国家や文明の始まりは意外に難しく、研究者によってもかなりのばらつきがある。その中で中国は隣国である以上に日本の文明の源流のひとつでもあるだけに感情も入ってしまいがちだ。本書はそんな中国古代史が訓詁の学から科学に脱皮した経過を明らかにする記念碑的な労作だ。
もちろん、発掘された土器や金属器あるいは住居や集落と言った遺跡や遺物からだけではわからないことはあるが、それ以上に文献に載っていない事実が垣間見れることが大きい。それらは中国の研究者にとっても同じであり、自分たちの根源を探る目的からすれば日本人以上に前のめりになるのは当然だ。同時に共産党独裁という政治体制からの制約は当然あるだろう。その辺を考えると本書が中国で広く読まれるというのは理解できる。外国人が外国でそれなりに友好な姿勢で分析しているという位置づけなのだろう。特に古代史なら共産党が批判される場面も考えにくい。
読んでいて面白いのは国の成立と部族社会までの発展までで一つ、大きな溝があるなということだ。これは読んでみて考えることだが、国家というには成り立ちの異なる部族の社会を共通項でくくる何かが必要になる。それが祖先崇拝であったり神話であったりするのだが、その成立の過程が墓制だけでなく日常の道具に特別な意味を持たせる過程として説明されている。そもそも人間の精神は古代と現代で根本的なところで大きな違いがあるわけではない。ただの仕事の道具が何かのエピソードにより物語性を付与され特別な何かになることは珍しくない。端的には形見などはその典型だろう。故人の代わりに形見を大事にし供養するのは宗教性と紙一重だ。
中国の古代の遺跡にもそれらしき出土品は多い。特に大切にされていただけに保存状態も良い。それだけにその時代の人達の心性がよくわかる。それがやがて酒器などが尊ばれるようになる。その過程には酒食を共にして酒を目下に与えるものの権威が浮彫になる。問題はその場面の意味だろう。部族の長が上位の部族の長に臣従することを意味しているなら酒器はその地位の保証や上下関係の表象となる。それらが見つかった場所こそ国家の始まりということになる。
あとは王朝が同の様に始まったかだが、それ以上になぜ世襲による王朝が必要となったかが重要だろう。堯舜禹は徳治の王だが最後は夏王朝につながる。では支配者が禅譲で政権交代することの限界は何かということになる。この点は政治学の問題が大きいせいか本書では扱っていない。ただ、治水の問題で親の失敗を子が解決し後継者に指名された禹の事例は一つのヒントに思える。
古代では部族や貴族に近い有力者はいてもその富や知識の蓄積はドングリの背比べだっただろう。しかし禹のエピソードで二代目で治水に成功しており、家に資材や情報、知識の蓄積が進んだことが見て取れる。それが政治上もっとも重要で他の家よりも明らかに抜きんでているということが重視された時、継続的に政治課題に取り組める集団としての王家が成立したのだろう。
そこには私有財産としての土木資材、技術、資金があり、それを核に国全体を巻き込んで大事業を行う体制の構築が部族の長達の臣従でありその継続が王朝国家の成立といえるだろう。
あと、気になったのは日本の古代との関係だ。この時代の日本は弥生時代であり国家はないが農耕と狩猟採取の混淆状態が続いている。農耕は安定した生産をもたらすかに見えるが、軌道に乗るまでは狩猟採取よりも不安定だ。日本では豊富な雨と開発が容易な小規模の盆地が多数あり長江の支流ほど開発に人数を要しない。しかし谷あいから盆地全体を統合して生産する時代が来ると国を作る機運が高まる。
そうした歩みは意外なほど中国の古代と似通っている。もちろんタイムラグがあるし植民するにあたり技術や資材の運搬は不可欠だが距離と海路を考えると最小限でないと無理だろう。その意味では最も重視されたのは開拓の技術と農耕の知識そして部族レベルまでの組織力だったのではないか。
本書はこうした仮説の材料を提供してくれるだけの奥行がある。