大人は子どもをどのように見てきたのか。その見方は時代によって一様ではなかった。歴史をたどってギリシャの哲学者アリストテレスと、現代フランスの歴史学者アリエスの見解を比較してみよう。
1.アリストテレスの子供観
アリストテレスに従えば、子供とは徳を体現できないが故に価値のない存在である。アリストテレス『ニコマコス倫理学』(岩波文庫)からいくつか拾ってみる。
動物が幸福でないという、「同じくこの理由によって子供も幸福ではない。彼はその年齢のゆえに、いまだかかる性質のはたらきをなしえないからである。いわゆる至福なる子供とは、そうなるだろうという期待のゆえにそんなふうに呼ばれるにすぎない。(1100a)」
「もろもろのみにくきものごとを欲求するところの、しかもその成長の速やかであるところのものは懲戒的な「しつけ」を必要とするが、その最も著しいのは欲情と子供たちなのだからである。事実、欲情のままに子供たちは生きるものなのであって、快というものへの欲求の最もはなはだしいのも彼らなのである。だからもし、彼らにききわけが生ぜず、支配的なるものの下に立つにいたらないならば、その赴くところ測るべからざるものがあるであろう。(1119b)」
以上、子供は動物と同じく快楽のままに生きるので懲戒的な「しつけ」を必要とするとなる。アリストテレスは人間の教育可能性を重視したといえばいえるが、われわれの子供に対する心情からは遠く隔たっている。
2.アリエスの子どもの誕生
アリエス『子供の誕生』の衝撃は、十六世紀まで子供は小さな大人だったという発見である。子供と家族に対して、どういう感情・心性(mentality)を持っていたかを、日誌や書簡、絵画や墓碑銘、遊戯や服装、などの豊富な資料を駆使して描き出した。
中世には子供は最低限の成長を果たすとすぐに大人と同じように扱われた。現在のように親に慈しまれながら家庭内で育つという存在ではなかった。現代の子供に対するメンタリティは、近代の〈子供〉の誕生以降のものであり、歴史上の産物である。決して人間の本性による普遍的な性質でないことを証した。この点は本書第一部において語られる。
アリストテレスがそうであったように、動物と同等に扱うことはないにしても、子供は長い歴史のなかで、独自の精神と感情を持つ、独立した存在とはみなされてこなかった。しかし、子供は家庭をこえて遊び、学び、そして働くという濃密な中世共同体のもとにあった。しかし変化がおきた。徒弟として就労する徒弟制度から、就労せず学校で学ぶという学校化への変化は、家族の子供への特別の配慮と関心をもたらした。この点は本書第二部において語られる。
自分のメンタリティが歴史の産物であったことを知ったときの驚きと、家族にしばられない濃密な共同体の場があったことへのノスタルジーが、本書の読後感である。
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〈子供〉の誕生―アンシァン・レジーム期の子供と家族生活 単行本 – 1980/12/11
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この書は、ヨーロッパ中世から18世紀にいたる期間の、日々の生活への注視・観察から、子供と家族についての〈その時代の感情〉を描く。子供は長い歴史の流れのなかで、独自のモラル・固有の感情をもつ実在として見られたことはなかった。〈子供〉の発見は近代の出来事であり、新しい家族の感情は、そこから芽生えた。
かつて子供は〈小さな大人〉として認知され、家族をこえて濃密な共同の場に属していた。そこは、生命感と多様性とにみちた場であり、ともに遊び、働き、学ぶ〈熱い環境〉であった。だが変化は兆していた。例えば、徒弟修業から学校化への進化は、子供への特別の配慮と、隔離への強い関心をもたらしたように。
著者アリエスは、4世紀にわたる図像記述や墓碑銘、日誌、書簡などの豊かな駆使によって、遊戯や服装の変遷、カリキュラムの発達の姿を描き出し、日常世界を支配している深い感情、mentaliteの叙述に成功している。この書は「子供の歴史への画期的寄与にとどまらず、現代の歴史叙述の最良のもの」(P.Gay)、「この本がなかったなら、われわれの文化は、より貧しいものとなったであろう」(N.Y.Review of Books)と評された。
かつて子供は〈小さな大人〉として認知され、家族をこえて濃密な共同の場に属していた。そこは、生命感と多様性とにみちた場であり、ともに遊び、働き、学ぶ〈熱い環境〉であった。だが変化は兆していた。例えば、徒弟修業から学校化への進化は、子供への特別の配慮と、隔離への強い関心をもたらしたように。
著者アリエスは、4世紀にわたる図像記述や墓碑銘、日誌、書簡などの豊かな駆使によって、遊戯や服装の変遷、カリキュラムの発達の姿を描き出し、日常世界を支配している深い感情、mentaliteの叙述に成功している。この書は「子供の歴史への画期的寄与にとどまらず、現代の歴史叙述の最良のもの」(P.Gay)、「この本がなかったなら、われわれの文化は、より貧しいものとなったであろう」(N.Y.Review of Books)と評された。
- ISBN-104622018322
- ISBN-13978-4622018322
- 出版社みすず書房
- 発売日1980/12/11
- 言語日本語
- 本の長さ440ページ
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登録情報
- 出版社 : みすず書房 (1980/12/11)
- 発売日 : 1980/12/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 440ページ
- ISBN-10 : 4622018322
- ISBN-13 : 978-4622018322
