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二重螺旋 完全版 単行本 – 2015/5/29
ジェームズ・D. ワトソン
(著),
アレクサンダー ガン
(編集),
ジャン ウィトコウスキー
(編集),
James D. Watson
(原名),
Jan Witkowski
(原名),
Alexander Gann
(原名),
青木 薫
(翻訳)
&
4
その他
生命とは何か。究極の問いに肉薄した男が赤裸々に語る、世界を震撼させたドキュメント! 生命の本質、DNAの立体構造はどのように発見されたのか――旧版にはなかった貴重な資料写真、関係者の間で交わされた書簡、研究結果を記したノートの図版、そして「幻の章」など多数収録。ライバルたちの猛追をかわし、生物学の常識を大幅に書き換えた科学者たちの野心に迫る、ノーベル賞受賞までのリアル・ストーリー。
- 本の長さ479ページ
- 言語日本語
- 出版社新潮社
- 発売日2015/5/29
- 寸法14 x 3.3 x 19.8 cm
- ISBN-104105068911
- ISBN-13978-4105068912
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登録情報
- 出版社 : 新潮社 (2015/5/29)
- 発売日 : 2015/5/29
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 479ページ
- ISBN-10 : 4105068911
- ISBN-13 : 978-4105068912
- 寸法 : 14 x 3.3 x 19.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 529,262位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 141,849位文学・評論 (本)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
レビューのフィルタリング中に問題が発生しました。後でもう一度試してください。
姫ちゃん
Amazonで購入
すごく綺麗な書籍でした。内容も申し分ありません。皆様に読まれることをお勧めします。
猫愚
私はタイムライフ版「二重らせん」(中村桂子訳)を40年以上前に読んで、登場する科学者が実に多いことと、ワトソン・クリックが成功を納めた理由が印象深かったのを覚えてます。今回、新たな資料・図版に注釈を加えて纏めた本(2012年刊)の訳本「二重螺旋 完全版」が発売されたというので、早速購入してざっと読んで見ました。登場する科学者の殆んどの写真が載っており、楽しく読むことが出来ました(ただし、ハンス・クラークとレスリー・オーゲルの写真がないのは解せませんが)。
まず、ずっと気になっていた疑問、『ワトソンがウイルキンスに見せてもらった写真51は、どういう経緯でウイルキンスのところにあったのか』が、p.270-271のゴスリングとウィルキンスの証言を交えた解説で解消したのは大収穫でした。同時に、ロージーことフランクリンの人間としての誠実さを垣間見ることができたのも嬉しいことでした。
訳は概ね正確と思われ(表現はともかく)、訳注も加えて「訳本」の価値を高める工夫も認められます。今回の訳業に対しては、賛辞が様々寄せられると思われるので、ここでは敢えて私の疑問・苦言をいくつか率直に述べたいと思います。
1. p.95脚注5に付された訳注 [・・・本文の「五年前」は誤り] について
このワトソンの記述の「誤り」の指摘は重大で、もう少し慎重に考察すべきことと思います。本文p.95の記述は1952年の話なので、「使えそうな写真」が脚注4にあるように、アストベリー研究室のベルが1938年に撮ったものだとすると、「5年前」が誤りなら、正しくは1952-1938=14年前ということになります。そうだとすると、こんな大きな間違いがこれまで見逃されてきたことにむしろ違和感を覚えます。それに「正直者のジム」がベルの名前を記さないのも釈然としません。私の考えはこうです。
1952年の5年前は1947年ですが、実はその年にアストベリーはDNAのX線解析の論文(下記)を発表しています。
