天皇は国民の和歌から国民の心を知り、国民は天皇の和歌から天皇の心を知るというのは、とても素敵な文化だなと思いました。
しかも、後者は「ちょうど、母親が子供のことを知るような知り方であろうと思われます」とのことで、心が温かくなりました。
各歌に振り仮名があって、大意の他、単語や文法の説明、そして時代背景も書いてありました。日本史をだいぶ忘れてしまっている自分にも、その時代を想像しながら読めて良かったです☆
歴代天皇って日本史の教科書で名前だけ見た人が多いけど、和歌を読んでいくと、時代は違えど、自分と同じく生きて色々と考えていた(特に国民の幸せを祈ってくれていた)人だったんだなという気持ちになりました。
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歴代天皇の御製集 単行本 – 2023/10/1
公益社団法人 国民文化研究会
(著)
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歴代の天皇は何を思われ、何を祈られてきたのか――。
皇室と日本を知るための必読書
むらぎもの心のうちに思うこと
いひおほせたる時ぞうれしき
(心の内に思うことを一首の歌に
正しく表現できた時の何とうれしいことか)
明治天皇
古来、人々は和歌を通して
心を通わせてきました。
和歌にはその人の一瞬一瞬の
心の機微が収められており、
何千年、何百年前に読まれた御製を通して、
天皇の大御心にも触れることができます。
本書では、神武天皇から上皇陛下まで
九十五方・約二七〇首を、
御事績や詠まれた情景なども含めた
解説とともに紹介。
国民文化研究会の総力を結集し、
六年半もの歳月をかけ推敲されただけあって、
その内容は実に味わい深く、趣があります。
歴代天皇の詠まれた御製を年代順に辿ることで、
二千六百年余の歴史を貫く日本の息吹を
自然と体感できることでしょう。
折々の御製に込められたその祈りは、
日本の躍進、先の戦争、大災害など、
我が国が歩んできた道をまざまざと映し出します。
日本とはどんな国なのか、
何が日本を日本たらしめているのか――。
日本と皇室を知るための必読書として、
綿々と紡がれてきた日本の心を、
本書から一人でも多くの方に
感じていただければと願います。
全三百頁に及ぶ歴史的著作です。
東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏ご推薦
「國史の要諦を略述した
立派な通史の一例となつてゐると
筆者は評価するものであります」
皇室と日本を知るための必読書
むらぎもの心のうちに思うこと
いひおほせたる時ぞうれしき
(心の内に思うことを一首の歌に
正しく表現できた時の何とうれしいことか)
明治天皇
古来、人々は和歌を通して
心を通わせてきました。
和歌にはその人の一瞬一瞬の
心の機微が収められており、
何千年、何百年前に読まれた御製を通して、
天皇の大御心にも触れることができます。
本書では、神武天皇から上皇陛下まで
九十五方・約二七〇首を、
御事績や詠まれた情景なども含めた
解説とともに紹介。
国民文化研究会の総力を結集し、
六年半もの歳月をかけ推敲されただけあって、
その内容は実に味わい深く、趣があります。
歴代天皇の詠まれた御製を年代順に辿ることで、
二千六百年余の歴史を貫く日本の息吹を
自然と体感できることでしょう。
折々の御製に込められたその祈りは、
日本の躍進、先の戦争、大災害など、
我が国が歩んできた道をまざまざと映し出します。
日本とはどんな国なのか、
何が日本を日本たらしめているのか――。
日本と皇室を知るための必読書として、
綿々と紡がれてきた日本の心を、
本書から一人でも多くの方に
感じていただければと願います。
全三百頁に及ぶ歴史的著作です。
東京大学名誉教授・小堀桂一郎氏ご推薦
「國史の要諦を略述した
立派な通史の一例となつてゐると
筆者は評価するものであります」
- 本の長さ304ページ
- 出版社致知出版社
- 発売日2023/10/1
- 寸法18.8 x 12.8 x 2.4 cm
- ISBN-104800912938
- ISBN-13978-4800912930
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登録情報