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上位レビュー、対象国: 日本
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2017年3月9日に日本でレビュー済み
近代の開闢を境として、あらたにいろんな出来事やら制度やらが成立してきた、
という考えは、ある意味特別な進歩史観に貫かれた発想であるとは思います。
しかしながら、そこに何某かの不連続性が認められるとすれば、
それは他ならず社会進化めいた事柄に属することなのではないでしょうか。
‘モデルニテ’とは、そうした文化進化(もちろん物心双方に裏打ちされた)がいくつか重なった際に、
あたかも事件性を帯びて世の中に台頭してくる、といったことがしばしば歴史上起きているのです。
即ち、アリエスが本書で問うているような、‘子どもの誕生’とても例外ではありにくく、
その後のグローバリズムや国際関係の原点となった、産業革命や市民革命を経て、
本格的に近代市民社会が成立してくる頃になると、子どもはある意味教育の対象として、
いわば社会史的に定義し直される中、かねてより純粋無垢な存在で、
ちょうどジョン・ロックあたりのタブラ・ラサ(白紙状態)のところへ、
近代的価値を書き込んでゆくかのごときスタンスがあたかも近代を象徴しており、
むしろ好もしいとされ、やがて法的にも実定化されてゆくという流れのようにみえるのです。
アリエスはむしろそのような問題意識から本書にとりくみ、その所説の真否はさておき、
いずれにせよ近代という歴史的時代のひとこまを本質的に把握することに成功した、
という感じはします。本書はその意味で、旧体制のもとではあまり顧みられなかった子どもという存在が、
あらたに存在者として社会的にクローズアップされ、次代を担う新世代でありつつ、
近代的価値の再生産に好都合な新勢力としてのしてきた、と考えられるのではないでしょうか。
するとまさに、それは自己展開してやまないシステムの中に子どもらが編入された、ともいえ、
その後の実際の教育的展開とも親和的となるのであり、それこそ無意識レベルも含め、
近代の自己解釈にとって、好都合な要素に満ちているので一層普及しやすい、とも考えられ、
図らずも、文化システム論の領域へとまたがってくるような気もします。
アリエスの書をつうじて、近代を生きる者たちは、結局いろんな自己発見をすることになり、
ひいては旧体制期における諸制度との比較検討を試みては、
おのおのの位置取りを再確認する営みへと踏み出してゆくのではないでしょうか。
つまり、子ども論としての近代的子どもの再発見は、近代という新時代を自覚するための機縁であり、
その現代化をめぐっては、さらにいろいろと敷衍された議論も垣間見えるわけです。
その布石をばアリエスが置いた、ととりあえずは考えても支障ないであろうことを付言しつつ、
本書をそのような画期的書として、関心の向きにおすすめしておきたく思います。
因みに、思想史的系譜としては、スペンサーやオースティンらもおすすめです。
という考えは、ある意味特別な進歩史観に貫かれた発想であるとは思います。
しかしながら、そこに何某かの不連続性が認められるとすれば、
それは他ならず社会進化めいた事柄に属することなのではないでしょうか。
‘モデルニテ’とは、そうした文化進化(もちろん物心双方に裏打ちされた)がいくつか重なった際に、
あたかも事件性を帯びて世の中に台頭してくる、といったことがしばしば歴史上起きているのです。
即ち、アリエスが本書で問うているような、‘子どもの誕生’とても例外ではありにくく、
その後のグローバリズムや国際関係の原点となった、産業革命や市民革命を経て、
本格的に近代市民社会が成立してくる頃になると、子どもはある意味教育の対象として、
いわば社会史的に定義し直される中、かねてより純粋無垢な存在で、
ちょうどジョン・ロックあたりのタブラ・ラサ(白紙状態)のところへ、
近代的価値を書き込んでゆくかのごときスタンスがあたかも近代を象徴しており、
むしろ好もしいとされ、やがて法的にも実定化されてゆくという流れのようにみえるのです。
アリエスはむしろそのような問題意識から本書にとりくみ、その所説の真否はさておき、
いずれにせよ近代という歴史的時代のひとこまを本質的に把握することに成功した、
という感じはします。本書はその意味で、旧体制のもとではあまり顧みられなかった子どもという存在が、
あらたに存在者として社会的にクローズアップされ、次代を担う新世代でありつつ、
近代的価値の再生産に好都合な新勢力としてのしてきた、と考えられるのではないでしょうか。
するとまさに、それは自己展開してやまないシステムの中に子どもらが編入された、ともいえ、
その後の実際の教育的展開とも親和的となるのであり、それこそ無意識レベルも含め、
近代の自己解釈にとって、好都合な要素に満ちているので一層普及しやすい、とも考えられ、
図らずも、文化システム論の領域へとまたがってくるような気もします。
アリエスの書をつうじて、近代を生きる者たちは、結局いろんな自己発見をすることになり、
ひいては旧体制期における諸制度との比較検討を試みては、
おのおのの位置取りを再確認する営みへと踏み出してゆくのではないでしょうか。
つまり、子ども論としての近代的子どもの再発見は、近代という新時代を自覚するための機縁であり、
その現代化をめぐっては、さらにいろいろと敷衍された議論も垣間見えるわけです。
その布石をばアリエスが置いた、ととりあえずは考えても支障ないであろうことを付言しつつ、
本書をそのような画期的書として、関心の向きにおすすめしておきたく思います。
因みに、思想史的系譜としては、スペンサーやオースティンらもおすすめです。
2012年7月19日に日本でレビュー済み
教育論はわりとそこら辺のおばちゃんでも、誰でも、口にすることができる。
誰もが評論家になれる。
しかし、根拠は?
