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いつかの夏 名古屋闇サイト殺人事件 単行本 – 2016/11/30
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「闇サイト」で集まった凶漢三人の犯行により命を落とした一人の女性がいた。彼女はなぜ殺されなくてはならなかったのか。そして何を残したのか。被害女性の生涯に寄り添いながら、事件に迫る長編ノンフィクション。
- 本の長さ376ページ
- 言語日本語
- 出版社KADOKAWA
- 発売日2016/11/30
- 寸法13.7 x 2.6 x 19.5 cm
- ISBN-104041025222
- ISBN-13978-4041025222
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商品の説明
メディア掲載レビューほか
人間の卑劣さと高潔さを徹底して描き出す
2007年8月24日、名古屋市内に在住の31歳の女性会社員、磯谷利恵さんが帰宅途中に男三人に拉致されて殺害され、岐阜県の山中に捨てられるという事件が起きた。犯人の一人が直後に警察に電話をかけて自首し、女性の遺体が発見されたことで事件が発覚した。
後に「名古屋闇サイト殺人事件」と名付けられたこの事件の犯人たちは、犯罪を行う仲間を募集するインターネットサイト「闇の職業安定所」という掲示板を通じて知り合い犯行に及んだ。事件は仲間を募る書き込みをしてから8日後、顔を合わせてから3日後に起こった。
事件があまりにも残虐で無計画なものだっただけに、マスコミは大きく報道した。「闇サイト」の存在が明るみに出た頃で注目度も大きかった。実際、私もこの事件はよく覚えている。顔も見たことがない、縁もゆかりもない男たちが、金品強奪の目的のため一人で歩いている若い女性をターゲットにした、という恐怖と怒り。屈強の男三人にかかったら、女一人を誘拐するのにわずか1、2分しかかからないのだ。
幼いころに父親を亡くし、母一人子一人で生きてきた31歳の女性の一生を、著者の大崎善生は丁寧に書きとっていく。高校時代、母が教師に「どうやったら、あんな素晴らしい娘さんに育つのですか?」と問われるほどの娘について、母は丹念に語る。大崎は平易な言葉で淡々と綴っていく。事実は事実として、母の思いは思いとして。伯母、恋人、趣味の囲碁の仲間、高校時代の親友たちが見た利恵さんは普通の女性だ。そんな人が殺されたことを受け入れられなかっただろう。その上、一人を殺しただけでは死刑判決が出ないという事実も彼らを驚かせる。司法とはそういうものだと言えるのは、当事者ではないからだ。
40回もハンマーで殴られながら最後まで生きることを望み、犯人を説得しようとした利恵さん。だが最後の最後、命を諦めてもある物を守り抜き、一つの謎を残した。解いたのは5歳年下の恋人だ。彼に託した思いは報われた。
嗚咽をこらえ読むのを止め、何度窓から外を見たことだろう。なぜ何の罪もない女性が嬲り殺しにあったのか、どうしてこの女性は最後まで生きることを諦めなかったのか。人間とはどこまで卑劣で凶悪になれるのか。逆にどこまで気高くプライド高く戦うことができるのか。本書は余すことなく描いていく。私たちは、この事件をきちんと記憶しておかなければならない。それが磯谷利恵という女性が生きた証なのだから。
評者:東 えりか
(週刊文春 2017.01.23掲載)いつかの夏―名古屋闇サイト殺人事件 [著]大崎善生
2007年夏にインターネット上で見知らぬ男3人が知り合い、31歳の女性を無計画に拉致し、命を奪った「名古屋闇サイト殺人事件」。
