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野性の少年 [DVD]

4.4 5つ星のうち4.4 14個の評価

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新品 中古品
DVD 通常版
¥5,480 ¥2,886
DVD 通常版
¥1,500
DVD 通常版
¥2,530
フォーマット レターボックス化, 字幕付き, ブラック&ホワイト
コントリビュータ ジャン=ピエール・カルゴル, フランソワ・トリュフォー
言語 フランス語
稼働時間 1 時間 25 分

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商品の説明

文明を知らぬ野性児が、人間の本性に目覚めていく感動の真実。

ワールド・シネマ・コレクション 第1弾
“芸術の都パリとローマが生んだ映画たち―。トリュフォーが描く愛、フェリーニが描く幻想。”
リニューアル・ジャケットで新登場!


<キャスト&スタッフ>
イタール博士…フランソワ・トリュフォー
ヴィクトール…ジャン=ピエール・カルゴル
ゲラン夫人…フランソワ・セニーエ

監督・脚本:フランソワ・トリュフォー
脚本:ジャン・グリュオー
レポート:ジャン・イタール

●字幕翻訳:柴田香代子

<ストーリー>
18世紀末のフランス。アヴェロンの森で野獣のような少年が発見される。診断の結果、白痴であると断定される。しかしイタール博士はこれに反対。少年をヴィクトールと名付け、自宅に引き取って教育をはじめた……。

<ポイント>
●実際に発見された『狼少年』についてトリュフォーが監督、映画化。
●トリュフォー自ら教師役で出演。

<特典>
●オリジナル劇場予告編

登録情報

  • メーカーにより製造中止になりました ‏ : ‎ いいえ
  • 言語 ‏ : ‎ フランス語
  • 梱包サイズ ‏ : ‎ 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
  • EAN ‏ : ‎ 4988142633620
  • 監督 ‏ : ‎ フランソワ・トリュフォー
  • メディア形式 ‏ : ‎ レターボックス化, 字幕付き, ブラック&ホワイト
  • 時間 ‏ : ‎ 1 時間 25 分
  • 発売日 ‏ : ‎ 2008/2/22
  • 出演 ‏ : ‎ ジャン=ピエール・カルゴル, フランソワ・トリュフォー
  • 字幕: ‏ : ‎ 日本語, フランス語, 英語
  • 販売元 ‏ : ‎ 20世紀フォックス・ホーム・エンターテイメント・ジャパン
  • ASIN ‏ : ‎ B0011GIEL4
  • ディスク枚数 ‏ : ‎ 1
  • カスタマーレビュー:
    4.4 5つ星のうち4.4 14個の評価

カスタマーレビュー

星5つ中4.4つ
5つのうち4.4つ
14グローバルレーティング

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上位レビュー、対象国: 日本

2015年11月5日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
偶然にこのアマゾンで出会い、フランス革命時代の障害児教育状況を考えさせられています。
2012年3月4日に日本でレビュー済み
トリュフォーがこういうノンフィクションを撮った、というのがまず驚き。
ところどころにハッとする映像はあるにはあるし、だれないようにストーリーにもそれなりのメリハリはあるんだけど、やっぱりタイクツだなこれ、と思うわけです。
でもね、やはりあるのよ。トリュフォー的テーマが。
最後の最後、逃亡から戻ってきた野生少年は肩を抱かれて部屋に通される。その瞬間の、うらめしいような、悲しいような、喪失感の漂う少年のまなざし。これがバーンと来て映画は終わる。
狩りをする力はもうない。生きるために、愛のようなもののために、とり上げられてしまった。ここに戻ったのはなんの代償だと思う? そう言うのよ。目が。

きっとトリュフォーはこの絵のためだけに撮ったなと。
うわー、やなもの観ちゃったなー。いやー深いなー、いいなーと。思った次第です。はい。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2013年1月31日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
小児看護学の教育用に購入。子どもとは環境とは、人間とはが語られている。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年6月9日に日本でレビュー済み
なんと健気なヴィクトール、そしてヴィクトールを演じきった健気な少年。どういう意図でトリフォーが映画化したかを知らないが、健気な映画であることは確かである。

