田舎町の閉鎖的な空気感なのですが、映像がとてもみずみずしいです。
自堕落な生活を送るセルジュ(ジェラール・ブラン)を
何とかしようと奔走するフランソワ(ジャン=クロード・ブリアリ)。
そしてフランソワの気持ちをわかりながらも、やるせないセルジュの姿
同じシャブロル監督の『いとこ同士』と対にして観ると、また面白い。
セルジュの義理の妹のマリー(ベルナデット・ラフォン)
この娘が悪い子なんです。フランソワに思いっきり色目使ってます。
シャブロル監督作品には、こういうちょっとクセのある女がよく出てきますね。
そして、カップリング収録されているリヴェットの短編『王手飛車取り』
原題の 「Le Coup du berger」 直訳すれば「羊飼いの一撃」 を意味するチェス用語で
将棋の『王手飛車取り』に相当するそうです。
だからって邦題にしなくても・・・・
北島三郎とか歌い出しそうじゃないですか(笑)
美しきセルジュ/王手飛車取り [DVD]
形式: DVD
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登録情報
- 梱包サイズ : 18.03 x 13.76 x 1.48 cm; 83.16 g
- EAN : 4933672233291
- メディア形式 : DVD-Video
- 発売日 : 2006/12/5
- 出演 : ジェラール・ブラン/ヴィルジニー・ヴィトリ
- 販売元 : アイ・ヴィー・シー
- ASIN : B000L215EM
- ディスク枚数 : 1
- Amazon 売れ筋ランキング: - 267,754位DVD (DVDの売れ筋ランキングを見る)
- - 26,750位外国のドラマ映画
- カスタマーレビュー:
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4 星
どこか日本映画も思わせる ヌーヴェルヴァーグと気負わず観てほしい1作
望まなかった女性の妊娠、第一子の生まれつきの病気と死。合格していた大学へは行けなかった。村を出ることができなかった・・。若者には職も希望もない田舎町。朝から酒をあおるセルジュ。生まれ育った故郷の寒村に静養でパリから返ってきた青年フランソワ。2人は竹馬の友でした。セルジュの妻のお腹には第二子が。フランソワはなんとか彼を立ち直らせようと奮闘するが・・。この2人とセルジュの妻、その妹、父を中心とした人々の胸がつまるような無力感、ひんやりした村の空気がオール・ロケでフィルムに閉じ込められ、息づき脈打っているような作品でした。セルジュをはじめ、今もそしてこれからも何もない(性、生き死に以外は)村の者の息づかい、都会で人生これからの青年の微妙なスタンス、いささかの羨望とその裏返しのやわらかな敵意。歓迎と少しの嫉みと劣等感。故郷を離れて暮らす彼がまぶしいのかも知れません。「ここは君がいても何も変わらないよ。おせっかいは止めたら?」という見えない矢がフランソワに向けられているようです。当初こそセルジュもそうでした。中盤、セルジュが墓地を抜け、過去の出来事をろれつがまわらずも独白するシーンはいくぶん直接的ながらも胸にしみます。ひりひりします。「足がおそくて子どもの頃は俺が奴を待っていたのに」。出来の良かった昔の自分。等身大の「こんなはずじゃなかった」感。ひとことで「友情」では語りきれません。ありきたりな友情物語、美談ではないのです。セルジュを演じるジェラール・ブラン。ハワード・ホークスの『ハタリ!』にも出ていました。ジャン=クロード・ブリアリ。そして妻(ミシェル・メリッツ)のリアリティ。寒空の下走りまわる子どもたち、凍った池、閑散とした通り、夕闇、村はずれの林、夜の雪道・・。村の大気まで感じさせるアンリ・ドカエのカメラが素晴らしいです。深呼吸をすれば冷たい空気が胸に入ってくるようです。そして主要な5人の佇まいと「表情」がしっかりと捉えられていました。ドカエあっての作品ともいえるほど美しいモノクロです。以下、★までラストに触れた私見です。ラストはみなさんどう受け取るでしょうか。あの泣き笑い。子の誕生を素直に喜んでいるのでしょうか。2人の涙の理由は何なのでしょう。いくぶん気になるところです。ひねくれているのかもしれませんが・・・。★本作はシャブロル監督のいわゆるヌーヴェルヴァーグの長編第1作という位置づけを与えられているようですが、当方実はヌーヴェルヴァーグというのがよくわからないのです。一般にはトリュフォー、ゴダールらの名が挙がります。仏のそれまでのドラマティック、ロマンティックな作劇、セットの多用(マルセル・カルネ、ドヴィヴィエなどでしょうか・・)とは異なる発想とカメラで撮られた作品ということができそうです。