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カンディード (光文社古典新訳文庫) 文庫 – 2015/10/8
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- 本の長さ293ページ
- 言語日本語
- 出版社光文社
- 発売日2015/10/8
- 寸法10.7 x 1.1 x 15.2 cm
- ISBN-104334753191
- ISBN-13978-4334753191
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対象商品: カンディード (光文社古典新訳文庫)
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登録情報
- 出版社 : 光文社 (2015/10/8)
- 発売日 : 2015/10/8
- 言語 : 日本語
- 文庫 : 293ページ
- ISBN-10 : 4334753191
- ISBN-13 : 978-4334753191
- 寸法 : 10.7 x 1.1 x 15.2 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 25,039位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2016年7月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
フランス啓蒙主義を代表する知識人ヴォルテール(1694 - 1778)の小説 “ Candide, ou l’ Optimisme”(1759)の邦訳。併録作品として、「リスボン大震災に寄せる詩」(“Poèmes sur le désastre de Lisbonne”, 1756)が収められています。
『カンディード』の意図は、同時代に広く流布されていた「最善説」への迷妄に対する批判にあったと言われています。また「リスボン大震災に寄せる詩」は、ヴォルテールが「最善説」に疑義を抱くきっかけとなった、1755年にリスボンで起きた大地震に寄せて、彼自身の想いを綴った詩です。
「最善説」によれば、森羅万象は善意をもった全能の神により創造されており、全体においては秩序と調和(=「善」)が保たれている。一見すると無秩序あるいは不調和(=「悪」)なように思えても、それはあくまで有限な存在である人間の眼から見ているからである。したがって、じつは人間から見た「悪」もまた全体としての「善」に寄与しており、「最善」のためにはそうした「悪」が必要とされることもある、とされます。
物語の主人公は、「最善説」を信じ込まされて育ったカンディード。彼は様々な厄災に巻き込まれながらも、はじめのうちはそれも「すべては最善の目的に適っている」はずだから仕方がないと自分を納得させます。けれど度重なる不幸により、果たしてそれが本当に「最善」なのか、「すべては善なり」の教えは自らの不幸を慰めることができるのか、疑問を抱いていきます。本作では、その姿をとおして「最善説」を盲信することの滑稽さが徹底的に揶揄されています。
ただ、そういった理屈を抜きにして、現代の感覚で読んでも充分笑える作品です。聖職者や軍人、上流階級の人々だけなく、教条主義的な宗教のあり方が、悪意たっぷりのユーモアで風刺されており、まるでブラックコメディを読んでいるよう。
くわえて鋭い警句にも満ちています。たとえば、
「軍隊に包囲されて戦争の災害にあっている町よりも、まったく平和で芸術が栄えているように見える町のほうが、ひとびとは妬みや心配や不安にさいなまれ、よほど苦しんでいる。目に見えない悲しみのほうが、目に見える困窮よりもはるかに残酷なのです」
戦争や闘争や大災害にあふれた激動の時代を生きたにもかかわらず、成熟社会に生きる現代人の病を見とおすかのようなヴォルテールの慧眼に驚かされます。そしてそのぶん、悲惨なことばかり起こる物語において、最後に示唆される救いの可能性におおきな安堵をえることができます。
訳文はかなり平易です。「ボーイ」「ウェイトレス」「バカ殿」「ブス」など、くだけた現代語が使われている点には賛否が分かれるかもしれませんが、個人的には、本作の軽妙なタッチになかなか合っていると思いました。
