〇 著者はじめての長篇文芸評論である。著者によれば、鴎外は近代化を急ぐ弱小明治国家の期待、家名隆盛を願う家族の期待に応えて生きた。自分自身の望みや欲は薄く、強烈な自我があって良いところは空虚が存在していた、そんな人である。
〇 このような家父長的立場に立った鴎外は、自らが庇護すべき者たち(国家、家族)を守るためには攻撃的に闘う一方で、自身の不遇不幸については執着しない傍観者であった。その文芸作品のなかでも同じような立場の人間を数多く創造しているのが目に付く。「雁」のお玉、「澁江抽斎」の五百、「高瀬川」の主人公などはみなその類型の人たちである。
〇 本書も後半に進むと、著者は、エリス来日事件、最初の妻との離別、二度目の妻との関係などに考察を進める。そして、いずれの事件の背景にも鴎外の家長としての責任感があったという。ここに現れる鴎外は、自らが庇護する者に一方的に愛情を注ぐばかりであって、人から真実の愛を受け取る余地はなかった。きわめて優しく親切で明るい人ではあったが心中は孤独であった。
〇 こうした孤独を鴎外はどのように処理したのか。それは歴史だったようだというのが著者の見解である。晩年になって歴史のなかに自身とよく似た経歴環境をもつ澁江抽斎を見出し、そこに自身の孤独と同じものを見てとっることによって現実の孤独に耐えたのだろうと言う。こうした孤独は近代の日本人が多かれ少なかれ宿命的に持っていたはずなのだ。だから今日もなお鴎外を読む意味があるのだろう。
〇 本書についてひとつ付け加えておきたいのは、文章の明晰さである。名文家山崎正和らしく、論理は明快で思わせぶりなところが少しもなく、複雑微妙な話題を扱っている部分でもとても読みやすい。これにも感服した。
〇 難を言えば昔の新潮文庫なのでちょっと活字が小さい。もう一まわり大きいと老眼にはありがたい。
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鴎外 闘う家長(新潮文庫) Kindle版
挫折しないことの不安におびえつつ、国家と共に至福の青春を生きてしまった森鴎外が、一切の社会的令名を拒否して死に至る凄絶な生涯。外的な役割も帰属の場所も信じられず、さりとて「子」の立場の甘えにも安んじることのなかった彼が、自己の内面の空虚に耐えた秘密は何だったか――。作家の生活と作品の間を照射することで、近代知識人論に画期的な視座を提起する、記念碑的評論。
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日1980/7/1
- ファイルサイズ1025 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B01GJGMIU8
- 出版社 : 新潮社 (1980/7/1)
- 発売日 : 1980/7/1
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 1025 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 279ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 195,005位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 3,653位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- - 5,107位近現代日本のエッセー・随筆
- - 5,436位新潮文庫
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2023年10月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2006年5月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
他の評論家達の本では全く不明確だったり、触れられていなかったりする鴎外の生き方が明確になった。
少なくとも、他の著名な鴎外研究者の書いた本よりは何十倍も、森鴎外という人間が分ったと思えた。
他の方々には「これは自分の知っている鴎外ではない。」「根拠が明確ではない。」と判断される向きもあろうと思う。