事件について加害者の視点から書かれたものはあったが、本書は被害者の視点から問い直す。鉄のハンマーで40回も顔面や頭部を殴られながら、必死に生きようとした彼女は何を思ったのか。刃物を突きつけられながら、キャッシュカードの暗証番号を吐かない強さをなぜ持てたのか。彼女の生い立ちから丹念に追うことで、死の恐怖に晒されながらも、自分を貫き、犯人に必死に抵抗し続けた理由が理解できてくる。
被害者視点に立つことで見えてくるものもある。マスコミは無神経な報道に終始し、裁判では永山基準が重くのしかかる。被害者に事件の終わりがないことを本書は改めて突きつける。
評者:栗下直也
(週刊朝日 掲載)登録情報
- 出版社 : KADOKAWA (2016/11/30)
- 発売日 : 2016/11/30
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 376ページ
- ISBN-10 : 4041025222
- ISBN-13 : 978-4041025222
- 寸法 : 13.7 x 2.6 x 19.5 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 470,647位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 68,070位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
そして、何時迄もお母さんを見守ってあげて欲しい。
亡くなる直前に被害者の方が言った暗証番号は本当にそんな意味が合ったのだろうかとは思う。
この本で、日本という国の裁判の欠点的なモノを知った。
お母さんや、被害者の周りの方たちが少しでもいい日々を送れますように。
作者の想像によるところがかなり多い 事実を基にした物語
内容の半分以上は 被害者の父親・母親の出自 そして 被害者本人の出自と成長
加害者に言及している箇所や犯行に至るまで そして 犯行後の加害者の足取りなどは
被害者のそれに比べると ごく一部に過ぎない
被害者と被害者の母 そして 若くして急逝した父の人となりをこれでもかと書いている
いかに彼らに平凡ながらも幸せな家庭があったのか をとても丁寧に書いている(想像部分は多いが
この作者はおそらく 被害者の幸せな生活 と 加害者の身勝手さ を対比させたかったのだろう
何人も決して奪っていいはずもない幸せな生活 をだ
しかしここで 加害者の情報の乏しさが浮き彫りになる
主犯が闇サイトでクズを募集して犯行を計画することは分かった
しかし そのクズ連中の出自も無ければ 犯歴も分からないのだ
分かるのは お互いに口だけで張り合った虚勢 それは裁判中にも垣間見れる
加害者は何者なのか?
主犯の川岸はチンケな詐欺師
共犯の神田は身体こそデカいがチンピラ
もう一人の共犯の堀こそが一番凶暴だったと後で判明する
作者はこの加害者たちも追うべきだった せめて犯歴だけでも
何をどうしてこの犯罪に辿り着いたのか 何をどうすると人を殺すという発想になるのか
それらは加害者の足跡を辿るしかないのだから
被害者・磯谷利恵さんの母・富美子さんは事件で娘さんを亡くして以来、犯人3名(神田司元死刑囚〈2015年に死刑執行〉・堀慶末被告〈無期懲役確定後、別事件で一・二審死刑判決、上告中〉・川岸健治受刑者〈無期懲役確定〉)全員への死刑適用を求めるだけでなく、現在もなお各地で公演活動を行うなどして犯罪被害者・遺族の権利確立を求め続ける精力的な活動をしておられる。光市母子殺害事件の遺族本村洋さんらが「あすの会」(全国犯罪被害者の会)を設立されてから20年近くがたつが、現在もなお愛する人を失われた方々が身を粉にしてまでこのような活動をせねばならないような状況であることから、未だに「犯罪被害者の権利確立」という「あすの会」の目標は達成されていないということなのか…そうだとすれば実に嘆かわしいことだ。
