『モンゴル帝国誕生――チンギス・カンの都を掘る』(白石典之著、講談社選書メチエ)に、3つのことを教えられました。
第1は、2001年、著者らによって、チンギス・カンの本拠地が特定されたということ。そのアウラガ遺跡発掘によるさまざまな成果が示されているが、中でも、遊牧民の彼らが、農耕も行っていたという指摘には驚かされました。
「モンゴル国中東部のヘンティー県の何も無いような草原の地中に、東京ドーム13個分もの面積をもつ遺跡が埋もれていることがわかり、日本とモンゴル国の考古学者が共同で調査することになった。2001年のことだ。注意深く掘り進めると、建物跡や工房跡などが整然と街並みを形作っていた。遊牧民が都市を営んでいたことも驚きだが、彼らが定着的な建物に暮らしていたことは想定外だった。私たちが発掘した建物跡がチンギス・カンの宮殿だったとわかった時には、全身が震えるほどの感動を覚えた」。
「アウラガ遺跡は当時のモンゴル高原では唯一の街だったといってよい。しかも、チンギスの拠点だったならば、モンゴル帝国の政治の中心、すなわち首都だというよう。世界の歴史教科書には、モンゴル帝国最初の首都はカラコルムだと記されているが、カラコルムに先立ち造られたヘルレン(川沿岸)大オルド(大宮廷)こそが、じつは最初の首都なのだ」。
「アウラガ首都圏(首都アウラガを中心とする領域)には宮殿や季節離宮などの政治の場のほかに、工房、農耕などの生産の場もあり、また、移動生活を送る者と、定着的な者とが雑居していたようすがうかがえる」。
第2は、従来の、チンギス・カンは世界征服の野望に燃える残虐な征服者というイメージを覆し、モンゴルの民の安全と繁栄を願う内政重視のリーダーという新たな人物像を提示していること。
「チンギス・カンといえば世界征服者と考える人も多かろう。強力な騎馬軍団で侵略戦争をおこなって虐殺と略奪を繰り返し、ほぼ一代でユーラシアの東西にまたがる広大なモンゴル帝国を築き、莫大な富を得たとされる。・・・だが、これまで調査をしていて、そうした豪華絢爛な贅沢な痕跡を、一度たりとも見つけたことはない。・・・豪奢とはほど遠い質素倹約で質実剛健な暮らしぶりがみてとれる」。
「チンギスが世界征服の野望を抱いていたとは、到底考えられない。チンギスは常に『モンゴルの民』の安全と繁栄の実現という、内政重視のヴィジョンのもとで行動したことがわかった」。
「親遼派から親金派に転じた時も、高原を統一した時も、そして大規模遠征を実施した時も、彼の根底にあるモンゴルへの想いは変わらなかった。彼の為政者としての視線は、常に高原内へと向いていた。唯一無二の世界征服者よりも、モンゴル遊牧民のリーダーとしてふさわしくありたいという彼のポリシーが、そこに看て取れる気がする」。
第3は、数々の苦境を乗り越え、並み居る強国を征服し、大帝国を築き上げたチンギス・カンの戦略・戦術が具体的に分析されていること。
「チンギスの事績からも、常に『馬・鉄・道』というものに彼の心血が注がれていたことがわかる。彼が『選択と集中』をしたものがそれら3者だったことは明らかだ」。
「チンギスはヴィジョンの実現のため、『騎馬軍団の機動力向上』『鉄資源の安定確保』『高原内生産の活性化』という3つの戦略をたて、遊牧リテラシーに基づく『シフト』『コストダウン』『モバイル』『リスク回避』『ネットワーク』という5つの戦術を駆使した。チンギスの成功の理由は何かと尋ねられたら、確固たるヴィジョン、戦略の的確さ、戦術の巧みさにあったと、私は答えたい」。
チンギス・カンに対するイメージを一新する衝撃的な一冊です。
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モンゴル帝国誕生 チンギス・カンの都を掘る (講談社選書メチエ) 単行本(ソフトカバー) – 2017/6/10
白石 典之
(著)
