シュタイナー教育に感銘をうけたというか、ルドルフシュタイナーの人智学には、すごい奥行きと現実性を伴った思想がある。農業や経済や医療まで幅広く、その中の一部門が教育なのだが、シュタイナー教育、というところだけをみていると、おかしなことがたくさんある。要するに、物理的に見えるもの、…ピンクのカーテンであったり、天然素材であったり、一週間で食べるものが決まっていたり、羊毛の手仕事だったり、季節の庭だったり・・はどこも同じなのだが、そこにこもっているものが園によって、教師によって、まったく異なっている。つまり、そこに至った背景の思考プロセスが違っていたりする。それはその中に入っていかないとなかなか見えない形のないものである。
だから、理想的なことが雑誌やイメージを通して流布されてる反面、実際は日本においては本来のシュタイナーの本質的な意味とは懸け離れた教育になっていることに気がつかない園や学校、保護者などがやたら多いな、という印象を、現実に訪れたり参加してみたり通ってみたりして思った。
非常に感覚的な理解の日本人に対し、ドイツはじめ欧州圏は非常にロジカルである。調和の作り方、もって行き方も双方違う。ロジカルであるということは、だれがやっても再現性のある世界である。ロジカルであるためには、自分という個が基本的にしっかりしていないと難しい。日本人は個と集団が密着しすぎていて、一見ロジカルに見えて情に流され、論理的な整合性がとれないことも多い。ロジカルシンキングで出来上がった西欧圏のシュタイナー教育を、日本的、感覚的に理解するとしたら、理解度はその個人の特質に大きく左右される。だから、日本のシュタイナー教育はかなり特殊な理解をした先生方、保護者が多いなとか、小学校では、それによってその学年の子供達が受けられる教育の質が天と地ほど違うとひそかに感じてきた。
幼稚園にいたっては、トップダウンで、保護者を支配するような形で権威をしめす教師も結構目立った。例えば、調布のぎんのいずみ園では、シュタイナー教育とは「無人島で生き抜く力をつける教育」などと平気で教えていて、さももっともらしく文献や資料を集めて保護者に説明しており、真面目にメモる保護者の姿があった。エマーソンカレッジで学んできた園長が、それである。それはどっかのボーイスカウトと同じで、シュタイナー教育の目指すところとはまったく違う。でも保護者はそれがシュタイナーなのだと思い込んでいるので教師に怒られながら、違和感を覚えながらも子供のためと自分に言い聞かせ、教師に従い、手仕事をしている。また、言葉による指示をやめなさい、背中で語れ、というが、実際にその教師が言葉を使わずに子供達に指示するためにやっているのは、まるでパントマイムである。笑うしかなかった。ほかの園でもまるで修道院か教会か?と見まごう「シュタイナーを宗教化している園」だったり、小さい集団ならではの多くの「無理やり感」が漂っている。知識が消化できていない。違和感でいっぱい、気持ちが悪い環境も多かった。とにかく、本質が誤解されている。その結果、多くの幼稚園保護者の間には、シュタイナー教育というノウハウ(型)にハマれば、自動的に良い子供が育つという誤解が生まれている。(それは完全に誤解だ!)