確かに著者は意図的に鴎外のある面を拡大したり、切り捨てたりしている。
しかし、だからといって、鴎外の生き方の解釈が間違っているとは思えない。
少なくとも、他の論者(名前は言いませんが、鴎外を読めば必ず出てくるお偉方の先生達)が自分勝手な鴎外像を描いているのに比べ、真摯に鴎外の実像に迫っている論だと思う。
少なくとも私には森鴎外、いや家長森林太郎が真の姿でここに居ると思う。
何度も何度も読み返し、今文庫本はぼろぼろになっている。
しかし、その間にここにいる鴎外に私も著者と同じ、不遜だが戦友を見つけた想いがした。
家長という真の意味、そして責任とその重さ、常に意識せざるを得ない不安。
体験したことの無い人には何のことやらと思われるであろう。
毎日、日々感じる崩壊への恐れ。不安感。そしてそれを支えようとする意識。
森茉莉氏がいみじくも言う「愛情のような雰囲気」を撒き散らかさざるを得ない恐怖。
そう、それは誰にも分ってはもらえないこと。
鴎外も最期まで誰にも分ってもらえなかったと思う。妻にも子にも、そして兄弟にも。
そして分ってもらおうとも思えないこと。
親友だった賀古鶴所には分っていただろうか?真のところは分っていなかったと思う。
これは「家長」「跡継ぎ」「長男」の一部の人しか分からないことだと分かっている。
今や「家長」などという言葉は「死語」である。
21世紀の日本で、こんなことを意識して生きている人は100人もいないだろう。
三鷹禅林寺にある「遺言書」の石碑を見てくだされば、鴎外が何に対して怒りを感じていたのか実感できるだろう。
私は3時間石碑を見続けた。そこには鴎外が自分の周り全てに対し、咆哮する声を感じた。
少なくとも、他の著名な鴎外研究者の書いた本よりは何十倍も、森鴎外という人間が分ったと思えた。
他の方々には「これは自分の知っている鴎外ではない。」「根拠が明確ではない。」と判断される向きもあろうと思う。
確かに著者は意図的に鴎外のある面を拡大したり、切り捨てたりしている。
しかし、だからといって、鴎外の生き方の解釈が間違っているとは思えない。
少なくとも、他の論者(名前は言いませんが、鴎外を読めば必ず出てくるお偉方の先生達)が自分勝手な鴎外像を描いているのに比べ、真摯に鴎外の実像に迫っている論だと思う。
少なくとも私には森鴎外、いや家長森林太郎が真の姿でここに居ると思う。
何度も何度も読み返し、今文庫本はぼろぼろになっている。
しかし、その間にここにいる鴎外に私も著者と同じ、不遜だが戦友を見つけた想いがした。
家長という真の意味、そして責任とその重さ、常に意識せざるを得ない不安。
体験したことの無い人には何のことやらと思われるであろう。
毎日、日々感じる崩壊への恐れ。不安感。そしてそれを支えようとする意識。
森茉莉氏がいみじくも言う「愛情のような雰囲気」を撒き散らかさざるを得ない恐怖。
そう、それは誰にも分ってはもらえないこと。
鴎外も最期まで誰にも分ってもらえなかったと思う。妻にも子にも、そして兄弟にも。
そして分ってもらおうとも思えないこと。
親友だった賀古鶴所には分っていただろうか?真のところは分っていなかったと思う。
これは「家長」「跡継ぎ」「長男」の一部の人しか分からないことだと分かっている。
今や「家長」などという言葉は「死語」である。
21世紀の日本で、こんなことを意識して生きている人は100人もいないだろう。
三鷹禅林寺にある「遺言書」の石碑を見てくだされば、鴎外が何に対して怒りを感じていたのか実感できるだろう。
私は3時間石碑を見続けた。そこには鴎外が自分の周り全てに対し、咆哮する声を感じた。
2024年3月20日に日本でレビュー済み
鴎外に興味がないため、本書を長くツン読状態にしていました。
ようやく本書を最後まで通読したしだいですが、文章の巧みさにうなりながらも、書かれていることはちょっとちがうのではないかという違和感がずっと読書中つきまとっていました。
本書では鴎外(1862-1922)という人物が、終始、いわば好意的解釈のもと理解され捉えられているといってよいかと思います。
しかし、鴎外自身が本書を読めば、こんなふうに自分を好意的に理解してもらえてありがたい、と思わなかったのではないか。困惑までしないけれど、自分がこんなふうに書かれていることをむしろ面はゆく思ったのではないか。そうありたかった自分、そう理解してほしかった自分が描かれているとも思わなかったのではないか。ようは鴎外自身、これは自分とはちょっとちがうと思ったのではないか、そんな気がしてなりません。
