NHKスペシャル 電子立国 日本の自叙伝 DVD- BOX 全6枚セット
形式: DVD
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商品の説明
半導体王国・日本はいかにして生まれ、築きあげられたのだろうか。
1980年代の終わり、日本の半導体産業は世界を席巻した。アメリカが開発した新技術を日本の技術者がいかに吸収し、追いつき、そして追い越したのか。当時の半導体産業の全貌と、それを生み出し、発展させ、産業に築きあげた日本の科学者や技術者たちの考え方、生き方を描いたハードウェアの歴史を巡る物語。NHKスペシャルの金字塔がDVDでよみがえる。
企画・構成・編集:相田 洋(「電子立国 日本の自叙伝」ディレクター)
語り:三宅民夫
○1991年1月~9月 NHK総合テレビで放送
☆1992年 芸術選奨文部大臣賞受賞
【BOX購入特典】
リーフレット(相田 洋コメント)
【内容】
第1回 新・石器時代 驚異の半導体産業
第2回 トランジスタの誕生
第3回 石になった電気回路
第4回 電卓戦争
第5回 8ミリ角のコンピューター
第6回 ミクロン世界の技術大国
*DVD6枚組
*494分収録/画面サイズ4:3
登録情報
- アスペクト比 : 1.33:1
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 梱包サイズ : 19.8 x 14 x 9.6 cm; 698.53 g
- EAN : 4988066163791
- メディア形式 : 色
- 時間 : 8 時間 14 分
- 発売日 : 2009/3/27
- 販売元 : NHKエンタープライズ
- ASIN : B001OGTX6G
- ディスク枚数 : 6
- Amazon 売れ筋ランキング: - 69,231位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 1,141位ドキュメンタリー (DVD)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2024年1月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
若い者にも見せていかに日本が取り組んでいたか先人の知恵と工夫、改善、の繰り返しを行って、今の日本が出来上がっているのを知らせておきたい。
2021年7月16日に日本でレビュー済み
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技術屋必見‼ものづくり日本を支えた先駆者たちの苦労がとても面白くて興味深く、時には笑えるとても良い作品です。また、司会の二人が技術的な素人なので質問も素朴で見てる方も"そこが知りたかった"みたいな、かゆいところに手が届く感じで良く分かります😄
是非、続編の新電立国のDVD化してもらいたいものです。
是非、続編の新電立国のDVD化してもらいたいものです。
2021年6月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
文系ですが仕事柄、20数年前の入社当初、会社の上司に勧められて初めて見て感動したのを覚えています。懐かしくなりDVD購入しました。原理の発明から実用化までの長い道のりと共に半導体とは何ぞやという基本的なことまで丁寧に解説してくれます。戦後、基礎研究から量産に至るまでの壁を先人達がどのように乗り越えて来たか、生々しいドキュメントが時に笑いを誘うエピソード共に繰り広げられます、当時の世界の先端を行くアメリカから貪欲に学び取ろうとする先人達の悪戦苦闘の日々。これは日本の半導体産業史のみならず半導体そのものの産業史としての価値も高い映像資料と思います。残念なのはこの放送の後、90年代から2000年代にかけて日本の半導体が凋落の一途をたどってしまったことでしょう。東芝メモリの後進であるキオクシアの手がけるNANDフラッシュメモリーを除くと微細化と言う視点では最先端からは遅れを取っている現状。唯一、材料技術、製造装置技術が世界の最先端半導体技術を支えています。理系離れの話や大学の基礎研究環境悪化の話を聞くに連れ、今一度、ものづくりに真摯に向き合うことの素晴らしさをこの作品から感じ取ってもらえたらと願うばかりです。