命を奪われることとなってもなお犯人たちに嘘の暗証番号を教えてまで、富美子さんの夢であったマイホーム資金を守ろうとした利恵さんの気高さに感銘したし、同時にこの卑劣な犯罪を犯しておきながら真の反省が見られない者たちへの憤りを改めて強く感じた。
さて、本事件の裁判は2009年の名古屋地裁(近藤宏子裁判長)で殺害に積極的に関わった神田・堀両名に死刑、闇サイトで犯行を募った全ての元凶である川岸は自首が認められ死刑回避で無期懲役…永山基準のうち「殺害された被害者数」が特に重視されている以上、被害者1人の殺人事件では死刑になる例が少ない傾向の下にある中では死刑求刑された3人中2人に死刑が言い渡されたことはむしろ評価すべきことかもしれないし、「『自首しても死刑は免れられない』となれば誰も自首しなくなるから、この判決は妥当」という意見もあるが、そもそも「自首が認定されたにも関わらず、それが減軽理由とは認められず死刑になった」立派な前例として、オウム真理教の岡崎一明死刑囚(坂本堤弁護士一家殺害事件の犯人のひとり。川岸同様、事件の引き金を引いた張本人であり、自首の動機も反省からではなく自己保身目的)の前例がある。故にこの判決は評価はするが、強い不満がある。
それ以前にこの川岸は「死刑になりたくないから」などと身勝手な理由で自首して仲間2人を見捨てた挙句、ろくに反省もしていない。現にこの判決直後、こいつは「誰のおかげで事件が解決したかとの思いだったから満足している。今でも悪いことはばれなきゃいいという気持ちは変わらない」などと信じられない発言をしている。
絶句した。ふざけるなとしか言いようがない。そもそも誰のせいで事件が起きたと思ってる?殺人という計画を具体化させたのは神田だし、殺害行為を主導して行ったのは神田や堀だが、すべての引き金を引いた上に被害者を強姦までしようとしたのは他の誰でもないてめぇだろう、その分際で何ほざいてやがる?というのが第一の感想だ。神田や堀はまだ「鬼畜」「悪魔」という類いの言葉で済むだろうが、こいつはそんな表現さえも生ぬるい、植松聖のような言い方をしてしまえば「人間の形をしたゴミ」だ。私が面識もない赤の他人に対してここまで憎悪を抱いたのは、後にも先にもこいつだけだろう。
個人的には、後述のように堀が碧南市の事件などで再逮捕されて以降、川岸は今からでも2004年に同じ愛知県の豊明市で発生した、あの世田谷一家殺害事件に匹敵する日本犯罪史屈指の未解決事件「豊明市母子4人殺害放火事件」の真犯人にでっち上げられて今度こそ死刑になってしまえばいいのに…と思っている。「このような不逞な輩を断罪する為ならば、冤罪があっても構わない」という、それこそ人として最低な考えまで頭をよぎってしまった程である。
問題は、2011年の名古屋高裁判決(下山保男裁判長。碧南事件で堀が再逮捕される直前に定年退官)。第一審死刑判決の堀については「自らが行った行為に対し、正面から向き合って真摯に反省しているとまではいえない」とまで糾弾しながらも、「被害者が1人である本件では死刑選択がやむを得ないと言えるほど悪質な要素があったとはいえない」「(まだ碧南の事件が判明する前とはいえ)前歴から矯正の可能性がある」として第一審を破棄、無期懲役に減軽。金目当てで罪のない通りすがりの人間を惨殺しておきながら更生の余地が見込めるなどと何を寝ぼけたことを、と憤りしか感じなかった。あまりにも片腹痛い。
堀がこの体たらくだから当然川岸は二審も無期懲役判決で、検察側が上告を断念して確定。後に堀も再び死刑判決を受けたことから、結果的に全ての元凶だけが死刑を免れたという最悪の結末で終わったことは虫唾が走る。
