惑星ソラリス Blu-ray 新装版
フォーマット | Blu-ray, 色, 字幕付き, ワイドスクリーン |
コントリビュータ | ドナータス・バニオニス, ユーリー・ヤルヴェト, ニコライ・グリニコ, ナタリア・ボンダルチュク, ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー, アナトーリー・ソロニーツィン, アンドレイ・タルコフスキー |
言語 | ロシア語 |
稼働時間 | 2 時間 46 分 |
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商品の説明
世界的巨匠アンドレイ・タルコフスキーの代表作のブルーレイがニ新装版で登場!
美しい映像表現で、『2001年宇宙の旅』とともに映画史に大きく名を残す傑作SF作品!
【内容】
独特の浮遊感を持った唯一無二の描写で、世界中の映画ファンを魅了する映画作家、アンドレイ・タルコフスキー。「巨匠」の代表作にふさわしい作品がこの『惑星ソラリス』である。原作はSF愛好家の間ではその名を知らぬ者はいない、ポーランドの作家スタニスワフ・レムの代表的な長編小説「ソラリスの陽のもとに」。人間の潜在意識を探り出して実体化する“海"が 存在する惑星「ソラリス」。極限状況に置かれた人間の姿を描いた作品。公開当時、スタンリー・キューブリック『2001年宇宙の旅』へのロシアからの回答ともいわれたSF映画の傑作中の傑作!
人間は過去の出来事や故人の想い出を意識の奥底にしまいこんできた。太陽系とは別の銀河系に属する惑星ソラリスの理性をもつ海は、想像を絶する独自の理性をもつ超知性体であり、その海は人間の潜在意識を実在する形に変換する不思議な能力をもち、人間の理性とのコミュニケーションを拒み続けてきた。その謎を解くためにソラリスの海に浮かぶ宇宙ステーションに到着した心理学者は、目の前に10年も前に自殺した妻が突然に現れて驚く…。
【作品情報】
監督:アンドレイ・タルコフスキー
脚本:フリードリヒ・ゴレンシュテイン、アンドレイ・タルコフスキー
撮影:ヴァジーム・ユーソフ
美術:ミハイル・ロマジン
音楽:エドゥアルド・アルテミエフ
出演:ナタリア・ボンダルチュク/ドナータス・バニオニス/ユーリー・ヤルヴェト/アナトーリー・ソロニーツィン/ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー/ニコライ・グリニコ
【スペック】
製作国:ソ連、166分、カラー、日本語字幕、ロシア語音声、製作年:1972年
16:9 スコープサイズ
封入リーフレット
登録情報
- アスペクト比 : 1.78:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 言語 : ロシア語
- 製品サイズ : 30 x 10 x 20 cm; 109 g
- EAN : 4933672247106
- 監督 : アンドレイ・タルコフスキー
- メディア形式 : Blu-ray, 色, 字幕付き, ワイドスクリーン
- 時間 : 2 時間 46 分
- 発売日 : 2016/6/24
- 出演 : ナタリア・ボンダルチュク, ドナータス・バニオニス, ユーリー・ヤルヴェト, アナトーリー・ソロニーツィン, ウラジスラフ・ドヴォルジェツキー
- 字幕: : 日本語
- 販売元 : IVC,Ltd.(VC)(D)
- ASIN : B01DXS5YEM
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 34,807位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 780位外国のSF映画
- - 3,217位外国のドラマ映画
- - 3,606位ブルーレイ 外国映画
