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学力と階層 Kindle版
学力低下問題の第一人者として知られ、オックスフォード大学の教授を務める著者が「学力と階層」「教育の綻び」について書いたものに書き下ろしを加えて、系統立ててまとめた本格的な教育論。学力の階層差は拡大したか、ゆとり教育は何をもたらしたか、学力低下の本質を探る、教師たちを追い詰める教育改革、フリーターに脱出口はあるか、教育の綻びを修正するための施策、など。
- 言語日本語
- 出版社朝日新聞出版
- 発売日2008/12/5
- ファイルサイズ4470 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B009AALL90
- 出版社 : 朝日新聞出版 (2008/12/5)
- 発売日 : 2008/12/5
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 4470 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 341ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 149,870位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 28,013位文学・評論 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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オックスフォード大学社会学科及びニッサン現代日本研究所教授。教育社会学、現代日本社会論(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『教員評価の社会学』(ISBN-10:4000225766)が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2015年7月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
統計量がたくさん書かれていて分かりやすかった。現代の教育について考えさせられました。
2017年10月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本の逸脱な所は、統計調査から精緻な分析を行い、
そこから導きだされたファクトを世に知らしめたことです。
この本の前半から中盤部分では、統計分析から、日本は既に「階層化」していると喝破し、
「親の学歴は、子の学歴や学習へのやる気」に多大な影響を与えているとしています。
出版されて、だいぶ経ちますが、このファクトを知った時は、かなり衝撃的でした。
「何となく、そうだろう」と思っていたことが、はっきりと社会科学的に証明されたからです。
また、この著作の後半部分は、より衝撃的な指摘を行っています。
それは、「今後、日本社会は、【学習能力】が資本になる」ということです。
そして、その学習能力の資本が、社会のあり方と人間形成に深く関わるようになるとの指摘です。
つまり、学習資本主義社会の出現です。
学習能力とその成果で人的資本形成とが社会を形作る要となるということです。
10年以上も前に予言されたことが、今、まさしく現実になっています。
恐らく世界の先進国と呼ばれる国で、学習資本主義が出現し、学習資本の獲得が、
個人が、社会的経済的に上昇しうる(成功する)必要条件になっています。
つまり、今後ますます、学習資本を持たないものは、
社会で増々不利な立場になるということです。
この点から考えて、多くの日本人が置かれている状況は非常に厳しいと言わざるを得ません。
まず人口減少・少子化・超高齢化・生産年齢人口の減少(毎年1%減る)に始まる日本社会の構造的な問題と、
それに伴う移行期的混乱です。経済規模を維持するのも厳しい状況になっています。
労働者の数が、長期にわたって確実に減ることが予想され、また、消費者自体も減るので、
企業経営も、抜本的な変化が求められるようになりました。
これから増々、求められる仕事のレベルが高くなり、また過酷な競争社会になります。
今、必要なのは、そういう社会で求められる、学習能力です。
では、学習能力を日本人は身につけているのでしょうか?
答えは、、ますます身につけなくなっています。
それは、日本の大学生の学習時間が先進国とダントツに低いことにもはっきり表れています。
また、高校生を対象とした調査で、将来への希望のなさ、悲観さも、先進国でダントツに高い状況です。