私は大学生の頃、人間が社会で生きるとは何かを問い続け、その限界事例として、狼に育てられた少年を育て養育する「アヴェロンの野生児」を読み、ヴィクトールと医師イタールに出会った。本映画のように、医師イタールの教育によってヴィクトールはフランス語の牛乳という単語、レ(カフェオレのレ: LAIT)を覚えた。残念ながら、それ以上の言語習得の進展はなかったように記憶する。
人間は何もしなくても人間になるのではなく、小さな頃に社会の中で育てられず捨て置かれると、発育のある時点を超えては人間になれない(ヴィクトールは、4歳頃に森に捨てられ、8年ほど狼に育てられた後、医師イタールに引き取られ9年間、養育を受けた)。

その「アヴェロンの野生児」が映画化されているなんて、つい最近まで知らなかった。勿論、映画というフィクションでありリアルそのものではないが、こんなにもリアルの片鱗を垣間見せてくれる、トリフォーの本映画は素晴らしい。
フランスは「野生」からインスパイアされる。「野生の少年」然り、あのレヴィ・ストロースの「野生の思考」も然り。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2016年10月19日に日本でレビュー済み
歴史的に名高い「アヴェロンの野生児」の映画化で、
サイレント映画を思わせるクラシックなスタイルで演出されています。
監督トリュフォーの野生児を見つめる眼差しは限りなく優しく、
それはこの人の不幸な生い立ちからの優しさに加えて
自身の人間観をあらわしているのでしょう。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2012年6月26日に日本でレビュー済み
アヴェロンの野性児の話はよく知られているが、
映画にでもなっていなければ、
特段、気に留めて本などを読んでみよう、
などとはならないのではないか。

とにかく、
半ば実験的に、野性児に文字や言葉を教えようと
しているのが興味深かった。

映画では、先に少年は幸せに暮らしていくのではないか、
と思わせるような終わり方だったが、
実際には、トリュフォー演じるイタールは、
5年で野性児の教育をあきらめてしまう。

映画以上に驚くのは、
野性児ヴィクトールを保護する役目だった、
ゲラン夫人が、なんとその後四半世紀にわたって、
少年の面倒を見ていたというところだ。

映画でゲラン夫人が面倒を見ていたように、
ヴィクトールが、映画の後にも、
扱われていたのなら、トリュフォーのエンディングは、
現実を裏切らないものだっただろう。
2人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2014年6月27日に日本でレビュー済み
本作は、・・・18世紀末のフランスを舞台に野生そのものに育った少年と彼に言葉を伝えようとする博士の物語・・・。実話の映画化だという。
少々地味な映画なのだが、白黒画面に瑞々しい自然描写と…なによりも、教育に対するスタンスが素晴らしい。

冒頭…、少年が狩人に捕らえられるまでのシークエンスは非常にスムーズで良い。ここでは特に野生児そのものの少年の姿が自然に感じられるのが凄い。そして、冒頭に限らず少年の演技は見ものだろう。この演技がなければ本作は一気にウソ臭くなってしまうが、本作は正反対だ。
さて…捕らえられた少年はパリに連れて行かれ施設へ収容される。だが実際には見世物のように扱われてしまう。
ここでトリュフォー自身が演じるイタール博士の出番だ。
『このままではこの子は死んでしまう。〜 無責任な狩人に腹が立つ 〜 こんな風なら森から連れ出す必要はなかった。』
と少年を自宅に引き取り‘言葉の概念’を伝えていく…。トリュフォーの演技はシンプルなものだが、本作の淡々としたタッチと良く馴染んでいる。
…そして、ここから後半が本作における本当の見せ場だ。

後半は博士・少年・お手伝いである夫人の三人中心で展開され、舞台も博士の自宅周辺に限られる。…正直地味だ。スター俳優が出るような派手さはないし…驚くようなドラマティックな展開もないし…ラストだって盛りあがるわけでもなく…淡々としている。
でも、素晴らしい。特に冒頭に書いた二つの点が素晴らしい。

