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世界は贈与でできている――資本主義の「すきま」を埋める倫理学 単行本 – 2020/3/13
近内悠太
(著)
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■第29回山本七平賞・奨励賞 受賞
■紀伊國屋じんぶん大賞2021(紀伊國屋書店 主催) 第5位 入賞
■読者が選ぶビジネス書グランプリ2021(グロービス経営大学院+flier 主催)リベラルアーツ部門 第4位 入賞
これが、ニュー・ノーマル時代を切り拓く哲学書。
「ずっとじぶんでも考えていたことが、別の光を当ててもらったような気がして、読んでいて興奮しました」
――糸井重里(株式会社ほぼ日 代表)
「わたしはすでに受け取っていたんだ。読むと次にパスをつなげたくなる本」
――伊藤亜紗(東京工業大学准教授・美学者)
「贈与を受け取ったから、私は家族の物語を書きはじめました」
――岸田奈美(作家『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』)
「人間の『こころ』の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある」
――茂木健一郎(脳科学者)
「コロナ後の経済は『贈与』を軸に駆動します。必読でしょう」
――山口周(独立研究者)
2020年最有望の哲学者、「希望」のデビュー作
この資本主義社会で「お金で買えないもの=贈与」が果たしている役割とは何か?
「人間」と「社会」の意外な本質を、みずみずしく平易な文体で驚くほどクリアに説き起こす。
ビジネスパーソンから学生まで、
見通しが立たない現代を生き抜くための、発見と知的興奮に満ちた「新しい哲学」の誕生!
「一見当たり前に存在しているこの『世界』の成り立ちを、『贈与』や『言語』、『常識」の成り立ちを通して説き起こした鮮烈なデビュー作。
人間の『こころ』の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある。
ウィトゲンシュタインと小松左京の本書を通しての出会いは思考世界における一つの『事件』。
社会の見え方を一変させ、前向きに生きるために、この本を処方せよ!」
―――茂木健一郎
目次
第1章 What Money Can't Buy――「お金で買えないもの」の正体
第2章 ギブ&テイクの限界点
第3章 贈与が「呪い」になるとき
第4章 サンタクロースの正体
第5章 僕らは言語ゲームを生きている
第6章 「常識を疑え」を疑え
第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章 アンサング・ヒーローが支える日常
第9章 贈与のメッセンジャー
■紀伊國屋じんぶん大賞2021(紀伊國屋書店 主催) 第5位 入賞
■読者が選ぶビジネス書グランプリ2021(グロービス経営大学院+flier 主催)リベラルアーツ部門 第4位 入賞
これが、ニュー・ノーマル時代を切り拓く哲学書。
「ずっとじぶんでも考えていたことが、別の光を当ててもらったような気がして、読んでいて興奮しました」
――糸井重里(株式会社ほぼ日 代表)
「わたしはすでに受け取っていたんだ。読むと次にパスをつなげたくなる本」
――伊藤亜紗(東京工業大学准教授・美学者)
「贈与を受け取ったから、私は家族の物語を書きはじめました」
――岸田奈美(作家『家族だから愛したんじゃなくて、愛したのが家族だった』)
「人間の『こころ』の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある」
――茂木健一郎(脳科学者)
「コロナ後の経済は『贈与』を軸に駆動します。必読でしょう」
――山口周(独立研究者)
2020年最有望の哲学者、「希望」のデビュー作
この資本主義社会で「お金で買えないもの=贈与」が果たしている役割とは何か?
「人間」と「社会」の意外な本質を、みずみずしく平易な文体で驚くほどクリアに説き起こす。
ビジネスパーソンから学生まで、
見通しが立たない現代を生き抜くための、発見と知的興奮に満ちた「新しい哲学」の誕生!
