「チョンキンマンションのボスは知っている」という題に出版当初は違和感を感じた。だが、最近、偶然なことから読む機会を得て、香港のアパートということだとわかり一挙に親近感が湧いた。二十代の後半ごろ、まだ英国の植民地であった香港によく出張を繰り返していた私の脳裏に雑多な街の様子が蘇ってきた。
著者は京大のアジア・アフリカ研究研究科の博士課程で学んだ地域研究博士である。長年私が愛読してきた河合雅雄氏や山極壽一氏らと同様に、京大のフィールド研究の学統の継承者である。
未知の国、しかも、中国内でも特殊な地域といえる香港で、アフリカのタンザニアからやってきて、セコハンの自動車のブローカーをしているタンザニア人のボスに密着して、彼の目を通して、異国で逞しく生きている人々のやや怪しげな、日本人からはいかがわしく見えるような暮らしぶりを正確に捉えている。
一方では、先進国の何事にもシステム的に処理されてしまうことに対するカマラという本書の主人公の対応には我々が失ったり、高度成長の果てに置き忘れてきたりしている独特な寄付文化の実践の様相も見えてくる。
香港在住のタンザニア人やアフリカ人が滞在先で死亡した際に、遺体を故国へ搬送するには当然費用がかかる。その費用を皆で寄付をして募金した経験の箇所では、寄付文化を研究する私も感動するようなカマラをはじめ人々の温かな気持ちと行動が報告されている。まるで、山本周五郎の世界がそこにあった。
商売上手な香港やパキスタンのビジネス相手とのカマラの駆け引きには目を見張るものがある。中国の古典『老子』や『孫子』そして、『菜根譚』に説かれている処世の知恵をカマラは自然体で身につけていることに驚く。
人文系の文献学とは異なり、文化人類学や例調理研究などフィールドの学問は、計画通りにはいかないという。偶然出会った人々や出来事を通じて新たな思いがけない発見があるようだ。著者にとり、偶然暮らすことになったチョンキン・マンションでカマラに出会ったことが、この優れた研究、論文、本書を生み出したに違いない。目の前に現れたチャンスを掴むことのできた著者の運の強さとそれを可能にした勇気と決断はすごい。
これまでの人生において、ユングや河合隼雄氏から学んだ共時性ということを大切にしてきた私には、著者が香港で生きるタンザニア人に見出した、無数に増殖拡大するネットワーク内の人々がそれぞれの「ついで」にできることをする「開かれた互酬性」基盤とすることで、彼らは気楽な「助け合い」促進し、国境を越える巨大なセーフティネットをつくり上げているのである」という指摘は目から鱗であった。
実にいい加減で、複雑で、乱暴にも見えるカマラから深い信頼を勝ち得て、彼の実人生と彼の世界の秘密を洗いざらい聞き出した著者の研究者としての優秀性もさることながら、その人間的器の大きさに脱帽する、これからも目が離せない研究者である。読んでいて、何回も思い当たることの多い本で、久しぶりに読書の楽しさを味わった。
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チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学 Kindle版
第51回 大宅壮一ノンフィクション賞 受賞!
第8回 河合隼雄学芸賞 受賞!
香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は、日本の常識から見れば「まさか!」の連続。交易人、難民、裏稼業に勤しむ者をも巻きこんだ互助組合、SNSによる独自のシェア経済…。既存の制度にみじんも期待しない人々が見出した、合理的で可能性に満ちた有り様とは。閉塞した日本の状況を打破するヒントに満ちた一冊。
第8回 河合隼雄学芸賞 受賞!
