デビュー当時は「内向の世代」の代表と言われた筆者が、老いをテーマとして書き始めたのは1992年の『楽天記』あたりからでしょうか。この前年に椎間板ヘルニアで2ヶ月間入院しています。その頃からか老いの実感から人生を振り返るようなエッセイによく書くようになり、それと同時に幼児期に遭遇した東京大空襲のことをトラウマのように何回も触れたりしはじめたような印象を受けます。また、青年期にまだ死の病だった結核の長い影を投げかけているな、とも。
そうした死の影を意識してきた人生を隠しているうちに病を得て、到達したのが「楽天」の境地なんでしょうか。
《悲観に付くほどには、物事をきびしく見る人間ではない。楽天に付くほどには、腹のすわった人間でもない。いずれ中途半端に生きてきた。それでも、年を取るにつれて、楽天を自身に許すようになった》と本来の意味である「天ヲ楽シミテ、命ヲ知ル、故ニ憂ヘズ」という中国の古典にあるような境地には至らないまでも、と(「開店休業」のかなしみおかしみ)。
また、トラウマについて《古傷というものは心の内にもあり、その意味では誰しも脛に傷もつ身であり、この心の傷のほうは冬よりもむしろ春先の、寒さにこわばっていたからだのほぐれかかる頃になり、ふっと疼くのではないか》《これが間違いのもととなる》と書いてあるところにも唸りました(鳥は羽虫、人間は裸虫)。
ますかがみ そこなる影に むかひ居て
見る時にこそ 知らぬおきなに 逢ふここちすれ
『拾遺和歌集』旋頭歌
について《鏡に向かって座り、そこに映る姿を見る時こそ、見知らぬ翁に逢う心地がすることだ、というほどの意味である》と解説するあたりの老いの実感も素晴らしい(知らぬ翁)。

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楽天の日々 単行本 – 2017/7/11
古井 由吉
(著)
恐怖が実相であり、平穏は有難い仮象にすぎない。何も変わりはしない――
現代日本最高峰の作家による、待望の最新エッセイ集。
デビューから五十年にわたり、ジャンルの壁を超え「エッセイズム」を追求してきた古井由吉。この十数年の作品を中心に、様々な紙誌から百余篇に及ぶエッセイを集成。
一九九一年発表の短篇小説「平成紀行」を特別収録。
古井作品の多くを手掛ける菊地信義による装幀。
高密度な写実表現で知られる諏訪敦が描く、古井由吉の肖像を装画として使用。
読むことと書くこと、古典語のおさらい、芥川賞選考、阪神淡路大震災、東日本大震災、気象、草木や花、エロス、老い、死、大病と入院、ボケへの恐怖、最初の記憶、大空襲下の敵弾の切迫など、多様なモチーフを端正かつ官能に満ちた文章で綴る。
「悲観に付くほどには、物事をきびしく見る人間ではない。楽天に付くほどには、腹のすわった人間でもない。いずれ中途半端に生きてきた。それでも、年を取るにつれて、楽天を自身に許すようになった。理由は単純、老齢に深く入れば来年のことすら、ほんとうのところ、生きているものやら、わからないのだ。この春も、また自分にめぐってくるものやら、知れない。だからこその楽天である。」(本文より)
現代日本最高峰の作家による、待望の最新エッセイ集。
デビューから五十年にわたり、ジャンルの壁を超え「エッセイズム」を追求してきた古井由吉。この十数年の作品を中心に、様々な紙誌から百余篇に及ぶエッセイを集成。
一九九一年発表の短篇小説「平成紀行」を特別収録。
古井作品の多くを手掛ける菊地信義による装幀。
高密度な写実表現で知られる諏訪敦が描く、古井由吉の肖像を装画として使用。
読むことと書くこと、古典語のおさらい、芥川賞選考、阪神淡路大震災、東日本大震災、気象、草木や花、エロス、老い、死、大病と入院、ボケへの恐怖、最初の記憶、大空襲下の敵弾の切迫など、多様なモチーフを端正かつ官能に満ちた文章で綴る。
