私の、死ぬまでに読むことができて良かった本ベスト10が入り、間違いありません。ちなみに読まなければよかった本ナンバー1はフロイト「精神分析入門」です。小学生の時に読んだので,おかげで、無邪気な夢見る少女時代というものを持つことができませんでした。御恨み申し上げております、フロイト博士。
それから数十年を経てあたかも円環の閉じるように、本書に出会い、自縄自縛というも愚かな人の心の構造に多少なりとも認識を深めることができたと思います。このお値段にこの内容。お得です。

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知の教科書 フロイト=ラカン (講談社選書メチエ) 単行本 – 2005/5/11
新宮 一成
(編集)
創造したフロイト、再創造したラカン
人間を考える一筋の思想系がわかる
フロイトの独創的な発見は、ラカンによってすべて掬い取られ、深く大きく展開された。「無意識」は「他者の語らい」として、「エディプスコンプレクス」は「シニフィアンの導入」として。人間の「現実」を追究した思想の系としてのフロイト=ラカンが本当にわかる1冊。
人間を考える一筋の思想系がわかる
フロイトの独創的な発見は、ラカンによってすべて掬い取られ、深く大きく展開された。「無意識」は「他者の語らい」として、「エディプスコンプレクス」は「シニフィアンの導入」として。人間の「現実」を追究した思想の系としてのフロイト=ラカンが本当にわかる1冊。
- 本の長さ260ページ
- 言語日本語
- 出版社講談社
- 発売日2005/5/11
- ISBN-104062583305
- ISBN-13978-4062583305
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登録情報
- 出版社 : 講談社 (2005/5/11)
- 発売日 : 2005/5/11
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 260ページ
- ISBN-10 : 4062583305
- ISBN-13 : 978-4062583305
- Amazon 売れ筋ランキング: - 502,880位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 537位講談社選書メチエ
- - 2,243位臨床心理学・精神分析
- - 7,884位心理学入門
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
2007年8月4日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ラカンの解説書ですが、タイトルに「フロイト=ラカン」とあるように、
ラカン理論の解説だけではなく、それがフロイト理論とどのようにつながっているのか、
もっと正確に言えば、ラカンがフロイト理論をどう読み替えていったのかについて
分かるように解説がなされています。
ただ、解説がキーワード別に構成されているため(第二部)、
必ずしも体系的なラカン理論解説書とはなっていません。
また解説の内容も、全くの初心者が最初に読むものとしては少し分かりにくいかも知れません。
本書編者の1人である新宮一成氏の『ラカンの精神分析』や、
福原泰平氏の『ラカン−鏡像段階』、斎藤環氏の『生き延びるためのラカン』、
現在は絶版になっていますが石田浩之氏の『負のラカン』など、
他の解説書で事前に基本的な理解を得たうえで本書を読めば、
より一層その理解も進み、有益であろうと思われます。
また、第三部「三次元で読むフロイト=ラカン」には、精神分析だけでなく
その他の分野にもラカン理論を応用した考察が収められており、
思想としてのラカン理論に興味をお持ちの方にとっては
ラカン理論の他分野への応用例として興味深く読めるのではないでしょうか。
なお、第四部の1において
「もう他の解説書を読む必要はない。次は『エクリ』を読め」
というようなことが書かれてありますが、これはあまりにも無茶だと思います(笑)。
ラカンの著書を読むのであれば、編者の新宮氏も『ラカンの精神分析』の末尾で書かれておられるように
やはりエクリよりもセミネール、とりわけ第11巻『精神分析の四基本概念』から
入っていくのが一番分かりやすいのではないでしょうか?