「一見当たり前に存在しているこの『世界』の成り立ちを、『贈与』や『言語』、『常識」の成り立ちを通して説き起こした鮮烈なデビュー作。
人間の『こころ』の力動の機微をとらえる近内さんのセンスには肌の温かさと機械の精緻さがある。
ウィトゲンシュタインと小松左京の本書を通しての出会いは思考世界における一つの『事件』。
社会の見え方を一変させ、前向きに生きるために、この本を処方せよ!」
―――茂木健一郎
目次
第1章 What Money Can't Buy――「お金で買えないもの」の正体
第2章 ギブ&テイクの限界点
第3章 贈与が「呪い」になるとき
第4章 サンタクロースの正体
第5章 僕らは言語ゲームを生きている
第6章 「常識を疑え」を疑え
第7章 世界と出会い直すための「逸脱的思考」
第8章 アンサング・ヒーローが支える日常
第9章 贈与のメッセンジャー
- 本の長さ254ページ
- 言語日本語
- 出版社NewsPicksパブリッシング
- 発売日2020/3/13
- 寸法13 x 2.2 x 18.8 cm
- ISBN-104910063056
- ISBN-13978-4910063058
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出版社より
商品の説明
著者について
近内悠太(ちかうち・ゆうた)
1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。
慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。
リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。教養と哲学を教育の現場から立ち上げ、学問分野を越境する「知のマッシュアップ」を実践している。
デビュー著作となる本書『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング刊)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。
1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。
慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。
リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。教養と哲学を教育の現場から立ち上げ、学問分野を越境する「知のマッシュアップ」を実践している。
デビュー著作となる本書『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング刊)で第29回山本七平賞・奨励賞を受賞。
登録情報
- 出版社 : NewsPicksパブリッシング; 46版並製 (2020/3/13)
- 発売日 : 2020/3/13
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 254ページ
- ISBN-10 : 4910063056
- ISBN-13 : 978-4910063058
- 寸法 : 13 x 2.2 x 18.8 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 3,607位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- - 9位哲学・思想の論文・評論・講演集
- - 1,272位ノンフィクション (本)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1985年神奈川県生まれ。教育者。哲学研究者。慶應義塾大学理工学部数理科学科卒業、日本大学大学院文学研究科修士課程修了。専門はウィトゲンシュタイン哲学。リベラルアーツを主軸にした統合型学習塾「知窓学舎」講師。教養と哲学を教育の現場から立ち上げ、学問分野を越境する「知のマッシュアップ」を実践している。『世界は贈与でできている』(NewsPicksパブリッシング刊)がデビュー著作となる。
イメージ付きのレビュー
5 星
「ムダ」ほど敬意を表すことに驚きました。
