事件を知らなかったので 購入しました。
警察も検察も どうもなりません。
少女がついたウソで10人の人生がむちゃくちゃにされました。
裁判長の「じゃあそちらで」
ふざけるな。
この事件を知るきっかけになったTBSのドラマ「99.9%」に感謝したい。

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踏みにじられた未来 単行本 – 2011/12/23
長野 智子
(著)
テレビ朝日系「ドキュメンタリー宣言」放送後、反響を巻き起こした御殿場事件。
その謎めいた事件の真相に迫った衝撃のノンフィクション!
2001年、静岡・御殿場で身に覚えのない罪で10人の少年が次々に逮捕された。少年全員が否認する中、不条理だらけの裁判は続けられ有罪判決が下る……。発端は、2001年9月16日、ある女子高校生が「婦女暴行を受けた」として警察に訴えたことから始まる。しかし、物証は何ひとつなく、その少女の供述のみ。少年の親たちは、我が子のアリバイを探すが「親たちが口裏を合わせている」「証拠の捏造だ」と警察は一切裏付け調査を行わなかった。その後、親たちの努力の甲斐あって犯行があったとされる日時に少女と一緒にいた男性を突き止めるが、少女から出た言葉は「被害にあった日を間違えました」と言う不明瞭な証言だった。だが、裁判所は少年たちの無罪主張を何一つ認めず、少女の訴因変更のみを認め、裁判を継続する。判決は、一審二審とも有罪。最高裁では訴えを棄却され、ついに処分が決定されてしまった。一体なぜ、裁判所はそこまで断定的な処分を決行したのか。少女の訴えは、虚偽なのか。少年たちは、冤罪なのか。この不可解な裁判は「御殿場事件」として、世間を騒がせた。キャスター・長野智子が、少年たちの取材を通して見えてきた事件の真相とは――。
その謎めいた事件の真相に迫った衝撃のノンフィクション!
2001年、静岡・御殿場で身に覚えのない罪で10人の少年が次々に逮捕された。少年全員が否認する中、不条理だらけの裁判は続けられ有罪判決が下る……。発端は、2001年9月16日、ある女子高校生が「婦女暴行を受けた」として警察に訴えたことから始まる。しかし、物証は何ひとつなく、その少女の供述のみ。少年の親たちは、我が子のアリバイを探すが「親たちが口裏を合わせている」「証拠の捏造だ」と警察は一切裏付け調査を行わなかった。その後、親たちの努力の甲斐あって犯行があったとされる日時に少女と一緒にいた男性を突き止めるが、少女から出た言葉は「被害にあった日を間違えました」と言う不明瞭な証言だった。だが、裁判所は少年たちの無罪主張を何一つ認めず、少女の訴因変更のみを認め、裁判を継続する。判決は、一審二審とも有罪。最高裁では訴えを棄却され、ついに処分が決定されてしまった。一体なぜ、裁判所はそこまで断定的な処分を決行したのか。少女の訴えは、虚偽なのか。少年たちは、冤罪なのか。この不可解な裁判は「御殿場事件」として、世間を騒がせた。キャスター・長野智子が、少年たちの取材を通して見えてきた事件の真相とは――。
- 本の長さ195ページ
- 言語日本語
- 出版社幻冬舎
- 発売日2011/12/23
- ISBN-104344021134
- ISBN-13978-4344021136
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商品の説明
著者について
1962年米国ニュージャージー州生まれ。85年上智大学卒業後アナウンサーとしてフジテレビ入社。90年に退社後フリーに転身。2000年から「ザ・スクープ」でキャスターになる。現在はテレビ朝日系「報道ステーションSUNDAY」のメインキャスターを務める。
登録情報
- 出版社 : 幻冬舎 (2011/12/23)
- 発売日 : 2011/12/23
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 195ページ
- ISBN-10 : 4344021134
- ISBN-13 : 978-4344021136
- Amazon 売れ筋ランキング: - 929,437位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 109,762位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年6月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
単に経過をまとめるだけでなく、著者が自ら裁判長に直撃したり、当日の天候の証言を集めており興味深い。
これほど多くの疑問点を抱えながら、有罪が確定してしまうことにただ驚く。
なぜ裁判官が有罪判決に傾きがちなのか、構造的な分析もあればなお良かった。
これほど多くの疑問点を抱えながら、有罪が確定してしまうことにただ驚く。
なぜ裁判官が有罪判決に傾きがちなのか、構造的な分析もあればなお良かった。
2013年3月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この事件は、S.Iがデタラメの事件をでっち上げ、警察・検察・裁判官がその仕上げをして、
ありもしない事を、事件としてでっち上げたもの。
善良なる市民の皆様、ぜひこの本をよまれて、警察・検察・裁判官に対する認識をあらためることを、お勧めします。
高知「白バイ事件」も、同様に警察のでっち上げなので、車の運転をされる方は、ぜひ読んで下さい。
ありもしない事を、事件としてでっち上げたもの。
善良なる市民の皆様、ぜひこの本をよまれて、警察・検察・裁判官に対する認識をあらためることを、お勧めします。
高知「白バイ事件」も、同様に警察のでっち上げなので、車の運転をされる方は、ぜひ読んで下さい。
2013年3月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
TV報道と同じでしたが、このような事が許されて良いのですか?
