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何かのためではない、特別なこと 単行本 – 2016/2/19
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「功利的には測れない、大人の人生 について──」
本書は「即効性があり、有用で、刺激的なもの」ばかりを
追い求めるようになった現代に対する、ささやかな抵抗である。
──「まえがき」より──
「何かのためではない、特別なこと」という、本書のタイトルにあらわれているように、
わたしは、どうしても伝えておきたい大切なことを綴ったつもりです。
ひとが生きていくうえで大切なことは、ほとんどの場合、
「何かのため」という功利的な目的とは、別のところにあると思うのです。
こういった考えは、自分が還暦を過ぎるまでは、
あまりなじみ深いものではなかったと思います。
自分が老人の仲間入りをし、病を患い、両親を亡くし、
もはや、進歩とか成長といった青年期特有の思考から離れて、
はじめて見えてきたことがあるということかもしれません。
ひとは誰でも無限には生きられず、誰もが平等に年をとり、
死を迎えるという自然の摂理の側から、世の中を見直してみると、
それ以前とは全く違った光景が視野に入ってきます。
それまで、重要だと思っていたことが、実はとるに足りないことであり、
どうでもいいと思っていた儀礼や習慣が、
人類史的な意味を持つ大切なことであることに気付かされるのです。
- 本の長さ216ページ
- 言語日本語
- 出版社平凡社
- 発売日2016/2/19
- ISBN-104582837174
- ISBN-13978-4582837179
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商品の説明
著者について
登録情報
- 出版社 : 平凡社 (2016/2/19)
- 発売日 : 2016/2/19
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 216ページ
- ISBN-10 : 4582837174
- ISBN-13 : 978-4582837179
- Amazon 売れ筋ランキング: - 624,621位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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『何かのためではない、特別なこと』。このいくぶん長いタイトルは、「Something for nothing」 という言葉を駒沢敏器さんの著作『語るに足る、ささやかな人生』のなかでそのように訳されたことから名付けたという。この場合の「何か」とは損得からはずれたところで行われる小さなものごとであり、人生とはそうした些事の連なりであるというのが駒沢さんと著者の言い分だ。しかし、このタイトルでなくとも、著者の表題はいつも逆説のひねりが組み込まれているように感じるのは私だけだろうか。『一回半ひねりの生き方』『あまのじゃくに考える』『移行期的混乱』『路地裏人生論』や株式会社や世界経済のいわゆる病シリーズもまた、輝かしいものには一層暗い影があること、そうした地点から離れたところに豊かに滋味溢れた営みがあること、時代を無理矢理に追って生きる人間たちの安易なもがきよりも、次元を繰り上げた俯瞰の視点をもつことの必要を、複数の著書を通して伝えようとする。このひねりこそが著者の思想のかたちであり、過度のビジネスに傾く社会へ警告し、また、グローバルな拡張志向しか生き残りはないと言われる現代において、あえて小商いをすすめるゆえんであろう。
本書に戻ると、帯には「即効性があり、有用で、刺激的なものばかりを追い求めるようになった現代に対する、ささやかな抵抗である」とある。私はこの「抵抗」という言葉が好きだ。自分が立つ位置を自覚し、やたら大股に動き回らないかわりに、無責任に立ち去らない生き方を示しているように思う。義務を大事に、自分と家族と日常と些事を大事に尽くす日々……。震災後の著者の実生活の矜持でもあるこのスタンスを、本書の前半ではさまざまな昭和の風景や風俗、映画を引きながら、ささやかな大事なものを見つけ出してゆく。そうして「恋の不思議」について語り終わると、一転して「国民国家」を、続いてこの国の政治や経済、未来について語られていくその連なりに読者は驚きながらも、いつのまにかこれまで語られたことはかけ離れたことなどではなくむしろ、私たち自身の生の裏表、または社会の川面と川底の流れであり、それらは滲み合い、響き合っていることがわかる。もし、過ぎ去った時代の小文字の風景の忘れ物にこのまま気づかずに進めば、私たちが立つのはいつか嵐吹く荒野となるだろうと、大文字の世界の危うさや渇きはそこまで到達していることに読み進めた読者は気づくだろう。ただし、教条ではないのである、著者の言葉は。例えば、著者は母親が亡くなったあとに実家を片付ける。タンスに真新しい父の下着がビニールの包装のまま何枚も買い揃えられていたことに驚くが、父の介護をしながら毎日の食事の買い出しに商店街に通ううちに、その謎が解けるのだ。わたしは、解けた謎の向こうに、ある古い脚踏みミシンを思い出していた。かつて母はそのミシンで私と妹のスカートやよそゆきのワンピースを何枚も縫ってくれた。そのミシンを私は実家の改築時に捨てた。過ちとは言えないことが何よりひとを傷める。時間は決して後戻りしない。その残酷さがこの章を読むわたしを貫いた。
長くなったが、最後に、より多くの読者に読んでいただきたいので、あえてつけくわえたいと思う。著者はまえがきで、「こういった考えは自分が還暦を過ぎるまではあまりなじみ深いものではなかった」と言っているが、私はそうではないと思っている。なぜなら、著者が若かりし頃に傾倒した詩の世界、特に荒地派の詩人たちの精神、また、吉本隆明の思想に魅かれたのは、彼らが市井の人々の月並みな営みを最も目指すべき生き方と位置づけ、尊んだからだ。ひとの思想や精神の核は変わらない。だから本著には、長い熟成のときを経た思考のコクがある。
若い時代には腑に落ちないことも五臟のどこかにひっかかり、あるとに消化できることもあるだろう。この本は、人生の後半にさしかかった人だけの書ではないと思う。さまざまな世代の人々に読んでいただきたい。 (k.n)
なもの」ばかりを追い求めるようになった現代に対する、ささやかな抵抗である、とある。
「功利的」とは、物事を行うときに、効果や利益のみを 重視するさまと辞書にある。自己の
利益のみを追求する今日へ、還暦を過ぎたからこそ言える平川克美氏のメッセージだ。
人間、様々な経験を積み、修錬を重ね、習熟していく。故に、年齢によっては功利的に走
る者もいてしかるべきなのだろう。しかし、社会に通底する概念のようなものがあり、その
概念に人間の経験や修錬の方向性は制約を受ける者なのかもしれない。
確かに氏の語るように「功利的」なものが、社会に通底する強い概念になって久しい。
その概念にどっぷりとつかると「人間が生き、そして死ぬこと」というあまりにも当たり前の
ことを埒外に人生を歩んでしまうことになる。
本書には、当たり前のことを埒外に置かずに生きていく大人の人生の歩み方に気づかさ
れた。が、本書は手にする人によってまったく所感が異なるであろう。