反表象主義の本です。
表象主義とは、心が表象(表現)を操作しているという考え方であり、計算主義とも呼ばれます。表象主義は 古典的認知科学の中心ドグマでした。ロボット工学者のロドニー・ブルックスが 表象主義に対し 最初に 異を唱えました。本書は、ロドニー・ブルックスの考え方を哲学者が補完したものです。
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現れる存在 脳と身体と世界の再統合 (ハヤカワ文庫NF) Kindle版
心は、脳の中だけにあるものではない 生命の心は、脳と身体と世界の相互作用から創発する。認知科学の第一人者が、微生物や人工生命などの例を交えて提起する心の科学
- 言語日本語
- 出版社早川書房
- 発売日2022/7/20
- ファイルサイズ10300 KB
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- 販売: Amazon Services International LLC
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商品の説明
著者について
■著者紹介:
アンディ・クラーク Andy Clark/1957年生まれ。哲学者。サセックス大学教授。心の哲学、認知科学の世界的第一人者。著書に『認知の微視的構造』『生まれながらのサイボーグ』、Associative Engines(1993)、Mindware(2001)、Supersizing the Mind(2008)、Surfing Uncertainty(2015)など。
■監訳者紹介:
池上高志 (いけがみ・たかし)東京大学大学院教授(複雑系・システム論)。著書に『動きが生命をつくる』、『人類と機械のあいだ』(共著)など。
森本元太郎 (もりもと・げんたろう)理化学研究所生命機能科学システム研究センター技師。
アンディ・クラーク Andy Clark/1957年生まれ。哲学者。サセックス大学教授。心の哲学、認知科学の世界的第一人者。著書に『認知の微視的構造』『生まれながらのサイボーグ』、Associative Engines(1993)、Mindware(2001)、Supersizing the Mind(2008)、Surfing Uncertainty(2015)など。
■監訳者紹介:
池上高志 (いけがみ・たかし)東京大学大学院教授(複雑系・システム論)。著書に『動きが生命をつくる』、『人類と機械のあいだ』(共著)など。
森本元太郎 (もりもと・げんたろう)理化学研究所生命機能科学システム研究センター技師。
登録情報
- ASIN : B0B6BRKTGZ
- 出版社 : 早川書房 (2022/7/20)
- 発売日 : 2022/7/20
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 10300 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 505ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 105,883位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 130位ハヤカワ文庫 NF
- - 2,429位ノンフィクション (Kindleストア)
- - 30,379位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2022年10月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
AIロボットや実際の生命体の認知の仕組みの実験・観察例から、
人間の認知の仕組みが分かるというのも面白いですね。
私たちの現実感というものが実際にどれだけ効率的なシステムから生まれたのか、
また一方で非常に部分的かつディフォルメ処理されたものなのかがよく分かりました。
現実というのは実はリアルでは無いことも、量子力学がノーベル賞を取ったこの時代には
段々と当たり前になっていく気がします。
私たちが目で見る現実の境界線で分けていては分からない、でも私たちが使い続けている認知(認識)。
AIロボットが人間を超えるシンギュラリティという未来が近づく今、