2018年4月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
交通事故で最高裁まで行って判決が覆らなかった経験があるので、後半の控訴審、上告棄却は予想が着いていたが、腐った日本の裁判は金太郎飴のようだった。証拠無し・供述強要・虚偽申告で有りながら有罪となった事実。
こう云う事件があると、裁判官か虚偽申告した被害者が闇討ちになるだろうと推測したが、案の上ネットで見つけた被害者のその後は、一家離散で弟が自殺らしいが本人は行方不明。当然といえば当然の村八分追放。裁判官は闇討ちにはあっていないらしい。
ただ復讐は子孫に向かう場合が多いのでまだ注視が必要。
で、何が言いたいかと言うと、警察司法関係者が正しい法運用をしないと、事件を誘発しますよ!
という事実。
裁判長が最後にインタビューに漏らした、本件は数ある冤罪事件の一つでしか無いので上告不要。少しどころか壊れた裁判官と間違いを糺せない警察、調べない検察官。
そして気づかねばならないのは、日本の法律の難解さと法運用の未熟さによる、全国民が時間と言う資産を浪費する可能性があると言う危機だ。
こう云う事件があると、裁判官か虚偽申告した被害者が闇討ちになるだろうと推測したが、案の上ネットで見つけた被害者のその後は、一家離散で弟が自殺らしいが本人は行方不明。当然といえば当然の村八分追放。裁判官は闇討ちにはあっていないらしい。
ただ復讐は子孫に向かう場合が多いのでまだ注視が必要。
で、何が言いたいかと言うと、警察司法関係者が正しい法運用をしないと、事件を誘発しますよ!
という事実。
裁判長が最後にインタビューに漏らした、本件は数ある冤罪事件の一つでしか無いので上告不要。少しどころか壊れた裁判官と間違いを糺せない警察、調べない検察官。
そして気づかねばならないのは、日本の法律の難解さと法運用の未熟さによる、全国民が時間と言う資産を浪費する可能性があると言う危機だ。
2014年9月18日に日本でレビュー済み
正しいか間違っているか判定を下すところではなく、勝手な思い込みで
有罪の判決をだすところ、起訴された段階で有罪なんですね。
有罪の判決をだすところ、起訴された段階で有罪なんですね。
2012年1月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
刑事事件は最後の公平な判断がデキるはずの裁判所の信頼にかかっているが、
この事件では、全くの恣意的な判断で10年もの長きに渡り3人の冤罪で苦しんだ事実をどう捉えればよいか絶望する。
1週間も犯行日が、ズレたら事件として成り立たないのは国民的常識として当たり前である。
それでも起訴した以上、何が何でもメンツの為か事件として、継続して審理する裁判所の思考パターンは理解できない。
99.98%の有罪率は、人間である以上あり得ない。この99.98%の有罪率は、誰の為に有るのか?
この国は北朝鮮以上の社会主義国である事実に、絶望しか感じない。
裁判所が覚醒し、本当に真実を見られる日が来るのか?
