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DUST MY BROOM 単行本 – 2009/11/28
菅原 一剛
(著)
ゴミの山に潜在した「再生する力」を写す。
テレビや自動車、空き缶や紙くずなど、ゴミとして回収された膨大なモノたち。身の回りに存在した記憶もろとも、ゴミは徹底した粉砕と手作業による分別処理を経て、そのほとんどが「資源」として再生する。粉砕する力、ゴミに潜在する再生力が立ち現れる瞬間。
テレビや自動車、空き缶や紙くずなど、ゴミとして回収された膨大なモノたち。
身の回りに存在した記憶もろとも、ゴミは徹底した粉砕と手作業による分別処理を経て、そのほとんどが「資源」として再生します。
撮影は青森県弘前の青南商事(撮影協力)で行なわれ、3年が経過した現在でも進行中です。
本書のタイトル『DUST MY BROOM』は、スライドギターの名手、エルモア・ジェイムスの代表曲です。
本来は「ほうきの埃を払う」という意味ですが、ブルーズの中では、さまざまなシーンで「やり直す」ことの比喩として歌われています。
「青森県弘前にあるリサイクル工場・青南商事の本社を初めて訪れた時、そこで目にしたのは、とてつもなく大きなゴミの山でした。
はじめはその質量に、ただただ圧倒されましたが、やがてその大きなゴミの山は、実はぼくたちの身の回りにあったものがほとんどであることに気が付きました。
本来なら、こんなにもたくさんのゴミを生み出して日々の生活を送っていることに問題意識を持つべきかもしれません。
しかし、ぼくは不謹慎にもその姿に“かっこいい”とか“うつくしい”と感じていました。
そのことに若干ためらいながらも、それを大きく上回る好奇心とともに、そんなゴミの山を夢中になって撮影しました。」 (菅原一剛)
ゴミの存在に、私たちは当事者として関わっていて、常に解決したい感じていることです。
それは、発生せずにすんでいたモノかもしれず、できることなら自らの手で再生したり、あるいは自然に戻したいという思いからかもしれません。
しかし、いまやゴミは完全に個人の手を離れ、普段は目にすることのないリサイクル工場の内部に取り込まれていきます。
その“ゴミ箱の向こう側”で起きている光景を見たとき、私たちは爽快感と美しさを感じるはずです。
「ゴミは過去の時間の中に葬り去られ、捨てられたものたちではあるのですが、そこに思いとともに工夫を重ねることで新しいものが生まれることを知りました。
だからこそ僕は、きっとこれからも、“DUST MY BROOM”の中から、たくさんの新たに再生する力を発見できるのではないかと楽しみにしているのです。」 (菅原一剛)
テレビや自動車、空き缶や紙くずなど、ゴミとして回収された膨大なモノたち。身の回りに存在した記憶もろとも、ゴミは徹底した粉砕と手作業による分別処理を経て、そのほとんどが「資源」として再生する。粉砕する力、ゴミに潜在する再生力が立ち現れる瞬間。
テレビや自動車、空き缶や紙くずなど、ゴミとして回収された膨大なモノたち。
身の回りに存在した記憶もろとも、ゴミは徹底した粉砕と手作業による分別処理を経て、そのほとんどが「資源」として再生します。
撮影は青森県弘前の青南商事(撮影協力)で行なわれ、3年が経過した現在でも進行中です。
本書のタイトル『DUST MY BROOM』は、スライドギターの名手、エルモア・ジェイムスの代表曲です。
本来は「ほうきの埃を払う」という意味ですが、ブルーズの中では、さまざまなシーンで「やり直す」ことの比喩として歌われています。
「青森県弘前にあるリサイクル工場・青南商事の本社を初めて訪れた時、そこで目にしたのは、とてつもなく大きなゴミの山でした。
はじめはその質量に、ただただ圧倒されましたが、やがてその大きなゴミの山は、実はぼくたちの身の回りにあったものがほとんどであることに気が付きました。
本来なら、こんなにもたくさんのゴミを生み出して日々の生活を送っていることに問題意識を持つべきかもしれません。
しかし、ぼくは不謹慎にもその姿に“かっこいい”とか“うつくしい”と感じていました。
そのことに若干ためらいながらも、それを大きく上回る好奇心とともに、そんなゴミの山を夢中になって撮影しました。」 (菅原一剛)