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13世紀にユーラシアの東西を席巻したモンゴル帝国。その創始者、チンギス・カンは、質素倹約、質実剛健なリーダーだった。それを物語るのが、著者が近年、発掘成果をあげているチンギスの都、アウラガ遺跡である。良質の馬と鉄を手に入れ、道路網を整備することで、厳しい自然環境に生きるモンゴルの民の暮らしを支え続けたチンギスの実像を、さまざまな文献史料と、自然環境への科学的調査を踏まえ、気鋭の考古学者が描く。
13世紀にユーラシアの東西を席巻し、その後の世界史を大きく転換させたモンゴル帝国。ヨーロッパが世界を支配する以前に現出した「パックス・モンゴリカ」時代の、人類史における重要性は、近年、広く知られるようになった。しかし、ではなぜ、ユーラシア中央部に現れた小さな遊牧民のグループ、モンゴルにそれが可能だったのか、また、その創始者、チンギス・カンとは、いったいどんな人物だったのか、まだ多くの謎が残されている。本書では、20年以上にわたってモンゴルの遺跡を発掘し続けている著者が、この謎に挑む。
著者がフィールド・ワークから実感するチンギス・カンは、小説などでよく描かれる、果てしない草原を軽快に疾駆する「蒼き狼」、あるいは金銀財宝を手にした世界征服者――というイメージとは異なり、むしろ質素倹約を旨とする質実剛健なリーダーだという。その姿を明らかにしつつある近年の著者の発掘成果が、チンギスの都と目されるアウラガ遺跡である。
チンギスは、ただ戦争に明け暮れるだけでなく、この都をひとつの拠点に、良質の馬と鉄を手に入れ、道路網を整備していった。つまり、産業を創出し、交通インフラを整えることで、厳しい自然環境に生きるモンゴルの民の暮らしを支え続けたのである。その「意図せぬ世界征服」の結果として出現したのが、イェケ・モンゴル・ウルス=大モンゴル国、いわゆるモンゴル帝国であった。
さまざまな文献史料と、自然環境への科学的調査を踏まえ、気鋭の考古学者が新たに描き出すモンゴル帝国とチンギス・カンの実像。
13世紀にユーラシアの東西を席巻し、その後の世界史を大きく転換させたモンゴル帝国。ヨーロッパが世界を支配する以前に現出した「パックス・モンゴリカ」時代の、人類史における重要性は、近年、広く知られるようになった。しかし、ではなぜ、ユーラシア中央部に現れた小さな遊牧民のグループ、モンゴルにそれが可能だったのか、また、その創始者、チンギス・カンとは、いったいどんな人物だったのか、まだ多くの謎が残されている。本書では、20年以上にわたってモンゴルの遺跡を発掘し続けている著者が、この謎に挑む。
著者がフィールド・ワークから実感するチンギス・カンは、小説などでよく描かれる、果てしない草原を軽快に疾駆する「蒼き狼」、あるいは金銀財宝を手にした世界征服者――というイメージとは異なり、むしろ質素倹約を旨とする質実剛健なリーダーだという。その姿を明らかにしつつある近年の著者の発掘成果が、チンギスの都と目されるアウラガ遺跡である。
チンギスは、ただ戦争に明け暮れるだけでなく、この都をひとつの拠点に、良質の馬と鉄を手に入れ、道路網を整備していった。つまり、産業を創出し、交通インフラを整えることで、厳しい自然環境に生きるモンゴルの民の暮らしを支え続けたのである。その「意図せぬ世界征服」の結果として出現したのが、イェケ・モンゴル・ウルス=大モンゴル国、いわゆるモンゴル帝国であった。
さまざまな文献史料と、自然環境への科学的調査を踏まえ、気鋭の考古学者が新たに描き出すモンゴル帝国とチンギス・カンの実像。
- 本の長さ248ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/6/10
- 寸法13 x 1.6 x 18.8 cm
- ISBN-10406258655X
- ISBN-13978-4062586559
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商品の説明
著者について
白石 典之
