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「ガン呪縛」を解く〜千島学説的パワー 第5版 単行本(ソフトカバー) – 2011/5/11
「まえがき」より
もし、ある日あなたに「ガン宣告」が下されたら、さて、どうするだろうか。その瞬間、それまでの人生の流れに急ブレーキがかかり、その場に立ち止まって、まず家族や職場、友人たちの顔を思い浮かべ、そこから始まる「余生」について考え始めるだろう。そして、これまでの流れとは全く違う、次に踏み出すべき一歩を考えなければならなくなる。
いや、あえて考えるまでもなく、そこからはほぼコースが決まっている。ほとんどの場合が、入院、手術、ガン治療のワンウエイであり、たとえガンが治ったといっても、さらに「再発」や「転移」をたえず心配しながら「余生」を生きていかなければならない。
これが世の中の常識であり、医師も家族もその道を進んでいくことを勧める。その場合、仕事を失ったり、家族に負担をかけたり、思わぬお金がかかって家計も大変だが、ガンと言われたらその道を進んでいかない限り、突如人生に終焉が訪れると考えてしまうのだ。
しかし、本当にその道しか残されていないのだろうか。(以下略)
今回の改訂版には、著者の妻であり、仕事上のパートナーでもある稲田陽子(著述業)が、エピローグ(呪縛?とんでもない。その熱き、深き生き様~10年!この希望と沈黙の生命力)を書いている。稲田芳弘が、ガンの本質を見誤ることなく、使命を全うする姿が綴られている渾身の記。抗ガン剤も放射線治療も拒否しながらも、医師の予言を覆し、10年に及ぶ延命を果たす夫を支えたものは何か。千島学説に基づき、自然治癒力の回復に光を当てながら、その日々は多忙をきわめ、「ガン呪縛を解く」の著者、稲田芳弘は、「希望と沈黙の生命力」を精力的に生き抜いた。
さらに、エピローグでは、ガンの在宅終末医療問題、統合医療や代替医療問題そして介護医療問題など逼迫した課題を含めて、患者の立場に立った真の医療とは何かを問い、病院医療のみならず、サプリビジネスの矛盾と課題をその闘病体験を通して提起している。知識と洞察に富み、ガンの本質と「真の医学と医療」に迫る本文とともに、ゆるぎなき精神に支えられていた夫の「ガン治癒観」がその妻の文章の底に滔々と流れ、新たないのちを吹き返している。
このエピローグは、客観的に描かれた一連の事実を通し診療拒否などの医の倫理をはじめ、真のガン医療の姿を切実に問う後続の作品『荒野のジャーナリスト稲田芳弘〜愛と共有の「ガン呪縛を解く」』(稲田陽子著)を本編とする一種の「レクイエム変奏」とも言える。
- 本の長さ439ページ
- 出版社株式会社 Eco・クリエイティブ
- 発売日2011/5/11
- ISBN-104904155009
- ISBN-13978-4904155004
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登録情報
- 出版社 : 株式会社 Eco・クリエイティブ; 第5版 (2011/5/11)
- 発売日 : 2011/5/11
- 単行本(ソフトカバー) : 439ページ
- ISBN-10 : 4904155009
- ISBN-13 : 978-4904155004
- Amazon 売れ筋ランキング: - 260,663位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 261位ガン関連
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つまり、この本は、実践的「千島学説」の入門書と言えるものなのかもしれません。
著者の情熱が迸るような内容で、食事療法に、足もみから丸山ワクチン、プロポリスに微量ミネラル療法など、様々な療法が出てまいりますが、まあ、現代医学には即したものではないということになるのでしょう。
「ガンは慢性炎症である」ということを理解するなら、また、ガン腫も局所ではなく「全身病」と捉えるなら、慌てて「治療」のベルトコンベアー式メニューに乗っかる必要はなく、生活習慣をきちんと見直した上で、徐々に免疫力を高めていけば良いという話になります。
また、ガンなどの病気の原因は、血液の汚れや病変によるところが大きいということですから、健康回帰のためには、「血の健全化」こそが基本中の基本になるということなのでしょう。
あわせて、自分の中心に戻り、自分の心を静かに観察した上で何らかの大掃除をするべきということなのでしょう。
つまり、千島学説とは、稲田氏の言うように、「ガン呪縛」にかかってしまっている私たちに対して、「帰るべき回帰の道」を明確に示してくれる地図のようなものだと言えるのではないでしょうか。