質でも量でも、学習能力を持たない学生が、日本社会では、以前も今も、
(不謹慎な言い方ですが)量産され続けているのが、現状です。
学習能力の獲得は、かなり早い時期から準備をし、育て、発展させなくてはいけません。
しかし、現状、日本の教育では、学習能力を獲得するのは、極めて困難になっています。
1人でも多くの日本人が、学習能力を獲得し、学び続ける意欲を持って、この時代に対応できるように、
変化し続けなくてはいけません。
その意味でも、この著作は、「考えるきっかけ」を与えてくれる、
ランドマーク的著作となっています。
そこから導きだされたファクトを世に知らしめたことです。
この本の前半から中盤部分では、統計分析から、日本は既に「階層化」していると喝破し、
「親の学歴は、子の学歴や学習へのやる気」に多大な影響を与えているとしています。
出版されて、だいぶ経ちますが、このファクトを知った時は、かなり衝撃的でした。
「何となく、そうだろう」と思っていたことが、はっきりと社会科学的に証明されたからです。
また、この著作の後半部分は、より衝撃的な指摘を行っています。
それは、「今後、日本社会は、【学習能力】が資本になる」ということです。
そして、その学習能力の資本が、社会のあり方と人間形成に深く関わるようになるとの指摘です。
つまり、学習資本主義社会の出現です。
学習能力とその成果で人的資本形成とが社会を形作る要となるということです。
10年以上も前に予言されたことが、今、まさしく現実になっています。
恐らく世界の先進国と呼ばれる国で、学習資本主義が出現し、学習資本の獲得が、
個人が、社会的経済的に上昇しうる(成功する)必要条件になっています。
つまり、今後ますます、学習資本を持たないものは、
社会で増々不利な立場になるということです。
この点から考えて、多くの日本人が置かれている状況は非常に厳しいと言わざるを得ません。
まず人口減少・少子化・超高齢化・生産年齢人口の減少(毎年1%減る)に始まる日本社会の構造的な問題と、
それに伴う移行期的混乱です。経済規模を維持するのも厳しい状況になっています。
労働者の数が、長期にわたって確実に減ることが予想され、また、消費者自体も減るので、
企業経営も、抜本的な変化が求められるようになりました。
これから増々、求められる仕事のレベルが高くなり、また過酷な競争社会になります。
今、必要なのは、そういう社会で求められる、学習能力です。
では、学習能力を日本人は身につけているのでしょうか?
答えは、、ますます身につけなくなっています。
それは、日本の大学生の学習時間が先進国とダントツに低いことにもはっきり表れています。
また、高校生を対象とした調査で、将来への希望のなさ、悲観さも、先進国でダントツに高い状況です。
質でも量でも、学習能力を持たない学生が、日本社会では、以前も今も、
(不謹慎な言い方ですが)量産され続けているのが、現状です。
学習能力の獲得は、かなり早い時期から準備をし、育て、発展させなくてはいけません。
しかし、現状、日本の教育では、学習能力を獲得するのは、極めて困難になっています。
1人でも多くの日本人が、学習能力を獲得し、学び続ける意欲を持って、この時代に対応できるように、
変化し続けなくてはいけません。
その意味でも、この著作は、「考えるきっかけ」を与えてくれる、
ランドマーク的著作となっています。
2013年2月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
問題提起にはいいかもしれません。
日本には義務教育という制度があり、
中学生まではすべての児童生徒が無償で教育を受けることができます。
ということは、学校に行けば、学ぶことができるわけです。
どのような児童生徒も一定レベルの学力は身につくと思うのですが、
あくまでの階層があることに結び付けようとしているのかと思ってしまいます。
日本には義務教育という制度があり、
中学生まではすべての児童生徒が無償で教育を受けることができます。
ということは、学校に行けば、学ぶことができるわけです。
どのような児童生徒も一定レベルの学力は身につくと思うのですが、
あくまでの階層があることに結び付けようとしているのかと思ってしまいます。
2013年1月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
実証的なデータはわが体験的感覚とほとんど一致。これを実証的というのだと思います。
2013年5月26日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