堀も2012年7月、最高裁で検察側の上告が棄却され無期懲役が確定した。
と思いきや、堀はその直後の8月に1998年に愛知県碧南市で夫婦が殺害された強盗殺人事件で(神田・川岸とは別の)2人の男(共に無期懲役)とともに再逮捕。こいつはこの闇サイト事件の9年前にも、さらに見ず知らずの2人の命を金目的で奪っていた・・・つまり、生涯に3人も金目当てで殺していたのだ。その後、別の強盗殺人未遂事件でも再逮捕されたことから、少なくとも4人の命を狙っていたことになる。これにより、控訴審及び上告審の「犯罪傾向は進んでいない。犯罪の親和性は低く矯正の余地がある」とした判断が誤りだったことが明らかとなった。
闇サイト事件の判決は既に確定しており、憲法39条の「一事不再理」に抵触するため再び裁くことはできないが、堀は結局闇サイト事件より前に起こしたこの2つの事件だけでおととしの第一審(名古屋地裁・裁判員裁判)及び昨年の控訴審(別の判事とはいえ、かつて堀を減軽した同じ名古屋高裁)で改めて死刑判決を受けた。
一、二審で死刑判決を受けた場合最高裁で覆ることはまずない(上告理由として認められるのは判例違反及び憲法違反の判決の場合。量刑不当は上告理由として認められない)が、堀は未だに死刑になるのを恐れているのか、往生際悪く最高裁に即日上告している。たとえこの裁判で万が一のことがあって再び無期懲役に減軽されたとしても、別々の無期懲役が2つ重なる(しかもそれが死刑求刑の場合は「マル特無期」と言って仮釈放はまず認められない、実質的な終身刑だという)。いずれにせよ一生外の空気を吸うことなどできないのは明らかなのに、何がしたいのか理解に苦しむ。5年もすれば上告棄却されて死刑囚になってるだろうが、さもすれば間違いなく「心神喪失」とか意味不明な理由付けて再審請求を起こして延命を図るだろうし、同じ名古屋拘置所収監中の木曽川・長良川連続リンチ殺人事件の死刑囚らがそうしているように、意味のない国家賠償請求訴訟も連発するかもしれない。
控訴審で堀を死刑から無期懲役に減軽した下山氏は最高裁判決より前に定年退官しているが、後にあの時と同じ名古屋高裁が堀を「死刑が妥当」と判断したことについてどう考えているのだろうか。足利事件で菅家利和さんの無期懲役判決(後に冤罪であることが明らかになり再審で無罪確定)を確定させたときの最高裁裁判長・亀山継夫氏は後に足利事件の再審無罪が確定した際も「謝罪をする筋合いじゃない」と菅家さんに対する謝罪を拒否した。そのように、この事件以前にもさらに2人金目当てで殺しており、その後その事件の裁判の一、二審で死刑判決を受けたような強盗殺人犯を「矯正の可能性がある」と片腹痛くなるような判断をしたことについて全く後ろめたさがないとすれば嘆かわしい。
(以下、話がずれます)
富美子さんは昨年の犯罪被害者支援弁護士フォーラムの講演で
・被害者の数を重要視する裁判官こそ、人の命を軽んじているのではないかとさえ思いました。また、裁判官の「殺害の態様が残虐性を増したのは、被告人らが想像しているよりも被害者が簡単に絶命しなかったため、殺害手段を次々に変えた結果である」という言葉は、残虐になったのは娘がさっさと死ななかったせいだと言われているような気がしました。
・被害者の数がそんなに重要なのでしょうか。何の目的で誰をどのようにしたかという犯罪内容が一番重要なのではないでしょうか。その中にこそ、犯した者の人間性のすべてがあらわれているのではないでしょうか。
・「加害者の更生という未来の不確定なことを前提にして裁くのではなく、まじめに生きている人を守ることを優先して裁く司法であってほしい」
と述べられたが、まさにその通りではないかと思う。
