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Fantôme
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発売日 | 1999/3/10 | 2022/3/10 | 2001/3/28 | 2022/3/10 | 2002/6/19 | 2022/3/10 |
商品仕様 | CD | LP | CD | LP | CD | LP |
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発売日 | 2006/6/14 | 2022/4/27 | 2008/3/19 | 2022/4/27 | 2016/9/28 | 2022/4/27 |
商品仕様 | CD | LP | CD | LP | CD | LP |
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発売日 | 2004/3/31 | 2010/11/24 | 2010/11/24 | 2011/4/20 | 2011/5/18 | 2014/12/9 |
商品仕様 | CD | CD | CD | DVD | Blu-ray | SHM-CD |
曲目リスト
1 | 道 |
2 | 俺の彼女 |
3 | 花束を君に |
4 | 二時間だけのバカンス featuring 椎名林檎 |
5 | 人魚 |
6 | ともだち with 小袋成彬 |
7 | 真夏の通り雨 |
8 | 荒野の狼 |
9 | 忘却 featuring KOHH |
10 | 人生最高の日 |
11 | 桜流し |
商品の説明
内容紹介
宇多田ヒカル 8年ぶりとなるオリジナル・フルアルバムが遂に完成!
「誰もいない世界へ 私を連れて行って」
2008年にリリースされたアルバム「HEART STATION」のラストソングはこの歌詞で幕を閉じました。
あれから8年。一時活動休止期間を経た宇多田ヒカルは、自身6枚目となるオリジナル・フルアルバムを携えていよいよ本格的に活動再開を果たします。
本年4月にデジタルシングルとして同時配信し、各配信ランキングの記録を更新、国内外107冠を獲得した「花束を君に」(NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌)、「真夏の通り雨」(日本テレビ「NEWS ZERO」テーマ曲)、そして当時「人間活動」中の2012年11月に突然配信リリースされたのも記憶に新しい「桜流し」(「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」テーマソング)、この3曲はついに初CD化として収録され、以外はすべて新たに書き下ろされた作品です。
そして、収録楽曲の参加アーティストも決定。「二時間だけのバカンス」には椎名林檎が、「忘却」にはKOHH、そして「ともだち」に小袋成彬がそれぞれ参加。
更にはアップテンポナンバーとなる「道」にはサントリー天然水CMソングに決定。
よろこびとかなしみをひとつにしたあの声は、彼女にしか書けない言葉と旋律で物語を紡ぎます。
ポップミュージックの生命力、その瑞々しさは色褪せず、その豊かさは汲めども尽きない、ということ。
このアルバムにはそれが満ち溢れています。
まさに待望の、としか言いようのない、新たなマスターピースの完成です。
宇多田ヒカル
Fantôme
ニューアルバム2016年9月28日(水)発売
SHM-CD/TYCT-60101/税抜価格:3,000円
【収録曲】
01. 道 (サントリー天然水 CMソング )
02. 俺の彼女
03. 花束を君に (NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」主題歌)
04. 二時間だけのバカンスfeaturing 椎名林檎
05. 人魚
06. ともだち with 小袋成彬
07. 真夏の通り雨 (日本テレビ「NEWS ZERO」テーマ曲 )
08. 荒野の狼
09. 忘却 featuring KOHH
