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反体罰宣言 日本体育大学が超本気で取り組んだ命の授業 単行本 – 2019/12/4

4.4 5つ星のうち4.4 11個の評価

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購入オプションとあわせ買い

『ブラック部活動』(東洋館出版社) 著者・内田良氏 推薦!
大人の事情に忖度なし! 徹底して子ども・被害者の立場に寄り添いつづける書。
スポーツ指導の未来がここにある!!

部活動の場で命が奪われる現実ー
「反体罰宣言」をした日体大が企画した「一生もの」の講義

講義には、学校の部活で我が子を亡くした親たち遺族が登壇し、
聴衆は主に体育教師やスポーツ指導者を 目指す日体大の学生、
また今まさに指導者として活躍している同大の教職員だった。
重大事故・事件から学ぶ、部活動・スポーツ教育の在り方とは―

【本書収録の主な講義の内容】
●顧問による不適切な対応で死亡(バレー部)
●名門大学卒の顧問の「なぶり殺し」(柔道部)
●灼熱の中の執拗な「罰走」死(ラグビー部)
●仲間が受ける体罰に耐えられず、死を選んだ(野球部)
●体育大学卒「名将」顧問の暴力死(剣道部)
●「友だちにお菓子をもらって食べただけ」で、死に追い詰められた(指導死)
●「いじめから友達を守れなかった」悔しさから命を絶った(いじめ自死)

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商品の説明

著者について

日本体育大学スポーツ文化学部 武道教育学科准教授・医学博士。高知県生まれ。
2000 年、明治大学大学院法学研究科前期博士課程修了(法学修士)。
05 年、横浜市立大学大学院医学研究科博士課程修了。
05 年、横浜市立大学医学部法医学教室助手、06 年同助教。
16 年に日本体育大学体育学部に移り、17 年より現職。
専門分野は法医学・刑事法学・スポーツ危機管理学。児童虐待やスポーツにおける体罰・
ハラスメントに関する問題を、医学・法学等の分野横断的なアプローチで研究している。
著書に『代理ミュンヒハウゼン症候群』(アスキー新書)『児童虐待―親子という絆、親子という鎖(教育出版) 『文系法医学者のトンデモ事件簿』 (アスキー新書)など

登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 春陽堂書店 (2019/12/4)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2019/12/4
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 335ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4394880025
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4394880028
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 11個の評価

カスタマーレビュー

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上位レビュー、対象国: 日本

2020年10月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
読んでいて怒りを覚える内容です。
個人的に歴史に興味があったのでナチズム関連書やアパルトヘイト関連書などはだいぶ読み、人を人とも思わぬ悪鬼の所業に読むつど怒りに震えましたが、学校での指導事故は場所や時期が身近な分、また別の怒りに震えます。

収載の事例について、私からは多くは語りません。この本を読んでいただければいいし、語るべき人がいるはずですし、またそうした人たちに耳を傾けるための著者の勉強会なども行われているようです。
 しかし、怒りを別としても、スポーツ指導上の安全管理はどうなっているのか、そしてそこに通底する人権意識はどうなっているのか、また、加害する側の教師の心証はどうなっているのか、なぜそんな怪物さながらの教師となったのか、そして対象となっている日本体育大学自身もなぜここにきて反体罰宣言をするに至ったのか(このことは本書でも述べられていますが、同校では体罰が日常的に行われていたことを示すものであり、卒業生から見たらある意味、変節でもあります。ならばなぜそうした「変節」を社会的に宣言するに至ったのか)まで、学校史やスポーツ史、教育史などと含めて明らかにならないと、同校の宣言を心からのものとして信頼することはできません。本書にて紹介されている事業は大変画期的(これが画期的である時点で、体育教師と同校の人権意識を疑います)な事業ではあると考えますが、同時にこの事業はいまだ半ばであると考えざるを得ません。

