「まことの幸福」についての疑念を晴らそうとしていた学生時代。その後、縁のあったタイで、1988年出家し
た日本人が著者である。まず、タイのお寺での日課が紹介されている。起床後読経し、托鉢、食事をする、瞑想
し就寝。毎日がこの繰り返し。この日課の中に心身の乱れを整え正すエッセンスが凝縮されているという。それ
に接近できるのは読み終わった後だろう。一つは「生活即修行」である。
日課の後に続くのは、瞑想のこと、お寺を訪れた悩み苦しみを抱える日本人のドラマ、苦しみのからくりと、
そこからの解放についてである。
瞑想について興味深いことが説明されている。ブッダは「サマタ」と称する「集中系」の瞑想法と、「ヴィパ
ッサナー」と称する「気づき・洞察系」の瞑想法を弟子たちに教えた。仏伝によれば、ブッダはサマタ系の瞑想
法を最高度に極めたが、究極的な安らぎは得られず、自ら試みたヴィパッサナー系瞑想によって、解脱・涅槃に
至った。
サマタ系の集中法による訓練では、適切に指導されていないと、恐ろしい感覚のトラウマに苛まれたり、甘美
な感覚の虜になったり、厭世観や離人感に囚われることもあるという。それらを、ブッダは「瞑想隋煩悩」と称
した。内面的に生じる感覚、状態を正しく受け止め、正しい方向に導くためには、「気づき」や「観察」の訓練
によって豊饒化した意識の土壌が必要なようである。気づきの瞑想、ヴィパッサナー瞑想がブッダに重んじられ
た所以であるという。
最終章では、苦しみのからくりと、そこからの解放が解説される。要点は、「善友(よき友、よき環境)」、
「定(心の落ち着き、安定)」、「念(気づき、自覚化)」、「慧(洞察力)」である。
ある精神科医は、生き辛さの大半の原因は人間関係と指摘した。人間関係・環境が変わり、自分にとって好ま
しいものになれば苦悩は少なくなるはずだ。しかし、こころが騒いでいては、日常のイライラ、不安、怒り、心
配、恐怖などから、楽しくやろうという気持ちは失せ負のスパイラルに陥る可能性が残る。そして、ここに安定
したこころの重要さが理解される。不安定なこころによって生じる彷徨える感情は、気づきによって自分の手中
に戻る。こころや人間関係の中にある法則を洞察し、「なるほどこういうことか」と腑に落ちるのであれば、生
き辛さは減少しよう。そして、それは安定なこころなくして、実現はできないだろう。
生き辛さの原因に人間関係・環境があることは実感している。ある程度それらをコントロールしていても、根
強く残る生き辛さは、なぜかという疑問があった。最終章で説明される苦しみのからくりと、そこからの解放が
疑問という霧を晴らすことになった。
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「気づきの瞑想」を生きる―タイで出家した日本人僧の物語 単行本 – 2009/8/30
プラユキ・ナラテボー
(著)
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本書は、上座仏教国タイで出家した日本人僧、初の書き下ろし。タイの「気づきの瞑想」を基調にした日常生活や修行の様子、また、悩みを抱え著者の寺(スカトー寺)を訪れる日本人たちと紡いだ「癒し」の物語を紹介していくものです。二十有余年の永きにわたり、自らの修行の完成と利他の慈悲行に全身全霊を傾けてきた著者の思いのすべてがここに。
- 本の長さ288ページ
- 言語日本語
- 出版社佼成出版社
- 発売日2009/8/30
- 寸法1.8 x 13.5 x 19.5 cm
- ISBN-104333023971
- ISBN-13978-4333023974
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商品の説明
出版社からのコメント
本書は、上座仏教国タイで出家した日本人僧、初の書き下ろし。
タイの「気づきの瞑想」を基調にした日常生活や修行の様子、
また、悩みを抱え著者の寺(スカトー寺)を訪れる日本人たちと紡いだ「癒し」の物語を紹介していくものです。
二十有余年の永きにわたり、みずからの修行の完成と利他の慈悲行に全身全霊を傾けてきた著者の思いのすべてがここに。
タイの「気づきの瞑想」を基調にした日常生活や修行の様子、
また、悩みを抱え著者の寺(スカトー寺)を訪れる日本人たちと紡いだ「癒し」の物語を紹介していくものです。
二十有余年の永きにわたり、みずからの修行の完成と利他の慈悲行に全身全霊を傾けてきた著者の思いのすべてがここに。