香港のタンザニア人ビジネスマンの生活は、日本の常識から見れば「まさか!」の連続。交易人、難民、裏稼業に勤しむ者をも巻きこんだ互助組合、SNSによる独自のシェア経済…。既存の制度にみじんも期待しない人々が見出した、合理的で可能性に満ちた有り様とは。閉塞した日本の状況を打破するヒントに満ちた一冊。
- 言語日本語
- 出版社春秋社
- 発売日2019/7/30
- ファイルサイズ7082 KB
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商品の説明
著者について
1978年愛知県生まれ。専門は文化人類学、アフリカ研究。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科博士課程指導認定退学。博士(地域研究)。日本学術振興会特別研究員、国立民族学博物館研究戦略センター機関研究員、同センター助教、立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授を経て、現在、同研究科教授。著書に、『都市を生きぬくための狡知』(世界思想社)、『「その日暮らし」の人類学』(光文社新書)がある。
登録情報
- ASIN : B082LPRB8X
- 出版社 : 春秋社 (2019/7/30)
- 発売日 : 2019/7/30
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 7082 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 229ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 65,437位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 290位生物・バイオテクノロジー (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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イメージ付きのレビュー
1 星
論文
論文調で書かれていて、面白くなかったです。全くもってエキサイティングではないです。もっと日本語力があったら面白い内容なのかもしれないですが。著者はスワヒリ語が話せるようですが、日本語の表現力を身につけてたら良いのではと思いました。内容も重複している部分があり…何を論じているのか途中でわからなくなりました。掲載されている写真も全く魅力なしでした。酷評ですみません。でも正直な感想です。
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2024年5月29日に日本でレビュー済み
2023年9月18日に日本でレビュー済み
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一見いかがわしい存在と思われがちですが、意外と深い考えがそこにはあり、考えさせられました。
2021年12月18日に日本でレビュー済み
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日本でコミュニティというとgive and takeや貢献と言った概念が当然のように求められるが、この本で述べられるタンザニア人コミュニティでは少し違った形となっている。
現代日本が多様性を増す中で新たなコミュニティのあり方として気づきを得られたような気がした。
現代日本が多様性を増す中で新たなコミュニティのあり方として気づきを得られたような気がした。
2021年12月9日に日本でレビュー済み
香港とアフリカとの繋がりはよく知らなかったし、グレーな商売を生き生きとやってるタンザニア人たち、彼らの独特の「ついで」システムなどはとても興味深いものがありました。
一方で文章がわかりにくく、エッセイとして読むには硬すぎ、論文として読むには主観が多いため、宙ぶらりんなのがもったいないなと思いました。
題材や着眼点はすばらしいので、文章と構成がおしいです。たとえばインタビュー形式などで書き手が違えば、もっと整理された読みやすいおもしろい作品になったのではないでしょうか。
ただ本書の内容にあるように、整理しきらない流動性やゴチャゴチャ感が魅力であるというなら、このわかりにくい宙ぶらりんもひとつの「正解」なのかもしれません。
一方で文章がわかりにくく、エッセイとして読むには硬すぎ、論文として読むには主観が多いため、宙ぶらりんなのがもったいないなと思いました。
