(少し内容に触れています)
MPに発砲し射殺された川島の父を絶賛する門松に対し、無駄死にだと吐き捨てる川島。
酒浸りの生活から脱け出てストリップ一座の台本書きに落ち着くかと思われた川島だが、ある日行先を告げずに旅に出てしまう。
残された門松は無聊を慰める為にコマサと共にエロ写真製作販売の手伝いをするが不良米軍人にとっつかまり、男同士の本番写真モデルを強要されるが…。
憑き物が落ちた川島が未だ真相が明らかにされていない軍隊時代の部下達の死に落とし前を付ける為に始めた遺族巡りの導入部を描いた6巻。
相変わらず昭和焼け跡史を巡ると同時に戦前の「少年倶楽部」から竹久夢二、バロン吉元、小島功各氏を連想させる漫画・挿絵の歴史も辿れるが如き名画が眼福です。
最初はむさ苦しく見えた門松が今ではとても可愛く見えます。
残念な事に次巻が最終巻だと告知が。
早く読みたい様な読みたくない様な複雑な気持ちになります。
性的な表現は多いですが喜劇調で下ネタがO.K.な大人の方でしたら大いにお薦めです。
エロ話以上に戦争や貧困の問題、そして人物の描写が見事です。
月刊コミックビーム 2016年9月号~2017年3月号掲載分を収録。
充電取材の為4-6月号は休載中、7月号(6月12日発売予定)から再開との事。

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あれよ星屑 6 (ビームコミックス) コミック – 2017/3/25
山田 参助
(著)
第48回日本漫画家協会賞【大賞】受賞 激賞を呼んだ焼け跡ブロマンス
是枝裕和(映画監督)激賞。「人間の脆さとたくましさが紙の上で踊り溢れ、こぼれ落ちる。一瞬たりとも目が離せない」
占領下東京。時代が激動する中、自らの罪に"落とし前"を付けた父親の死。遺された徳太郎は誰にも行き先を告げることなく、旅へ出るが……。焼け跡を生きる者たちの"贖罪"の物語。今、静かなるクライマックスへ。
是枝裕和(映画監督)激賞。「人間の脆さとたくましさが紙の上で踊り溢れ、こぼれ落ちる。一瞬たりとも目が離せない」
占領下東京。時代が激動する中、自らの罪に"落とし前"を付けた父親の死。遺された徳太郎は誰にも行き先を告げることなく、旅へ出るが……。焼け跡を生きる者たちの"贖罪"の物語。今、静かなるクライマックスへ。
- 本の長さ160ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2017/3/25
- 寸法12.8 x 1.4 x 18.2 cm
- ISBN-104047345369
- ISBN-13978-4047345362
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2017年4月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2018年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
「貧困」が大きな社会問題となり、実際、奨学金や年金、生活保護などにおいてさまざまな制度的矛盾が露呈してしまっている。
現在50代半ばの僕が物心ついた頃は、まだ日本は貧しかった。目に見えて貧しかった。わが家はそれほど貧しくはなかったが、身近に貧困家庭はふつうに見られ、小学校に数日間同じ服で通している子どもは珍しくなかった。もちろんしばしばイジメのネタにされた。しかし逆にいつもきれいなお洋服を着たいかにも金持ち面した子どもも同様にイジメの対象になった。子どもにとって「貧しさ」そのものはおそらく大した意味を持たなかったのだ。
先進国に追いつけ追い越せ的な途上国のムードが社会にむんむん漂っていたのを感じていた。テレビでやっているアメリカのテレビドラマを見るとこんな国と戦争をした当時の日本人が実に馬鹿野郎に思えた。広い庭がある家、最新の電化製品、大きな自家用車、軽妙で洗練された家族の会話……日本人もいつかこういう〝デラックス〟な暮らしができるようになるのだろうかと夢想した。
NTTではなく電電公社の時代、貧しい家は高額な「電話加入権」を払えず、隣近所の電話を借りる「呼び出し」家庭も少なくなかった。個人が携帯電話を持つ最近の貧困がピンと来ないのはそのせいもある。