あるいは自由度、日常性、作家性が立った作品群? 本作が代表的なヌーヴェルヴァーグ作品か、というとあまりそうは感じなかったです。どこかこの頃の日本映画を感じるところもあります。また石川啄木のこんな歌を思い出しました。「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」「寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり」フランス、ヌーヴェルヴァーグと構えずに日本映画が好きな方にも観ていただきたい1本です。Le Beau Serge 1957 FR------------------------------------------------------------------------------------------------〇『王手飛車取り』シャブロルとともにヌーヴェルヴァーグ5人衆のひとりといわれるリヴェットの短編です。一方ヌーヴェルヴァーグ短編第1作ともいわれているそうです。永らく「商業」公開されず、2009年にDVD『美しきセルジュ』のカップリングとして知られました。Coup du Berger(羊飼いの一撃)はチェスの手筋のことらしいです。将棋に置き換えた邦題となっています。チェス、将棋類はほとんど存じません。有利に見える手だが、プロの場合、かけられた方が不利とは限らない、あるいはわざとかけられることもあるような指し方らしいです。間違っていたらご免なさい。音楽のクープランはバロック時代の作曲家らしいです。遊戯性あふれる夫婦の駆け引きをスパッと描いた皮肉でスパイスのきいた短編。Coup du Berger 1956 FR
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2014年11月22日に日本でレビュー済み
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望まなかった女性の妊娠、第一子の生まれつきの病気と死。合格していた大学へは行けなかった。村を出ることができなかった・・。若者には職も希望もない田舎町。朝から酒をあおるセルジュ。生まれ育った故郷の寒村に静養でパリから返ってきた青年フランソワ。2人は竹馬の友でした。セルジュの妻のお腹には第二子が。フランソワはなんとか彼を立ち直らせようと奮闘するが・・。
この2人とセルジュの妻、その妹、父を中心とした人々の胸がつまるような無力感、ひんやりした村の空気がオール・ロケでフィルムに閉じ込められ、息づき脈打っているような作品でした。セルジュをはじめ、今もそしてこれからも何もない(性、生き死に以外は)村の者の息づかい、都会で人生これからの青年の微妙なスタンス、いささかの羨望とその裏返しのやわらかな敵意。歓迎と少しの嫉みと劣等感。故郷を離れて暮らす彼がまぶしいのかも知れません。「ここは君がいても何も変わらないよ。おせっかいは止めたら?」という見えない矢がフランソワに向けられているようです。
当初こそセルジュもそうでした。中盤、セルジュが墓地を抜け、過去の出来事をろれつがまわらずも独白するシーンはいくぶん直接的ながらも胸にしみます。ひりひりします。「足がおそくて子どもの頃は俺が奴を待っていたのに」。出来の良かった昔の自分。等身大の「こんなはずじゃなかった」感。ひとことで「友情」では語りきれません。ありきたりな友情物語、美談ではないのです。セルジュを演じるジェラール・ブラン。ハワード・ホークスの『ハタリ!』にも出ていました。ジャン=クロード・ブリアリ。そして妻(ミシェル・メリッツ)のリアリティ。
寒空の下走りまわる子どもたち、凍った池、閑散とした通り、夕闇、村はずれの林、夜の雪道・・。村の大気まで感じさせるアンリ・ドカエのカメラが素晴らしいです。深呼吸をすれば冷たい空気が胸に入ってくるようです。そして主要な5人の佇まいと「表情」がしっかりと捉えられていました。ドカエあっての作品ともいえるほど美しいモノクロです。
以下、★までラストに触れた私見です。
ラストはみなさんどう受け取るでしょうか。あの泣き笑い。子の誕生を素直に喜んでいるのでしょうか。2人の涙の理由は何なのでしょう。いくぶん気になるところです。ひねくれているのかもしれませんが・・・。★
本作はシャブロル監督のいわゆるヌーヴェルヴァーグの長編第1作という位置づけを与えられているようですが、当方実はヌーヴェルヴァーグというのがよくわからないのです。一般にはトリュフォー、ゴダールらの名が挙がります。仏のそれまでのドラマティック、ロマンティックな作劇、セットの多用(マルセル・カルネ、ドヴィヴィエなどでしょうか・・)とは異なる発想とカメラで撮られた作品ということができそうです。あるいは自由度、日常性、作家性が立った作品群? 本作が代表的なヌーヴェルヴァーグ作品か、というとあまりそうは感じなかったです。