10. 人生最高の日
11. 桜流し (「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」テーマソング)
(タイトルは「Fantôme」(読み方:ファントーム)、「幻」「気配」などを意味するフランス語。)
メディア掲載レビューほか
宇多田ヒカル、8年ぶりとなる通算6枚目のオリジナル・フルアルバムが発売決定!2016年4月にデジタルシングルとして同時配信し、各配信ランキングの記録を更新、国内外107冠を獲得した「花束を君に」(NHK連続テレビ小説『とと姉ちゃん』主題歌)、「真夏の通り雨」(日本テレビ『NEWS ZERO』テーマ曲)、そして当時<人間活動>中の2012年11月に突然配信リリースされたのも記憶に新しい「桜流し」(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』テーマソング)の3曲はついに初CD化として収録され、他はすべて新たに書き下ろされた作品。 (C)RS
登録情報
- メーカーにより製造中止になりました : いいえ
- 製品サイズ : 12.29 x 14.3 x 1.5 cm; 136.08 g
- メーカー : Universal Music =music=
- EAN : 2000108740691, 4988031175255
- 時間 : 50 分
- レーベル : Universal Music =music=
- ASIN : B01I4GDLZW
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 1,008位ミュージック (ミュージックの売れ筋ランキングを見る)
- - 619位J-POP (ミュージック)
- カスタマーレビュー:
イメージ付きのレビュー

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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
最近の朝ドラの主題歌は、いい曲が多いですね。
切ない心に染み曲が多い、宇多田ヒカルさんは天才気質ある方とデビュー当時から思っていました。彼女の環境変化で素晴らしい曲が生まれたのかな?とにかく買って良かったと思っています
今回の復帰を心待ちにしていました。
正直今回の作品は周りから一方通行の評価をされ過ぎていて残念。お母さんが死んだからどうのこうの、子供が出来たからどうのこうの、そういったイメージがついて回るまま聞く音楽は正直退屈。そんなレビューばかりなので読まなければ良かったです。とにかく聞き手に世界観を託してくれていた昔のほうが爆発力がありました。あーこれお母さんのための曲ね、はいはい、ってなってしまうのが惜しいし世界観が決めつけられそこで終着するのはひどくもったいない。
母親があんな死に方をしたからこんな音楽が作れるんだ!ってイメージはどうでもいいんです。もっと壮絶な人生の人もいますよ。宇多田ヒカルの曲作りはもっともっと挑戦と夢があったはず。
しかしそれを除いても「桜流し」以外はどの曲も大人しく、世界観が狭まって、身近すぎる印象。
今回は静かで落ち着きすぎていて独特の浮遊感や高揚感もなく、転調や盛り上がりにも欠け、どこかで聞いたようなメロディーラインばかり(しかも古めの曲)でただただふつうです。歌詞の独特さも昔ほどない。
だけど私にとって宇多田ヒカルは神様で、いつかまた人生を動かす名曲は生まれると信じています。
「光」や「colors」「passion」などの今まで聞いたことない新しさを持って、脳天にきて、あとからあとからとめどなく人生について回るような曲をまた作ってくれるのを待っています。昔の曲はどれもこれも新しかった、挙げた曲以外にもこれもこれもと書きたいけどきりがないのでやめときます。
正直今回はそれが全くない。「桜流し」だけは私の好きな宇多田ヒカルです。
でも、いつもいつまでも応援しています。
