あるサブカル界隈では機能するかもしれないゼロ年代の論評で一つの見方を
提示しており時代を反映したものになっている。レトリックが美しいです。
サブカルだけに封じこめておくのは勿体無い作品となっております。
ロングインタビューを拝見すると『遅いインターネット』の着想も感じられ
本作品が橋渡し的な存在であることが窺えます。新自由主義の風潮を
反映している感じもしました。当時の時代の空気感が伝わってくる良書です。
またコミュニケーション過剰性に恩恵を受けているような現を抜かす
田吾作にとっては耳が痛い話でした。素直に楽しく分析力が凄いです。
総括の第16章が特に良いです。
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ゼロ年代の想像力 (ハヤカワ文庫 JA ウ 3-1) 文庫 – 2011/9/9
宇野 常寛
(著)
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かつて社会は「大きな物語」に支えられていた。その効力が失われた今、私たちはどう生きていくべきなのか。ゼロ年代に生まれた想像力は新たな物語を提示しえたのか――。文学、アニメ、ゲームからテレビドラマまでを縦横無尽に論じ、停滞する「批評」を1冊で再起動させた、宇野常寛による衝撃のデビュー評論。2008年の単行本版発売以降、3.11後までを総括する、4万1千字の語りおろし原稿を追加して待望の文庫化。
- 本の長さ480ページ
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2011/9/9
- 寸法10.8 x 1.9 x 15.6 cm
- ISBN-104150310475
- ISBN-13978-4150310479
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商品の説明
著者について
評論家。1978年生。企画ユニット「第二次惑星開発委員会」主宰。批評誌編集長。戦後文学からコミュニケーション論まで、幅広い評論活動を展開する。近著に『リトル・ピープルの時代』。
登録情報
- 出版社 : 早川書房 (2011/9/9)
- 発売日 : 2011/9/9
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 480ページ
- ISBN-10 : 4150310475
- ISBN-13 : 978-4150310479
- 寸法 : 10.8 x 1.9 x 15.6 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 63,860位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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評論家。1978年生。批評誌〈PLANETS〉編集長。
著書に『ゼロ年代の想像力』(早川書房)、『リトル・ピープルの時代』(幻冬舎)、『日本文化の論点』(筑摩書房)、『原子爆弾とジョーカーなき世界』(メディアファクトリー)、『楽器と武器だけが人を殺すことができる』(KADOKAWA/メディアファクトリー)。
共著に石破茂との対談『こんな日本をつくりたい』(太田出版)、『静かなる革命へのブループリント――この国の未来をつくる七つの対話』(共編著、河出書房新社)など。
企画・編集参加に「思想地図 vol.4」(NHK出版)、「朝日ジャーナル 日本破壊計画」(朝日新聞出版)。NHK討論番組への出演、J-WAVE「THE HANGOUT」月曜日レギュラーパーソナリティとしても知られる。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2019年10月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評論家・宇野常寛さんのデビュー作です。
内容は、宮台真司さんの『サブカルチャー神話解体』を思わせる、しかし宮台さんが手掛けなかった90年代〜2000年代の日本社会の価値観の変化をサブカル分析によって見るというもの。
私があえて今さらこのレビューを書くのは、読み直すと、宇野さんの分析がまさに今のサブカル(マンガ・ライトノベル)の潮流を予見していたように思ったからです。
本書の、バブル崩壊による与件(経済的環境)の変化によってエヴァを先駆とする脱社会的(よって引きこもり的な)作品である『セカイ系』が出現し、しかし世代交代によってその与件さえも前提となり、一種の乗り越えとして『決断主義/バトルロワイアル』と呼ぶべきものが台頭し、
さらに、その乗り越えとしてドラマ版「野ブタ」や「木更津キャッツアイ」のような、代替の不可能な人間関係/意味を持った人生を築くことを目的とした作品が作られた、という指摘はまさに「なるほど」と思わされる鋭い指摘だと感じました。
そのうえで、宇野さんのその議論を踏まえて今時の作品を見ると、それらは2010年代に向けられた予言的のようにも思えます。
というのも、現在人気のあるアニメ/ライトノベルなどはその〈バトルロワイアル〉と〈人間関係〉と〈セカイ系〉が未だにサブカルチャー作品の想像力を規定し、さらに、よりディフォルメした極端な形を示しているように見えるからです。
あるいはデスノート/コードギアス、野ブタ/木更津の想像力の劣化版の台頭といえるかもしれません。
つまり、さまざまなサブカル作品では、デスノート/コードギアスのようなリスクや努力を伴わず、チート系と呼ばれる〈最強の設定〉を与えられた主人公が、あまりに手軽に競争相手を撃破してゆく。
宇野さんの論じた当時のバトルロワイアル系とは異なり、夜神月やルルーシュの潜り抜けたような命がけの戦いはもう、そこに存在すらしていない。
異世界/ゲーム世界に転生したらはじめから〈無敵〉であり、ある種の褒賞である〈美少女〉がそもそも手に入っている。
つまり『はじめから競走に勝っている主人公』ということになります。
(実質的にバトルの意味を伴わない、形だけのタテマエ・バトルロワイアル!)