教育社会学者、苅谷剛彦先生による2008年に刊行された単行本の文庫版です。教育に感心を持つものであれば、避けて通れない、必ず読んでおくべきものだと思います。文庫版となってお買い得でもあるので、もし迷っているようであれば、強くオススメします。
先生は本書の中で「蓄積された知識」ではなく「学ぶことに対する意欲」こそが今後の社会を生き抜いていく上で最も重要な要素であり、これを「学習資本」と名付けています。
恐ろしいのは、この「学習資本」は家庭の文化的な階層によって明らかな格差があり、それが年々広がっているということです。塾に通っているか否かの影響も、残念ですが大きくなってきており、この部分は、学校教育では補いきれていないというのも悩ましいです。
「受験戦争は良くない」という意見も、そろそろ過去の文脈では通用しなくなってきているようです。基本的な事実として、現在、大学に入学する子供たちの4割以上は、昔ながらの入試は受験しておらず、自己推薦によって大学に入学しています。もちろん今でも、上位校を巡る激しい受験戦争は存在していますが、その世界にある子供はもはや多数とは言えず、その階層自体が固定化しつつあるというのが現実です。
きちんとした学力が身に付かないまま(「学習資本」が身に付かないまま)「自分らしさを発揮できる生きかた」だけがクローズアップされるのは、かなり危険なことです。欲求だけが高まり、それを実現する手段がない状態を「アノミー」と言いますが、これを止めるのは「学習資本」にほかなりません。
しかし「学習資本」を与えられぬまま、主体的に進路を選ぶことがよしとされる現代社会は、そうした「自己実現アノミー」にとらわれてしまう若者を増やすばかりなのです。たかが受験勉強でも、そこから「得たいものを手に入れることの困難さ」や「学習を通して自らの成長を実感することの喜び」を知るということには、意味があったというべきなのでしょうか。本当に難しい問題です。
先生は本書の中で「蓄積された知識」ではなく「学ぶことに対する意欲」こそが今後の社会を生き抜いていく上で最も重要な要素であり、これを「学習資本」と名付けています。
恐ろしいのは、この「学習資本」は家庭の文化的な階層によって明らかな格差があり、それが年々広がっているということです。塾に通っているか否かの影響も、残念ですが大きくなってきており、この部分は、学校教育では補いきれていないというのも悩ましいです。
「受験戦争は良くない」という意見も、そろそろ過去の文脈では通用しなくなってきているようです。基本的な事実として、現在、大学に入学する子供たちの4割以上は、昔ながらの入試は受験しておらず、自己推薦によって大学に入学しています。もちろん今でも、上位校を巡る激しい受験戦争は存在していますが、その世界にある子供はもはや多数とは言えず、その階層自体が固定化しつつあるというのが現実です。
きちんとした学力が身に付かないまま(「学習資本」が身に付かないまま)「自分らしさを発揮できる生きかた」だけがクローズアップされるのは、かなり危険なことです。欲求だけが高まり、それを実現する手段がない状態を「アノミー」と言いますが、これを止めるのは「学習資本」にほかなりません。
しかし「学習資本」を与えられぬまま、主体的に進路を選ぶことがよしとされる現代社会は、そうした「自己実現アノミー」にとらわれてしまう若者を増やすばかりなのです。たかが受験勉強でも、そこから「得たいものを手に入れることの困難さ」や「学習を通して自らの成長を実感することの喜び」を知るということには、意味があったというべきなのでしょうか。本当に難しい問題です。
2022年3月31日に日本でレビュー済み
2000~08年に書かれた文章を編集した一冊。当時の教育改革論議(教育基本法改正、教育バウチャー制度など)と社会の階層化を結び付けた実証分析に基づき、日本で教育の質の低下と社会の階層化が進んでいくことへの警鐘を鳴らした一冊。
大学受験の易化により既に「受験地獄」はトップ校を目指すごく一部の家庭のものになっていること、大量採用時代の教員の高齢化と年金が全国の教育予算を圧迫していること、予算再分配により教育の地方間格差を是正する役割を担っていた文科省の役割が過剰に削がれることで義務教育の地方間格差が助長される恐れがあること、等を分かりやすく指摘している。
2022年に本書を読むと、本書の5章で指摘されたような、教育市場の発展を背景に「生涯学習社会」が「メリトクラシー=能力支配社会」になり、「新たな階級社会」に展開しつつある状況というのは、今まさにドライブがかかっているように思える。その点で「学習資本主義」という言葉は新鮮に響いた。
一点、僕が違和感を持ったのは、企業で出世していくには、著者の指摘するような社内の訓練機会を活かして人的資本形成を行う能力よりは、社内環境(職場や業界で求められる技術・能力のほか、人間関係、職場のビジネススタイル、社風を含む)への「適応能力」の方が大きいのではないかと思った点だ。この「適応能力」を広い意味での「学習能力」と呼ぶことは可能だが、結局、それらの全てを学校で教育することは難しいはずだ。(各社の固有文化や閥のようなものまでが適応対象に入ってくるため。)