「悲観に付くほどには、物事をきびしく見る人間ではない。楽天に付くほどには、腹のすわった人間でもない。いずれ中途半端に生きてきた。それでも、年を取るにつれて、楽天を自身に許すようになった。理由は単純、老齢に深く入れば来年のことすら、ほんとうのところ、生きているものやら、わからないのだ。この春も、また自分にめぐってくるものやら、知れない。だからこその楽天である。」(本文より)
- 本の長さ394ページ
- 言語日本語
- 出版社キノブックス
- 発売日2017/7/11
- ISBN-10490805973X
- ISBN-13978-4908059735
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商品の説明
出版社からのコメント
【目次】
Ⅰ
夜の楽しみ/達意ということ/病みあがりのおさらい――島崎藤村、ホーフマンスタール/永劫回帰/紙の子/写実ということの底知れなさ/「が」地獄――芥川龍之介/日々の仕事/ティベリウス帝「権力者の修辞」――タキトゥス『年代記』/招魂としての読書/休暇中――カフカ/「文学は可能か」の泥沼で/老躁の風/いつもそばに本が/漱石随想/謎の書き込み/赤い門――夏目漱石/初めの言葉として《わたくし》――永井荷風、森鷗外、徳田秋聲、太宰治
Ⅱ
作品の前後のこと――『雪の下の蟹│男たちの円居』/短篇を求める心――『水』/遅れて来た巡礼者――『山躁賦』/朝顔に導かれて――『槿』/五十の坂で――『仮往生伝試文』/つねに更わる年――『夜明けの家』/眼と耳と――『聖耳』/野川をたどる――『野川』/年の坂――『白暗淵』
Ⅲ
埋もれた歳月/顎の形/夏に負ける/正月の安息/静かな新年/大年の静まり/年越し/時「字」随想(危/復/節/安/熱/萩/豊/水/炭/寒/雨/花)/日記/プロムナード(身はならわしもの/よく見る、よく聞く/一寸の針/歯をくいしばる/夏の夜/時間をたずねて/年月の昏乱/六十五年目/撫子正月/虫の声/お彼岸過ぎ/囓りかけの林檎/空白の一日/後の月/土の上に/晩秋の匂い/人も年寄れ/年の瀬の奇遇/小春日和/討入り/穏やかな冬至/御用納め)/楽天の日々(「閉店休業」のかなしみおかしみ/閑と忙のあわいで/『断腸亭日乗』を読む/夜眠れなくなる商売/夏の精勤と軒の蔭/風に吹き抜けられる/遁世出離への「経済」/深くは解そうとせず/「照る葉」に荘厳を思う/風に埃の走る日には/降り積む雪の/日々に薄氷をふむ/来し方の花の消息/悪疫退散の願い/水のおそれと住居/赤ん坊はなぜ笑うか/蟬時雨と皆既日蝕/闇の中で白く光る/耳の記憶と恐怖/物覚えの勘定書き/辻々で別れ別れて/正月二日の流星/鳥は羽虫、人間は裸虫/空襲の夜の雛人形)/草食系と言うなかれ/泰然自若の猛獣/大都市の山/老熟の有用知らぬ荒涼/人は往来/水豊かな城下町を包んだ炎/根岸/越す/もう死んでいる/節を分ける時/自足の内から嵐が吹く/親の趣味/震災で心に抱えこむいらだちと静まりと/地震のあとさき/知らぬ翁/龍眼の香り/安堵と不逞と
Ⅳ
プラハ/平成紀行
平成随想――後記
Ⅰ
夜の楽しみ/達意ということ/病みあがりのおさらい――島崎藤村、ホーフマンスタール/永劫回帰/紙の子/写実ということの底知れなさ/「が」地獄――芥川龍之介/日々の仕事/ティベリウス帝「権力者の修辞」――タキトゥス『年代記』/招魂としての読書/休暇中――カフカ/「文学は可能か」の泥沼で/老躁の風/いつもそばに本が/漱石随想/謎の書き込み/赤い門――夏目漱石/初めの言葉として《わたくし》――永井荷風、森鷗外、徳田秋聲、太宰治
Ⅱ