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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バッハのオルガン小曲「我 汝に呼ばわる、主イエス・キリストよ」が地上と宇宙でのコントラストと共に悲哀を感じさせる美しい作品。タルコフスキー特有の雨が降りしきる情景と水、火の表現する沈黙が非常にノスタルジック。
原作小説早川SF文庫でソラリスの新訳版が出て、久しぶりに読み直しました。新訳追加分もあり、改めて映画も見てみよう、という気持になりました。
最近のシステムは、4K化しており、プレーヤーもディスプレイも4K対応。
2KのBDも4Kにアップコンして視聴するようになると、従来見ていた作品が別物に見えることがしばしばあります。
画質の向上により、製作側が伝えようとした物事が、高画質化で脳内補正量が減るため、より作品に没入しやすくなります。
さて、今回はどうか。
原作小説を読んでから、文章の補佐として、つまり挿絵として見ると、わかりやすいです。
今風のどっかん、すっかん、ばりばりっ!というSFではありません。淡々とした描写が続き、効果音も必要最低限。
ですので、予備知識のない場合は、退屈だ、たるい、というこれまでの評価に落ち着くのでしょう。
小説を「読んでから見る」、にすると、まあまあ見ることができます。しかし、レムのソラリスと、タルコフスキーのソラリスでは違う、ということを確認できてしまうのはご愛敬。挿絵として楽しむのが吉なのでしょう。
そもそも、小説中のソラリスの海の具象化を脳内ですることが非常に困難なので、それを映像化する試みをタルコフスキーが挑戦してくれた、と感謝しつつ見たほうが精神的に良い、と評価します。

原作小説早川SF文庫でソラリスの新訳版が出て、久しぶりに読み直しました。新訳追加分もあり、改めて映画も見てみよう、という気持になりました。
最近のシステムは、4K化しており、プレーヤーもディスプレイも4K対応。
2KのBDも4Kにアップコンして視聴するようになると、従来見ていた作品が別物に見えることがしばしばあります。
画質の向上により、製作側が伝えようとした物事が、高画質化で脳内補正量が減るため、より作品に没入しやすくなります。
さて、今回はどうか。
原作小説を読んでから、文章の補佐として、つまり挿絵として見ると、わかりやすいです。
今風のどっかん、すっかん、ばりばりっ!というSFではありません。淡々とした描写が続き、効果音も必要最低限。
ですので、予備知識のない場合は、退屈だ、たるい、というこれまでの評価に落ち着くのでしょう。
小説を「読んでから見る」、にすると、まあまあ見ることができます。しかし、レムのソラリスと、タルコフスキーのソラリスでは違う、ということを確認できてしまうのはご愛敬。挿絵として楽しむのが吉なのでしょう。
そもそも、小説中のソラリスの海の具象化を脳内ですることが非常に困難なので、それを映像化する試みをタルコフスキーが挑戦してくれた、と感謝しつつ見たほうが精神的に良い、と評価します。


前半・後半と区切られた本作の主な舞台は、(地球の)主人公クリスの父の家と(宇宙の)ソラリス・ステーション。
opの水草がとてもタルコフスキー的。この空気、この世界がタルコフスキー・・・
宇宙シーンへとつながる「ある物」を手にして、水のほとりにやって来たクリス・ケルヴィン。
何度か見ていると、ここでのクリスの「想い」がひしひしと伝わって来て本作は「想い」の映画だと思うのです。
面白いSFであると同時に人間ドラマとしてとても重厚なタッチ(科学と人、哲学、国家と人間、家族・夫婦の愛などなど・・・)。クリスと父のこと、物語のとっかかりとなった(父の友人の)宇宙飛行士・探索隊員バートンに起きたこと、少年時代に亡くなった母と10年前に亡くなっている妻ハリー・・・といった内容と俳優さんたちの演技が(大げさではなく自然なのですが)重厚。テンポもゆっくりと重々しい。