- 出版社 : 致知出版社 (2023/10/1)
- 発売日 : 2023/10/1
- 単行本 : 304ページ
- ISBN-10 : 4800912938
- ISBN-13 : 978-4800912930
- 寸法 : 18.8 x 12.8 x 2.4 cm
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■1.歴代天皇の御歌を通じて、我が国の歩みに思いを馳せる
『歴代天皇の御製集』と題した書籍が出版されました。「歴代天皇95方の御歌を読む」と副題がつけられ、帯には「歴代の天皇は何を思われ、何を祈られてきたのかー。神武天皇から上皇陛下まで約270首」とあります。
有史以来、我が国は常に皇室とともにありました。歴代天皇がその時々の思いを御歌にして詠まれている、ということは、それらの御歌を通じて、国の歩みも振り返ることができるということです。
小堀桂一郎・東京大学名誉教授も推薦の言葉で「國史の要諦(ようてい、最も大切なところ)を略述した立派な通史の一例となっている」と指摘されています。
と言っても、難しい本ではありません。御歌の漢字にはすべてふりがながふってあり、難しい語句には解説が添えられ、また御歌の現代語訳も記されています。さらに簡潔な解説も添えられているので、たとえば、小中学生の歴史の授業で、時の天皇はこういう御歌を詠まれていると、エピソードとして紹介するにも良いと思います。
今回は、国の歩みを振り返る一例として、近代の天皇方が19世紀以降の世界の荒波に、どのような思いで立ち向かわれてきたのか、御歌を通して見てみましょう。
■2.孝明天皇「こゝろにかかるる異國(ことくに)の船」
1853年、ペリーの黒船艦隊が江戸湾に来航し、国交を要求しました。「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん、宇治の高級茶、蒸気船にかける)たった四盃(四隻)で夜も寝られず」と、日本中が大騒ぎになりました。
「ペリーは単に国交を求めに来ただけなのに、鎖国が破られると大騒ぎしていたのは、当時の日本人の国際常識のなさ」などという見方は皮相的です。その11年前には、イギリスがアヘンを持ち込んでいるのを止めようとした清国に戦争を仕掛け、屈服させて香港を割譲させました。今日の麻薬マフィアなみの悪行を、国家としてやっていたのです。
ペリーは幕府に白旗を送って、国交要求を拒否したら戦争になり、当然日本は負けるから、降伏する際にはこの白旗を使え、との脅迫までしていました。
ちなみに、孝明天皇はアメリカ船に水や燃料を提供する人道的な措置であれば問題ないと考えており、それに沿って幕府は翌年、ペリーと日米和親条約を結びました。ただし、通商条約はアヘン戦争やアメリカの脅迫的な手口から見て、問題だと考えられていました。[JOG(994)] こうした状況の中で、孝明天皇は次の御歌を詠まれました。
__________
あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかかるる異國(ことくに)の船
朝にもタベにも民安かれと祈るこの私の心にかかって仕方がないのは異国船のことであるよ。
安政元年(一八五四)に詠まれた御製。前年にペリーが浦賀に来航し、世情は騒然となり、幕府はその対応に苦慮した。この年にはペリーが再来して日米和親条約が結ばれている。アヘン戦争で清が英国に敗れ、西欧列強に蹂躙されたことから見ても天皇は我が国の行く末を深く憂慮されていたのであった。
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■3.明治天皇の「など波風のたらさわぐらむ」
明治37(1904)年2月4日、日本政府は御前会議にて、対露開戦を決定しようとしていました。ロシアは義和団の乱に乗じて満洲を武力制圧し、さらには朝鮮半島にまで軍事基地を築こうとしています。明治政府は5ヶ月もロシアと平和交渉を続けましたが、のらりくらりの応対の陰で、着々と軍備増強を進める一方でした。
御前会議の日の早朝、夜の明けるのを待ちかねて、明治天皇は元老・伊藤博文をお召しになり、再度、意見を聞かれます。伊藤は「今日は最早断然たる御覚悟をあそばされる時期でございましょう」と奉答しました。