人間とは何かをもう一度定義する時に来ているのではないかと考えさせられました。
今こそ読んでいただきたい良書です。
人間の認知の仕組みが分かるというのも面白いですね。
私たちの現実感というものが実際にどれだけ効率的なシステムから生まれたのか、
また一方で非常に部分的かつディフォルメ処理されたものなのかがよく分かりました。
現実というのは実はリアルでは無いことも、量子力学がノーベル賞を取ったこの時代には
段々と当たり前になっていく気がします。
私たちが目で見る現実の境界線で分けていては分からない、でも私たちが使い続けている認知(認識)。
AIロボットが人間を超えるシンギュラリティという未来が近づく今、
人間とは何かをもう一度定義する時に来ているのではないかと考えさせられました。
今こそ読んでいただきたい良書です。
2013年2月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
デカルトの二元論が捨てられて久しい。
私たちの脳は、その身体を世界の中で動かすように進化したのだ。
思考と身体化された行為を人為的に分離する手法は捨て去る必要がある。
ファインマンは、ある歴史学者が「研究は頭の中で行われその記録がそこにある」と言ったことに対し「僕は、現に紙の上で研究したんだよ。それは記録ではない、そいつらは研究しているんだ。君は、紙の上で研究しなければならない」と応えた。
私たちは、ただ頭の中だけで問題を解くのではなくて外部、ジェスチャー、話す声、図表等々により世界を構造化している。脳は決して閉じてはいない。
著者は、それを「拡張された心」と呼ぶ。
そして、この設計思想によって作られたロボットは日本の脳中心主義の設計思想のよって創られたロボットより巧く行動する。
そして、歩くとか飲むとか寝るとかが「わかる」とは、世界の体験であり、「わかる」という体験なしに「認知」(何か、柔軟な問題解決システム)もあり得ない。
この本は、「猥雑な心」(自然は複雑で互いに繋がっている)を説明する面白い考えが幾つも載っている。
.「驚き最小化」−脳は、情報的な驚きを最小化するように発達したものである。その正当性は、逆を考えたら解る。
.私たちは、心(断片化していて時々刻々変わる)と行為が親密に抱き合っている「適応的反応者」であり「理性的熟考者」ではない。
.視覚とは、絵に描いたような内的表象ではなく一連の不完全表象だけを抜き出している。
.「感覚」は、受動的なものではなく探索という行為を含んだ能動的なものである。
.現実世界は、その内部表象を基に探索されているものとは当然に「ズレ」が生じる。このズレこそが「気づき」や「意識」である。
.「無意識」とは、情報がオーバーフローを起こして「意識」では扱えなくなったものでありその余剰部分がビビッド感ではないだろうか。
.感覚・行為・認知の区別は意味をなさないのではないか。自然は連続的に繋がっていて身体だけでなく人工物を含む世界、中でも外部のシンボル構造や図式表現などの世界にも「漏れ出す」。そして、想像もつかない仕方で問題解決する。自然は、分別のしやすさ再構築のしやすさなどといったことには全く関心を持っていない。むしろ、乱雑で「漏れ出し」やすい性質があるらしい。
.鳥の群れは、リーダーの鳥に従っているのではない。各自が少数の簡単なルールに従い近くにいる少数の鳥の振る舞いに基づいて自分の振る舞いを決めている。群れのパターンは、この局所相互作用が大量に集まって創発する。遺伝子に青写真があるのではない。
科学技術は、原爆を開発した。この本を読んでいるとそれは自然のほんの一部を摘まみ食いしているのではないかと感じる。
私たちが今見ている世界は、宗教を含めて相当制限された見え方である可能性が高い。
P38の天文学者の環世界の図は、そのことを現わしている。
著者の謂わんとするところは、ロボット工学や人工知能の研究成果が裏付けとなっていて信憑性は高い。
何よりも、ビビッド感がある。
私たちの脳は、その身体を世界の中で動かすように進化したのだ。
思考と身体化された行為を人為的に分離する手法は捨て去る必要がある。
ファインマンは、ある歴史学者が「研究は頭の中で行われその記録がそこにある」と言ったことに対し「僕は、現に紙の上で研究したんだよ。それは記録ではない、そいつらは研究しているんだ。君は、紙の上で研究しなければならない」と応えた。