私はもともと体の動きが鈍く、運動会でも体育の授業でも足手まといにしかならなかったので、体育の先生からも運動部のみなさんからも「生きるに値しない命」として扱われ続けました。
 しかし無用の用とは言ったもので(私の好きな言葉です。私は無価値な人間だからこそ、運動が出来る皆さんの価値が光るのです。それこそが私の存在価値です。余談ですが、昨今人口に膾炙する人文科学の存在価値は、この言葉一つで明らかです。この言葉によって私のような無価値の人間の存在価値が明らかになったのです。)、私は持ち前の鈍臭さから部活に参加することもなかったおかげで、私への侮辱と引き換えに五体満足のままこの歳まで無事に生きながらえることが出来ました。そして私のような体だけでなく頭まで鈍臭い私を大学院にまで拾ってくれる先生がおり、勿体なくも修士まで頂くことができました。
 しかし、体育さえなければ私の人生はもっと変わったかもしれないと思っています。
いやあったとしてもいたずらな競争志向ではなく生涯スポーツとして体を動かすことを楽しむようなものであればまた違ったかもしれない。
もっと人格と人間の得手不得手を認めて体質を尊重するものであれば、もう少し私の人生も変わったのかもしれない。
飲み込みが悪い相手でもつまづきを把握して最後まで粘り強く指導していれば、また違ったかもしれない。

 私は今ここまで生きているからこそ、体育を憎みますし、それを教える日本体育大学を憎みますし、またそこに学ぶ人たちも憎みます。恐らく、私が死ぬまでこの感情は消えないことでしょう。
 運動ができない人たちの名誉のために一言だけ書き添えておきますが、運動ができないことを理由に課業をサボることはありません。もちろんそういう人たちもいるかとは思いますが、それを根拠に疑わしきを罰していくから体育は非常に屈辱的な教科となるし、怒りと憎しみばかりが後々になってなお深刻な悪影響を遺すのです。
 結果として期待される能力を習得できなかったとしても、本人は少なくとも授業時間内は最善を尽くしています。あまりこういうことを書きたくはありませんが、運動音痴とされる人たちの名誉のために挑戦的な一言を書き添えておきます。皆さんは分数の割り算、二次方程式、三角比、微分積分、どれもたやすく習得できましたか?自分の苦手なものに置き換えれば話は同じです。まあ私はどれも苦手だったのですが。
(書きたいことは多々ありますが、ここはあくまで本のレビューであり、私恨をぶつける場ではないので割愛します。しかし、みなさんの同胞による指導や仕打ちの結果がみなさんに対してどのような心証を抱くに至ったか、その一端は知っていただきたいと思っています)。
 

先ほども書いた通り、私は物理教育で修士を持っていますが(教員・教育関係者ではありません)、学生時代には授業実践の時には実験指導のリハーサルを何度も行いました。それは実験指導が予測可能性、再現可能性、反証可能性という科学性を必ず満たしていることを確認するのはもちろんですが、当日の指導がスムーズになされるか、必ず理解してもらうべきことはなんであるのか、受講者たちの興味を引く展開になっているか、理解に漏れや誤解がないような資料になっているかなどの議論を何度も重ねるのは当然ですが、それ以前にカッター一本の切り傷ですらも見逃さないような安全指導についても何度も議論を重ね、安全指導には教授からも時として教科指導以上に厳しいチェックもありました。他人様の子供を預かっていて自宅まで無事に返すという義務を負っていることを考えれば、当然です。
ひるがえって本書でよく見る文言が「顧問の機嫌を損ねる…」という言葉です。いったい部活指導というのはどうなっているのですか。この辺も明らかになるべきです。それはスポーツを何のために行っているのかということを明らかにする過程でもあるはずです。
スポーツの指導は機嫌でできるものなのですか?機嫌で行うものなのですか?私が理科の指導で実験のリハーサルを入念に行うことには何の意味があったのですか?(当然実験指導を機嫌で行ったことなど、ただの一度もありません。)人間性を奪うような屈辱的な暴言を吐き続けていれば重力加速度の導出ができるのですか?等電位線が描けるのですか?