<内容にふれています>
・・が、ソラリス・ステーションの中では「重厚からはみ出してしまう」SF的なものすごい事が起きていた。
ここが『禁断の惑星』を見ていると分かりやすいと思います。転がる小さいボール、ササ〜と走るブルーの少女・・・
85人収容🉑のそこにわずかに残った研究者。かつての仕事仲間のギバリャンはクリスの到着を待たずしてビデオレターを残して亡くなっていた。残った2人というのが個性的というか、特にスナウトは少々ヘンでもありもう1人のサルトリウスには異様なところがある・・・(重厚な地球シーンや、ソラリス・ステーション内でもクリスの妻や母の関わるシーンの感じを私はとてもタルコフスキー的と思っていたましたが、それとはまた違うムードの、生き残っただけのことはあると思えるこの2人が逆にツボに入ってしまいました)。
opに戻り・・・水草シーンのクリスの想い。
宇宙へ行くというのは本当に大変なこと。帰って来られないかもしれない(父、おばともこれでお別れかもしれない)。それに加えて今回の仕事はひとかどでなく重い。この日・・クリスと父は2人でゆっくりしたかった所へやって来てしまったバートン。彼は彼で明日ソラリスへ向かうクリスにどうしても知ってほしい事があった。
このあたりの20年間の事情、クリスのソラリス・ステーションでの仕事内容などを、人物たちの行動、会話の端々に浮かぶもの、(バートン持参のビデオを映して見せながら)バートンの表情やちょっとした仕草などを交えて語ってゆく。
事の始まりは失踪した研究者フェフネル捜索の際、1人帰還の遅れた隊員バートンの見たソラリスの海の奇怪な現象、「4mもの巨大な赤ん坊」。果たしてそれは本当に存在したのか、否か? 否となればバートンの幻覚として片付けられてしまいこの20年間のソラリス研究の根拠も消えてしまう。今回クリスがソラリス・ステーションにチェックに行き研究続行or中止を決める。これはバートンにとって自分が認められるかどうかの瀬戸際であり一歩も後に引けない。
・・たぶん国としてはもういい加減打ち切りたくて、そういうことをきちんとやってくれそうなクリスにお鉢が回ってきた(「もしソラリスの海にふつうの科学の範囲に収まりづらく(その上何か不都合な点のある)現象があった時は、X線による消滅を実行しなさい。」というような命令)。バートンとクリスは真っ向からぶつかってしまう。
「もうこの家との付き合いは辞め!」と怒り狂う旧友バートンと息子クリスの狭間でほとほと困り果てる父は、クリスのおば(父の姉妹か?)に八つ当たり気味。ムッとする彼女は、今日のビデオで初めて知ったバートンの苦労に想いを至らせ・・といった(何かもっと普通の話のような)人の気持ちの絡み合いが物語の前半、美しい自然の中に描かれています。
ビデオの見れるTVで、電話でもある大きい画面を駆使して、まず20年前の「バートン報告」のビデオ。ソラリス・ステーションに健在と思われる研究者のTV番組による紹介。(日本通らしいタルコフスキーが)未来都市と見立てた東京の立体交差のハイウエイを走る(このシーンは本当に気持ちよく夜景がとても美しい)車からのテレビ電話に写る真剣な面持ちのバートン。「誰にも告げずにいた重大な情報がある。これについて向こうに着いたら考えてみて欲しい。」と彼は言う。
< 家のシーンの2つのカットで見せる、2人の女の人の2葉の写真については何も語られず、クリスの手にしたある物(形状がお弁当箱のようなのでそう呼びますが、お弁当ではない)と共に白い大きいリュックに詰め込まれ宇宙シーンへと繋がってゆく。>
こうしてクリスは宇宙へと旅立ちますが、ここの描写は船内のクリスの顔のアップのみといって良いくらいシンプルなのがとても良い(ラストで地球へ戻るこういったシーンはなくて、いきなり大池のほとりのクリス、そしてあの家、家の中の水、父の姿・・・など。これはいったい?)。