(ただし私自身は、福原氏の『ラカン−鏡像段階』のレビューでも書いたとおり、
一般の方々がラカンに興味を持ち勉強してみようという場合において、
ラカン本人の著作にまで進む絶対的な必要性は無いのではないかと思っていますが)。
ラカン理論の解説だけではなく、それがフロイト理論とどのようにつながっているのか、
もっと正確に言えば、ラカンがフロイト理論をどう読み替えていったのかについて
分かるように解説がなされています。
ただ、解説がキーワード別に構成されているため(第二部)、
必ずしも体系的なラカン理論解説書とはなっていません。
また解説の内容も、全くの初心者が最初に読むものとしては少し分かりにくいかも知れません。
本書編者の1人である新宮一成氏の『ラカンの精神分析』や、
福原泰平氏の『ラカン−鏡像段階』、斎藤環氏の『生き延びるためのラカン』、
現在は絶版になっていますが石田浩之氏の『負のラカン』など、
他の解説書で事前に基本的な理解を得たうえで本書を読めば、
より一層その理解も進み、有益であろうと思われます。
また、第三部「三次元で読むフロイト=ラカン」には、精神分析だけでなく
その他の分野にもラカン理論を応用した考察が収められており、
思想としてのラカン理論に興味をお持ちの方にとっては
ラカン理論の他分野への応用例として興味深く読めるのではないでしょうか。
なお、第四部の1において
「もう他の解説書を読む必要はない。次は『エクリ』を読め」
というようなことが書かれてありますが、これはあまりにも無茶だと思います(笑)。
ラカンの著書を読むのであれば、編者の新宮氏も『ラカンの精神分析』の末尾で書かれておられるように
やはりエクリよりもセミネール、とりわけ第11巻『精神分析の四基本概念』から
入っていくのが一番分かりやすいのではないでしょうか?
(ただし私自身は、福原氏の『ラカン−鏡像段階』のレビューでも書いたとおり、
一般の方々がラカンに興味を持ち勉強してみようという場合において、
ラカン本人の著作にまで進む絶対的な必要性は無いのではないかと思っていますが)。
2012年6月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
正直ラカンもフロイトもトンデモだとしか思えなかった
本書の感想はその一言に尽きる
本書の感想はその一言に尽きる
2020年4月8日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
確かに、鏡像段階のナルシシズムが攻撃反応に繋がる過程や、「分離」の理論など判りにくい章はあったにせよ、新宮氏の章から読み取れる、「人間は言語世界に誘惑され、夢を見させられている。しかもそれを拒否すれば唯の連続(現実界)に過ぎない無(享楽)の世界に後戻りするしかない」という構造をうけ容れるしか生きるみちはないのだ。この夢は眠りから覚めた後の今生きている(と信じている)ここで見ているもので、「私は生きているというその生の根拠は、その真理性にあるのではなく、恣意的(全くの無関連性)で無意味なシニファンによってこそ可能だった。それゆえにその根拠は、(世界の人間化(世界を人間的に解釈しよう)という欲望からくる一つのイデオロギーである」という解釈ひとつをとっても、読む価値は十二分にあると思われます。シニファンは、梃子の支点のようなもので、例えば外を眺めた時、山と空が見えます。両者の間には何もありません。しかしそれを描く時「稜線」を使って両者の区別をしますが、シニファンはこの稜線の様な存在です(もともと一体だった山と空が分節されたのは、シニファンの作用です)。言葉も同じでしょう。言語は人間の脳の開口部(穴)に突き刺さるファルス(男根)となったのです。音楽もそうでしょう。もっと言えば「貨幣」もそうでしょう。それ自体何の意味も価値もない(恣意的な)唯の紙切れ・線・音・差異が、それを取り巻く外部のもの・実在のものの動き(欲望の力)によって価値や意味や存在を持ちだす無意味な黄金だったのです。シニファンが、恣意的(なんでもありのそれ自体では無意味な)なものだった故にヘレンケラーも、身体の動き(無意味なシニファン)と思考(意味・シニフィエ)とが、がんじがらめに一体化していた「身振りという記号」から分節された後、再度自身の欲動のままに自由に、(ものの一つ一つに名前が対応しているという思考結果からではなく)むしろ何とでも結びつき得ることが実感され、次々に「あらゆる名前は新しい考えを生み出した。私が触れる(シニファンの行為)あらゆる物体が、命をもってうち震えているようだった」と言わしめたのだと思います。教育が受けられる(間違いを正していく)のはその後だという事です。神が死んだあとの世界に、「主の語らい」ではなく、まして理性でもなく、差異のみのシニファンは、言語に囚われた人間を救う(言語の主となり得る=嘘がつける)役割を守ってくれるのでしょうか。新宮氏の「無意識の病理学」(金剛出版)や、他のレヴュアーの紹介にあった「負のラカン」(石田裕之)と共に、乗り越えるべき巨大な試練としてのラカン理解に欠かせぬ好著と思います。