どこかこの頃の日本映画を感じるところもあります。また石川啄木のこんな歌を思い出しました。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり」
フランス、ヌーヴェルヴァーグと構えずに日本映画が好きな方にも観ていただきたい1本です。
Le Beau Serge 1957 FR
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〇『王手飛車取り』
シャブロルとともにヌーヴェルヴァーグ5人衆のひとりといわれるリヴェットの短編です。一方ヌーヴェルヴァーグ短編第1作ともいわれているそうです。永らく「商業」公開されず、2009年にDVD『美しきセルジュ』のカップリングとして知られました。Coup du Berger(羊飼いの一撃)はチェスの手筋のことらしいです。将棋に置き換えた邦題となっています。チェス、将棋類はほとんど存じません。有利に見える手だが、プロの場合、かけられた方が不利とは限らない、あるいはわざとかけられることもあるような指し方らしいです。間違っていたらご免なさい。音楽のクープランはバロック時代の作曲家らしいです。遊戯性あふれる夫婦の駆け引きをスパッと描いた皮肉でスパイスのきいた短編。
Coup du Berger 1956 FR
この2人とセルジュの妻、その妹、父を中心とした人々の胸がつまるような無力感、ひんやりした村の空気がオール・ロケでフィルムに閉じ込められ、息づき脈打っているような作品でした。セルジュをはじめ、今もそしてこれからも何もない(性、生き死に以外は)村の者の息づかい、都会で人生これからの青年の微妙なスタンス、いささかの羨望とその裏返しのやわらかな敵意。歓迎と少しの嫉みと劣等感。故郷を離れて暮らす彼がまぶしいのかも知れません。「ここは君がいても何も変わらないよ。おせっかいは止めたら?」という見えない矢がフランソワに向けられているようです。
当初こそセルジュもそうでした。中盤、セルジュが墓地を抜け、過去の出来事をろれつがまわらずも独白するシーンはいくぶん直接的ながらも胸にしみます。ひりひりします。「足がおそくて子どもの頃は俺が奴を待っていたのに」。出来の良かった昔の自分。等身大の「こんなはずじゃなかった」感。ひとことで「友情」では語りきれません。ありきたりな友情物語、美談ではないのです。セルジュを演じるジェラール・ブラン。ハワード・ホークスの『ハタリ!』にも出ていました。ジャン=クロード・ブリアリ。そして妻(ミシェル・メリッツ)のリアリティ。
寒空の下走りまわる子どもたち、凍った池、閑散とした通り、夕闇、村はずれの林、夜の雪道・・。村の大気まで感じさせるアンリ・ドカエのカメラが素晴らしいです。深呼吸をすれば冷たい空気が胸に入ってくるようです。そして主要な5人の佇まいと「表情」がしっかりと捉えられていました。ドカエあっての作品ともいえるほど美しいモノクロです。
以下、★までラストに触れた私見です。
ラストはみなさんどう受け取るでしょうか。あの泣き笑い。子の誕生を素直に喜んでいるのでしょうか。2人の涙の理由は何なのでしょう。いくぶん気になるところです。ひねくれているのかもしれませんが・・・。★
本作はシャブロル監督のいわゆるヌーヴェルヴァーグの長編第1作という位置づけを与えられているようですが、当方実はヌーヴェルヴァーグというのがよくわからないのです。一般にはトリュフォー、ゴダールらの名が挙がります。仏のそれまでのドラマティック、ロマンティックな作劇、セットの多用(マルセル・カルネ、ドヴィヴィエなどでしょうか・・)とは異なる発想とカメラで撮られた作品ということができそうです。あるいは自由度、日常性、作家性が立った作品群? 本作が代表的なヌーヴェルヴァーグ作品か、というとあまりそうは感じなかったです。
どこかこの頃の日本映画を感じるところもあります。また石川啄木のこんな歌を思い出しました。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり」
フランス、ヌーヴェルヴァーグと構えずに日本映画が好きな方にも観ていただきたい1本です。
Le Beau Serge 1957 FR
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〇『王手飛車取り』