これを〈バトルロワイアル系の劣化版〉と呼ぶことは、なかなか否定できないと思います。
あと、野ブタ/木更津に代表された、豊かな人間関係=人生の意味を築こうとするタイプの作品も、
本来的にそのもっとも難しい「関係の構築」の部分を短絡化した〈ほっこり系〉とでも呼ぶような作品がとても多いように思います。
ようするに、はじめから仲間同士で深い友愛を持っていたり、あるいは友情/人間関係の構築をほとんど行っていないのに、
なぜかそこに信頼関係が成り立っているような(はじめから信頼/友愛という設定が与えられているような)作品の氾濫です。
明らかに両者とも、宇野さんの論じた〈バトルロワイアル/豊かな人間関係〉という現代社会における生存戦略を、中身を抜くことで『短絡化』した形態といえると思います。
もう一つ、エヴァフォロアーであり2000年代前半にはすでに飽和したはずの〈セカイ系〉的なものは、しかし今になって新手のコンテンツとして再浮上しています。
もともとセカイ系の代表格だった新海誠の一般向けアニメ映画『君の名は』『天気の子』、君と僕の難病ものである『君の膵臓をたべたい』やメディアワークス文庫の作品の『君は月夜に光り輝く』など、なぜか再びセカイ系の作品が人気を得ている。
しかも、これらはアニメ/ライトノベルに詳しいオタク層ではなく、むしろ一般層にヒットしている。その理由の説明するなら、やはり宇野さんの議論を踏まえて、
すでにオタクが克服した〈セカイ系〉という空想的/引きこもり的なコンテンツを、今になって非オタクであったはずの人たちが享受しているということは、多くの非オタクの人がメンタル的にバブル崩壊後のオタクと近似している、ということになるのではないでしょうか?