『世界は贈与でできてる 資本主義の「すきま」を埋める倫理学』は、資本主義の枠外である贈与を定義するビジネス書です。「贈与:モノを“モノではないもの”へと変換させる創造的行為」「贈与は、贈与を生まなければ無力である」「誰にも迷惑をかけない社会:自分の存在が誰からも必要とされない社会」など、人との最適なつき合い方が学べます。特に「親の心子知らず:子は親の苦労を知ってはならない」の本当の意味での警告は、一方的な贈与に窒息しがちな現代人に苦言を呈します。子どもは、親の苦労を知ってしまうと、負い目に耐えられなくなるからです。ある意味、無知は自分を守る上で最適な方法なのかもしれません。「答えが制限されている問いかけは呪いのレトリック」「アンサング・ヒーロー:その功績が顕彰されない陰の功労者」「勉強:まずは何はともあれ、世界と出会わなければならなかったから」などを通して、知られざる贈与の重要性を問うています。特に「贈与は、それが贈与だと知られてはいけない」は、呪いのレトリックを解明する上で重要です。「知られた贈与は呪いへと転じ、その受取人の自由を奪う」からです。知られると、返礼の義務が生じ、贈与から交換へと変貌してしまうのです。贈与の世界で生きているサラリーマンは、一度「贈与」の定義を考える必要があるでしょう。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年12月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
今の自分はこれまでいただいた数限りない贈り物で生きていることを思い知らされた。そして今ある世界はその贈り主が支えてなんとかなっている。そして誰もが贈り主であり受取主でもある。そんな素晴らしい世界と、それを支えている「あなた」に感謝します。そして見返り無しで自分も何か伝えていこうと気持ちを新たにできた一冊でした。生きがいを失うことはありません。私たちは世界の一員なのだから。
2024年2月9日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
貨幣に換算できない価値の移動を贈与と定義して、それに関してとことん突き詰めて考察したもの。私にとってこの切り口は新鮮でとても興味深く読み進められました。
特に終盤、資本主義の換金的な価値観があるからこそ、それが「地」となって、贈与が「図」として浮かび上がること、贈与の価値観と資本主義の価値観は矛盾しないどころか、むしろ切り離すことができないとの結論は、これまでの積み上げた「アノマリー」「アンサングヒーロー」等のキーワードに代表される前フリが、キッチリと集約してハマった感があり、エンターテインメント的な心地よさすら覚えました。
ですが、全体的に語り口が良くも悪くも柔らかく、上記のキマッたシーンを除くとボヤけた読後感が残ったので、珍しくすぐさま二度読みをしてしまいました。なんかすごくいいこと言ってそうな割にモヤモヤするゾと。
で、一番モヤモヤしていたペイ・フォワード(映画作品、未視聴)の主人公の結末についての作者の半ば強引な解釈は、読み返してもどうにも納得がいかなかったですね。個人が詩的文学的に作品に解釈を加えること自体はまったくもって悪くないのですが、それを何か一般的な定理のごとく主張する必要性がよくわかりませんでした。話聞く限り彼はなんも悪いことしてないがなと。
特に終盤、資本主義の換金的な価値観があるからこそ、それが「地」となって、贈与が「図」として浮かび上がること、贈与の価値観と資本主義の価値観は矛盾しないどころか、むしろ切り離すことができないとの結論は、これまでの積み上げた「アノマリー」「アンサングヒーロー」等のキーワードに代表される前フリが、キッチリと集約してハマった感があり、エンターテインメント的な心地よさすら覚えました。
ですが、全体的に語り口が良くも悪くも柔らかく、上記のキマッたシーンを除くとボヤけた読後感が残ったので、珍しくすぐさま二度読みをしてしまいました。なんかすごくいいこと言ってそうな割にモヤモヤするゾと。
で、一番モヤモヤしていたペイ・フォワード(映画作品、未視聴)の主人公の結末についての作者の半ば強引な解釈は、読み返してもどうにも納得がいかなかったですね。個人が詩的文学的に作品に解釈を加えること自体はまったくもって悪くないのですが、それを何か一般的な定理のごとく主張する必要性がよくわかりませんでした。話聞く限り彼はなんも悪いことしてないがなと。
2023年5月2日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
タイトル見た時は正直「なんじゃそりゃ」と思ったが、読んでよかった。
【こんな人におすすめ】
・Twitterなどで見かける浅ましい人々(精神的な乞食)を内心軽蔑しつつも、自らの中にも浅ましさを感じて憂鬱になることがある人
・子どもには子どもの人生があると分かりつつも、ついつい干渉してしまう人
【全体的な感想】
・贈与論という分野があることを初めて知った。論理の飛躍もしばしば感じられたが、贈与という枠組みで世界を捉え直す試みは興味深いと感じた。
・最も重要な人間関係であるはずの家族関係が、交換の論理に支配されていることに気づいた。
