リチャード・パワーズさん。この名前に引き付けられ、『舞踏会に向かう三人の農夫』以来、翻訳作品はすべて読んできた。まだ、購入して未読なのが前回の作品、『幸福の遺伝子』が手元にある。
結論から書くと、ストーリーテリングの力がとても落ちている。あまり嫌味な事は書きたくないのだが、本書を読んでいる途中、何度うたた寝をしたことか・・・。
この小説の美点と裏返しの弱点はクラシック音楽理論と理系の学識に占められている事だ。僕はべたべたの文系なので遺伝学なのか細胞学なのか生物学なのかはわからないが、音楽理論と理系学術知識に占められた描写がずーっと続く。あえて抜粋する気はないが、本書の地の文の大部分を、他の読者のみなさんは理解できているのだろうか・・・?---日本以外何処で翻訳されているのか知りません---僕にはそれが不思議でならない。決してテーマが難解なのではない。だが、音楽理論と科学理論の二つが原理的に通底しているのかどうか、素人の僕にはさっぱり理解できなかった。そしてテーマも大風呂敷を広げ過ぎ、どうも作品全体がも散漫な印象が否めない。それとともに台詞にかっこをつけず太字で連続して書きながら現在完了形と過去完了形が混在する文体は、音楽を聴くように読ませたいのかもしれないが、その試みが成功しているとも思えない。
だが、美点はある。最後に締めくくる怒涛の様なモノローグの部分だけは著者のソウルが現れ熱くおもしろかった。それだけを評価して星三つなのだ。
僕はエルズの愛犬『オルフェオ』が音楽を感受する事にテーマとモチーフを絞り作品化した方がぐっとおもしろく、完成度も高い小説になったと思う。以前、あるレビュアーの方が『われらが歌う時』を評して「エンタテイメント化というパワーダウン」と記していたが、やはりそういう事なのか・・・?個人的には『われらが歌う時』までの著者の作品は完成度も高く、抜群におもしろかった。特に『ガラテイア2.2』は大好きな作品だ。僕としては再度の復活を夢見たい。そんな気持ちだ。
■蛇足:著者は最近多作で年に一本位長編を書いている。純文学作家は大天才でもない限り、毎年というのはかなりシビアな創作スケジュールだと思う。全米図書賞を受賞した『エコーメイカー』から露呈してきたパワーダウンはそのあたりにも原因があるのではないか・・・?■再度蛇足:全米図書賞というものはどのアメリカ人純文学作家にとって名誉な事なのかもしれないが、---そのあたりの実態は知りません---著者に限らず受賞作品のレベルはまったくアテにならないと個人的には思います。
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オルフェオ 単行本 – 2015/7/31
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耳に聞こえないメロディーは、聞こえるメロディーよりさらに甘美だ。微生物の営みを音楽にしようと試みる現代芸術家のもとに、捜査官がやってくる。容疑はバイオテロ? 逃避行の途上、かつての家族や盟友と再会した彼の中に、今こそ発表すべき新しい作品の形が姿を現す――。マーラーからメシアンを経てライヒに至る音楽の歩みと、一人の芸術家の半生の物語が響き合う、危険で美しい音楽小説。
- 本の長さ428ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/7/31
- 寸法14 x 2.8 x 19.8 cm
- ISBN-104105058754
- ISBN-13978-4105058753
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出版社より
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エコー・メイカー | 幸福の遺伝子 | オルフェオ | オーバーストーリー | 惑う星 | |
カスタマーレビュー |
5つ星のうち3.3
6
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5つ星のうち4.0
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価格 | ¥4,400¥4,400 | ¥3,080¥3,080 | ¥3,190¥3,190 | ¥4,730¥4,730 | ¥3,410¥3,410 |
