Anna Lowenhaupt Tsingの『The Mushroom at the End of the World : On the Possibility of Life in Capitalist Ruins』(2015年)の翻訳。
著者はアメリカの文化人類学者。
本書は、マツタケという存在をめぐって、さまざまな角度から切りこんだもの。北米では、日本への輸出用にマツタケが採取されているのだが、どういったひとたちが採取しているのかといえば、多くは東南アジアからの難民なのだという。それを発端として、マツタケを探して採ることのもつ意味と、経済的な側面、アメリカの森林政策との関わりなどが、実感をもって語られていく。
さらに、日本や中国での状況も。
マツタケというテーマをもとに、現代社会の抱える解決困難な問題が論じられている。とても難しく、先の見えない状況だ。しかし、どこか救いもあるような……。
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マツタケ――不確定な時代を生きる術 単行本 – 2019/9/18
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オレゴン州(米国)、ラップランド(フィンランド)、雲南省(中国)における
マルチサイテッドな調査にもとづき、日本に輸入されるマツタケのサプライ
チェーンの発達史をマツタケのみならず、マツ類や菌など人間以外の存在から
多角的に叙述するマルチスピーシーズ民族誌。
ホストツリーと共生関係を構築するマツタケは人工栽培ができず、その豊凶を
自然にゆだねざるをえない不確定な存在である。そうしたマツタケを採取する
のも、移民や難民など不安定な生活を余儀なくされてきた人びとである。
生態資源の保護か利用かといった単純な二項対立を排し、種々の不確定性が絡
まりあう現代社会の分析にふさわしい社会科学のあり方を展望する。
「進歩という概念にかわって目を向けるべきは、マツタケ狩りではなかろうか」。
マルチサイテッドな調査にもとづき、日本に輸入されるマツタケのサプライ
チェーンの発達史をマツタケのみならず、マツ類や菌など人間以外の存在から
多角的に叙述するマルチスピーシーズ民族誌。
ホストツリーと共生関係を構築するマツタケは人工栽培ができず、その豊凶を
自然にゆだねざるをえない不確定な存在である。そうしたマツタケを採取する
のも、移民や難民など不安定な生活を余儀なくされてきた人びとである。
生態資源の保護か利用かといった単純な二項対立を排し、種々の不確定性が絡
まりあう現代社会の分析にふさわしい社会科学のあり方を展望する。
「進歩という概念にかわって目を向けるべきは、マツタケ狩りではなかろうか」。
- 本の長さ448ページ
- 言語日本語
- 出版社みすず書房
- 発売日2019/9/18
- 寸法13.7 x 3 x 19.6 cm
- ISBN-104622088312
- ISBN-13978-4622088318
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商品の説明
出版社からのコメント
著者について
アナ・チン Anna Lowenhaupt Tsing
カリフォルニア大学サンタクルス校文化人類学科教授。エール大学を卒業後、スタンフォード大学で文化人類学の博士号を取得。フェミニズム研究と環境人類学を先導する世界的権威。おもにインドネシア共和国・南カリマンタン州でフィールドワークをおこない、森林伐採問題の社会経済的背景の重層性をローカルかつグローバルな文脈からあきらかにしてきた。
著書にIn the Realm of the Diamond Queen: Marginality in an Out-of-the-Way Place (Princeton University Press, 1993), Friction: An Ethnography of Global Connection (Princeton University Press, 2004), The Mushroom at the End of the World (Princeton University Press, 2015)など、多数。
赤嶺淳(あかみね・じゅん)
一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は東南アジア地域研究・食生活誌学。ナマコ類と鯨類を中心に野生生物の管理と利用(消費)の変容過程をローカルな文脈とグローバルな文脈の絡まりあいに注目し、あきらかにしてきた。