これらに通底するものは安全意識の欠如であり、その背景となる人権意識の欠如であると考えます。

 本書においては私自身読んでいて胸が痛む事例ばかりで、もちろんこうした事例を関係者だけでなく世間に広く知っていただいて、問題を共有することは大事なことです。しかし、それはまだ事業の第一歩でしかないと考えます。これを契機として「なぜ暴力がいけないのか」まで踏み込んで考えるべきです。この事例研究だけで考えるのであれば、「胸が痛まないような怠惰で鈍臭い相手に対しては、体罰指導を行ってもいい」「死ななければ、どんな屈辱的な暴言を吐いても構わない」と主張されたとき、著者はどう反論しますか?著者は学部では法学部で学ばれたとのこと、私が何を問いかけているのか、当然私以上によく知っているはずですし、知っていなければいけないはずです。この辺も明らかにして日本体育大学なりの見解を示さないと、この宣言は良心的に解釈しても未だ志半ばだと理解せざるを得ません。
もちろん、部活動の指導で疲れていたり、大会などで成績を上げることに対してのプレッシャーなどもあるのかもしれない。しかし、そうした周囲のプレッシャーから「賞よりも大事なことがある」として時には勇気をもってはねつけ(そもそもそうした周囲のプレッシャーに負けてシゴキをしているのであれば、それは弱い者いじめをしているのと同じです。それがスポーツマン精神に相当するのですか?)、人間性よりも虚栄を重視する周囲のプレッシャーから同胞と子供たちを守ることこそが、日本体育大学関係者のみなさんの鉄の紐帯ではないのですか?教員同士で身内をかばいあって物事を闇へ葬り去ることがスポーツマン精神なのですか?不幸な事例の連鎖を防ぐためには学校などの組織と、場合によっては国家とも本気で戦うことも辞さない覚悟と正義も持ち合わせるべきです。みなさんよりもはるかに非力なはずの文学徒や哲学徒ですら時としてそれを行ったのは、歴史の教科書を見ればわかることです。全国に鉄の紐帯を誇る同窓が散らばる日本体育大学の関係者の皆さんにそれができないはずはないのです。

 とはいえ日本体育大学が本気で体罰を撲滅したいという心意気は、遅まきながらも素晴らしい。他の学校においてはどうなっているのかすら見えてこないのですから。しかし、本気で取り組むつもりがあるのであれば、その誠意をもう少し見せていただきたい。少なくとも哲学、心理学、歴史学当たりの教員を増員して(それぞれにどうして必要なのか、どういう役割が期待されるか、著者は私以上によく理解しているはずです。もっともAmazonのレビューごときいちいち読んでいるとも思えませんが。)、この事業の一歩先を見据える段階になっているように思われます。
最終的には運動会のメダルの数などではなく、誰もが安全で楽しくスポーツに参加することで「生きるに値した、よい人生であった」と思ってもらう人が1人でも増えてもらうことをこそ誇るようになるべき、これこそが日本体育大学の目指すべき道と考えます。でも、その日はトップアスリートを育てることを誇りとしてきたであろう日本体育大学の存在意義の変節の日かもしれません。(シゴキによるふるい落とし、時として不幸な指導事故と引き換えですが)トップアスリートとしてのキャリアと人類の達成という名誉を捨てて、(たとえその結果トップアスリートの座から脱落したとしても)一人の弱者や時として(皆さんが思うところの)怠け者に寄り添うことこそが誇りだと皆さんは自信を持って言うことができますか?
極端な選択肢ではあるかもしれませんが、指導事故の原因の背景の一つには周囲から(時として指導者当人の)過度な名誉欲が介在しているように思われる以上、この問いは前提としてあり得ないものではないと考えます。

 もう私の憎しみはどうにもなりません。スポーツマンの皆さんから見ても私のような鈍臭いだけの生き物など、虫けらほどの価値もないことでしょう。しかし、私とても生きている人間です。私の受けた屈辱など、本書に収載の命を奪われてしまった人たちからすれば何万分の一にも値しない、苦しみともいえないような些細なものでしょう。それでもその小さな苦しみを背負わなければいけない小者です。今も私はこのレビューを怒りに震えながら書いています。反体罰宣言は崇高な理想と理解しますが、そもそもそんなのは

人 間 と し て 当 た り 前 の こ と で す !