Astbury, WT. X-ray studies of nucleic acids. Symp. Soc. Exp. Biol. 1, 66-76 (1947)
これは、ワトソン・クリック、ウィルキンスらのいずれもが1953年のネーチャー論文で引用し、ポーリングらも例のDNA3本鎖モデルの論文で引用している重要論文です。そうすると、ワトソンがここで述べている写真はこの論文に載っていたもので、その論文が発表された年を、その写真が撮られた年と彼が誤認していた、と解した方がむしろ自然ではないでしょうか。つまり「アストベリーが五年前に撮影したもので、その写真があれば・・・」はワトソンの勘違いで、「アストベリーの五年前の論文に載っていたもので、その写真があれば・・・」とすべきであった、ということではないでしょうか。
一般に研究者は他者Aのデータを論文から得るものであり、「Aが何年に出したデータ」と論評するときの「何年」とは、「実際にAがデータを得た年」ではなく、「論文発表の年」を指すのが常です。そんな感覚でワトソンは「五年前に撮影した」と書いたのではないかと思われるのです。
この47年論文に実際どんな写真が載っていたかは私は分かりませんが、アストベリーが38年のベルの写真を使ったとすると、47-38=9年もの間、彼はDNAの写真を撮らなかったか、より良いDNA結晶の写真を撮れなかったことになります。いずれも考え難いことで、p.95の「使えそうな写真」を1938年にベルが撮影した写真とする脚注4の記述は不十分で、その適宜に疑義があると私は思います。
2. 図版の扱いについて
この訳本では図版は全て観賞物扱いですが、メモ・手紙・論文などの図版(文字情報)は読まれるべきものであるはずです。とすれば、文字図版が全く訳出されていないのは甚だ納得できないことです。一部は本文中に活字化されていますが、少なくともいくつかは訳出してもよかったのではないでしょうか。
補遺1は、ワトソン・クリックがそれぞれデルブリュック・先妻との息子マイケル(当時12歳)に、発見したばかりの「DNAの二重らせんモデル」をネーチャー誌への発表の前に自ら説明した重要かつ興味深い書簡であり、訳出は訳者の義務と言ってもいいと思います。また、補遺5の5ページに渡るサイエンス誌のシャルガフの書評、それに対するペルーツら関係者のコメント等は、それだけで補遺を立てたことからも分かるように、「完全版」の重要な資料であり、訳出すべきものであったと私は思います。
3. 索引について
欧米の学術・準学術出版物では、索引が充実していることが多いように思います。恐らく本原著も索引が充実していて、訳本でもその充実さは継承されているものと信じますが、資料的性格の強い本書のような場合、索引には原語(特に人名)も併記して欲しかったと思います。読者が後からいろいろ調べるのに役立つからです。
4. 訳注について
訳注を多く加えた意図は理解しますが、間違い、遺漏、不要な訳注も見受けられます。
p.10 訳注a: ワトソンがCSH研究所の所長(Director)を務めたのは1968-1994で、その後、会長(President)、総長?(Chancellor)を経て、2007年に引退しています。
p.23 訳注a: セント=ジェルジはビタミンCの発見などで1937年にノーベル生理医学賞を受賞しています。以後の訳注では、もれなく(多分)ノーベル賞受賞を記していますが、ここでだけノーベル賞に触れていないのは遺漏ということでしょうか。
p.23 訳注d: 「もうひとつのケンブリッジ」に訳注は必要でしょうか。
(気になる訳注を挙げればきりがないので、これで留めます。)
5. 「二重螺旋 完全版」というタイトルについて
最初に「二重螺旋」という書名をネットで知ったとき、少々違和感を覚えました。「二重らせん」は学術用語として定着していて、高校の生物の教科書でも、大学生・院生向けの教科書(例えば「レーニンジャーの生化学」)でも「二重らせん」という術語が使われているはずです。文芸関係の出版社として「らせん」を漢字にしないままにはしておけずに「螺旋」としたのでしょうか(何か新刊小説のタイトルとしては相応しいかもしれませんが)。本訳書で protein をタンパク質と訳して「蛋白質」とはしなかったのと同じことでしよう(蛋白質はまだ一部で使われることがあるようですが)。ついでに言うと、アルファヘリックスも術語としてαヘリックスとするのがよかったように思います。X線をエックス線とは、円周率πを円周率パイとは記さないのと同じです。誤りということではなく、慣例ということです。術語の訳については、然るべき専門家に意見を求めてもよかったのではないかと思います。