一方、繁華街には傷痍軍人が募金(というか実質は物乞い)をする姿を見たし、あちらこちらで戦時中の体験談が盛り上がるなど戦後が続いていた。今から思えばそれが全共闘の敗北、大阪万博開催、三島由紀夫の自決あたりを契機にがらっとムードが変わっていったように思える。そのすぐ先にはドルショック、中国との国交回復、オイルショックなどが続いた。成田に新東京国際空港が開設され、A級戦犯が処刑された巣鴨プリズン跡に60階の高層ビルができ、日米貿易摩擦のぎくしゃくなどを経てバブル経済とその崩壊に至った。
個人的には日本の「戦後」はそこ=バブル崩壊で終わったと感じている。
「現在の貧困問題は、あの異常な状況であったバブル経済を基準にしているから無意味だ」という議論もあり、感覚的にはわからなくはないのだが、それは間違っているだろう。戦後とそれ以降では「貧困」の性質や定義がそもそも異なってきている。先ほど触れた「携帯やスマホを持つ貧困」がその一例である。ではその「貧困の性質や定義」の違いとはなんであろうか? 端的に言えば、持てる貧困と持たざる貧困ということであり、豊かな生活への渇望の絶対量ではないかと思う。東京をはじめとする大都市が火の海にされ、広島と長崎に原爆が投下されてようやく太平洋戦争が終わり、多くを失った日本人は失ったモノの大きさがそのまま成長のベクトルとなったような驚くべき復興を遂げた。その先に夢見たのはアメリカのドラマに出てくるような豊かな生活だろう。それは実現したのだろうか。したとも言えるし、していないとも言える。しかしバブル崩壊によってそのベクトルは失われてしまった。ふと気付くと豊かな生活への渇望は自然環境破壊、コミュニティ崩壊、さらに近年話題のブラック労働などを生み出し、豊かになったはずの日本人はどこか釈然としていない。
すべての始まりは戦争に負けたことにあるのだから、そこから見つめ直せばいいようにも思えるのだが、どうも不毛な憲法論議やイデオロギッシュな平和論に終始してラチがあかない。
このところ私が敗戦を考えるきっかけとしているのは”コミックビーム”にて連載中の『あれよ星屑』(山田参助)というマンガだ。現在、単行本が6巻まで出ている。物語はこんな感じで始まる。
度重なる空襲で、焼け野原となった敗戦直後の東京。誰もが生きるために精一杯のその町で、復員兵の川島徳太郎は、闇市で雑炊屋を営みながら、酒浸りの日々を送っていた。
ある日川島は、無銭飲食をして暴れていた、軍隊時代の部下である黒田門松に出会う。再会を喜ぶ門松であったが、以前とは様子が違う川島に、故郷に帰るよう冷たく突き放されてしまう。しかし、門松は元上司の命令に従うことなく、なんだかんだと川島の元に居着くことになる。
(単行本1巻あらすじ)
インテリで二枚目の川島と、おっちょこちょいで力自慢の三枚目である黒田の「男の友情」が物語の基本的な骨格となっている。ちなみに作者は『さぶ』でデビューしたゲイマンガの第一人者だ。私より若いにもかかわらず、焼け跡と闇市に生きる人々の体臭までもが感じられるような描写、人物造形のリアリティが半端ない。主要登場人物の何人かが、僕の夢の中に実在の人物として出てきたこともあるぐらいだ。絵なのに……。
ここに描かれた「貧困」はまさしく「貧困」としかいいようがない「貧困」。親を空襲で失った子どもたちは彼らなりのたくましさとビジョンで、病気と死、孤児狩りの危険と隣り合わせの環境で日々の糧を得ていく。貧困の中での争いもあれば、友情と連帯もある。もちろん子どもたちには夢もある。牧歌的で儚い夢が。
回想シーンでは、戦地の慰安所や戦時中の中国人捕虜のなぶり殺しなどもしっかり書き込まれており、軍隊内の描写も実に説得力にあふれている。あまりにもリアルなせいか、こうしたデリケートなシーンに対する右翼団体やネトウヨの抗議とかもまったくないそうだ。作者は小学生時代、図書館にあった古い報道写真を集めた毎日新聞社の『一億人の昭和史』が愛読書だったそうで、同じ頃に明治〜昭和前期の朝日新聞縮刷版が愛読書だった私は大いに共感を覚える。
作者はインタビューでこんな事を言っていた。
山田 50~60年代の日本映画が好きで。その頃に作られた戦争ものって、実際に戦地から帰った人たちが作っているわけですから、その人たちが体験的に見知っているものが映画に出てくるわけです。
あるいはこんなことも。