私たちは、ただ頭の中だけで問題を解くのではなくて外部、ジェスチャー、話す声、図表等々により世界を構造化している。脳は決して閉じてはいない。
著者は、それを「拡張された心」と呼ぶ。
そして、この設計思想によって作られたロボットは日本の脳中心主義の設計思想のよって創られたロボットより巧く行動する。
そして、歩くとか飲むとか寝るとかが「わかる」とは、世界の体験であり、「わかる」という体験なしに「認知」(何か、柔軟な問題解決システム)もあり得ない。
この本は、「猥雑な心」(自然は複雑で互いに繋がっている)を説明する面白い考えが幾つも載っている。
.「驚き最小化」−脳は、情報的な驚きを最小化するように発達したものである。その正当性は、逆を考えたら解る。
.私たちは、心(断片化していて時々刻々変わる)と行為が親密に抱き合っている「適応的反応者」であり「理性的熟考者」ではない。
.視覚とは、絵に描いたような内的表象ではなく一連の不完全表象だけを抜き出している。
.「感覚」は、受動的なものではなく探索という行為を含んだ能動的なものである。
.現実世界は、その内部表象を基に探索されているものとは当然に「ズレ」が生じる。このズレこそが「気づき」や「意識」である。
.「無意識」とは、情報がオーバーフローを起こして「意識」では扱えなくなったものでありその余剰部分がビビッド感ではないだろうか。
.感覚・行為・認知の区別は意味をなさないのではないか。自然は連続的に繋がっていて身体だけでなく人工物を含む世界、中でも外部のシンボル構造や図式表現などの世界にも「漏れ出す」。そして、想像もつかない仕方で問題解決する。自然は、分別のしやすさ再構築のしやすさなどといったことには全く関心を持っていない。むしろ、乱雑で「漏れ出し」やすい性質があるらしい。
.鳥の群れは、リーダーの鳥に従っているのではない。各自が少数の簡単なルールに従い近くにいる少数の鳥の振る舞いに基づいて自分の振る舞いを決めている。群れのパターンは、この局所相互作用が大量に集まって創発する。遺伝子に青写真があるのではない。
科学技術は、原爆を開発した。この本を読んでいるとそれは自然のほんの一部を摘まみ食いしているのではないかと感じる。
私たちが今見ている世界は、宗教を含めて相当制限された見え方である可能性が高い。
P38の天文学者の環世界の図は、そのことを現わしている。
著者の謂わんとするところは、ロボット工学や人工知能の研究成果が裏付けとなっていて信憑性は高い。
何よりも、ビビッド感がある。
2016年5月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
脳、意識、心、精神、自我、アイデンティティなど、これらはどのように異なり、どのように関係するのか。
脳は器官であり、細胞からなる物質的な人体組織の1つと言えよう。
心や精神は脳の機能と一致するのではなく、その働きのすべてを脳に見出すことはできない、と言う。
心や精神は、脳を超えて身体の動きのなかに、さらには環境の一部にも及んで成立すると考えられるからである。
また、心や精神は他者との関係にも及び、自我やアイデンティティを形成することが可能になるのであろう。
心は、脳を超えて、身体、環境へと拡張していると考えるべきなのだろう。
そもそも、脳は身体の器官をコントロールするものである。
また、高等動物と大差のない人間の脳の機能は貧弱なので、できるだけ負担を小さくしたい。
そのため、人間も含めて生物は身体と周辺環境を大いに活用する。
脳が発達していない生物でも、身体と周辺環境との相互作用によって、複雑な動作が可能になる。
同様のことは、簡単なプログラムで複雑な動きが可能になる「お掃除ロボット」についても言える。
脳の負担を軽くするためにも、脳に強く依存するのではなく、身体と環境へと自己を拡張するのである。
杖と一体化する目の不自由な人の場合は、よく知られている。
脳の記憶量は極めて限られているので、ノートにメモしたりコンピュータに入力したりすることは当然である。
脳の計算機能は低レベルなので、紙に書いて筆算したり電卓を使ったりする。
さらには、言語を使う。
しかし、言語は個人が発明して所有するものではなく、社会的なものである。
すなわち、言語の使用は、1人の人間の脳のなかだけで可能になるのではない。
脳と身体とが一体となってコミュニケーションする他者との関係、社会的環境のなかに言語は実在し、その使用が可能になる。
したがって、言語も、脳が利用する外部のリソースと言えよう。