宇多田ヒカルは度々語っているように、自らの立ち位置にとらわれないというスタンスをとってきた。(“いつも、全部でありたい、と思って生きてきた。男であり女であり、赤子であり老人であり若者であり、子であり母であり…〈「点-ten-」〉” “「男・女」「大人・子供」とか、図で表わしたら、やっぱり真ん中にいたいのね。…そのゼロ地点みたいな、図にしたら「0.0」だよっていうとこがいちばん落ち着くのね。〈「ULTRA BLUEオフィシャル・インタヴュー」〉”)とりわけ音楽活動ではそれはほとんど戦略的な姿勢でもあったはずだ。
だからこそ彼女の音楽は、具体的な情景が歌われていても私的な物語を感じさせず、鮮烈でありながらもどこかニュートラルで透明な印象を与えてきた。
母親との関係も “隠していることで言葉にフィルターをかけていた”“おおっぴらに言えないがゆえに、意識的にではないにせよ、恋愛の歌っぽく見せていたりとか…”〈「ぴあMUSIC COMPLEX Vol.6:以下「ぴあ」〉だったという。
だが、母の自死という現実にいやおうなく直面して、これ以上カモフラージュすることは不誠実だと彼女は思ったのだろう。それはこれまでの宇多田ヒカルの曲作り・生き方から踏み出すことだったはずだ。なぜなら、“自分を定義すること”を拒否して“全部でありたい”というこれまでの思いからいったん抜け出て、(母・藤圭子の)「‘娘’であること」という立ち位置を改めて引き受けることでもあったのだから。“「全部裸になっちゃった、どうしよう」という状態で歌詞を書けるか心配だった…〈「ぴあ」〉”
私がお節介にも危惧したのは、そのことによって、宇多田ヒカルが自分の属性に寄り掛かった一介のシンガーソングライターに堕してしまうのではないか(例えば尾崎豊のような)、ということだった。彼女の透明な悲歌は、おどろおどろしくも甘ったるい感傷に彩られてしまわないか、と思ったのだ。
しかし、それは杞憂だった。
「道」も「花束を君に」も「人魚」も「真夏の通り雨」も、べたべたと‘私’を押し付けてくることなく心に沁みる。歌詞はほとんど日本語でこれまでになくストレートだが、あくまでも雨上がりの青空のように澄んでいる。
なぜか。
思えば15の小娘が歌う失恋の歌が、どうして40半ばの中年男に響いたのか。
そしていま、母となったヒカルの歌が、どうして還暦を過ぎた初老の男の心を揺さぶるのか。
多くの場合、共感はその対象への感情移入だろう。“あの歌はまるで私のことを歌っているみたいだ”とか、やくざ映画を見終わった観客が肩を揺すりながら館を出てくるなどは、対象に自分を重ね合わせることによる感情だ。(いきものがかりの水野良樹は宇多田の新作に関してのインタヴューで “僕らが…CDアルバムを作る時の始点って…共感してもらおうという気持ち…卑近な言い方をすれば“あるあるを探す”みたいなことをやってしまいがちなんです。〈「ぴあ」〉” と語っている。)
思うに、宇多田ヒカルの音楽はそのような共感を強いるものではない。
若い娘の初恋が歌われていても、恋人との諍いが歌われていても、亡くなった母に語りかけていても、その情景は昇華され、生きることの哀しみや喜び、人間の性(さが)の切なさそのもの、が顕ち現われるのだ。「人魚」や「桜流し」や「花束を君に」はほとんど宗教曲のように聞こえる。それはバッハのマタイ受難曲やモーツアルトのレクイエムを連想させる。
宇多田ヒカルは語る。
“メロディーは、誰かの心の原風景。懐かしい場所からのメッセージ。〈「点-ten-」〉”
‘誰か’、とはそれぞれの受け取り手、つまり‘私’のことだ。
なんだ、宇多田ヒカルの歌はもともとから私のなかにあるものだったのか。それに私が気付いてこなかっただけなのだなあ。
すでにヒカルの歌は私の歌だ。
歌声はスピーカーから流れてくるのでなく、いつしか私のなかで鳴り響いている。
**追記(2016.12.21)**
蛇足に類することかもしれないが、追記しておく。
先に引用したように、宇多田ヒカルは、母との関係を表現するにあたって“言葉にフィルターをかけていた”という。また、“もっと深層心理的なものだったと思うんですけど、無意識のうちに自己規制を課していて…〈「ぴあ」〉”とも語っている。
だが、ヒカルは母について全く正面切って触れてこなかったわけではない。
例えば、10周年を機に09年に出版した「点-ten-」には、虚飾のない筆致で母との関係が記されている。