・後半少しダレたが、ラストの第9章が白眉でエモさがカンストしている。
・受取者も必要である旨述べられているが、私は倫理観ある贈与者でありたい。
【印象的だった点】
・無償の愛の正体は、反対給付の義務(不当に愛されてしまった)に衝き動かされた、「返礼の相手が異なる贈与」
・親が孫の顔を見たがるのは、「自分の子供が守るべき対象を得たことで、親自身が親から受けた一方的な恩(=気負い)から解放される」から
・子は親の苦労を知ってしまうと窒息する。一方的な贈与の負い目に耐えられない。
・親子関係に交換の論理が入り込むとさらに厄介。交換の論理は即時性を求める。
・贈与は、それが贈与だと知られてはいけない。
明示的な贈与は呪いへ転じ、返礼の義務を生み出し、交換へと変貌してしまう。鶴の恩返し。
・サンタクロースの機能の本質は「時間」
・贈与は差出人に倫理(届いてくれるといいな、と言う節度・祈り)を要求し、受取人に知性を要求する。
・過去の中に埋もれた贈与に気づき、受け取ることのできた主体だけが、再び未来へ向かって贈与を差し出すことができる。
・差出人の祈りなき贈与は交換となり、受取人の想像力なき贈与は気付かれることなくこの世界から零れ落ちていく
・(ビジネス観点)お客さんサイドの「健全な負債感」の集積こそが、財務諸表にのることのない「看板」の価値になる
・僕らは、ただ存在するだけで他者に贈与することができる。受け取っていると言うことを自覚していなくても、その存在自体がそこを宛先とする差出人の存在を、強力に、全面的に肯定する。
・教養とは誤配に気づくこと。手に入れた知識や知見が贈与であることに気づき、その知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶ。
【こんな人におすすめ】
・Twitterなどで見かける浅ましい人々(精神的な乞食)を内心軽蔑しつつも、自らの中にも浅ましさを感じて憂鬱になることがある人
・子どもには子どもの人生があると分かりつつも、ついつい干渉してしまう人
【全体的な感想】
・贈与論という分野があることを初めて知った。論理の飛躍もしばしば感じられたが、贈与という枠組みで世界を捉え直す試みは興味深いと感じた。
・最も重要な人間関係であるはずの家族関係が、交換の論理に支配されていることに気づいた。
・後半少しダレたが、ラストの第9章が白眉でエモさがカンストしている。
・受取者も必要である旨述べられているが、私は倫理観ある贈与者でありたい。
【印象的だった点】
・無償の愛の正体は、反対給付の義務(不当に愛されてしまった)に衝き動かされた、「返礼の相手が異なる贈与」
・親が孫の顔を見たがるのは、「自分の子供が守るべき対象を得たことで、親自身が親から受けた一方的な恩(=気負い)から解放される」から
・子は親の苦労を知ってしまうと窒息する。一方的な贈与の負い目に耐えられない。
・親子関係に交換の論理が入り込むとさらに厄介。交換の論理は即時性を求める。
・贈与は、それが贈与だと知られてはいけない。
明示的な贈与は呪いへ転じ、返礼の義務を生み出し、交換へと変貌してしまう。鶴の恩返し。
・サンタクロースの機能の本質は「時間」
・贈与は差出人に倫理(届いてくれるといいな、と言う節度・祈り)を要求し、受取人に知性を要求する。
・過去の中に埋もれた贈与に気づき、受け取ることのできた主体だけが、再び未来へ向かって贈与を差し出すことができる。
・差出人の祈りなき贈与は交換となり、受取人の想像力なき贈与は気付かれることなくこの世界から零れ落ちていく
・(ビジネス観点)お客さんサイドの「健全な負債感」の集積こそが、財務諸表にのることのない「看板」の価値になる
・僕らは、ただ存在するだけで他者に贈与することができる。受け取っていると言うことを自覚していなくても、その存在自体がそこを宛先とする差出人の存在を、強力に、全面的に肯定する。
・教養とは誤配に気づくこと。手に入れた知識や知見が贈与であることに気づき、その知見から世界を眺めたとき、いかに世界が贈与に満ちているかを悟った人を、教養ある人と呼ぶ。
2024年3月4日に日本でレビュー済み
市場経済で全てを解決しようとする潮流が昨今ある。一方それだけで、説明できない部分があるのは感覚的に感じていたがそれが綺麗に言語化されており、すっきりした。
2024年2月24日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
プライスレスについて考えたり、Web上のお金に変え辛い価値を暗号資産(トークン)で人々に還元できないかとかやってた者です。
気になる見出しを斜め読みしただけに終わりましたが、本の大半は「お金では買えないもの」とは何か?を色んな日常のユースケースをもとに解像度高める部分が多くて
・その贈与は換金されるべきか?