著者について
【プラユキ・ナラテボー】 1962年生まれ。タイ・スカトー寺副住職。上智大学卒業後、タイのチュラロンコン大学大学院に留学。研究テーマは農村開発におけるタイ僧侶の役割。1988年、瞑想指導者として有名なルアンポー・カムキアン師のもとで出家。以後、村人のために物心両面の幸せを目指す開発僧として活動する一方、日本とタイを結ぶ友好の架け橋としても活躍。また、在日タイ人の支援活動にも携わっている。近年、心や身体に病を抱えた人や、自己を見つめたいとスカトー寺を訪れる日本人も増え、彼らにブッダの教えをもとにしたサポートを行なっている。『「気づきの瞑想」で得た苦しまない生き方』カンポン・トーンブンヌム著(佼成出版社刊)の監修訳を務めた。
About this Title
「幸せ」には二種類のものがある。
ひとつは、外部の要因に依存する幸せだ。
満たされない内側の気持ちを繕うために、
外側のものを求めて得ようとする幸せだ。
しかしこれによって満たされることはない。
それを外側に必死に求めるあまりに、焦り、
そのうちにそのものの奴隷になってしまう。
もうひとつは、みずからの内側に育まれる幸せだ。
それは他のものに依存せず、頼ることがない。
みずからで生み出し、みずからが主(あるじ)となり、
みずからをよりどころとして培っていけるものだ。
では、そのようにして内に育まれた幸せは
いったいどんな性質をもっているのだろう。
一つめに、「清浄」という性質をもつ。
煩悩や世間の風評といったものに
染まらず、毒されず、翻弄されない。
清く、潔く、美しい。
そういうありようをしている。
二つめに、「寂静」という性質をもつ。
心配や不安がなく、イライラせず、動揺しない。
落ち着き、安らぎ、リラックスしている。
そういう感じでいられる。
三つめに、「明晰」という性質をもつ。
一切のものをあるがままに仔細に見られて、
広く、明確に理解し、深く洞察できる。
そういう見方ができる。
四つめに、「充溢」という性質をもつ。
不足感、孤独感、さびしさがなく、
元気溌剌として、豊かで、満たされている。
そういう存在であれる。
五つめに、「慈悲」という性質をもつ。
慈心をもって、他の幸せを願い、
悲心をもって、他の苦しみに共感し、
喜心をもって、他の繁栄を喜ぶ。
そういう溢れる心をもつ。
このような幸せは外部要因に依存することなく、
ゆえに周りがどんなに変化しようと失うことはない。
より繊細で、洗練され、豊かな妙味をもっている。(プロローグより)
ひとつは、外部の要因に依存する幸せだ。
満たされない内側の気持ちを繕うために、
外側のものを求めて得ようとする幸せだ。
しかしこれによって満たされることはない。
それを外側に必死に求めるあまりに、焦り、
そのうちにそのものの奴隷になってしまう。
もうひとつは、みずからの内側に育まれる幸せだ。
それは他のものに依存せず、頼ることがない。
みずからで生み出し、みずからが主(あるじ)となり、
みずからをよりどころとして培っていけるものだ。
では、そのようにして内に育まれた幸せは
いったいどんな性質をもっているのだろう。
一つめに、「清浄」という性質をもつ。
煩悩や世間の風評といったものに
染まらず、毒されず、翻弄されない。
清く、潔く、美しい。
そういうありようをしている。
二つめに、「寂静」という性質をもつ。
心配や不安がなく、イライラせず、動揺しない。
落ち着き、安らぎ、リラックスしている。
そういう感じでいられる。
三つめに、「明晰」という性質をもつ。
一切のものをあるがままに仔細に見られて、
広く、明確に理解し、深く洞察できる。
そういう見方ができる。
四つめに、「充溢」という性質をもつ。
不足感、孤独感、さびしさがなく、
元気溌剌として、豊かで、満たされている。
そういう存在であれる。
五つめに、「慈悲」という性質をもつ。
慈心をもって、他の幸せを願い、
悲心をもって、他の苦しみに共感し、
喜心をもって、他の繁栄を喜ぶ。
そういう溢れる心をもつ。
このような幸せは外部要因に依存することなく、
ゆえに周りがどんなに変化しようと失うことはない。
より繊細で、洗練され、豊かな妙味をもっている。(プロローグより)
登録情報
- 出版社 : 佼成出版社 (2009/8/30)
- 発売日 : 2009/8/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 288ページ