タイトル名に関して、すでに「二重らせん」という名訳本(中村訳は翻訳を感じさせない名訳で、幸田文を読んでいるようです)があるのに、なぜ「二重螺旋」としたのかという疑問があります。差別化を計ったとしたら浅薄と言わざるを得ません。「完全版」というのにも違和感があります。旧「二重らせん」は不完全版ということでしょうか。本文では本書を原著通り「注釈・図版入り版」としていますが、表紙に「完全版」と銘打った理由はどこにも書いてありません。出版社の意向でそうなったということでしょうか。
本訳書の訳業には敬意と賞賛を惜しみませんが、厳しい言い方をすれば、本訳書は「完全版」とは言い難く、補訳・改訂が必要な「不完全」状態にあるように私には思われます。
まず、ずっと気になっていた疑問、『ワトソンがウイルキンスに見せてもらった写真51は、どういう経緯でウイルキンスのところにあったのか』が、p.270-271のゴスリングとウィルキンスの証言を交えた解説で解消したのは大収穫でした。同時に、ロージーことフランクリンの人間としての誠実さを垣間見ることができたのも嬉しいことでした。
訳は概ね正確と思われ(表現はともかく)、訳注も加えて「訳本」の価値を高める工夫も認められます。今回の訳業に対しては、賛辞が様々寄せられると思われるので、ここでは敢えて私の疑問・苦言をいくつか率直に述べたいと思います。
1. p.95脚注5に付された訳注 [・・・本文の「五年前」は誤り] について
このワトソンの記述の「誤り」の指摘は重大で、もう少し慎重に考察すべきことと思います。本文p.95の記述は1952年の話なので、「使えそうな写真」が脚注4にあるように、アストベリー研究室のベルが1938年に撮ったものだとすると、「5年前」が誤りなら、正しくは1952-1938=14年前ということになります。そうだとすると、こんな大きな間違いがこれまで見逃されてきたことにむしろ違和感を覚えます。それに「正直者のジム」がベルの名前を記さないのも釈然としません。私の考えはこうです。
1952年の5年前は1947年ですが、実はその年にアストベリーはDNAのX線解析の論文(下記)を発表しています。
Astbury, WT. X-ray studies of nucleic acids. Symp. Soc. Exp. Biol. 1, 66-76 (1947)
これは、ワトソン・クリック、ウィルキンスらのいずれもが1953年のネーチャー論文で引用し、ポーリングらも例のDNA3本鎖モデルの論文で引用している重要論文です。そうすると、ワトソンがここで述べている写真はこの論文に載っていたもので、その論文が発表された年を、その写真が撮られた年と彼が誤認していた、と解した方がむしろ自然ではないでしょうか。つまり「アストベリーが五年前に撮影したもので、その写真があれば・・・」はワトソンの勘違いで、「アストベリーの五年前の論文に載っていたもので、その写真があれば・・・」とすべきであった、ということではないでしょうか。
一般に研究者は他者Aのデータを論文から得るものであり、「Aが何年に出したデータ」と論評するときの「何年」とは、「実際にAがデータを得た年」ではなく、「論文発表の年」を指すのが常です。そんな感覚でワトソンは「五年前に撮影した」と書いたのではないかと思われるのです。
この47年論文に実際どんな写真が載っていたかは私は分かりませんが、アストベリーが38年のベルの写真を使ったとすると、47-38=9年もの間、彼はDNAの写真を撮らなかったか、より良いDNA結晶の写真を撮れなかったことになります。いずれも考え難いことで、p.95の「使えそうな写真」を1938年にベルが撮影した写真とする脚注4の記述は不十分で、その適宜に疑義があると私は思います。
2. 図版の扱いについて
この訳本では図版は全て観賞物扱いですが、メモ・手紙・論文などの図版(文字情報)は読まれるべきものであるはずです。とすれば、文字図版が全く訳出されていないのは甚だ納得できないことです。一部は本文中に活字化されていますが、少なくともいくつかは訳出してもよかったのではないでしょうか。
