昨年『夜と霧』を読んでいたとき、これも読まないといけないのではと思って買っておいたものをやっと読めた。
『夜と霧』はユダヤ人のホロコーストで『望郷と海』はシベリア抑留と、そもそも別のものではあるが、自己の内面の掘り下げ様では『望郷と海』はよりより深くてえげつないものがある。本書の後半は石原が帰国後の内面を掘り返すような日記になっているのだが、こちらはさらにきつい内容になっている。
落ち込んでいる時に読むようなものではない。
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望郷と海 (ちくま学芸文庫) Kindle版
1945年、ハルピンでソ連軍に抑留された著者は、1953年に特赦で日本に帰還するまでの8年間、シベリア各地のラーゲリを転々とした。極寒の地での激しい強制労働、栄養失調、それに同じ囚人の密告などなど。帰還後、著者は自己の経験をすこしずつ詩に、そして散文に書きとめる。まさにそれは、その経験を語りうる統覚と主体の再構成を意味していた。本書は、「告発せず」を貫きながら、何より厳しく自己の精神と魂のありようを見つめつづけた稀有の記録である。
- 言語日本語
- 出版社筑摩書房
- 発売日1997/8/7
- ファイルサイズ374 KB
- 販売: Amazon Services International LLC
- Kindle 電子書籍リーダーFire タブレットKindle 無料読書アプリ
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登録情報
- ASIN : B00GJO7VRG
- 出版社 : 筑摩書房 (1997/8/7)
- 発売日 : 1997/8/7
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 374 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 277ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 113,324位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 593位ちくま学芸文庫
- - 2,051位エッセー・随筆 (Kindleストア)
- - 2,848位近現代日本のエッセー・随筆
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2023年9月6日に日本でレビュー済み
シベリア抑留の過酷な環境下、収容者どうしのあいだに生じた敵対と連帯の奇妙な関係性。さながら学習性無力感の極限のありようとしての、他者および自己への無関心。そうした一切を生き延びた人が帰国後に詩と出会い、自己と出会いなおしたその孤独な足跡は、彼にとっては宿命だが、それを読む者には奇跡だ。
「一人の人間にたいする罪は、一つの集団にたいする罪よりはるかに重い。大量殺戮(ジェノサイド)のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある」
傷つきと恢復を経て達したこの倫理に、脳震盪のような衝撃をくらった。
【目次】
I
確認されない死のなかで──強制収容所における一人の死
ある〈共生〉の経験から
ペシミストの勇気について
オギーダ
沈黙と失語
強制された日常から
終りの未知──強制収容所の日常
望郷と海
弱者の正義──強制収容所内の密告
II
沈黙するための言葉
不思議な場面で立ちどまること
『邂逅』について
棒をのんだ話 Vot tak! (そんなことだと思った)
肉親へあてた手紙──一九五九年一〇月
III
一九五六年から一九五八年までのノートから
一九五九年から一九六二年までのノートから
一九六三年以後のノートから
付 自編年譜
初稿掲載紙誌一覧
解説 問題はつねに、一人の単独者の姿にかかっている──今、石原吉郎を読むということ(岡真理)
【備忘】
I