ゴミの存在に、私たちは当事者として関わっていて、常に解決したい感じていることです。
それは、発生せずにすんでいたモノかもしれず、できることなら自らの手で再生したり、あるいは自然に戻したいという思いからかもしれません。
しかし、いまやゴミは完全に個人の手を離れ、普段は目にすることのないリサイクル工場の内部に取り込まれていきます。
その“ゴミ箱の向こう側”で起きている光景を見たとき、私たちは爽快感と美しさを感じるはずです。
「ゴミは過去の時間の中に葬り去られ、捨てられたものたちではあるのですが、そこに思いとともに工夫を重ねることで新しいものが生まれることを知りました。
だからこそ僕は、きっとこれからも、“DUST MY BROOM”の中から、たくさんの新たに再生する力を発見できるのではないかと楽しみにしているのです。」 (菅原一剛)
- 本の長さ224ページ
- 言語日本語
- 出版社SBクリエイティブ
- 発売日2009/11/28
- 寸法19 x 2.5 x 24.8 cm
- ISBN-104797353368
- ISBN-13978-4797353365
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登録情報
- 出版社 : SBクリエイティブ (2009/11/28)
- 発売日 : 2009/11/28
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 224ページ
- ISBN-10 : 4797353368
- ISBN-13 : 978-4797353365
- 寸法 : 19 x 2.5 x 24.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,225,117位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 99,660位ビジネス・経済 (本)
- - 132,889位ノンフィクション (本)
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2009年12月3日に日本でレビュー済み
菅原氏の最新作、今日手に取りました。
写真をみて感じたのが「日本人の目」だなあという事でした。
集積されたゴミ、繰り返されるパターンを見るとふとグルツキーなどを思い出しますが、乾いていず もっと日本な湿度を感じます。
東北という土地柄、空気も関係あるかもしれません。
氏自身も語られていますが、終着点としてのゴミではなく生命力に溢れたゴミの姿に感動します。
安っぽい「エコ」ブームに淫することなく「うつくしい」と感じたものをまっすぐに写すという「 写真がもっと好きになる。 菅原一剛の写真ワークショップ。 」で繰り返し語られた言葉そのままのブレの無い骨太な写真集だと思います。
っていうかこの装丁、ボリューム、印刷で3,500円って安すぎ。即買うべき(笑)
とりあえず保存用にもう一冊購入します。
いや、これほんといい本ですよ 写真集100冊以上あるけどトップ10に入るクオリティーですよ(装丁も内容も)。もうプッシュしまくり よいしょ!
どうです奥さん! ぜひご家庭に一冊!
写真をみて感じたのが「日本人の目」だなあという事でした。
集積されたゴミ、繰り返されるパターンを見るとふとグルツキーなどを思い出しますが、乾いていず もっと日本な湿度を感じます。
東北という土地柄、空気も関係あるかもしれません。
氏自身も語られていますが、終着点としてのゴミではなく生命力に溢れたゴミの姿に感動します。
安っぽい「エコ」ブームに淫することなく「うつくしい」と感じたものをまっすぐに写すという「 写真がもっと好きになる。 菅原一剛の写真ワークショップ。 」で繰り返し語られた言葉そのままのブレの無い骨太な写真集だと思います。
っていうかこの装丁、ボリューム、印刷で3,500円って安すぎ。即買うべき(笑)
とりあえず保存用にもう一冊購入します。
いや、これほんといい本ですよ 写真集100冊以上あるけどトップ10に入るクオリティーですよ(装丁も内容も)。もうプッシュしまくり よいしょ!
どうです奥さん! ぜひご家庭に一冊!