もちろん、内言もある。
他者からの言葉ではなく、自己の内面において自己に語りかける自己の言葉であるが、それも以前に他者から与えられた言葉(外言)が内化(ヴィゴツキー)したものとされる。
しかし、それでも言語は脳の外部の社会的なリソースである。
言語は、認知的道具として大いに活躍する。
活用しようとする外部のリソースをメモとして書きとめるなら、長く保存できるし、外部のあれこれに直接アクセスする必要もなくなる。
環境のリソースを活用するための道具として、それ自体が問題解決に大きな役割を果たすものである。
人間は言語を道具とすることによって、高いレベルでの認知や問題解決を行うことができるようになったと言えよう。
脳は器官であり、細胞からなる物質的な人体組織の1つと言えよう。
心や精神は脳の機能と一致するのではなく、その働きのすべてを脳に見出すことはできない、と言う。
心や精神は、脳を超えて身体の動きのなかに、さらには環境の一部にも及んで成立すると考えられるからである。
また、心や精神は他者との関係にも及び、自我やアイデンティティを形成することが可能になるのであろう。
心は、脳を超えて、身体、環境へと拡張していると考えるべきなのだろう。
そもそも、脳は身体の器官をコントロールするものである。
また、高等動物と大差のない人間の脳の機能は貧弱なので、できるだけ負担を小さくしたい。
そのため、人間も含めて生物は身体と周辺環境を大いに活用する。
脳が発達していない生物でも、身体と周辺環境との相互作用によって、複雑な動作が可能になる。
同様のことは、簡単なプログラムで複雑な動きが可能になる「お掃除ロボット」についても言える。
脳の負担を軽くするためにも、脳に強く依存するのではなく、身体と環境へと自己を拡張するのである。
杖と一体化する目の不自由な人の場合は、よく知られている。
脳の記憶量は極めて限られているので、ノートにメモしたりコンピュータに入力したりすることは当然である。
脳の計算機能は低レベルなので、紙に書いて筆算したり電卓を使ったりする。
さらには、言語を使う。
しかし、言語は個人が発明して所有するものではなく、社会的なものである。
すなわち、言語の使用は、1人の人間の脳のなかだけで可能になるのではない。
脳と身体とが一体となってコミュニケーションする他者との関係、社会的環境のなかに言語は実在し、その使用が可能になる。
したがって、言語も、脳が利用する外部のリソースと言えよう。
もちろん、内言もある。
他者からの言葉ではなく、自己の内面において自己に語りかける自己の言葉であるが、それも以前に他者から与えられた言葉(外言)が内化(ヴィゴツキー)したものとされる。
しかし、それでも言語は脳の外部の社会的なリソースである。
言語は、認知的道具として大いに活躍する。
活用しようとする外部のリソースをメモとして書きとめるなら、長く保存できるし、外部のあれこれに直接アクセスする必要もなくなる。
環境のリソースを活用するための道具として、それ自体が問題解決に大きな役割を果たすものである。
人間は言語を道具とすることによって、高いレベルでの認知や問題解決を行うことができるようになったと言えよう。
2023年8月20日に日本でレビュー済み
アンディ・クラーク「現れる存在」読了。本書を読む前は自我や意識は脳に由来すると思っていた。しかしそれは脳と身体と周囲の世界の統合から生成すると考えられるとの事でとても衝撃を受けた。読み進めるうちにその考えに魅了され特に言語に対する著者の見解から昨今の生成AIの意義が深い事を感じた。
2024年2月15日に日本でレビュー済み
ゴキブリの脳を載せたクルマ。
外なる心
自律的なエージェント
◆状況に置かれた幼児
◆心と世界の境界
集合の叡智、粘菌流
これまでの概略。
外に広がった心を説明する
ロボットを進化させる
創発と説明
神経科学的なイメージ
存在する/計算する/表象する。
前進
心とマーケット
◆言語―究極の人工物
心、脳、それとマグロの話。
脳は語る。
講演とディスカッション。
外なる心
自律的なエージェント
◆状況に置かれた幼児
◆心と世界の境界
集合の叡智、粘菌流
これまでの概略。
外に広がった心を説明する
ロボットを進化させる
創発と説明
神経科学的なイメージ
存在する/計算する/表象する。
前進
心とマーケット
◆言語―究極の人工物
心、脳、それとマグロの話。
脳は語る。
講演とディスカッション。