シベリア抑留と強制労働 一般捕虜と民間抑留者 ラーゲリ(強制収容所)での奇妙な共生 数と名前 食缶組 不信感の紐帯 鹿野武一 かくし戦犯 バム(バイカル・アムール鉄道)地帯 捕虜と囚人 明確なペシミスト ストルイピンカ(拘禁車) 飢え、渇き、排便 一日だけの希望に頼る 五列の隊伍 実戦経験の少ない少年兵の恐ろしさ 深い傷つきと緩慢な恢復 強制収容所は根源的な沈黙を人間に強いる 単独者 自殺は敗北である マシカ(毒ぶよ) 隣人の苦痛への徹底した無関心 経験者の沈黙 沈黙と失語 冬と冬以外 連帯はなく秩序だけがあった 原点 生存と堕落 ノルマ制と増食組/減食組 「おいで、ヤポンスキイ。おひるだよ。」 恢復と生きる目標 死刑囚の恩赦妄想と不定期囚の執行猶予妄想 不定期囚と受刑地 忘れられることへの恐怖 故国の倫理 思郷、望郷、怨郷、忘郷 海を失う 深い疲労 針と密告 貨幣の代用物 弱者のいやらしさ
「海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである」。
II
沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことば 告発しないという決意 政治への徹底的な不信 巣鴨の戦犯とシベリヤの戦犯 戦争責任を背負わされる シベリヤ帰り それぞれの孤独のなかで自分自身を組み立て直す
「棒をのんだ話」がちょっと饒舌ぎみのカフカみたいでおもしろかった。それぞれの深い孤独をおたがいに尊重しあうという、いわば単独者の倫理には共感する。
III
『死にいたる病』 敵を恐れるな、友を恐れるな、無関心なひとびとを恐れよ 聖書と汝 救済への不信 職場の人間関係への無関心、隣人にたいする愛情の欠如 自分に問うことを忘れてはいけない 自分を愛すること 椎名麟三『邂逅』 新しい人間 日に一度日記を書くことで毎日の生活を整理する 生活は実際に人を殺すことができる 自分の症状に気づくこと 事業と才能の世界のなかに、なお人間として立ちつづける あらゆる問題に対する無関心、日常性への埋没 どのようにしても生き生きと生きる人間 酒と煙草 聖書を避ける アイヒマンの孤独 僕はいつも序論ばかり書いている
巻末の岡真理の解説もよかった。戦後の「日本は本当に「平和」だったのか。その平和は、誰の、どのような平和だったのか。何を忘却した上に成り立つ平和だったのか」と、私たちは問うべきだ──そのように指摘する岡は、単独者としての石原吉郎に、自身も岡真理という単独者として、他人から借りたことばではなく単独者のことばで応答を試みる。その真摯な「読み」と「書き」を読んでいたら、なんだか彼女の著作も読んでみたくなった。
【石原吉郎に影響を与えた本】
聖書
キルケゴール『死にいたる病』
カール・バルト『ローマ書講解』
ドストエフスキー
椎名麟三『邂逅』『美しい女』
大岡昇平『野火』
【引用】
▶強制された日常から
……人びとは文字どおり自分を喜ばせることを忘れているのであり、
あらためてそれを学びなおさなければならないのである。
フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳)
『夜と霧』を読んで、もっとも私が感動するのは、強制収容所から解放された直後の囚人の混迷と困惑を描写した末尾のこの部分である。
彼らはとつぜん目の前に開けた、信じられないほどの空間を前にしながら、終日収容所の周辺をさまよい歩いたあげく、夜になると疲れきって収容所へ戻ってくるのである。これが、強制された日常から、彼らにとってあれほど親しかったはずのもう一つの日常へ〈復帰〉するときの、いわばめまいのような瞬間であり、人間であることを断念させられた者が、不意に人間の姿へ呼びもどされる瞬間の、恐れに近い不信の表情なのである。
それはおそらく、彼らが経験しなければならなかったかずかずの悲惨の終焉ではない。それは彼らが、〈もう一つの日常〉のなかで徐々に覚醒して行く目で、自分たちが通過して来た目のくらむような過程の一つ一つを遡行して行くその最初の一歩であり、 およそ苦痛の名に値するものはそのときからはじまるのであって、それらの過程のことごとくを遡行しつくすまでは、〈もう一つの日常〉への安住なぞおよそありえないのである。
私が〈恢復期〉という言葉で考えようとしているのは、このような苦痛によって裏打ちされた特殊な期間の経験である。強制収容という異常な拘禁状態と、これにつづく解放期―恢復期との関係は、前者において状況だけがほとんど先取りされ、これに対応する苦痛は後者、恢復期へ保留されていること、すなわち拘禁状態にたいする本当の苦痛は、拘禁が終ったのち、徐々に、あるいは急速に始まるということである。