歴史を心性史の観点でみて、するどく洞察した名著である。
あまりにスゴすぎて、「アリエス・インパクト」と言われている有名な本だけのことはある。
教育評論等の仕事をする方で、これを知らない人は「もぐり」であると言えるくらい有名な本。
今の子供、子育て環境、教育環境を見据えるには、一見、遠回りに見えるが、中世から歴史をさかのぼって、歴史、特に心性史を考察すると、アリエスが言う、現代の教育に関する「脅迫概念」が無視できない病巣のように認識できる。
「不登校」「育児放棄」「虐待」「鬱病の増加」・・・それらの問題と言われることは、内包的に常態化している現在、アリエスの「脅迫概念では?」という見方が、一層、真実を物語るので無視できない。
今現在、私たちが「そうあってほしい」と考えるような姿は、果たして普遍的なものなのか?
歴史を振り返って、子供観、家族観、意識、心理が産業革命前後で劇的に違う。
子供への配慮・教育的関心が高いほど進歩的社会である、という見方そのものへの疑念。
学校制度が整って、親の子育て意識が高いほど望ましい状態である、という見方そのものへの疑念。
歴史をひもといて、1960年から鋭く洞察した新しい論拠に、ショックを覚えるとともに、
縛りから開放される清々しさを覚える。
子育てに懸命な親、何が正しいのか迷う子育て環境に携わる、もしくは携わろうとする方は必読書だと思います。
誰もが評論家になれる。
しかし、根拠は?
歴史を心性史の観点でみて、するどく洞察した名著である。
あまりにスゴすぎて、「アリエス・インパクト」と言われている有名な本だけのことはある。
教育評論等の仕事をする方で、これを知らない人は「もぐり」であると言えるくらい有名な本。
今の子供、子育て環境、教育環境を見据えるには、一見、遠回りに見えるが、中世から歴史をさかのぼって、歴史、特に心性史を考察すると、アリエスが言う、現代の教育に関する「脅迫概念」が無視できない病巣のように認識できる。
「不登校」「育児放棄」「虐待」「鬱病の増加」・・・それらの問題と言われることは、内包的に常態化している現在、アリエスの「脅迫概念では?」という見方が、一層、真実を物語るので無視できない。
今現在、私たちが「そうあってほしい」と考えるような姿は、果たして普遍的なものなのか?
歴史を振り返って、子供観、家族観、意識、心理が産業革命前後で劇的に違う。
子供への配慮・教育的関心が高いほど進歩的社会である、という見方そのものへの疑念。
学校制度が整って、親の子育て意識が高いほど望ましい状態である、という見方そのものへの疑念。
歴史をひもといて、1960年から鋭く洞察した新しい論拠に、ショックを覚えるとともに、
縛りから開放される清々しさを覚える。
子育てに懸命な親、何が正しいのか迷う子育て環境に携わる、もしくは携わろうとする方は必読書だと思います。
2006年1月24日に日本でレビュー済み
有名な近代家族の説をうちたてた書。
もちろん、批判もされているでしょう。
しかし、彼の研究の内容、革新的な説は歴史上意味のあるものです。
歴史学、社会学的です。
いまの子供の当然の見方とは違ったという事実の発見、推測。
「シェイクスピアに王子が書かれているから、
アリエスは間違っている。」
そんなことはありません。
アリエスもそのくらい知っていたでしょう。
「不完全な大人としての子供。」
そして豊かな近代による「子供期」の形成。
豊かになった今の社会は、子ども期がやたら長い・・・
親のすねかじりの大学生のわたしには、
耳の痛い話です。
もちろん、批判もされているでしょう。
しかし、彼の研究の内容、革新的な説は歴史上意味のあるものです。
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いまの子供の当然の見方とは違ったという事実の発見、推測。
「シェイクスピアに王子が書かれているから、
アリエスは間違っている。」
そんなことはありません。
アリエスもそのくらい知っていたでしょう。
「不完全な大人としての子供。」
そして豊かな近代による「子供期」の形成。
豊かになった今の社会は、子ども期がやたら長い・・・
親のすねかじりの大学生のわたしには、
耳の痛い話です。