2010年1月18日に日本でレビュー済み
「写真」というメディアが他の表現形式と較べて面白い理由は、一見リアリティを偽装する反面、撮影者の視点/視線と現実(リアリティ)の間の差異がむき出しの形で内包されてしまうところにあると思う。その差異に意識的/自己言及的な作家というのが僕は面白いのだが、この作家の場合、全ての作品集に目を通した訳ではないが、そういう要素を僕は感じない。ゴミに美と再生する力を見るとか、被写体の美を写すところで止まっている気がするのだ。(逆に、「それで十分じゃないか」という意見もあるでしょうが。)
確かに、この被写体美に論点を限れば、選別された商品として再利用を待つゴミの美は一級のミニマル・アートを彷彿とさせるようで、目の付け所と企画力、写真家の腕には感心させられた。エコ・キャンペーンの広告用写真としては満点の写真だと思う。
だが、僕らは選別・商品化前のゴミのどうしようもない姿を日常的に知っているし、再生可能なゴミを選別するモラルと回収能力に関する僕ら自身の限界も知っている。また、例えば古紙再生に限った場合、再生に必要な熱量と発生CO2を考慮すると、木を切った方が地球環境に優しいという説もある(=地球温暖化の原因がCO2にあるとした場合)。「美学/きれいごと」では済まない、ややこしく難しい話が沢山ある話題だけに、このツルンとした内容の写真集を見て、何か原発のTVCMを見てるような複雑な気分になった。端的に言うと、写真は綺麗なのだがメッセージに深みを感じないと言うか。この写真のメッセージからはみ出てしまってる問題の方が大事な気がするのですね。
確かに、この被写体美に論点を限れば、選別された商品として再利用を待つゴミの美は一級のミニマル・アートを彷彿とさせるようで、目の付け所と企画力、写真家の腕には感心させられた。エコ・キャンペーンの広告用写真としては満点の写真だと思う。
だが、僕らは選別・商品化前のゴミのどうしようもない姿を日常的に知っているし、再生可能なゴミを選別するモラルと回収能力に関する僕ら自身の限界も知っている。また、例えば古紙再生に限った場合、再生に必要な熱量と発生CO2を考慮すると、木を切った方が地球環境に優しいという説もある(=地球温暖化の原因がCO2にあるとした場合)。「美学/きれいごと」では済まない、ややこしく難しい話が沢山ある話題だけに、このツルンとした内容の写真集を見て、何か原発のTVCMを見てるような複雑な気分になった。端的に言うと、写真は綺麗なのだがメッセージに深みを感じないと言うか。この写真のメッセージからはみ出てしまってる問題の方が大事な気がするのですね。
2009年12月1日に日本でレビュー済み
人間は欲深く愚かで醜い。でも、それを乗り越える「やり直す」英知もある。
そんな「希望」を感じさせてくれる、美しく稀有な「文明論」写真集。
現在、デジタルカメラ系の月刊誌に連載中の写真ですが、写真集でまとめて一気に見ると、かなり心を揺さぶられます。深い色合いで浮かび上がる鉄製品の数々や、ガラスや紙製品、化学製品の残骸。それらは実に美しく、静かに沈黙しながらも、多弁です。人間が地球の資源を巧みに操っては文明を創造してきた英知を証明する一方で、過剰な消費に溺れ資源を収奪してきた愚かさと醜さも提示します。しかし、この写真集がすごいのは、そうした絶望感で終わらないことです。
「ダスト・マイ・ブルーム」(やり直そう)。
再生する意欲や力を人間が備えていること、そこで活きてくるのもまた人間の英知であることを、希望の光として力強く感じさせてくれるのです。人間も、まだまだ捨てたものではない、と。
そんな「希望」を感じさせてくれる、美しく稀有な「文明論」写真集。
現在、デジタルカメラ系の月刊誌に連載中の写真ですが、写真集でまとめて一気に見ると、かなり心を揺さぶられます。深い色合いで浮かび上がる鉄製品の数々や、ガラスや紙製品、化学製品の残骸。それらは実に美しく、静かに沈黙しながらも、多弁です。人間が地球の資源を巧みに操っては文明を創造してきた英知を証明する一方で、過剰な消費に溺れ資源を収奪してきた愚かさと醜さも提示します。しかし、この写真集がすごいのは、そうした絶望感で終わらないことです。
「ダスト・マイ・ブルーム」(やり直そう)。
再生する意欲や力を人間が備えていること、そこで活きてくるのもまた人間の英知であることを、希望の光として力強く感じさせてくれるのです。人間も、まだまだ捨てたものではない、と。