さらに、この二つの期間のもう一つの特徴は、肉体と精神の反応がはっきり分裂していることであって、このことは、恢復期における両者の立直りのテンポが大きくずれていることのなかに集約的にあらわれている。というよりは、両者ははっきりと別の方向をたどる。 肉体は正確に現実に反応する。それはフランクルがいうように、文字どおり現実に「つかみかかる」。それは正確に生理学的な法則をたどって恢復し、ついに「恢復しすぎる」に到る。だが精神は、このときようやく拘禁そのものの苦痛を遡行し、経験しはじめるのである。
この、いわば異常肥大化する肉体と、解放の時期にはじめて収監される、極度にいたみやすい精神とのあいだの断層が、実は恢復期の痛みの実体なのである。このような恢復期を二度──一度はハバロフスク、二度目は帰国直後の日本で私は経験した。
(60-61頁)
その頃、私は市内の建築現場で働いていたが、ある日出来あがったばかりのバルコニーから、茫然と街を見おろしていたとき、かたわらの壁のかげで誰かが泣いている気配に気づいた。私のよく知っている男であった。十七のとき抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの〈少年〉が、声をころして泣きじゃくるさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった。彼はやっと泣けるようになったのである。バム地帯で私たちは、およそ一滴の涙も流さなかった。
(74頁)
春がすぎるとともに、私たちは目立って陽気で開放的になったが、その過程はあきらかに不自然であり、シニカルであった。この期間はいわば〈解放猶予〉ともいうべき期間であり、この時期に私たちは、自由ということについて実に多くの錯誤をおかしたのである。
最大の錯誤は、人を「許しすぎた」ことである。混乱はまず、私たちのあいだの不自然な寛容となってあらわれた。病的に信じやすい、酔ったような状態がこれにつづいた。
「おなじ釜のめしを食った」といった言葉が、無造作に私たちを近づけたかにみえた。おなじ釜のめしをどのような苦痛をもって分けあったかということは、ついに不問に附されたのである。たがいに生命をおかしあったという事実の確認を、一挙に省略したかたちで成立したこの結びつきは、自分自身を一方的に、無媒介に被害の側へ置くことによって、かろうじて成立しえた連帯であった。それは、われわれは相互に加害者であったかもしれないが、全体として結局被害者なのであり、理不尽な管理下での犠牲者なのだ、という発想から出発している。それはまぎれもない平均的、集団的発想であり、隣人から隣人へと問われて行かなければならないはずの、バム地帯での責任をただ「忘れる」ことでなれあって行くことでしかない。私たちは無媒介に許しても、許されてもならないはずであった。
私が媒介というのは、一人が一人にたいする責任のことである。一人の人間にたいする罪は、一つの集団にたいする罪よりはるかに重い。大量殺戮(ジェノサイド)のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある。そしてその罪は、ジェノサイドを告発する側も、まったくおなじ次元で犯しているのである。戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命にたいする罪である。およそその一点から出発しないかぎり、私たちの問題はついに拡散をまぬかれない。
(75頁)
▶1956年から1958年までのノートから
聖書につまずくということは、つまずき得るということは、私たちにつまずきうるほどの情熱、つまずきうるほどの誠実、つまずきうるほどの単純さがあることを意味している。私たちがつまずく個所、抵抗を受ける個所から、聖書の理解が開けるのはその故である。地面に軽くおかれただけの犂は、どのような抵抗も受けることはない。しかし地中に深く打ちこまれた犂を曳く馬は、全身であえがなければならぬ。
私たちが、この世の出来事に深くつまずくなら、それは私たちの深い関心のしるしであり、この世に対する責任の証しである。
しかし私自身は、おそらく聖書にも、現実のこの不条理にもつまずかない。聖書が荒唐無稽であるのはごく当りまえのことであるし、この現実の不条理は、幾分の倦怠とともに、半ばいやいやながら、しかし肯定せざるを得ないと考えているにすぎない。私自身は「問いかける」気力をうしなってからすでに久しい。それは遠くシベリヤの時期、いやもっと前、もっと前……に遡る。そうして、ヨブのあのたくましい問いは、所詮私には神話だったのだ。(5・20)
(213頁)