2005年6月23日に日本でレビュー済み
文章から察するに若い執筆者が精神分析が素人同然なのが残念。タイトルとうらはらに、新しい知識がまったく得られない。S・ジジェク等の紹介もおざなりで、真剣に原稿に取り組んでいる気配が執筆者にないのが残念。教科書にもならなければ、毒にも薬にもならない買うだけ損の本。
2005年11月10日に日本でレビュー済み
新しく、意欲的な試みではあるだろう。しかし、編著のため、まとまりを失った感は否めない。新宮一成『ラカンの精神分析』さえ読めば、改めて本書を手に取る必要はないかもしれない。ただ、用語解説のみは有益。
ラカンも興味を寄せていた、仏教思想・東洋思想と、精神分析思想の対比が試みられている。これは、ラカン派においては、今までにない試みだろう(ユングを除けば)。
ラカンも興味を寄せていた、仏教思想・東洋思想と、精神分析思想の対比が試みられている。これは、ラカン派においては、今までにない試みだろう(ユングを除けば)。
2011年2月27日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
このところフロイトとラカンに興味があり、少し難しい入門書ですが、本書を読んでみました。
ラカンは常にフロイトに帰ることで理論を展開していますが、その際に記号論的タームなどを用いるために非常に初学者に対してとっつき悪くなっています。
その点を、この入門書では、ラカンの概念とフロイトの概念を対照させながら説明してくれるため、たいそうわかりやすいものになっています。
僕自身は、ラカン自身の本は読んだことがなく、遠い昔の浅田彰の「構造と力」を読んだ時の浅い知識しかありません。
今、この「構造と力」がどう評価されているのか知りませんが、この本は参考書として簡便にまとめられており、ずいぶんと知識の整理に役にたちました。
でも、原典にあたるのを怠ったところがあり、年をとってから、こつこつと勉強をし直しています。
やはり、エクリを読み返す必要もありそうですね。
ラカンは常にフロイトに帰ることで理論を展開していますが、その際に記号論的タームなどを用いるために非常に初学者に対してとっつき悪くなっています。
その点を、この入門書では、ラカンの概念とフロイトの概念を対照させながら説明してくれるため、たいそうわかりやすいものになっています。
僕自身は、ラカン自身の本は読んだことがなく、遠い昔の浅田彰の「構造と力」を読んだ時の浅い知識しかありません。
今、この「構造と力」がどう評価されているのか知りませんが、この本は参考書として簡便にまとめられており、ずいぶんと知識の整理に役にたちました。
でも、原典にあたるのを怠ったところがあり、年をとってから、こつこつと勉強をし直しています。
やはり、エクリを読み返す必要もありそうですね。
2005年5月23日に日本でレビュー済み
新宮氏が以前出版した『ラカンの精神分析』(講談社現代新書)は、日本語で書かれたラカン入門としては最も分かり易いものでした。なのでこの本も買いでしょう。
ちなみに新宮・立木両氏の「編集」とはなっていますが、全体の6〜7割は二人が書いているみたいです。
「ラカンからフロイトへ」と遡る形でさまざまな概念を解説している第二章はとてもよくまとまっています。精神分析のコンパクトな用語集としても読めるでしょう。またフロイトのLustprinzipという概念に「快原理」という新たな訳語を提唱したりと(従来は「快感原則」と訳されていました)、これからの日本におけるフロイト=ラカン受容を牽引しようとする野望も感じられます。
ところで、今や日本ラカン派の「権威」となった新宮=立木の両先生には早いところ『エクリ』の新訳を出して欲しいものです。最終章で『エクリ』を読めって言われても、フランス語の原典は敷居が高すぎます。誰もがパリ第八大学に留学できるわけじゃないですし…ね。
ちなみに新宮・立木両氏の「編集」とはなっていますが、全体の6〜7割は二人が書いているみたいです。
「ラカンからフロイトへ」と遡る形でさまざまな概念を解説している第二章はとてもよくまとまっています。精神分析のコンパクトな用語集としても読めるでしょう。またフロイトのLustprinzipという概念に「快原理」という新たな訳語を提唱したりと(従来は「快感原則」と訳されていました)、これからの日本におけるフロイト=ラカン受容を牽引しようとする野望も感じられます。
ところで、今や日本ラカン派の「権威」となった新宮=立木の両先生には早いところ『エクリ』の新訳を出して欲しいものです。最終章で『エクリ』を読めって言われても、フランス語の原典は敷居が高すぎます。誰もがパリ第八大学に留学できるわけじゃないですし…ね。