2021年3月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
素晴らしい。
子供の頃に観たが、長年この映像が欲しくてようやく買えました。
他の方も書いていますが、今はもう亡くなられた方々のインタビューは貴重。
子供の頃に観たが、長年この映像が欲しくてようやく買えました。
他の方も書いていますが、今はもう亡くなられた方々のインタビューは貴重。
2009年4月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
★〜“未知・クリエーティブな「こと」”を、全く評価出来なかった政治家・官僚・大企業・・彼らの愚かさの証明・・それが世界初の“MPU”開発 〜★
ビジコン・グループ(小島社長:日本計算器含む)はマイクロプロセッサ‘MPU’の開発で取り上げられることが多いのですが、既に同時期、液晶ディスプレイやバブルジェットプリンタ の開発も熱心に手がけておりました。
液晶は、時計のディスプレイ(世界初の実用製品)として、三越百貨店(岡田社長)より発売され、バブルジェットプリンタは、NCRのサーマルプリンタ技術に触発され普通紙ノンインパクトプリンタとして実用化に向け開発途上にあり、同様のプリンターを高千穂交易がドイツABディック社から輸入していましたが、共にコンシューマユースには未完成な状況でした。 なお、小島社長と米国NCRのCEO:William S. Anderson (1973-1995)氏とは、彼が香港在住中から交流がありました。
この様に、当時のビジコンGには‘チャレンジ精神’に溢れた若い研究者がおり多くの成果をあげておりましたことも是非知って頂きたいと思います。
〜 研究者の皆さんは京セラ・堀場製作所・TI 始め国内外の企業に移られ今もなお活躍しておられます 〜
マイクロプロセッサ‘MPU’の開発は、三菱電機が米国「TRW」社より技術導入し、同社鎌倉製作所(太田所長)で製造した‘M1530’が、それまでのワイヤードロジックから大幅にソフトウエアロジック(現在の‘ファームウエア’に相当する)の概念を取り入れており、当時のビジコン汎用コンピュータ保守技術者はこのことを良く知っていました。 ‘M1530’は、ポラリス型ICBMを搭載する原子力潜水艦に積載する目的で開発された制御用のコンピュータであり、極力コンパクトに造る必要があったため、この様な設計思想を採用したと思われます。
〜‘M3100’は‘M1530’の周辺装置を変更した廉価リメイク版であり、アーキテクチャー&ロジック はほぼ同一です 〜
当時、同製作所ではロッキードF104J戦闘機の電子装置をノックダウン生産しており、その部品の中に‘IC’が含まれていた? 記憶があります。
一方「モステック」社は、MOS型LSIの高密度化技術を持ち、12桁の「1チップ」低消費電力のLSIをビジコンの依頼で開発しました。 ただし、熱分布に課題がありクロックは外付けでしたが、同時期のシャープ製品はまだ「4チップ」構成LSIセットを使用している段階でした。
顧客ニーズを満たすためには、大規模LSIの開発が必須でしたが、開発コスト・開発期間、が高機能化につれ大幅に増大するうえ、デバッグ作業も大変(パターンの修正が必要)でした。
上記2社から得た知識に加え、ビジコン社の汎用ニーズとそれを満たす‘優れた発想力’、‘嶋君の努力’及び‘幸運’、創業間もない インテル社(R.ノイス)の‘ハングリー精神’が、世界初の‘4004 MPU’=‘1チップ汎用CPU’を生み出した、と考えております。
〜 ビジコンGは「アイデア」のみならず「資金・人材」の提供をも行い、単に開発や生産の委託をインテル社に行ったわけではありません! 〜
