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裸はいつから恥ずかしくなったか: 「裸体」の日本近代史 (ちくま文庫) 文庫 – 2016/5/10
中野 明
(著)
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幕末、訪日した外国人は混浴の公衆浴場に驚いた。日本人が裸に対して羞恥心や性的関心を持ったのはいつ頃なのか。「裸体」で読み解く日本近代史。
- 本の長さ280ページ
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日2016/5/10
- 寸法10.6 x 1.2 x 14.8 cm
- ISBN-104480433627
- ISBN-13978-4480433626
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著者について
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1962年5月17日滋賀県生。
ノンフィクション作家。同志社大学理工学部非常勤講師。
1996年に『日経MAC』誌上に短期連載した記事を『マック企画大全』(日経BP社)として出版後、当初は情報通信関係の書籍を中心に執筆。情報通信、経済経営、歴史民俗の三分野で執筆を続ける。著作に『裸はいつから恥ずかしくなったか』『世界漫遊家が歩いた明治ニッポン』(以上、ちくま文庫)、『ナナメ読み日本文化論』(朝日新聞出版)、『腕木通信』(朝日選書)、『IT全史』(祥伝社)、『東京大学第二工学部』『物語 財閥の歴史』『幻の五大美術館と明治の実業家たち』(以上、祥伝社新書)、『流出した日本美術の至宝』(筑摩選書)など多数。また近著に『日本美術の冒険者──チャールズ・ラング・フリーアの生涯』(日本経済新聞出版)がある。
公式ウェブサイト:http://www.pcatwork.com/
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2023年11月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
異性の裸体に欲情するのは、少なくとも日本では明治後の話というのは面白い。西洋の価値観が導入され、西洋への劣等感からそれに追従し、エロスの概念すら変わってしまったのだなぁ。しかし性欲という動物的な欲求すらこんなに簡単に変化するのだから、本当に人間は認知バイアスの塊なんだとよくわかる。
2016年8月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明治以後の日本人の裸体観の変化と、その要因を追究し、論じた本である。
言い換えると、カバー裏にあるように、「日本人の性的関心と羞恥心の変遷をたどる」本である。
言い換えると、「裸はいつから、なぜ恥ずかしくなったか」+「裸はいつから、なぜ取り締まられるようになったか」の疑問に答える本である。2010年刊行の単行本(新潮選書)の文庫化である。
概略(誤解ご容赦)
244頁に著者の論理がまとめられているので、これに従って書く。
●江戸時代の日本人の裸体や性器を隠す規範はかなり緩やかで、裸体は顔の延長で、日常品化されていた。少なくとも、行水や入浴で、裸体を隠す習慣はなかった(少なかった)
●しかし、幕末明治初頭に来日した外国人が、好奇心または性的関心から、公衆浴場や行水の裸体をじろじろ見たため(ホンネの眼差し)、これから逃れるべく、女性は裸体を隠すようになった。
●一方、外国人は、裸体の露出を野蛮、みだらな習慣と酷評した(タテマエの視線)ので、日本政府はこの非難に配慮し、裸体の露出を取り締まるようになり、裸体は恥ずかしいもの、取り締まるべきものとなった。
●裸体や下着は隠されることによって、女性の性的魅力は高まり、隠された裸体や下着を見たいという男性の性的欲望は高まった。(ハダカの鑑賞物化)
勝手に追加すると・・
●その結果、女性の裸体は、商品化(金をもらって見せるもの)または道具化(男を引き寄せるため、または、キャリアアップに使うもの)、貴重品化(初夜または勝負の時まで見せてはならないもの)し、今日に至っている。
私的感想
●本書はたいへんわかりやすく、読みやすく、面白い本である。さすがに、情報処理、経営関係のハウツー書、一般教養書をたくさん出している人だけある。分量も値段も手頃で、ササッと読めてしまう
●幕末、明治の文献も十分調べられていて、説得的である。
●ただ、「江戸時代の女性は、裸体を他人に見られるのを恥ずかしがらなかった」ことは、文献的にも、論理的にも、十分に立証されてはいないと思う。恥ずかしい恥ずかしくないは、習慣、場所、程度の問題であろう。江戸時代にも裸の商品化はあったし、混浴禁止令は何度も出ているし、モラル上も、混浴は厭われていたはずである。日本も一応は儒教社会である。
疑問
●裸は隠されることによって、日本人男性の性的欲望の対象になったとするが、では、隠される前の裸には、日本人の若い男性は、性的欲望を感じなかったのだろうか?