山田 はい。今まであまりマンガでは描かれてこなかったような地味な軍服のシルエットを描きたいですね。マンガ表現としての軍服を、2015年版としてアップデートして、形として残しておきたいんです。たとえば戦闘帽にはシルエットとしてのよさがあると思っているんですけど、それをマンガでちゃんと描きたい。で、次世代がまたアップデートしてくれたらいいな、と。
徹底したリアリティーの追求。着ている洋服やパンパンや闇市などの風俗、米兵、在日朝鮮人らが混在する街の描写が、作品にまるで見てきたようにさらりと書き込まれている。こうしたディティールへのこだわりが、人間模様渦巻くストーリーテリングと時代性を一層強固にしており、戦争という出来事が人間生活にもたらす災禍を真に迫って余すところなく書き尽くしている。戦争の悲惨さを読者に問いかけるマンガは数多くあれど、これほど戦争そのものの意味を読者に突きつけるマンガは珍しいのではないか。この二つはあまり区別されていないような気がするが、違いは大きいと思う。おそらく作者にイデオロギー的な反戦思想はまったくないだろう。それだけに戦争に向ける眼差しは無垢で、鋭いのだ。2017年を生きる私たちがどこから来て、どこへ行こうとしていたのか? ……作中の登場人物一人ひとりが読者に向かって「それを忘れてもらっちゃ困る!」と無言で語りかけているように思える。
現在50代半ばの僕が物心ついた頃は、まだ日本は貧しかった。目に見えて貧しかった。わが家はそれほど貧しくはなかったが、身近に貧困家庭はふつうに見られ、小学校に数日間同じ服で通している子どもは珍しくなかった。もちろんしばしばイジメのネタにされた。しかし逆にいつもきれいなお洋服を着たいかにも金持ち面した子どもも同様にイジメの対象になった。子どもにとって「貧しさ」そのものはおそらく大した意味を持たなかったのだ。
先進国に追いつけ追い越せ的な途上国のムードが社会にむんむん漂っていたのを感じていた。テレビでやっているアメリカのテレビドラマを見るとこんな国と戦争をした当時の日本人が実に馬鹿野郎に思えた。広い庭がある家、最新の電化製品、大きな自家用車、軽妙で洗練された家族の会話……日本人もいつかこういう〝デラックス〟な暮らしができるようになるのだろうかと夢想した。
NTTではなく電電公社の時代、貧しい家は高額な「電話加入権」を払えず、隣近所の電話を借りる「呼び出し」家庭も少なくなかった。個人が携帯電話を持つ最近の貧困がピンと来ないのはそのせいもある。
一方、繁華街には傷痍軍人が募金(というか実質は物乞い)をする姿を見たし、あちらこちらで戦時中の体験談が盛り上がるなど戦後が続いていた。今から思えばそれが全共闘の敗北、大阪万博開催、三島由紀夫の自決あたりを契機にがらっとムードが変わっていったように思える。そのすぐ先にはドルショック、中国との国交回復、オイルショックなどが続いた。成田に新東京国際空港が開設され、A級戦犯が処刑された巣鴨プリズン跡に60階の高層ビルができ、日米貿易摩擦のぎくしゃくなどを経てバブル経済とその崩壊に至った。
個人的には日本の「戦後」はそこ=バブル崩壊で終わったと感じている。
「現在の貧困問題は、あの異常な状況であったバブル経済を基準にしているから無意味だ」という議論もあり、感覚的にはわからなくはないのだが、それは間違っているだろう。戦後とそれ以降では「貧困」の性質や定義がそもそも異なってきている。先ほど触れた「携帯やスマホを持つ貧困」がその一例である。ではその「貧困の性質や定義」の違いとはなんであろうか? 端的に言えば、持てる貧困と持たざる貧困ということであり、豊かな生活への渇望の絶対量ではないかと思う。東京をはじめとする大都市が火の海にされ、広島と長崎に原爆が投下されてようやく太平洋戦争が終わり、多くを失った日本人は失ったモノの大きさがそのまま成長のベクトルとなったような驚くべき復興を遂げた。その先に夢見たのはアメリカのドラマに出てくるような豊かな生活だろう。それは実現したのだろうか。したとも言えるし、していないとも言える。しかしバブル崩壊によってそのベクトルは失われてしまった。ふと気付くと豊かな生活への渇望は自然環境破壊、コミュニティ崩壊、さらに近年話題のブラック労働などを生み出し、豊かになったはずの日本人はどこか釈然としていない。
すべての始まりは戦争に負けたことにあるのだから、そこから見つめ直せばいいようにも思えるのだが、どうも不毛な憲法論議やイデオロギッシュな平和論に終始してラチがあかない。