シャブロルとともにヌーヴェルヴァーグ5人衆のひとりといわれるリヴェットの短編です。一方ヌーヴェルヴァーグ短編第1作ともいわれているそうです。永らく「商業」公開されず、2009年にDVD『美しきセルジュ』のカップリングとして知られました。Coup du Berger(羊飼いの一撃)はチェスの手筋のことらしいです。将棋に置き換えた邦題となっています。チェス、将棋類はほとんど存じません。有利に見える手だが、プロの場合、かけられた方が不利とは限らない、あるいはわざとかけられることもあるような指し方らしいです。間違っていたらご免なさい。音楽のクープランはバロック時代の作曲家らしいです。遊戯性あふれる夫婦の駆け引きをスパッと描いた皮肉でスパイスのきいた短編。
Coup du Berger 1956 FR
望まなかった女性の妊娠、第一子の生まれつきの病気と死。合格していた大学へは行けなかった。村を出ることができなかった・・。若者には職も希望もない田舎町。朝から酒をあおるセルジュ。生まれ育った故郷の寒村に静養でパリから返ってきた青年フランソワ。2人は竹馬の友でした。セルジュの妻のお腹には第二子が。フランソワはなんとか彼を立ち直らせようと奮闘するが・・。
この2人とセルジュの妻、その妹、父を中心とした人々の胸がつまるような無力感、ひんやりした村の空気がオール・ロケでフィルムに閉じ込められ、息づき脈打っているような作品でした。セルジュをはじめ、今もそしてこれからも何もない(性、生き死に以外は)村の者の息づかい、都会で人生これからの青年の微妙なスタンス、いささかの羨望とその裏返しのやわらかな敵意。歓迎と少しの嫉みと劣等感。故郷を離れて暮らす彼がまぶしいのかも知れません。「ここは君がいても何も変わらないよ。おせっかいは止めたら?」という見えない矢がフランソワに向けられているようです。
当初こそセルジュもそうでした。中盤、セルジュが墓地を抜け、過去の出来事をろれつがまわらずも独白するシーンはいくぶん直接的ながらも胸にしみます。ひりひりします。「足がおそくて子どもの頃は俺が奴を待っていたのに」。出来の良かった昔の自分。等身大の「こんなはずじゃなかった」感。ひとことで「友情」では語りきれません。ありきたりな友情物語、美談ではないのです。セルジュを演じるジェラール・ブラン。ハワード・ホークスの『ハタリ!』にも出ていました。ジャン=クロード・ブリアリ。そして妻(ミシェル・メリッツ)のリアリティ。
寒空の下走りまわる子どもたち、凍った池、閑散とした通り、夕闇、村はずれの林、夜の雪道・・。村の大気まで感じさせるアンリ・ドカエのカメラが素晴らしいです。深呼吸をすれば冷たい空気が胸に入ってくるようです。そして主要な5人の佇まいと「表情」がしっかりと捉えられていました。ドカエあっての作品ともいえるほど美しいモノクロです。
以下、★までラストに触れた私見です。
ラストはみなさんどう受け取るでしょうか。あの泣き笑い。子の誕生を素直に喜んでいるのでしょうか。2人の涙の理由は何なのでしょう。いくぶん気になるところです。ひねくれているのかもしれませんが・・・。★
本作はシャブロル監督のいわゆるヌーヴェルヴァーグの長編第1作という位置づけを与えられているようですが、当方実はヌーヴェルヴァーグというのがよくわからないのです。一般にはトリュフォー、ゴダールらの名が挙がります。仏のそれまでのドラマティック、ロマンティックな作劇、セットの多用(マルセル・カルネ、ドヴィヴィエなどでしょうか・・)とは異なる発想とカメラで撮られた作品ということができそうです。あるいは自由度、日常性、作家性が立った作品群? 本作が代表的なヌーヴェルヴァーグ作品か、というとあまりそうは感じなかったです。
どこかこの頃の日本映画を感じるところもあります。また石川啄木のこんな歌を思い出しました。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり」
フランス、ヌーヴェルヴァーグと構えずに日本映画が好きな方にも観ていただきたい1本です。
Le Beau Serge 1957 FR
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〇『王手飛車取り』
シャブロルとともにヌーヴェルヴァーグ5人衆のひとりといわれるリヴェットの短編です。一方ヌーヴェルヴァーグ短編第1作ともいわれているそうです。永らく「商業」公開されず、2009年にDVD『美しきセルジュ』のカップリングとして知られました。Coup du Berger(羊飼いの一撃)はチェスの手筋のことらしいです。将棋に置き換えた邦題となっています。チェス、将棋類はほとんど存じません。有利に見える手だが、プロの場合、かけられた方が不利とは限らない、あるいはわざとかけられることもあるような指し方らしいです。間違っていたらご免なさい。音楽のクープランはバロック時代の作曲家らしいです。遊戯性あふれる夫婦の駆け引きをスパッと描いた皮肉でスパイスのきいた短編。