題材や着眼点はすばらしいので、文章と構成がおしいです。たとえばインタビュー形式などで書き手が違えば、もっと整理された読みやすいおもしろい作品になったのではないでしょうか。
ただ本書の内容にあるように、整理しきらない流動性やゴチャゴチャ感が魅力であるというなら、このわかりにくい宙ぶらりんもひとつの「正解」なのかもしれません。
2021年7月26日に日本でレビュー済み
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面白い。出てくる人物も背景も、人としても魅力的で純粋に楽しくいっきに読んでしまいました。
とはいえ、学びは豊富。成功とは何か、その背景にある人との関係性の結び方やそれを支える基盤の在り方はどんな形があるのか。
社会や周りの人への信頼の基盤があって、ずるさやときに騙し合う人間らしさも許容しながらも相互が生き残っていくネットワークの気づき方も面白く、個人的には何となく溢れがちな、どこか”きれいな人間性”を信じるような考え方よりも、人間らしさがにじみ出ていることに魅力がありました。
とはいえ、学びは豊富。成功とは何か、その背景にある人との関係性の結び方やそれを支える基盤の在り方はどんな形があるのか。
社会や周りの人への信頼の基盤があって、ずるさやときに騙し合う人間らしさも許容しながらも相互が生き残っていくネットワークの気づき方も面白く、個人的には何となく溢れがちな、どこか”きれいな人間性”を信じるような考え方よりも、人間らしさがにじみ出ていることに魅力がありました。
2022年5月7日に日本でレビュー済み
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私的には、とても面白い本だった。チョンキンマンション(重慶大厦)の「自称ボス」が五十路のタンザニア人、カラマを中心とした参与観察の本。
最初に言っておけば、学生の頃から経済人類学者の栗本慎一郎氏を私淑していたおかげで、割と速足で読めた。マルセル・モースの「 贈与論 」とか、ジョルジュ・バタイユ「 呪われた部分 」に近いことも書かれているし、恐らくこの著者も、現代では引退した栗本慎一郎氏の著書も少なくとも数冊は読まれている節があるのは、文脈ですぐ判明した(ほとんど読者は読んだことが無いとは思うが、参考文献にも出てないがとても似ているし、経済人類学・経済史学者のカール・ポランニーの提唱した、「互酬」、「再分配」などの用語もすらりと出てくる)。
一言で言えば、商売はハードボイルド(日本語で言えば任侠道)である。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる私立探偵マーロウの様に考えると良い。法的には違法でも、社会的には許される仕組み、それでも他の顧客の不可侵性とか、日本人が当然と思っていた常識の中心軸を動かされる刺激に満ちている。それでも道義的には禁じられる無意識の共同体の「愛と友情の秘訣は『金儲け』」という最終章のタイトルも衝撃的であるが、彼女の本を書いた意図がここで明かされる。
「ついで」の論理…彼らの日常的な助け合いの大部分は「ついで」で回っている。他者の「事情」に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」でできることをする。「「互いに無理やストレスを強いること」を、できるだけ回避しようとすること、をルールにしているように思われる」(p84)
信頼の欠如…「ブローカー業は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系の顧客と、アフリカ系顧客のやり方に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料をかすめとる仕事である」(p105)。カラマたちの商売は、顧客と業者のあいだの「信頼の欠如」によって成立している。
この信頼の欠如をベースの成り立っている仲介業のプラットフォームが「TRUST」と名付けられている。そのもっとも重要な機能は「香港ブローカー全体に対する『漠然とした不信感』を担保しながら、そのつど特定の誰かに関する『偶発的で一時的な信用』を立ち上げる仕組み」(p143)である。
ただし、法的にはグレーな地下銀行の一種である。送金システムもインフォーマルなものだ。特に重要なのは、TRUSTが「信用できるブローカー/顧客」と「信用できないブローカー/顧客」を次第に明るみに出すものではないことである。これがレピュテーション(評判)によって格付けされる先進国で広がっている、クラウドファインディングやシェアエコノミーとの大きな違いである。
一言でいえば、その場限りの仁義。「彼らは他者の過去や現代の状況を詮索せず、人間はいつでも豹変しうることを前提にしながら、そのつどの状況・文脈に限定的な信頼を構築している」(p152)。