- ISBN-10 : 4333023971
- ISBN-13 : 978-4333023974
- 寸法 : 1.8 x 13.5 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 87,550位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年1月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2013年09月02日のメモです。
友人がプラユキさんの本も読んでいると言っていたので、タイに関心のある私としては、読んでみた。
目次
プロローグ
第一章 出家の経緯と開発僧
第二章 タイのテーラワーダ仏教
第三章 気づきの瞑想
第四章 一期一会の出会い
第五章 「気づきの瞑想」を生きるキーワード
あとがき
P59: (タイの)仏教では、「行学二道」ということが言われる。教えを実践する「行」の道と学びの「学」の道。ともに仏教にとって大切な道であるという意味である。
P62: 短期出家が一番多い時期が、タイで雨季真っ最中にあたる7月から10月くらいの約3か月間の「雨安吾」の時期だ。
P208: 吉祥経 38項目の
愚かな人に近づかないこと。賢い人と親しむこと。尊敬に値する人を尊敬すること。
適当な場所に住むこと。善徳を積んでおくこと。正しい道に身を置いておくこと。
一生懸命に学ぶこと。生活の技術に長けること。マナーを身に着けること。
言葉がみごとで話し方を知っていること。
父母につかえること。妻子を愛し護ること。道にはずれない仕事についていること。
布施行。理法にかなった行ない。親族を愛し護ること。避難を受けない行為。
悪行から離れていること。酒を飲まぬこと。油断なく善行に努めること。
他を尊重する心。謙遜の姿勢。足るを知ること。感謝の心。適時に教えを聞くこと。
耐え忍べること。人からの指摘を素直に聞けること。心の調えられた人に会うこと。
適時に理法についての対話を行うこと。
自己コントロールできること。清らかな行い。真実を理解し、涅槃を悟ること。世俗のことがらに触れても心が動揺せず、憂うことなく、穢れを離れ、安らかであること。
これが最上の吉祥である。
以下は、キーワードのメモです。
「善友:よき友、よき環境」、
「定:心の落ち着き、安定」、
「念(Sati):気づき、自覚化、(身体、感受、心、法(苦、無常、無我))、
今ここを生きる力。念とは今の心と書く。」、
「慧、洞察力(縁、触れ合うあらゆるものを、よき縁となすこと)」
友人がプラユキさんの本も読んでいると言っていたので、タイに関心のある私としては、読んでみた。
目次
プロローグ
第一章 出家の経緯と開発僧
第二章 タイのテーラワーダ仏教
第三章 気づきの瞑想
第四章 一期一会の出会い
第五章 「気づきの瞑想」を生きるキーワード
あとがき
P59: (タイの)仏教では、「行学二道」ということが言われる。教えを実践する「行」の道と学びの「学」の道。ともに仏教にとって大切な道であるという意味である。
P62: 短期出家が一番多い時期が、タイで雨季真っ最中にあたる7月から10月くらいの約3か月間の「雨安吾」の時期だ。
P208: 吉祥経 38項目の
愚かな人に近づかないこと。賢い人と親しむこと。尊敬に値する人を尊敬すること。
適当な場所に住むこと。善徳を積んでおくこと。正しい道に身を置いておくこと。
一生懸命に学ぶこと。生活の技術に長けること。マナーを身に着けること。
言葉がみごとで話し方を知っていること。
父母につかえること。妻子を愛し護ること。道にはずれない仕事についていること。
布施行。理法にかなった行ない。親族を愛し護ること。避難を受けない行為。
悪行から離れていること。酒を飲まぬこと。油断なく善行に努めること。
他を尊重する心。謙遜の姿勢。足るを知ること。感謝の心。適時に教えを聞くこと。
耐え忍べること。人からの指摘を素直に聞けること。心の調えられた人に会うこと。
適時に理法についての対話を行うこと。
自己コントロールできること。清らかな行い。真実を理解し、涅槃を悟ること。世俗のことがらに触れても心が動揺せず、憂うことなく、穢れを離れ、安らかであること。
これが最上の吉祥である。
以下は、キーワードのメモです。
「善友:よき友、よき環境」、
「定:心の落ち着き、安定」、
「念(Sati):気づき、自覚化、(身体、感受、心、法(苦、無常、無我))、