「一人の人間にたいする罪は、一つの集団にたいする罪よりはるかに重い。大量殺戮(ジェノサイド)のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある」
傷つきと恢復を経て達したこの倫理に、脳震盪のような衝撃をくらった。
【目次】
I
確認されない死のなかで──強制収容所における一人の死
ある〈共生〉の経験から
ペシミストの勇気について
オギーダ
沈黙と失語
強制された日常から
終りの未知──強制収容所の日常
望郷と海
弱者の正義──強制収容所内の密告
II
沈黙するための言葉
不思議な場面で立ちどまること
『邂逅』について
棒をのんだ話 Vot tak! (そんなことだと思った)
肉親へあてた手紙──一九五九年一〇月
III
一九五六年から一九五八年までのノートから
一九五九年から一九六二年までのノートから
一九六三年以後のノートから
付 自編年譜
初稿掲載紙誌一覧
解説 問題はつねに、一人の単独者の姿にかかっている──今、石原吉郎を読むということ(岡真理)
【備忘】
I
シベリア抑留と強制労働 一般捕虜と民間抑留者 ラーゲリ(強制収容所)での奇妙な共生 数と名前 食缶組 不信感の紐帯 鹿野武一 かくし戦犯 バム(バイカル・アムール鉄道)地帯 捕虜と囚人 明確なペシミスト ストルイピンカ(拘禁車) 飢え、渇き、排便 一日だけの希望に頼る 五列の隊伍 実戦経験の少ない少年兵の恐ろしさ 深い傷つきと緩慢な恢復 強制収容所は根源的な沈黙を人間に強いる 単独者 自殺は敗北である マシカ(毒ぶよ) 隣人の苦痛への徹底した無関心 経験者の沈黙 沈黙と失語 冬と冬以外 連帯はなく秩序だけがあった 原点 生存と堕落 ノルマ制と増食組/減食組 「おいで、ヤポンスキイ。おひるだよ。」 恢復と生きる目標 死刑囚の恩赦妄想と不定期囚の執行猶予妄想 不定期囚と受刑地 忘れられることへの恐怖 故国の倫理 思郷、望郷、怨郷、忘郷 海を失う 深い疲労 針と密告 貨幣の代用物 弱者のいやらしさ
「海をわたるには、なによりも海を見なければならなかったのである」。
II
沈黙を語るためのことば、沈黙するためのことば 告発しないという決意 政治への徹底的な不信 巣鴨の戦犯とシベリヤの戦犯 戦争責任を背負わされる シベリヤ帰り それぞれの孤独のなかで自分自身を組み立て直す
「棒をのんだ話」がちょっと饒舌ぎみのカフカみたいでおもしろかった。それぞれの深い孤独をおたがいに尊重しあうという、いわば単独者の倫理には共感する。
III
『死にいたる病』 敵を恐れるな、友を恐れるな、無関心なひとびとを恐れよ 聖書と汝 救済への不信 職場の人間関係への無関心、隣人にたいする愛情の欠如 自分に問うことを忘れてはいけない 自分を愛すること 椎名麟三『邂逅』 新しい人間 日に一度日記を書くことで毎日の生活を整理する 生活は実際に人を殺すことができる 自分の症状に気づくこと 事業と才能の世界のなかに、なお人間として立ちつづける あらゆる問題に対する無関心、日常性への埋没 どのようにしても生き生きと生きる人間 酒と煙草 聖書を避ける アイヒマンの孤独 僕はいつも序論ばかり書いている
巻末の岡真理の解説もよかった。戦後の「日本は本当に「平和」だったのか。その平和は、誰の、どのような平和だったのか。何を忘却した上に成り立つ平和だったのか」と、私たちは問うべきだ──そのように指摘する岡は、単独者としての石原吉郎に、自身も岡真理という単独者として、他人から借りたことばではなく単独者のことばで応答を試みる。その真摯な「読み」と「書き」を読んでいたら、なんだか彼女の著作も読んでみたくなった。
【石原吉郎に影響を与えた本】
聖書
キルケゴール『死にいたる病』
カール・バルト『ローマ書講解』
ドストエフスキー
椎名麟三『邂逅』『美しい女』
大岡昇平『野火』
【引用】
▶強制された日常から
……人びとは文字どおり自分を喜ばせることを忘れているのであり、
あらためてそれを学びなおさなければならないのである。
フランクル『夜と霧』(霜山徳爾訳)
『夜と霧』を読んで、もっとも私が感動するのは、強制収容所から解放された直後の囚人の混迷と困惑を描写した末尾のこの部分である。
彼らはとつぜん目の前に開けた、信じられないほどの空間を前にしながら、終日収容所の周辺をさまよい歩いたあげく、夜になると疲れきって収容所へ戻ってくるのである。これが、強制された日常から、彼らにとってあれほど親しかったはずのもう一つの日常へ〈復帰〉するときの、いわばめまいのような瞬間であり、人間であることを断念させられた者が、不意に人間の姿へ呼びもどされる瞬間の、恐れに近い不信の表情なのである。