日本でも江戸末期から戦後直後あたりまでは、似た構造があったのだ。つまり侠客の世界だ。過去の日本でも他の縄張りに入る際に「仁義を切る」という行為があったが(清水次郎長の世界ですな)、戦後の暴対法によって、より闇の濃いアンダーグラウンド経済へと追いやられ、一般人をカモとする詐欺が増えだす。ちなみに著者が日本で流行っている「振り込め詐欺」についてボスのカラマと会話すると、「同じ仲間から詐欺するのは良いが、全くの他人から詐欺するのはいけない」と批判する。日本の常識からすると「?」と思うに違いない。これは社会、共同体を「生命体」としてメタレベルで考える必要がある。グレゴリー・ベイトソンは社会(システム)が相互関係の「精神」、関係のネットワークであると気づいていた節がある(参照:グレゴリー・ベイトソン「 精神と自然 生きた世界の認識論 」)。
けれど、「彼らは基本的に「自力で生きている」からこそ、本当に困った時には助けあうという関係が成り立つ」(p185)というバランス感覚は、古代の都市がその様に成立していたプロセスを理解すると判然とする。栗本慎一郎氏の著書で「 都市は、発狂する。―そして、ヒトはどこに行くのか 」という都市論の本があるが、このことが生理感覚として理解出来なければ、古本でも手に入れてこの本を読んで欲しいものだ。
「借り」を回すこと、本当に困った時は知り合いや共同体の人脈を使って無心したりするが、これらは返さなくても良い仕組みがあり、お互いに「誰かから返ってくる」と考える経済圏というか「構造」があるのだ。この辺が気になるなら、ぜひこの本を買って読んで欲しい。もしくは、ナタリー・サルトゥー=ラジュ「 借りの哲学 」が参考になるかもしれない。
タンザニア商人たちは、将来よりも今を生きる。だから儲けを貯金するより仲間を支援したり、みんなで派手に騒いだりして使ってしまう。しかし、著者はあくまでも「他者に必要とされる快楽」について懐疑的である(p230)ようだ。
「他者の多様性が生み出す『偶発的な応答』の可能性に賭ける」(p246)、この姿勢は「『異質性や流動性が高くて、誰が応えてくれるかわからない』という状況における戦略として不合理ではない」という指摘はとても当たっている。
思い出したのは、クリスチャン・ブッシュ「 セレンディピティ 点をつなぐ力 」で紹介された、「セレンディピティ」(偶有性)という言葉だ。つまり「セレンディピティ」が発動する場を、意図的に「経済」に埋め込んでいると考えても良い場面がある(勿論必ず発動するというわけでもない、いつ発動するかもわからないが)。
シェアリング経済はユーザー同士の格付け(レピュテーション)によって取引相手を選別し、ときに排除する。「シェア」という「ムラ社会」は、包摂的な響きを持つ言葉とは裏腹に、きわめて排他的になりうるということであり、それは異質なものが混入・侵入した場合に脆弱に成り得る「構造」がある。この辺が私が無意識に敬遠している理由でもある。私はシェアリング経済が、村八分や排除を行う「ムラ社会」に容易に変貌しうると指摘している気がした。
それに比べてこの本で紹介されている「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という、原始的な交易条件のもとで機能するシステムは、不測の事態において適応度が高いのだ。「出入り自由。他者に関心はもつが監視はしない。基本的に淡泊な人間関係」が最もストレスを感じないものだ。この辺は、古代の都市が村落社会でつまはじきや追い出された者達にによって都市の原型が成立したと、栗本慎一郎氏が指摘していたのを思い出した(参照は前掲書)。
濃密な人間関係を尊ばれる現代において、正に真逆と感じる人も多いだろうが、実際に「 沈黙交易 」が最も古来からある交易方法という報告もある。感染症との共存が叫ばれている現代でこそ、学ぶべき内容が含まれていると私は思った。沈黙交易は相手を全く信用していないところからの距離を置いた言葉を交わさない「交易」のことである。やがて恒常的に交易を始めて、徐々に距離を縮めて、中立地での「市」が生まれ、その周辺に住居を構え、やがて「都市」にまで発展する。モデル化は危険なので一概に言えないが、生理感覚として理解すべき内容なので著者である小川さやか氏も文章からその苦労が伺える。
それでも、著者が今一つ残念なのは、メタレベルで包括的な「システム」思考によるまとめ方が実はあまり上手では無い節がある。確かに参与観察をしていると、枝葉末節が気になる部分が多すぎて難しいことではあるが、説明する際の編集的「抽象化」も時には大切な気もした。文体がもう少しこなれると良いかもしれない。こなれたら間違いなく名著になる可能性があった。それが惜しい。