秋田大学医学部医学研究科教授 中村 彰氏の研究テーマ(文科省助成)として、「MPUが生まれた、ビジコン社の開発環境・雰囲気・背景」が取り上げられておりますことを2007年1月に知りました。 その中で特許庁におられた馬場氏の記事「幻の特許」には「もし特許を取得していれば年間200〜3,000億円の特許料収入が得られたであろう」と記述されています。 なお、当時の通産省の年間予算は約6,000億円でした。
〜〜〜〜〜〜 私たちが青春の夢と希望をかけた「ビジコン」社の記録でもあります 〜〜〜〜〜
<「パソコンウォーズ最前線」(田原総一朗 著)>
には、マイクロプロセッサーの申し子、“スモールコンピュータ(オフコン)”〜“パーソナルコンピュータ(パソコン)”開発先駆者達の興味深い話が載っています。
<「パソコン創世記 富田倫生著」より抜粋>
・・・・・電卓戦争に加わったメーカーの一つに、ビジコン社がある。
国内でのシェアはごくわずかでそれゆえ知名度も低かったがアメリカ向け輸出ではトップ。一九六六(昭和四十一)年七月には、当時四〇万円台が相場とされていた電子卓上計算機界に、三〇万円を切りしかも性能面でも従来機を大きく上回った新製品をデビューさせて業界を震撼させる。さらに一九七一年一月には、ポケット電卓の先駆けとなった「てのひらこんぴゅうたあ」を発表。
技術開発の面では常にトツプに立ってきたビジコン社だが、対米輸出を経営の柱としていた同社にとって、一九七三(昭和四十八)年の石油ショックの与えた影響は深刻だった。円安による大幅な為替差損を背負い、作れば作るほど赤字となる事態に立ちいたったのである。一九七四年二月、ビジコン社はついに倒産に追い込まれる。しかし倒産後も同社は、マイクロコンピューターを生んだルーツとして歴史に名をとどめることになった。
・・・・・4004の開発にめどがついた時点で、ビジコン社社長、小島義雄は記憶装置にたくわえたプログラムをマイクロコンピューターで処理し、インターフェイス回路を通じて情報の出し入れを行うというマイクロコンピューターのシステムに特許が取れないものかを考慮したという。だが、LSIの技術も存在し、プログラムをたくわえておいて実行するという方式もコンピューターでは行われていたことから、小島は特許の取得を断念することになった。
しかし、専門家のあいだでは、この新しい技術に特許性は認められたのでないか、とする声が強い。
歴史に「もし」はありえないとしても、これほど好奇心を刺激するものもないことも事実だろう。特許庁の馬場玄式は、『インターフェース』誌一九七七年十月号でこの魅力的なシミュレーションを行っている。
「(マイクロコンピューターに関する特許を)外国にも出願してあったとすると、この関係の売り上げが一兆〜一〇兆円としても、実施料二〜三%として二〇〇億円〜三〇〇〇億円の実施料が入ることになる。(あの『IBM帝国』の一九七六年度の利益が六〇〇〇億円である!)インテル社にMCS―4(4004を使った、マイクロコンピュータのセット)の原型を発注した日本のビジコン社が特許の権利化に二、三億円の投資をしていたら、マイクロコンピュータによる『ビジコン帝国』が誕生していたであろうに! しかし、いまとなってはすでに遅い。まさに〈幻の帝国〉である」・・・・・
<ご参考> 謄写版“ガリ版”の発明者の堀井新冶郎氏のご夫人と、日本計算器(ビジコン)創業者の小島和三郎氏のご夫人は、姉妹の間柄です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記> 小島義雄社長(ビジコン/日本計算器)は、2013年:平成25年11月10日、逝去 (89歳)されました。 合掌
<追記> 茨木市史 第三巻 通史Ⅲ(近現代)942~3 頁 に(北野裕子 著)「茨木とシリコンバレー ~日本計算機株式会社 茨木製作所~」の表題にて掲載されています。 (2016年:平成28年8月 発刊)
ビジコン・グループ(小島社長:日本計算器含む)はマイクロプロセッサ‘MPU’の開発で取り上げられることが多いのですが、既に同時期、液晶ディスプレイやバブルジェットプリンタ の開発も熱心に手がけておりました。