御前会議で対露開戦が決定され、戻ってこられた明治天皇は、皇后に沈痛の面持ちで、「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した。朕の志でないが、已むを得ない」と語られました。[JOG(1261)]
戦争になれば、日露両国とも多くの犠牲が出ます。また、もし負けたら、その後、日本は当時のフィンランドやポーランドと同様の属国となってしまう可能性が大でした。そうなったら、日本国民もロシアの対外征服戦争にかり出されることでしょう。国民をそのような目に遭わせては、今まで独立を保ってきた121代の歴代天皇にも何とお詫びすればよいのか。
__________
四海兄弟(明治三十七年・一九〇四・御年五十三歳)
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたらさわぐらむ
日本を取り囲む世界の国々も、みな兄弟同胞と思っているこの世であるのに、どうして波風が立ち騒いで、このような戦争に至るのであろうか。
〇よもー四方(よも)とは日本をめぐる東西南北をさし、「よもの海」とは世界中との意。○などー「どうして」の意。
大国ロシアは着々と東方への侵略を進めていたが、我が国は存亡をかけてついに宣戦布告。この御製は、明治三十七年日露戦争の開戦直後の作とされていこる。我が国をめぐる国々との和平を常に願われていた明治天皇にとっては、ロシア王室との厚誼もあり、無念の開戦であった。
この御製は英訳されて世界中に感銘を呼び、特に米国大統領ルーズベルトの心を動かしてポーツマス講和会議仲介の一助となったと伝えられている。
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■4.大正天皇「めぐりの海は朝なぎにして」
1914(大正3)年から1918(大正7)年まで続いた第一次大戦は900万人もの犠牲者を出しました。その反省から平和への希求が強まり、国際連盟が創設され、軍縮が進められました。その国際的リーダーシップをとった五大国の一つが日本でした。
国際連盟の発足と同時に、大正天皇は「世界大戦に就いて平和克復の大詔」を発せられました。
「平和全く復するに至りたるは、朕の甚(はなは)だ懌(よろこ)ぶ所なり」と平和の回復を喜ばれつつ、平和協定の成立と国際連盟の創設を「朕が中心實(じつ)に欣幸(きんこう)とする所なると共に、又、今後國家負荷の重大なるを」感じざるをえない、と日本の世界平和に対する責務の重さを説かれました。[JOG(1008)]
この翌年初めの歌会始めにおいて、披露されたのが次の御歌です。1853年のペリー来航から66年。極東の閉ざされた国が、非白人国家として世界で最初に近代化を遂げ、独立を護り、世界の指導的大国となったのです。明治天皇が「など波風のたらさわぐらむ」と歌われた海は、しばしの朝なぎを迎えました。
__________
朝晴雪(あさばれのゆき)(大正八年・一九一九・御年四十一歳)
ゆたかにも雪ぞつもれる秋津しまめぐりの海は朝なぎにして
大正八年歌御会始の御製。「秋津しま」(日本列島)を高空から俯瞰するようで一読胸が広がり雄大であり、しかも静かな透き通る印象の御歌である。「雪は豊年の瑞(しるし)」という諺(ことわざ)が
あるが、雪が一杯に積もった「秋津しま」を年初にお詠みになることで、この年の平和と豊年を祈られた新たな「国見」の御歌といえよう。
「めぐり(周囲)の海の朝なぎ」というお言業には、前年の大戦終結と平和回復のおよろこびも湛(たたえ)えられているようである。
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■5.大東亜戦争降伏にいたる苦闘
昭和20(1945)年8月9日未明、日本政府が和平交渉仲介を依頼していたソ連が、突如宣戦布告し、満洲になだれ込みました。ルーズベルト大統領が米政府・軍部の高官たちの声を抑えつけて、日本に無条件降伏を要求し、ソ連が参戦する前に日本が降伏できないように仕向けていたのです。
そのルーズベルト大統領が4月12日に急死し、米政府は7月26日には日本の降伏条件を含めたポツダム宣言が出されました。しかし、対ソ威嚇のために原爆の使用を決めていたトルーマン大統領は原案から天皇制容認条項を削除していました。「やつらは降伏しないだろう」と、その時の日記に書いています。[JOG(99)]