悲しくて泣いているのは私なのに、なぜか彼女の方が傷ついて、泣いて、私を責めた。すると、私は泣く気が失せた。泣くよりももっと深い悲しみを知った。彼女に悪気は無いんだ、って分かってしまう自分が、体の芯からひんやりしていくようで、こわかった。〈「点-ten-」-0~8才〉
(ついでながら、この厚み3センチもある本の前半分のほとんどはアルバム・リリースの際のオフィシャル・インタヴューで占められ、後半分は様々なシーンで公になった写真と発言の断片で構成されていて、例えば1ページに大きな活字で“なんでとかは考えない。”とだけ印刷されていたりする。まあ、これだけならコアなファンにしか興味を持たれないだろう。だが、巻頭の30ページ弱に‘半生’記が書き下ろされていて、これが出色だ。この文章だけでも宇多田ヒカルが鋭敏な感受性と透徹した自己分析力を含む明晰な知性の持ち主であることが分かる。個人的にはここ数年の間にもっとも驚嘆した文章のひとつだ。)
この‘半生’記について、ヒカルは、“セラピー的な意味合いもあって…〈「月刊Cut」09年6月号/渋谷陽一のインタヴュー:以下「Cut」〉”と述べている。彼女は母との確執にここで一定の決着・区切りを着けたかったのだろう。
さらに、「SINGLE COLLECTION VOL.2」('10年)のなかの「嵐の女神」は、めずらしくかなり直截に母親に語りかけている。
お母さんに会いたい/分かり合えるのも 生きていればこそ/今なら言えるよ ほんとのありがとう
これは、素直に読めば、当時、錯乱して別離していった母親に対して和解を呼びかける言葉だ。
だが、これらの行為が空しいものだったことが、13年の母の自死によって容赦なく思い知らされることになる。
‘半生’記は、結局のところ母親との関係を自らの心のなかで整理・清算するセラピーにはならなかったし、「嵐の女神」はそもそもが母への届かない切ない求愛でしかなかった。
こんなに青い空は見たことがない/私を迎えに行こう お帰りなさい/小さなベッドでおやすみ
幼い私を小さなベッドに迎えるのは、母ではなく、私自身にほかならなかったのだ。私は依然として母から拒絶されている。(だからこそこの歌はヒカルの作品のなかでもとりわけて切ない。)
宇多田ヒカルは、自身の私的な属性・物語に依存することのない音楽を発信してきた。それでいながら、自らの体験や感情から乖離した紋切り型や、上滑りする綺麗ごとを並べたてることがない。
「SAKURAドロップス」に次のような歌詞がある。
どうして同じようなパンチ/何度もくらっちゃうんだ/それでもまた戦うんだろう/
それが命の不思議
“どうして同じようなパンチ/何度もくらっちゃうんだ”という身もふたもない個人的な感情と、“それが命の不思議(=それが人間というものの愚かさ・悲しさなのだ)”という取りすましたような‘真理’が切なくせめぎ合う。
“どうしていつもそうなんだ”“それが人間の真理というものだ”“だがだからといってこのくやしさ・悲しさが癒えるわけではないじゃないか”“しかしそれが~”と、決して折り合うことのないふたつの思いが激しくスパークするのだ。
“それが命の不思議”などという、ここに書き出してしまえば生硬にもみえるようなフレーズが、いささかも上滑りして聴こえないのは(安直に“私たちは絆でつながっている”とか“ありのままのあなたでいい”などと歌う白々しい曲が世に蔓延しているが)、ひとえにヒカルの歌の力だ。
ヒカルは次のようにも述べている。
声ってその人の魂の色が出るじゃないですか。わたしの持っている魂の色は、よっぽど悲しい的なもんなんだろうな、と思いました。〈「Cut」〉
普遍的な真理があると分かっていても、私の悲しみが解消されるわけではない。
私が悲しんでいたって、普遍的な真理が変わるわけではない。
その断絶を思い知っているからこそ、ヒカルの歌声は切なく響く。
個人的な感情と普遍性との間を往来しながらそのバランスの上に音楽を作ってきた宇多田ヒカルにとって、母の死が自分を否応なく個人的な思いになだれ落としかねない危機だったろうことは、想像に難くない。
母の死を正面から受け入れながら、ヒカルはそれを超えようとする。だが、どうやって?