今ここを生きる力。念とは今の心と書く。」、
「慧、洞察力(縁、触れ合うあらゆるものを、よき縁となすこと)」
2014年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
オウム真理教の何が悪かったのか、というと、「殺人を犯したではないか」という結果論ばかりが帰って来る。
宗教信者の人に聞いても、「あれはもともとおかしな新興宗教だから・・・ 私の信仰しているような伝統宗教ならあんな事にはならない」というような紋切り型の答えが返ってくる事が腑に落ちないと感じていました。
宗教家の方こそ、オウムの「内容」をきちんと分析し、どこがどう間違って犯罪に向かっていったのか、そういったリスクを回避する為にはどんな事に気を付けるべきなのか、というような事を分析していくべきではないかと思っていましたが、結果論で批判だけする人か、だんまりを決め込む人がほとんどだったと思います。
オウム幹部のJと1ヶ月しか誕生日が違わないというプラユキ氏は、自身とJ、共に修行を志し瞑想をしているという点で共通していながら、なぜ一方は凶悪犯罪に走ってしまったのかと疑問に思い、また、もし環境が逆だったら自分もJのようになっていたかもしれないと思ったようです。
オウムについて言及しているページは全部で5ページもあるかないかですが、しかしその中に明確な結論が記されています。
それは、オウムの行っていた修行は「集中」のみで、「観察」のプロセスに乏しかったこと。
この結論に従うと、「伝統宗教」やその諸宗派の中にも「集中」ばかりを強調して「観察」の修行に乏しい方法論はたくさんあり、いずれも多かれ少なかれ「オウム的リスク」を含んでいる事が見えてきます。
その他、タイ仏教の考え方、修行法、修行の上での注意点等を、面白いエピソードを交えた読みやすい文章から学べる優れた本です。
宗教信者の人に聞いても、「あれはもともとおかしな新興宗教だから・・・ 私の信仰しているような伝統宗教ならあんな事にはならない」というような紋切り型の答えが返ってくる事が腑に落ちないと感じていました。
宗教家の方こそ、オウムの「内容」をきちんと分析し、どこがどう間違って犯罪に向かっていったのか、そういったリスクを回避する為にはどんな事に気を付けるべきなのか、というような事を分析していくべきではないかと思っていましたが、結果論で批判だけする人か、だんまりを決め込む人がほとんどだったと思います。
オウム幹部のJと1ヶ月しか誕生日が違わないというプラユキ氏は、自身とJ、共に修行を志し瞑想をしているという点で共通していながら、なぜ一方は凶悪犯罪に走ってしまったのかと疑問に思い、また、もし環境が逆だったら自分もJのようになっていたかもしれないと思ったようです。
オウムについて言及しているページは全部で5ページもあるかないかですが、しかしその中に明確な結論が記されています。
それは、オウムの行っていた修行は「集中」のみで、「観察」のプロセスに乏しかったこと。
この結論に従うと、「伝統宗教」やその諸宗派の中にも「集中」ばかりを強調して「観察」の修行に乏しい方法論はたくさんあり、いずれも多かれ少なかれ「オウム的リスク」を含んでいる事が見えてきます。
その他、タイ仏教の考え方、修行法、修行の上での注意点等を、面白いエピソードを交えた読みやすい文章から学べる優れた本です。
2017年6月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
瞑想を始めると、実感、確認をする感覚がわからなくなります。
この本では著作者の経験があり、今の自分と比較すると、どの段階にいるのかわかります。
この本では著作者の経験があり、今の自分と比較すると、どの段階にいるのかわかります。
2013年4月11日に日本でレビュー済み
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テーラワーダ仏教はここ2ヶ月くらいで初めて知り
主にスマサナーラ長老の著書を読み、瞑想実践、初期瞑想会にも参加したり
アビダンマシリーズを読んで、知識を深めたりしていましたが、
どこかで「私は仏教徒にはならないな」「良いとこ取りでいいや」と思っていました。
なぜかというと比丘という存在に敬意を示せないな〜と思っていたからです。
「釈迦の教えを正しく伝え、実践しているだけ」でなんで無条件で
仏陀と真理と同じくらい尊ばなくてはならないのかしら?