そのトルーマンの思惑通り、日本政府はポツダム宣言を受諾できないまま、8月6日に広島に原爆攻撃、9日には二発目の原爆攻撃がなさたのです。
昭和20年8月9日深夜、緊急の御前会議が開かれました。「天皇の国法上の地位を変更しない」という条件のみをつけて受諾しようというもの、東郷外相ら3名。阿南陸相ら3名は、さらに占領、武装解除、戦犯処置に関する合計4条件での受諾を主張しました。
これに鈴木貫太郎首相が前者に賛成すれば、4対3で決議できます。しかし、一内閣の多数決だけでは軍部始め、多くの国民が納得しないでしょう。鈴木首相は、ここで昭和天皇に「御聖断を拝しまして、本会議の結論といたしたいと存じます」とお願いしました。
■6.昭和天皇「身はいかならむとも」
後に昭和天皇は次のように述べています。
__________
いまや何人の権限を犯すこともなく、また何人の責任にもふれることなしに、自由に私の意見を発表して差し支えない機会を初めて与えられた。・・・私と肝胆(かんたん)相許した鈴木であったから、このことができたのであった。
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ここで、昭和天皇は次のように語られました。
__________
空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。今となっては、一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、その人たちに将来再び立ち上がったもらうほか道はない。・・・私は涙を飲んでポツダム宣言受諾に賛成する。
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この時点では、皇室制度も、昭和天皇の御身そのものも、どうなるか、予断を許しませんでした。しかし、「身はいかならむとも」という捨身の御覚悟で、ポツダム宣言受諾を決心されたのです。
昭和天皇の捨て身の御覚悟の一声により、陸海軍350万余もの残存兵力が一斉に降伏するという、世界史に残る見事な降伏ぶりが示されました。解説に言うように、まことに「国民として後世まで語り継ぐべき御歌」であり、ドラマです。
__________
(終戦時の御製)三首(昭和二十年ー一九四五ー御年四十五歳)
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
國柄をただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
戦争終結時のご聖断における悲壮なご決意が窺える連作である。 特に一首目の「身はいかならむとも」の捨身のお心は字余りのご 表現となっていて読むものの胸に響いてくる。天皇のこのご精神が亡国の危機を救った最大のカであったと言えようが、当時の天皇のお心もちをこの御製ほどよく伝えるものはない。国民として後世まで語り継ぐべき御歌であろう。
マッカーサー司令官は後年、 昭和二十年終戦の翌月に昭和天皇と初めて会見した時のご様子を「もし、国の罪をあがなうことができるなら、進んで絞首台に上ることを申し出るという日本の元首に驚いた」と述べている(昭和三十年九月十四日読売新聞・重光葵外相手記)。
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■7.上皇陛下「平(たひ)らけき海その果てに見ゆ」
上皇陛下は、大戦中、国内で唯一戦場となり、戦後は長らくアメリカに支配された沖縄には、皇太子時代から何度も訪問されています。陛下が訪れられた最後の激戦の地・摩文仁(まぶに)ヶ丘には多くの慰霊碑、慰霊塔が立ち並び、戦の激しさを物語っています。そして、その先にはあまりにも美しい、静かな南の海が広がっています。
__________
沖縄平和祈念堂前(平成五年・一九九三・御年六十一歳)
激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平(たひ)らけき海その果てに見ゆ
激しかった戦場の跡を眺めると平らかな海がその果てに見える。
