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共産党宣言 (岩波文庫) Kindle版
「今日までのあらゆる社会の歴史は階級闘争の歴史である」という有名な句に始まるこの宣言は,階級闘争におけるプロレタリアートの役割を明らかにしたマルクス主義の基本文献.マルクス(一八一八―八三)とエンゲルス(一八二〇―九五)が起草,一八四八年の二月革命直前に発表以来,プロレタリア運動の指針となった歴史的文書である.
- 言語日本語
- 出版社岩波書店
- 発売日1951/12/10
- ファイルサイズ1463 KB
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登録情報
- ASIN : B00SF0V5MY
- 出版社 : 岩波書店 (1951/12/10)
- 発売日 : 1951/12/10
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1463 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 168ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 114,272位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,107位岩波文庫
- - 1,636位思想
- - 2,051位哲学・思想 (Kindleストア)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年5月7日に日本でレビュー済み
レポート
Amazonで購入
70年安保の年、学生運動から共産党に入った。2年くらいでやめた、党員が入ったときは10人くらい、やめたときは2人になった。活動をやりすぎて留年、あの頃は政治も組合も強くて大きかった。というより大きく見えた。学生同盟員、党員は半ば(今思えば)使い捨てのような状態だった。社会は高度成長期にあり労働者の要求はそれなりに受け入れられた。何もかも共産党の宣伝を信じ切っていた。朝鮮戦争はアメリカが仕掛けたとか、実際はスターリンが始めた戦争、今でもまともには共産党もロシアも反省していない。だからウクライナ侵略が起こる。マルクスは共産主義社会を理想の社会としたが、人間は性善説では動いていない。共産党の言う民主主義的中央集権制は、下からの声ではなく上からの声で決まっている。文藝春秋四月号の斎藤幸平先生と松竹氏の対談にもあるが、共産党は多分変わらないと思う。共産党が社会民主党に代わりまたは自民党が今でも一部そうだが左翼の声を聴いて取り入れて政策に生かすということになるのでは。共産党は折角の党として変わる機会を生かせなかった、批判者を除名などするとは。いよいよ選挙で減らすだろうと思う。共産党宣言は教養書として読むべき。
役に立った
2023年12月25日に日本でレビュー済み
16歳、高校生の頃(40年ほど前)
信望していたパンクバンドに触発(似たような方がいらっしゃる様子)されて入手
ちなみに昭和50年10月 第39刷 発行
無垢な少年であった(と思われる?)
当時のわたしには
ただただ斬新、過激でカッコよく…
中流意識を持ちようもない境遇の人間に
『私有財産を廃止して共有』の思想は
まさしく開眼に値するばかり
歴史的経緯や顛末
実態やその他いろんなことが理解できるまで
その後かなりの月日を経るのですが
うかれ騒ぐ16歳当時のわたしに
看破?(ペレストロイカ以前)
「それは経済学に理論武装された宗教、実現性は…」
苦言を呈する人物がいました
昨今、彼の近況を垣間み
わたしにとっては、当時と全く変わらず
興味深い人物のまま、感慨深い限りでした
信望していたパンクバンドに触発(似たような方がいらっしゃる様子)されて入手
ちなみに昭和50年10月 第39刷 発行
無垢な少年であった(と思われる?)