【新潮社】リチャード・パワーズ 作品 | 謎の交通事故──奇跡的な生還。だが愛する人は目覚めると、あなたを別人だと言い募る。なぜ……?脳と世界と自我を巡る天才作家の新たな代表作、全米図書賞。 | 過酷な生い立ちにもかかわらず幸福感に満ち溢れたアルジェリア人学生。彼女は幸福の遺伝子を持っていると主張する科学者が現れて──。米文学の旗手による長篇。 | 微生物の遺伝子に音楽を組み込もうと試みる現代芸術家のもとに、捜査官がやってくる。容疑はバイオテロ?現代アメリカ文学の旗手による、危険で美しい音楽小説。 | アメリカに最後に残る原始林を守るため木に「召喚」された人々。生態系の破壊に抗する彼らの闘いを描く、アメリカ現代文学の旗手によるピュリッツァー賞。 | パパ、この星に僕の居場所はないの? 地球の未来を憂う少年が、MRIの中で亡き母と出会い――米現代文学の旗手による人類への挽歌 |
登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2015/7/31)
- 発売日 : 2015/7/31
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 428ページ
- ISBN-10 : 4105058754
- ISBN-13 : 978-4105058753
- 寸法 : 14 x 2.8 x 19.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 608,826位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2015年8月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2015年8月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
リチャード・パワーズの長編第十一番である本作は、「われらが歌う時」以来の音楽小説だ。「黄金虫変奏曲」や「われらが歌う時」に比べると小ぶりにまとまっているが、ここぞというところで発揮される、自分の耳で聴くよりも細部が聞こえてくるんじゃないかとつい思ってしまうほどの緻密な音楽描写は健在である。パワーズとしては珍しく、一人の視点人物に物語を集約させており、決して読みやすいとはいえない多彩な情報を詰め込んだ作品にもかかわらず、読者を引き込んで(やがて巻き込んで、取り込んで)離さないドライヴ感が生まれている。「キャラ立ち」的な観点から言えば、最高点をマークしてるんじゃないかと思う。
本作では大きく分けて二つの時間軸が並走する。一つは現在(2011年)の話で、バイオテロ計画の嫌疑をかけられた70歳の作曲家ピーター・エルズの逃走劇……といっても、印象的な追跡者が現れたり、派手なアクションシーンがあるとかいった類のものではなく、テロ対策当局とメディアとネット民の騒擾を遠景にした、かつて愛し愛された者達への巡礼の旅、といった趣きだ。これと絡み合うようにして、事件に至るまでのエルズの生涯が──はじめて音楽の才能を認められた8歳の頃から、引退後にアマチュア遺伝子工学者となる68歳まで──回想される。
ほとんどすべてのシーンに音楽が鳴っていて、要所要所で楽曲を通じて過去と現在が交錯していく。エルズの記憶と現実のエルズは音楽によって撚り合わされた二重螺旋のように伸びていく。時間軸を横断して効果的に配置されたリフレインが、物語全体もまた一つの音楽であると証すように鳴る。シーンの区切りごとに挿入される謎めいた独白(のようなもの)も、結末近くでその意味が明かされる。こういった構造的な仕掛けの美しさ、斬新さはさすがパワーズと言うべきだろう。
塩基配列に変換した楽曲を細菌の遺伝物質に埋め込むことで、人知れず永遠の音楽を残すことを計画していた音楽家が、偶然の導きによって全人生を振り返る旅へと駆られた果てに、巨大な観衆を擁する一大炎上オペラを演じることになっていく心理的な過程には、得も言われぬカタルシスがある。つまりグッと来る。もう一つの縦糸である、「恵まれない架空の作曲家の目を通して体験するパワーズ版20世紀音楽の歴史」という、ほとんど得意技というか、もう間違いなく面白いストーリー・ラインにも、まったく引けをとっていない。メディアやSNSのパニックぶりを的確に(かつユーモラスに)小説化する手腕は前作「幸福の遺伝子」でも見られたが、さらに磨きがかけられていて、これも一つの見どころになっている。