『カンディード』の意図は、同時代に広く流布されていた「最善説」への迷妄に対する批判にあったと言われています。また「リスボン大震災に寄せる詩」は、ヴォルテールが「最善説」に疑義を抱くきっかけとなった、1755年にリスボンで起きた大地震に寄せて、彼自身の想いを綴った詩です。
「最善説」によれば、森羅万象は善意をもった全能の神により創造されており、全体においては秩序と調和(=「善」)が保たれている。一見すると無秩序あるいは不調和(=「悪」)なように思えても、それはあくまで有限な存在である人間の眼から見ているからである。したがって、じつは人間から見た「悪」もまた全体としての「善」に寄与しており、「最善」のためにはそうした「悪」が必要とされることもある、とされます。
物語の主人公は、「最善説」を信じ込まされて育ったカンディード。彼は様々な厄災に巻き込まれながらも、はじめのうちはそれも「すべては最善の目的に適っている」はずだから仕方がないと自分を納得させます。けれど度重なる不幸により、果たしてそれが本当に「最善」なのか、「すべては善なり」の教えは自らの不幸を慰めることができるのか、疑問を抱いていきます。本作では、その姿をとおして「最善説」を盲信することの滑稽さが徹底的に揶揄されています。
ただ、そういった理屈を抜きにして、現代の感覚で読んでも充分笑える作品です。聖職者や軍人、上流階級の人々だけなく、教条主義的な宗教のあり方が、悪意たっぷりのユーモアで風刺されており、まるでブラックコメディを読んでいるよう。
くわえて鋭い警句にも満ちています。たとえば、
「軍隊に包囲されて戦争の災害にあっている町よりも、まったく平和で芸術が栄えているように見える町のほうが、ひとびとは妬みや心配や不安にさいなまれ、よほど苦しんでいる。目に見えない悲しみのほうが、目に見える困窮よりもはるかに残酷なのです」
戦争や闘争や大災害にあふれた激動の時代を生きたにもかかわらず、成熟社会に生きる現代人の病を見とおすかのようなヴォルテールの慧眼に驚かされます。そしてそのぶん、悲惨なことばかり起こる物語において、最後に示唆される救いの可能性におおきな安堵をえることができます。
訳文はかなり平易です。「ボーイ」「ウェイトレス」「バカ殿」「ブス」など、くだけた現代語が使われている点には賛否が分かれるかもしれませんが、個人的には、本作の軽妙なタッチになかなか合っていると思いました。
2023年4月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
未だ行けぬリスボンに憧れを持っており、それ一点で気になり購入。まず、あまりリスボンに明るくなれる本ではないと思う。
しかし、内容は凄い。このリスボンの大地震後の、著者の心情の吐露は、真の絶望を味わった人間の剥き出しの感情を、後世に遺したい、書くことで、気持ちを何処かにぶつけたい、整理したいが、しつくすことができない、そんな気持ちが迫ってくる。(特に後半の詩)
小説は、荒唐無稽と感じる。しかし、うまく説明出来ないが、大災害後、自分がもし小説書くなら、こうかもなと肌で感じることもあった。それも、世に対する絶望がそうさせざるおえないのではと、読み解けるか。とにかく、後世に著者の絶望を、小説と詩をもってして、色々と渦巻く心情を、表現してやろう、そして、自身の気持ちもどこかに落ち着けたいという、力強い気持ちのこもった作品群だなと、個人的には読み取った。あくまで、個人としての、徒然な感想です。
しかし、内容は凄い。このリスボンの大地震後の、著者の心情の吐露は、真の絶望を味わった人間の剥き出しの感情を、後世に遺したい、書くことで、気持ちを何処かにぶつけたい、整理したいが、しつくすことができない、そんな気持ちが迫ってくる。(特に後半の詩)
小説は、荒唐無稽と感じる。しかし、うまく説明出来ないが、大災害後、自分がもし小説書くなら、こうかもなと肌で感じることもあった。それも、世に対する絶望がそうさせざるおえないのではと、読み解けるか。とにかく、後世に著者の絶望を、小説と詩をもってして、色々と渦巻く心情を、表現してやろう、そして、自身の気持ちもどこかに落ち着けたいという、力強い気持ちのこもった作品群だなと、個人的には読み取った。あくまで、個人としての、徒然な感想です。
2020年8月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