(エヴァ世代オタク=生きる意味が分からない)
もっとも、それ以前の細田守などのアニメ作品の人気に乗って、たまたまヒットしただけという見方もできるかもしれませんが、それでも『君の名は』にアニメオタクがあまり反応せず、一般層が大きな反応を示していたことは無視できないと思います。
(あと個人的には『セカイ系』は人間関係の構築の、徹底的な短絡化だと思っているので、ここにも豊かな人間関係の獲得のショートカットの欲望/承認欲求が見えるように感じます)
もしこれらの社会現象を事実だとするなら、やはりそれは宇野常寛さんのこの『ゼロ年代の想像力』の明らかな射程範囲内の出来事だと私は思いました。
その意味で、この本は『予言的な1冊』だと言えると思います。
ほかの皆さんはどう思われるでしょうか。そのことがとても気になりました。
内容は、宮台真司さんの『サブカルチャー神話解体』を思わせる、しかし宮台さんが手掛けなかった90年代〜2000年代の日本社会の価値観の変化をサブカル分析によって見るというもの。
私があえて今さらこのレビューを書くのは、読み直すと、宇野さんの分析がまさに今のサブカル(マンガ・ライトノベル)の潮流を予見していたように思ったからです。
本書の、バブル崩壊による与件(経済的環境)の変化によってエヴァを先駆とする脱社会的(よって引きこもり的な)作品である『セカイ系』が出現し、しかし世代交代によってその与件さえも前提となり、一種の乗り越えとして『決断主義/バトルロワイアル』と呼ぶべきものが台頭し、
さらに、その乗り越えとしてドラマ版「野ブタ」や「木更津キャッツアイ」のような、代替の不可能な人間関係/意味を持った人生を築くことを目的とした作品が作られた、という指摘はまさに「なるほど」と思わされる鋭い指摘だと感じました。
そのうえで、宇野さんのその議論を踏まえて今時の作品を見ると、それらは2010年代に向けられた予言的のようにも思えます。
というのも、現在人気のあるアニメ/ライトノベルなどはその〈バトルロワイアル〉と〈人間関係〉と〈セカイ系〉が未だにサブカルチャー作品の想像力を規定し、さらに、よりディフォルメした極端な形を示しているように見えるからです。
あるいはデスノート/コードギアス、野ブタ/木更津の想像力の劣化版の台頭といえるかもしれません。
つまり、さまざまなサブカル作品では、デスノート/コードギアスのようなリスクや努力を伴わず、チート系と呼ばれる〈最強の設定〉を与えられた主人公が、あまりに手軽に競争相手を撃破してゆく。
宇野さんの論じた当時のバトルロワイアル系とは異なり、夜神月やルルーシュの潜り抜けたような命がけの戦いはもう、そこに存在すらしていない。
異世界/ゲーム世界に転生したらはじめから〈無敵〉であり、ある種の褒賞である〈美少女〉がそもそも手に入っている。
つまり『はじめから競走に勝っている主人公』ということになります。
(実質的にバトルの意味を伴わない、形だけのタテマエ・バトルロワイアル!)
これを〈バトルロワイアル系の劣化版〉と呼ぶことは、なかなか否定できないと思います。
あと、野ブタ/木更津に代表された、豊かな人間関係=人生の意味を築こうとするタイプの作品も、
本来的にそのもっとも難しい「関係の構築」の部分を短絡化した〈ほっこり系〉とでも呼ぶような作品がとても多いように思います。
ようするに、はじめから仲間同士で深い友愛を持っていたり、あるいは友情/人間関係の構築をほとんど行っていないのに、
なぜかそこに信頼関係が成り立っているような(はじめから信頼/友愛という設定が与えられているような)作品の氾濫です。
明らかに両者とも、宇野さんの論じた〈バトルロワイアル/豊かな人間関係〉という現代社会における生存戦略を、中身を抜くことで『短絡化』した形態といえると思います。
もう一つ、エヴァフォロアーであり2000年代前半にはすでに飽和したはずの〈セカイ系〉的なものは、しかし今になって新手のコンテンツとして再浮上しています。
もともとセカイ系の代表格だった新海誠の一般向けアニメ映画『君の名は』『天気の子』、君と僕の難病ものである『君の膵臓をたべたい』やメディアワークス文庫の作品の『君は月夜に光り輝く』など、なぜか再びセカイ系の作品が人気を得ている。
しかも、これらはアニメ/ライトノベルに詳しいオタク層ではなく、むしろ一般層にヒットしている。その理由の説明するなら、やはり宇野さんの議論を踏まえて、
すでにオタクが克服した〈セカイ系〉という空想的/引きこもり的なコンテンツを、今になって非オタクであったはずの人たちが享受しているということは、多くの非オタクの人がメンタル的にバブル崩壊後のオタクと近似している、ということになるのではないでしょうか?