Coup du Berger 1956 FR
この2人とセルジュの妻、その妹、父を中心とした人々の胸がつまるような無力感、ひんやりした村の空気がオール・ロケでフィルムに閉じ込められ、息づき脈打っているような作品でした。セルジュをはじめ、今もそしてこれからも何もない(性、生き死に以外は)村の者の息づかい、都会で人生これからの青年の微妙なスタンス、いささかの羨望とその裏返しのやわらかな敵意。歓迎と少しの嫉みと劣等感。故郷を離れて暮らす彼がまぶしいのかも知れません。「ここは君がいても何も変わらないよ。おせっかいは止めたら?」という見えない矢がフランソワに向けられているようです。
当初こそセルジュもそうでした。中盤、セルジュが墓地を抜け、過去の出来事をろれつがまわらずも独白するシーンはいくぶん直接的ながらも胸にしみます。ひりひりします。「足がおそくて子どもの頃は俺が奴を待っていたのに」。出来の良かった昔の自分。等身大の「こんなはずじゃなかった」感。ひとことで「友情」では語りきれません。ありきたりな友情物語、美談ではないのです。セルジュを演じるジェラール・ブラン。ハワード・ホークスの『ハタリ!』にも出ていました。ジャン=クロード・ブリアリ。そして妻(ミシェル・メリッツ)のリアリティ。
寒空の下走りまわる子どもたち、凍った池、閑散とした通り、夕闇、村はずれの林、夜の雪道・・。村の大気まで感じさせるアンリ・ドカエのカメラが素晴らしいです。深呼吸をすれば冷たい空気が胸に入ってくるようです。そして主要な5人の佇まいと「表情」がしっかりと捉えられていました。ドカエあっての作品ともいえるほど美しいモノクロです。
以下、★までラストに触れた私見です。
ラストはみなさんどう受け取るでしょうか。あの泣き笑い。子の誕生を素直に喜んでいるのでしょうか。2人の涙の理由は何なのでしょう。いくぶん気になるところです。ひねくれているのかもしれませんが・・・。★
本作はシャブロル監督のいわゆるヌーヴェルヴァーグの長編第1作という位置づけを与えられているようですが、当方実はヌーヴェルヴァーグというのがよくわからないのです。一般にはトリュフォー、ゴダールらの名が挙がります。仏のそれまでのドラマティック、ロマンティックな作劇、セットの多用(マルセル・カルネ、ドヴィヴィエなどでしょうか・・)とは異なる発想とカメラで撮られた作品ということができそうです。あるいは自由度、日常性、作家性が立った作品群? 本作が代表的なヌーヴェルヴァーグ作品か、というとあまりそうは感じなかったです。
どこかこの頃の日本映画を感じるところもあります。また石川啄木のこんな歌を思い出しました。
「友がみなわれよりえらく見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ」
「寂莫(せきばく)を敵とし友とし 雪のなかに 長き一生を送る人もあり」
フランス、ヌーヴェルヴァーグと構えずに日本映画が好きな方にも観ていただきたい1本です。
Le Beau Serge 1957 FR
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〇『王手飛車取り』
シャブロルとともにヌーヴェルヴァーグ5人衆のひとりといわれるリヴェットの短編です。一方ヌーヴェルヴァーグ短編第1作ともいわれているそうです。永らく「商業」公開されず、2009年にDVD『美しきセルジュ』のカップリングとして知られました。Coup du Berger(羊飼いの一撃)はチェスの手筋のことらしいです。将棋に置き換えた邦題となっています。チェス、将棋類はほとんど存じません。有利に見える手だが、プロの場合、かけられた方が不利とは限らない、あるいはわざとかけられることもあるような指し方らしいです。間違っていたらご免なさい。音楽のクープランはバロック時代の作曲家らしいです。遊戯性あふれる夫婦の駆け引きをスパッと描いた皮肉でスパイスのきいた短編。
Coup du Berger 1956 FR
このレビューの画像
2012年12月3日に日本でレビュー済み
版権切れのため生産中止につき、在庫(と中古)のみの販売となっています。(アイ・ヴィー・シーに確認済み)
2005年版、2006年版、2009年版、いずれも全く同じ内容ですから、一番安価なのをお求めになればいいです。
ただし、山田宏一氏他の執筆による説明書は2009年版(赤いジャケットの廉価盤)には封入されていませんので、ご注意を!