・・・この平成五年は植樹祭へのご臨席のため沖縄をご訪問になった。両陛下は、直ちに南部戦跡へ向かわれ糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の戦没者墓苑にご到着、摩文仁ヶ丘にのぼられて、沖縄戦に散華された十八万余柱が眠る納骨堂前の参拝所で深々とご一礼をなさった。沖縄歴史上、天皇陛下としての初めてのご訪問は実に英霊ヘのご祈念に始まった。
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■8.「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」
こうして近代5方の天皇の御歌を拝するだけで、我々は我が先人たちの苦難に満ちた歩みを追憶することができます。ここで思い出されるのが、天才数学者・岡潔の次の言葉です。
__________
ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。[岡潔『春宵十話』]
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歴代天皇の御歌を拝誦する事は、まさに「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」ための、誰にでもできる簡明な道なのです。
(文責 伊勢雅臣)
『歴代天皇の御製集』と題した書籍が出版されました。「歴代天皇95方の御歌を読む」と副題がつけられ、帯には「歴代の天皇は何を思われ、何を祈られてきたのかー。神武天皇から上皇陛下まで約270首」とあります。
有史以来、我が国は常に皇室とともにありました。歴代天皇がその時々の思いを御歌にして詠まれている、ということは、それらの御歌を通じて、国の歩みも振り返ることができるということです。
小堀桂一郎・東京大学名誉教授も推薦の言葉で「國史の要諦(ようてい、最も大切なところ)を略述した立派な通史の一例となっている」と指摘されています。
と言っても、難しい本ではありません。御歌の漢字にはすべてふりがながふってあり、難しい語句には解説が添えられ、また御歌の現代語訳も記されています。さらに簡潔な解説も添えられているので、たとえば、小中学生の歴史の授業で、時の天皇はこういう御歌を詠まれていると、エピソードとして紹介するにも良いと思います。
今回は、国の歩みを振り返る一例として、近代の天皇方が19世紀以降の世界の荒波に、どのような思いで立ち向かわれてきたのか、御歌を通して見てみましょう。
■2.孝明天皇「こゝろにかかるる異國(ことくに)の船」
1853年、ペリーの黒船艦隊が江戸湾に来航し、国交を要求しました。「泰平の眠りをさます上喜撰(じょうきせん、宇治の高級茶、蒸気船にかける)たった四盃(四隻)で夜も寝られず」と、日本中が大騒ぎになりました。
「ペリーは単に国交を求めに来ただけなのに、鎖国が破られると大騒ぎしていたのは、当時の日本人の国際常識のなさ」などという見方は皮相的です。その11年前には、イギリスがアヘンを持ち込んでいるのを止めようとした清国に戦争を仕掛け、屈服させて香港を割譲させました。今日の麻薬マフィアなみの悪行を、国家としてやっていたのです。
ペリーは幕府に白旗を送って、国交要求を拒否したら戦争になり、当然日本は負けるから、降伏する際にはこの白旗を使え、との脅迫までしていました。
ちなみに、孝明天皇はアメリカ船に水や燃料を提供する人道的な措置であれば問題ないと考えており、それに沿って幕府は翌年、ペリーと日米和親条約を結びました。ただし、通商条約はアヘン戦争やアメリカの脅迫的な手口から見て、問題だと考えられていました。[JOG(994)] こうした状況の中で、孝明天皇は次の御歌を詠まれました。
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あさゆふに民やすかれとおもふ身のこゝろにかかるる異國(ことくに)の船
朝にもタベにも民安かれと祈るこの私の心にかかって仕方がないのは異国船のことであるよ。
安政元年(一八五四)に詠まれた御製。前年にペリーが浦賀に来航し、世情は騒然となり、幕府はその対応に苦慮した。この年にはペリーが再来して日米和親条約が結ばれている。アヘン戦争で清が英国に敗れ、西欧列強に蹂躙されたことから見ても天皇は我が国の行く末を深く憂慮されていたのであった。
