アンジェ・ワイダ監督、アルベール・カミュの翻案によるドストエフスキー原作「悪霊」の映画である。
1987年のフランスの作品である。
私はドストエフスキー作品の映画化というのは大変に難しいと考えている。
この作者の鑑賞はやはり作品を読むことでしか叶わないのではないだろうか。
ドストエフスキーの深みのある作品群において、その思想を理解することは、
限られた時間と切り取られた限定的な映像によっては表現し切れないだろう。
これまでの映像作品において、私はそのことを思い知らされた。
ところがこの作品においては、少々話が違うように思う。
つまり、翻案がカミュであり、彼が戯曲用に手掛けたものであるということがその理由である。
そこにはやはり、カミュほどの作家がこの作品の翻案を試み、短いあらすじに仕立て直したことに
意味がありそうだ。彼は「悪霊」という作品に思い入れがあった。
そして、それを壮大な原作とは別に自ら戯曲化をしたかったということになるのだが、
この壮大な作品の全てではなく、自らの解釈のもとで、
改めてドストエフスキー思想にアプローチすることに意味を感じたことは間違いないであろう。
彼のドストエフスキーのこの作品の思想に対する興味の深さと
思い入れの強さを感じることができるのである。
そして、その戯曲テキストに則って、映画化のためにワイダ監督が手を染めたということは、
大変に貴重で興味深いものとなっているのである。
したがって、原作そのものではない映画作品となっていたとしても、
その戯曲の翻案があったからこそ、ワイダは映画化に成功したと言って良いのではないだろうか?
上映時間は115分ほどのものであるが、「悪霊」という作品のエッセンスは十分に表現できている。
カミュとワイダの双方に敬意を評したい。
ドストエフスキーが描き出そうとした神への信仰と政治の問題、
そして悩める人間の愚かしさと救いの問題はあまりにも重く大きいものであるから、
原作文学との比較の中では物足りなさが残ることはしかたがないものの、
この映画は、近年ロシアで作成された長時間にわたる同映画作品よりも、
遥かに印象深いものであったことを言い添えたい。