そして、そのような広い意味での「適応能力」のベースになるものは、本書が扱う学習テストの結果ではなく、教室内でのベタな人間関係や集団生活で身に付いていくものも大きいはずである。教室内の生徒集団の価値観やカルチャーには地域間・階層間の格差が多大に影響するが、家庭のポリシー、地域の気風や校風に適応(もしくは反発)する能力自体は、学習テストのスコアとは関係なく生徒に身に付くはずのものであり、重要なことは環境に適応(もしくは反発)した結果、市場で求められる技能・知識を察知できる能力が身に付くかどうかではないだろうか。となると、この察知能力を学校教育と掛け算する方法が「学習資本主義」時代の教育に問われるものだということになるが、そういった話は本書で扱われない。
上記の話は著者がベースにした統計資料からは元々読み取れない事柄に関するものであり、本書で語られる「教育」や「学習」の中身が時代的制約から少しだけ古く感じる点も、そもそも十数年遅れで僕が本書を読んでいることが理由である。今でも示唆に富む情報と警鐘が詰まった本であることには変わりない。
大学受験の易化により既に「受験地獄」はトップ校を目指すごく一部の家庭のものになっていること、大量採用時代の教員の高齢化と年金が全国の教育予算を圧迫していること、予算再分配により教育の地方間格差を是正する役割を担っていた文科省の役割が過剰に削がれることで義務教育の地方間格差が助長される恐れがあること、等を分かりやすく指摘している。
2022年に本書を読むと、本書の5章で指摘されたような、教育市場の発展を背景に「生涯学習社会」が「メリトクラシー=能力支配社会」になり、「新たな階級社会」に展開しつつある状況というのは、今まさにドライブがかかっているように思える。その点で「学習資本主義」という言葉は新鮮に響いた。
一点、僕が違和感を持ったのは、企業で出世していくには、著者の指摘するような社内の訓練機会を活かして人的資本形成を行う能力よりは、社内環境(職場や業界で求められる技術・能力のほか、人間関係、職場のビジネススタイル、社風を含む)への「適応能力」の方が大きいのではないかと思った点だ。この「適応能力」を広い意味での「学習能力」と呼ぶことは可能だが、結局、それらの全てを学校で教育することは難しいはずだ。(各社の固有文化や閥のようなものまでが適応対象に入ってくるため。)
そして、そのような広い意味での「適応能力」のベースになるものは、本書が扱う学習テストの結果ではなく、教室内でのベタな人間関係や集団生活で身に付いていくものも大きいはずである。教室内の生徒集団の価値観やカルチャーには地域間・階層間の格差が多大に影響するが、家庭のポリシー、地域の気風や校風に適応(もしくは反発)する能力自体は、学習テストのスコアとは関係なく生徒に身に付くはずのものであり、重要なことは環境に適応(もしくは反発)した結果、市場で求められる技能・知識を察知できる能力が身に付くかどうかではないだろうか。となると、この察知能力を学校教育と掛け算する方法が「学習資本主義」時代の教育に問われるものだということになるが、そういった話は本書で扱われない。
上記の話は著者がベースにした統計資料からは元々読み取れない事柄に関するものであり、本書で語られる「教育」や「学習」の中身が時代的制約から少しだけ古く感じる点も、そもそも十数年遅れで僕が本書を読んでいることが理由である。今でも示唆に富む情報と警鐘が詰まった本であることには変わりない。
2013年11月11日に日本でレビュー済み
著者は、前東京大学教授で、現在はオックスフォード大学で教鞭
をとられる著名な社会学者でいらっしゃる。本書は、著者が2003
年以降に様々なメディアで発表してきた論考をまとめたものである。
本書でまとめられているのは、いわゆる関西調査を、基本的生活
習慣を指標にペーパーテストの正答率に及ぼす影響が1989年から
2001年にかけてどのように変化したか、財政を通じた教育条件の
均質化が教育の機会の平等を担保してきたが、地方分権が進むこ
とでどのような変化が予測されるか、公立小中学校の教員の勤務
実態と、教育改革に対する思いはいかなるものか、団塊の世代の
大量退職者と教員養成学部の人気の低下や教員採用試験の倍率の
低下から教員の質の確保の危機があることなどである。
いずれも、多くのデータを使い、理念だけでなく実証的に論を進
めるあたりが、著者が多くの現場教師からも支持される所以なの
だろう。
このように、本書では多くの話題にふれられているが、本書を貫
