戦争はダメ
異論はありません。でも、他国が仕掛けてきたら応戦せざるを得ませんよね?
そして始めるのは簡単でも終わらせることはとても難しい。
ましてや、負け戦の中で終わらせるには。
日本は先の大戦で大負けしました。こてんぱんに負けて大和政権樹立から
千何年目にして初めて他国の支配下となる屈辱も受けました。
反省しましょう、でも「戦争はダメ、しない」じゃ、支配欲征服欲に駆られてる
大陸の国から草刈り場にされます。
過去に学びましょう。先の大戦のどこがダメでどこがマシだったのか。
過去に学ばなければ日本国の未来はありません。
GHQがその過去の失敗した反省会をやらせなかったのはかの国からしたら当然でしょう。
まともな国になるからです。再び米国の脅威という存在になるからです。
ですが、米国のみならず近隣諸国に日本という国は油断できない、と思わせることが
戦争回避への一歩です。軍備拡張も大事です。それ以上に大事なのは
過去の失敗を踏まえて二度と大敗をしない国になるように過去を学ぶ事だと
痛感しました。
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戦争調査会 幻の政府文書を読み解く (講談社現代新書) Kindle版
敗戦直後、戦争への道を自らの手で検証しようとした国家プロジェクトの全貌。1945年11月、幣原喜重郎内閣が立ち上げた戦争調査会。多数の戦犯逮捕、公文書焼却など困難をきわめるなかおこなわれた40回超の会議、インタビュー、そして資料収集。日本人自らの手で開戦、敗戦の原因を明らかにしようとしたものの、GHQによって1年弱で廃止された未完のプロジェクトが明かす「昭和の戦争」の実像。
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2017/11/14
- ファイルサイズ13166 KB
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商品の説明
著者について
井上 寿一
一九五六年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程、学習院大学法学部教授などを経て、現在、学習院大学学長。法学博士。専攻は日本政治外交史。内閣府公文書管理委員会委員、特定歴史公文書等不服審査分科会委員。主な著書に、『危機のなかの協調外交』(山川出版社、吉田茂賞)、『日中戦争下の日本』『戦前昭和の国家構想』『終戦後史 1945-1955』(いずれも講談社選書メチエ)、『吉田茂と昭和史』『戦前昭和の社会 1926-1945』『第一次世界大戦と日本』『昭和の戦争』(いずれも講談社現代新書)、『戦前日本の「グローバリズム」』(新潮選書)、『昭和史の逆説』(新潮新書)、『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)、『政友会と民政党』(中公新書)、『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)などがある。
一九五六年、東京都生まれ。一橋大学社会学部卒業。同大学院法学研究科博士課程、学習院大学法学部教授などを経て、現在、学習院大学学長。法学博士。専攻は日本政治外交史。内閣府公文書管理委員会委員、特定歴史公文書等不服審査分科会委員。主な著書に、『危機のなかの協調外交』(山川出版社、吉田茂賞)、『日中戦争下の日本』『戦前昭和の国家構想』『終戦後史 1945-1955』(いずれも講談社選書メチエ)、『吉田茂と昭和史』『戦前昭和の社会 1926-1945』『第一次世界大戦と日本』『昭和の戦争』(いずれも講談社現代新書)、『戦前日本の「グローバリズム」』(新潮選書)、『昭和史の逆説』(新潮新書)、『山県有朋と明治国家』(NHKブックス)、『政友会と民政党』(中公新書)、『理想だらけの戦時下日本』(ちくま新書)などがある。
登録情報
- ASIN : B077D22GFX
- 出版社 : 講談社 (2017/11/14)
- 発売日 : 2017/11/14
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 13166 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 251ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 64,655位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 350位講談社現代新書
- - 395位日本史 (Kindleストア)
- - 737位日本史一般の本
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2020年9月12日に日本でレビュー済み
レポート
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2018年11月15日に日本でレビュー済み