人間として育ってこれがわからないはずはないし、ましていやしくも四年制大学という学問の頂点に進学して教員にまでなったはずなのにこれを軽視している時点で、またそういう教員を輩出し続けて何事も内省しなかったというのであれば、それこそ何のための私学助成でありましょうか。

後の世代によりよい社会と文明を遺すため、この事業が日本体育大学が全ての人に対して(著者が主張するところの)高度な文明的営み通して健康と正義と人間性を守り伸ばしていくための砦となるための第一歩となること、体育がいたずらな競争主義を脱して人間として生きることの喜びと健康の価値を訴え、健康と安らぎを増進する教科に変貌すること、日本体育大学およびその関係者の鉄の紐帯が、組織の不正や虚栄心に断固として屈しない健全な市民社会と民主主義を守る強い味方となることを切に願います。それこそが本書はじめ多くの体罰やシゴキで亡くなった多くの子供たちや遺族たちに報いる道であると考えます。
 この「命の授業」をもとに学校内だけでなく社会的にもあらゆる暴力と不正と不寛容を許さない新しい人間を育てる事業が立ち上がり、いつの日にかその成果が本となって刊行されることを期待します。その時が初めて亡くなった子供たちやご遺族の方々が報われる日なのだと理解します。

ということで採点ですが、私としてはこの事業は志半ば、もっと信頼した言い方をしても後に続くべき事業のための第一歩と考えざるを得ません。しかしながら本に関しては共感を呼ぶ多様な事例が多数収載されており、また一人でも多くの方に読んで問題を共有していただきたいと思っております。この事業を基に体罰がこの地上から一掃されることを切に願います。そのためのきっかけとなることを期待して★★★★★をつけさせていただきます。
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レポート
2019年12月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
知識のない、指導者と隠蔽体質の学校によって、子どもを亡くした家族は、一度ならず二度も三度も、子どもを痛めつけられている。
子どもの最後まで生きようとする、命の力と、親の悲痛なやりどころのない痛みが本書から伝わる。
そして、この本には部活の場面以外でも間違った指導方法にて自死した事例も掲載している。子どもの学校世界は、大人が思うよりせまく、逃げ場がない。でも、逃げじゃない、選択肢があるんだ!と気づくだけでも、子どもの逃げ場を作ることができると思った。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2019年12月17日に日本でレビュー済み
本書には、部活動において指導者に子どもを預けていたら、大変な
ことになった事例にあふれている。
部活動とは誰のためのものなのか?
いま一度、考えるべきだ。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年10月17日に日本でレビュー済み
《参考1/大分地裁 結審に当たって 剣太さん母親の陳述》

意 見 陳 述 

平成24年12月20日

 このたびは、結審の場で意見陳述書を読ませていただける事を感謝致します。最愛の息子・剣太を亡くしてから裁判を決意し、これまでこの裁判に立ち合い感じたことを、母の思いとして述べさせていただきます。

 息子・剣太を身ごもった時から、この子の幸せを願ってきました。その息子が変わり果てた姿で私の手元に帰って来た日から、私たち家族の生活は一変しました。みなさんは、文章でしか「剣太の死に際」を知らないでしょう。私は、病院に運ばれた約1時間後からこの子の死に立ち合いました。親ならば代わってあげたいほど苦しみ、最後は目も閉じず亡くなっていきました。

 亡くなった翌日、司法解剖を終えやっと私の元へ帰って来た剣太は、顔が黒く変色し、強い腐敗臭までしていました。私は「剣くん…お家に帰ろうね…」と言いながら霊柩車に乗せられ冷たくなった息子を家まで抱いて帰りました。

 剣太をこんな目に遭わせた人間を私は絶対に許しません! しかし、法でしか闘いようがないのです。法がなければ絶対に仇討をしています! 私たちはこの裁判のゆくえを見守ることを決意しました。

 裁判が進むにつれ、顧問・副顧問の大人げない言い訳に腹立たしさと、このような教員に教育を受ける子ども達がいることの恐ろしさを感じました。剣太は亡くなった当日、決して歯向かうことが出来ない顧問に対し「もう無理です!」と命乞いをしました。それは、どれだけ勇気がいったことか。しかし、顧問と副顧問は、その命の言葉を聞き入れることはありませんでした。しかも、その言葉を無視するだけではなく、フラつく剣太に「演技をするな!」と蹴りを入れ、「気付け」と称してビンタを与え続けました。

 そんな腹いせのような時間があったなら、もっと早く救急車を呼ぶべきだったはずです。もし、まだ自分で発声できていたこの時点で休憩をとっていてくれたら、病院に連れて行ってくれていたら命まで落とす事はなかったのではないかと思っています。なぜなら、剣太は最後、水を飲み込む事も自力で立ち上がる事もできず、意識さえなくしてしまっていたからです。その場に二人もの 大人がいたにも関わらず!!