とにかくそもそも、教師がどれだけ理解しているのか、ということに問題がある。東京シューレにおいて、本場ドイツのシュタイナー教育の体験をしてきた子安フミが違和感を覚えるようなら、やっぱりそうだったのだ、と思った。そして実務的なタイプの保護者が、もうかかわりたくない!と思ったような出来事は、未だにシュタイナー系の保護者会ではよく発生する。ああ、これは日本で共通する保護者のムードだったのか、と思った。
それでも、一つの形にしようと続けてきた人たちのエネルギーはすごいな、と思った。そして、保護者の勝手な理想主義やこだわりに振り回されて、特殊な環境に置かれた子供たちの大変さを思って、涙が出そうになった。子供達があまりにかわいそうである。いまだにトラウマを持っている大人になった当時の子供達もいて、…これじゃあ、そりゃあ、そうなるよ、と思った。
卒業生である斎藤工の寄稿がないのは、少し残念だった。いわゆる、シュタイナー教育成功組みたいなイメージを背負った斎藤工は、なにをどう思ったのか。そして今、どう思っているのか。否定をしているから寄稿をしなかったのか。
シュタイナー教育それ自体は素晴らしいけれど、それを運営する人間たちの特殊性はときに鼻に付く。わたしたちは立派な教育を子供に受けさせているのだ、という優越感ムンムン、そしてほかはダメという独善的な印象を抱かせる保護者が多いのも気になった。(自分の興味のないことは、シャットアウトで、人の話を基本的に聞かない傲慢な親とか、表立っては良い子ちゃんで意見を言わずにいて、人間関係の裏政治でひっくりかえすのがうまい保護者とか。要するに自分と違うものとのすり合わせをするフェアな社会感覚性に乏しい。それはシュタイナーに限らずそうだ、とシュタイナー系の保護者はいうが、明らかにそういう人間の人口密度が濃い。)教育それ自体よりも、そうした特殊性の高い保護者率が高い環境が子供達に与えている影響の大きさを考えれば、むしろ普通の公立や私立の親のほうが常識があり、現実的な感覚を持っていたりするので、シュタイナー教育を与えるために、非常識な人間に囲まれるのがよいのか、それともシュタイナー教育ではなくとも、人格者の多い学校に通わせるのが良いのか。なにがふさわしいのかは価値観次第だろう。
この本は、「ああ、やっぱり、そういう組織か。」という、そういう個人的な疑念を裏付けるような内容だったと思った。そしてそれを正直に公開したこの本にはとても価値があると思う。日本人がバランス感覚を取り戻したら、同じシュタイナー教育であっても、それは大きく変わると思う。でも、日本のシュタイナー教育はまだまだ、発展途上なのだと思った。
バブル期と違い、これからは経済は下降線である。社会に必要とされないものがどんどん淘汰されていく時代の中で、雑誌の人気や早期教育ムードだけで運営してきたシュタイナー園はどんどん経済的な基盤を失い、潰れていく時代に入ったと言える。
その結果、なにが残るのか。先月7月2日に日本のシュタイナー教育の核であった子安美知子を失い、シュタイナー教育は、これから、再び大変な時代をくぐり抜けることになるだろう。
深く関わるとへんな教師とへんな保護者というライオンに噛まれ、傷を背負う世界。適度に距離を保ちながら、付き合えば、よい面とだけ付き合える。今の日本のシュタイナーはそういう感じだ。シュタイナー自体はすごいと思うので、今後も遠巻きに応援したいと思う。
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4月2日 火曜日
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日本のシュタイナー学校が始まった日 単行本 – 2017/6/15
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購入オプションとあわせ買い
1987年、バブルに浮き立つ首都東京。
都営住宅の一室に生まれた東京シュタイナーシューレ。初の一年生は8人だった。
苦難と危機の無認可時代を14年通し、21世紀の今日、堂々12年制の学校法人シュタイナー学園。昔日の生徒は30代さなか、創立者たちの熱は今なお沸々。
闊達自在に黎明期を語る 多彩なエッセイ52篇。
■執筆者