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今やあまり話題にならない幣原内閣の行動を詳細に記述している。今こそ、第二次世界大戦の直後の反省を嚙みしめるときだと考えます。
2023年8月2日に日本でレビュー済み
なぜ今頃になって、これほど重要な資料が出て来たのか。今まで誰も知らなかったことは信じられない。意図的に隠されて来たのか。そうではないのか。そうではないとしたら如何なる理由なのか。戦後日本の原点とも言うべき、日本政府としての自らの大東亜戦争の検証。著者には、まるでこの問題意識が感ぜられない。歴史研究者なら、そこの究明から始められるべき。
「東京裁判」における歴史検証の時期と並行して行われたもので、これほど重要なものはない。
「東京裁判」における歴史検証の時期と並行して行われたもので、これほど重要なものはない。
2019年7月11日に日本でレビュー済み
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日本人なら誰しも、大東亜戦争の敗因について考えてみた事があろう。終戦直後ならば尚更の事である。戦後最初の幣原内閣は、総括プロジェクト『戦争調査会』を立ち上げた。後に GHQ の横槍が入り、プロジェクトは頓挫したものの、種々の記録が全 15 巻の大著となり、国会図書館によって 2016 年に刊行される。本書は、それを研究した歴史学者による渾身の筆である。
戦争の敗因について私自身は、加藤陽子先生や半藤一利先生など幾らか本を読んできたものの、その対象の大きさに、まるで雲を掴むような気持ちであった。ところが本書を読み終えて漸く、これまで学んできた知識の断片が繋がったような思いがする。
大東亜戦争の本質は、諸外国との戦争ではなく、大日本帝国における文官と武官との内戦であった。軍人達は、統帥権干犯を盾にシビリアンコントロールを無視。国内では 515 事件や 226 事件などのテロ行為を繰り返し、国外では満州事変や支那事変などで暴走を繰り返す。やがて軍部大臣現役武官制が復活した結果、軍部は完全に政府を掌握。ここに大日本帝国は軍事政権となる。
問題は、軍部に統治能力が無かった事であろう。古今東西、統治能力の無い人々が政権を奪取した挙句、国が大いに荒廃した事例は枚挙に暇が無い。末期の大日本帝国末期も、その一例であろう。
往生際も悪く保身を図り、徒らに終戦を長引かせて、不必要に多くの人命を奪った。
大東亜戦争の際は軍人であったが、現代ならば政治家でも官僚でも経営者でも構わない。喧嘩だけは強い無能が権力を握ると、どれだけ悲惨な事になるか。歴史は語る。
戦争の敗因について私自身は、加藤陽子先生や半藤一利先生など幾らか本を読んできたものの、その対象の大きさに、まるで雲を掴むような気持ちであった。ところが本書を読み終えて漸く、これまで学んできた知識の断片が繋がったような思いがする。
大東亜戦争の本質は、諸外国との戦争ではなく、大日本帝国における文官と武官との内戦であった。軍人達は、統帥権干犯を盾にシビリアンコントロールを無視。国内では 515 事件や 226 事件などのテロ行為を繰り返し、国外では満州事変や支那事変などで暴走を繰り返す。やがて軍部大臣現役武官制が復活した結果、軍部は完全に政府を掌握。ここに大日本帝国は軍事政権となる。
問題は、軍部に統治能力が無かった事であろう。古今東西、統治能力の無い人々が政権を奪取した挙句、国が大いに荒廃した事例は枚挙に暇が無い。末期の大日本帝国末期も、その一例であろう。
往生際も悪く保身を図り、徒らに終戦を長引かせて、不必要に多くの人命を奪った。
大東亜戦争の際は軍人であったが、現代ならば政治家でも官僚でも経営者でも構わない。喧嘩だけは強い無能が権力を握ると、どれだけ悲惨な事になるか。歴史は語る。
2018年8月11日に日本でレビュー済み
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文章の拙さが惜しいと言うか、もったいない。戦争調査会についてもっと深堀りした本(文章もブラッシュアップされた本)が読みたいなぁ。
2017年12月2日に日本でレビュー済み
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敗戦後に幣原首相により結成された戦争調査会は、GHQによる圧力により途中で解散せざるを得なくなった。そして、その時に集められた関係者への事情聴取と資料は、『戦争調査会事務局書類』として2016年に公刊されるまで、公文書館などの書庫で眠り続けていた。今回、これらの資料をすべて読んだ著者により、戦争調査会の後を続くような形でこれらの資料が読み解かれていく。いつ敗戦を回避できたのか、あるいは日米開戦を避けられたのか、戦争責任は「戦争を挑発し、起し、拡大遷延せしめた責任」のみでなく「戦争を傍観し敗戦を履く者した者の責任」も求められるべきなのか、当時の議論を基にともに考えていく内容となっています。
以下、目次。
第一部 戦争調査会とその時代
Ⅰ章 戦争調査会の始動
Ⅱ章 戦争調査会は何を調査するのか?
Ⅲ章 戦争回避の可能性を求めて
Ⅳ章 未完の国家プロジェクト
第二部 なぜ道を誤ったのか?