比丘自身が悟りを開くために、布施をもらわなくてはいけないわけだし
在家信者がいなくては、比丘の生命だって危うい、つまり利害関係がある・・・。
なんて思っていたんですよね。
しかし、この本を読んで、深く反省しました。
なるほど、悟るということ・・・とはこういう境地か
と感動しました。
テーラワーダ仏教も「瞑想のミャンマー」「知識のスリランカ」「布施のタイ」
とそれぞれ特徴があるそうです。
「布施」という日本人に馴染みの薄い習慣を重んじているタイの仏教の
慈悲に満ちた心のあり方に感動しました。
改めて、三宝に帰依します。と心から言えるようになりました。
作者が日本人比丘であるところも、感動できた理由かと思います。
評価の☆が低いのは、私の「貪」のためです。
いつか悟りの光が現れますように。
全ての生命が幸せでありますように。 といつか心から思えますように☆
主にスマサナーラ長老の著書を読み、瞑想実践、初期瞑想会にも参加したり
アビダンマシリーズを読んで、知識を深めたりしていましたが、
どこかで「私は仏教徒にはならないな」「良いとこ取りでいいや」と思っていました。
なぜかというと比丘という存在に敬意を示せないな〜と思っていたからです。
「釈迦の教えを正しく伝え、実践しているだけ」でなんで無条件で
仏陀と真理と同じくらい尊ばなくてはならないのかしら?
比丘自身が悟りを開くために、布施をもらわなくてはいけないわけだし
在家信者がいなくては、比丘の生命だって危うい、つまり利害関係がある・・・。
なんて思っていたんですよね。
しかし、この本を読んで、深く反省しました。
なるほど、悟るということ・・・とはこういう境地か
と感動しました。
テーラワーダ仏教も「瞑想のミャンマー」「知識のスリランカ」「布施のタイ」
とそれぞれ特徴があるそうです。
「布施」という日本人に馴染みの薄い習慣を重んじているタイの仏教の
慈悲に満ちた心のあり方に感動しました。
改めて、三宝に帰依します。と心から言えるようになりました。
作者が日本人比丘であるところも、感動できた理由かと思います。
評価の☆が低いのは、私の「貪」のためです。
いつか悟りの光が現れますように。
全ての生命が幸せでありますように。 といつか心から思えますように☆
2009年8月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「人の一生は重荷を負いて遠き道を行くがごとし」
家康のそんな言葉に反発していた少年時代。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
賢治の言葉に啓示を受け、ボランティアやNGO活動に励む大学時代。
しかし、著者はそこに真の心の安らぎは見出しきれなかった。
その後、貧困や開発の問題に関心を持ち、タイへ留学。
開発僧と呼ばれる僧侶達と出会い、ブッダの教えとその実践こそが自身の
心の平安と世界平和への貢献を両立する道であるとの確信を得て出家に至る。
そんな出家への経緯に始まり、出家後のタイの森林寺での修行風景
(読経、托鉢etc)が著者の感性を通してイキイキと描かれる。
また、「気づきの瞑想」をはじめとしたタイの代表的な瞑想法の紹介があり、
著者自身のちょっとお茶目で規格外の瞑想(迷走?)体験も語られる。
その後著者は、師僧と共にアメリカや日本へ瞑想伝道の旅に出る。
アメリカでは「方便」の大事さを認識する。日本ではオウム事件に遭遇し、
「影(シャドウ)」の問題や偏った瞑想の危険性についても認識を新たにする。