・今の社会に相応しい贈与の在り方
・贈与で出来てるのはわかったので何を訴えたい?変えたい?
という筆者の主題が見えなかった。
論文じゃないので何かを訴える必要はないのかも知れないが、だとしたら贈与の正体の説明にこのページ数いる?と感じてしまった…。
年賀状を返すときの面倒さや贈り物のお返し。礼儀とは冗長さ。こういったことや、プライスレスってどういうこと?などを考えたことがある人なら、各章の最初読んだら「ああ、こういうことが言いたいのね」と分かるんじゃないかな。
コスパ・タイパと叫ばれ、年賀状や贈り物、近所付き合いが希薄になった現代だからこそ、「お金ではかえないもの」=「贈与」というものの解像度を上げたうえで、僕らはどんな考えや行動をしていくとより良い文化や社会になるのか、それをもっと示してほしかったかなぁ
気になる見出しを斜め読みしただけに終わりましたが、本の大半は「お金では買えないもの」とは何か?を色んな日常のユースケースをもとに解像度高める部分が多くて
・その贈与は換金されるべきか?
・今の社会に相応しい贈与の在り方
・贈与で出来てるのはわかったので何を訴えたい?変えたい?
という筆者の主題が見えなかった。
論文じゃないので何かを訴える必要はないのかも知れないが、だとしたら贈与の正体の説明にこのページ数いる?と感じてしまった…。
年賀状を返すときの面倒さや贈り物のお返し。礼儀とは冗長さ。こういったことや、プライスレスってどういうこと?などを考えたことがある人なら、各章の最初読んだら「ああ、こういうことが言いたいのね」と分かるんじゃないかな。
コスパ・タイパと叫ばれ、年賀状や贈り物、近所付き合いが希薄になった現代だからこそ、「お金ではかえないもの」=「贈与」というものの解像度を上げたうえで、僕らはどんな考えや行動をしていくとより良い文化や社会になるのか、それをもっと示してほしかったかなぁ
2022年12月25日に日本でレビュー済み
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贈与の本質を、平易に優しい文体で書いてくれるので、思想と文体が統一された形で展開される。後半難易度が上がるが、まずは前書きを読んでみてほしい。ここから贈与論にハマっていきました。
2023年1月28日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
冒頭、「哲学のなりわいは概念づくりだ(p.5)」とあり、それは「工学に似ている(p.6)」となっている。どうやら「贈与」の新しい概念を作りたいようだ。人類学のマルセル・モースたちは、フィールド調査の末に発見した不思議な習慣を贈与と呼んだ。人類の長い歴史によって贈与は作られたのであり、プロメテウス的に一介の哲学者が作り上げたものではない。モースたちは贈与を復権させることで、社会の未来に希望を見いだそうとした。本書も同じ希望の下に書かれている。その点ではモースと志を同じくしている。
1.映画「ペイ・フォワード」の解釈
ワーナー・ブラザース2000年製作のアメリカ映画「Pay It Forward 可能の王国」が紹介されている。ペイ・フォワードは一見贈与と思われるが、贈与ではなく供犠(sacrifice 自己犠牲)であるがために主人公のトレバー少年は死んでしまったのだと著者は解釈している(p.40)。つまり、贈与とは自らが贈与の起源となることではなく、贈与を受けたというプレヒストリーがあって、その贈与の返礼として行う行為なのである。
トレバー少年はインタビューで、自分が発案者であることを名乗ってしまった(p.109)。贈与者は名乗ってはならないし、サンタクロースのようにそもそも匿名でなければならない(p.107)。サンタクロースが親だと分かれば、それは贈与でなく親との二者関係における贈り物になってしまう。
ちなみにペイ・フォワードとは、担任であるシモネット先生がクラスのみんなに課題を出したことに始まる。それは「世界をより良くする方法とは?そして自分にできることとは?」というものであった。トレバー少年の答えは、「3人に親切をする。その3人は別の3人に親切を渡す。そうすれば世界に親切の連鎖が広がるはずだ」というものだった。