私的結論
たいへん面白かった。
言い換えると、カバー裏にあるように、「日本人の性的関心と羞恥心の変遷をたどる」本である。
言い換えると、「裸はいつから、なぜ恥ずかしくなったか」+「裸はいつから、なぜ取り締まられるようになったか」の疑問に答える本である。2010年刊行の単行本(新潮選書)の文庫化である。
概略(誤解ご容赦)
244頁に著者の論理がまとめられているので、これに従って書く。
●江戸時代の日本人の裸体や性器を隠す規範はかなり緩やかで、裸体は顔の延長で、日常品化されていた。少なくとも、行水や入浴で、裸体を隠す習慣はなかった(少なかった)
●しかし、幕末明治初頭に来日した外国人が、好奇心または性的関心から、公衆浴場や行水の裸体をじろじろ見たため(ホンネの眼差し)、これから逃れるべく、女性は裸体を隠すようになった。
●一方、外国人は、裸体の露出を野蛮、みだらな習慣と酷評した(タテマエの視線)ので、日本政府はこの非難に配慮し、裸体の露出を取り締まるようになり、裸体は恥ずかしいもの、取り締まるべきものとなった。
●裸体や下着は隠されることによって、女性の性的魅力は高まり、隠された裸体や下着を見たいという男性の性的欲望は高まった。(ハダカの鑑賞物化)
勝手に追加すると・・
●その結果、女性の裸体は、商品化(金をもらって見せるもの)または道具化(男を引き寄せるため、または、キャリアアップに使うもの)、貴重品化(初夜または勝負の時まで見せてはならないもの)し、今日に至っている。
私的感想
●本書はたいへんわかりやすく、読みやすく、面白い本である。さすがに、情報処理、経営関係のハウツー書、一般教養書をたくさん出している人だけある。分量も値段も手頃で、ササッと読めてしまう
●幕末、明治の文献も十分調べられていて、説得的である。
●ただ、「江戸時代の女性は、裸体を他人に見られるのを恥ずかしがらなかった」ことは、文献的にも、論理的にも、十分に立証されてはいないと思う。恥ずかしい恥ずかしくないは、習慣、場所、程度の問題であろう。江戸時代にも裸の商品化はあったし、混浴禁止令は何度も出ているし、モラル上も、混浴は厭われていたはずである。日本も一応は儒教社会である。
疑問
●裸は隠されることによって、日本人男性の性的欲望の対象になったとするが、では、隠される前の裸には、日本人の若い男性は、性的欲望を感じなかったのだろうか?
私的結論
たいへん面白かった。
2022年6月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
先日、洛中洛外図(舟木本)を眺めていると、端っこの方に裸で行水する女性を見付けた。
なぜ描いた?いや、なぜ描けた?覗いたことあるのか?
等とその時不思議に思ったものでしたが、本書を読んでその謎が解けました。
なぜ描いた?いや、なぜ描けた?覗いたことあるのか?
等とその時不思議に思ったものでしたが、本書を読んでその謎が解けました。
2019年10月22日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
興味深い視点での展開で、楽しく読めました。引用している絵はカラーで載せてほしかった。
2021年2月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
輸入した作法を守る制度を厳格化して、輸入先より進んでいると錯覚するサルマネ大国日本は何処へ行くのやら、、、
2020年5月6日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
開国から現代までの日本人の風俗が如何に変遷してきたかがよくわかりました。また、上陸してきた外国人のそれに対する意識も最初は複雑でしたが、しまいには興味深々になっていくのが面白かったです。
2017年2月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
思わず日本の歴史も復習できましたし、全く知らなかったことも多くて本当に良い本でした。挿入図画も興味をそそられて一気に読みました。
2017年5月23日に日本でレビュー済み
「秘湯」に浸かるのが趣味です。昔ながらの、いろいろ気にしない、ほったらかしな感じのところが好みです。
「昔ながらの」と書きましたが、実際の「昔ながら」とはどのようだったのか。ほとんど存じ上げない事に思い至り、本書のタイトルに惹かれ、購入しました。
本書は、幕末に描かれた下田の公衆浴場図=ペリー艦隊日本遠征記の挿絵に接した著者が、強い違和感、現実味の無さにショックを受け、当時の日本の風俗を丹念に調べるところからスタートした、日本の文化史です。
異文化の理解の仕方としてお手本のように読めたノンフィクション作品でした。
実際に温泉に行って「昔は……」と語る人の話をたびたび聴いていたのですが、彼らが語るのは、単に建物の様式や、ルールだけだった事がわかりました。
当時の人が、一緒に温泉に浸かる人の裸をどのように感じていたのか。現代の温泉好きの人とは異なる感覚を持っていたことは、本書を読んで初めて知ったように思います。(温泉に慣れると、周囲の人の裸も、自分の裸も徐々に気にしなくなるので、若干昔の感覚に近づいているのかも、とも思いました。)