当時のわたしには
ただただ斬新、過激でカッコよく…
中流意識を持ちようもない境遇の人間に
『私有財産を廃止して共有』の思想は
まさしく開眼に値するばかり
歴史的経緯や顛末
実態やその他いろんなことが理解できるまで
その後かなりの月日を経るのですが
うかれ騒ぐ16歳当時のわたしに
看破?(ペレストロイカ以前)
「それは経済学に理論武装された宗教、実現性は…」
苦言を呈する人物がいました
昨今、彼の近況を垣間み
わたしにとっては、当時と全く変わらず
興味深い人物のまま、感慨深い限りでした
2024年3月16日に日本でレビュー済み
ダーウィン『進化論』に並ぶ、近現代における歴史的文献だろう(エンゲルスは序文でダーウィンに触れている)。1848年という革命の時代に書かれたことを考慮しておこう(二月革命や三月革命やイタリアおよびポーランドの独立運動に関して各序文で述べられている)。明治維新の20年前だ。19世紀中葉のヨーロッパでは、(男子)普通選挙権を要求する民主主義や国民国家を求める独立運動・統一運動など近代化への大きな転換、あるいはその理念の(左派は要求するものとして、右派は弾圧するものとして)普遍的共有といったものが確立していった、と言える。『共産党宣言』は、これらの革命に影響を与えた、と言うよりも労働者問題を中心とする階級対立を予見したものだろう。
問題の考察と(究極的な)目的とその方法とは区別しておいた方が良いと思う。当時の劣悪な労働環境の是正は、手段としての暴力革命をも辞さない時勢であったろうが、二度の大戦(総力戦による国民動員)や植民地解放などを経て、参政権拡大や(公営による)インフラ整備や福祉国家化などを実施し(いわゆる修正資本主義)、1960〜70年代の政治運動を経て革命が非現実的だとみなす現代の日本人にとっては、『共産党宣言』にいささかロマン主義的な感傷も抱くかもしれない。マルクスはロマン主義とは関わりがなかっただろうが。(本訳書では「強力的」という言葉が三度用いられるが、暴力・実力による、という意味であり、暴力革命論を示す。)
一方で、拡大する格差や停滞する昇給や(ブラックな)労働環境や失業(の可能性)や労働における人間性の低下や自殺や過労死などは、現代の問題群であり、それら労使に関わる問題は依然として散見される。(『共産党宣言』ではそれほど扱われていないが、『資本論』では人口論や人口動態についても述べられ、少子化問題にも通じる。)
大雑把に言うと、近代化過程は多くの血を要する。社会、経済、政治における構造変化は、個人においても組織においても既存の共同体においても多くの犠牲を要する。それらからの派生的問題も燻り続ける。それが現在だろう。
第一章は、近代化過程を主に経済的観点もしくは彼らの唯物史観(史的唯物論)から簡潔に述べたものだろう。エンゲルスによる注に、経済的側面はイギリスに、政治的側面はフランスに主に見られる、と述べられる点に注目すると、政治を実現すべき思想、つまり人権や平等などといった概念や、その実践としての教育・雇用機会の保護や各種労働法整備・是正や個人・法人における税制の妥当性などの各種政策への吟味を要するが、そのような観点から、いわば主体的・積極的に社会変革を望む者もいるだろう。そして、マルクスはその一人だと言える。マルクスは百科全書的知的巨人と言って良いと思うが、残念ながら我々はそうではない。『国家』でソクラテスは最も民主的な手法はくじ引きだと述べたが(現在の裁判員制度はこれに通じる)、中央・地方の行政をくじ引きで担うというのは現実的あるいは効率的ではない。科学的あるいは合理的であることと、平等であることとは、常に一致するという訳ではないらしい。(ある種の事柄に対し、能力のある者もいればそうでない者もいる。平均的な能力といった点でも優劣がある。そして、それを測定する者もいる。教育はそれらを制度化し、ある程度是正するものだが、やはり万能ではないだろう。)代議制民主主義と専門集団である官僚組織とは相補的関係であり、恐らく多くの国民にとっては官僚制は不透明であろう。
第二章では、共産主義による労働者の国際的団結と実施すべき政策が述べられる。