 私は、このおふたりにお聞きしたいです!

 「Sさん。白目を剥(む)いてガタガタと痙攣(けいれん)し、目の前で意識を失っているのが わが子なら手を肩の上まで振り上げて歯を食いしばり『演技するな!そげん演技せんでいいぞ』と何発もビンタができますか?」

 「Wさん。顧問が『W先生、これは演技じゃけん心配せんでいい』と殴られていたのがあなたのお子さんなら、その光景を『私はあまり部活に出ていないから』と我が子が殴られる姿をじっと見ていられますか?」

 人の子だから、ただの生徒だから、あなた方は平然とそんな行動がとれたんです!

 これまで、剣道の試合で素晴らしい成績を収めたとか、素晴らしい指導をされたとか何人かの陳述書を出されても、私たちが見極めたいのは平成21年8月22日に、剣道場で何が起きたのか!ということです。

 剣太に何を強(し)いて、どのような暴力があり、剣太はどうして命まで落とさなければならなかったのか!ということを、もっと直視して下さい。「調査委員会による『調査報告書』を読んでいない」などという言葉が通るとでも思っているのですか? あり得ない言葉です。

 Sさん。顧問として責任を持って指導されている人間であれば、調査報告書を読んで原因の追及をして当然ではないですか? 核心をすり替えて逃げるばかりではなく、教育者として、社会人として人間としてきちんと向き合ってほしいと思います。

 Wさん。剣道部の副顧問であるならば、「副顧問だから…」「剣道が5段だから…」「意見を言える立場ではないから…」と言い訳を並べず、顧問とどのような確執があろうと人命を優先するのが教育者であり社会人ではないですか? その場にいなかったのなら仕方がありませんが、武道場の中で一緒に練習に参加していた事実は消せないのですから! 私は、そう思います。

 あとにわかった話の一つに、「剣太は死後4時間経った時点で、なお体内の体温が40.5度だった」という報告がありました。あなたたちは、いったい剣太にどれだけのことをしたのですか! 剣太は内臓が煮えてしまっていたんですよ!

 顧問は、尋問の際、剣太が意識をなくす直前の様子について、「おかしいと思わなかった」「しっかり打っていた。口調もはっきりしていた」竹刀を落として拾えなかったことに対しては「わざとしていると思った」と言っています。

 自己防衛にもほどがあります!! その場にいた部員たちは早くから剣太の異常に気づいていました。部員の証言の中で、竹刀を落とした時「絶対におかしいぞ!」と思った。一人で打ち込みをさせられていた時「もういっぱいいっぱいの感じでした」 同じく一人で打ち込みをしている途中の剣太の様子を「だんだんおかしくて、体力がなくなってきて、何回か膝まずいたり、座ったりして、その時みんなで起こしてやっていた」と言っています。救急車を呼ぶ前の剣太の様子に関しては「目が開いてたけど白目なんですよ。白目で目が全然普通じゃなくて、死んだ目みたいにしてて…」と言い、その時の顧問と副顧問の様子について「先生達も慌ててなくて、普通だった」と言っています。

 普通に考えてみてください。人として、まして教育者の目の前に白目を剥いてそれも子どもたちが見ても明らかに死んだような目をしている人間が倒れていて、普通にしていられますか! この状態から20分して救急車を要請したようです。剣太は、この数時間後に人生の幕を引かなければならなくなったのですよ!