Ⅴ章 戦争の起源
Ⅵ章 戦争と平和のあいだ
Ⅶ章 日中戦争から日米開戦へ
Ⅷ章 戦争の現実
以下、目次。
第一部 戦争調査会とその時代
Ⅰ章 戦争調査会の始動
Ⅱ章 戦争調査会は何を調査するのか?
Ⅲ章 戦争回避の可能性を求めて
Ⅳ章 未完の国家プロジェクト
第二部 なぜ道を誤ったのか?
Ⅴ章 戦争の起源
Ⅵ章 戦争と平和のあいだ
Ⅶ章 日中戦争から日米開戦へ
Ⅷ章 戦争の現実
2018年5月3日に日本でレビュー済み
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全体的に軽い記述の本で、大変読みやすいのですが、調査会からの直接引用が少なく、井上氏の意見との明確な分離がされていないので、ちょっと読むのに違和感を覚えるところもありました。
幣原首相と青木長官のコンビで、戦争の原因究明を図る執念は良く感じられました。ただメンバーに軍人を入れたことから、ソビエト・英国など対日委員会から攻撃され、GHQのマッカーサーの理解もえられず、早々に廃止へ。未完の資料の山が残りました。
第1部はこの戦争調査会の設立と廃止の経緯です。こちらは興味深く読めました。
第2部は残された調査会資料から戦争の原因の究明を図ってみる、試みですが、全体に表面的。調査会資料からの引用が少なく、この部分は井上氏の意見ではないのか、と疑問をところどころ持ちながら読むことになりました。
ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、海軍の加藤軍令部長が犬養氏の政友会を通じて浜口内閣を、「統帥権干犯」として攻撃させる。(結果的にこの思想を受けた個人テロリストが浜口首相を狙撃する。)
統帥権干犯は北一輝の造語、としていますが、出典が欲しかった。北一輝が国家総動員思想で陸軍の永田鉄山に多大の影響を与え、永田ら「合法派」を超えた「非合法派」によるテロ横行を許す。このあたりがちょっと記述が軽く表面的。
後は、仏印への進駐で、全く米国の反応を想定せずに米国の虎の尾を踏んで(資産凍結⇒対日輸出禁止)後戻りできなくなってしまう日本。対米戦争の覚悟も準備もなく、ダラダラと陸軍や海軍の既存特権(予算・人員・また中国戦線維持も含め)のために対米交渉の進捗ができない。近衛首相も再三のチャンスをものにする指導力欠如(有名ですが)、というもう我々が知っている1941年に入っていきます。
「戦争の現実」の部分は、あまり得る部分はありませんでした。
幣原首相と青木長官のコンビで、戦争の原因究明を図る執念は良く感じられました。ただメンバーに軍人を入れたことから、ソビエト・英国など対日委員会から攻撃され、GHQのマッカーサーの理解もえられず、早々に廃止へ。未完の資料の山が残りました。
第1部はこの戦争調査会の設立と廃止の経緯です。こちらは興味深く読めました。
第2部は残された調査会資料から戦争の原因の究明を図ってみる、試みですが、全体に表面的。調査会資料からの引用が少なく、この部分は井上氏の意見ではないのか、と疑問をところどころ持ちながら読むことになりました。
ロンドン海軍軍縮条約をめぐり、海軍の加藤軍令部長が犬養氏の政友会を通じて浜口内閣を、「統帥権干犯」として攻撃させる。(結果的にこの思想を受けた個人テロリストが浜口首相を狙撃する。)
統帥権干犯は北一輝の造語、としていますが、出典が欲しかった。北一輝が国家総動員思想で陸軍の永田鉄山に多大の影響を与え、永田ら「合法派」を超えた「非合法派」によるテロ横行を許す。このあたりがちょっと記述が軽く表面的。
後は、仏印への進駐で、全く米国の反応を想定せずに米国の虎の尾を踏んで(資産凍結⇒対日輸出禁止)後戻りできなくなってしまう日本。対米戦争の覚悟も準備もなく、ダラダラと陸軍や海軍の既存特権(予算・人員・また中国戦線維持も含め)のために対米交渉の進捗ができない。近衛首相も再三のチャンスをものにする指導力欠如(有名ですが)、というもう我々が知っている1941年に入っていきます。
「戦争の現実」の部分は、あまり得る部分はありませんでした。
2018年6月26日に日本でレビュー済み
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終戦後の占領統治下で、東京裁判と並行して政府の下でこのような調査会が行われていたこと自体はあまり知られておらず、戦争拡大に反対した政財界の有力者が戦争直後にどのような発言をしていたのかを知るのは興味深いことである。