くキーワードは、著者が以前より指摘し続けている「格差と教育」
である。
本書は2008年に刊行された同名の単行本を文庫化したものであり、
確かにデータの古さは感じる。しかし、著者はデータに基づきな
がら今後の日本の教育の流れへの予測も本書で行っている箇所も
散見されるため、今から振り返って読む価値も十分にある本である。
文庫といえど読み応え十分の本である。
をとられる著名な社会学者でいらっしゃる。本書は、著者が2003
年以降に様々なメディアで発表してきた論考をまとめたものである。
本書でまとめられているのは、いわゆる関西調査を、基本的生活
習慣を指標にペーパーテストの正答率に及ぼす影響が1989年から
2001年にかけてどのように変化したか、財政を通じた教育条件の
均質化が教育の機会の平等を担保してきたが、地方分権が進むこ
とでどのような変化が予測されるか、公立小中学校の教員の勤務
実態と、教育改革に対する思いはいかなるものか、団塊の世代の
大量退職者と教員養成学部の人気の低下や教員採用試験の倍率の
低下から教員の質の確保の危機があることなどである。
いずれも、多くのデータを使い、理念だけでなく実証的に論を進
めるあたりが、著者が多くの現場教師からも支持される所以なの
だろう。
このように、本書では多くの話題にふれられているが、本書を貫
くキーワードは、著者が以前より指摘し続けている「格差と教育」
である。
本書は2008年に刊行された同名の単行本を文庫化したものであり、
確かにデータの古さは感じる。しかし、著者はデータに基づきな
がら今後の日本の教育の流れへの予測も本書で行っている箇所も
散見されるため、今から振り返って読む価値も十分にある本である。
文庫といえど読み応え十分の本である。
2009年9月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
08年末に刊行されたこの本には、00年初出の「学習時間の階層差とその拡大」を除けば、04年から08年に発表された論文が収められている。
著者はあとがきで「時がたつにつれ『時代遅れ』の烙印を押されるのは実証研究の宿命」(p317)と述べているが、しかしこの本で面白かったのは主に第1章に収められた実証研究の部分(上に挙げた、本書中で最も初出の早い論文も、ここに入っている)で、安倍内閣から加速した教育改革についての一連の批判・検討の方が、今となっては焦点のズレを感じさせる。たとえ時事的な問題を扱っても、ある深度に達した議論は時の経過を乗り越えるものだと思うが、ここに収められている論考にそのような洞察は感じられず、取り上げられる論点は案外に月並みな印象を与える。また全般的に言えることだが、理論的な話になると、この著者の文章は意味を取りにくくなる傾向があるようだ。特に第4章の第2論文などは、著者の理論的思考におけるセンスのなさを露呈してはいないか?
また、著者が自らの実証研究の独自性と考えているらしい、「能力」よりも「努力」に着目する視点についても私には疑問がある。確かに「努力」に着目することで著者は「インセンティヴ・ディヴァイド」のような興味深い問題を取り出し、階層や政府の経済政策との関連で教育を見る回路を開いたとは言えるのだろう。しかしその一方で、今度は逆に「生得的能力」の問題が死角に入ってはいないか? そこは他の人に任せたということなのか?
とにかく、それほど面白い本とは思えなかった。
著者はあとがきで「時がたつにつれ『時代遅れ』の烙印を押されるのは実証研究の宿命」(p317)と述べているが、しかしこの本で面白かったのは主に第1章に収められた実証研究の部分(上に挙げた、本書中で最も初出の早い論文も、ここに入っている)で、安倍内閣から加速した教育改革についての一連の批判・検討の方が、今となっては焦点のズレを感じさせる。たとえ時事的な問題を扱っても、ある深度に達した議論は時の経過を乗り越えるものだと思うが、ここに収められている論考にそのような洞察は感じられず、取り上げられる論点は案外に月並みな印象を与える。また全般的に言えることだが、理論的な話になると、この著者の文章は意味を取りにくくなる傾向があるようだ。特に第4章の第2論文などは、著者の理論的思考におけるセンスのなさを露呈してはいないか?
また、著者が自らの実証研究の独自性と考えているらしい、「能力」よりも「努力」に着目する視点についても私には疑問がある。確かに「努力」に着目することで著者は「インセンティヴ・ディヴァイド」のような興味深い問題を取り出し、階層や政府の経済政策との関連で教育を見る回路を開いたとは言えるのだろう。しかしその一方で、今度は逆に「生得的能力」の問題が死角に入ってはいないか? そこは他の人に任せたということなのか?
とにかく、それほど面白い本とは思えなかった。