 この裁判であなた方は、国家賠償法という法律により守られていると知りました。今回提出された被告・坂本からの準備書面の中にこのような事が書かれてありました。

 「公務員個人に対して被害者は直接請求できない。被害者たる他人は充分な賠償能力のある国または公共団体を相手方として賠償を求めることによって完全に経済的満足を得ることができる。たんに被害者が公務員個人の行為の道義性を問題とし、被害者の私的感情の満足ないし報復の充足をはかる以外なんらの実益も期待できない」

 「バカにするのもいい加減にしろ!!」と言いたいです!

 私は、ある方に「民事裁判は賠償金でしか争うことはできない。子どもを殺された親には金などどうでもいいこと。我が子を金で換算などできるはずがない。しかし、この闘いは賠償金の1円が相手の罪の重さなんだよ」と言われたことがあります。

 ですから、これだけのことをした2人に罪の重さとして賠償をしてほしいと思います。学校の中で教師と生徒間に起きた、絶対服従の中の暴力や暴言は許されるのですか? これだけ犯罪的なことを公務員がしてもなお、国家賠償法は国民ではなく、公務員を守るのでしょうか、犯罪的なことまで守るのが国家賠償法でしょうか!

 逃げ出すことすら選べず、真面目に2人の先生の言うことに従い続け、亡くなっていったこの子は死に損ですか? そんなわが子を思うと、胸が締めつけられ、気が狂いそうになります。もし、その時間に戻れるのなら、その場に行って剣太を抱きしめてやりたい。私がどれだけ殴られてもいいから剣太の上に覆(おお)いかぶさり守りたかった。こうなる前に、救急車を呼んであげたかった! 身体を張って息子を守ることができなかったことが、母親として無念でなりません。

 私達は、二十歳になった剣太を想像することしかできません。きっと救命救急士になってオレンジのツナギを着て、きびきびと訓練する姿はかっこいいだろうな…とその姿を目に浮かべ涙を流すことしかできません。来年の成人式にスーツを買ってやることもできません。あの時、もっとちゃんとした対応をしてくれていたら、剣太は死なずに済んだのです。病気でも何でもなく、部活をする為に学校へ行っただけなのですから。

 「剣くん!お母さんの子どもに生まれてくれて、ありがとう。また、お母さんの子どもで生まれてきてね…次はもっと長く一緒にいてよ」その言葉をかけた時には、もう剣太の心臓は止まっていました。

 どうか、この子の命の重さをわかってください。この事件で奪われたのは尊い剣太の命だけではありません。この子を愛して止まなかった家族や友人たちの心にも深い傷を負わせてしまったのです。

 17歳の子が、自分の「死」を覚悟する気力さえ失くし、倒れた無念さを思うと、私たちは未だ「死」が頭をよぎるほどの絶望感に襲われます。顧問・副顧問は、これから先の人生に夢を持ち真面目に生きた剣太の命を17年で止めてしまいました。しかし、彼らはこのことの重大さを直視する事なく、剣太は勝手に死んでいったかのような言い方しかしませんでした。私はこの死亡事件をただの過失ではかたづけたくありません。学校で一人の人間の一生を台無しにした事の重大さをもっと重視していただきたいと思います。

 《参考2/福岡高裁 控訴に当たって 剣太さん母親の陳述》

意 見 陳 述 

平成25年7月17日

 この度は、私にこのような機会を与えてくださったことに感謝致します。息子・剣太が亡くなり今年で4度目の夏がきました。

 夏の暑さ、入道雲、蝉の声…夕方、ヒグラシが鳴きはじめると、明日になればこの子の亡き骸に火を点けなければならない…この子がこの世から消えてしまう…。当時の何とも言えず息苦しいやり場のない悲しみが未だ押し寄せます。

 今、連日のようにテレビで「熱中症には充分気をつけましょう!」「こまめに水分・塩分を補給しましょう!」と熱中症への警告をしています。実際、ビックリするような数の方々が熱中症を発症し病院に搬送され、そして毎日のように死者も出ています。

 気温36度の室内でTシャツと短パンで1時間以上立っていてもつらいでしょう。これが分厚い道着を着て、風を通さない胴と垂れを体に巻き、面まで着け…1時間以上も激しい打ち込みを強要され、その上、水分も与えず休憩さえもらえないとなればどうなるのか! …殺人行為としか思えません。