しかしなんといっても圧巻なのは、公式サイトで「おすすめ録音」も挙げられている、物語上重要な6曲の流れるシーンだ。愛犬フィデリオのささやかな葬儀と初恋の人クララとの出会いが重ね合わされるマーラーの「亡き子をしのぶ歌」。現在のエルズの最後の講義として語られる、「世の終わりのための四重奏曲」を作曲初演する収容所でのメシアン。学生時代に通ったカフェを再訪して聴くライヒの「プロヴァーヴ」が終わると、エルズは逃走中の自分がどこに向かうべきかを悟る。さらに最終局面の発熱とともに鳴らされる、ショスタコーヴィチの五番、ハリー・パーチの「バーストー」、ピーター・リーバーソンの「ネルーダの歌」。これに加え、エルズの作品である──つまり我々にはどうあがいても聴くことのできない──「ボルヘス・ソング」と「仕掛けられた罠」が、DNA上に点在するORF(オープン・リーディング・フレーム)のように、独特の機能を発揮する濃密な音楽描写として、読み取られるのを待っている。どのシーンも高い文圧で心に迫り、実在と架空の間に線を引くことは無意味とさえ言える。
この喩えを進めていくなら、「オルフェオ」とはパワーズ(とエルズの共作)による音楽的/文学的なベクターだ。私たちはこの本を読むことで、すなわちテキストを自分の心の中へ転写・翻訳することで、いくつかの音楽を、エルズの心が経験したのと同じように経験する。ちょうど細菌たちがプラスミドベクターに乗せた遺伝子を水平伝播するようなものだ。どの五感にも属さず、しかしすべての五感に響く、直接的な情報伝達。
初めのページを開くと、そこには自作の曲をコードしたDNA断片を増幅する操作に勤しむ孤独な老作曲家の姿がある。彼はその操作を終えると、のちの遺伝子導入のために飼育している細菌を、培養器から取り出して(特に意味もなく)観察する。『プレートが四百倍顕微鏡の下にセットされる。男が接眼レンズに目を寄せ、本物の世界を見る。』 そのシーンから400ページ読んだあと、「本物の世界」から本の中の世界を覗きこんでいたはずのあなたは、自分自身が組換えられていたことを発見する。
本作では大きく分けて二つの時間軸が並走する。一つは現在(2011年)の話で、バイオテロ計画の嫌疑をかけられた70歳の作曲家ピーター・エルズの逃走劇……といっても、印象的な追跡者が現れたり、派手なアクションシーンがあるとかいった類のものではなく、テロ対策当局とメディアとネット民の騒擾を遠景にした、かつて愛し愛された者達への巡礼の旅、といった趣きだ。これと絡み合うようにして、事件に至るまでのエルズの生涯が──はじめて音楽の才能を認められた8歳の頃から、引退後にアマチュア遺伝子工学者となる68歳まで──回想される。
ほとんどすべてのシーンに音楽が鳴っていて、要所要所で楽曲を通じて過去と現在が交錯していく。エルズの記憶と現実のエルズは音楽によって撚り合わされた二重螺旋のように伸びていく。時間軸を横断して効果的に配置されたリフレインが、物語全体もまた一つの音楽であると証すように鳴る。シーンの区切りごとに挿入される謎めいた独白(のようなもの)も、結末近くでその意味が明かされる。こういった構造的な仕掛けの美しさ、斬新さはさすがパワーズと言うべきだろう。
塩基配列に変換した楽曲を細菌の遺伝物質に埋め込むことで、人知れず永遠の音楽を残すことを計画していた音楽家が、偶然の導きによって全人生を振り返る旅へと駆られた果てに、巨大な観衆を擁する一大炎上オペラを演じることになっていく心理的な過程には、得も言われぬカタルシスがある。つまりグッと来る。もう一つの縦糸である、「恵まれない架空の作曲家の目を通して体験するパワーズ版20世紀音楽の歴史」という、ほとんど得意技というか、もう間違いなく面白いストーリー・ラインにも、まったく引けをとっていない。メディアやSNSのパニックぶりを的確に(かつユーモラスに)小説化する手腕は前作「幸福の遺伝子」でも見られたが、さらに磨きがかけられていて、これも一つの見どころになっている。