液晶は、時計のディスプレイ(世界初の実用製品)として、三越百貨店(岡田社長)より発売され、バブルジェットプリンタは、NCRのサーマルプリンタ技術に触発され普通紙ノンインパクトプリンタとして実用化に向け開発途上にあり、同様のプリンターを高千穂交易がドイツABディック社から輸入していましたが、共にコンシューマユースには未完成な状況でした。 なお、小島社長と米国NCRのCEO:William S. Anderson (1973-1995)氏とは、彼が香港在住中から交流がありました。
この様に、当時のビジコンGには‘チャレンジ精神’に溢れた若い研究者がおり多くの成果をあげておりましたことも是非知って頂きたいと思います。
〜 研究者の皆さんは京セラ・堀場製作所・TI 始め国内外の企業に移られ今もなお活躍しておられます 〜
マイクロプロセッサ‘MPU’の開発は、三菱電機が米国「TRW」社より技術導入し、同社鎌倉製作所(太田所長)で製造した‘M1530’が、それまでのワイヤードロジックから大幅にソフトウエアロジック(現在の‘ファームウエア’に相当する)の概念を取り入れており、当時のビジコン汎用コンピュータ保守技術者はこのことを良く知っていました。 ‘M1530’は、ポラリス型ICBMを搭載する原子力潜水艦に積載する目的で開発された制御用のコンピュータであり、極力コンパクトに造る必要があったため、この様な設計思想を採用したと思われます。
〜‘M3100’は‘M1530’の周辺装置を変更した廉価リメイク版であり、アーキテクチャー&ロジック はほぼ同一です 〜
当時、同製作所ではロッキードF104J戦闘機の電子装置をノックダウン生産しており、その部品の中に‘IC’が含まれていた? 記憶があります。
一方「モステック」社は、MOS型LSIの高密度化技術を持ち、12桁の「1チップ」低消費電力のLSIをビジコンの依頼で開発しました。 ただし、熱分布に課題がありクロックは外付けでしたが、同時期のシャープ製品はまだ「4チップ」構成LSIセットを使用している段階でした。
顧客ニーズを満たすためには、大規模LSIの開発が必須でしたが、開発コスト・開発期間、が高機能化につれ大幅に増大するうえ、デバッグ作業も大変(パターンの修正が必要)でした。
上記2社から得た知識に加え、ビジコン社の汎用ニーズとそれを満たす‘優れた発想力’、‘嶋君の努力’及び‘幸運’、創業間もない インテル社(R.ノイス)の‘ハングリー精神’が、世界初の‘4004 MPU’=‘1チップ汎用CPU’を生み出した、と考えております。
〜 ビジコンGは「アイデア」のみならず「資金・人材」の提供をも行い、単に開発や生産の委託をインテル社に行ったわけではありません! 〜
秋田大学医学部医学研究科教授 中村 彰氏の研究テーマ(文科省助成)として、「MPUが生まれた、ビジコン社の開発環境・雰囲気・背景」が取り上げられておりますことを2007年1月に知りました。 その中で特許庁におられた馬場氏の記事「幻の特許」には「もし特許を取得していれば年間200〜3,000億円の特許料収入が得られたであろう」と記述されています。 なお、当時の通産省の年間予算は約6,000億円でした。
〜〜〜〜〜〜 私たちが青春の夢と希望をかけた「ビジコン」社の記録でもあります 〜〜〜〜〜
<「パソコンウォーズ最前線」(田原総一朗 著)>
には、マイクロプロセッサーの申し子、“スモールコンピュータ(オフコン)”〜“パーソナルコンピュータ(パソコン)”開発先駆者達の興味深い話が載っています。
<「パソコン創世記 富田倫生著」より抜粋>
・・・・・電卓戦争に加わったメーカーの一つに、ビジコン社がある。
国内でのシェアはごくわずかでそれゆえ知名度も低かったがアメリカ向け輸出ではトップ。一九六六(昭和四十一)年七月には、当時四〇万円台が相場とされていた電子卓上計算機界に、三〇万円を切りしかも性能面でも従来機を大きく上回った新製品をデビューさせて業界を震撼させる。さらに一九七一年一月には、ポケット電卓の先駆けとなった「てのひらこんぴゅうたあ」を発表。
