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酸っぱい葡萄: 合理性の転覆について (双書現代倫理学 4) 単行本 – 2018/10/3
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- 本の長さ404ページ
- 言語日本語
- 出版社勁草書房
- 発売日2018/10/3
- ISBN-104326199709
- ISBN-13978-4326199709
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対象商品: 酸っぱい葡萄: 合理性の転覆について (双書現代倫理学 4)
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商品の説明
著者について
ヤン・エルスター(Jon Elster)
1940年生まれ. コロンビア大学ロバート・K・マートン社会科学教授(政治学・哲学), ならびにコレージュ・ ド・フランス終身教授. 著書にUlysses and the Sirens(Cambridge University Press, 1979), Nuts and Bolts for the Social Sciences(Cambridge University Press, 1989, 邦訳『社会科学の道具箱』ハーベスト社), Strong Feelings(MIT Press, 1999, 邦訳『合理性を圧倒する感情』勁草書房)など.
玉手 慎太郎(たまて しんたろう)
東京大学特任研究員. 共著に『権利の哲学入門』(社会評論社, 2017年), 『政治経済学の再生』(創風社, 2011年), 論文に「外的規範と系統立って観察される規範」『三田学会雑誌』109 (4), 2017年ほか.
1940年生まれ. コロンビア大学ロバート・K・マートン社会科学教授(政治学・哲学), ならびにコレージュ・ ド・フランス終身教授. 著書にUlysses and the Sirens(Cambridge University Press, 1979), Nuts and Bolts for the Social Sciences(Cambridge University Press, 1989, 邦訳『社会科学の道具箱』ハーベスト社), Strong Feelings(MIT Press, 1999, 邦訳『合理性を圧倒する感情』勁草書房)など.
玉手 慎太郎(たまて しんたろう)
東京大学特任研究員. 共著に『権利の哲学入門』(社会評論社, 2017年), 『政治経済学の再生』(創風社, 2011年), 論文に「外的規範と系統立って観察される規範」『三田学会雑誌』109 (4), 2017年ほか.
登録情報
- 出版社 : 勁草書房 (2018/10/3)
- 発売日 : 2018/10/3
- 言語 : 日本語
- 単行本 : 404ページ
- ISBN-10 : 4326199709
- ISBN-13 : 978-4326199709
- Amazon 売れ筋ランキング: - 454,639位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年9月5日に日本でレビュー済み
倫理学・政治哲学における「合理性」の難所をさまざまな論点にわたって考察した興味深い論考。その一つとして第二章で考察された「本質的に副産物である状態」、すなわち「他の目的のために行われた行為の副産物としてのみ生じうるという特徴をもったもの」「そうしようと試みるというまさにそのことが、もたらそうとする状態を排除してしまうもの」については、訳者が解説で『仮面ライダー龍騎』の北岡秀一の名言「英雄っていうのはさ、英雄になろうとした瞬間に失格なのよ」を挙げているのが面白かった。元ネタを知る評者としては非常に分かりやすい事例だったのだが、訳者はライダーファンなのか。
2018年11月9日に日本でレビュー済み
本書のテーマは「合理的選好形成」、すなわち「自分が獲得できないものについての選好を押し下げることによって満足する」ような、イソップの「酸っぱい葡萄」の寓話のような事態である。
こうした選好変容は、選好を所与として議論を進めたい功利主義や社会的選択理論に対しては深刻な問いを投げかける。
また、これと関連した問題である「意図せずしてのみ生じうる状態」を生じさせようとできるか、という副産物の問題もかなりの紙面を割いて論じられている。
ただ、本書の議論でこれらの問題がうまく深掘りできているかというと、なかなか疑問である。
副産物の問題については、筆者は最初から「副産物を意図的に生じさせることは出来ず、また生じた副産物を意図的なものとして説明することは誤りである」という立場を宣言してしまい、あとはひたすらその視点に沿って様々な事例を見ていくだけであり、筆者の立場がなぜ妥当なのかの論証が行われたとは言い難い書かれ方である。