1963年、群馬県生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、新潟大学人文学部教授。専門はモンゴルの考古学。2003年、第1回「最優秀若手モンゴル学研究者」として、モンゴル国大統領表彰を受ける。主な著書に、『チンギス=カンの考古学』『モンゴル帝国史の考古学的研究』(同成社)、『チンギス・カン―“蒼き狼”の実像』(中公新書)、『チンギス・ハンの墓はどこだ?』(くもん出版)など。
1963年、群馬県生まれ。筑波大学大学院歴史・人類学研究科博士課程単位取得退学。博士(文学)。現在、新潟大学人文学部教授。専門はモンゴルの考古学。2003年、第1回「最優秀若手モンゴル学研究者」として、モンゴル国大統領表彰を受ける。主な著書に、『チンギス=カンの考古学』『モンゴル帝国史の考古学的研究』(同成社)、『チンギス・カン―“蒼き狼”の実像』(中公新書)、『チンギス・ハンの墓はどこだ?』(くもん出版)など。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2018年2月13日に日本でレビュー済み
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チンギス・ハンによるモンゴル帝国の最初の首都「アウラカ(遺跡)」を中心にモンゴルの考古学の研究を四半世紀以上にわたり続ける新潟大白石教授。専門の知見を担保にDNA分析、形質人類学、金属学、自然地理学、文献史学、文化人類学、人文地理学、年代測定、古生態学、気候学をつなぐ「ハブ考古学」から、多くの新しい知識を各方面から動員してチンギス像の輪郭をより明確にするのに貢献していただきました。モンゴルの歴史を扱うのに、文字資料を扱う文献学に加えて「遺物」や「遺構」という物質資料を扱う考古学の知見を大いに活用する有意性は、もとよりモンゴルの特性が物語るところです。厳しい自然に依拠しながら、広大な草原で人々がお互いにまばらに生計を営み、財産同様の家畜の命を生かし増やし、という遊牧の社会システムは、文字化した知識を必要としにくいシステムであったからです。ここに「ハブ考古学」の意義が明確です。さて各章では、樹木の年輪による気候分析をはじめとする「古環境研究」の成果による第三章「寒さに克つ」も新鮮ながら、考古学の強みを生かした第五章「鉄を求める」に切れがあります。鉄は第四章「馬を育む」と第六章「道を拓く」にも通じ、二つの章はそれぞれ堅く軽い鉄製馬具装備の「騎馬軍団の機動力向上」、鉄インゴットと幹線道路による「鉄資源の安定確保」というチンギスの戦略の分析を構成します。また「質素倹約」「質実剛健」な性格で「モンゴルの民の安全と繁栄」をビジョンとしていた、と著者が見出す指導者としてのチンギスの人物像も全章を通じて焦点です。これについては他部族の長たちに比べて特徴的なシャーマニズム信仰の強さ、バルジュン湖の誓いに根差す出自の違いを超えた平等思想もよく指摘されます。農耕・定着・平和な今日の日本とは対極のパラダイムにある、人為をはるかに超えた否応のない自然環境と群雄割拠の部族間牽制の中で、常に生死をかけて生き抜く中で培われた意味を含む文化人類学上の「遊牧知」は、著者も認める通りその中身の研究にまだまだのびしろがあり興味深いところです。なお今日のモンゴル語の発音とその日本語カナ表記のずれについては著者も関心を払っておられますが、まだまだ不十分と指摘せざるを得ません。アウラガはアウラカが近く、チンギスの両親イェスゲィとホエルンはユスヘとウウルンが近いです。
2017年12月21日に日本でレビュー済み
ジンギスカン鍋。それとアレクサンダー大王と並ぶ世界制覇の英雄だということ。これっきりの知識だった。
この夏の、ある湖のほとりで、ひとりぼっちで佇んでいた青年に声をかけたところ、モンゴルからの留学生だった。
モンゴルについて知ってますか? という彼の問いに、お相撲さん! と答えた私に彼は「すもうだけでは、ないです」と。
このことがきっかけで、モンゴルについて知ろう、と思い、この本に行き当たった。
ジンギスは、ペルシャ語系、チンギスはモンゴル本国を始め漢文系資料に依拠した呼び方だという。