木下杢太郎は、鴎外について、文系理系の分野を問わずあらゆる知を収め入れ、またあらゆる知へと通じる無数の門をそなえた存在、行くところ可ならざるはなしのいわば知の巨人ということで「テエベス(テーベ)の百門」と評しましたが、鴎外は近代日本の知識人のひとりであったことは事実としても、しかしどの分野、どのジャンルでも一流一級だったわけではありません。
じっさい、本書によれば、鴎外自身は、晩年近くに書いた「なかじきり」(1917年/大6)でみずからの過去をかえりみて、おおよそつぎのようなことを言っていたようです:
自分は、医学者(衛生学者)としても哲学者(美学者)としても一級の仕事はできなかった、文学者としては詩(訳詩集「於母影」や観潮楼歌会主宰、文芸誌『スバル』のパトロネージ)や歴史(史伝)で少し語れるものがあったかもしれないが、小説や戯曲は不充分なものだった、と。
鴎外の直接の言を引くと:
「わたくしには初より自己が文士である、芸術家であると云ふ覚悟はなかつた。又哲学者を以て自ら居つたことも無く、歴史家を以て自ら任じたことも無い。唯、暫留(ざんりゅう)の地が偶(たまたま)田園なりし故に耕し、偶水涯なりし故に釣つた如きものである。約(つづめ)て云へばわたくしは終始ヂレッタンチスムを以て人に知られた」
これは鴎外の謙抑の念をまじえた自己診断、自己決算の弁とは思えず、みずからにたいして正確な自己認識をもっていたのだろうと評者は考えます。
鴎外は、国語教科書にその作品が載ることもあって明治の文豪などと畏敬の念で仰ぎ見られたりすることはあるものの、彼の文業として評者は、とりわけ翻訳(『於母影』、『ファウスト』、『即興詩人』など)と史伝(『澁江抽斎』など)、このふたつの領域ですぐれた仕事をした人物だったと考えていて、その点はいくら強調しても強調しすぎることはありませんが、小説、評論など他のジャンルでは高い評価を受けるにふさわしいものは書かなかった、書けなかったのではないかと思っています。
あえていえば、鴎外はこれまで過大評価されてきたのではないか、とも。
近年の鴎外評価としては、谷沢永一の『文豪たちの大喧嘩』(2003年)や鹿島茂の『ドーダの人、森鴎外』(2016年)のほうが本書(単行本初版は1972年刊)よりよほど説得的です。
また鴎外というと、辰野隆の『忘れ得ぬ人々』に収められた「鴎外先生」というエッセーをどうしても思い出します。
冒頭「露伴、鴎外、漱石は僕に取っては文学の三尊である」と書きはじめられたそのエッセーには、結びのほうにさしかかったあたりでつぎのような文言が読まれます:
「鴎外は要するに山県有朋幕下の一官僚であった。それ以上でもそれ以下でもない。僕はそれを咎めようとは思わぬ。鴎外の才幹を以て軍医総監、博物館長の地位に就くことは当然であり、寧ろ報いらるるところ 少なかったと言っても過言ではない。然し、不世出の才能人格が地位に恵まれず、恵まれても執せずに棄て得る意地と襟度(きんど)に至っては之を露伴と漱石に見出す、と断じても不当ではなかろう」
三人とも偉大な文学者として認めつつも、地方出身で、野心をもってそれなりに「恵まれた」立身出世を遂げても生涯なお不本意な思いをもちつづけた鴎外より、「恵まれても執せずに棄て得る意地と襟度」をもっていた、気っぷのいい江戸っ子気質の露伴や漱石(両者とも当時最高学府だった官立大学の京都帝大や東京帝大を執着せずさっさと辞めていますし、漱石は国が授与すると言ってきた文学博士号も辞退しています)への同じく江戸っ子だった辰野の共感や親近感が行間からにじみでているのがわかる一節です。
それはともかく、鴎外には、津和野に出自をおく森家という〈イエ〉を背負い、その系族において尊崇される立派な〈家長〉になるべく生涯にわたって熾烈な野心をもって栄達と名望を追いもとめながら、畢竟だれをも圧倒するような地位に達することも業績を残すこともできなかった地方出身者の悲哀というものがあったのではないか。
辰野は「報いらるるところ少なかった」と鴎外の心中を察していますが、鬱勃たる野心を内にかかえ、さまざまな分野でそれなりに力を尽くしたけれど、自分の一生を振り返ってみれば、さほどの人生ではなかったと、鴎外自身感じていたのではないか。