しかしなんといっても圧巻なのは、公式サイトで「おすすめ録音」も挙げられている、物語上重要な6曲の流れるシーンだ。愛犬フィデリオのささやかな葬儀と初恋の人クララとの出会いが重ね合わされるマーラーの「亡き子をしのぶ歌」。現在のエルズの最後の講義として語られる、「世の終わりのための四重奏曲」を作曲初演する収容所でのメシアン。学生時代に通ったカフェを再訪して聴くライヒの「プロヴァーヴ」が終わると、エルズは逃走中の自分がどこに向かうべきかを悟る。さらに最終局面の発熱とともに鳴らされる、ショスタコーヴィチの五番、ハリー・パーチの「バーストー」、ピーター・リーバーソンの「ネルーダの歌」。これに加え、エルズの作品である──つまり我々にはどうあがいても聴くことのできない──「ボルヘス・ソング」と「仕掛けられた罠」が、DNA上に点在するORF(オープン・リーディング・フレーム)のように、独特の機能を発揮する濃密な音楽描写として、読み取られるのを待っている。どのシーンも高い文圧で心に迫り、実在と架空の間に線を引くことは無意味とさえ言える。
この喩えを進めていくなら、「オルフェオ」とはパワーズ(とエルズの共作)による音楽的/文学的なベクターだ。私たちはこの本を読むことで、すなわちテキストを自分の心の中へ転写・翻訳することで、いくつかの音楽を、エルズの心が経験したのと同じように経験する。ちょうど細菌たちがプラスミドベクターに乗せた遺伝子を水平伝播するようなものだ。どの五感にも属さず、しかしすべての五感に響く、直接的な情報伝達。
初めのページを開くと、そこには自作の曲をコードしたDNA断片を増幅する操作に勤しむ孤独な老作曲家の姿がある。彼はその操作を終えると、のちの遺伝子導入のために飼育している細菌を、培養器から取り出して(特に意味もなく)観察する。『プレートが四百倍顕微鏡の下にセットされる。男が接眼レンズに目を寄せ、本物の世界を見る。』 そのシーンから400ページ読んだあと、「本物の世界」から本の中の世界を覗きこんでいたはずのあなたは、自分自身が組換えられていたことを発見する。
2016年4月9日に日本でレビュー済み
パワーズはこれ以外にも、音楽を題材にした作品を複数書いているとのことで、
たとえ読者が知らない(かもしれない)曲であっても、その魅力を圧倒的な言葉の
力で伝え切ってしまおうとする力技には、それなりの感銘も受けたのだが、他の
レビュアーも書いているように、あくまでこの作品に限って言えば、音楽をめぐる
描写や蘊蓄の部分を取り除くと、骨格となるストーリーテリングの部分がやや
弱いのかなという印象も受けた。
バイオテロ容疑をかけられた音楽家である主人公の逃走と、1941年生まれの
彼の70年の人生を交互に描きながら、そこに20世紀から21世紀初頭にわたる
(西洋世界の)歴史を重ね合わせて振り返るという、壮大な企図を持った作品では
あるものの、そういう構成の作品であることは割と早い段階でわかってしまうし、
その後も話がその枠内を出ることはないので、いかに感動的と見える出会いと
別れが何度か描かれていたとしても、小説としての驚きにはもうひとつ乏しかった
ような気がするのだ。
芸術家の一生を、歴史と重ね合わせて描いた作品ということでは、ボラーニョの
『2666』とも通じる部分があると思うが、小説としての企みにおいては『2666』が
やはり何枚も上手で、それに比べると、本作は驚くほど素直に書かれている
ようにも感じられた。
たとえ読者が知らない(かもしれない)曲であっても、その魅力を圧倒的な言葉の
力で伝え切ってしまおうとする力技には、それなりの感銘も受けたのだが、他の
レビュアーも書いているように、あくまでこの作品に限って言えば、音楽をめぐる
描写や蘊蓄の部分を取り除くと、骨格となるストーリーテリングの部分がやや
弱いのかなという印象も受けた。
バイオテロ容疑をかけられた音楽家である主人公の逃走と、1941年生まれの
彼の70年の人生を交互に描きながら、そこに20世紀から21世紀初頭にわたる
(西洋世界の)歴史を重ね合わせて振り返るという、壮大な企図を持った作品では
あるものの、そういう構成の作品であることは割と早い段階でわかってしまうし、
その後も話がその枠内を出ることはないので、いかに感動的と見える出会いと
別れが何度か描かれていたとしても、小説としての驚きにはもうひとつ乏しかった
ような気がするのだ。
芸術家の一生を、歴史と重ね合わせて描いた作品ということでは、ボラーニョの
『2666』とも通じる部分があると思うが、小説としての企みにおいては『2666』が
やはり何枚も上手で、それに比べると、本作は驚くほど素直に書かれている
ようにも感じられた。