勿論、戻るべき地点は、本来の「原郷=健康な自分」であり、その方法の礎となるのは、「気血動の調和」を図ることということになります。
しかも、血は腸で造られるということですから、腸の状態を日々観察して整えるということ、血の素となる食を正して健康な血液にしていくべきという考え方に通じてくる筈です。
ちなみに、「気血動」の血が食養法なら、気は呼吸法かつエネルギーの流れを滞ることなく整えることであり、加えて、エネルギーの流れ具合を左右する心の作用に目を向けることであり、動は全身的な運動の必要性を意味しています。
更には、病院のガン治療で完治したと思われている方も結構おられるようですが、結局のところ、それは、ご本人の有している自然治癒力が治癒に導いてくれた、つまり、自分で自分を治すに至ったということに他ならないのです。
大切なことは、稲田氏が言われるように、一人一人が、「治癒への地図」を手にすることであり、自分の身体の声を聴き、自分で状況を客観的に判断しつつ、惑うことなく、治癒=“生”へと通じる道を進んでいくべきということなのです。
ただ、私たちは、“ミクロコスモス”たる存在ゆえ、最適なる腸内環境や栄養の摂り方、運動の仕方なども含めて、一人一人で、その道のりは微妙に異なってくるのかもしれません。
従って、最終的には、自分で自分の主治医になる必要があるということなのです。
ちなみに、稲田氏は、完治の一歩手前まで行ったのだそうですが、残念ながら本を出された数年後に亡くなられたようです。しかしながら、ガンの宣告を受けて苦悩の渦中にある方々に希望を与えたいという切なる願いを込めて出された彼のこの本の存在価値は決して変わるものではない、私はそう考えております。
何れにしても、「ガン呪縛」から自由になり、「治療」ではなく「治癒」への道を自分の足で着実に歩いていく、そのための頼りになる地図として、「千島学説」は是非とも知っておくべきものだと思います。
それは、 本書と出会い、これまで常識だと思っていたことがことごとく覆されたからであり、そこで起きたことは、まさに「ガン呪縛を解く」ということだった。
本書は、「千島学説」(生物学者の千島喜久男が1963年から提唱していた)をはじめ、これまで社会的に黙殺されてきた、ガンに関する歴史的事実や、革新的な研究成果を紹介している。そして、そうした真実に基づき、
・ガンは局所的な病気ではなく、血液の病変による全身病
・だから局所的にガン細胞を死滅または除去(すなわち、現代のガン3大治療法である抗ガン剤、放射線、手術)しても根本的な解決にはならない(結局は再発、転移)
・それどころか免疫力を極端に低下させ、状況をより悪化させてしまう場合が多い
・だから、全身の免疫力を取り戻すことこそ最も重視すべき
だとしている。
千島喜久男をはじめ、特殊な高解像度顕微鏡で実際にガンの発生メカニズムを解明し、治療法を開発したロイヤル・レイモンド・ライフ(米)とガストーンネサーン(仏)、画期的な医療機器を開発し、多くの末期ガン患者を救った松浦優之。これらの人達の偉業は、その当時や現代の医学が常識としていることと真っ向から対立したが故に、医療業界から迫害され、貴重なその研究成果は社会的に黙殺されてきた。
本書はガン治療に効果があるとされる幾つかの治療法も、もちろん紹介はしているが、特定の何かを勧めている訳ではない。それよりもむしろ、ガンの本質と、これまで黙殺されてきた真実を明らかにすることに重きを置いている。
それによって、ガンに対してどのような姿勢で臨むべきか、その方向性を提示している。その方向に沿って、どの治療法に信頼を寄せ、選択するかは、まさに、個々人が自分の価値観や置かれた状況に応じて、決めるべきなのだろう。
著者は残念なことにガンで亡くなっている。ただしそれは、ある医師の悪意としか思えない行為が、最大の原因だったようだ。だから、結局のところ著者自身がガンで亡くなったからといって、著者が命を懸けて訴えかけていたことの価値が、揺るがされるわけではない。
ただし、本書でひとつだけ不満なことがある。それは第8章 「回帰の旅の物語」だ。ここでは、千島学説の「気血動の調和」を量子力学、さらには「宇宙エネルギー」の観点から説明しようとしている。こうした次元のテーマについて、個人的には充分に関心はあるが、そうでない読者に違和感を抱かせるどころか、著者への信頼感にみずをさしかねない。本書の主旨からしても、この章は必要ないのではないか、とさえ思う。
本書は、いままさにガンの問題に直面している方々に、さまざまな示唆と貴重な情報をもたらしてくれると信じる。さらに今後、もしガンを患った場合への備えとしても本書を勧めたい。