冒頭、共産主義者には、ある種の禁欲が求められるようだ。
当面の目的として、プロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取、があげられている。また、労働者革命の第一歩として、プロレタリア階級を支配階級まで高めること、民主主義を闘いとること、が述べられている。
恐らく、究極的な目的としては、ブルジョア的・伝統的所有関係の廃棄、階級対立の廃棄、他者による搾取の廃棄、が求められているようだ。
末尾には、具体的政策が並べてある。不動産の国有化あるいは取得規制は、経済安全保障上でも重要に思える。累進税があるということは、所得が異なるだろうが、どの程度の許容度なのだろうか。相続権の廃止は、知的財産も含むのだろうか。中央銀行による不換紙幣の独占的管理は先進国では一般的だろう(一方で金融恐慌の国際的緊密化も高まっただろう)。運輸機関については、1980年代の日本国有鉄道の民営化によってもたらされたのは、職員の整理や上場による海外投資機関からの間接投資や労働組合の弱体化などがあげられるだろう(ストがなされなくなったことで、利便性は向上しただろうが、全国的に労働運動が下火になったことで昇給の停滞や労働環境の悪化などにつながっただろう)。教育と物質的生産との結合、という方策は興味深い。児童労働の廃止とともに、多くの児童は労働と隔絶されてしまい
消費への関心は持つが生産へのそれは低いという不均衡な態度を養成しやすいように思える。
個人の自由が、放縦に結びつくか創造に結びつくかは、何とも言えない。
第三章は既存の社会主義に関しての揶揄を含んだ批判であり、第四章ではフランス、スイス、ポーランド、ドイツの共産主義者・共産党について手短に述べられ、後半は第二章で扱われた所有の問題や民主主義との関連について触れられている。
競争と団結は、資本家にも労働者にも見られる。いずれにせよ経済規模の大きい組織では行政に近く政治問題化する場合もあるだろう。
補足として、英哲学者バートランド・ラッセル『西洋哲学史3 近代哲学』第二十七章カール・マルクスから、マルクスの特徴を抜き出してみよう。冒頭、三つの側面が指摘されている。
1.ベンサムに代表される「哲学的急進者たち」の帰結であり、合理主義の継続や浪漫主義に対する反対を継続した
2.唯物論を再興させ、唯物論に新しい解釈を与え、人間歴史との新しい連関を与えた
3.巨大な体系を築いた最後の人であって、またヘーゲルの後継者であり、人類の進化を要約する合理的定式があることを信じた
簡潔な略歴の後で、マルクスの経済学と唯物論と歴史哲学とが扱われる。
経済学については、古典派経済学の帰結であり、その起動力のみを変えたものであった。古典派経済学者たちは資本家の福祉を目標とし、マルクスは賃金労働者の利益を代表しようとした。
唯物論については、主体も客体(対象)も、すなわち認識者も認識されるものも、間断なく相互適応の過程にあり、この過程がけっして充全には完結しないゆえに「弁証法的」唯物論と呼んだ。
歴史哲学については、ヘーゲルとイギリス経済学との折衷であり、その発展の起動力は、ヘーゲルでのそれは「精神」であるが、マルクスでは物資であり、物資に対する人間の関係であり、重要なのは人間の生産様式である。このように唯物論は経済学となってくる。
ラッセルは様々な批判を述べているのだが、哲学者としてのマルクスの重大な欠陥として、あまりにも実践的であり、その時代の諸問題にあまりにも没頭しすぎていた、と指摘する。また彼の視野はこの地球、その中の人間に局限されており、コペルニクス以降、宇宙的重要性を持たない人間に拘泥する態度が科学的なものか疑問を呈している。さらに、進歩を普遍的な法則であると簡単に信じている態度が見られる、と述べている。