(エヴァ世代オタク=生きる意味が分からない)
もっとも、それ以前の細田守などのアニメ作品の人気に乗って、たまたまヒットしただけという見方もできるかもしれませんが、それでも『君の名は』にアニメオタクがあまり反応せず、一般層が大きな反応を示していたことは無視できないと思います。
(あと個人的には『セカイ系』は人間関係の構築の、徹底的な短絡化だと思っているので、ここにも豊かな人間関係の獲得のショートカットの欲望/承認欲求が見えるように感じます)
もしこれらの社会現象を事実だとするなら、やはりそれは宇野常寛さんのこの『ゼロ年代の想像力』の明らかな射程範囲内の出来事だと私は思いました。
その意味で、この本は『予言的な1冊』だと言えると思います。
ほかの皆さんはどう思われるでしょうか。そのことがとても気になりました。
2020年4月7日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
『ゼロ年代の想像力』は、批評家・宇野常寛のデビュー作です。『ゼロ年代の想像力』という物々しいタイトルが付いた本ですが、中身は非常にポップです。ゼロ年代を象徴する文学や漫画、特撮やテレビドラマなどが幅広く批評されています。
この本の優れたところは、ただ単に流行りのものをレビューしているだけでなく、ゼロ年代の世相描出やゼロ年代を生き抜くための処方箋の提示にまで踏み込んでいるところです。単なる「趣味語り」に留まらない現代社会論として読める、射程の広い批評でした。
『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される90年代後半の想像力を、宇野さんは「古い想像力」と呼んでいます。90年代後半には「何も選択しないで(社会にコミットしないで)引きこもる」という、「引きこもり/心理主義」が流行しました。
しかし2001年ごろから引きこもっていると生き残れない「サヴァイヴ感」や、根拠が無くても何らかの立場を選択しなければならない「決断主義」的な風潮が主流になったと宇野さんは考えます。90年代後半の「引きこもり/心理主義」は、ゼロ年代の「開き直り/決断主義」にシフトしたという。宇野さんは「バトルロワイヤル状況」に陥ったゼロ年代の想像力を批評しつつ、ゼロ年代を超克する方法を模索します。
私は仮面ライダーが好きなので、第十二章「仮面ライダーにとって『変身』とは何か」を面白く読みました。子供の頃から個人的に好きになれなかった『仮面ライダー響鬼』を批評するポイントがわかったので良かったです。
文庫版の巻末インタビューで宇野さんご本人も仰っていることですが、この本は「日常系(空気系)」が流行る前に世に出たので、日常系に関する言及が少ないです。この本ではバトルロワイヤル系(サヴァイヴ系)への考察が濃密である一方、日常系への考察が欠乏しているので、今読むとゼロ年代を殺伐としたイメージで描きすぎているように感じられます。
また、宇野さんがこの本で古典や海外の哲学者などについてあまり言及していないので、宇野さんの学問的な素養を少し疑いました(批評家は皆古典や西洋思想に詳しくなければならないとは流石に思いませんが)。「現代の」「日本の」ことが集中的に書いてある、といった感じです。この本を読んだ限り、宇野さんは現代日本の文化を解読批評するのに特化した頭脳の持ち主なのかなと思いましたし、良くも悪くも現代っ子の批評だなと思いました。偉そうだったらすみません。
この本の優れたところは、ただ単に流行りのものをレビューしているだけでなく、ゼロ年代の世相描出やゼロ年代を生き抜くための処方箋の提示にまで踏み込んでいるところです。単なる「趣味語り」に留まらない現代社会論として読める、射程の広い批評でした。
『新世紀エヴァンゲリオン』に代表される90年代後半の想像力を、宇野さんは「古い想像力」と呼んでいます。90年代後半には「何も選択しないで(社会にコミットしないで)引きこもる」という、「引きこもり/心理主義」が流行しました。
しかし2001年ごろから引きこもっていると生き残れない「サヴァイヴ感」や、根拠が無くても何らかの立場を選択しなければならない「決断主義」的な風潮が主流になったと宇野さんは考えます。90年代後半の「引きこもり/心理主義」は、ゼロ年代の「開き直り/決断主義」にシフトしたという。宇野さんは「バトルロワイヤル状況」に陥ったゼロ年代の想像力を批評しつつ、ゼロ年代を超克する方法を模索します。