やがて到着したガラ〜ンとしたソラリス・ステーション、物陰に・・人?不安げなクリス。
まずスナウトの部屋をのぞいてみると、いったい何をしているのか? グッと身構えるクリスにどぎまぎと対応するスナウト・・・スナウトの俳優さんは(後になってクリスが「あなたは良い人だ、そうは見えないだけで。」と言うように)繊細な名演となるけれど、初めはとにかくヘンで怪演。部屋に吊ったハンモックも怪しいが、ギバリャンの死について(鬱病だったと)伝え、「何か起きても慌てず我々をあてにもするな!」と言う(これは確かに良いアドヴァイスだったと後でわかります)。
いったいここで何が?クリスはギバリャンの部屋に向かう。コラージュのようにいろんな物がギバリャンの最期を語る乱れた部屋の大きなモニターにはクリスを迎えるメモ。スイッチを入れると画面の奥から等身大のギバリャンが近づいて来るモノクロ映像(手前のクリスはカラー)。亡くなったと知ったばかりの知人がこう言う風に出現したらきっとすごくドキッとするこの演出も素晴らしい。
ビデオのギバリャンは・・・いざというときには(彼が言っているのは、あのようなものが出現してもうどうにもたまらなく、そのままではとんでもないことになると思った時は、ということだと思いますが)、本意ではないがサルトリウスと同じ意見・・・X線によるソラリスの海の破壊を、と言う。地球のあの家のシーンでは、バートンに向かってこれと同じことを言ったクリスだったが、バートンの📞「情報」の意味を考え(詳細は省きますが、私は「4m」ということにいかにそれがフェフネルにとって「重荷」であったかと思うのですがそれはともかく)、さらにここで実際にいくつかの物を目にして・・・心が揺れ動いている・・・
この後クリスの元には、(ほかの人のように、心の奥底にある「困ってしまうようなもの」が出現するどころか)10年前に亡くなった妻が出現! サルトリウスやスナウトは「こんなことはもう何とかしたい」と解決法を考えているが、クリスは(やっと再開できた妻)「このままにしておきたい!」し、妻を「研究対象」になどとても受け入れ難い!
スナウトの提案は、(出現物はニュートリノ系の物で作られているのだから、ニュートリノを破壊してしまう物を・・という)サルトリウスとは異なり、ソラリスの海というのは巨大な脳、思考そのものなのだから、(「もうヘンな物を出さないでほしい」という)こちらの考えを伝えたらどうか、と。これはサルトリウスと比べて一見穏やかですが、うまく行った暁には、クリスはせっかく「再会」できた妻ハリーを失ってしまうことになりかねない。この話を耳にした(元々少々神経症的なところのあった)ハリーはさらに不安定になってしまう。
(自分の「今」の状況に加えて徐々に、かつてハリーとクリスの間にあったこと、自分が10年前に死んでいたことなどがわかってきたハリー。クリスの持参した昔のビデオに写っている少年時代のクリスと早くに亡くなった母、クリスの父の若いころ、そしてハリー自身もそこにいるあの「家」・・・初めハリーにこうした「記憶」はなかったのですが、クリスの話やビデオで「思い出した」というハリーにそれらが一挙に襲いかかっているようなもので、ちょっと普通では考えられない精神の苦痛に違いありません。)
夫クリス、サルトリウス、スナウト・・・皆人間なのに、自分だけは・・・
サルトリウスとスナウト、2人にとってハリーはあくまでも「(ソラリスの海により)出現したもの」であって人間ではない。「図書館」でのスナウトの誕生会で、ハリーは彼らのこう言った扱いについて激しく自分の気持ちを訴える。(この図書館も亡くなったギバリャンの部屋や地球シーンの「家の中」と同じく、コラージュ的に部屋の雰囲気を語るものが並べられています。限られた空間でのセリフのやりとりは室内劇のような緊張感があり、とてもSF的な話なのにそれを突き抜けるような人間の絡み合いがSFならではの話の道筋で語られていてすごくおもしろい。)