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■3.明治天皇の「など波風のたらさわぐらむ」
明治37(1904)年2月4日、日本政府は御前会議にて、対露開戦を決定しようとしていました。ロシアは義和団の乱に乗じて満洲を武力制圧し、さらには朝鮮半島にまで軍事基地を築こうとしています。明治政府は5ヶ月もロシアと平和交渉を続けましたが、のらりくらりの応対の陰で、着々と軍備増強を進める一方でした。
御前会議の日の早朝、夜の明けるのを待ちかねて、明治天皇は元老・伊藤博文をお召しになり、再度、意見を聞かれます。伊藤は「今日は最早断然たる御覚悟をあそばされる時期でございましょう」と奉答しました。
御前会議で対露開戦が決定され、戻ってこられた明治天皇は、皇后に沈痛の面持ちで、「いよいよ、ロシアと国交を断絶することに決定した。朕の志でないが、已むを得ない」と語られました。[JOG(1261)]
戦争になれば、日露両国とも多くの犠牲が出ます。また、もし負けたら、その後、日本は当時のフィンランドやポーランドと同様の属国となってしまう可能性が大でした。そうなったら、日本国民もロシアの対外征服戦争にかり出されることでしょう。国民をそのような目に遭わせては、今まで独立を保ってきた121代の歴代天皇にも何とお詫びすればよいのか。
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四海兄弟(明治三十七年・一九〇四・御年五十三歳)
よもの海みなはらからと思ふ世になど波風のたらさわぐらむ
日本を取り囲む世界の国々も、みな兄弟同胞と思っているこの世であるのに、どうして波風が立ち騒いで、このような戦争に至るのであろうか。
〇よもー四方(よも)とは日本をめぐる東西南北をさし、「よもの海」とは世界中との意。○などー「どうして」の意。
大国ロシアは着々と東方への侵略を進めていたが、我が国は存亡をかけてついに宣戦布告。この御製は、明治三十七年日露戦争の開戦直後の作とされていこる。我が国をめぐる国々との和平を常に願われていた明治天皇にとっては、ロシア王室との厚誼もあり、無念の開戦であった。
この御製は英訳されて世界中に感銘を呼び、特に米国大統領ルーズベルトの心を動かしてポーツマス講和会議仲介の一助となったと伝えられている。
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■4.大正天皇「めぐりの海は朝なぎにして」
1914(大正3)年から1918(大正7)年まで続いた第一次大戦は900万人もの犠牲者を出しました。その反省から平和への希求が強まり、国際連盟が創設され、軍縮が進められました。その国際的リーダーシップをとった五大国の一つが日本でした。
国際連盟の発足と同時に、大正天皇は「世界大戦に就いて平和克復の大詔」を発せられました。
「平和全く復するに至りたるは、朕の甚(はなは)だ懌(よろこ)ぶ所なり」と平和の回復を喜ばれつつ、平和協定の成立と国際連盟の創設を「朕が中心實(じつ)に欣幸(きんこう)とする所なると共に、又、今後國家負荷の重大なるを」感じざるをえない、と日本の世界平和に対する責務の重さを説かれました。[JOG(1008)]
この翌年初めの歌会始めにおいて、披露されたのが次の御歌です。1853年のペリー来航から66年。極東の閉ざされた国が、非白人国家として世界で最初に近代化を遂げ、独立を護り、世界の指導的大国となったのです。明治天皇が「など波風のたらさわぐらむ」と歌われた海は、しばしの朝なぎを迎えました。
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朝晴雪(あさばれのゆき)(大正八年・一九一九・御年四十一歳)
ゆたかにも雪ぞつもれる秋津しまめぐりの海は朝なぎにして
大正八年歌御会始の御製。「秋津しま」(日本列島)を高空から俯瞰するようで一読胸が広がり雄大であり、しかも静かな透き通る印象の御歌である。「雪は豊年の瑞(しるし)」という諺(ことわざ)が
あるが、雪が一杯に積もった「秋津しま」を年初にお詠みになることで、この年の平和と豊年を祈られた新たな「国見」の御歌といえよう。
「めぐり(周囲)の海の朝なぎ」というお言業には、前年の大戦終結と平和回復のおよろこびも湛(たたえ)えられているようである。