技術開発の面では常にトツプに立ってきたビジコン社だが、対米輸出を経営の柱としていた同社にとって、一九七三(昭和四十八)年の石油ショックの与えた影響は深刻だった。円安による大幅な為替差損を背負い、作れば作るほど赤字となる事態に立ちいたったのである。一九七四年二月、ビジコン社はついに倒産に追い込まれる。しかし倒産後も同社は、マイクロコンピューターを生んだルーツとして歴史に名をとどめることになった。
・・・・・4004の開発にめどがついた時点で、ビジコン社社長、小島義雄は記憶装置にたくわえたプログラムをマイクロコンピューターで処理し、インターフェイス回路を通じて情報の出し入れを行うというマイクロコンピューターのシステムに特許が取れないものかを考慮したという。だが、LSIの技術も存在し、プログラムをたくわえておいて実行するという方式もコンピューターでは行われていたことから、小島は特許の取得を断念することになった。
しかし、専門家のあいだでは、この新しい技術に特許性は認められたのでないか、とする声が強い。
歴史に「もし」はありえないとしても、これほど好奇心を刺激するものもないことも事実だろう。特許庁の馬場玄式は、『インターフェース』誌一九七七年十月号でこの魅力的なシミュレーションを行っている。
「(マイクロコンピューターに関する特許を)外国にも出願してあったとすると、この関係の売り上げが一兆〜一〇兆円としても、実施料二〜三%として二〇〇億円〜三〇〇〇億円の実施料が入ることになる。(あの『IBM帝国』の一九七六年度の利益が六〇〇〇億円である!)インテル社にMCS―4(4004を使った、マイクロコンピュータのセット)の原型を発注した日本のビジコン社が特許の権利化に二、三億円の投資をしていたら、マイクロコンピュータによる『ビジコン帝国』が誕生していたであろうに! しかし、いまとなってはすでに遅い。まさに〈幻の帝国〉である」・・・・・
<ご参考> 謄写版“ガリ版”の発明者の堀井新冶郎氏のご夫人と、日本計算器(ビジコン)創業者の小島和三郎氏のご夫人は、姉妹の間柄です。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<追記> 小島義雄社長(ビジコン/日本計算器)は、2013年:平成25年11月10日、逝去 (89歳)されました。 合掌
<追記> 茨木市史 第三巻 通史Ⅲ(近現代)942~3 頁 に(北野裕子 著)「茨木とシリコンバレー ~日本計算機株式会社 茨木製作所~」の表題にて掲載されています。 (2016年:平成28年8月 発刊)
2017年5月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ズバリおもしろかった。
タイトルの電子立国たる所以のストーリーが、垣間見れました。
さすがに今、視聴すると映像の荒さは致し方ないですが、
それをも超えるほどの面白さがあります。
タイトルの電子立国たる所以のストーリーが、垣間見れました。
さすがに今、視聴すると映像の荒さは致し方ないですが、
それをも超えるほどの面白さがあります。
2018年3月23日に日本でレビュー済み
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「現代」という視点では今となっては古いですが、タイトル通りに黎明期からの発展をたどるうえでは国宝級だと思います。
2023年2月1日に日本でレビュー済み
テレビのドキュメンタリー番組枠ではNHKスペシャル、NNNドキュメント(日テレ)、TBS報道特集の3つが御三家なのだそうだが、今の民放はもうマトモなドキュメンタリーを作る事はほぼ投げていて、総花的な「情報番組」ばかりになってしまっているので、量質ともに圧倒的なのがNHKスペシャル(旧HNK特集)である。
そのNスペの半世紀に上る歴史で、なぜこの狭い部屋のオッサン二人の会話の合間合間に資料やインタビューの映像を流すだけの地味な作品(映像も冴えない)が、「シルクロード」や「映像の世紀」と並ぶ評価を与えられているのか、観た人でしか分からないかもしれない。
まず第一回目で、(通常であれば半導体の概念だけ大雑把に説明するところが)、シリコン素材の岩石の採掘から話を始め、製造工程を事細かに、しかも分かりやすく説明している。この丁寧さは回を追って行っても変わらない。