異文化の理解の仕方としてお手本になったのは、自分の価値観で、どちらかの文化を「良い/悪い」や「優れている/劣っている」など評価してしまうことが、当時の感覚を理解する妨げになる、と気がついたからです。
本書では、幕末以前の日本の裸の文化を、それが「良い」とも「悪い」とも言わず、また、どちらが「優れている」とも「劣っている」とも言わず、純粋に文化の有り様を丹念に調べ、解説しています。
また、周辺の事情(例えば、1932年の白木屋大火ズロース事件前後の女性の下着感など)も網羅しているのが理解の手助けとなりました。
さらに、僕にとっての大発見は、異性の裸体を見て性的な感情が芽生えるのは、先天的な人間の特性ではなく、後天的な特性だ、と気がついた点です。
考えてみれば、僕は大相撲の取り組みを見ても、力士らの裸体について「セクシーだ。」とも「不謹慎だ」とも思いません。一方、僕が中学生の時に、オーストラリアからの留学生女性(塾の英語教師)が、大相撲の取り組みを写した写真を指さして「見えそうですね。」とうれしそうに語っていたのが思い出しました。
確かに、力士は裸なのでした。我々日本人は気にならない裸ですが、彼女らにとっては見なれいセクシーな裸なのでした。これが本書で取り上げているカルチャーギャップというものなのだ、と理解しました。
では当時の日本人にとって他人の裸とはなんだったのか。
本書で著者が推測した答えに目を覚まされたように思います。
「顔」です。
現代人も顔は隠すこと無く、公衆の中にさらして街を歩きます。でも、街行く他人の顔を注視することはせずに、極力避けるように訓練されていると思います。(幼い子供は、他人の顔をよく見て、笑ったり、泣いたりのレスポンスをしますが、中学生のころに、他人の顔を注視したことで(ガンを飛ばしたと因縁を付けられ)トラブルを経験した後は「見てはイケナイ」と悟り、極力注視しないように訓練した事も思い出しました。
往時の裸=公衆浴場や住宅地の庭先での行水なども、同じように、見ても見ないふりをする文化だったのでは、と本書での推測を秀逸に感じました。
異文化を理解するには、評価をするのではなく、相手の育った環境や、社会的な背景などに思いを寄せることが大切なのだ、とお勉強になりました。
「昔ながらの」と書きましたが、実際の「昔ながら」とはどのようだったのか。ほとんど存じ上げない事に思い至り、本書のタイトルに惹かれ、購入しました。
本書は、幕末に描かれた下田の公衆浴場図=ペリー艦隊日本遠征記の挿絵に接した著者が、強い違和感、現実味の無さにショックを受け、当時の日本の風俗を丹念に調べるところからスタートした、日本の文化史です。
異文化の理解の仕方としてお手本のように読めたノンフィクション作品でした。
実際に温泉に行って「昔は……」と語る人の話をたびたび聴いていたのですが、彼らが語るのは、単に建物の様式や、ルールだけだった事がわかりました。
当時の人が、一緒に温泉に浸かる人の裸をどのように感じていたのか。現代の温泉好きの人とは異なる感覚を持っていたことは、本書を読んで初めて知ったように思います。(温泉に慣れると、周囲の人の裸も、自分の裸も徐々に気にしなくなるので、若干昔の感覚に近づいているのかも、とも思いました。)
異文化の理解の仕方としてお手本になったのは、自分の価値観で、どちらかの文化を「良い/悪い」や「優れている/劣っている」など評価してしまうことが、当時の感覚を理解する妨げになる、と気がついたからです。
本書では、幕末以前の日本の裸の文化を、それが「良い」とも「悪い」とも言わず、また、どちらが「優れている」とも「劣っている」とも言わず、純粋に文化の有り様を丹念に調べ、解説しています。
また、周辺の事情(例えば、1932年の白木屋大火ズロース事件前後の女性の下着感など)も網羅しているのが理解の手助けとなりました。
さらに、僕にとっての大発見は、異性の裸体を見て性的な感情が芽生えるのは、先天的な人間の特性ではなく、後天的な特性だ、と気がついた点です。
考えてみれば、僕は大相撲の取り組みを見ても、力士らの裸体について「セクシーだ。」とも「不謹慎だ」とも思いません。一方、僕が中学生の時に、オーストラリアからの留学生女性(塾の英語教師)が、大相撲の取り組みを写した写真を指さして「見えそうですね。」とうれしそうに語っていたのが思い出しました。
確かに、力士は裸なのでした。我々日本人は気にならない裸ですが、彼女らにとっては見なれいセクシーな裸なのでした。これが本書で取り上げているカルチャーギャップというものなのだ、と理解しました。
では当時の日本人にとって他人の裸とはなんだったのか。
本書で著者が推測した答えに目を覚まされたように思います。
「顔」です。
現代人も顔は隠すこと無く、公衆の中にさらして街を歩きます。でも、街行く他人の顔を注視することはせずに、極力避けるように訓練されていると思います。(幼い子供は、他人の顔をよく見て、笑ったり、泣いたりのレスポンスをしますが、中学生のころに、他人の顔を注視したことで(ガンを飛ばしたと因縁を付けられ)トラブルを経験した後は「見てはイケナイ」と悟り、極力注視しないように訓練した事も思い出しました。
往時の裸=公衆浴場や住宅地の庭先での行水なども、同じように、見ても見ないふりをする文化だったのでは、と本書での推測を秀逸に感じました。
異文化を理解するには、評価をするのではなく、相手の育った環境や、社会的な背景などに思いを寄せることが大切なのだ、とお勉強になりました。