短編集ということで、短い時間に気軽に読めるような手軽さがあります。
各話、実に考察しがいのある暗示的な表現や現象が散りばめられており、読後の考察等も含めてとても楽しかったです!
世界的作家ということもあり、村上作品はどんな短い話であれ考察論文やサイトが多数アップされています。自分の考察と村上読者との考察がどれだけ離れているか、とてもワクワクしながら検索を進めていました。それはまさに感想を他人と語り合う会話のようでもあり、それらも含めて☆5の評価に値する楽しい本だと思います。
Kindle 価格: | ¥713 (税込) |
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女のいない男たち (文春文庫) Kindle版
舞台俳優・家福をさいなみ続ける亡き妻の記憶。彼女はなぜあの男と関係したのかを追う「ドライブ・マイ・カー」。妻に去られた男は会社を辞めバーを始めたが、ある時を境に店を怪しい気配が包み謎に追いかけられる「木野」。封印されていた記憶の数々を解くには今しかない。見慣れたはずのこの世界に潜む秘密を探る6つの物語。村上春樹の最新短篇集。
- 言語日本語
- 出版社文藝春秋
- 発売日2016/10/7
- ファイルサイズ992 KB
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登録情報
- ASIN : B01LYN5VFK
- 出版社 : 文藝春秋 (2016/10/7)
- 発売日 : 2016/10/7
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 992 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 251ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 16,322位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 199位文春文庫
- - 258位日本文学研究
- - 279位評論・文学研究 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1949(昭和24)年、京都府生れ。早稲田大学文学部卒業。
1979年、『風の歌を聴け』でデビュー、群像新人文学賞受賞。主著に『羊をめぐる冒険』(野間文芸新人賞)、『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』(谷崎潤一郎賞受賞)、『ねじまき鳥クロニクル』(読売文学賞)、『ノルウェイの森』、『アンダーグラウンド』、『スプートニクの恋人』、『神の子どもたちはみな踊る』、『海辺のカフカ』、『アフターダーク』など。『レイモンド・カーヴァー全集』、『心臓を貫かれて』、『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ロング・グッドバイ』など訳書も多数。
イメージ付きのレビュー
5 星
短編集なので、とても読みやすいです。
短編集なので、とても読みやすいです。この中の「ドライブ・マイ・カー」は、西島秀俊さん主演で、アメリカでゴールデングローブ賞を受賞し、また、日本では、日本アカデミー賞の各賞を総なめにしました❣️
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上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
現代の夫婦関係は、こんなかんじなのか?
1番近くにいる人の気持ちが良く分からない!
1番近くにいる人の気持ちが良く分からない!
2022年3月23日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今まで村上春樹氏の作品はあまり好きになれなかった。何となく、生理的に受け付けなかった。
しかし映画「ドライブ・マイ・カー」が話題になったのをきっかけに本作を読んでみたところ、村上氏の作品として初めて共感を持てた。
本作は短編集であり、その中の同名作品が映画化されたわけだが、「シェラザード」や「木野」からも引用されている。