最初に言っておけば、学生の頃から経済人類学者の栗本慎一郎氏を私淑していたおかげで、割と速足で読めた。マルセル・モースの「 贈与論 」とか、ジョルジュ・バタイユ「 呪われた部分 」に近いことも書かれているし、恐らくこの著者も、現代では引退した栗本慎一郎氏の著書も少なくとも数冊は読まれている節があるのは、文脈ですぐ判明した(ほとんど読者は読んだことが無いとは思うが、参考文献にも出てないがとても似ているし、経済人類学・経済史学者のカール・ポランニーの提唱した、「互酬」、「再分配」などの用語もすらりと出てくる)。
一言で言えば、商売はハードボイルド(日本語で言えば任侠道)である。レイモンド・チャンドラーの小説に出てくる私立探偵マーロウの様に考えると良い。法的には違法でも、社会的には許される仕組み、それでも他の顧客の不可侵性とか、日本人が当然と思っていた常識の中心軸を動かされる刺激に満ちている。それでも道義的には禁じられる無意識の共同体の「愛と友情の秘訣は『金儲け』」という最終章のタイトルも衝撃的であるが、彼女の本を書いた意図がここで明かされる。
「ついで」の論理…彼らの日常的な助け合いの大部分は「ついで」で回っている。他者の「事情」に踏み込まず、メンバー相互の厳密な互酬性や義務と責任を問わず、無数に増殖拡大するネットワーク内の人々が、それぞれの「ついで」でできることをする。「「互いに無理やストレスを強いること」を、できるだけ回避しようとすること、をルールにしているように思われる」(p84)
信頼の欠如…「ブローカー業は、香港の地理や中古車業者のやり方・手口に不慣れなアフリカ系の顧客と、アフリカ系顧客のやり方に不慣れで信頼できる客かどうかを見極められない業者との「信用」を肩代わりすることで、手数料をかすめとる仕事である」(p105)。カラマたちの商売は、顧客と業者のあいだの「信頼の欠如」によって成立している。
この信頼の欠如をベースの成り立っている仲介業のプラットフォームが「TRUST」と名付けられている。そのもっとも重要な機能は「香港ブローカー全体に対する『漠然とした不信感』を担保しながら、そのつど特定の誰かに関する『偶発的で一時的な信用』を立ち上げる仕組み」(p143)である。
ただし、法的にはグレーな地下銀行の一種である。送金システムもインフォーマルなものだ。特に重要なのは、TRUSTが「信用できるブローカー/顧客」と「信用できないブローカー/顧客」を次第に明るみに出すものではないことである。これがレピュテーション(評判)によって格付けされる先進国で広がっている、クラウドファインディングやシェアエコノミーとの大きな違いである。
一言でいえば、その場限りの仁義。「彼らは他者の過去や現代の状況を詮索せず、人間はいつでも豹変しうることを前提にしながら、そのつどの状況・文脈に限定的な信頼を構築している」(p152)。
日本でも江戸末期から戦後直後あたりまでは、似た構造があったのだ。つまり侠客の世界だ。過去の日本でも他の縄張りに入る際に「仁義を切る」という行為があったが(清水次郎長の世界ですな)、戦後の暴対法によって、より闇の濃いアンダーグラウンド経済へと追いやられ、一般人をカモとする詐欺が増えだす。ちなみに著者が日本で流行っている「振り込め詐欺」についてボスのカラマと会話すると、「同じ仲間から詐欺するのは良いが、全くの他人から詐欺するのはいけない」と批判する。日本の常識からすると「?」と思うに違いない。これは社会、共同体を「生命体」としてメタレベルで考える必要がある。グレゴリー・ベイトソンは社会(システム)が相互関係の「精神」、関係のネットワークであると気づいていた節がある(参照:グレゴリー・ベイトソン「 精神と自然 生きた世界の認識論 」)。
けれど、「彼らは基本的に「自力で生きている」からこそ、本当に困った時には助けあうという関係が成り立つ」(p185)というバランス感覚は、古代の都市がその様に成立していたプロセスを理解すると判然とする。栗本慎一郎氏の著書で「 都市は、発狂する。―そして、ヒトはどこに行くのか 」という都市論の本があるが、このことが生理感覚として理解出来なければ、古本でも手に入れてこの本を読んで欲しいものだ。
「借り」を回すこと、本当に困った時は知り合いや共同体の人脈を使って無心したりするが、これらは返さなくても良い仕組みがあり、お互いに「誰かから返ってくる」と考える経済圏というか「構造」があるのだ。この辺が気になるなら、ぜひこの本を買って読んで欲しい。もしくは、ナタリー・サルトゥー=ラジュ「 借りの哲学 」が参考になるかもしれない。
タンザニア商人たちは、将来よりも今を生きる。だから儲けを貯金するより仲間を支援したり、みんなで派手に騒いだりして使ってしまう。しかし、著者はあくまでも「他者に必要とされる快楽」について懐疑的である(p230)ようだ。