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■5.大東亜戦争降伏にいたる苦闘
昭和20(1945)年8月9日未明、日本政府が和平交渉仲介を依頼していたソ連が、突如宣戦布告し、満洲になだれ込みました。ルーズベルト大統領が米政府・軍部の高官たちの声を抑えつけて、日本に無条件降伏を要求し、ソ連が参戦する前に日本が降伏できないように仕向けていたのです。
そのルーズベルト大統領が4月12日に急死し、米政府は7月26日には日本の降伏条件を含めたポツダム宣言が出されました。しかし、対ソ威嚇のために原爆の使用を決めていたトルーマン大統領は原案から天皇制容認条項を削除していました。「やつらは降伏しないだろう」と、その時の日記に書いています。[JOG(99)]
そのトルーマンの思惑通り、日本政府はポツダム宣言を受諾できないまま、8月6日に広島に原爆攻撃、9日には二発目の原爆攻撃がなさたのです。
昭和20年8月9日深夜、緊急の御前会議が開かれました。「天皇の国法上の地位を変更しない」という条件のみをつけて受諾しようというもの、東郷外相ら3名。阿南陸相ら3名は、さらに占領、武装解除、戦犯処置に関する合計4条件での受諾を主張しました。
これに鈴木貫太郎首相が前者に賛成すれば、4対3で決議できます。しかし、一内閣の多数決だけでは軍部始め、多くの国民が納得しないでしょう。鈴木首相は、ここで昭和天皇に「御聖断を拝しまして、本会議の結論といたしたいと存じます」とお願いしました。
■6.昭和天皇「身はいかならむとも」
後に昭和天皇は次のように述べています。
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いまや何人の権限を犯すこともなく、また何人の責任にもふれることなしに、自由に私の意見を発表して差し支えない機会を初めて与えられた。・・・私と肝胆(かんたん)相許した鈴木であったから、このことができたのであった。
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ここで、昭和天皇は次のように語られました。
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空襲は激化しており、これ以上国民を塗炭の苦しみに陥れ、文化を破壊し、世界人類の不幸を招くのは、私の欲していないところである。私の任務は祖先から受け継いだ日本という国を子孫に伝えることである。今となっては、一人でも多くの国民に生き残っていてもらって、その人たちに将来再び立ち上がったもらうほか道はない。・・・私は涙を飲んでポツダム宣言受諾に賛成する。
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この時点では、皇室制度も、昭和天皇の御身そのものも、どうなるか、予断を許しませんでした。しかし、「身はいかならむとも」という捨身の御覚悟で、ポツダム宣言受諾を決心されたのです。
昭和天皇の捨て身の御覚悟の一声により、陸海軍350万余もの残存兵力が一斉に降伏するという、世界史に残る見事な降伏ぶりが示されました。解説に言うように、まことに「国民として後世まで語り継ぐべき御歌」であり、ドラマです。
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(終戦時の御製)三首(昭和二十年ー一九四五ー御年四十五歳)
爆撃にたふれゆく民の上をおもひいくさとめけり身はいかならむとも
身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて
國柄をただ守らんといばら道すすみゆくともいくさとめけり
戦争終結時のご聖断における悲壮なご決意が窺える連作である。 特に一首目の「身はいかならむとも」の捨身のお心は字余りのご 表現となっていて読むものの胸に響いてくる。天皇のこのご精神が亡国の危機を救った最大のカであったと言えようが、当時の天皇のお心もちをこの御製ほどよく伝えるものはない。国民として後世まで語り継ぐべき御歌であろう。
マッカーサー司令官は後年、 昭和二十年終戦の翌月に昭和天皇と初めて会見した時のご様子を「もし、国の罪をあがなうことができるなら、進んで絞首台に上ることを申し出るという日本の元首に驚いた」と述べている(昭和三十年九月十四日読売新聞・重光葵外相手記)。