私は仮面ライダーが好きなので、第十二章「仮面ライダーにとって『変身』とは何か」を面白く読みました。子供の頃から個人的に好きになれなかった『仮面ライダー響鬼』を批評するポイントがわかったので良かったです。
文庫版の巻末インタビューで宇野さんご本人も仰っていることですが、この本は「日常系(空気系)」が流行る前に世に出たので、日常系に関する言及が少ないです。この本ではバトルロワイヤル系(サヴァイヴ系)への考察が濃密である一方、日常系への考察が欠乏しているので、今読むとゼロ年代を殺伐としたイメージで描きすぎているように感じられます。
また、宇野さんがこの本で古典や海外の哲学者などについてあまり言及していないので、宇野さんの学問的な素養を少し疑いました(批評家は皆古典や西洋思想に詳しくなければならないとは流石に思いませんが)。「現代の」「日本の」ことが集中的に書いてある、といった感じです。この本を読んだ限り、宇野さんは現代日本の文化を解読批評するのに特化した頭脳の持ち主なのかなと思いましたし、良くも悪くも現代っ子の批評だなと思いました。偉そうだったらすみません。
2023年10月4日に日本でレビュー済み
問題設定――90年代からゼロ年代へ/「失われた十年」の向こう側
データベースの生む排除型社会――「動物化」の時代とコミュニケーションの回復可能性
引きこもり/心理主義の90年代――喪失と絶望の想像力
95年の思想をめぐって――否定神学的モラルのあとさき
戦わなければ、生き残れない――サヴァイヴ系の系譜
◆私たちは今、どこにいるのか――決断主義のゼロ年代の現実認知
宮藤官九郎はなぜ「地名」にこだわるのか――(郊外型)中間共同体の再構成
ふたつの『野ブタ。』のあいだで――木皿泉と動員ゲームの離脱可能性
解体者としてのよしながふみ――二十四年組から遠く離れて
肥大する母性のディストピア――空転するマチズモと高橋留美子の「重力」
◆成熟をめぐって――新教養主義の可能性と限界
仮面ライダーにとって「変身」とは何か――「正義」と「成熟」の問題系
昭和ノスタルジアとレ◯プ・ファンタジー――物語への態度をめぐって
青春はどこに存在するか――「ブルーハーツ」から「パーランマウム」へ
脱「キャラクター」論――ケータイ小説と「物語」の逆襲
時代を祝福/葬送するために――「決断主義のゼロ年代」を超えて
データベースの生む排除型社会――「動物化」の時代とコミュニケーションの回復可能性
引きこもり/心理主義の90年代――喪失と絶望の想像力
95年の思想をめぐって――否定神学的モラルのあとさき
戦わなければ、生き残れない――サヴァイヴ系の系譜
◆私たちは今、どこにいるのか――決断主義のゼロ年代の現実認知
宮藤官九郎はなぜ「地名」にこだわるのか――(郊外型)中間共同体の再構成
ふたつの『野ブタ。』のあいだで――木皿泉と動員ゲームの離脱可能性
解体者としてのよしながふみ――二十四年組から遠く離れて
肥大する母性のディストピア――空転するマチズモと高橋留美子の「重力」
◆成熟をめぐって――新教養主義の可能性と限界
仮面ライダーにとって「変身」とは何か――「正義」と「成熟」の問題系
昭和ノスタルジアとレ◯プ・ファンタジー――物語への態度をめぐって
青春はどこに存在するか――「ブルーハーツ」から「パーランマウム」へ
脱「キャラクター」論――ケータイ小説と「物語」の逆襲
時代を祝福/葬送するために――「決断主義のゼロ年代」を超えて
2021年5月4日に日本でレビュー済み
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私が生きてきた時代(1990年代生まれ)でのカルチャーがいかに自身に影響を及ぼしてきたががわかりました。
私はすでに30代に突入しているが、これを私より若い歳で書き上げた宇野さんには脱帽です。
いかに自分が自分をキャラクタライズして生きてきたか、振り返り、自己分析のきっかけとなりました。
私はすでに30代に突入しているが、これを私より若い歳で書き上げた宇野さんには脱帽です。
いかに自分が自分をキャラクタライズして生きてきたか、振り返り、自己分析のきっかけとなりました。