判決を出す際は過去の判例に従うべきだというし、もちろん特に死刑判決を出す際には慎重さやそれなりの基準が必要であることは百も承知だが、殺害された被害者がこの事件のように1人であろうと、昨年相模原市で発生した戦後最悪の大量殺人事件のように19人であろうと、「人が殺された」という事実は変わらない。「永山基準」の条項の一つに「殺害された被害者数」があるが、ここでは「被害者が1人の場合は死刑を回避すべき」とは誰も明言していない。この「人が殺されたという事実は一緒なのに、なぜ被害者が1人ならば死刑にしないのか」という専門家から一般市民まで老若男女問わず多くの人が持っている疑問に対して、「永山基準」から30年以上過ぎても未だになお明確な答えを司法が出せていないというのは呆れる。過去の判例がどうのこうのと逃げるばかり。どうりでご遺族も司法に不信感を抱かれるわけだ。
(ちなみに、永山基準が示されて以降も「被害者1人で殺人前科がなくても高裁・最高裁で死刑判決が言い渡され確定した例」はある。三島女子短大生焼殺事件、横浜中華街店主射殺事件、JT社員逆恨み殺人事件がそれだ。三島市の事件は被害者を強姦して焼き殺したという点で後述の松戸市の事件と似ている)
余談だが、最近も裁判員裁判による死刑判決を3度破棄した東京高裁の村瀬均元判事(定年退官)がいて各界から大きな批判・非難を浴びた。この判事はある事件(強盗・強姦など多数の凶悪犯罪の「前科〈永山基準で示された項目の一つ〉」がある者が松戸市の事件で強盗殺人・強盗強姦・放火の罪に問われた)では「被害者が1人で殺人前科もないから」といって死刑回避したかと思えば、今度は別の事件(殺人前科のある者が出所直後に南青山で強盗殺人)で「前科を過度に重視すべきではない」と、そして挙句の果てには長野市で発生した殺害された被害者が3人の強盗殺人事件でも「過去に似たようなケースがないから」とか言って死刑回避。最初に挙げた松戸の事件はまだ筋が通っていなくもないが、だったらなぜ南青山の事件は死刑にしなかったのか、長野の事件に至ってはそれこそ永山基準でも十二分に死刑になる案件だろうと。もはや光市事件の弁護団もびっくりするくらい、村瀬氏の言動は支離滅裂である。松戸の事件でさえ、殺人前科は無くても凶悪犯罪の前科多数で殺害方法も執拗で残虐、一切情状酌量の余地などないのに「被害者が1人だから」という理由だけで死刑にならないとか、これだけでもふざけてるのか?と思うし、前述のように「永山基準」が示されてからも被害者1人でも高裁・最高裁で死刑判決が言い渡され確定した例は複数件あるだけに不信感が拭えない。裁判員制度を何のために導入された制度だと思っているのかと。
そもそも、過去の判例だけに則って判決を出すのならば、それこそ「ロボットに判決を出させれば十分」である。何のために一つ一つ事情の異なる事件を時間をかけて審理しているのか、裁判官たちは本当に考えたことがあるのか?
そして富美子さんはじめ多数の凶悪事件の被害者・遺族ばかりか彼らを支援する同じく日弁連所属の弁護士たちまでも憤っていたが、日弁連は昨年10月、人権擁護大会で「2020年までに死刑制度の廃止を目指す」という採択を出した。それもこの決議に出席した弁護士は全弁護士3万7000人のうちわずか2パーセント、賛成を投じたのは546人(1.4パーセント)に過ぎないのに、すべての日本の弁護士が強制加入を義務付けられているこの組織の名で死刑廃止宣言を出すとは。しかも、この日本で戦後最悪の大量殺人事件が起きてからわずか2か月後に。もはや寒気がする。