笑った。もっと硬い話かと思っていたけど、とても読みやすくて面白かった。
2017年3月21日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
ちょっと不思議な感覚に陥る部分もありましたが普遍的な哲学を分かり易く理解できました。
2018年12月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
最後のヴォルテールの答え。
解説におけるヴォルテールとルソーの見解。
素晴らしい。
読みやすい本だと思います。
解説におけるヴォルテールとルソーの見解。
素晴らしい。
読みやすい本だと思います。
2016年11月19日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
昔の本なので読みにくいのかと思っていたが、そんなことは全くない。
訳者がうまいのかもしれないが、平易な日本語で現代の文章を読んでいる感じ。
しかも荒唐無稽でこっけいな話がどんどん進んでいくので、ついつい先を読んでしまう。
非常に楽しいエンターテイメント小説として読みました。
現代に残る古典には深い意味がこめられているのでしょうが、わたしはそこらはまったく読み取れず、でも楽しめました。
古典がこんなに楽しいなんて意外です。
訳者がうまいのかもしれないが、平易な日本語で現代の文章を読んでいる感じ。
しかも荒唐無稽でこっけいな話がどんどん進んでいくので、ついつい先を読んでしまう。
非常に楽しいエンターテイメント小説として読みました。
現代に残る古典には深い意味がこめられているのでしょうが、わたしはそこらはまったく読み取れず、でも楽しめました。
古典がこんなに楽しいなんて意外です。
2022年11月7日に日本でレビュー済み
「啓蒙主義」の思想家とされるヴォルテールによる文学作品。
楽観主義的なライプニッツ哲学を風刺した作品とも言われているが、どうやらそれは後世の誤解だそうで、本来は自然科学において「最小作用の原理」の存在を主張したモーペルテュイを皮肉ったというのが正しいようだ。
主人公カンディードは家庭教師パングロス教授に「この世の一切は善」と教えられ育つが、その後彼が歩んだ人生は悲劇の連続であり、世の中が不幸に満ちている現実を知る。
世知辛い人生を経たカンディードは、自らが経験した現実に立脚した人生観を確立し、かつての家庭教師の教えから離れていく。
その後カンディードはとパングロスと邂逅するが、かつての師は没落しながらもなお「全ては最善」という盲信を繰り返すままであった。
現実に生きるカンディードと変わらぬ老家庭教師が秀逸に対比された物語だ。
本作を読んで感じるのは、安直な調和論には何の力もないということだ。
不幸が存在することを率直に認めなければ、ただの現実逃避にしかならない。
人生や社会には酸いも甘いもあるのが現実であり、不幸を認め不幸を乗り越えなければならないのが人生だろう。
パングロスの主張のような、現実逃避的な人生観には不幸と戦うための人間の牙・底力を削ぎ、人間を弱くする毒性すらあるように感じた。
楽観主義的なライプニッツ哲学を風刺した作品とも言われているが、どうやらそれは後世の誤解だそうで、本来は自然科学において「最小作用の原理」の存在を主張したモーペルテュイを皮肉ったというのが正しいようだ。
主人公カンディードは家庭教師パングロス教授に「この世の一切は善」と教えられ育つが、その後彼が歩んだ人生は悲劇の連続であり、世の中が不幸に満ちている現実を知る。
世知辛い人生を経たカンディードは、自らが経験した現実に立脚した人生観を確立し、かつての家庭教師の教えから離れていく。
その後カンディードはとパングロスと邂逅するが、かつての師は没落しながらもなお「全ては最善」という盲信を繰り返すままであった。
現実に生きるカンディードと変わらぬ老家庭教師が秀逸に対比された物語だ。
本作を読んで感じるのは、安直な調和論には何の力もないということだ。
不幸が存在することを率直に認めなければ、ただの現実逃避にしかならない。
人生や社会には酸いも甘いもあるのが現実であり、不幸を認め不幸を乗り越えなければならないのが人生だろう。
パングロスの主張のような、現実逃避的な人生観には不幸と戦うための人間の牙・底力を削ぎ、人間を弱くする毒性すらあるように感じた。