せん越ながら、「ペイ・フォワード」を見た私の感想は、親切は必ずしも報われるものではないという悲劇であるというものである。自分が発案者であることを告白したことが、彼の死につながったとするのは無理であろう。映画自体は名優ぞろいの、良くできた映画でお勧めである。
2.交換は贈与ではない
交換はワンターンで終わる(p.32)。つまり繰り返さない。従って贈与ではない。交換は贈与でないという議論は、贈与論に共通している。そして、あらゆるものを商品化して交換の原理で動く資本主義を否定するのが贈与論の常であったが、本書は否定するどころか資本主義を補完するものとなっている。しかし、「資本主義とはあらゆるものが商品でなければならない(p.57)」とあるように、著者も資本主義は贈与を排除することを認めている。贈与が資本主義を擁護する副タイトルにはついていけない。
モースの『贈与論』は、市場という交換像と、私的所有像という自明視されている像をくつがえす、自由主義ともマルクス主義とも異なる経済体制を展望するものであった(モース研究会 (2011)『マルセル・モースの世界』 平凡社新書 p.182)
【呪い】
ジャック・デリダは、「贈与はなんらお返しもなく与えることであり、お返しがあればそれは交換だ」と言っているそうだ(岩野卓司 (2019)『贈与論 ―資本主義を突き抜けるための哲学』 青土社 p.142)。ハイデガー、レヴィナス、マリオンなども同じ見解である。
一方モースの贈与論の、【与え・受け取り・返礼する】サイクルは、まず弓・槍を足元に置かなければならない。対立しながらも殺戮することなく、平和を保つ方法なのである。この場合の返礼とは、give and takeにおける返礼とは異なる。
経済活動の交換は等価交換であり、同時交換が基本である。「感謝のレスポンスを期待する贈与(p.65)」「努力が報われること(p.68)」「交換はいまここでの意味を求めることになる(p.91)」などは、呪いをもたらすと著者が言うように、give and takeは呪いをもたらすのである。
モースが発見した贈与は、ポトラッチのように、返礼は与えられたものを上回らなければならないし、なおかつ一定の時が過ぎてから返礼されるのが通例である。また、give and take のように二者関係ではなく、三者以上の関係のなかで行われる。これらによって強固な互酬的ネットワークが形成される。
3.贈与の私事化
人類学的な贈与論では、個人が行う贈与は中心的なものではない。主体は個人ではなく、共同体である。共同体だからといって個人に影響がないわけではなく、漸次分解しつつ個人にも影響が及ぶのである。
しかし本書の贈与論は、個人が行うものという前提があるようだ。だからウィットゲンシュタインの言語ゲーム(p.126)、トマス・クーンの逸脱志向と求心志向(p.158)、シャーロック・ホームズの「過去へとあと戻りする推理(p.162)」などが引用されるのだろう。これらの人間の思考・認知過程で贈与を推論することができるとする(p.211)。
しかし、人が贈与を受け取ったら、それに返礼をする義務を負うということは、人は自分だけで充足することはできず、他者に開かれた存在であることを意味している。贈与は人間存在の基盤であり、返礼の義務を負うことで、自分を外に出すことができるようになる。まさに本書のタイトルにあるように、「世界は贈与でできている」のである。
4.世界の不安定の自覚は必須か
世界は本来「不安定なつり合い」なので、現時点で「安定つり合い」になっているのは贈与のおかげだという論法が登場する(p.192)。そして世界の不安定さを知るために、小松左京のSF小説(p.194)やカミュの『シーシュポスの神話』が引用される(p.203)。