それはおそらく、彼らが経験しなければならなかったかずかずの悲惨の終焉ではない。それは彼らが、〈もう一つの日常〉のなかで徐々に覚醒して行く目で、自分たちが通過して来た目のくらむような過程の一つ一つを遡行して行くその最初の一歩であり、 およそ苦痛の名に値するものはそのときからはじまるのであって、それらの過程のことごとくを遡行しつくすまでは、〈もう一つの日常〉への安住なぞおよそありえないのである。
私が〈恢復期〉という言葉で考えようとしているのは、このような苦痛によって裏打ちされた特殊な期間の経験である。強制収容という異常な拘禁状態と、これにつづく解放期―恢復期との関係は、前者において状況だけがほとんど先取りされ、これに対応する苦痛は後者、恢復期へ保留されていること、すなわち拘禁状態にたいする本当の苦痛は、拘禁が終ったのち、徐々に、あるいは急速に始まるということである。
さらに、この二つの期間のもう一つの特徴は、肉体と精神の反応がはっきり分裂していることであって、このことは、恢復期における両者の立直りのテンポが大きくずれていることのなかに集約的にあらわれている。というよりは、両者ははっきりと別の方向をたどる。 肉体は正確に現実に反応する。それはフランクルがいうように、文字どおり現実に「つかみかかる」。それは正確に生理学的な法則をたどって恢復し、ついに「恢復しすぎる」に到る。だが精神は、このときようやく拘禁そのものの苦痛を遡行し、経験しはじめるのである。
この、いわば異常肥大化する肉体と、解放の時期にはじめて収監される、極度にいたみやすい精神とのあいだの断層が、実は恢復期の痛みの実体なのである。このような恢復期を二度──一度はハバロフスク、二度目は帰国直後の日本で私は経験した。
(60-61頁)
その頃、私は市内の建築現場で働いていたが、ある日出来あがったばかりのバルコニーから、茫然と街を見おろしていたとき、かたわらの壁のかげで誰かが泣いている気配に気づいた。私のよく知っている男であった。十七のとき抑留され、ハバロフスクで二十二になったこの〈少年〉が、声をころして泣きじゃくるさまに、私は心を打たれた。泣く理由があって、彼が泣いているのではなかった。彼はやっと泣けるようになったのである。バム地帯で私たちは、およそ一滴の涙も流さなかった。
(74頁)
春がすぎるとともに、私たちは目立って陽気で開放的になったが、その過程はあきらかに不自然であり、シニカルであった。この期間はいわば〈解放猶予〉ともいうべき期間であり、この時期に私たちは、自由ということについて実に多くの錯誤をおかしたのである。
最大の錯誤は、人を「許しすぎた」ことである。混乱はまず、私たちのあいだの不自然な寛容となってあらわれた。病的に信じやすい、酔ったような状態がこれにつづいた。
「おなじ釜のめしを食った」といった言葉が、無造作に私たちを近づけたかにみえた。おなじ釜のめしをどのような苦痛をもって分けあったかということは、ついに不問に附されたのである。たがいに生命をおかしあったという事実の確認を、一挙に省略したかたちで成立したこの結びつきは、自分自身を一方的に、無媒介に被害の側へ置くことによって、かろうじて成立しえた連帯であった。それは、われわれは相互に加害者であったかもしれないが、全体として結局被害者なのであり、理不尽な管理下での犠牲者なのだ、という発想から出発している。それはまぎれもない平均的、集団的発想であり、隣人から隣人へと問われて行かなければならないはずの、バム地帯での責任をただ「忘れる」ことでなれあって行くことでしかない。私たちは無媒介に許しても、許されてもならないはずであった。
私が媒介というのは、一人が一人にたいする責任のことである。一人の人間にたいする罪は、一つの集団にたいする罪よりはるかに重い。大量殺戮(ジェノサイド)のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある。そしてその罪は、ジェノサイドを告発する側も、まったくおなじ次元で犯しているのである。戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命にたいする罪である。およそその一点から出発しないかぎり、私たちの問題はついに拡散をまぬかれない。
(75頁)
▶1956年から1958年までのノートから