(※なお、シャブロルの第二作『いとこ同志』のDVDにも、全く同じ内容の説明書が入っています。)
ディスクの内容は、ヌーヴェル・ヴァーグの口火を切った、クロード・シャブロルの処女作『美しきセルジュ』と、ジャック・リヴェットの短編『王手飛車取り』の二作品です。音質はイマイチですが、『美しきセルジュ』に関しては画質は悪くなく、両作品とも今後、再発されるかどうかわかりませんから、興味のある方は(安価ですし)ぜひ購入ご検討ください。プロダクションノート、スタッフ・キャストの文字解説も充実しています
【美しきセルジュ】(クロード・シャブロル)1959年、撮影:アンリ・ドカ
シャブロルが、パリを離れて(疎開)少年時代をすごしたクルーズ県サルダン村でのオールロケ作品です。
取り立てて産業もなく、土地も痩せ農業もままならぬ閉塞感ただよう寒々とした村。
故郷のこの村へ病気療養のために帰って来たフランソワ(ジャン・クロード・ブリアリ)が、見たものは…。
村の閉塞感そのもののような覇気のない人々の姿でした…。
とりわけ、全てに抜きん出ていた同級生セルジュ(ジェラール・ブラン)の、大学進学の希望を断たれ、結婚生活もうまくいかず、酒におぼれる絶望的な日々に、胸を痛めます。何とか友を立ち直らせようと、心を砕くフランソワ。しかし簡単に報われることはなく、出産のせまったセルジュの妻のため、吹雪のなか病身にむち打って孤軍奮闘する姿には凄絶な美しさがあります。
いかようにも取れる「謎めいた」ラストシーン、幾重にも絡み合う人の心の「あや」や「ひだ」…。冷徹なまでの人間観察は、見た者の心に忘れがたい印象を残します…。(注:決して明るく楽しい気分になる作品ではありません。ラストの捉え方によっては、救いがありますが…。)
シャブロルの作品を多く観ている訳ではありませんが、ひとつ気づいたのは、食事風景にものすごくリアリティがあり、面白いということです。ごくふつうのフランス人の朝食、カフェオレとパンにバター、それだけなのになぜかのめり込んで見てしまう、「見せてしまう」力があります。(本作の場合、それもパリのオシャレなアパルトマンではなく、さびれた寒村のあばら屋です。)
いかにもドラマチックなシーンではなく、日常描写の積み重ねによって映画が作られているという感じがします。
当初、この作品は2時間半ほどの長尺なものだったそうです。(後に、12時間におよぶ「超長尺な」作品を作る)ジャック・リヴェットが「長過ぎるよ!」とクレームをつけ、100分弱の作品となりました(笑)。省いた部分のほとんどが「村人たちの生活描写」とのことで、シャブロル自身も実は一番見て欲しかったところ、と残念に思っているようですが、私も本当に残念です。もっともっと食事風景その他を見たかったから…。ジャック・リヴェットはつくづく余計なことを言ったものだと思います(怒)。
ジャン・ヴィゴ賞受賞。シャブロル本人もカメオ出演してます。
【王手飛車取り】28分(ジャック・リヴェット)1956年、撮影:シャルル・L・ビッチ、
フランソワ・クープランの曲(バロック音楽)にのって軽快なテンポですすむ、オチも秀逸なキュッと引き締まった、短編小説のような味わいの作品です。将棋の手になぞらえて男女の恋愛ゲームを軽いタッチで描いています。リヴェット作品というよりは、エリック・ロメールの雰囲気に近いものがある、と文字解説に書かれています。(確かに、そんな感じもします…。)
ヴィルジニー・ヴィトリ、ジャン・クロード・ブリアリが主演。パーティシーンでは、トリュフォー、ゴダール、ロメールらの姿も見られます。
原題『Le Coup du berger』はチェス用語。将棋用語の『王手飛車取り』と似通った意味のようです。(←これ、わからなくても観るのに支障ありませんでした。)
日本での劇場公開はありません。(16ミリフィルム上映のみ)
2005年版、2006年版、2009年版、いずれも全く同じ内容ですから、一番安価なのをお求めになればいいです。
ただし、山田宏一氏他の執筆による説明書は2009年版(赤いジャケットの廉価盤)には封入されていませんので、ご注意を!