以降、欝などの心の病に悩む日本人たちにもコミットしていくことになる。
本の後半では、そういった日本人たちとの癒しのドラマが具体的に描かれ、
また、「気づきの瞑想を生きるキーワード」として、
「因縁」「業」「善友」「定」「念」「慧」「慈悲」といった仏教タームが、
著者自身の実体験から得られた知見をもとに、巧みな比喩を用いながら、
時間論や空間論、シャドウ理論などとも絡ませ、わかりやすく説明される。
私自身、教育という現場に身を置いているが、宗教関係者のみならず、
教育やNGO、福祉、心理療法や精神医療に携わっている人をはじめ、
どんな人が読んでも、興味深く、気づきを喚起させられる内容であろう。
21年間の紆余曲折の修行や瞑想指導を通して見出された知見、
偏らないで、まさに「中道」を生きるような著者のバランス感覚など、
この著作から学ぶことは私自身とても多かった。
家康のそんな言葉に反発していた少年時代。
「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はありえない」
賢治の言葉に啓示を受け、ボランティアやNGO活動に励む大学時代。
しかし、著者はそこに真の心の安らぎは見出しきれなかった。
その後、貧困や開発の問題に関心を持ち、タイへ留学。
開発僧と呼ばれる僧侶達と出会い、ブッダの教えとその実践こそが自身の
心の平安と世界平和への貢献を両立する道であるとの確信を得て出家に至る。
そんな出家への経緯に始まり、出家後のタイの森林寺での修行風景
(読経、托鉢etc)が著者の感性を通してイキイキと描かれる。
また、「気づきの瞑想」をはじめとしたタイの代表的な瞑想法の紹介があり、
著者自身のちょっとお茶目で規格外の瞑想(迷走?)体験も語られる。
その後著者は、師僧と共にアメリカや日本へ瞑想伝道の旅に出る。
アメリカでは「方便」の大事さを認識する。日本ではオウム事件に遭遇し、
「影(シャドウ)」の問題や偏った瞑想の危険性についても認識を新たにする。
以降、欝などの心の病に悩む日本人たちにもコミットしていくことになる。
本の後半では、そういった日本人たちとの癒しのドラマが具体的に描かれ、
また、「気づきの瞑想を生きるキーワード」として、
「因縁」「業」「善友」「定」「念」「慧」「慈悲」といった仏教タームが、
著者自身の実体験から得られた知見をもとに、巧みな比喩を用いながら、
時間論や空間論、シャドウ理論などとも絡ませ、わかりやすく説明される。
私自身、教育という現場に身を置いているが、宗教関係者のみならず、
教育やNGO、福祉、心理療法や精神医療に携わっている人をはじめ、
どんな人が読んでも、興味深く、気づきを喚起させられる内容であろう。
21年間の紆余曲折の修行や瞑想指導を通して見出された知見、
偏らないで、まさに「中道」を生きるような著者のバランス感覚など、
この著作から学ぶことは私自身とても多かった。
2010年2月12日に日本でレビュー済み
本書は、頭が考えたのではなく、心が強く惹かれたことに正面から向き合うことで、道が拓けた体験談である。その道は仏教での出家というに至るが、仏教教義や修行方法を詳しく述べることが主眼ではないので、それはブッダ釈尊の『ダンマパダ』を解説する因縁話(片山一良訳が入手しやすい)や著者も名前を挙げているブッダダーサ比丘(『Mindfulness with Breathing』、和訳は三橋円寒訳『観息正念』が入手可能)やティク・ナット・ハン師(『小説ブッダ』が素晴らしい)の著書を読むことが望ましい。