「夫クリスの自分への対し方は正しい!あなたたちは間違っている!」
彼ら2人は出現物を「お客」と呼び「物」扱い。「私は女としてそれを言いたい!」と憤るハリー。『禁断の惑星』を見ていて私も女なのでどうも引っ掛かりを感じたことにハリーも・・・と分かり嬉しいと言うか・・「そうだよね!」とハリーと声を揃えて言いたくなったのでしたが・・・サルトリウスは全く態度を改めるよしもなく、という展開の後、煮詰まってしまった誕生会はスナウトの泥酔(←大変おもしろい感動的ですらある怪演ぶり)へと続き・・・「図書館」の壁にずらりと並ぶブリューゲルの雪景色の絵をじっと見つめるハリー・・・そして「30秒間のステーションの無重力状態」の中でシャガールの絵の恋人たちのように宙に浮かぶ2人の美しいシーン。
・・が、急展開の(あるいはあの絵から続くものなのかもしれない・・)、それにしても恐ろしい液体酸素事件。これまでも破壊と復活を続けてきたハリー、詳細は省きますがいずれも怖い方には怖いかもしれない(が、美しさは損なわれず)。
ハリーもクリスも先の見えなさに疲れ切ってしまい崩壊してしまいそうなクリスは発熱中に、亡くなった母の「夢」を見る。これもまたとても美しいが、クリスがさらに崩壊し尽くしてしまいそうにも見えたこのシーンに、亡くなったギバリャンの部屋の「コラージュ」にあった「水差し」や、opのあのお弁当箱から芽が出ているカット・・・タルコフスキーのディテールはミステリアスで美しい。
結局・・ハリーは自分がいることであちこち動きが取れなくなっていると感じたのだと思う・・・
ラストは「スナウト案」の、クリスの脳波をソラリスの海に送り自分たちの「気持ち」を伝えるという方法が上手く行ったらしく(やっぱり本作は「気持ち」「想い」がポイントのSF人間ドラマ。このあたりまで来ると、巨大な頭脳であるところのソラリスの海がとても人間っぽく思えてきます)・・・ステーションにはもう何も「出現」してこなくなり、ソラリスの海の中には島も作られ始めたと穏やかな空気の中でスナウトはクリスに伝えます。
もうああいったことは起きないので、X線は使わずソラリスの存在は🉑となったのだと思う・・けれどここでクリスは考え込む。。「ソラリスと交信🉑である以上、それを放棄する権利が僕にあるのか?」と。
(これについて私は、クリスの脳波が特別にソラリスの海に対して「有効」だったのなら、自分の望むものをソラリスに「注文」🉑。「新しいハリー」はもちろんのこと、彼は神のようにもなり得ると思うのですが、スナウトは「君は帰ったほうがいい。」・・・ラストのあれは・・クリスはあの大きな白いリュックは持たず、氷ったあの大池のほとりに現れて、宇宙へ持って行ったはずのあの「お弁当箱」があの家の出窓にあるところを見ると・・・あれは、本当のあの地球上の家ではないと思えてなりません・・・)
いやはや参りました。こんな映画だったとは。
まずオープニングから凡百のハリウッドSFとは全く違います。文字が全てロシア文字。旧ソ連映画ですから当たり前ですが(笑)、英語の映画ばかりに触れている身にはそれだけでエキゾチックに感じられてしまいます。
そしてバックには荘厳なパイプオルガンの調べが流れ、映るのは小川のせせらぎに美しい田園風景と、大変抒情的。
その時点でこの映画ただものではないと感じましたが、物語が始まってからも大きく裏切られることはありませんでした。
ある地球外惑星の上空に浮かぶ宇宙ステーションで起きた不可解な事件の調査に行く話なのですが、宇宙のシーンも宇宙船のシーンもほとんどありません。
宇宙ステーション内を舞台に、極少ない登場人物で、ドンパチもアクションも無く、もちろん変なモンスターも現れず、淡々とシュールに物語が進行します。
テーマとしては、内容紹介にあるとおり『2001年宇宙の旅』的な要素もありますが、それに加えて、『ブレードランナー』シリーズや『エクス・マキナ』のような近年のアンドロイドものに見られる要素を先取りしているようにも私には思えました(本作にアンドロイドは登場しませんが)。