ミスをしても責任を問われないことの恐ろしさが今更ながら感じる。
いつ誰でも冤罪の可能性があるという事と
裁判所は殆ど頼りにならない事実が目の前に厳然とあることの怖さがある。
この事件では、全くの恣意的な判断で10年もの長きに渡り3人の冤罪で苦しんだ事実をどう捉えればよいか絶望する。
1週間も犯行日が、ズレたら事件として成り立たないのは国民的常識として当たり前である。
それでも起訴した以上、何が何でもメンツの為か事件として、継続して審理する裁判所の思考パターンは理解できない。
99.98%の有罪率は、人間である以上あり得ない。この99.98%の有罪率は、誰の為に有るのか?
この国は北朝鮮以上の社会主義国である事実に、絶望しか感じない。
裁判所が覚醒し、本当に真実を見られる日が来るのか?
ミスをしても責任を問われないことの恐ろしさが今更ながら感じる。
いつ誰でも冤罪の可能性があるという事と
裁判所は殆ど頼りにならない事実が目の前に厳然とあることの怖さがある。
2012年1月24日に日本でレビュー済み
2001年に起きた「御殿場事件」を,犯人とされた元少年たちを中心に描いたドキュメント。事件を超簡単に説明すると,
・女子高生が,少年らから強姦されそうになった,と申告
・少年らがアリバイを主張
・女子高生が「犯行日」についてウソを吐いていたことを認めるも,事件は別の日にあったと改めて証言
・少年らに有罪判決(確定)
という奇妙なもので,客観的な証拠も無いのに有罪とするのはおかしい,というのが本書の主張である。
御殿場事件はウィキペディアにも記事があり,とりあえず事件の概要を知るだけで良いというのであれば,本書を買う必要は無い。しかしたとえば,女子高生はなぜ「犯行日」を偽ったのか,そもそも事件自体がでっちあげではないのか,元少年たちのアリバイはあるのか,といった誰もが抱く疑問に,本書はある程度の回答を与えてくれる。また「犯人」として捜査機関から扱われた場合,当人や家族がどんなふうにそれに立ち向かったのかについての興味深い一例を示している。
本書は,ジャンルとしては冤罪(が疑われる)事件を扱ったノンフィクションである。この点から見た場合,一応は十分な取材がされている点,およそ10年にわたる出来事を約200ページとコンパクトにまとめている点などは評価できる。特に1・2審の判決文を引用したうえで,それらが被告人の「有罪」を説得的に論じているかを詳細に検討した部分は読み応えがあって面白い。ただし,判決全文が引用されていないから,慎重な読者ならば判断を留保せざるを得ないだろう。本書は過去に放送されたTV番組を下敷きとしており,放送内容の一部は今でもテレビ朝日のウェブサイトで閲覧できるが,ここでも判決文の一部の引用しかない。
逆に「これはちょっと」と思われるのが,著者の法律知識の貧弱さ。せめて権力批判を行える程度の知識は仕入れておくべきだ。日本は法治国家なのだから,権力の濫用は法(律)の違反という形で把握される。その法(律)を知らないで,実のある権力監視ができるわけがない。たとえば,
「犯行日が1週間変わったことによって生まれる矛盾も含めて,裁判所は警察・検察に捜査のやり直し,調書の取り直しを当然指示するものだと誰もが考えていた」(p.71)
とあるが,一体どういう意味なのか。言うまでもなく,裁判所は警察・検察に対して捜査の指示権を持たない。検察官の立証が尽くされていないと判断すれば無罪を宣告するだけであり,仮に「今のままだと有罪にできないからもっと捜査しろ」と言えばそっちの方が問題だ。上記は1審での訴因変更手続に関して述べられたものだが,著者自身がこの制度を理解していないために意味不明な批判となっている。
その他,引用文の出典が明記されていなかったり(p.73),表紙の写真にキャプションが無かったり(おそらく「犯行」現場の写真と思われるが)と,丁寧に作られた本という印象からは程遠い。しかも時系列で記述されていないうえ,個々の出来事の日付を省略したりしているので,全体像が把握しづらい。