作品の前後のこと――『雪の下の蟹│男たちの円居』/短篇を求める心――『水』/遅れて来た巡礼者――『山躁賦』/朝顔に導かれて――『槿』/五十の坂で――『仮往生伝試文』/つねに更わる年――『夜明けの家』/眼と耳と――『聖耳』/野川をたどる――『野川』/年の坂――『白暗淵』
Ⅲ
埋もれた歳月/顎の形/夏に負ける/正月の安息/静かな新年/大年の静まり/年越し/時「字」随想(危/復/節/安/熱/萩/豊/水/炭/寒/雨/花)/日記/プロムナード(身はならわしもの/よく見る、よく聞く/一寸の針/歯をくいしばる/夏の夜/時間をたずねて/年月の昏乱/六十五年目/撫子正月/虫の声/お彼岸過ぎ/囓りかけの林檎/空白の一日/後の月/土の上に/晩秋の匂い/人も年寄れ/年の瀬の奇遇/小春日和/討入り/穏やかな冬至/御用納め)/楽天の日々(「閉店休業」のかなしみおかしみ/閑と忙のあわいで/『断腸亭日乗』を読む/夜眠れなくなる商売/夏の精勤と軒の蔭/風に吹き抜けられる/遁世出離への「経済」/深くは解そうとせず/「照る葉」に荘厳を思う/風に埃の走る日には/降り積む雪の/日々に薄氷をふむ/来し方の花の消息/悪疫退散の願い/水のおそれと住居/赤ん坊はなぜ笑うか/蟬時雨と皆既日蝕/闇の中で白く光る/耳の記憶と恐怖/物覚えの勘定書き/辻々で別れ別れて/正月二日の流星/鳥は羽虫、人間は裸虫/空襲の夜の雛人形)/草食系と言うなかれ/泰然自若の猛獣/大都市の山/老熟の有用知らぬ荒涼/人は往来/水豊かな城下町を包んだ炎/根岸/越す/もう死んでいる/節を分ける時/自足の内から嵐が吹く/親の趣味/震災で心に抱えこむいらだちと静まりと/地震のあとさき/知らぬ翁/龍眼の香り/安堵と不逞と
Ⅳ
プラハ/平成紀行
平成随想――後記
著者について
1937年東京生まれ。東京大学文学部独文科修士課程修了。1971年「杳子」で芥川賞受賞。その後、80年『栖』で日本文学大賞、83年『槿』で谷崎潤一郎賞、87年「中山坂」で川端康成文学賞、90年『仮往生伝試文』で読売文学賞、97年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞。近著に『ゆらぐ玉の緒』がある。
登録情報
- 出版社 : キノブックス (2017/7/11)
- 発売日 : 2017/7/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 394ページ
- ISBN-10 : 490805973X
- ISBN-13 : 978-4908059735
- Amazon 売れ筋ランキング: - 719,109位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 21,015位エッセー・随筆 (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
著者をフォローして、新作のアップデートや改善されたおすすめを入手してください。

1937年、東京生まれ。東京大学大学院独文科卒。71年「杳子」で第64回芥川賞を受賞。80年『栖』で日本文学大賞、83年『槿』で谷崎潤一郎賞、87年「中山坂」で川端康成文学賞、90年『仮往生伝試文』で読売文学賞、97年『白髪の唄』で毎日芸術賞を受賞(「BOOK著者紹介情報」より:本データは『 やすらい花 (ISBN-13:978-4103192091)』が刊行された当時に掲載されていたものです)
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2020年1月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2017年8月25日に日本でレビュー済み
著者の本はほとんど読んでいるだけでなく、折にふれ雑誌に載っているエッセイ類にも眼を通しているため、本書収録のものの幾つかも読んでいたことに気づかされる。