まず、自然描写。舞台はフランスの里山といった感じだ。好ましいが特徴的で雄大な景色というほどではない。が‘瑞々しい’。 雨の日に芝生で揺れる少年の姿の美しさ…幻想性…あるいは月夜の晩の姿…窓辺で自然を眺めながらミルクを飲むシーン…少年と自然が関わる時に本作の自然描写は‘少年とともに’輝く。
‘文明’と対になる‘自然’を描けている、という点は注目すべきだ。

そして、教育のシーン。後半部分は少年に言葉の概念を伝えるシーンが続くのだが、丁寧な描写がとても良い。特に素晴らしいのは博士と夫人の教育に対する姿勢だろう。甘くはない。押し付けがましくもない。『思春期』でも感じたが、教育に対するトリュフォーの考え方が現れている。自然な厳しさと愛情に満ち、なによりも公正でリベラルである。
本作は一見‘野生と文明の相克の物語’に見えるので‘ターザン’などを連想するが、むしろ‘言葉の概念’を伝えるという意味で‘奇跡の人’などに近い‘教育と愛情の物語’といっていいだろう。こういった要素を感じ取るとき地味な本作は輝く。
ドラマティックな物語を期待すると本作は違うのかもしれないが、違った面で素晴らしい作品だと思う。教育と愛情…、もう少し注目されてもいいのでは…と思う。今回が初見だったのだが非常に好きになった。

最期にソフトについて…。正直に書けば長所はない。それなりの画質・音質といった程度だ。映像特典はオリジナル予告編のみ。そっけない仕様だ。注目作ではないので仕方ないのかもしれないが…ソフト面は少々残念である。
4人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2006年11月17日に日本でレビュー済み
ヴィクトールはミルクをもらって言う。

‘Lait!’

それを見ている医師イタールは、ヴィクトールが生まれて初めて発した言葉を聞いて満足したが、その一方で、まだ期待には及ばないとも思う。

彼はヴィクトールに、ミルクをもらう前に‘Lait’と言わせたいからだ。

ヴィクトールの‘Lait’は、欲しいものを得た後の喜びの声であり、「このミルクは僕のものだ」という意思表示として発せられている。

対してイタールは、自分が欲するものを得るための「道具」として、言葉を身につけさせたい。

ここに見られるのは、人間が言葉に対してとり得る二つの態度だ。

・自分がすでに巻き込まれてある状況への喜びの言葉

 (ヴィクトールの‘Lait’)

・自分の欲しいものを得るために、相手に発する言葉

 (イタールが教えたい‘Lait’)

イタールの‘Lait’のように、道具として使われる言葉は、しばしば痛烈に揶揄される。

その言葉にはすでに豊かさがなく、世界に対する喜びは感じ取れない。その言葉は、ただ対象を指し示すサインにすぎない、と。

けれど、大人(イタール)が子ども(ヴィクトール)に言葉を「使う」よう教えることは、単に言葉を人間の欲望に隷属させるということでもない。

イタールは、こんなふうに言っている。

「もしもこの言葉が、その欲するものを得る前に発音されたのなら、ヴィクトールは言葉の本当の使い方を知って、私と少年の間には結合点が設けられ……」

           (イタール『アヴェロンの野生児』福村出版.1975.46)

つまり大人(イタール)が子ども(ヴィクトール)に教えたいのは、人と人とのコミュニケーションのために言葉を使うということなのだ。

もちろんイタールが、欲する対象を得るための言葉の使い方を「本当の使い方」と断じていることには、うなずきがたい。(というのも人と人とのコミュニケーションは、欲望の充足関係だけで成り立つものではないから。)

けれど、彼が教えようとする言葉の使い方には、他者がもたらし得る豊かさへの期待があるだろう。道具として用いる言葉は、自分ひとりだけでたゆたう世界から子どもを連れ出し、他者に出会わせる。また、既にそうあるものとしてあった現在だけでなく、これから起こりうる可能性にも目を向けさせることにもなるだろう。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
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