また映像化されたわけではないが、主人公の恋敵(?)高槻の目線で見ると、最終話の「女のいない男たち」のようなことがあったかもしれないし、「独立器官」とは真逆の結果となったものの、失恋により自暴自棄になる男という点では共通している。
映画はこの短編集全編を再構築して新たにできた作品という印象である。
以下【ネタバレあり】。
冒頭の「ドライブ・マイ・カー」は、妻を喪った男が主人公。子供はいなかったが、夫婦仲も良く傍目には理想的なカップルに見えたであろうが、妻には秘密があった。今までそのことに気付いていながら気付かないふりをしていた彼。その理由は妻への愛情や信頼、大人の物分かりの良さや余裕からくるものではなく、詰問して真意を知ることで妻を失うことが怖かったから。
彼女の死により、永久にその心の内を知ることができなくなったか彼は妻の浮気相手に近付くが、答えを得ることはできない。最終的に彼の心に浸透したのは、彼の専属運転手である若い女性のありふれた慰めの言葉だった。
「イエスタデイ」は、本短編集の中で毛色が違う作品だ。語り手“僕”の学生時代の友達とその恋人の話。やがて二人は別れ月日が流れる。彼女に再会した僕が友人との復縁の可能性を尋ねると彼女は首を振る。
とはいえ、読者としては結局一緒になるのではという希望を抱かずにはいられない。
作中、ビートルズの「イエスタデイ」の歌詞の改作に関し、著作権者の要望が入ったことから大幅にカットされたとのこと。映画でもビートルズの同名曲が使えず、非常に残念だ。
「独立器官」はとにかく可哀想という印象の話。
「シェラザード」はいかにも村上氏っぽい話。作中彼女の語る物語は途中で終わるが、映画ではその続きが語られる。
「木野」は「ドライブ・マイ・カー」と対をなすような話。妻の浮気現場に遭遇した男の物語。彼は妻と別れ、バーを開業し新しい生活を始める。そこに“木野”という客がやって来る。
とんだ修羅場ながら冷静に対応した彼だが、本当は痛く傷ついていた。
果たして木野は実在する人物なのか。幻想的な話でもある。
最終話「女のいない男たち」は本作単行本のための書き下ろし。本作は作者自ら例外的と認める“まえがき”のある作品だが、この表題作はエピローグ的。
やはり「ドライブ・マイ・カー」からの派生したような作品で、こちらは浮気相手側が主人公かつ語り手。
以上、本作は各々別人なれど“女のいない男たち”が主人公だが、元々いないというよりは“かけがえのない女性を失ってしまった”男たちである。薄めからはじまって後の作品になるほど濃くなっていく印象だ。
もう一つ主人公に共通することといえば、男性に対してよく“少年の心を持った”などと形容されることがあるが、本作の男たちは“思春期あるいは青年期の精神を有して”いる。
前者が少年のようなやんちゃさ純粋さを持っている人を表すのに対して、後者は少年のように純情でなくても、大人のように乾ききっているわけではない。孤独で自己意識の高さと自信のなさが共存していて情緒不安定気味だ。
一見大人で思慮深く理知的ながら、実際割り切れるものではなく、心はめちゃくちゃ傷ついている“女のいない男たち”。彼らに必要なのは泣くことだ。そんな彼らが切なくも愛おしい。
しかし映画「ドライブ・マイ・カー」が話題になったのをきっかけに本作を読んでみたところ、村上氏の作品として初めて共感を持てた。
本作は短編集であり、その中の同名作品が映画化されたわけだが、「シェラザード」や「木野」からも引用されている。
また映像化されたわけではないが、主人公の恋敵(?)高槻の目線で見ると、最終話の「女のいない男たち」のようなことがあったかもしれないし、「独立器官」とは真逆の結果となったものの、失恋により自暴自棄になる男という点では共通している。
映画はこの短編集全編を再構築して新たにできた作品という印象である。
以下【ネタバレあり】。
冒頭の「ドライブ・マイ・カー」は、妻を喪った男が主人公。子供はいなかったが、夫婦仲も良く傍目には理想的なカップルに見えたであろうが、妻には秘密があった。今までそのことに気付いていながら気付かないふりをしていた彼。その理由は妻への愛情や信頼、大人の物分かりの良さや余裕からくるものではなく、詰問して真意を知ることで妻を失うことが怖かったから。
彼女の死により、永久にその心の内を知ることができなくなったか彼は妻の浮気相手に近付くが、答えを得ることはできない。最終的に彼の心に浸透したのは、彼の専属運転手である若い女性のありふれた慰めの言葉だった。