 保健体育の教員である顧問Sは熱中症の講習を受けていたにも関わらず、ふらつく剣太に「演技をするな!」と言い、蹴りをいれたり、パイプ椅子を投げつけ威嚇(いかく)したりしました。部員の証言でも何度も倒れ部員が引っ張り起こしてやらせていたというのに、顧問Sと副顧問Wは、これを見ても何の危機感も持ちませんでした。

 剣太は、自分の命の危険を「もう、無理です」という言葉で意思表示したのに、それでもなお厳しい練習は続けられたのです。熱中症でも重度の熱射病を発症し竹刀を持っていないのに持っているかのように構えたりする行動をとり、ハッキリ意識障害が出ていたのに!

 あげく倒れてしまった剣太に対し、助けるどころか馬乗りになり「演技をするな!そげん演技はせんでいい!俺は熱中症の人間を何人も見ている。お前は熱中症じゃない!」と言い、額(ひたい)の血が吹き飛ぶほどの往復ビンタを繰り返しました。

 ここまでの話でもこれが教育者のすることとは到底思えません。そばに来た副顧問に対し「先生!心配せんでいい。これは演技じゃけん!」と言いながら歯を食いしばり手を肩の上まで振り上げ往復ビンタを繰り返しました。副顧問は「普段からこんな感じかな…」とそれを止めずに黙って見ていました。

 これに対し、大分地裁はこの2人に息子を死に至らしめた過失を認めました。しかし、どうしてこんな教育者を国家賠償法という法律で守らなければならないのですか? 私のような素人には全く理解ができないのです。

 もし、剣太が熱中症を発症した時点で早期に救護措置が取られ病院へ搬送したり、充分に処置がなされたにも関わらず、命を落としてしまったのなら、私たちは国家賠償法の適用があっても控訴することはなかったでしょう。

 しかし、何度も命を救える場面があったのに剣太の命の言葉さえ無視し、さらに暴力まで使い練習を続行させました。剣太は重度の熱射病にまで発展したにも関わらず、暴力と暴言でなかなか救急車さえ呼ばなかったこの大人2人を国の法律で守る意味がわかりません!

 「公務員」だからですか? もう、そのような言葉で国民が納得する時代ではないでしょう。学校教育の一貫である部活動中、瀕死(ひんし)の状態で痙攣し白目を剥いて倒れている部員に馬乗りになり「演技をするな!目を開けろ!」と往復ビンタを繰り返すなど教育者のすることですか? 学校外では暴行です! 公務員は就業中であれば、生徒が死に至っても何事もなかったかのように責任も問われず普通に仕事に就けるのですか?

 日本にはもっと守られるべき人達がたくさんいると思います。このような教育者をお願いですから法で守らないでください。息子を死に至らしめたこの2人に責任を負わせてください。この子の夢と一生を潰(つぶ)してしまった教育者と呼ばれる人間に、わが子剣太の一生分の責任を負わせてください。そうでもしない限り、同じことは繰り返されます! 教育の現場で、おぞましい行為が繰り返されます!

 私たちは、この思いに賛同して下さる方々の署名を集めることにしました。みなさんお一人お一人にわかってもらえるよう説明文を付け、直接お話ができる方には自分たちで説明をしました。

 皆さんが言われた言葉で最も多かったのは「許せない!どうしてこんな人間が守られるの?」という言葉でした。同じ年頃の子を持つ親たちは涙して下さる方も多くいました。みなさん、この裁判に関心を持たれています。

 どうか、この2人を国家賠償法で守らないでください!

 今回、顧問側から提出された「準備書面」を読ませていただきました。読み進めるたび、あまりの酷(ひど)さに胸が苦しくなり何日もかけ少しずつ読みました。病院での悲惨な状況がとても軽減して書かれています。いくら言葉のマジックを使い、さも病状が軽かったような書き方をしても私たちが見た死に際の息子の姿、その事実は決して消せません。

 このような責任感のかけらも感じられない公務員が放置されるという非常識を、国家賠償法の「常識」にしないでください。どうか、よろしくお願い致します。
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