上松惠津子/上松佑二/阿部啓/阿部迪子/井上美知子/井上百子/浦上裕子/越中奉/大越保/大嶋まり/奥野真彩/小貫大輔/角口さかえ/神田昌実/工藤茂樹/クリストリープ・ヨープスト,小俣裕里子/子安文/子安美知子/近藤直子/さくまゆみこ/櫻井嘉子/鈴木一博/髙石優子/瀧川佐和子/竹田喜代子/ダニエラ・クラウゼ/T/中瀬佐栄子/仲正雄/中村謙/根岸初子/野村道子/はたりえこ/樋口純明/福田隆雄/福田はるか/福田淑子/星野智惠子/堀内節子/増渕智/松田仁/松本陵磨/森郷志/山浦恵津子/山﨑みなみ/山下りか/山田豊/横川節子/横手千代/吉澤明子/吉野茂紀(50音順)
都営住宅の一室に生まれた東京シュタイナーシューレ。初の一年生は8人だった。
苦難と危機の無認可時代を14年通し、21世紀の今日、堂々12年制の学校法人シュタイナー学園。昔日の生徒は30代さなか、創立者たちの熱は今なお沸々。
闊達自在に黎明期を語る 多彩なエッセイ52篇。
■執筆者
上松惠津子/上松佑二/阿部啓/阿部迪子/井上美知子/井上百子/浦上裕子/越中奉/大越保/大嶋まり/奥野真彩/小貫大輔/角口さかえ/神田昌実/工藤茂樹/クリストリープ・ヨープスト,小俣裕里子/子安文/子安美知子/近藤直子/さくまゆみこ/櫻井嘉子/鈴木一博/髙石優子/瀧川佐和子/竹田喜代子/ダニエラ・クラウゼ/T/中瀬佐栄子/仲正雄/中村謙/根岸初子/野村道子/はたりえこ/樋口純明/福田隆雄/福田はるか/福田淑子/星野智惠子/堀内節子/増渕智/松田仁/松本陵磨/森郷志/山浦恵津子/山﨑みなみ/山下りか/山田豊/横川節子/横手千代/吉澤明子/吉野茂紀(50音順)
- 言語日本語
- 出版社精巧堂出版
- 発売日2017/6/15
- ISBN-104904082370
- ISBN-13978-4904082379
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登録情報
- 出版社 : 精巧堂出版 (2017/6/15)
- 発売日 : 2017/6/15
- 言語 : 日本語
- ISBN-10 : 4904082370
- ISBN-13 : 978-4904082379
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,080,733位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 16,755位日本のエッセー・随筆
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年8月6日に日本でレビュー済み
2017年7月21日に日本でレビュー済み
ろくに言葉も喋れなかった我が子が大きくなるに従い、教育についての選択の時が訪れる。多くの人の場合は、何の疑問を持たず、地元の保育園や幼稚園、そして小学校へと通わせるだろうし、私立のより進学率の高い学校を選ぶ場合もあるだろう。全ては子どもの将来の幸せを願っての選択である。しかし、それは本当に子どものためになっているのか? 親の願いの押し付けになっていないだろうか? そんな疑問に真剣に向き合い、調べ、考え、悩み始めると、際限なく常識と思われていたものが、根底が揺らぎ始めるてくる…。
最近ニュースを騒がせている”モリ・カケ”疑惑に接しても、最上級の教育を受けてきた高級官僚や政治家たちが、平気で嘘をつき、組織ぐるみで保身し続ける姿や、時の権力に従僕し忖度する姿を見るにつけ、表面的にはいくら優秀であっても、内面の成長が伴っていない大人の姿はとても哀れで滑稽で、一体何を教育され学んできたのかと呆れてしまう。
戦前・戦後を通した教育の特徴の一つとして、突出することよりも失敗しないことが評価され、集団の一員として調和し、和を乱さないことが美徳とされてきたと思う。もちろんそれが良く作用する場面も多々あるが、反面、問題解決能力や新たなパラダイムへの突破力の弱さ、個人になった時の脆さとは無関係ではないだろう。さらに言うなら、寄らば大樹の影、大きな声に巻かれ、権力に対して恭順を示し進んで下僕になる政治家や官僚たち、社畜化されていく企業人たち姿とも、重なり合って見えてくる。
教育はその時代の社会のニーズに沿って行われることは言うまでもない。富国強兵時代には立派な戦士となるように育てられ、経済成長時には企業の歯車として役立つように育てられてきた。では、脱成長時代であり、大きなパラダイムシフトを迫られている今日において、これまでと同じやり方で人を育てることは、果たして有効な教育と言えるであろうか?