「イエスタデイ」は、本短編集の中で毛色が違う作品だ。語り手“僕”の学生時代の友達とその恋人の話。やがて二人は別れ月日が流れる。彼女に再会した僕が友人との復縁の可能性を尋ねると彼女は首を振る。
とはいえ、読者としては結局一緒になるのではという希望を抱かずにはいられない。
作中、ビートルズの「イエスタデイ」の歌詞の改作に関し、著作権者の要望が入ったことから大幅にカットされたとのこと。映画でもビートルズの同名曲が使えず、非常に残念だ。
「独立器官」はとにかく可哀想という印象の話。
「シェラザード」はいかにも村上氏っぽい話。作中彼女の語る物語は途中で終わるが、映画ではその続きが語られる。
「木野」は「ドライブ・マイ・カー」と対をなすような話。妻の浮気現場に遭遇した男の物語。彼は妻と別れ、バーを開業し新しい生活を始める。そこに“木野”という客がやって来る。
とんだ修羅場ながら冷静に対応した彼だが、本当は痛く傷ついていた。
果たして木野は実在する人物なのか。幻想的な話でもある。
最終話「女のいない男たち」は本作単行本のための書き下ろし。本作は作者自ら例外的と認める“まえがき”のある作品だが、この表題作はエピローグ的。
やはり「ドライブ・マイ・カー」からの派生したような作品で、こちらは浮気相手側が主人公かつ語り手。
以上、本作は各々別人なれど“女のいない男たち”が主人公だが、元々いないというよりは“かけがえのない女性を失ってしまった”男たちである。薄めからはじまって後の作品になるほど濃くなっていく印象だ。
もう一つ主人公に共通することといえば、男性に対してよく“少年の心を持った”などと形容されることがあるが、本作の男たちは“思春期あるいは青年期の精神を有して”いる。
前者が少年のようなやんちゃさ純粋さを持っている人を表すのに対して、後者は少年のように純情でなくても、大人のように乾ききっているわけではない。孤独で自己意識の高さと自信のなさが共存していて情緒不安定気味だ。
一見大人で思慮深く理知的ながら、実際割り切れるものではなく、心はめちゃくちゃ傷ついている“女のいない男たち”。彼らに必要なのは泣くことだ。そんな彼らが切なくも愛おしい。
2023年11月16日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
これはテーマが「女のいない男たち」の短編集なんだよね。
著者は男というのを改めて感じる。
「ドライブ・マイ・カー」
男性の複雑な心境とドライブというシチュエーションがよかった。
「イエスタデイ」
変わった嗜好の男性。その行く末。
「独立器官」
結構これは女性の本質を突いているのではないか。
「シェエラザード」
自分の好みじゃなかったなあ。変に生々しすぎて。
「木野」
不思議ワールド。最後いろいろ考えちゃった。
「女のいない男たち」
ちょっと譬喩が読みにくかった。
著者は男というのを改めて感じる。
「ドライブ・マイ・カー」
男性の複雑な心境とドライブというシチュエーションがよかった。
「イエスタデイ」
変わった嗜好の男性。その行く末。
「独立器官」
結構これは女性の本質を突いているのではないか。
「シェエラザード」
自分の好みじゃなかったなあ。変に生々しすぎて。
「木野」
不思議ワールド。最後いろいろ考えちゃった。
「女のいない男たち」
ちょっと譬喩が読みにくかった。
2023年2月15日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
映画『ドライブ・マイ・カー』が素晴らしかったので原作を読んでみた。小説「ドライブ・マイ・カー」は地味な短編だが、まぁ悪くはない。しかし、文学作品として見た場合、それほど優れているともいえない。それに対して、残りの短編のうち「シェエラザード」は素晴らしい傑作だし、「イエスタディ」も20歳の若者の恋を描いて瑞々しい。「独立器官」と「木野」は味のある作品だ。いずれも、女を失った男の深い喪失感を描いているが、それぞれの喪失感の違いから、恋愛に求めているものも「人それぞれ」なのだ、ということが分る。これが恋愛を主題とした短編集である本書の功績だろう。映画『ドライブ・マイ・カー』があれほどの名作になったのも、原作の「ドライブ・マイ・カー」「シェエラザード」「木野」を組み合わせたからだ。男が女に、女が男に、それぞれ求めているものは、千差万別だが、その違いが生じる理由は、互いにどの程度の距離を取る関係をよしとするか、が異なるからだろう。「ドライブ・マイ・カー」では、主人公の家福は、妻との距離をゼロにできると信じていたが、それができなかった、一方、妻の浮気相手の高槻は、距離ゼロはたぶん無理だろうと考えている、そして家福の車のドライバーになった渡利みさきは、自分の出自からして、そもそも男女の愛の存在そのものを根っから信じていない。そのみさきと接することによって、家福は初めて、妻の浮気と死を受け容れることができた。