このところ私が敗戦を考えるきっかけとしているのは”コミックビーム”にて連載中の『あれよ星屑』(山田参助)というマンガだ。現在、単行本が6巻まで出ている。物語はこんな感じで始まる。
度重なる空襲で、焼け野原となった敗戦直後の東京。誰もが生きるために精一杯のその町で、復員兵の川島徳太郎は、闇市で雑炊屋を営みながら、酒浸りの日々を送っていた。
ある日川島は、無銭飲食をして暴れていた、軍隊時代の部下である黒田門松に出会う。再会を喜ぶ門松であったが、以前とは様子が違う川島に、故郷に帰るよう冷たく突き放されてしまう。しかし、門松は元上司の命令に従うことなく、なんだかんだと川島の元に居着くことになる。
(単行本1巻あらすじ)
インテリで二枚目の川島と、おっちょこちょいで力自慢の三枚目である黒田の「男の友情」が物語の基本的な骨格となっている。ちなみに作者は『さぶ』でデビューしたゲイマンガの第一人者だ。私より若いにもかかわらず、焼け跡と闇市に生きる人々の体臭までもが感じられるような描写、人物造形のリアリティが半端ない。主要登場人物の何人かが、僕の夢の中に実在の人物として出てきたこともあるぐらいだ。絵なのに……。
ここに描かれた「貧困」はまさしく「貧困」としかいいようがない「貧困」。親を空襲で失った子どもたちは彼らなりのたくましさとビジョンで、病気と死、孤児狩りの危険と隣り合わせの環境で日々の糧を得ていく。貧困の中での争いもあれば、友情と連帯もある。もちろん子どもたちには夢もある。牧歌的で儚い夢が。
回想シーンでは、戦地の慰安所や戦時中の中国人捕虜のなぶり殺しなどもしっかり書き込まれており、軍隊内の描写も実に説得力にあふれている。あまりにもリアルなせいか、こうしたデリケートなシーンに対する右翼団体やネトウヨの抗議とかもまったくないそうだ。作者は小学生時代、図書館にあった古い報道写真を集めた毎日新聞社の『一億人の昭和史』が愛読書だったそうで、同じ頃に明治〜昭和前期の朝日新聞縮刷版が愛読書だった私は大いに共感を覚える。
作者はインタビューでこんな事を言っていた。
山田 50~60年代の日本映画が好きで。その頃に作られた戦争ものって、実際に戦地から帰った人たちが作っているわけですから、その人たちが体験的に見知っているものが映画に出てくるわけです。
あるいはこんなことも。
山田 はい。今まであまりマンガでは描かれてこなかったような地味な軍服のシルエットを描きたいですね。マンガ表現としての軍服を、2015年版としてアップデートして、形として残しておきたいんです。たとえば戦闘帽にはシルエットとしてのよさがあると思っているんですけど、それをマンガでちゃんと描きたい。で、次世代がまたアップデートしてくれたらいいな、と。
徹底したリアリティーの追求。着ている洋服やパンパンや闇市などの風俗、米兵、在日朝鮮人らが混在する街の描写が、作品にまるで見てきたようにさらりと書き込まれている。こうしたディティールへのこだわりが、人間模様渦巻くストーリーテリングと時代性を一層強固にしており、戦争という出来事が人間生活にもたらす災禍を真に迫って余すところなく書き尽くしている。戦争の悲惨さを読者に問いかけるマンガは数多くあれど、これほど戦争そのものの意味を読者に突きつけるマンガは珍しいのではないか。この二つはあまり区別されていないような気がするが、違いは大きいと思う。おそらく作者にイデオロギー的な反戦思想はまったくないだろう。それだけに戦争に向ける眼差しは無垢で、鋭いのだ。2017年を生きる私たちがどこから来て、どこへ行こうとしていたのか? ……作中の登場人物一人ひとりが読者に向かって「それを忘れてもらっちゃ困る!」と無言で語りかけているように思える。
2017年4月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最終巻が待ち遠しくないっす
が 予約ぽちるっす
参助物をもっと刊行してちょ
が 予約ぽちるっす
参助物をもっと刊行してちょ
2017年6月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
あの時代を見てきたのか?と思うほど描写が秀逸。いろんな感情を揺さぶられる作品。絶対に実写化してほしくない!