産官学(ほとんどが産)のエンジニアたちの膨大なインタビューは、西澤潤一、井深大からバーディーン、キルビー、ノイスにまで及ぶ豪華なものだが、むしろ興味を惹かれるのは多くの企業エンジニアたちの泥臭いまでの工夫の話の方で、殆どが亡くなった今では大変貴重なものである。近年のドキュメンタリーのように芝居じみた変な演出がなく、事実をもって語らせた感があり(というより作り手に伝えたいことが一杯ありすぎてそんなことをしてる暇ないといわんばかりで)、これはドキュメンタリーの鑑といえる。
そして、そういう演出過剰な番組に限って「日本スゲえな」みたいな方向へ舵を切ってしまうものだが、実はそういう今どきの潮流を作り出してしまった源流にあたる本番組の方は、日本人たちによる(漱石のいわゆる)小刀細工へ温かい目を向ける反面で、その限界や卑小・小狡さに対しても冷厳な眼差しを向けている。
相田洋氏自身は、最近のNHK不払い運動に対して「そういうふうに言われない番組を作っていきたい」とだけ語っていたそうで、こういう言葉が出てくるのは自分の番組に自信があるからだろう。この番組は書籍化もされ、どこの図書館でも目立つところに並んでいる。
日本が世界の半導体の半分のシェアを持っていた頃に作られた番組だが、現在では日本の半導体産業は壊滅状態にあり、トヨタや日産がそのために休業に追い込まれた話はつとに知られている。
つい先日NHKスペシャルがそれをテーマに「半導体 大競争時代」というシリーズを始めた。早速第一回だけ観たが、特に半導体に関係のない劇団ひとりや真矢みきを意味なく出演させ、番組内容もおおざっぱな情報番組的なものでがっかりした。
この2つの番組自体がその時点での半導体産業の興廃を象徴しているように思えてならなかった。
そのNスペの半世紀に上る歴史で、なぜこの狭い部屋のオッサン二人の会話の合間合間に資料やインタビューの映像を流すだけの地味な作品(映像も冴えない)が、「シルクロード」や「映像の世紀」と並ぶ評価を与えられているのか、観た人でしか分からないかもしれない。
まず第一回目で、(通常であれば半導体の概念だけ大雑把に説明するところが)、シリコン素材の岩石の採掘から話を始め、製造工程を事細かに、しかも分かりやすく説明している。この丁寧さは回を追って行っても変わらない。
産官学(ほとんどが産)のエンジニアたちの膨大なインタビューは、西澤潤一、井深大からバーディーン、キルビー、ノイスにまで及ぶ豪華なものだが、むしろ興味を惹かれるのは多くの企業エンジニアたちの泥臭いまでの工夫の話の方で、殆どが亡くなった今では大変貴重なものである。近年のドキュメンタリーのように芝居じみた変な演出がなく、事実をもって語らせた感があり(というより作り手に伝えたいことが一杯ありすぎてそんなことをしてる暇ないといわんばかりで)、これはドキュメンタリーの鑑といえる。
そして、そういう演出過剰な番組に限って「日本スゲえな」みたいな方向へ舵を切ってしまうものだが、実はそういう今どきの潮流を作り出してしまった源流にあたる本番組の方は、日本人たちによる(漱石のいわゆる)小刀細工へ温かい目を向ける反面で、その限界や卑小・小狡さに対しても冷厳な眼差しを向けている。
相田洋氏自身は、最近のNHK不払い運動に対して「そういうふうに言われない番組を作っていきたい」とだけ語っていたそうで、こういう言葉が出てくるのは自分の番組に自信があるからだろう。この番組は書籍化もされ、どこの図書館でも目立つところに並んでいる。
日本が世界の半導体の半分のシェアを持っていた頃に作られた番組だが、現在では日本の半導体産業は壊滅状態にあり、トヨタや日産がそのために休業に追い込まれた話はつとに知られている。
つい先日NHKスペシャルがそれをテーマに「半導体 大競争時代」というシリーズを始めた。早速第一回だけ観たが、特に半導体に関係のない劇団ひとりや真矢みきを意味なく出演させ、番組内容もおおざっぱな情報番組的なものでがっかりした。
この2つの番組自体がその時点での半導体産業の興廃を象徴しているように思えてならなかった。