そればかりか、その中では死刑廃止論者の瀬戸内寂聴が「殺したがるばかどもと戦ってください」などと言い放った。言うまでもなく、犯人の死刑を望むか死刑制度に賛成する犯罪被害者・遺族らを侮辱した表現だ。彼ら遺族は大切な人を「実際に殺された」から、その悲しみを癒すため、自分と同じような悲しみを味わうような人々が二度と出ないように…など、様々な複雑な心境で死刑を望んでいるのである。それを「ばかども」だと?そもそも日弁連が擁護している犯罪者たちこそ「(実際に人を)殺したばか」そのものではないか。瀬戸内は「人が人を殺すのは一番野蛮なこと」として死刑反対を訴えたが、それこそまさにこいつらが擁護してる犯罪者どもに向けるべき言葉だろう。そんな自覚さえもないとすれば寒々しい。
かつて、光市母子殺害事件で加害者の肩を持った挙句、本村さんに暴言を吐いた菊田幸一もそうだ。この男も「被害者の苦痛なんて交通事故のように一瞬だけ、加害者の苦しみの方が大きい」と妄言を吐いていた。この手の輩は所詮、被害者や遺族の心情に思いを馳せることも、論理的に(冤罪以外の理由で)「罪のない人々の人権を蹂躙した」凶悪犯の人権を被害者以上に擁護せねばならない理由を示すことも、死刑廃止の有効な代替案を示すこともできないような者たちだけである。実際に目に見える暴力に走っていないという点を除けば、オウム真理教よりはるかに質の悪い集団である。
彼ら死刑廃止論を軽々しく唱える者たちはこの闇サイト事件の犯罪者たちは勿論、麻原彰晃(オウム真理教事件)、松永太(北九州監禁殺人事件)、宅間守(附属池田小殺傷事件)、加藤智大(秋葉原通り魔事件)、宮崎勤(東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件)、関光彦(市川一家4人殺人事件)、小林正人・小森淳→大倉淳→黒澤淳・河渕匡由→芳我匡由(木曽川・長良川連続リンチ殺人事件)、大月孝行(旧姓福田、光市母子殺害事件)、そして相模原市で昨年起きた戦後最悪の大量殺人事件の植松聖…
いずれも何回死刑になっても足りないような極悪人(まだ初公判も開かれていない植松以外はいずれも平成でも指折りの凶悪死刑囚)であるが、このような救いようもないような極悪人たちでさえ「死刑にするな」と言うつもりか?
まさに「冗談も休み休み言え」の一言に尽きる。私は幼少期から「自分と違う意見でも尊重しろ」と教えられていたが、このような凄惨な犯罪で大切な人を失った被害者や遺族の悲しみや苦しみもわからない、というかわかろうともしない者たちの考えなんざ、尊重しろと言われても無理である。
・犯行当時19歳、少年とはいえ死刑の適用も可能な年齢で一家4人を惨殺しておきながら「女子高生コンクリート詰め殺人事件の犯人たちでさえ死刑どころか無期懲役にすらならなかったのだから、俺なんか少年院行きで終わりでしょ」とか勘違いしており、反省の色もなかった関光彦。しかしこいつは第一審、控訴審、最高裁とストレートで死刑判決を受け確定。なんだかんだ少年でも死刑になるとはいえ、後の福田どころか永山でさえ無期懲役判決だった時があったように、第一審から最高裁までストレートで確定なんて滅多にない。関について作家の永瀬隼介氏がその真相に迫ろうとした(『 19歳 一家四人惨殺犯の告白 』)が、結局彼も精神を病んであわや命に関わる事故を起こした挙句「こいつは理解不能だ。救いようのないクズだ」で片づけてしまったぐらいである。
・凄惨なリンチの末に11日間で何の落ち度もない4人を嬲り殺しにするという、3府県にまたがる少年犯罪史上でも例を見ない凶悪犯罪を起こしておきながら、法廷では主役気取り・責任の押し付け合いに終始していた小林・小森・芳我の3人。まさに神田・堀・川岸と構図がそのまんま。その癖死刑を求刑されるとまるで川岸・堀みたく、白々しく中身のない反省を装い、死刑囚となれば結局、意味不明な理由で再審請求を起こす有様。
・大月(福田)は一・二審無期懲役だったことをいいことに調子に乗り、そのまま反省したふりを通せば無期確定で済んだかもしれなかったものを「7年でひょっこり顔を出す」「第二の犠牲者が出るかも」などと手紙に記し、本村さんをも侮辱。それが原因で、最高裁で判決が覆る可能性が浮上するが、否や例の弁護団による裁判のドタキャン、ドラえもんだのままごとだの復活の儀式だの頓珍漢な主張を繰り広げた。