しかし、個々の有力者の発言は各自の意見の域を出るものではなく、歴史の検証としては昭和前期の詳細な歴史資料で客観的な研究がすでに多数存在している。
そして、戦争調査会が途中で廃止された経緯が、委員に軍の幹部が複数入っていることに対し対日理事会のソ連や英国らから批判がなされたことにある以上、調査会の存在自体がいかにも中途半端なものだったという感を免れない。著者はその点に問題意識を持っていないようだが、戦争調査会の最も厳しい調査対象とされるべき軍の幹部が調査する側の委員になっている点は、その公平性と第三者性を疑われて当然のことである。
そのことは、調査会の議論の紹介で、戦争原因の起源を第一次大戦後に求め、大正デモクラシーの軍批判が軍の反発を招いたとか、大戦後の海軍軍縮で国際協調のために戦艦保有の微々たる削減をすべきでなかったかのような軍に配慮した議論を無批判に紹介している点にもあらわれている。しかし、問題は軍がなぜこれだけ発言力を持ち、世論や政治のコントロールがきかずに暴走していったのかにあるので、大正デモクラシーや軍縮の努力を批判するのは全く倒錯している。軍の暴走の起源こそこの著者が論点からはずそうとしている明治国家の体制であり、日清日露戦争後の朝鮮と満州の植民地化であろう。
著書は戦争調査会が廃止された後の部分で戦争回避の可能性について考察しているが、これも皮相であるといわざるをえない。
確かに、満州事変から日中開戦、日米開戦に至る個々の局面では戦争拡大を回避する方策があり得たし、実際にそのような努力もなされていた(そのこと自体は歴史研究ですでに示されている)。しかし、問題はなぜ政治家の戦争回避の努力がことごとく失敗し、展望のない日中開戦や日米開戦の泥沼にはまり込み、ミッドウェー海戦以後は敗戦確実な状況となったのに終戦の決断ができずにずるずると悲惨な玉砕や特攻戦を続け、ついには沖縄地上戦や原爆の悲劇に至ったのかということだろう。
それはやはり軍の暴走を止められない国家体制をつくってしまった明治国家以来の問題にあるわけであり、その点を掘り下げずに個々の局面の戦争回避の可能性だけをあげてみてもむなしい議論である。
しかし、個々の有力者の発言は各自の意見の域を出るものではなく、歴史の検証としては昭和前期の詳細な歴史資料で客観的な研究がすでに多数存在している。
そして、戦争調査会が途中で廃止された経緯が、委員に軍の幹部が複数入っていることに対し対日理事会のソ連や英国らから批判がなされたことにある以上、調査会の存在自体がいかにも中途半端なものだったという感を免れない。著者はその点に問題意識を持っていないようだが、戦争調査会の最も厳しい調査対象とされるべき軍の幹部が調査する側の委員になっている点は、その公平性と第三者性を疑われて当然のことである。
そのことは、調査会の議論の紹介で、戦争原因の起源を第一次大戦後に求め、大正デモクラシーの軍批判が軍の反発を招いたとか、大戦後の海軍軍縮で国際協調のために戦艦保有の微々たる削減をすべきでなかったかのような軍に配慮した議論を無批判に紹介している点にもあらわれている。しかし、問題は軍がなぜこれだけ発言力を持ち、世論や政治のコントロールがきかずに暴走していったのかにあるので、大正デモクラシーや軍縮の努力を批判するのは全く倒錯している。軍の暴走の起源こそこの著者が論点からはずそうとしている明治国家の体制であり、日清日露戦争後の朝鮮と満州の植民地化であろう。
著書は戦争調査会が廃止された後の部分で戦争回避の可能性について考察しているが、これも皮相であるといわざるをえない。
確かに、満州事変から日中開戦、日米開戦に至る個々の局面では戦争拡大を回避する方策があり得たし、実際にそのような努力もなされていた(そのこと自体は歴史研究ですでに示されている)。しかし、問題はなぜ政治家の戦争回避の努力がことごとく失敗し、展望のない日中開戦や日米開戦の泥沼にはまり込み、ミッドウェー海戦以後は敗戦確実な状況となったのに終戦の決断ができずにずるずると悲惨な玉砕や特攻戦を続け、ついには沖縄地上戦や原爆の悲劇に至ったのかということだろう。
それはやはり軍の暴走を止められない国家体制をつくってしまった明治国家以来の問題にあるわけであり、その点を掘り下げずに個々の局面の戦争回避の可能性だけをあげてみてもむなしい議論である。