2019年5月24日に日本でレビュー済み
ネタバレしてます!
かの時代にあっては選択の余地なき身の置き所であった家。家=父として上から常に圧力を受けてきた徳太郎だったが、終戦とともにその力関係が崩壊していた事に気付く。
相容れぬ感情を抱く軍国主義を体現する父の自壊する様を目の当たりにし、呪縛が去ったことを実感する。そうしてやっと徳太郎は「自らの責任」の取り方を実行に移すのだった。
徳太郎は語らない。彼を想うまわりの人々は哀しい思いで待つしかない。そんな徳太郎を追い詰めない門松のような肉体派の存在は慰めになるのかもしれない(だから側に居られるのだろう)。
しかし徳太郎なりの贖罪は当事者を必ずしも助ける事にはならず、みな苦い思いを噛みしめるのだった。
ここでも、徴兵によって大黒柱を喪い人生を狂わされた農家の嫁と、村中の侮蔑の対象となっていた境遇から徴兵によって抜け出た男の人生の対比が描かれ、一元的ではない人間の社会の有り様が描かれている。それゆえに私はこの作者を尊敬している。
スミちゃんがパンパンガールや、ストリップの踊り子さん達にむける憧れの眼差しがまぶしい。保護者に咎められ、反抗する彼女の気持ちは時代を越えて普遍的。
また当時の「ふしだらな」職業が庶民にとってどんな存在だったか想像を楽しんだ。彼女らは蔑まれつつも職業夫人であり、本書の中では誰かのために働く意義を持っていて、その表情は明るく迷いがない(カタギの身分である菊子や梅乃の方が暗い過去に鬱屈としている)。
また今回のエロティックエピソード、農村の嫁のくだりは、個人的に柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」を彷彿とした。あれは村をあげての暗黙の了解事であった。あと他人様の書評で知った宮本常一の「忘れられた日本人」にも農村の奔放な性事情が綴られていたとか。
機械の無かったむかしの農業は共同作業なしにはなし得なかった。供出できる労働力無くば、田畑は荒れ放題となる。多くを共有する村単位の生活は当たり前だったのだろう。
今回は特に最終話の村八分の男の話が響いた。
そこがどんな場所であっても、居場所があるという事は本人にとっての幸であること。美しく清潔で安全に保たれた場所がすべての人のよき居場所という訳ではない。自分という存在を拒絶しない場所、刹那的な安寧を得られるなら、それで充分な時もあるのだ。
かの時代にあっては選択の余地なき身の置き所であった家。家=父として上から常に圧力を受けてきた徳太郎だったが、終戦とともにその力関係が崩壊していた事に気付く。
相容れぬ感情を抱く軍国主義を体現する父の自壊する様を目の当たりにし、呪縛が去ったことを実感する。そうしてやっと徳太郎は「自らの責任」の取り方を実行に移すのだった。
徳太郎は語らない。彼を想うまわりの人々は哀しい思いで待つしかない。そんな徳太郎を追い詰めない門松のような肉体派の存在は慰めになるのかもしれない(だから側に居られるのだろう)。
しかし徳太郎なりの贖罪は当事者を必ずしも助ける事にはならず、みな苦い思いを噛みしめるのだった。
ここでも、徴兵によって大黒柱を喪い人生を狂わされた農家の嫁と、村中の侮蔑の対象となっていた境遇から徴兵によって抜け出た男の人生の対比が描かれ、一元的ではない人間の社会の有り様が描かれている。それゆえに私はこの作者を尊敬している。
スミちゃんがパンパンガールや、ストリップの踊り子さん達にむける憧れの眼差しがまぶしい。保護者に咎められ、反抗する彼女の気持ちは時代を越えて普遍的。