・麻原や松永は共犯者ら(前者は村井秀夫・新実智光・岡崎一明・林泰男らたくさんの信者たち、後者は共犯者の緒方純子ばかりか被害者たちをも!)を絶対服従下に置いた上で、自らは手を汚すことなくたくさんの無辜なる人を手にかけた首謀者でありながら、いざ逮捕されて裁判にかけられると犯行を共犯者だけのせいにして、自分はいけしゃあしゃあと「私はやっていない潔白だー(棒読み)」などと無罪を主張していた。これは本事件裁判で互いに責任を押し付け合った3人や、後の碧南事件の裁判でも共犯者に責任を押し付けていた堀の態度に通じるものがある。
・「冤罪の可能性があるから死刑は廃止すべきだ」と廃止論者は言うが(確かに戦後、4つの死刑冤罪事件という汚点があったのは事実)、ではその心配が100%ない、たくさんの目撃者の前で「誰でもよかった」と大量殺戮を行い、確たる証拠がある中で現行犯逮捕され、事実認定も争っていない宅間や加藤のようなケースには死刑以外でどう対処する?無辜なる幼女たちを次々と手にかけ、被害者遺族に愛娘の遺骨を送り付けるという鬼畜の所業を行った宮崎もまた然り。そもそも「冤罪をなくす努力をする」ことの方が大切なのでは?死刑だろうと終身刑だろうと懲役100年だろうと、冤罪で取り返しがつかないのは同じことだし、現に足利事件の菅家さんも死刑ではなく無期懲役で苦しんだ。もしこんな理由で死刑廃止が許されるなら、「懲役刑も残酷だから廃止しろ」と話が際限なく進んでいくだろうし、先ほど挙げた宅間・加藤のように証拠もちゃんとある凶悪犯でさえろくに断罪できないという、それこそ恐ろしい事態が生じる。
・極めつけは「障害者なんていなくなればいい」という一方的で身勝手な憎悪や偏見、「第三次世界大戦を未然に防ぐため」(こいつの言う「意思疎通のできない重複障害者」のどこに、第三次大戦なんて起こせるほどの力がある?)などの荒唐無稽な理屈から19人を惨殺した戦後最悪の大量殺人事件を起こしておきながら「障害者を殺戮したのは正しいこと。俺は救世主、犯行は日本のため」(そもそも日本は殺人鬼に救われるほど腐っちゃいないし、そこまで堕落した世界ならいっそ滅んだ方がマシだ)「日本の法律では犯罪を犯したら刑罰を受けるのは当然だが、俺は権力者に守られているから死刑にならない」(その権力者とは誰だ?そもそも、戦後最悪の大量殺人鬼を死刑から救えるような権力者などこの世に存在するのか?)などと今なお取り調べの中で妄言を吐き続けている、バグったサト君こと植松聖。「世界が平和になりますように。beautiful Japan!!!!!!」とか逮捕直前にTwitterに書き込んでいたが、犯行予告状の中で何の脈略もなく(しかも「障害者を抹殺したい」という趣旨とは何一つ関係ない)「UFOを2回見たことがある。俺は未来人かもしれない」とか書いたり、ましてや大量殺人を犯しておきながら「心神喪失で無罪にしろ、2年でシャバに出して5億よこせ、偽名や整形費用も国税で用意しろ」とかぬかしてるようなヤツがシャバにいるようじゃ、それこそ第三次世界大戦開戦も時間の問題だろうよ。川岸みたいに死刑を免れて勝ち誇っていたが故に不快感が大きくなるような輩とは違い、こいつはほっといてもいずれ間違いなく死刑になるだろうから不快感は抑えられてはいるが、いずれ自分自身こそまさに東京拘置所で毎年ン億円もの税金食い潰すだけの社会のお荷物に成り下がるのが目に見えてるくせに、よくもまぁ「障害者は税金の無駄だから要らない、安楽死させろ」とか偉そうなことがぬかせたものだ。
こんな救いようのない輩でさえも完全に改心させた上で社会復帰させられる、と断言できるのか?