一方,本書が有罪判決を批判しつつ,この事件を「冤罪事件だと断定できる立場にはない」(p.195)と述べることは別に矛盾しない。冤罪と無罪は意味が違うからである。この慎重さを本書の全体に及ぼして欲しかった,という点では「残念」な本である。しかし,この事件や裁判を世に問う意義は認められると思われるので,ちょっと甘めの★3つ。
※2012/2/6追記:本書の末尾には,元少年たちが名誉回復のための措置をとることが示唆されていた(p.194)。毎日新聞(2012年2月6日朝刊)などの報道によると,2011年12月21日付で,被害者とされた元少女を相手取って,民事の損害賠償請求訴訟を提起したとのことである。
・女子高生が,少年らから強姦されそうになった,と申告
・少年らがアリバイを主張
・女子高生が「犯行日」についてウソを吐いていたことを認めるも,事件は別の日にあったと改めて証言
・少年らに有罪判決(確定)
という奇妙なもので,客観的な証拠も無いのに有罪とするのはおかしい,というのが本書の主張である。
御殿場事件はウィキペディアにも記事があり,とりあえず事件の概要を知るだけで良いというのであれば,本書を買う必要は無い。しかしたとえば,女子高生はなぜ「犯行日」を偽ったのか,そもそも事件自体がでっちあげではないのか,元少年たちのアリバイはあるのか,といった誰もが抱く疑問に,本書はある程度の回答を与えてくれる。また「犯人」として捜査機関から扱われた場合,当人や家族がどんなふうにそれに立ち向かったのかについての興味深い一例を示している。
本書は,ジャンルとしては冤罪(が疑われる)事件を扱ったノンフィクションである。この点から見た場合,一応は十分な取材がされている点,およそ10年にわたる出来事を約200ページとコンパクトにまとめている点などは評価できる。特に1・2審の判決文を引用したうえで,それらが被告人の「有罪」を説得的に論じているかを詳細に検討した部分は読み応えがあって面白い。ただし,判決全文が引用されていないから,慎重な読者ならば判断を留保せざるを得ないだろう。本書は過去に放送されたTV番組を下敷きとしており,放送内容の一部は今でもテレビ朝日のウェブサイトで閲覧できるが,ここでも判決文の一部の引用しかない。
逆に「これはちょっと」と思われるのが,著者の法律知識の貧弱さ。せめて権力批判を行える程度の知識は仕入れておくべきだ。日本は法治国家なのだから,権力の濫用は法(律)の違反という形で把握される。その法(律)を知らないで,実のある権力監視ができるわけがない。たとえば,
「犯行日が1週間変わったことによって生まれる矛盾も含めて,裁判所は警察・検察に捜査のやり直し,調書の取り直しを当然指示するものだと誰もが考えていた」(p.71)
とあるが,一体どういう意味なのか。言うまでもなく,裁判所は警察・検察に対して捜査の指示権を持たない。検察官の立証が尽くされていないと判断すれば無罪を宣告するだけであり,仮に「今のままだと有罪にできないからもっと捜査しろ」と言えばそっちの方が問題だ。上記は1審での訴因変更手続に関して述べられたものだが,著者自身がこの制度を理解していないために意味不明な批判となっている。
その他,引用文の出典が明記されていなかったり(p.73),表紙の写真にキャプションが無かったり(おそらく「犯行」現場の写真と思われるが)と,丁寧に作られた本という印象からは程遠い。しかも時系列で記述されていないうえ,個々の出来事の日付を省略したりしているので,全体像が把握しづらい。
一方,本書が有罪判決を批判しつつ,この事件を「冤罪事件だと断定できる立場にはない」(p.195)と述べることは別に矛盾しない。冤罪と無罪は意味が違うからである。この慎重さを本書の全体に及ぼして欲しかった,という点では「残念」な本である。しかし,この事件や裁判を世に問う意義は認められると思われるので,ちょっと甘めの★3つ。
※2012/2/6追記:本書の末尾には,元少年たちが名誉回復のための措置をとることが示唆されていた(p.194)。毎日新聞(2012年2月6日朝刊)などの報道によると,2011年12月21日付で,被害者とされた元少女を相手取って,民事の損害賠償請求訴訟を提起したとのことである。