また当時の「ふしだらな」職業が庶民にとってどんな存在だったか想像を楽しんだ。彼女らは蔑まれつつも職業夫人であり、本書の中では誰かのために働く意義を持っていて、その表情は明るく迷いがない(カタギの身分である菊子や梅乃の方が暗い過去に鬱屈としている)。
また今回のエロティックエピソード、農村の嫁のくだりは、個人的に柏木ハルコの「花園メリーゴーランド」を彷彿とした。あれは村をあげての暗黙の了解事であった。あと他人様の書評で知った宮本常一の「忘れられた日本人」にも農村の奔放な性事情が綴られていたとか。
機械の無かったむかしの農業は共同作業なしにはなし得なかった。供出できる労働力無くば、田畑は荒れ放題となる。多くを共有する村単位の生活は当たり前だったのだろう。
今回は特に最終話の村八分の男の話が響いた。
そこがどんな場所であっても、居場所があるという事は本人にとっての幸であること。美しく清潔で安全に保たれた場所がすべての人のよき居場所という訳ではない。自分という存在を拒絶しない場所、刹那的な安寧を得られるなら、それで充分な時もあるのだ。
2020年8月24日に日本でレビュー済み
本屋を探しても手に入らなかった。
さすがアマゾン、すぐに入手。
さすがアマゾン、すぐに入手。
2017年6月19日に日本でレビュー済み
久々に名作の誕生に立ちあった!(といっても読んだだけどねw)
作者は何歳か知らないが、明らかに才能がずば抜けている。これじゃ、ピンポンの彼もイタメシの彼も引きこもってしまうだろうw 「もはや脱帽。奴の後ろで酔いどれて、俺は泣きながら波止場を彷徨うしかない」と寺田克也(マンガイラストレーター)が書いてるらしい。
パリのうち合わせを早々と切り上げて、さっき渋谷の漫画カフェで読んできた。簡単に感想はいえないが、70年代の鬼才、バロン吉元の『昭和柔侠伝』、80年代の畑中純「まんだらやの良太」の影響が色濃く出て、正しく継承し発展させている作風だと思う。焼け跡闇市時代の日本人たちを、70年後の日本人がこんなに生き生きと(当然戦争の延長としての戦後)描けたことに、日本民族の希望を感じる。
作者は何歳か知らないが、明らかに才能がずば抜けている。これじゃ、ピンポンの彼もイタメシの彼も引きこもってしまうだろうw 「もはや脱帽。奴の後ろで酔いどれて、俺は泣きながら波止場を彷徨うしかない」と寺田克也(マンガイラストレーター)が書いてるらしい。
パリのうち合わせを早々と切り上げて、さっき渋谷の漫画カフェで読んできた。簡単に感想はいえないが、70年代の鬼才、バロン吉元の『昭和柔侠伝』、80年代の畑中純「まんだらやの良太」の影響が色濃く出て、正しく継承し発展させている作風だと思う。焼け跡闇市時代の日本人たちを、70年後の日本人がこんなに生き生きと(当然戦争の延長としての戦後)描けたことに、日本民族の希望を感じる。
2017年12月24日に日本でレビュー済み
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ここまで読み進めて来ましたが、戦後焼け跡モノとしては、
どのエピソードもどこかで見たような「何番煎じ?」というものばかりで、
この作品自身の柱となるべきメインストーリーが薄弱だと思いました。
どのエピソードもどこかで見たような「何番煎じ?」というものばかりで、
この作品自身の柱となるべきメインストーリーが薄弱だと思いました。