(※なお、シャブロルの第二作『いとこ同志』のDVDにも、全く同じ内容の説明書が入っています。)
ディスクの内容は、ヌーヴェル・ヴァーグの口火を切った、クロード・シャブロルの処女作『美しきセルジュ』と、ジャック・リヴェットの短編『王手飛車取り』の二作品です。音質はイマイチですが、『美しきセルジュ』に関しては画質は悪くなく、両作品とも今後、再発されるかどうかわかりませんから、興味のある方は(安価ですし)ぜひ購入ご検討ください。プロダクションノート、スタッフ・キャストの文字解説も充実しています
【美しきセルジュ】(クロード・シャブロル)1959年、撮影:アンリ・ドカ
シャブロルが、パリを離れて(疎開)少年時代をすごしたクルーズ県サルダン村でのオールロケ作品です。
取り立てて産業もなく、土地も痩せ農業もままならぬ閉塞感ただよう寒々とした村。
故郷のこの村へ病気療養のために帰って来たフランソワ(ジャン・クロード・ブリアリ)が、見たものは…。
村の閉塞感そのもののような覇気のない人々の姿でした…。
とりわけ、全てに抜きん出ていた同級生セルジュ(ジェラール・ブラン)の、大学進学の希望を断たれ、結婚生活もうまくいかず、酒におぼれる絶望的な日々に、胸を痛めます。何とか友を立ち直らせようと、心を砕くフランソワ。しかし簡単に報われることはなく、出産のせまったセルジュの妻のため、吹雪のなか病身にむち打って孤軍奮闘する姿には凄絶な美しさがあります。
いかようにも取れる「謎めいた」ラストシーン、幾重にも絡み合う人の心の「あや」や「ひだ」…。冷徹なまでの人間観察は、見た者の心に忘れがたい印象を残します…。(注:決して明るく楽しい気分になる作品ではありません。ラストの捉え方によっては、救いがありますが…。)
シャブロルの作品を多く観ている訳ではありませんが、ひとつ気づいたのは、食事風景にものすごくリアリティがあり、面白いということです。ごくふつうのフランス人の朝食、カフェオレとパンにバター、それだけなのになぜかのめり込んで見てしまう、「見せてしまう」力があります。(本作の場合、それもパリのオシャレなアパルトマンではなく、さびれた寒村のあばら屋です。)
いかにもドラマチックなシーンではなく、日常描写の積み重ねによって映画が作られているという感じがします。
当初、この作品は2時間半ほどの長尺なものだったそうです。(後に、12時間におよぶ「超長尺な」作品を作る)ジャック・リヴェットが「長過ぎるよ!」とクレームをつけ、100分弱の作品となりました(笑)。省いた部分のほとんどが「村人たちの生活描写」とのことで、シャブロル自身も実は一番見て欲しかったところ、と残念に思っているようですが、私も本当に残念です。もっともっと食事風景その他を見たかったから…。ジャック・リヴェットはつくづく余計なことを言ったものだと思います(怒)。
ジャン・ヴィゴ賞受賞。シャブロル本人もカメオ出演してます。
【王手飛車取り】28分(ジャック・リヴェット)1956年、撮影:シャルル・L・ビッチ、
フランソワ・クープランの曲(バロック音楽)にのって軽快なテンポですすむ、オチも秀逸なキュッと引き締まった、短編小説のような味わいの作品です。将棋の手になぞらえて男女の恋愛ゲームを軽いタッチで描いています。リヴェット作品というよりは、エリック・ロメールの雰囲気に近いものがある、と文字解説に書かれています。(確かに、そんな感じもします…。)
ヴィルジニー・ヴィトリ、ジャン・クロード・ブリアリが主演。パーティシーンでは、トリュフォー、ゴダール、ロメールらの姿も見られます。