補遺1は、ワトソン・クリックがそれぞれデルブリュック・先妻との息子マイケル(当時12歳)に、発見したばかりの「DNAの二重らせんモデル」をネーチャー誌への発表の前に自ら説明した重要かつ興味深い書簡であり、訳出は訳者の義務と言ってもいいと思います。また、補遺5の5ページに渡るサイエンス誌のシャルガフの書評、それに対するペルーツら関係者のコメント等は、それだけで補遺を立てたことからも分かるように、「完全版」の重要な資料であり、訳出すべきものであったと私は思います。
3. 索引について
欧米の学術・準学術出版物では、索引が充実していることが多いように思います。恐らく本原著も索引が充実していて、訳本でもその充実さは継承されているものと信じますが、資料的性格の強い本書のような場合、索引には原語(特に人名)も併記して欲しかったと思います。読者が後からいろいろ調べるのに役立つからです。
4. 訳注について
訳注を多く加えた意図は理解しますが、間違い、遺漏、不要な訳注も見受けられます。
p.10 訳注a: ワトソンがCSH研究所の所長(Director)を務めたのは1968-1994で、その後、会長(President)、総長?(Chancellor)を経て、2007年に引退しています。
p.23 訳注a: セント=ジェルジはビタミンCの発見などで1937年にノーベル生理医学賞を受賞しています。以後の訳注では、もれなく(多分)ノーベル賞受賞を記していますが、ここでだけノーベル賞に触れていないのは遺漏ということでしょうか。
p.23 訳注d: 「もうひとつのケンブリッジ」に訳注は必要でしょうか。
(気になる訳注を挙げればきりがないので、これで留めます。)
5. 「二重螺旋 完全版」というタイトルについて
最初に「二重螺旋」という書名をネットで知ったとき、少々違和感を覚えました。「二重らせん」は学術用語として定着していて、高校の生物の教科書でも、大学生・院生向けの教科書(例えば「レーニンジャーの生化学」)でも「二重らせん」という術語が使われているはずです。文芸関係の出版社として「らせん」を漢字にしないままにはしておけずに「螺旋」としたのでしょうか(何か新刊小説のタイトルとしては相応しいかもしれませんが)。本訳書で protein をタンパク質と訳して「蛋白質」とはしなかったのと同じことでしよう(蛋白質はまだ一部で使われることがあるようですが)。ついでに言うと、アルファヘリックスも術語としてαヘリックスとするのがよかったように思います。X線をエックス線とは、円周率πを円周率パイとは記さないのと同じです。誤りということではなく、慣例ということです。術語の訳については、然るべき専門家に意見を求めてもよかったのではないかと思います。
タイトル名に関して、すでに「二重らせん」という名訳本(中村訳は翻訳を感じさせない名訳で、幸田文を読んでいるようです)があるのに、なぜ「二重螺旋」としたのかという疑問があります。差別化を計ったとしたら浅薄と言わざるを得ません。「完全版」というのにも違和感があります。旧「二重らせん」は不完全版ということでしょうか。本文では本書を原著通り「注釈・図版入り版」としていますが、表紙に「完全版」と銘打った理由はどこにも書いてありません。出版社の意向でそうなったということでしょうか。
本訳書の訳業には敬意と賞賛を惜しみませんが、厳しい言い方をすれば、本訳書は「完全版」とは言い難く、補訳・改訂が必要な「不完全」状態にあるように私には思われます。
Amazon カスタマー
Amazonで購入
思っていた以上にきれいな書籍を丁寧な包装で送ってもらいましたので、満足しています。
トレンツォ
Amazonで購入
非常に面白いの一言!
生物学にそれほど詳しくない私でも数日で読み上げてしまいました。
DNAとは何なのだろうか?どのような構造と機能を持っているのだろうか?
何もわからない暗闇状態から、少しずつ断片的な情報が集まり始める部分は、まさに良質な推理小説を読んでいるよう。
最後にはワトソンの閃きにより、断片的だった情報が一気に有機的な繋がりを持ち始め、生命の神秘が明らかにされる。
最高の生命科学の発見とはこのように成されるのかと、わくわくさせてくれる上質のノンフィクションである。
生物学にそれほど詳しくない私でも数日で読み上げてしまいました。
DNAとは何なのだろうか?どのような構造と機能を持っているのだろうか?