2018年5月5日に日本でレビュー済み
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ゼロ年代が起死回生でないのは、冷戦と冷戦以降の物語で大戦と戦後成長の物語を反復しようとしてうまくいかなかっただけだからである。冷戦と熱戦は根本的に違う。
うまくいかないのがちょっと回復した、回復しようとしたくらいで起死回生の気でいるのは自分の生きている時代を過信したか盲信した、結果として軽信してしまったことに他ならない。
要するに、東・宇野論争は同じ穴で、仲間割れのようなものである。
結局、昔の戦後の方が余程アナーキーで殺伐としていた、ゼロ年代以降の方が深刻ではあるかもしれないものの妙に落ち着いていて何の反省もない。批判されるべきは特定の評論家とはくらべものにならないくらい社会や政治やメディアの方であろう。
うまくいかないのがちょっと回復した、回復しようとしたくらいで起死回生の気でいるのは自分の生きている時代を過信したか盲信した、結果として軽信してしまったことに他ならない。
要するに、東・宇野論争は同じ穴で、仲間割れのようなものである。
結局、昔の戦後の方が余程アナーキーで殺伐としていた、ゼロ年代以降の方が深刻ではあるかもしれないものの妙に落ち着いていて何の反省もない。批判されるべきは特定の評論家とはくらべものにならないくらい社会や政治やメディアの方であろう。
2016年8月1日に日本でレビュー済み
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文化評論家の宇野さんのベースになる見解だと思います。
彼の政治への見解は、リベラルに傾いてはいるものの、現実主義者的な側面があるので、一般人でも妥協可能な範囲だと思います。
彼の文化的な評論は、相当に先端的ではないか?と思うところもありますが、現実にも即しており、よく考えられており、優れた内容であると思います。
彼の政治への見解は、リベラルに傾いてはいるものの、現実主義者的な側面があるので、一般人でも妥協可能な範囲だと思います。
彼の文化的な評論は、相当に先端的ではないか?と思うところもありますが、現実にも即しており、よく考えられており、優れた内容であると思います。
2015年2月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
エヴァンゲリオンとか仮面ライダーとか、論者にとって恣意的に選ばれた要素から主張が展開されている。普通、評論というのはまず「この作品について書きます」というところから始めて、その上で論理を重ねて結論に至ることが多い。しかし宇野氏の書き方はその逆方向からくる。まずは自分の主張があり、そのための作品を提示するのだ。偏見かもしれないが、これは女性的なやり方である。男性はおおかた、まず方法論みたいな所から始めて、論理を展開し結論に向かう。女性は反対にまず出したい結論を見て、それに必要なものを探すのだ。男性はそこを見て「女には哲学がない」と言うが、どちらが手っ取り早いかというと、そりゃあ結論から見た方が早いに決まっているだろう。
方法論なんてまどろっこしい事をしている間にさっさと結論に至りましょう、私たちにはもうウダウダしている暇はないんです、という声が行間から聞こえてくるような気がする。まあそれもそうですね、今の日本のワケワカラン加減では。しかしどこかで、そんなに急いで大丈夫ですか、という気がしないこともない。この結論が絶対に正しいという確信があるのかもしれないが、それも若さゆえの勢いですかね。ただ、若者に元気がない昨今ではその意気込みが読んでいて面白いし、私はなんとなく応援したくなってしまう。
方法論なんてまどろっこしい事をしている間にさっさと結論に至りましょう、私たちにはもうウダウダしている暇はないんです、という声が行間から聞こえてくるような気がする。まあそれもそうですね、今の日本のワケワカラン加減では。しかしどこかで、そんなに急いで大丈夫ですか、という気がしないこともない。この結論が絶対に正しいという確信があるのかもしれないが、それも若さゆえの勢いですかね。ただ、若者に元気がない昨今ではその意気込みが読んでいて面白いし、私はなんとなく応援したくなってしまう。