しかし、世界は奇跡と呼んでもいいような、不安定さの上に成り立つ安定と認識しなくても、「この社会の秩序と安定を維持し続ける贈与者(p.205)」を知ることはできる。アメリカの先住民は次のような言葉を残している(ジョセフ・ブルチャック (1990)『それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』 中沢新一, 石川雄午 (1999) めるくまーる)。
「どんな人間の心にも、....肯定的で満足のいく信念を持つことへの、熱烈な渇望が宿っている(ブルチャックp.50)」「山や川は同じままだ。目に見えるものすべてのうちで、こういうものだけが、変化せずに踏みとどまっている(ブルチャックp.76)」「人の魂のなかに生まれるものこそが真実の平和なのだから、その平和をまず知っておかない限り、部族間の平和などとうてい実現しない(ブルチャックp.124)」など、彼らは安定感の自覚で満たされている。贈与の存在を知るために、世界の不安定の自覚は必須ではないのだ。
(むすび)
モースや人類学を中心とする贈与論は登場しないが、それらの贈与論を現代社会に実例を探すと、本書のような内容になるのだろう。それにしても、贈与の定義:「お金で買うことのできないものおよびその移動(p.4)」は、もう少し工夫が必要ではないか。少なくとも価値という言葉を入れて、「お金で買うことのできない‘価値’あるものおよびその移動」とすべきだろう。贈与は価値あるものに違いないのだから。
1.映画「ペイ・フォワード」の解釈
ワーナー・ブラザース2000年製作のアメリカ映画「Pay It Forward 可能の王国」が紹介されている。ペイ・フォワードは一見贈与と思われるが、贈与ではなく供犠(sacrifice 自己犠牲)であるがために主人公のトレバー少年は死んでしまったのだと著者は解釈している(p.40)。つまり、贈与とは自らが贈与の起源となることではなく、贈与を受けたというプレヒストリーがあって、その贈与の返礼として行う行為なのである。
トレバー少年はインタビューで、自分が発案者であることを名乗ってしまった(p.109)。贈与者は名乗ってはならないし、サンタクロースのようにそもそも匿名でなければならない(p.107)。サンタクロースが親だと分かれば、それは贈与でなく親との二者関係における贈り物になってしまう。
ちなみにペイ・フォワードとは、担任であるシモネット先生がクラスのみんなに課題を出したことに始まる。それは「世界をより良くする方法とは?そして自分にできることとは?」というものであった。トレバー少年の答えは、「3人に親切をする。その3人は別の3人に親切を渡す。そうすれば世界に親切の連鎖が広がるはずだ」というものだった。
せん越ながら、「ペイ・フォワード」を見た私の感想は、親切は必ずしも報われるものではないという悲劇であるというものである。自分が発案者であることを告白したことが、彼の死につながったとするのは無理であろう。映画自体は名優ぞろいの、良くできた映画でお勧めである。
2.交換は贈与ではない
交換はワンターンで終わる(p.32)。つまり繰り返さない。従って贈与ではない。交換は贈与でないという議論は、贈与論に共通している。そして、あらゆるものを商品化して交換の原理で動く資本主義を否定するのが贈与論の常であったが、本書は否定するどころか資本主義を補完するものとなっている。しかし、「資本主義とはあらゆるものが商品でなければならない(p.57)」とあるように、著者も資本主義は贈与を排除することを認めている。贈与が資本主義を擁護する副タイトルにはついていけない。
モースの『贈与論』は、市場という交換像と、私的所有像という自明視されている像をくつがえす、自由主義ともマルクス主義とも異なる経済体制を展望するものであった(モース研究会 (2011)『マルセル・モースの世界』 平凡社新書 p.182)
【呪い】
ジャック・デリダは、「贈与はなんらお返しもなく与えることであり、お返しがあればそれは交換だ」と言っているそうだ(岩野卓司 (2019)『贈与論 ―資本主義を突き抜けるための哲学』 青土社 p.142)。ハイデガー、レヴィナス、マリオンなども同じ見解である。