具体例も、原理的に不可能なもの(自発的に~しなさい)、コミットメントに関するもの(トーマス・シェリングの、不合理なプレイヤーが勝利するゲーム)などから、単に直接的なアプローチが難しいもの(眠ろう)、単に困難なもの(非凡な作家が、平凡な小説を書くのは難しい)までごちゃごちゃであり、あまりよい説明とは言い難い。
また、筆者が「副産物は意図的に生じさせえない」としてしまっているのは、行為の意図・目的は常にただ一つであるという狭い定式化をしてしまっていることが原因に思えてならない。「純粋にいい絵をかきたい」が、同時に「ある程度評価されたい」し「ある程度はお金も得たい」というようなパラレルな動機が入るのはごく自然であり、そうした状況をうまく取り扱えないとすればそれは理論の方が悪いと考えられる。
「酸っぱい葡萄」を論じている章は、「副産物」の章よりは議論が明快に行われている。
まず「選好の変容」には、入手できなかったものの評価を下げるだけでなく、情報取得や学習、反適応(隣の芝は青い)、計画的性格形成(あるものをよいと思う)、選択後の自己正当化(行った選択を正しいものとするようなウェイトの変更)、経路依存性などがある点を挙げる。
いくつかのものは特に問題なく(学習はむしろ倫理的に望まれるものである)、いくつかは他のものより問題が少ない(例えば、酸っぱい葡萄はしばしば憎悪や軽蔑と結びつくのに対し、計画的性格形成は現状をよいとするものでより望ましい)としている。ここでは「序数的な選好」と「基数的な選好」を区別し、後者に基づいて計画的性格形成を「改善」とみなせる点が指摘されている。
倫理や政治哲学で重要となるのは自由の問題で、「常に多数派に賛同するカメレオン議員」は権力者ではないというダールの指摘、欲求の除去で自由になれるのは不合理だとするバーリンの議論を取り上げる。
バーリンはそのため、欲求と独立に「自由のドアがいくつあるか」が重要だとしているが、筆者は「Aをする自由があり、Aをしない自由もあり、Aを欲している」という状況の程度と数で自由は特徴づけられるだろうとしている。
このように興味深い指摘もあるが、説得力に欠ける冗長な部分も多く、なかなか評価が難しい一冊である。
テーマそのものは重要なので、今後も考えられるべき問題ではあるだろう。
こうした選好変容は、選好を所与として議論を進めたい功利主義や社会的選択理論に対しては深刻な問いを投げかける。
また、これと関連した問題である「意図せずしてのみ生じうる状態」を生じさせようとできるか、という副産物の問題もかなりの紙面を割いて論じられている。
ただ、本書の議論でこれらの問題がうまく深掘りできているかというと、なかなか疑問である。
副産物の問題については、筆者は最初から「副産物を意図的に生じさせることは出来ず、また生じた副産物を意図的なものとして説明することは誤りである」という立場を宣言してしまい、あとはひたすらその視点に沿って様々な事例を見ていくだけであり、筆者の立場がなぜ妥当なのかの論証が行われたとは言い難い書かれ方である。
具体例も、原理的に不可能なもの(自発的に~しなさい)、コミットメントに関するもの(トーマス・シェリングの、不合理なプレイヤーが勝利するゲーム)などから、単に直接的なアプローチが難しいもの(眠ろう)、単に困難なもの(非凡な作家が、平凡な小説を書くのは難しい)までごちゃごちゃであり、あまりよい説明とは言い難い。
また、筆者が「副産物は意図的に生じさせえない」としてしまっているのは、行為の意図・目的は常にただ一つであるという狭い定式化をしてしまっていることが原因に思えてならない。「純粋にいい絵をかきたい」が、同時に「ある程度評価されたい」し「ある程度はお金も得たい」というようなパラレルな動機が入るのはごく自然であり、そうした状況をうまく取り扱えないとすればそれは理論の方が悪いと考えられる。
「酸っぱい葡萄」を論じている章は、「副産物」の章よりは議論が明快に行われている。
まず「選好の変容」には、入手できなかったものの評価を下げるだけでなく、情報取得や学習、反適応(隣の芝は青い)、計画的性格形成(あるものをよいと思う)、選択後の自己正当化(行った選択を正しいものとするようなウェイトの変更)、経路依存性などがある点を挙げる。
いくつかのものは特に問題なく(学習はむしろ倫理的に望まれるものである)、いくつかは他のものより問題が少ない(例えば、酸っぱい葡萄はしばしば憎悪や軽蔑と結びつくのに対し、計画的性格形成は現状をよいとするものでより望ましい)としている。ここでは「序数的な選好」と「基数的な選好」を区別し、後者に基づいて計画的性格形成を「改善」とみなせる点が指摘されている。
倫理や政治哲学で重要となるのは自由の問題で、「常に多数派に賛同するカメレオン議員」は権力者ではないというダールの指摘、欲求の除去で自由になれるのは不合理だとするバーリンの議論を取り上げる。
バーリンはそのため、欲求と独立に「自由のドアがいくつあるか」が重要だとしているが、筆者は「Aをする自由があり、Aをしない自由もあり、Aを欲している」という状況の程度と数で自由は特徴づけられるだろうとしている。
このように興味深い指摘もあるが、説得力に欠ける冗長な部分も多く、なかなか評価が難しい一冊である。
テーマそのものは重要なので、今後も考えられるべき問題ではあるだろう。