問題の考察と(究極的な)目的とその方法とは区別しておいた方が良いと思う。当時の劣悪な労働環境の是正は、手段としての暴力革命をも辞さない時勢であったろうが、二度の大戦(総力戦による国民動員)や植民地解放などを経て、参政権拡大や(公営による)インフラ整備や福祉国家化などを実施し(いわゆる修正資本主義)、1960〜70年代の政治運動を経て革命が非現実的だとみなす現代の日本人にとっては、『共産党宣言』にいささかロマン主義的な感傷も抱くかもしれない。マルクスはロマン主義とは関わりがなかっただろうが。(本訳書では「強力的」という言葉が三度用いられるが、暴力・実力による、という意味であり、暴力革命論を示す。)
一方で、拡大する格差や停滞する昇給や(ブラックな)労働環境や失業(の可能性)や労働における人間性の低下や自殺や過労死などは、現代の問題群であり、それら労使に関わる問題は依然として散見される。(『共産党宣言』ではそれほど扱われていないが、『資本論』では人口論や人口動態についても述べられ、少子化問題にも通じる。)
大雑把に言うと、近代化過程は多くの血を要する。社会、経済、政治における構造変化は、個人においても組織においても既存の共同体においても多くの犠牲を要する。それらからの派生的問題も燻り続ける。それが現在だろう。
第一章は、近代化過程を主に経済的観点もしくは彼らの唯物史観(史的唯物論)から簡潔に述べたものだろう。エンゲルスによる注に、経済的側面はイギリスに、政治的側面はフランスに主に見られる、と述べられる点に注目すると、政治を実現すべき思想、つまり人権や平等などといった概念や、その実践としての教育・雇用機会の保護や各種労働法整備・是正や個人・法人における税制の妥当性などの各種政策への吟味を要するが、そのような観点から、いわば主体的・積極的に社会変革を望む者もいるだろう。そして、マルクスはその一人だと言える。マルクスは百科全書的知的巨人と言って良いと思うが、残念ながら我々はそうではない。『国家』でソクラテスは最も民主的な手法はくじ引きだと述べたが(現在の裁判員制度はこれに通じる)、中央・地方の行政をくじ引きで担うというのは現実的あるいは効率的ではない。科学的あるいは合理的であることと、平等であることとは、常に一致するという訳ではないらしい。(ある種の事柄に対し、能力のある者もいればそうでない者もいる。平均的な能力といった点でも優劣がある。そして、それを測定する者もいる。教育はそれらを制度化し、ある程度是正するものだが、やはり万能ではないだろう。)代議制民主主義と専門集団である官僚組織とは相補的関係であり、恐らく多くの国民にとっては官僚制は不透明であろう。
第二章では、共産主義による労働者の国際的団結と実施すべき政策が述べられる。
冒頭、共産主義者には、ある種の禁欲が求められるようだ。
当面の目的として、プロレタリア階級の形成、ブルジョア支配の打倒、プロレタリア階級による政治権力の奪取、があげられている。また、労働者革命の第一歩として、プロレタリア階級を支配階級まで高めること、民主主義を闘いとること、が述べられている。
恐らく、究極的な目的としては、ブルジョア的・伝統的所有関係の廃棄、階級対立の廃棄、他者による搾取の廃棄、が求められているようだ。
末尾には、具体的政策が並べてある。不動産の国有化あるいは取得規制は、経済安全保障上でも重要に思える。累進税があるということは、所得が異なるだろうが、どの程度の許容度なのだろうか。相続権の廃止は、知的財産も含むのだろうか。中央銀行による不換紙幣の独占的管理は先進国では一般的だろう(一方で金融恐慌の国際的緊密化も高まっただろう)。運輸機関については、1980年代の日本国有鉄道の民営化によってもたらされたのは、職員の整理や上場による海外投資機関からの間接投資や労働組合の弱体化などがあげられるだろう(ストがなされなくなったことで、利便性は向上しただろうが、全国的に労働運動が下火になったことで昇給の停滞や労働環境の悪化などにつながっただろう)。教育と物質的生産との結合、という方策は興味深い。児童労働の廃止とともに、多くの児童は労働と隔絶されてしまい
消費への関心は持つが生産へのそれは低いという不均衡な態度を養成しやすいように思える。
個人の自由が、放縦に結びつくか創造に結びつくかは、何とも言えない。