一方モースの贈与論の、【与え・受け取り・返礼する】サイクルは、まず弓・槍を足元に置かなければならない。対立しながらも殺戮することなく、平和を保つ方法なのである。この場合の返礼とは、give and takeにおける返礼とは異なる。
経済活動の交換は等価交換であり、同時交換が基本である。「感謝のレスポンスを期待する贈与(p.65)」「努力が報われること(p.68)」「交換はいまここでの意味を求めることになる(p.91)」などは、呪いをもたらすと著者が言うように、give and takeは呪いをもたらすのである。
モースが発見した贈与は、ポトラッチのように、返礼は与えられたものを上回らなければならないし、なおかつ一定の時が過ぎてから返礼されるのが通例である。また、give and take のように二者関係ではなく、三者以上の関係のなかで行われる。これらによって強固な互酬的ネットワークが形成される。
3.贈与の私事化
人類学的な贈与論では、個人が行う贈与は中心的なものではない。主体は個人ではなく、共同体である。共同体だからといって個人に影響がないわけではなく、漸次分解しつつ個人にも影響が及ぶのである。
しかし本書の贈与論は、個人が行うものという前提があるようだ。だからウィットゲンシュタインの言語ゲーム(p.126)、トマス・クーンの逸脱志向と求心志向(p.158)、シャーロック・ホームズの「過去へとあと戻りする推理(p.162)」などが引用されるのだろう。これらの人間の思考・認知過程で贈与を推論することができるとする(p.211)。
しかし、人が贈与を受け取ったら、それに返礼をする義務を負うということは、人は自分だけで充足することはできず、他者に開かれた存在であることを意味している。贈与は人間存在の基盤であり、返礼の義務を負うことで、自分を外に出すことができるようになる。まさに本書のタイトルにあるように、「世界は贈与でできている」のである。
4.世界の不安定の自覚は必須か
世界は本来「不安定なつり合い」なので、現時点で「安定つり合い」になっているのは贈与のおかげだという論法が登場する(p.192)。そして世界の不安定さを知るために、小松左京のSF小説(p.194)やカミュの『シーシュポスの神話』が引用される(p.203)。
しかし、世界は奇跡と呼んでもいいような、不安定さの上に成り立つ安定と認識しなくても、「この社会の秩序と安定を維持し続ける贈与者(p.205)」を知ることはできる。アメリカの先住民は次のような言葉を残している(ジョセフ・ブルチャック (1990)『それでもあなたの道を行け―インディアンが語るナチュラル・ウィズダム』 中沢新一, 石川雄午 (1999) めるくまーる)。
「どんな人間の心にも、....肯定的で満足のいく信念を持つことへの、熱烈な渇望が宿っている(ブルチャックp.50)」「山や川は同じままだ。目に見えるものすべてのうちで、こういうものだけが、変化せずに踏みとどまっている(ブルチャックp.76)」「人の魂のなかに生まれるものこそが真実の平和なのだから、その平和をまず知っておかない限り、部族間の平和などとうてい実現しない(ブルチャックp.124)」など、彼らは安定感の自覚で満たされている。贈与の存在を知るために、世界の不安定の自覚は必須ではないのだ。
(むすび)
モースや人類学を中心とする贈与論は登場しないが、それらの贈与論を現代社会に実例を探すと、本書のような内容になるのだろう。それにしても、贈与の定義:「お金で買うことのできないものおよびその移動(p.4)」は、もう少し工夫が必要ではないか。少なくとも価値という言葉を入れて、「お金で買うことのできない‘価値’あるものおよびその移動」とすべきだろう。贈与は価値あるものに違いないのだから。
2022年5月7日に日本でレビュー済み
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分かりやすく噛み砕かれ過ぎとも言える。物足りなくさえあるので、「暇と退屈の倫理学」とモース「贈与論」も読んでいます。