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■7.上皇陛下「平(たひ)らけき海その果てに見ゆ」
上皇陛下は、大戦中、国内で唯一戦場となり、戦後は長らくアメリカに支配された沖縄には、皇太子時代から何度も訪問されています。陛下が訪れられた最後の激戦の地・摩文仁(まぶに)ヶ丘には多くの慰霊碑、慰霊塔が立ち並び、戦の激しさを物語っています。そして、その先にはあまりにも美しい、静かな南の海が広がっています。
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沖縄平和祈念堂前(平成五年・一九九三・御年六十一歳)
激しかりし戦場(いくさば)の跡眺むれば平(たひ)らけき海その果てに見ゆ
激しかった戦場の跡を眺めると平らかな海がその果てに見える。
・・・この平成五年は植樹祭へのご臨席のため沖縄をご訪問になった。両陛下は、直ちに南部戦跡へ向かわれ糸満(いとまん)市摩文仁(まぶに)の戦没者墓苑にご到着、摩文仁ヶ丘にのぼられて、沖縄戦に散華された十八万余柱が眠る納骨堂前の参拝所で深々とご一礼をなさった。沖縄歴史上、天皇陛下としての初めてのご訪問は実に英霊ヘのご祈念に始まった。
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■8.「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」
こうして近代5方の天皇の御歌を拝するだけで、我々は我が先人たちの苦難に満ちた歩みを追憶することができます。ここで思い出されるのが、天才数学者・岡潔の次の言葉です。
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ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つという強い心のつながりによって、たがいに結ばれているくには、しあわせだと思いませんか。[岡潔『春宵十話』]
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歴代天皇の御歌を拝誦する事は、まさに「ともになつかしむことのできる共通のいにしえを持つ」ための、誰にでもできる簡明な道なのです。
(文責 伊勢雅臣)
2023年10月1日に日本でレビュー済み
格式高さも保ちつつ、初学者や私のような若輩にもわかりやすいように、丁寧にルビや注釈を付してあり、編集の愛やこだわりが強く感じられる。
学校教育では、「〇〇天皇が△△をした」と事実が淡々と述べられているのみのことが多く、その意義はもちろん、歴代天皇の心や考えに触れることは皆無。
しかし何か出来事があれば、その背景には必ず人の思いがある。
「思い」は、数字にも事実にもなりづらく、研究対象として曖昧になるのかもしれないが、天皇が万感の思いを込めて作成した御製から、これまで知られてこなかった日本の歴史の一面を知ることができそうだ。
歴史を勉強していて登場する天皇はほとんど網羅してあるようで、簡単なご事績も付されている。
通読するもよし、「〇〇天皇」が登場するごとに手に取って辞書のように読むのもよし。
学校教育では、「〇〇天皇が△△をした」と事実が淡々と述べられているのみのことが多く、その意義はもちろん、歴代天皇の心や考えに触れることは皆無。
しかし何か出来事があれば、その背景には必ず人の思いがある。
「思い」は、数字にも事実にもなりづらく、研究対象として曖昧になるのかもしれないが、天皇が万感の思いを込めて作成した御製から、これまで知られてこなかった日本の歴史の一面を知ることができそうだ。
歴史を勉強していて登場する天皇はほとんど網羅してあるようで、簡単なご事績も付されている。
通読するもよし、「〇〇天皇」が登場するごとに手に取って辞書のように読むのもよし。
2023年10月1日に日本でレビュー済み
戦後教えられてこなかったこの国の国柄が直截に伝わってくる素晴らしい良書だと思います。天皇陛下=皇御孫命(スメミマノミコト)という事が、日本人の魂に響く筈です。この時代に、生まれるべくして生まれた本のような気がします。さすが致知出版社ですね。