予め自分達のポリシーをしっかりと固めておかないと、いざそうした事態に陥った時にはパニックとなり、冷静な判断ができぬまま、結局は医師の強い勧めに従って、恐怖のベルトコンベヤー(抗ガン剤、放射線、手術)に乗ってしまうのが落ちだからだ。よほど強い信念をもっていないと、それを拒否するのは、並大抵のことではないという。
もちろん、その医師達もよかれと思ってのことだろうが、他に選択肢を知らないその医師達も、ガン呪縛にかかっていると言わざるを得ない。
「苦しんで死んだが、あれは治療のせいだったよな、、、」
「治療さえしなければ、もっと死ぬ直前まで元気でいられたんではなかろうか?」
身内のガン患者の最期を目の当たりにして、こう思う人は多いと思う。
そう。おそらくそれが正解。三大がん治療(抗がん剤・放射線・手術)は、おそらくただの「害」でしかないと思う。
治療さえ受けなければ、それなりに死ぬまで元気でいられたのに、治療のせいで貴重な最期の時間が台無しになってしまった。
ガンを一時ちっちゃくできても、患者を元気にさせる効力は何もない。どうせ3年ぐらいで死ぬんだから。
それでも生きながらえられる人もいるが、彼らはおそらくただ生命力が強かっただけで、やはり弱かったら死んでしまっただろう。
ガンに関わった皆、そう直感しながらも、皆著者のいう「ガン呪縛」に毒され、「健やかに生きる」ことを目指した正しいチョイスができていない。
大事なことは、「存命中いかに健やかに過ごせるか」だとおもう。
医療のせいで苦しんで死ぬなんて本末転倒である。
著者稲田さんは、そのガン呪縛を振り切って、現代ガン治療を受けない選択をしたが、その最期はどうだっかのか?
残念ながら第5版出版前に他界なさってしまったようだ。
第5版の妻陽子さんのあとがきから稲田芳弘さんの最期の状態を探ってみる。
(稲田さんが他界するまでの詳細な経緯を紹介することは、ガンへの正しい対処方を考えさせるこの本の目的上、義務だと思うが、なされていないことが残念である)
第4版あとがきで「胸のガンがかさぶたになって剥がれ、膿がでてきて快方に向かっている」趣旨の内容が書かれていたが、第5版あとがきから「胸水」が溜まっていたり「足の痛みとガンの炎症」を軽減させることを目的に療養していることと、その療養中に大腿骨を病的骨折してることから、療養前の足の痛みは骨ガンの痛みだったと思うし、胸水は肺がんからのものだろうし、乳ガンは肺と大腿骨に少なくとも転移していたようだ。第4版時点で治ったどころか、全身に転移してるではないか、、、
結局、ガンが全身に転移して、骨折や胸水の苦しみを伴って死んでいる。
陽子さんは、仕事の多忙と某医者のせいにしているが、療養する以前に全身転移していたということだ。治っていない。
陽子さんの気持ちもわかるが、そのへんもはっきりさせないと、読者の理論的考察の妨げになる。
「稲田流千島学説的ガン療養」には何かが足りなかった。残念ながらガンに負けたのだ。
ところで、その稲田さんの心の支えとなっていた「千島学説」について説明すると、
その理論は「ガンは劣化した赤血球が集合したものだ。赤血球は骨髄ではなく腸で作られるので、腸を元気にすればガンは自ずと無くなる。そのためには健康的な食事が必要だ」というもの。
彼の治療法の選択は「明らかに間違った医療に苦しめられなかった」だけ正解であるが、しかし、ここにも盲点がある。
腸を元気にすればといっても、その明確な対処法が確立されていない。
彼は、色々な健康食品むやみやたらに飲んでいたようだが、「明確に不足している食物や栄養素」が特定できない限り、的確な治療は無理である。
残念ながら、かれは「千島呪縛」に捕らわれ、ガン呪縛を振りほどくまでは順調だった理論的な考察をやめてしまったのは残念でしかたがない。
ただし、稲田さんの死をもって、千島学説がトンデモ理論であるとするのは早とちりである。
今回の稲田さんのチャレンジでの最大の失敗は、とにかく「千島学説的ガン治療」の突っ込んだ理論考察がなされていなかったことだ。
「胃腸に良さそうなもの」という漠然としたチョイスでは、死に直面している状況では明らかに物足りない。
ペストが発症しているのに「寝てれば治る」というようなもので、お粗末極まりない。
もうしわけないけれど、それじゃ死ぬにきまってる。
ただ、千島理論的ガン治療は、少なくとも現代ガン治療より遥かに期待が持てる。
「毒」にしかならない、苦しみしか与えない現代医学のガン治療より、「毒」にもならない千島学説の方がましである。
あわよくば、胃腸が元気になってガンが消えるかもしれない。副作用なしで。
まあ、死ぬとしても、どうせ死ぬなら元気に死にたい。
わざわざ現代医療が出す毒に殺される筋合いはない。