著者の専門はモンゴルの考古学。現在は新潟大学人文学部教授だが、読むうちにわかったことは、資料文献に埋まってじっとしている学者ではないということだった。
モンゴルと日本と、どっちに重心がかかっているのだろう、モンゴルの人たちとの交流を始め、気候風土、森林河川、植物の植生などあらゆる方面にわたり、まるで土地もんである。さらに専門の考古学に隣接する分野の研究者たちとの交流が密で、全員一かたまりとなって研究を進めている様子が手に取るように伝わってきた。これは超先端スタンスだ。最大評価したい。
遊牧民について、安易な先入観を持っていたが、これは見事に覆された。
遊牧というから、あっちへウロウロ、こっちへホイホイ、気の向くままに羊や牛を追って移動しているんだと思っていたが、これはとんでもないことだった。誠にシステマティックな行動であった。
モンゴルの英雄チンギス・カンは、騎馬軍団と武器を持って次々に領地を増やし、一大帝国を夢見るという野心の人ではなかった。
その暮らしは質素質実であり、気候に従い規則的な移動を繰り返しながらも、定着的集落を設けて農耕もし、鉄鍛冶工房を運営していた。
重要視していたのが馬、鉄、道。
モンゴルの馬は、サラブレッドの体高が160cmであるのに比べて130cmと小柄で、幼児も馬を乗りこなすという。
現地を熟知し、愛情を持って見つめる著者の目を通して、まるでモンゴルに連れて行ってもらったかのように馬の姿、川の流れ、馬の喜ぶ草地、広い森林が見えて、日本とは比較にならない厳しい寒さも感じることができる。
チンギスは貪欲に領地を増やす野望の人ではなかった、モンゴルの民を第一に思う、私利私欲のない人だった。
驚くべきことは、彼のセンスが時代を超越して現在の世界に通用する価値観と判断を持っていたことだ。
道を作り駅舎を作る。これは現在のハイウェイと重なるものだが、要するに交通インフラの整備である。
彼が、今に伝えられる英雄として名を残したのは、モンゴルの地を知悉した上に構築した先端感覚の経営力にあったのではないか。
魅力ある国、学ぶところの多いチンギスカンだ。
巻末に参考文献と索引。
この夏の、ある湖のほとりで、ひとりぼっちで佇んでいた青年に声をかけたところ、モンゴルからの留学生だった。
モンゴルについて知ってますか? という彼の問いに、お相撲さん! と答えた私に彼は「すもうだけでは、ないです」と。
このことがきっかけで、モンゴルについて知ろう、と思い、この本に行き当たった。
ジンギスは、ペルシャ語系、チンギスはモンゴル本国を始め漢文系資料に依拠した呼び方だという。
著者の専門はモンゴルの考古学。現在は新潟大学人文学部教授だが、読むうちにわかったことは、資料文献に埋まってじっとしている学者ではないということだった。
モンゴルと日本と、どっちに重心がかかっているのだろう、モンゴルの人たちとの交流を始め、気候風土、森林河川、植物の植生などあらゆる方面にわたり、まるで土地もんである。さらに専門の考古学に隣接する分野の研究者たちとの交流が密で、全員一かたまりとなって研究を進めている様子が手に取るように伝わってきた。これは超先端スタンスだ。最大評価したい。
遊牧民について、安易な先入観を持っていたが、これは見事に覆された。
遊牧というから、あっちへウロウロ、こっちへホイホイ、気の向くままに羊や牛を追って移動しているんだと思っていたが、これはとんでもないことだった。誠にシステマティックな行動であった。
モンゴルの英雄チンギス・カンは、騎馬軍団と武器を持って次々に領地を増やし、一大帝国を夢見るという野心の人ではなかった。
その暮らしは質素質実であり、気候に従い規則的な移動を繰り返しながらも、定着的集落を設けて農耕もし、鉄鍛冶工房を運営していた。
重要視していたのが馬、鉄、道。
モンゴルの馬は、サラブレッドの体高が160cmであるのに比べて130cmと小柄で、幼児も馬を乗りこなすという。