原題『Le Coup du berger』はチェス用語。将棋用語の『王手飛車取り』と似通った意味のようです。(←これ、わからなくても観るのに支障ありませんでした。)
日本での劇場公開はありません。(16ミリフィルム上映のみ)
2006年11月15日に日本でレビュー済み
静養のため久々に帰省(シャブロルの生れ故郷でもあるサルダン)したフランソワ(ジャン・クロード・ブリアリ)は、親友だったセルジュ(ジェラール・ブラン)が変わり果てた姿で酒に溺れていることに驚く。セルジュは子供が死産し、田舎でうだつの上がらない生活をしていることに絶望していたのだ…。
美しい響きのタイトルを持つクロード・シャブロルの処女作は、次作「いとこ同志」(59年)と裏表の構成を成す姉妹編と言えます。主演二人の配役と舞台設定(クライマックスでは雪が降り積もる寒村!)と、物語の結末をそっくり裏返したような関係ですが、ヌーベルバーグの発火点となった次作と比べて、この作品ではまだ初々しさや瑞々しさといったものが多分に感じられます。22分くらいの場面で、撮影用ケーブルを地面に引きずっているのが映っていたりするのも微笑ましい限りです。
しかし、冒頭にわざわざクレジットされているようにロケで撮影されている点(撮影監督はアンリ・ドカ)と、監督(の当時夫人)に転がり込んできた遺産によって製作された点は、紛れも無いヌーベバーグの特徴。後者について付け加えると、敬愛するヒッチコックに倣って監督本人が映画の中にちらっと登場しますが、例の飄々とした演技で「最近遺産相続したマヌケ」という内輪受けの役柄となっています。
そういえば、カイエ・デュ・シネマ誌の批評家出身の監督であり、その同胞たちが少なくとも始まりの段階においては互いに協力して撮影に臨んでいた点も、初期のヌーベルバーグ映画を観るときのお楽しみでしたね。シャブロル出演の場面には、本DVDに併録された短編「王手飛車取り」(シャブロルのアジム・プロ第一回作品)の監督ジャック・リヴェットの名前も使われています。また、当時ジェラール・ブランと結婚していたベルナデット・ラフォンが、マリー役で役柄に相応しい妖艶な魅力を発散しています。
美しい響きのタイトルを持つクロード・シャブロルの処女作は、次作「いとこ同志」(59年)と裏表の構成を成す姉妹編と言えます。主演二人の配役と舞台設定(クライマックスでは雪が降り積もる寒村!)と、物語の結末をそっくり裏返したような関係ですが、ヌーベルバーグの発火点となった次作と比べて、この作品ではまだ初々しさや瑞々しさといったものが多分に感じられます。22分くらいの場面で、撮影用ケーブルを地面に引きずっているのが映っていたりするのも微笑ましい限りです。
しかし、冒頭にわざわざクレジットされているようにロケで撮影されている点(撮影監督はアンリ・ドカ)と、監督(の当時夫人)に転がり込んできた遺産によって製作された点は、紛れも無いヌーベバーグの特徴。後者について付け加えると、敬愛するヒッチコックに倣って監督本人が映画の中にちらっと登場しますが、例の飄々とした演技で「最近遺産相続したマヌケ」という内輪受けの役柄となっています。
そういえば、カイエ・デュ・シネマ誌の批評家出身の監督であり、その同胞たちが少なくとも始まりの段階においては互いに協力して撮影に臨んでいた点も、初期のヌーベルバーグ映画を観るときのお楽しみでしたね。シャブロル出演の場面には、本DVDに併録された短編「王手飛車取り」(シャブロルのアジム・プロ第一回作品)の監督ジャック・リヴェットの名前も使われています。また、当時ジェラール・ブランと結婚していたベルナデット・ラフォンが、マリー役で役柄に相応しい妖艶な魅力を発散しています。