第三章は既存の社会主義に関しての揶揄を含んだ批判であり、第四章ではフランス、スイス、ポーランド、ドイツの共産主義者・共産党について手短に述べられ、後半は第二章で扱われた所有の問題や民主主義との関連について触れられている。
競争と団結は、資本家にも労働者にも見られる。いずれにせよ経済規模の大きい組織では行政に近く政治問題化する場合もあるだろう。
補足として、英哲学者バートランド・ラッセル『西洋哲学史3 近代哲学』第二十七章カール・マルクスから、マルクスの特徴を抜き出してみよう。冒頭、三つの側面が指摘されている。
1.ベンサムに代表される「哲学的急進者たち」の帰結であり、合理主義の継続や浪漫主義に対する反対を継続した
2.唯物論を再興させ、唯物論に新しい解釈を与え、人間歴史との新しい連関を与えた
3.巨大な体系を築いた最後の人であって、またヘーゲルの後継者であり、人類の進化を要約する合理的定式があることを信じた
簡潔な略歴の後で、マルクスの経済学と唯物論と歴史哲学とが扱われる。
経済学については、古典派経済学の帰結であり、その起動力のみを変えたものであった。古典派経済学者たちは資本家の福祉を目標とし、マルクスは賃金労働者の利益を代表しようとした。
唯物論については、主体も客体(対象)も、すなわち認識者も認識されるものも、間断なく相互適応の過程にあり、この過程がけっして充全には完結しないゆえに「弁証法的」唯物論と呼んだ。
歴史哲学については、ヘーゲルとイギリス経済学との折衷であり、その発展の起動力は、ヘーゲルでのそれは「精神」であるが、マルクスでは物資であり、物資に対する人間の関係であり、重要なのは人間の生産様式である。このように唯物論は経済学となってくる。
ラッセルは様々な批判を述べているのだが、哲学者としてのマルクスの重大な欠陥として、あまりにも実践的であり、その時代の諸問題にあまりにも没頭しすぎていた、と指摘する。また彼の視野はこの地球、その中の人間に局限されており、コペルニクス以降、宇宙的重要性を持たない人間に拘泥する態度が科学的なものか疑問を呈している。さらに、進歩を普遍的な法則であると簡単に信じている態度が見られる、と述べている。
2022年5月6日に日本でレビュー済み
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ピケティは、『21世紀の資本』の中で、マルクスを中心とした共産主義は、問いは良かったが解決策案が良くなかったと指摘していて、まさにその通りだと思います。
まず問い・問題提起ですが、主には以下の4つです。マルクスのこの着眼点は見事だと思います。
・資本主義による格差の拡大
・分業化が進むことによる仕事のやりがいの消失
・資本主義においては、人間の価値が交換価値に成り下がってしまうこと(マルクスは、資本主義は「人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった」と批判しています)
・恐慌など、コントロールできない事象の発生(これをマルクスは、「かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使に似ている」と詩的な言葉で非難しています)
一方で、解決策は、所有権の革命であり、具体的には、私有財産の廃止です。「共産主義は人間性を高く見すぎたから失敗した」と言われるように、人間は何かを所有したがる性質があることを考えると、これは実現が難しいです。
また、マルクスは、所有権の革命として、プロレタリアによる資本の所有を主張していたにも関わらず、本著第2章の最後に書いた政策案の中で、突然「国有化」の話をしています。自分は、この突然出てきた「国有化」という考えにも問題があると思います。なぜなら、プロレタリア国家による国有化とは具体的に何を意味するのか、結局のところ政治家による所有になってしまうのではないか、という疑問が湧いてくるからです。「プロレタリア国家」がちゃんと定義づけられていないという事です。
***
少し話は逸れますが、このマルクスの共産主義思想について、その問いの正しさを検証し、マルクスの国有化を中心とした政策案に代わる解決策を考えたのが、ピケティの『21世紀の資本』でした。
