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アートとフェミニズムは誰のもの? (光文社新書 1268) 新書 – 2023/8/18
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- 本の長さ272ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2023/8/18
- 寸法17.2 x 10.6 x 1.2 cm
- ISBN-104334100147
- ISBN-13978-4334100148
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出版社より
◎ 「はじめに」より
アートとフェミニズムは少なくない人びとから、よく見えていないのです。
「よく見えていない」とは、見ていて良い気がしない、というのもありますが、
どちらかと言うと、そこにあることはわかっているのだけど、見通しが悪くてその実態がよく見えないということです。
いわば、アートとフェミニズムは、(中略)入門したくてもしにくい「みんなのものではないもの」なのです。
◎ 目次
第1章 アートがわからない
第2章 フェミニズムもわからない
第3章 アートをフェミニズムで読み解く
第4章 フェミニズムをアートで実践する
終 章 アートとフェミニズムをみんなのものに
◎ 著者プロフィール
村上由鶴(むらかみゆづ)
1991年、埼玉県出身。日本大学藝術学部写真学科助手を経て
東京工業大学環境・社会理工学院 社会・人間科学コース博士後期課程在籍。
日本写真芸術専門学校非常勤講師。公益財団法人東京都人権啓発センター非常勤専門員。
共著に『クリティカル・ワード ファッションスタディーズ』(フィルムアート社)。
POPEYE Web「おとといまでのわたしのための写真論」、The Fashion Post「きょうのイメージ文化論」、
幻冬舎plus「現代アートは本当にわからないのか?」を連載中。
写真やアート、ファッションイメージに関する執筆や展覧会の企画を行う。
専門は写真の美学。
登録情報
- 出版社 : 光文社 (2023/8/18)
- 発売日 : 2023/8/18
- 言語 : 日本語
- 新書 : 272ページ
- ISBN-10 : 4334100147
- ISBN-13 : 978-4334100148
- 寸法 : 17.2 x 10.6 x 1.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 113,836位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 596位光文社新書
- - 781位芸術一般関連書籍
- - 22,178位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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上位かつ中心、下位かつ同縁 という関係性での說明は大変納得度の高いものでした。
批判的に考える勇気を持っている人が、あらゆる場所に足りていない、という著者の思いに共感しました。
自分が少しずつ関係する書籍や作品に触れつつ、周辺の人々に本書をオススメしたいなと思います。
本書ではアートを読み取る文脈のことを「アートワールド」とよび、その文脈によってアートの解説がされていく。一方で、アートワールドを絶対的崇拝することもいけない。芸術が価値のあるものでいるためには、常に挑戦を受け、変わり続けなければならないからだ。
本書の面白いところは、「よくわからないもの」であるアートとフェミニズムを、双方向で読み解こうとするところだ。
例えば、「アートの価値はどこにあるのか?」「フェミニストはなぜいつも怒っているように見えるのか?」「アーティストや批評家が男性ばかりなのはなぜか?」
それらを丁寧に読み解いていく。
著者の文章が抜群にうまいので、読んでいて全く飽きない。「書くこと」が本書における3つ目の学びになったくらいだ。
そして議論の行き着く先は「アートでフェミニズムを表現する」と「フェミニズムでアートを批判する」などのところになるのだろう。
そうして、アートとフェミニズムを「みんなのもの」にしようとする。
口で言うのは簡単だが、実際にやるのは難しい。
しかし、本書はその目的を非常にうまく達成している。
一つ気になったのは、著者がアートを「自由な表現の場」として捉えている、あるいは絶対にそうあるべきと考えているように感じたことだ。その考えは、たとえアートとは全く関りを持たないような人間をも、アートの対象として「解釈」してしまうのではないだろうか?
つまり、アートが世の中のあらゆる謎を解くカギのように思われた。しかし、アートワールドがツールの一つであるならば、アートワールドの外にカギを見つけ、それを尊重することも多様性なのではないか。それがたとえ「フェミニズムの表現」に見えたとしても。
あるものを「アート」と呼ぶことは、それに対して生まれる感情を、定型的な額縁で切り取ってしまうことになる。
『スーパーマリオ』の映画に対するある批評を読んで、私はそう思った。
個人的には第一章「アートがわからない」のなかで取り上げられる「ジャクソン・ポロックの絵に絶望したわたし」のくだりは自分もニューヨークで初めてジャクソンポロックの代表作を見た時に、「黄ばんだこの絵がなんで重要なんだ、、、チーン」という感情に駆られたことがあったので、それに続く、ポロックの「読み方」や、アートの価値判断の仕組みに関する記述にもっと早く出会いたかったと思いました。
アートの「読み方」を丁寧に説明してくれているところがこの本の優しいところで、アートをみんなのものにしたいというタイトルに対する著書の真摯な姿勢だと思います。
そのうえ、一見難解なアートの読み方を、フェミニズムという視点を通すことで、より複雑にするのではなく、逆にするするするっと「この作品はこういう意味があったんだ。アートってこういう見方(読み方)をするんだ!」と気持ちよく誘導していってくれます。
さらに言うと、自分もほんとうはよく分かっていなかった「フェミニズム」について、アートワールドにおける歴史的事実や作品、活動を「フェミニズム」という視点を通してあらためて説明してもらうことで、「そっか、なるほど。そうだったんだ!」とすごく腹落ちする形で理解することができます。声を上げることをフェミニズムとするのではなく、これまでに声を上げてきた先人たちの活動を読み解いてくれることで、フェミニズムをみんなのものに近づけてくれています。
「アートとフェミニズムは誰のもの?」というタイトルに対して、「アートとフェミニズムはみんなのもの!」と言えるような状況ではまだない現在の日本において、なんとか少しでもみんなのものになるよう、真摯に丁寧にこのテーマに取り組んできた著書の考えを、わかりやすい形で共有してもらうことができる良書だと思います。