何もわからない暗闇状態から、少しずつ断片的な情報が集まり始める部分は、まさに良質な推理小説を読んでいるよう。
最後にはワトソンの閃きにより、断片的だった情報が一気に有機的な繋がりを持ち始め、生命の神秘が明らかにされる。
最高の生命科学の発見とはこのように成されるのかと、わくわくさせてくれる上質のノンフィクションである。
Jewett
Amazonで購入
非常に簡単な文章にもかかわらず、生命科学のもっとも重要な問題が解決される過程を楽しく、そしてドラマチックに読ませる文章力に脱帽です。注釈も非常に質が高く、隅から隅まで楽しませてもらいました。
この本には「生きた生命科学者」が記されており、一流の生命科学者たちの思考・行動プロセスが生き生きと記述されています。専門家も、そして一般読者も楽しめる本でしょう。
翻訳特有の変な日本語もなく、最高にエキサイティングなポピュラーサイエンスの一冊に仕上がっています。
この本には「生きた生命科学者」が記されており、一流の生命科学者たちの思考・行動プロセスが生き生きと記述されています。専門家も、そして一般読者も楽しめる本でしょう。
翻訳特有の変な日本語もなく、最高にエキサイティングなポピュラーサイエンスの一冊に仕上がっています。
中里直史
本書は「核酸の分子構造および生体における情報伝達に対するその意義の発見」でノーベル賞を受賞したジェームズ・D. ワトソンが書いたノンフィクション。
当時、旬な研究分野の1つであったDNAの分子構造に関する研究活動について、ワトソン氏の視点で知れる本。
旬な研究においては、激しい競争が繰り広げられている。
本書を読んでいると、競争に勝つのは、優秀であることや努力が必要であることはもちろんだが、必然ともいえるような偶然と、いかに多く出会えるかが重要であると思える。
「必然ともいえるような偶然」。
簡単に言い換えてしまえば、運、なのだが、「運」という一言で結論付けてしまうにはあまりにも安直すぎるし、DNA構造の解明に尽力した研究者方に失礼だ。
何もしないでは「偶然」は訪れない。いろんなアクションを起こし続けた先に偶然は訪れるのだ。
本書を読むと、ところどころに研究の鍵となるピースが散りばめられていて、それらのピースが最後には上手く結合していく。
ピースは人であったり、アイディアであったり、データであったり、と様々だ。
多くのピースがぴったりはまっていく様子は、人の人生には無駄なものなどないように感じられる。
というよりも、その人(ここではワトソン氏)のメンタリティが非常に重要だと思う。
自分が生きていく中で出会う出来事と、どのように向き合うか。この考え方に尽きる。
すべてに意味があるはずだ、と思い、小さいと思えるような出来事に対しても、真摯に向きあるのか。
それとも、漫然とすごしていくのか。
本書はノンフィクションとして読んでおもしろいのはもちろんだが、読んだ時の自分の状況に応じて、他にも感じることがきっとある。
私の場合は、「自分の人生といかに向き合うか」、「やはり人生の出来事に無駄なものはなく、無駄なものにしてしまうのは自分自身である」ということを感じた。
きっとこれから読む貴方にも、貴方にしか感じることができない、何かが見つかるのではないだろうか。
当時、旬な研究分野の1つであったDNAの分子構造に関する研究活動について、ワトソン氏の視点で知れる本。
旬な研究においては、激しい競争が繰り広げられている。
本書を読んでいると、競争に勝つのは、優秀であることや努力が必要であることはもちろんだが、必然ともいえるような偶然と、いかに多く出会えるかが重要であると思える。
「必然ともいえるような偶然」。
簡単に言い換えてしまえば、運、なのだが、「運」という一言で結論付けてしまうにはあまりにも安直すぎるし、DNA構造の解明に尽力した研究者方に失礼だ。
何もしないでは「偶然」は訪れない。いろんなアクションを起こし続けた先に偶然は訪れるのだ。
本書を読むと、ところどころに研究の鍵となるピースが散りばめられていて、それらのピースが最後には上手く結合していく。
ピースは人であったり、アイディアであったり、データであったり、と様々だ。
多くのピースがぴったりはまっていく様子は、人の人生には無駄なものなどないように感じられる。
というよりも、その人(ここではワトソン氏)のメンタリティが非常に重要だと思う。
自分が生きていく中で出会う出来事と、どのように向き合うか。この考え方に尽きる。
すべてに意味があるはずだ、と思い、小さいと思えるような出来事に対しても、真摯に向きあるのか。
それとも、漫然とすごしていくのか。
本書はノンフィクションとして読んでおもしろいのはもちろんだが、読んだ時の自分の状況に応じて、他にも感じることがきっとある。
私の場合は、「自分の人生といかに向き合うか」、「やはり人生の出来事に無駄なものはなく、無駄なものにしてしまうのは自分自身である」ということを感じた。
きっとこれから読む貴方にも、貴方にしか感じることができない、何かが見つかるのではないだろうか。
Amazon カスタマー
DNAの二重螺旋構造は生命の本質であり、その発見は現代生物学における最大のイベントであった。
だからこそ、その発見に至る経緯は多くの本で取り上げられてきたのだが、本書はその決定版と言える。
なぜ本書が決定版なのか?