「真夏の通り雨」の歌詞の中の“あなた”は、“私にとっては母親のこと”だ、とヒカルは明言しながら、“作品に昇華するうえで一番大事なのが…いろんな人に思いを馳せるっていうプロセスがそれを作品にしてくれるし、私を救ってくれるというか、音楽を作る意味をそこで帯びてくる…”。〈日本テレビ「ニュース・ZERO 16.9/8」〉と語っている。
また次のようにも述べる。
1曲目は「真夏の通り雨」だったんですけど。母の死とかそういうものがみんなの意識にある状態で、それを踏まえて書かなければいけない、まずは、それを越えるという状況がありました。でも、結局、歌詞にするには、価値観とか、言葉の力としてもっと広がるものにしないといけないと思っているので、個人的なことだけになってはダメだと思って。(中略)解釈のしようによっては、スゴく辛い恋愛を思いだしている中年の女性というイメージも自分の中にあって(中略)それと、ものすごくパーソナルな自分だけの経験とかが、同時進行して膨らんでいって、リンクして、歌詞を膨らませていった。〈「ぴあ」〉
さらに続けて
隠さなければいけないものが何もなかったところでできた最初の曲だったから、すごく大きな壁を越えたという感じはあるんですけど…〈「ぴあ」〉
自死遺族の会にも通っていたという彼女は、そこで「花束を君に」が亡くなった人に手紙を書くという行為になっていた、と気づかされたとも語っている。〈「ぴあ」〉
だが、そんな理知的な振る舞いですべてが解決したわけではあるまい。むしろ大きく影響したのは、彼女自身が母親になった体験だったのではなかったか。
自分が親になって自分の子どもを見ていると、最初の自分の空白の2,3年が、見えてくる〈NHK「SONGスペシャル16.9/22」-朝日新聞:鷲田清一「折々のことば」からの転載〉
「真夏の通り雨」にその一端を見ることができる。
汗ばんだ私をそっと抱き寄せて/たくさんの初めてを深く刻んだ/(中略)…あなたに思いを馳せる時
子どもを抱く体験が、幼い自分を同じように抱いていたであろう母親をリアルに実感させたのだ。
このとき、もはや“あなた=母”は、“子供にはとても辛い、母親からの拒絶〈「点-ten-」〉”という存在ではなかった。
一人で歩いたつもりの道でも 始まりはあなただった(「道」)
あなたに身を焦がした日々 忘れちゃったら私じゃなくなる(「真夏の通り雨」)
不思議とこの場所へ来ると あなたに会えそうな気がするの(「人魚」)
世界中が雨の日も 君の笑顔がぼくの太陽だったよ(「花束を君に」)
「花束を君に」のなかの‘君の笑顔が~’のフレーズは、13年の8月、母親の自死に際して、ヒカルが自らのオフィシャル・サイトに掲載した、端然とした筆致が却って深い悲しみを滲ませている、あのコメントを思い出させる。
とても怖がりのくせに鼻っ柱が強く、正義感にあふれ、笑うことが大好きで、頭の回転が速くて、子供のように衝動的で危うく、おっちょこちょいで放っておけない、誰よりもかわいらしい人でした。悲しい記憶が多いのに、母を思う時心に浮かぶのは、笑っている彼女です。
一人で歩まねばならぬ道でも あなたの声が聞こえる(「道」)
笑っているあなたが私の思い出の中に、“私の心の中にあなたがいる(「道」)”のなら、あえて改めて答えを求めるまでもない。宇多田ヒカルはそう決着をつけたのだ。
母藤圭子の遺骨は、その遺志にしたがって、海に散骨されたという。“ほら ほら…”という「人魚」での歌声は、ヒカル個人の思いを超えた、遠くへ逝ってしまった人に向けての、残された者たちからの呼び声のように聞こえる。
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2023年4月21日にメキシコでレビュー済み