著書に『ナマコを歩く――現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010)『鯨を生きる――鯨人の個人史・鯨食の同時代史』(吉川弘文館、2017)『生態資源――モノ・場・ヒトを生かす世界』(山田勇・平田昌弘との共編著、昭和堂、2018)など。訳書にアナ・チン『マツタケ』(みすず書房、2019)など。
カリフォルニア大学サンタクルス校文化人類学科教授。エール大学を卒業後、スタンフォード大学で文化人類学の博士号を取得。フェミニズム研究と環境人類学を先導する世界的権威。おもにインドネシア共和国・南カリマンタン州でフィールドワークをおこない、森林伐採問題の社会経済的背景の重層性をローカルかつグローバルな文脈からあきらかにしてきた。
著書にIn the Realm of the Diamond Queen: Marginality in an Out-of-the-Way Place (Princeton University Press, 1993), Friction: An Ethnography of Global Connection (Princeton University Press, 2004), The Mushroom at the End of the World (Princeton University Press, 2015)など、多数。
赤嶺淳(あかみね・じゅん)
一橋大学大学院社会学研究科教授。専門は東南アジア地域研究・食生活誌学。ナマコ類と鯨類を中心に野生生物の管理と利用(消費)の変容過程をローカルな文脈とグローバルな文脈の絡まりあいに注目し、あきらかにしてきた。
著書に『ナマコを歩く――現場から考える生物多様性と文化多様性』(新泉社、2010)『鯨を生きる――鯨人の個人史・鯨食の同時代史』(吉川弘文館、2017)『生態資源――モノ・場・ヒトを生かす世界』(山田勇・平田昌弘との共編著、昭和堂、2018)など。訳書にアナ・チン『マツタケ』(みすず書房、2019)など。
登録情報
- 出版社 : みすず書房 (2019/9/18)
- 発売日 : 2019/9/18
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 448ページ
- ISBN-10 : 4622088312
- ISBN-13 : 978-4622088318
- 寸法 : 13.7 x 3 x 19.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 162,823位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 343位文化人類学一般関連書籍
- カスタマーレビュー:
著者について
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2020年1月12日に日本でレビュー済み
英語の原題は"The Mushroom at the End of the World: in the Possibility of Life on the Capitalist Ruins"です。『世界の終わりのキノコ:資本主義の残骸における生命の可能性』とでも訳せるでしょうか。この本は、松茸をその共通のキーワードとして、資本主義、戦争、環境破壊その他の「近代(Modernity)」がもたらしたいろいろな「失敗」「残骸」「死と暴力」を世界中を行ったり来たりしながら蒐集し、現代のその先にある社会がどんな社会としてあるべきかということを、人間の目線の高さからではなく、まさに松茸が生える足元の目線から考える本です。
また、日本人にとってなじみ深い松茸という食材がいったい世界でどんな風に「狩り取られ」ているのかということを人類学者の目線から丹念に調べあげ、その周りにあるローカルでグローバルな文脈ごと掬い上げています。人類学の先端の知見と粘り強い調査の成果であるとともに、私たちの舌と文化が世界とどうつながっているのか興味深くまとめられた良書であると思います。
また、日本人にとってなじみ深い松茸という食材がいったい世界でどんな風に「狩り取られ」ているのかということを人類学者の目線から丹念に調べあげ、その周りにあるローカルでグローバルな文脈ごと掬い上げています。人類学の先端の知見と粘り強い調査の成果であるとともに、私たちの舌と文化が世界とどうつながっているのか興味深くまとめられた良書であると思います。
2020年6月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
