることは間違いないので、児童福祉行政にもっと予算を充てるべきだと感じました。
もっと潤沢な予算と強力な権限で介入し助けることができれば、さらに言えばその後親がいなくても児童養護施設を中心とした地域のネットワークで育てていくことができれば、状況はもっと改善すると思います。
医療費や年金を削ってでも、児童福祉には有り余る予算を充てて、児相の人員も権限ももっと強化すべきと思いました。老人ではなく、将来のある、困難な状況に置かれた子どもに社会経済リソースを当ててほしい。
被虐待児童には代弁者がおらず、それゆえ児童福祉は票にならないという身も蓋もない現実があります。
とりあえず政治は国会議員の数を3分の1以下に減らして浮いた全額を児童福祉行政に充てるところから始めてほしい。
子どもに何を伝え、どう人と関わっていくか、考えさせられた。
読後の、と言うより読み始めた当初から負の連鎖という言葉が頭に浮かんでくる。
勿論、10代で妊娠した人達の全ての家庭に問題があるとは思わない。実際、友人の妻の妹は中学生の時に妊娠、出産。籍は入れたが1~2年で離婚。でも友人の妻も妹も、誰が見ても真面目グループの一員で、その家庭にも問題は無い。
けれど、本書で紹介された子を殺めてしまった親は、その自身の親もタイトル通り鬼畜と言っても過言では無いタイプだった。
特に297ページから始まる「もう一人のモンスター」の章は、嫌悪感を覚えながら読み進めた。誇張は一切無いだろう。自身の身の回りの事が一切出来ない人が、自身の子供のしつけを出来るとは思えない。
そう考えると、かつて子育てにおいて普通だと思われていた「虐待的な子育て」というものが知らず知らずのうちに現在でも連綿と引き継がれている可能性は十分にあると思う。かつて「夜這い」が社会的に許容されていた時代から許容されなくなる移行期の時代に当たり前のように「夜這い」をし、犯罪として捕まった人などは、自分は罪を犯している認識はほとんどなかったと思われるが、現代の子供の虐待もそれに近いケースが多いのではないかと思う。
虐待の連鎖を止める為には、国は最低限、「子育ての仕方について」「困ったときの福祉について」など母親、父親になる人には絶対に教える機会を作り、それだけではなく、更に充実した福祉制度を整えて欲しいと思う。
親の実家の環境や、生育歴が明らかになり、虐待死事件の背景を詳しく知ることができる。