それは、ありとあらゆる関係者からの新資料を新たに得て、それを分析することで、客観的かつ奥行きのある膨大な注釈が付け加えられたからである。
だからこそ、それぞれの関係者が単一の視点から描写した自伝に比べ、本書の内容は圧倒的なものとなったのだ。
本書には多くの見るべき点があるが、例えばなぜワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造を発見できたのかという点は重要なポイントである。彼らの成功の理由とは、「自然はシンプルなものであるべき」という信念を持ち続けたことである。当時の常識では、生物とは複雑極まりないものであり、その構成要素ともなれば、到底簡単には理解できないものと思われていた。しかし彼らは、混迷を極めるさまざまな実験データはほとんど利用せず、最小限の信頼できる結果と己の信念のみから、偉大な発見を成し遂げた。それがどれほど難しいことであったかは、当時の大科学者や将来ノーベル賞を受賞することとなる気鋭の研究者たちが、二重螺旋構造をあり得ないものと否定したことからも読み取れる。
また、なぜウィルキンスやワトソンたちがフランクリンをダークレディーと呼んだのかという点について、本書は新資料に基づいて詳細な説明を加えている。多くの本で触れられていないことだが、フランクリンはウィルキンスと同じ研究所に採用された後、ウィルキンスが長年続けてきたDNAの構造解析研究をストップするように強制し、さらにウィルキンスのDNAサンプルを奪ったという事実がある。ウィルキンスにとっては、長年続けていたDNAの研究が花開き、まさに素晴らしい成果が出ようとしていた時期のことであり、そのような事件があったからこそ、ダークレディーと呼んだのだ。
しかし本書は、フランクリンがそのような行動をとった理由を述べ、フランクリンにも責任はなかったということを示している。その驚くべき理由とは、研究所のトップがウィルキンスとの相談もなしに、ウィルキンスはDNA研究を止める予定であるとフランクリンに伝えていたというものだ。
フランクリンもウィルキンスも、理不尽な上司に振り回された被害者だったのである。
本書は二重螺旋発見にまつわるエピソードを、これ以上ないほどにクリアーにしてくれた。
このような素晴らしい本を生み出してくれた著者およびわかりやすい日本語を提供してくれた翻訳者は、並々ならぬ苦労をなされたことと推察する。
だからこそ、その発見に至る経緯は多くの本で取り上げられてきたのだが、本書はその決定版と言える。
なぜ本書が決定版なのか?