聖書につまずくということは、つまずき得るということは、私たちにつまずきうるほどの情熱、つまずきうるほどの誠実、つまずきうるほどの単純さがあることを意味している。私たちがつまずく個所、抵抗を受ける個所から、聖書の理解が開けるのはその故である。地面に軽くおかれただけの犂は、どのような抵抗も受けることはない。しかし地中に深く打ちこまれた犂を曳く馬は、全身であえがなければならぬ。
私たちが、この世の出来事に深くつまずくなら、それは私たちの深い関心のしるしであり、この世に対する責任の証しである。
しかし私自身は、おそらく聖書にも、現実のこの不条理にもつまずかない。聖書が荒唐無稽であるのはごく当りまえのことであるし、この現実の不条理は、幾分の倦怠とともに、半ばいやいやながら、しかし肯定せざるを得ないと考えているにすぎない。私自身は「問いかける」気力をうしなってからすでに久しい。それは遠くシベリヤの時期、いやもっと前、もっと前……に遡る。そうして、ヨブのあのたくましい問いは、所詮私には神話だったのだ。(5・20)
(213頁)
2018年3月13日に日本でレビュー済み
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大学の頃友人らと同人誌を何冊か出しました。その時石原吉郎さんについて書きました。
2018年11月17日に日本でレビュー済み
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高校2年生の国語の教科書で石原吉郎に出会ってから今まで、もう何度も何度も読み返してボロボロになった、座右の書。恐らく石原吉郎の思想のエッセンスが最も端的に凝縮されている本がこの一冊。
石原吉郎の思想は、鹿野武一とのエピソードを絡めて『ペシミストの勇気について』等の「加害と被害の同在」に関して特に語られがちだが、私が昔から関心を抱いていたのは主にそこではなく、「およそ日常となりえないどのような悲惨も極限も、この世界にはない(『強制された日常から』)」事から来る、「苦痛そのものより、苦痛の記憶を取りもどして行く過程の方が、はるかに重く苦しい(『強制された日常から』)」実感であった。
世にある石原吉郎論の中で、彼の思想のこの部分に余り触れられている様に感じないのは、この一見矛盾している様な思想を、実感レベルで理解している者が少ないからではないだろうか。
私が実感として理解出来るのも、恐らく20年程の長きに渡りいじめと虐待と家庭内暴力の中で「強制収容」されて来たせいだろう。
有り体に言ってしまえば、これらは今の病名で言う所の「複雑性PTSD」である。悲惨や極限が日常と化してしまうのは解離により「経験することを放棄した結果(『終わりの未知』)」であり、そうした環境に適応した生体システムを持つに至った末には「どんなかたちでも私たちの服従が破られることをのぞまなくなる(『沈黙と失語』)」。そうして、自尊心を高め侮蔑から脱する事自体がこの生体システムに逆らう禁忌となり、自らが当たり前の如く尊重される度、あの侮蔑と屈辱との激しい落差に怒り、傷付き、フラッシュバックを起こして苦しむのである。
これらの反応は、今でこそ精神科領域で広く知られつつあるが、ベトナム戦争の帰還兵によってやっとPTSDの存在がアメリカで認知され始めたばかりの1960年代に、既にここまで詳細な病理考察を行っていた石原には、驚く他ない。
詩歌を好む人だけでなく、トラウマに悩まされている人々にも広くお勧めしたい一冊である。
石原吉郎の思想は、鹿野武一とのエピソードを絡めて『ペシミストの勇気について』等の「加害と被害の同在」に関して特に語られがちだが、私が昔から関心を抱いていたのは主にそこではなく、「およそ日常となりえないどのような悲惨も極限も、この世界にはない(『強制された日常から』)」事から来る、「苦痛そのものより、苦痛の記憶を取りもどして行く過程の方が、はるかに重く苦しい(『強制された日常から』)」実感であった。
世にある石原吉郎論の中で、彼の思想のこの部分に余り触れられている様に感じないのは、この一見矛盾している様な思想を、実感レベルで理解している者が少ないからではないだろうか。
私が実感として理解出来るのも、恐らく20年程の長きに渡りいじめと虐待と家庭内暴力の中で「強制収容」されて来たせいだろう。