私は、自分の子どもを、交換可能なパーツとして社会に送り出したいとは思わない。
個性を開花させ、真に自由な人として育って欲しい。自分で道を切り開いていく強さを身につけて欲しい。良き仲間と出会い、力を合わせることができる社会性を身につけて欲しい。思いやりをもった、愛に満ちた人になって欲しいと願っている。
しかし、現在の日本の学習指導要領をなぞらえさえすれば良い一般的な学校教育や、(優秀で熱意ある人もいるとはいえ)内面的成長を十分に遂げていない教師たちには、残念ながら自分の子どもを12年間預けようという気にはならない。
おそらく同じように、様々な理由から悩み苦しみ、公教育を受けさせることなく、フリースクールやオルタナティブスクール、またはホームスクールを選択した人は、多いとは言えないまでも少なからずいる。それは今に始まったことではなく、かつてヒッピーと呼ばれた人たちに限ったことでも、また海外事例に限ったことでもなく、私の友人・知人の子ども達の中でも、そうやって育った子どもたちは存在しており、そのうちの幾人かはすでに成人し、社会人として働き、結婚し、子どもを設けている。
前置きがとても長くなってしまったが、本書は30年前に、同じような思いを持って子どもの教育に向き合った人たちが、日本で最初とも言える本格的なフリースクール(未認可の小学校)を、8人の子ども達を迎えて立ち上げ、喜びと葛藤の日々年月を繰り返しながら、ようやく小・中・高校一貫教育の学校法人の認可取得にまでこぎつけ、現在に至るその創立期の秘話を、生徒、親、支援者、教師など、それぞれの立場の約50人の言葉で綴った貴重な記録である。
きれいごとに終わらない秘話を多く含んでおり、よくあるような創立物語に終わらず、日本におけるフリースクールや学校教育について考える上で、とても多くの示唆に富んでいる一冊として、大変興味深く読ませてもらった。
最近ニュースを騒がせている”モリ・カケ”疑惑に接しても、最上級の教育を受けてきた高級官僚や政治家たちが、平気で嘘をつき、組織ぐるみで保身し続ける姿や、時の権力に従僕し忖度する姿を見るにつけ、表面的にはいくら優秀であっても、内面の成長が伴っていない大人の姿はとても哀れで滑稽で、一体何を教育され学んできたのかと呆れてしまう。
戦前・戦後を通した教育の特徴の一つとして、突出することよりも失敗しないことが評価され、集団の一員として調和し、和を乱さないことが美徳とされてきたと思う。もちろんそれが良く作用する場面も多々あるが、反面、問題解決能力や新たなパラダイムへの突破力の弱さ、個人になった時の脆さとは無関係ではないだろう。さらに言うなら、寄らば大樹の影、大きな声に巻かれ、権力に対して恭順を示し進んで下僕になる政治家や官僚たち、社畜化されていく企業人たち姿とも、重なり合って見えてくる。
教育はその時代の社会のニーズに沿って行われることは言うまでもない。富国強兵時代には立派な戦士となるように育てられ、経済成長時には企業の歯車として役立つように育てられてきた。では、脱成長時代であり、大きなパラダイムシフトを迫られている今日において、これまでと同じやり方で人を育てることは、果たして有効な教育と言えるであろうか?
私は、自分の子どもを、交換可能なパーツとして社会に送り出したいとは思わない。
個性を開花させ、真に自由な人として育って欲しい。自分で道を切り開いていく強さを身につけて欲しい。良き仲間と出会い、力を合わせることができる社会性を身につけて欲しい。思いやりをもった、愛に満ちた人になって欲しいと願っている。
しかし、現在の日本の学習指導要領をなぞらえさえすれば良い一般的な学校教育や、(優秀で熱意ある人もいるとはいえ)内面的成長を十分に遂げていない教師たちには、残念ながら自分の子どもを12年間預けようという気にはならない。
おそらく同じように、様々な理由から悩み苦しみ、公教育を受けさせることなく、フリースクールやオルタナティブスクール、またはホームスクールを選択した人は、多いとは言えないまでも少なからずいる。それは今に始まったことではなく、かつてヒッピーと呼ばれた人たちに限ったことでも、また海外事例に限ったことでもなく、私の友人・知人の子ども達の中でも、そうやって育った子どもたちは存在しており、そのうちの幾人かはすでに成人し、社会人として働き、結婚し、子どもを設けている。
前置きがとても長くなってしまったが、本書は30年前に、同じような思いを持って子どもの教育に向き合った人たちが、日本で最初とも言える本格的なフリースクール(未認可の小学校)を、8人の子ども達を迎えて立ち上げ、喜びと葛藤の日々年月を繰り返しながら、ようやく小・中・高校一貫教育の学校法人の認可取得にまでこぎつけ、現在に至るその創立期の秘話を、生徒、親、支援者、教師など、それぞれの立場の約50人の言葉で綴った貴重な記録である。
きれいごとに終わらない秘話を多く含んでおり、よくあるような創立物語に終わらず、日本におけるフリースクールや学校教育について考える上で、とても多くの示唆に富んでいる一冊として、大変興味深く読ませてもらった。