光市事件では例の弁護団の頓珍漢な主張が始まって以来、「過剰なまでの」弁護団バッシングが繰り広げられたが、私は正直あの時の報道は間違っちゃいないと思った。というか弁護団の頓珍漢な主張や非常識な言動に限らず、大月(福田)を擁護する連中の「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうから傷害致死、人数は0.5人。だからこの事件の被害者は1.5人」(ちょっとしたことですぐ死んでしまう=大人だったら未遂で済むようなことでも簡単に殺人罪が成立しうる、とは考えなかったのか?)だの被害者遺族への暴言だのが兎に角腹立たしかった。あの裁判の戦いは「絶対善vs絶対悪のハルマゲドン…最終戦争」というのが率直な感想である。勿論前者(絶対善)は本村さんら被害者遺族や検察側、後者(絶対悪)は大月や弁護団以下その取り巻きたちのことである。
今度の植松の裁判では一体どんな頓珍漢な主張が繰り広げられることやら…「障害者は人の形をした物であって、人ではない」という植松の主張を根拠に「殺人ではなく器物破損」とか主張するかもしれない。
要は、富美子さんが昨年の講演で仰った「人はどのような人でも最低限の道徳心を持ち合わせていると思っていたが、それは大きな誤りで、きれいごとでは済まされない、どうしようもない人間が存在することを認識する必要がある」という言葉に集約されているのである。
(本題に戻ります。本事件とは全く無関係ではないでしょうが、本題からずれた長文失礼いたしました)
今年で早くもこの忌まわしき事件から10年の時が流れたが、ご遺族の心に残ったのは娘さんの無念を晴らせなかった悔しさと、司法に対する不信感だけであった。
第一審で自ら控訴を取り下げ死刑判決を「受け入れた」かのように見えた神田でさえ、死刑執行される最期の時まで反省や被害者・遺族への謝罪の言葉はなく、その動機などについても一切語らなかった。
闇サイトで犯行を募った全ての元凶である川岸は結果的に自分だけが死刑を免れるという最悪の結果となった。
死刑から無期懲役に減軽された堀はそれっきり遺族への謝罪の手紙を送らなくなり、結局第一審で見せた反省の態度は死刑回避のための演技であったこととなった。その後別の事件で逮捕されて死刑判決を受けるという有様である。
このようにあまりにも後味の悪い事件ではあるが、だからこそこの事件は風化させるべきではない。
このような悲劇を風化させないためにも、多くの人にこの本を取っていただき、磯谷利恵さんという一人の女性が生きていたということ、そしてこの忌まわしき事件が現実にあったことを知っていただきたい。
最後に、31年の短い生涯をあまりにも理不尽な形で絶たれてしまった本事件の被害者・磯谷利恵さんと、堀によって闇サイト事件の9年前に碧南市で殺害された馬氷一男さん、里美さんご夫妻へのご冥福をお祈り申し上げます。
当時31歳の女性を「なぶり殺す」という事件が起きた。
一人殺害の場合は無期懲役が一般的だが、あまりのひどさに死刑判決が出た。
本書は、被害者・磯谷利恵さんの31年の人生を丹念に追ったノンフィクションである。
40回もハンマーで殴られながら、それでも生きようとしただけでなく、
最後の力を振り絞って犯人たちに罠を仕掛ける――。
幼いころに父親を亡くし、母一人子一人で生きてきた31歳の女性の一生を
著者は丹念にていねいに拾い上げてゆく。
彼女が最後に取った勇敢な行動は、この「生育歴」にもあっただろう。
母親との関係も丹念に取材されている。
普通の女性の勇気ある行動に、読みながら何度も涙した。
こういうノンフィクションはめったにない。
「泣かせ」のあざとさも全く感じない。
彼女が最期に残した暗号の謎が解かれるあたりは、本書の白眉。
かつ、驚きと彼女に対する尊敬の念さえ抱いた。
もっともこの暗号の意味は、確証ではないのだが……。
悲惨な事件を描いたノンフィクションにもかかわらず、
なぜか「勇気」のようなものをもらえた気がしたのは私だけだろうか。
この本を読み、お母様や恋人の方、周りのご友人の方々の深い悲しみが伝わってきました。
また犯人たちの短絡的な行動に改めて怒りと、なんとも言えない切ない気持ちになりました。
ますますのネット社会になっている中で、決して忘れてはならない事件だと思います。