有り体に言ってしまえば、これらは今の病名で言う所の「複雑性PTSD」である。悲惨や極限が日常と化してしまうのは解離により「経験することを放棄した結果(『終わりの未知』)」であり、そうした環境に適応した生体システムを持つに至った末には「どんなかたちでも私たちの服従が破られることをのぞまなくなる(『沈黙と失語』)」。そうして、自尊心を高め侮蔑から脱する事自体がこの生体システムに逆らう禁忌となり、自らが当たり前の如く尊重される度、あの侮蔑と屈辱との激しい落差に怒り、傷付き、フラッシュバックを起こして苦しむのである。
これらの反応は、今でこそ精神科領域で広く知られつつあるが、ベトナム戦争の帰還兵によってやっとPTSDの存在がアメリカで認知され始めたばかりの1960年代に、既にここまで詳細な病理考察を行っていた石原には、驚く他ない。
詩歌を好む人だけでなく、トラウマに悩まされている人々にも広くお勧めしたい一冊である。
2016年8月10日に日本でレビュー済み
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僕は51歳になるけど、なぜか新しいさを感じる。読んでてまだ読みたい。
2008年9月22日に日本でレビュー済み
シベリア抑留という捕虜生活の実情を語っている。
戦時なので、捕虜にまで人権を意識することは難しい。
それでも、事実としての記録がないと、歴史は繰り返される。
戦時なので、捕虜にまで人権を意識することは難しい。
それでも、事実としての記録がないと、歴史は繰り返される。
2010年12月21日に日本でレビュー済み
シベリア抑留版『夜と霧』と言えよう。フランクルと並ぶほどの深い衝撃を与える本だ。
シベリア抑留を生き延びた詩人、石原吉郎のエッセイ集。
沖縄出身の芥川賞作家、目取真俊は、石原吉郎を読むことをこう評した。「人間が生きる上で抱え込まざるを得ない矛盾に目をつむり複雑な現実を単純化していく世の中の流れにあえて逆らって、現実の難しさに向かい続けていく。その意思を持つことなんだと思う。」
本書を読むと、おのれの立ち位置を揺さぶられる。極寒、飢え、過酷な労働。苛烈をきわめる状況の中で、社会的な称号が剥ぎとられた人間は、その本性をあらわにする。
身も蓋もないくくり方だが、私は「極限状況モノ」が好きだ。具体例を挙げると、飛行機墜落事故や、人類絶滅の光景にとても引きつけられる。なぜなら、自分が間もなく死ぬことがわかった瞬間、普段私たちに見えない、もしくはあえて見ないようにしている人間の本質が、あっけなくあらわになるからだ。その本質は、大方はすごく残酷で、悲しいものばかりだ。しかし、だからこそ、極限下でも必死に理性を保とうとする最後の「人間性」は、なおいっそう輝くのではないか。人間の本性を、あえて見ないようにして表面的な享楽ばかり追い求める社会は、その最後の輝きを失わせる。おのれをヒトたらしめる理性を保持しようともがく一方で、思考をやめ、状況に流され、剥きだしの欲望に没入していく。両者を併せもつ人間という存在の姿を直視することは、「生きる上で抱え込まざるを得ない矛盾」をしっかりと見据えることなのだ。
石原吉郎は、強制収容所のソ連軍も、自分たちを置いてけぼりにした日本も、誰も告発しない。ただ、自分の内側を問い続ける。シベリア抑留を生み出す心性は、自分の「外」ではなく「内」にあることを知っているからだ。日本社会は今でも、ひとかわむけば、彼の過ごした過酷な強制収容所と変わらない。「孤独とはけっして単独な状態ではない。孤独はのがれがたく連帯のなかにはらまれている。」と彼が称した言葉は、今も生きている。彼の本は、自分の、そして人間の弱さに向き合うことを、「人間性」を徹底的に疑ってかかることを教えてくれる。 (by ちゅら@<おとなの社会科>)
シベリア抑留を生き延びた詩人、石原吉郎のエッセイ集。
沖縄出身の芥川賞作家、目取真俊は、石原吉郎を読むことをこう評した。「人間が生きる上で抱え込まざるを得ない矛盾に目をつむり複雑な現実を単純化していく世の中の流れにあえて逆らって、現実の難しさに向かい続けていく。その意思を持つことなんだと思う。」
本書を読むと、おのれの立ち位置を揺さぶられる。極寒、飢え、過酷な労働。苛烈をきわめる状況の中で、社会的な称号が剥ぎとられた人間は、その本性をあらわにする。