じっさい鴎外は、長く官僚として国家に仕えた自分の人生の最後を飾るはずだった、自身と〈イエ〉の栄誉となる爵位、死の床で正装(袴)までして待ち望んでいた男爵位はついに国家から届けられることはなかった…
いっぽう、江戸っ子の漱石や露伴は、そういう地方出身者で家長だった鴎外とちがい、〈イエ〉を担い系族から期待され頼られるという責任を免れていた、それゆえにその責任から生じる上昇願望や野心の肥大化というものとも無縁だったのでしょうね。
評者としては、ともあれ、鴎外が晩年に自身の仕事を冷静に総括した回顧的エッセー「なかじきり」を本書で知りえたことがささやかながら収穫でした。
まあでも、自分の人生に満足して死ぬことができるひとなど稀なのかもしれませんが…
ようやく本書を最後まで通読したしだいですが、文章の巧みさにうなりながらも、書かれていることはちょっとちがうのではないかという違和感がずっと読書中つきまとっていました。
本書では鴎外(1862-1922)という人物が、終始、いわば好意的解釈のもと理解され捉えられているといってよいかと思います。
しかし、鴎外自身が本書を読めば、こんなふうに自分を好意的に理解してもらえてありがたい、と思わなかったのではないか。困惑までしないけれど、自分がこんなふうに書かれていることをむしろ面はゆく思ったのではないか。そうありたかった自分、そう理解してほしかった自分が描かれているとも思わなかったのではないか。ようは鴎外自身、これは自分とはちょっとちがうと思ったのではないか、そんな気がしてなりません。
木下杢太郎は、鴎外について、文系理系の分野を問わずあらゆる知を収め入れ、またあらゆる知へと通じる無数の門をそなえた存在、行くところ可ならざるはなしのいわば知の巨人ということで「テエベス(テーベ)の百門」と評しましたが、鴎外は近代日本の知識人のひとりであったことは事実としても、しかしどの分野、どのジャンルでも一流一級だったわけではありません。
じっさい、本書によれば、鴎外自身は、晩年近くに書いた「なかじきり」(1917年/大6)でみずからの過去をかえりみて、おおよそつぎのようなことを言っていたようです:
自分は、医学者(衛生学者)としても哲学者(美学者)としても一級の仕事はできなかった、文学者としては詩(訳詩集「於母影」や観潮楼歌会主宰、文芸誌『スバル』のパトロネージ)や歴史(史伝)で少し語れるものがあったかもしれないが、小説や戯曲は不充分なものだった、と。
鴎外の直接の言を引くと:
「わたくしには初より自己が文士である、芸術家であると云ふ覚悟はなかつた。又哲学者を以て自ら居つたことも無く、歴史家を以て自ら任じたことも無い。唯、暫留(ざんりゅう)の地が偶(たまたま)田園なりし故に耕し、偶水涯なりし故に釣つた如きものである。約(つづめ)て云へばわたくしは終始ヂレッタンチスムを以て人に知られた」
これは鴎外の謙抑の念をまじえた自己診断、自己決算の弁とは思えず、みずからにたいして正確な自己認識をもっていたのだろうと評者は考えます。
鴎外は、国語教科書にその作品が載ることもあって明治の文豪などと畏敬の念で仰ぎ見られたりすることはあるものの、彼の文業として評者は、とりわけ翻訳(『於母影』、『ファウスト』、『即興詩人』など)と史伝(『澁江抽斎』など)、このふたつの領域ですぐれた仕事をした人物だったと考えていて、その点はいくら強調しても強調しすぎることはありませんが、小説、評論など他のジャンルでは高い評価を受けるにふさわしいものは書かなかった、書けなかったのではないかと思っています。
あえていえば、鴎外はこれまで過大評価されてきたのではないか、とも。
近年の鴎外評価としては、谷沢永一の『文豪たちの大喧嘩』(2003年)や鹿島茂の『ドーダの人、森鴎外』(2016年)のほうが本書(単行本初版は1972年刊)よりよほど説得的です。
また鴎外というと、辰野隆の『忘れ得ぬ人々』に収められた「鴎外先生」というエッセーをどうしても思い出します。
冒頭「露伴、鴎外、漱石は僕に取っては文学の三尊である」と書きはじめられたそのエッセーには、結びのほうにさしかかったあたりでつぎのような文言が読まれます:
「鴎外は要するに山県有朋幕下の一官僚であった。それ以上でもそれ以下でもない。僕はそれを咎めようとは思わぬ。鴎外の才幹を以て軍医総監、博物館長の地位に就くことは当然であり、寧ろ報いらるるところ 少なかったと言っても過言ではない。然し、不世出の才能人格が地位に恵まれず、恵まれても執せずに棄て得る意地と襟度(きんど)に至っては之を露伴と漱石に見出す、と断じても不当ではなかろう」