ピケティは、税の記録をもとに、世界中の所得や富の変遷を遡り、確かに資本主義は、所得と資本収益の二つの原因によって格差を生むこと、マルクスの問題意識の正しさを示しました。
一方で、それに対する解決策はというと、彼が提案したのは、
・所得格差に対する解決策:教育
・資本収益格差に対する解決策:資本に対する国際的な課税
です。ただ、特に後者に関しては、国際社会が一致して資本に対する課税をする必要があり、ここでもまた、国際協調できるかという人間性が問われているわけです。なぜなら世界では今、税率を下げて資本を誘致するという税率下げ競争が繰り広げられているからです。
***
少し長くなりましたが、繰り返すと、共産主義の問題意識は正しかったと思います。特に格差拡大は実際に起きていると考えて間違いないでしょう。でも、実際問題として、人間社会をどのように平等にできるのかを考えると、いったいいつになったら人間はエゴから抜け出すことができるのかという人間性の問題にぶつかってしまうのです。
***
ちなみに、共産主義と民主主義というと、相反するもののように聞こえますが、マルクスは本著の中で、「労働者革命の第一歩は、(中略) 民主主義を闘いとること」だとはっきり述べていますので、間違っていると思います。共産主義と何かを対立させたいなら、資本主義と対立させましょう。
まず問い・問題提起ですが、主には以下の4つです。マルクスのこの着眼点は見事だと思います。
・資本主義による格差の拡大
・分業化が進むことによる仕事のやりがいの消失
・資本主義においては、人間の価値が交換価値に成り下がってしまうこと(マルクスは、資本主義は「人間と人間とのあいだに、むきだしの利害以外の、つめたい「現金勘定」以外のどんなきずなをも残さなかった」と批判しています)
・恐慌など、コントロールできない事象の発生(これをマルクスは、「かくも巨大な生産手段や交通手段を魔法で呼び出した近代ブルジョア社会は、自分が呼び出した地下の悪魔をもう使いこなせなくなった魔法使に似ている」と詩的な言葉で非難しています)
一方で、解決策は、所有権の革命であり、具体的には、私有財産の廃止です。「共産主義は人間性を高く見すぎたから失敗した」と言われるように、人間は何かを所有したがる性質があることを考えると、これは実現が難しいです。
また、マルクスは、所有権の革命として、プロレタリアによる資本の所有を主張していたにも関わらず、本著第2章の最後に書いた政策案の中で、突然「国有化」の話をしています。自分は、この突然出てきた「国有化」という考えにも問題があると思います。なぜなら、プロレタリア国家による国有化とは具体的に何を意味するのか、結局のところ政治家による所有になってしまうのではないか、という疑問が湧いてくるからです。「プロレタリア国家」がちゃんと定義づけられていないという事です。
***
少し話は逸れますが、このマルクスの共産主義思想について、その問いの正しさを検証し、マルクスの国有化を中心とした政策案に代わる解決策を考えたのが、ピケティの『21世紀の資本』でした。
ピケティは、税の記録をもとに、世界中の所得や富の変遷を遡り、確かに資本主義は、所得と資本収益の二つの原因によって格差を生むこと、マルクスの問題意識の正しさを示しました。
一方で、それに対する解決策はというと、彼が提案したのは、
・所得格差に対する解決策:教育
・資本収益格差に対する解決策:資本に対する国際的な課税
です。ただ、特に後者に関しては、国際社会が一致して資本に対する課税をする必要があり、ここでもまた、国際協調できるかという人間性が問われているわけです。なぜなら世界では今、税率を下げて資本を誘致するという税率下げ競争が繰り広げられているからです。
***
少し長くなりましたが、繰り返すと、共産主義の問題意識は正しかったと思います。特に格差拡大は実際に起きていると考えて間違いないでしょう。でも、実際問題として、人間社会をどのように平等にできるのかを考えると、いったいいつになったら人間はエゴから抜け出すことができるのかという人間性の問題にぶつかってしまうのです。