「他者の多様性が生み出す『偶発的な応答』の可能性に賭ける」(p246)、この姿勢は「『異質性や流動性が高くて、誰が応えてくれるかわからない』という状況における戦略として不合理ではない」という指摘はとても当たっている。
思い出したのは、クリスチャン・ブッシュ「 セレンディピティ 点をつなぐ力 」で紹介された、「セレンディピティ」(偶有性)という言葉だ。つまり「セレンディピティ」が発動する場を、意図的に「経済」に埋め込んでいると考えても良い場面がある(勿論必ず発動するというわけでもない、いつ発動するかもわからないが)。
シェアリング経済はユーザー同士の格付け(レピュテーション)によって取引相手を選別し、ときに排除する。「シェア」という「ムラ社会」は、包摂的な響きを持つ言葉とは裏腹に、きわめて排他的になりうるということであり、それは異質なものが混入・侵入した場合に脆弱に成り得る「構造」がある。この辺が私が無意識に敬遠している理由でもある。私はシェアリング経済が、村八分や排除を行う「ムラ社会」に容易に変貌しうると指摘している気がした。
それに比べてこの本で紹介されている「誰も信頼できないし、状況によっては誰でも信頼できる」という、原始的な交易条件のもとで機能するシステムは、不測の事態において適応度が高いのだ。「出入り自由。他者に関心はもつが監視はしない。基本的に淡泊な人間関係」が最もストレスを感じないものだ。この辺は、古代の都市が村落社会でつまはじきや追い出された者達にによって都市の原型が成立したと、栗本慎一郎氏が指摘していたのを思い出した(参照は前掲書)。
濃密な人間関係を尊ばれる現代において、正に真逆と感じる人も多いだろうが、実際に「 沈黙交易 」が最も古来からある交易方法という報告もある。感染症との共存が叫ばれている現代でこそ、学ぶべき内容が含まれていると私は思った。沈黙交易は相手を全く信用していないところからの距離を置いた言葉を交わさない「交易」のことである。やがて恒常的に交易を始めて、徐々に距離を縮めて、中立地での「市」が生まれ、その周辺に住居を構え、やがて「都市」にまで発展する。モデル化は危険なので一概に言えないが、生理感覚として理解すべき内容なので著者である小川さやか氏も文章からその苦労が伺える。
それでも、著者が今一つ残念なのは、メタレベルで包括的な「システム」思考によるまとめ方が実はあまり上手では無い節がある。確かに参与観察をしていると、枝葉末節が気になる部分が多すぎて難しいことではあるが、説明する際の編集的「抽象化」も時には大切な気もした。文体がもう少しこなれると良いかもしれない。こなれたら間違いなく名著になる可能性があった。それが惜しい。
2019年12月27日に日本でレビュー済み
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この人に会えたらなと思ってこの前
ピンポンマンションならぬ チョンキンマンションに行ってみましたが不在でした。
今度の正月にも家族で行ってみます。
チョンキンマンションは21世紀に残る最後の「昔の香港」です。
ジャッキーチェンもびっくりですよ。
クーロンの面影が3%位はありますよ。
ピンポンマンションならぬ チョンキンマンションに行ってみましたが不在でした。
今度の正月にも家族で行ってみます。
チョンキンマンションは21世紀に残る最後の「昔の香港」です。
ジャッキーチェンもびっくりですよ。
クーロンの面影が3%位はありますよ。
2021年2月11日に日本でレビュー済み
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読書には自分の知らない世界を知る楽しさがあるが、文化人類学者の小川さやか氏が目の前に見せてくれた世界は、香港に居住するタンザニア人達のリアルな日常であった。(著者は半年間、チョンキンマンションに住み、堪能なスワヒリ語と英語を駆使して、香港タンザニア組合のボス的存在のカラマに取材を続ける。相手の懐に入ってしまうような小川氏の才能と行動力は偉大だ。)
そして、そこで行われている、インフォーマル経済の実態を解き明かしてくれる。それは、現代の効率優先主義とは対極をなすもので、「開かれた互酬性で、多様な人々と緩やかにつながる世界」であり、「(私はあなたと共にあるという)シェアリング経済」であると言う。興味深い内容であるとともに、読書の楽しさを存分に味わえる本でした。
そして、そこで行われている、インフォーマル経済の実態を解き明かしてくれる。それは、現代の効率優先主義とは対極をなすもので、「開かれた互酬性で、多様な人々と緩やかにつながる世界」であり、「(私はあなたと共にあるという)シェアリング経済」であると言う。興味深い内容であるとともに、読書の楽しさを存分に味わえる本でした。