三人とも偉大な文学者として認めつつも、地方出身で、野心をもってそれなりに「恵まれた」立身出世を遂げても生涯なお不本意な思いをもちつづけた鴎外より、「恵まれても執せずに棄て得る意地と襟度」をもっていた、気っぷのいい江戸っ子気質の露伴や漱石(両者とも当時最高学府だった官立大学の京都帝大や東京帝大を執着せずさっさと辞めていますし、漱石は国が授与すると言ってきた文学博士号も辞退しています)への同じく江戸っ子だった辰野の共感や親近感が行間からにじみでているのがわかる一節です。
それはともかく、鴎外には、津和野に出自をおく森家という〈イエ〉を背負い、その系族において尊崇される立派な〈家長〉になるべく生涯にわたって熾烈な野心をもって栄達と名望を追いもとめながら、畢竟だれをも圧倒するような地位に達することも業績を残すこともできなかった地方出身者の悲哀というものがあったのではないか。
辰野は「報いらるるところ少なかった」と鴎外の心中を察していますが、鬱勃たる野心を内にかかえ、さまざまな分野でそれなりに力を尽くしたけれど、自分の一生を振り返ってみれば、さほどの人生ではなかったと、鴎外自身感じていたのではないか。
じっさい鴎外は、長く官僚として国家に仕えた自分の人生の最後を飾るはずだった、自身と〈イエ〉の栄誉となる爵位、死の床で正装(袴)までして待ち望んでいた男爵位はついに国家から届けられることはなかった…
いっぽう、江戸っ子の漱石や露伴は、そういう地方出身者で家長だった鴎外とちがい、〈イエ〉を担い系族から期待され頼られるという責任を免れていた、それゆえにその責任から生じる上昇願望や野心の肥大化というものとも無縁だったのでしょうね。
評者としては、ともあれ、鴎外が晩年に自身の仕事を冷静に総括した回顧的エッセー「なかじきり」を本書で知りえたことがささやかながら収穫でした。
まあでも、自分の人生に満足して死ぬことができるひとなど稀なのかもしれませんが…
2013年3月29日に日本でレビュー済み
昔から書名は知っていたが読む機会のなかった著書。森鴎外の文学にも深く親しんでいるとは言い難かったが、読み進めていくと非常に良かった。
明治国家に対して軍医として仕える身であり、ヨーロッパに洋行して技術や知識や教養を学んだ上で必要とあれば外国人と論争することも辞さない一方で、エリートの官僚には嫌悪感を隠さず反骨の気風を見せ、医師として日々労働する傍で文学への志を生き残し続ける姿、森家の祖父、入り婿である父と婿を取った母の下で生まれた境遇、父が隠居し早くから家長として生きざるを得なかった運命、読んでいくたびに感じ入るところがあった。世を拗ね者として生きていくでもなく、山房に在って門人に囲まれるでもなく、日々家族との平穏な団欒を保ちながら文学作品内で自らの懊悩をフィクションの形をとって追究していくという像を、丹念に綴っている。
少しづつ少しづつ読んだのだが、読んでいくうちに何か励まされていく感じがあった。大声で騒いだり見得を切ったりするのとは違う闘いの姿、戦いではなく闘いというべきな、他の何事よりも激しく自分と必死に闘っている男の姿に胸を打たれる。昔読んでいたらこの姿の良さを理解できなかっただろう。
今読んで良かった一冊。
明治国家に対して軍医として仕える身であり、ヨーロッパに洋行して技術や知識や教養を学んだ上で必要とあれば外国人と論争することも辞さない一方で、エリートの官僚には嫌悪感を隠さず反骨の気風を見せ、医師として日々労働する傍で文学への志を生き残し続ける姿、森家の祖父、入り婿である父と婿を取った母の下で生まれた境遇、父が隠居し早くから家長として生きざるを得なかった運命、読んでいくたびに感じ入るところがあった。世を拗ね者として生きていくでもなく、山房に在って門人に囲まれるでもなく、日々家族との平穏な団欒を保ちながら文学作品内で自らの懊悩をフィクションの形をとって追究していくという像を、丹念に綴っている。
少しづつ少しづつ読んだのだが、読んでいくうちに何か励まされていく感じがあった。大声で騒いだり見得を切ったりするのとは違う闘いの姿、戦いではなく闘いというべきな、他の何事よりも激しく自分と必死に闘っている男の姿に胸を打たれる。昔読んでいたらこの姿の良さを理解できなかっただろう。
今読んで良かった一冊。