「シェエラザード」では、35歳の介護士の地味な女性は、主人公とセックスしたあとに毎回、『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードのように、楽しい話を一つづつ彼に聞かせる。彼女が17歳のとき、同級生の男子を好きになったが、地味系の彼女は告白などできず、代りに彼の家に三回ほど空き巣で忍び込む。彼のベッドに横になり、激しいときめきを感じたので、彼の鉛筆を一本盗み、代わりに(新しい)タンポンを彼の机の引き出しの奥に置いてくる。彼はたぶん気づかないだろうが、自分がここに存在したという痕跡を残したいのだ。でも三回目の空き巣では、彼の下着のシャツを洗濯機から持ち去ったので、気づいた母親が玄関のカギを替え、空き巣は終了する。シェエラザードは、この自分の体験を、海底に張り付いて上を通る鱒を見つづける「やつめうなぎ」に喩える。そう、愛とは、どこまでも距離を取った関係であり、決して相手と一体化はできないのだ。主人公は、この話にいたく感動し、自分が彼女とセックスするのも、セックスが目的ではなく、「性行為そのものではなく、彼女と親密な時間を共有すること」が最高の喜びであることに気づく。「イエスタディ」も「独立器官」も似たようなところがあり、「ドライブ・マイ・カー」のみさきも、家福にこう言う、「(男優と寝た)奥さんは、その人に心なんて惹かれていなかったんじゃないですか、だから寝たんです」。おそらくこれが村上春樹自身の究極の恋愛観なのではないかと想像される。ギデンズの言う「純粋な関係性としての愛」こそが、究極の愛であり、愛とはけっして、暗黙のうちに生殖を動機づける性行為のうちにその本質があるのではないのだ。それをはっきり前景化したという点で、「シェエラザード」は名作だと思う。
「シェエラザード」では、35歳の介護士の地味な女性は、主人公とセックスしたあとに毎回、『千夜一夜物語』の王妃シェエラザードのように、楽しい話を一つづつ彼に聞かせる。彼女が17歳のとき、同級生の男子を好きになったが、地味系の彼女は告白などできず、代りに彼の家に三回ほど空き巣で忍び込む。彼のベッドに横になり、激しいときめきを感じたので、彼の鉛筆を一本盗み、代わりに(新しい)タンポンを彼の机の引き出しの奥に置いてくる。彼はたぶん気づかないだろうが、自分がここに存在したという痕跡を残したいのだ。でも三回目の空き巣では、彼の下着のシャツを洗濯機から持ち去ったので、気づいた母親が玄関のカギを替え、空き巣は終了する。シェエラザードは、この自分の体験を、海底に張り付いて上を通る鱒を見つづける「やつめうなぎ」に喩える。そう、愛とは、どこまでも距離を取った関係であり、決して相手と一体化はできないのだ。主人公は、この話にいたく感動し、自分が彼女とセックスするのも、セックスが目的ではなく、「性行為そのものではなく、彼女と親密な時間を共有すること」が最高の喜びであることに気づく。「イエスタディ」も「独立器官」も似たようなところがあり、「ドライブ・マイ・カー」のみさきも、家福にこう言う、「(男優と寝た)奥さんは、その人に心なんて惹かれていなかったんじゃないですか、だから寝たんです」。おそらくこれが村上春樹自身の究極の恋愛観なのではないかと想像される。ギデンズの言う「純粋な関係性としての愛」こそが、究極の愛であり、愛とはけっして、暗黙のうちに生殖を動機づける性行為のうちにその本質があるのではないのだ。それをはっきり前景化したという点で、「シェエラザード」は名作だと思う。
2022年8月4日に日本でレビュー済み
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村上さん妄想を読まされているようで僕にはよく理解出来ませんでした。1Q84も読みましたがやはり彼の空想や妄想を押しつけられているようにかんじます。ノーベル文学賞は残念です。