***
ちなみに、共産主義と民主主義というと、相反するもののように聞こえますが、マルクスは本著の中で、「労働者革命の第一歩は、(中略) 民主主義を闘いとること」だとはっきり述べていますので、間違っていると思います。共産主義と何かを対立させたいなら、資本主義と対立させましょう。
2022年10月10日に日本でレビュー済み
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最新版はなんと106刷。昔読んだのは53刷あたりだった。それほど歴史を重ねた名著。永久に不滅です。
2023年9月26日に日本でレビュー済み
〇 歴史から学ぶためにいまでも読み直すべき資料だと思う。短いから(本文50ページ)あっと言う間に読める。翻訳も平易でよくこなれている。
〇 「ヨーロッパに幽霊が出る・・・共産主義という幽霊である」で始まる第一章では、現在は資本家階級と労働者階級が対立していること、いかなる経緯をたどってこのような社会が生じたかが手際よく説明されている。後に『資本論』で展開される議論のエッセンスがここにある。切れ味は抜群!現在でも説得力十分だ。
〇 第二章は、当時の共産党に向けられていた批判への反駁。残念ながらここは単純な割り切りと粗雑な議論ばかりが目につく。プロレタリア独裁の理想は高くとも、その社会をどのような仕組みで運営すればよいのかがマルクスにもエンゲルスにも見えていなかった。人間というものへの洞察を欠いていた。こんなことを言っている。本気か?と思う。
・・ 労働者の賃金は生命を維持していくのに欠くことのできない生活手段の総計(それだけ?豊かな社会は作らないのか?)
・・ 家族を廃止して、家族喪失と公娼制度を導入する(本気か?)
・・ 現在の教養なるものはブルジョア的だから作りかえる(人間の知的営為の蓄積を否定するのか?傲慢ではないか)
・・ 階級が無くなると権力は政治的でなくなる(人間はいつでも政治的であることをやめない!)
〇 第三章は、過去に存在した社会主義・共産主義的思想を渉猟吟味する。革命をめざさない思想は、保守的社会主義、ブルジョア社会主義、空想的社会主義とレッテルを貼られてすべて退けられる。あくまで革命を求めるのだ!しかしなぜそう性急なのだろう。あの時代にいれば理屈抜きで共感できたのかもしれないけれど。
〇 第四章は、国別の当面の運動方針を説明する短い章。最後はこう呼びかける「万国のプロレタリア団結せよ!」。
〇 「ヨーロッパに幽霊が出る・・・共産主義という幽霊である」で始まる第一章では、現在は資本家階級と労働者階級が対立していること、いかなる経緯をたどってこのような社会が生じたかが手際よく説明されている。後に『資本論』で展開される議論のエッセンスがここにある。切れ味は抜群!現在でも説得力十分だ。
〇 第二章は、当時の共産党に向けられていた批判への反駁。残念ながらここは単純な割り切りと粗雑な議論ばかりが目につく。プロレタリア独裁の理想は高くとも、その社会をどのような仕組みで運営すればよいのかがマルクスにもエンゲルスにも見えていなかった。人間というものへの洞察を欠いていた。こんなことを言っている。本気か?と思う。
・・ 労働者の賃金は生命を維持していくのに欠くことのできない生活手段の総計(それだけ?豊かな社会は作らないのか?)
・・ 家族を廃止して、家族喪失と公娼制度を導入する(本気か?)
・・ 現在の教養なるものはブルジョア的だから作りかえる(人間の知的営為の蓄積を否定するのか?傲慢ではないか)
・・ 階級が無くなると権力は政治的でなくなる(人間はいつでも政治的であることをやめない!)
〇 第三章は、過去に存在した社会主義・共産主義的思想を渉猟吟味する。革命をめざさない思想は、保守的社会主義、ブルジョア社会主義、空想的社会主義とレッテルを貼られてすべて退けられる。あくまで革命を求めるのだ!しかしなぜそう性急なのだろう。あの時代にいれば理屈抜きで共感できたのかもしれないけれど。
〇 第四章は、国別の当面の運動方針を説明する短い章。最後はこう呼びかける「万国のプロレタリア団結せよ!」。