実はファン度が高じて、単行本未収録のリストをつくっていたのだが、旧知の文学者が亡くなったときの追悼文的なエッセイが、ここには入っていない。野口富士男、石和鷹、中村真一郎、後藤明生、江藤淳、田久保英夫などについての長めの文章だ。
本が厚くなりすぎること、肌合いが少し違う書きものであること等が省かれた理由であろう。
芥川賞選考委員をやめたときのことを書きとめた短いエッセイを本書のなかで読むことができるが、この芥川賞の長年書き継いだ選考評も、まだ単行本には入っていない。中村文則の「銃」をいちはやく評価した選評を書きとめている。
本書収録の文章は唯一の例外(『雪の下の蟹 男たちの円居』の文芸文庫版あとがき)を除いて、すべて平成年間に書かれ、公表されたものである。後書の題も「平成随想」としている。
さて本書に収録された文学論や日常にふれたエッセイをとおして、戦火を逃げまどった子供時代、平和になったものの飢えがまだ残る戦後、父母、兄と姉を次々と喪った壮年期以降、そして何度も著者をおそった病いと入院・手術の初老から老年の現在にいたる日々、つまり著者そのものが透かし見られる。
ほとんど知っていることだが、読ませる。これらのことが、日々の心象風景を描く近年の独特な彼の小説のなかでは、さらに重層的な文章の脈絡を通し描きこめられる。
そうした連作を夏の昼間、暑熱のなかで(エアコンが体に合わないため、かけず)書くことの労苦も、いくつかのエッセイのなかでしたためられるが、もちろんその労苦が暑さ以上のものによるものだということぐらいは私に理解できる。
短いエッセイは著者にとって、小説の大変さから逃れる書く練習のようなものだろうか。そうした短いものは二種類のなかの小さいサイズの原稿用紙に書き、ファックスで送っているという。エアコンを嫌い、ワープロやパソコン等の機器になじめないのは著者らしい。
実はファン度が高じて、単行本未収録のリストをつくっていたのだが、旧知の文学者が亡くなったときの追悼文的なエッセイが、ここには入っていない。野口富士男、石和鷹、中村真一郎、後藤明生、江藤淳、田久保英夫などについての長めの文章だ。
本が厚くなりすぎること、肌合いが少し違う書きものであること等が省かれた理由であろう。
芥川賞選考委員をやめたときのことを書きとめた短いエッセイを本書のなかで読むことができるが、この芥川賞の長年書き継いだ選考評も、まだ単行本には入っていない。中村文則の「銃」をいちはやく評価した選評を書きとめている。
本書収録の文章は唯一の例外(『雪の下の蟹 男たちの円居』の文芸文庫版あとがき)を除いて、すべて平成年間に書かれ、公表されたものである。後書の題も「平成随想」としている。
さて本書に収録された文学論や日常にふれたエッセイをとおして、戦火を逃げまどった子供時代、平和になったものの飢えがまだ残る戦後、父母、兄と姉を次々と喪った壮年期以降、そして何度も著者をおそった病いと入院・手術の初老から老年の現在にいたる日々、つまり著者そのものが透かし見られる。
ほとんど知っていることだが、読ませる。これらのことが、日々の心象風景を描く近年の独特な彼の小説のなかでは、さらに重層的な文章の脈絡を通し描きこめられる。
そうした連作を夏の昼間、暑熱のなかで(エアコンが体に合わないため、かけず)書くことの労苦も、いくつかのエッセイのなかでしたためられるが、もちろんその労苦が暑さ以上のものによるものだということぐらいは私に理解できる。
短いエッセイは著者にとって、小説の大変さから逃れる書く練習のようなものだろうか。そうした短いものは二種類のなかの小さいサイズの原稿用紙に書き、ファックスで送っているという。エアコンを嫌い、ワープロやパソコン等の機器になじめないのは著者らしい。