前半やや退屈でしたし、多少臭みがないわけではないですが、全体的にはなかなかに哲学的というか難解なものとなっています。
ドンパチ娯楽SFからはもちろん、「科学的に正しいか」なんて野暮な問いからも、1000億光年くらい離れた作品と言っていいでしょう。
本物です。
あとは以前出てた2枚組DVDと全く同じ。
字幕は他の方も書かれているようになかなかいい加減だし、チャプターがシーンと関係なく経過時間ごとに入れられてるのも気に入らないけどまあ許す。
字幕について、「11回目」「毒を飲んで」は全く同意見だが、「そうかもな」は(良い訳とは思わないけど)誤訳とは思わない。
ラストのソラリスの海に浮かぶクリスと彼の家のイメージは、あれはソラリスがクリスのコピーを作ったとか、海の中の故郷に彼を取り込んだとか、そんな単純なものではない。クリスが、自分もハリーと同じような存在なのではと考えた、そのイメージの映像表現なのだ。創造主が神であれ、ソラリスの海であれ、何が違うだろう。そういう、人間の存在の根源に迫るシーンだからこそこの映画のラストは衝撃的なのだと思う。
彼が地球に帰ったかどうかは全然問題ではないのだ。だから「そうかもな」は誤訳ではない。「そう思うか」の方がいいとは思うけど。
する映画がツボなのですが、本作もそういった見方も出来る内容で、とても
面白く見れました。
ソラリスが生んだ、自殺した主人公の妻・ハリーのコピー人間という悲劇的
な存在を、個人的にとても好きな、ナタリア・ボンダルチュクというどこか
哀しげな絶世の美女が演じるのですが、彼女が「可哀そう」なのと「可愛い」
のがクロスして悶絶しそうになりました。
ハリーが自殺未遂をした時に主人公が「君が現れた理由は知らないが、科学的
真実などより僕には君が一番大切なんだ」と言うシーンは感銘を受けます。
タルコフスキーは映像詩人などと呼ばれていますが、カメラは被写体を
映すことで撮影者の知性や詩情まで映し出す不思議なものだと改めて感じました。
確かに、ロングバージョンの地球からソラリスに赴くまでの前段は退屈かもしれませんが、未来都市のシーンが東京のど真ん中を走る高速道路上からみた風景になっていたり、思わず、ドキリとする場面があります。また、主人公に広島、長崎への原爆投下をもろに批判するセリフを喋らせるなど、タルコフスキーの日本贔屓が伝わってきたり、思わず感動したものです。でも、こんなことを喋らせて、当時のソビエト共産党が見逃してくれるかなあと、タルコフスキーの身の安全を心配したりしました。不幸にもこの予感は的中して、彼はソ連国内で活動できなくなって、亡命してしまいましたね。確か亡命先で客死したはずです。映画の本題もさることながら、私にはこの点が非常に残念です。
さてここから本題。ソラリスに着いてからは、ソラリスによって、創られた妻(恋人という方もおられますが、私は、妻というように理解しております。)の原像に怯える主人公の格闘劇が本当にすさまじくて、只々、圧倒されました。ソラリスの海は、人間のこころを読み取って、それを現実のものとして再現する能力があるんです。だから、主人公が、何回も妻を殺害するのですが、彼の脳裡から妻の思い出を消し去らない限り、何度でも甦るのです。ちょっと怪談じみて怖い設定ではあります。私が驚いたのは、確か、素っ裸に近いシーンもありましたよね。これ、よくソ連共産党の検閲でカットされなかったなあと妙に感心したのをいまだによく覚えています。
最後は、私も地球に帰ったのかなあと思っていたら、なんと主人公の故郷を再現して、妻と仲良く余生を過ごすということを暗示するような終わり方でしたね。
いやー、本当にこれは、あのソ連の映画なのかと度肝をぬかれるシーンの連続で、知的興奮を抑えきれない最高の出来栄えです。タルコフスキー、УРА(万歳)!です。
ここまで拝読いただきありがとうございました。