身も蓋もないくくり方だが、私は「極限状況モノ」が好きだ。具体例を挙げると、飛行機墜落事故や、人類絶滅の光景にとても引きつけられる。なぜなら、自分が間もなく死ぬことがわかった瞬間、普段私たちに見えない、もしくはあえて見ないようにしている人間の本質が、あっけなくあらわになるからだ。その本質は、大方はすごく残酷で、悲しいものばかりだ。しかし、だからこそ、極限下でも必死に理性を保とうとする最後の「人間性」は、なおいっそう輝くのではないか。人間の本性を、あえて見ないようにして表面的な享楽ばかり追い求める社会は、その最後の輝きを失わせる。おのれをヒトたらしめる理性を保持しようともがく一方で、思考をやめ、状況に流され、剥きだしの欲望に没入していく。両者を併せもつ人間という存在の姿を直視することは、「生きる上で抱え込まざるを得ない矛盾」をしっかりと見据えることなのだ。
石原吉郎は、強制収容所のソ連軍も、自分たちを置いてけぼりにした日本も、誰も告発しない。ただ、自分の内側を問い続ける。シベリア抑留を生み出す心性は、自分の「外」ではなく「内」にあることを知っているからだ。日本社会は今でも、ひとかわむけば、彼の過ごした過酷な強制収容所と変わらない。「孤独とはけっして単独な状態ではない。孤独はのがれがたく連帯のなかにはらまれている。」と彼が称した言葉は、今も生きている。彼の本は、自分の、そして人間の弱さに向き合うことを、「人間性」を徹底的に疑ってかかることを教えてくれる。 (by ちゅら@<おとなの社会科>)
2009年12月8日に日本でレビュー済み
詩人石原吉郎は、1945年、ハルビンでソ連軍に捉えられ、1953年の帰国までの大部分を、(単なる捕虜でなく) 戦犯として、シベリアで過酷な囚人生活を送った。
本書は1970年前後に出版されたエッセイ13編と手紙1通、他に1956年から60年台までの「ノートから」を含む。
著者の文章は、分かりにくい部分もあるが、核心をつく発言をしている。
「強制された日常から」には、次のような記述がある:
(著者たちは一度に3、4日ずつ囚人列車で護送され、1日1回しか便所に行けない)
==わずか三日間の輸送のあいだに経験させられたかずかずの苦痛は、私たちのなかへかろうじてささえて来た一種昂然たるものを、あとかたもなく押しつぶした。ペレスールカ(中継収容所)での私たちの言動には、すでに卑屈なもののかげが掩いがたくつきまとっており、誰もがおたがいの卑屈さに目をそむけあった。==
(囚人は、ノルマ達成度によって食事の量に差をつけられた)
==このいわば<不動食>にありつくために、多少とも体力の残っている囚人は、その全力をかけるのである。そのあげくにかろうじてありつく増食が、そのために消耗した体力をまかなうことはほとんどない。私たちはながい適応の経験から、そのことを知りつくしているはずであった。だが、現実に目の前に置かれる日ごとのパンの重みは、結局は一切の教訓をのりこえる。==
==このような食事がさいげんもなく続くにつれて、私たちは、人間とは最終的に一人の規模で、許しがたく生命を犯しあわざるをえないものであるという、確信に近いものに到達する。・・・その強制にさいげんもなく呼応したことは、あくまで支配される者の側の堕落である。しかも私たちは、甘んじて堕落したとはっきりいわなければならない。==
本書は1970年前後に出版されたエッセイ13編と手紙1通、他に1956年から60年台までの「ノートから」を含む。
著者の文章は、分かりにくい部分もあるが、核心をつく発言をしている。
「強制された日常から」には、次のような記述がある:
(著者たちは一度に3、4日ずつ囚人列車で護送され、1日1回しか便所に行けない)
==わずか三日間の輸送のあいだに経験させられたかずかずの苦痛は、私たちのなかへかろうじてささえて来た一種昂然たるものを、あとかたもなく押しつぶした。ペレスールカ(中継収容所)での私たちの言動には、すでに卑屈なもののかげが掩いがたくつきまとっており、誰もがおたがいの卑屈さに目をそむけあった。==
(囚人は、ノルマ達成度によって食事の量に差をつけられた)
==このいわば<不動食>にありつくために、多少とも体力の残っている囚人は、その全力をかけるのである。そのあげくにかろうじてありつく増食が、そのために消耗した体力をまかなうことはほとんどない。私たちはながい適応の経験から、そのことを知りつくしているはずであった。だが、現実に目の前に置かれる日ごとのパンの重みは、結局は一切の教訓をのりこえる。==
==このような食事がさいげんもなく続くにつれて、私たちは、人間とは最終的に一人の規模で、許しがたく生命を犯しあわざるをえないものであるという、確信に近いものに到達する。・・・その強制にさいげんもなく呼応したことは、あくまで支配される者の側の堕落である。しかも私たちは、甘んじて堕落したとはっきりいわなければならない。==