現地を熟知し、愛情を持って見つめる著者の目を通して、まるでモンゴルに連れて行ってもらったかのように馬の姿、川の流れ、馬の喜ぶ草地、広い森林が見えて、日本とは比較にならない厳しい寒さも感じることができる。
チンギスは貪欲に領地を増やす野望の人ではなかった、モンゴルの民を第一に思う、私利私欲のない人だった。
驚くべきことは、彼のセンスが時代を超越して現在の世界に通用する価値観と判断を持っていたことだ。
道を作り駅舎を作る。これは現在のハイウェイと重なるものだが、要するに交通インフラの整備である。
彼が、今に伝えられる英雄として名を残したのは、モンゴルの地を知悉した上に構築した先端感覚の経営力にあったのではないか。
魅力ある国、学ぶところの多いチンギスカンだ。
巻末に参考文献と索引。
2018年10月9日に日本でレビュー済み
戦闘に馬を使う。馬上から背面を射る。馬から馬へ乗り換える。それは中央アジアの遊牧民には当たり前だったんですね。この本は製鉄技術を持った技術者と鉄鉱石を手に入れ、鋼材のインゴットを輸入し、軽量な馬具と鎧を作り、馬の移動のための道路を建設するための様々な戦略が巨大な帝国を作り上げた原因と説きます。また、古代気象のデータを用い、温暖期と慣例期が牧草や穀物の生育に与えた影響を考察します。単なる英雄譚ではありません。その点が新しい視点であり、本書を読む価値と思います。考古学や歴史学が総合科学であることに気付かされました。
2017年7月9日に日本でレビュー済み
ここ最近新しいモンゴル帝国に関する歴史書が出ていなかった中、今までとは異なるアプローチで帝国の実態に迫る内容がとても興味深くて面白い内容でした。
今までの歴史書は歴史資料を用いて、帝国の軍事力や行政組織、帝国内の民族について解説したものばかりでしたが、今回は考古学をメインに遺跡からの発掘物や気候変動の証拠などを用いて、13世紀当時の遊牧環境や武器を作るための鉄資源をめぐる争いなどの新しい視点から、これまでとは違う帝国またはチンギス・カン像を解説しています。
今まで発刊された本に飽きて来た「モンゴル帝国マニア」の方には、是非ともお勧めしますよ。
今までの歴史書は歴史資料を用いて、帝国の軍事力や行政組織、帝国内の民族について解説したものばかりでしたが、今回は考古学をメインに遺跡からの発掘物や気候変動の証拠などを用いて、13世紀当時の遊牧環境や武器を作るための鉄資源をめぐる争いなどの新しい視点から、これまでとは違う帝国またはチンギス・カン像を解説しています。
今まで発刊された本に飽きて来た「モンゴル帝国マニア」の方には、是非ともお勧めしますよ。
2020年2月14日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
著者は考古学者である。2001年にチンギス・カンの宮殿であるアウラガ遺跡が発掘され、整然とした街並みあり、遊牧民が定着的な建物に暮らしていたことが分かった。チンギス・カンは侵略戦争を繰り返し、一代でユーラシアの東西にまたがる広大なモンゴル帝国を築いたことから、膨大な富を得たとされている。しかし、遺跡調査からは豪華絢爛の贅沢な痕跡は一切見つからなかったという。豪奢とはほど遠い質素倹約で質実剛健な暮らしぶりがみてとれるという。
チンギス・カンの後、息子達により現ロシア、ウクライナのジョチ・ウルス、現トルコ、イラク、イランなどの中東のフレグ・ウルス、現アフガニスタン、キルギスなどの中央アジアのチャガタイ・ウルス、そして元朝の築いた大元ウルスと広大な領土を支配するようになった。
その原因は鉄兵器と騎馬にあったようであるが、詳細は明らかではない。いずれにしてもロシアもモンゴルの支配にあったことは驚きであった。
チンギス・カンの後、息子達により現ロシア、ウクライナのジョチ・ウルス、現トルコ、イラク、イランなどの中東のフレグ・ウルス、現アフガニスタン、キルギスなどの中央アジアのチャガタイ・ウルス、そして元朝の築いた大元ウルスと広大な領土を支配するようになった。
その原因は鉄兵器と騎馬にあったようであるが、詳細は明らかではない。いずれにしてもロシアもモンゴルの支配にあったことは驚きであった。