それは、ありとあらゆる関係者からの新資料を新たに得て、それを分析することで、客観的かつ奥行きのある膨大な注釈が付け加えられたからである。
だからこそ、それぞれの関係者が単一の視点から描写した自伝に比べ、本書の内容は圧倒的なものとなったのだ。
本書には多くの見るべき点があるが、例えばなぜワトソンとクリックがDNAの二重螺旋構造を発見できたのかという点は重要なポイントである。彼らの成功の理由とは、「自然はシンプルなものであるべき」という信念を持ち続けたことである。当時の常識では、生物とは複雑極まりないものであり、その構成要素ともなれば、到底簡単には理解できないものと思われていた。しかし彼らは、混迷を極めるさまざまな実験データはほとんど利用せず、最小限の信頼できる結果と己の信念のみから、偉大な発見を成し遂げた。それがどれほど難しいことであったかは、当時の大科学者や将来ノーベル賞を受賞することとなる気鋭の研究者たちが、二重螺旋構造をあり得ないものと否定したことからも読み取れる。
また、なぜウィルキンスやワトソンたちがフランクリンをダークレディーと呼んだのかという点について、本書は新資料に基づいて詳細な説明を加えている。多くの本で触れられていないことだが、フランクリンはウィルキンスと同じ研究所に採用された後、ウィルキンスが長年続けてきたDNAの構造解析研究をストップするように強制し、さらにウィルキンスのDNAサンプルを奪ったという事実がある。ウィルキンスにとっては、長年続けていたDNAの研究が花開き、まさに素晴らしい成果が出ようとしていた時期のことであり、そのような事件があったからこそ、ダークレディーと呼んだのだ。
しかし本書は、フランクリンがそのような行動をとった理由を述べ、フランクリンにも責任はなかったということを示している。その驚くべき理由とは、研究所のトップがウィルキンスとの相談もなしに、ウィルキンスはDNA研究を止める予定であるとフランクリンに伝えていたというものだ。
フランクリンもウィルキンスも、理不尽な上司に振り回された被害者だったのである。
本書は二重螺旋発見にまつわるエピソードを、これ以上ないほどにクリアーにしてくれた。
このような素晴らしい本を生み出してくれた著者およびわかりやすい日本語を提供してくれた翻訳者は、並々ならぬ苦労をなされたことと推察する。
Amazon カスタマー
本書は、すでによく知られている二重螺旋の物語に、ちょっとした注釈を付け加えたものではない。
既存の本によるイメージをすべて書き換えてしまうほどのパワーを持った良書である。
日本で読める二重螺旋関連の書物では、ワトソンとクリックは悪者として扱われていることが多い。
彼らがフランクリンの撮影したX線写真を盗み見て、その栄誉を奪ったと言われてきたのだ。
しかし本書の登場により、それがまったくの事実誤認であったことが明らかになった。
第一のポイントは、旧版の誤訳が正されたことである。旧版では、フランクリンのX線写真をウィルキンスたちが盗み見たというニュアンスで翻訳されていたが、これは間違いであった。本書では、ワトソン・クリックを悪者として扱う偏見のもととなっていたこの部分を解消している。
第二のポイントは、新しく発見された膨大な資料から、ワトソンの描写がおおむね正確であることが裏付けられたことだ。ワトソンは当時感じたままの体験を文章化することに全力を注いでおり、追想による改変などはほとんど認められなかったと注釈者たちは述べている。
すでに二重螺旋の物語を知っている方もそうでない方もぜひ読んで頂きたい良書である。
この本は生きた科学を描写しており、生命科学最大の発見のひとつがどのようにして成し遂げられたのかを追体験することができる。
既存の本によるイメージをすべて書き換えてしまうほどのパワーを持った良書である。
日本で読める二重螺旋関連の書物では、ワトソンとクリックは悪者として扱われていることが多い。
彼らがフランクリンの撮影したX線写真を盗み見て、その栄誉を奪ったと言われてきたのだ。
しかし本書の登場により、それがまったくの事実誤認であったことが明らかになった。
第一のポイントは、旧版の誤訳が正されたことである。旧版では、フランクリンのX線写真をウィルキンスたちが盗み見たというニュアンスで翻訳されていたが、これは間違いであった。本書では、ワトソン・クリックを悪者として扱う偏見のもととなっていたこの部分を解消している。
第二のポイントは、新しく発見された膨大な資料から、ワトソンの描写がおおむね正確であることが裏付けられたことだ。ワトソンは当時感じたままの体験を文章化することに全力を注いでおり、追想による改変などはほとんど認められなかったと注釈者たちは述べている。
すでに二重螺旋の物語を知っている方もそうでない方もぜひ読んで頂きたい良書である。
この本は生きた科学を描写しており、生命科学最大の発見のひとつがどのようにして成し遂げられたのかを追体験することができる。