着地点があったのか、なかったのか、読後としての感想である。そして、少し時間が経ってわかったのは、僕の本書の読み方に間違いがあったのだ。その事に気が付いた時に、もう一度再読した。社会は繋がっている、だけど分断されている…という禅問答みたいな側面はある。その意味では、「たかがマツタケ、されど松茸」なのだ。純粋にマツタケ流通の複雑さは、アナログの極致だし未開社会から贈与経済が誕生した経過と共通している。一方松茸の消費のされ方と五感にうったえる価値のつけ方は、新資本主義のやり方だ。つまり経済手法の、一番古い形態と一番新しい形態がマツタケと松茸によって同時に引き起こされているのだ。そんな風に松茸を見たら、もっと松茸が恋しくなる。底辺にあるのは「マツタケへの愛」かもしれない。グローバルとローカル、それぞれのルールによっていかにマツタケが松茸に変化をとげるか、松茸を触媒にした人類(ヒト)の思考や方法の進化は、今後も人は試されていく。ヒトという種の滑稽さ加減に、ひょっとしたら松茸自身が、微笑んでいるかもしれない。
マツタケファンにはなります! なかなかの好著。
マツタケファンにはなります! なかなかの好著。
2019年10月27日に日本でレビュー済み
松茸だけをネタによくもまあここまで社会学・文明的学術論を作成する事ができるものである。
松茸はあくまで取っ掛かりであり、真に論じている内容は別にあります。
かなり腰を据えて読まないと理解できない内容ですが、作者の松茸への愛を感じますね。
松茸はあくまで取っ掛かりであり、真に論じている内容は別にあります。
かなり腰を据えて読まないと理解できない内容ですが、作者の松茸への愛を感じますね。
2023年1月29日に日本でレビュー済み
オレゴンの国立公園の森では、秋になるたびにカンボジア移民が臨時の村を形成して、日本へ輸出するためのマツタケを採集しているのだという。本書を読むまで想像もしなかった。そんな、各地の「マツタケ経済」に取材した本。
文化人類学をベースに、世界中のマツタケ産地での調査行のエピソードをふんだんに取り混ぜて語られる。日本への輸出が世界各地でマツタケ採集に始まる経済活動を喚起している、ということ自体を初めて知った。どの地域のエピソードも興味深かった。松茸を採集するという点は一致しているのに、地域ごとにアプローチが異なっている。「スケールしない」「アッセンブリーの一過性」といった表現で何度も説明されているように、地域の歴史と構成員の違いが大きく影響していて、綺麗な理論的枠組みに収まらない。それをそのままに、著者の感嘆とともに提示する文章になっている。
日本のマツタケ研究をさして、アメリカの研究者が「記述的に過ぎ、スケールしないので参考にならない(自分たちの林分管理の手法に対して予測可能性が得られない)」と評して退ける傾向にあると指摘されている。全く耳の痛い話だが、日本の生態学研究、特に保全関連ではその傾向は強い。しかし、文化人類学こそ、そのような記述的なアプローチを根幹としてきた学問だと認識している。この本は、経済学や生物学の分野への文化人類学的なクサビにも見えた。
訳文が下訳のレベルを出ておらず一読して意味を取れない部分が多かったため、電子書籍で原書を購入し不明瞭な部分では原文に当たりながら読むことにした。結果として誤訳や訳文のニュアンスのピンボケだと感じる部分も多かったため、このアプローチで正解だった。
文化人類学をベースに、世界中のマツタケ産地での調査行のエピソードをふんだんに取り混ぜて語られる。日本への輸出が世界各地でマツタケ採集に始まる経済活動を喚起している、ということ自体を初めて知った。どの地域のエピソードも興味深かった。松茸を採集するという点は一致しているのに、地域ごとにアプローチが異なっている。「スケールしない」「アッセンブリーの一過性」といった表現で何度も説明されているように、地域の歴史と構成員の違いが大きく影響していて、綺麗な理論的枠組みに収まらない。それをそのままに、著者の感嘆とともに提示する文章になっている。
日本のマツタケ研究をさして、アメリカの研究者が「記述的に過ぎ、スケールしないので参考にならない(自分たちの林分管理の手法に対して予測可能性が得られない)」と評して退ける傾向にあると指摘されている。全く耳の痛い話だが、日本の生態学研究、特に保全関連ではその傾向は強い。しかし、文化人類学こそ、そのような記述的なアプローチを根幹としてきた学問だと認識している。この本は、経済学や生物学の分野への文化人類学的なクサビにも見えた。
訳文が下訳のレベルを出ておらず一読して意味を取れない部分が多かったため、電子書籍で原書を購入し不明瞭な部分では原文に当たりながら読むことにした。結果として誤訳や訳文のニュアンスのピンボケだと感じる部分も多かったため、このアプローチで正解だった。