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「神様」のいる家で育ちました~宗教2世な私たち~ 単行本 – 2022/10/6

4.7 5つ星のうち4.7 643個の評価

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宗教2世。親が宗教を信仰している家の子供。宗教ありきで育てられ、世間とはずいぶん違う生活を送っています。

参加してはいけない学校行事があったり。
薬を使わせてもらえなかったり。
人を好きになってはいけなかったり。
休日は宗教活動のための日だったり。

もちろんそこに幸せを見出す人たちもいるけれど、中には成長するにつれて苦しさを感じる子供達がいることを、知ってほしい。

著者含む、7人の宗教2世たちが育ってきた家での出来事をマンガ化した作品が、加筆修正を加え、単行本化。

単行本描き下ろし45p収録。

「情報ライブ ミヤネ屋」でも紹介された、今年最注目のノンフィクションコミック!
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 文藝春秋 (2022/10/6)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2022/10/6
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 144ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4160901344
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4160901346
  • 寸法 ‏ : ‎ 15 x 1.3 x 21 cm
  • カスタマーレビュー:
    4.7 5つ星のうち4.7 643個の評価

著者について

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菊池真理子
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胸が苦しくなる
5 星
胸が苦しくなる
信仰の自由とは何かを考えさせられる
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上位レビュー、対象国: 日本

2024年5月10日に日本でレビュー済み
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二世の苦悩がよく表現されている本でした。
よくぞこの題材で本を出してくださったと感謝いたします。
子供たちの「信仰しない自由」の選択が守られることを切に願っております。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2024年4月12日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
2022年の総理殺害事件をきっかけに、宗教二世という言葉が世間に知られるようになり、この本を手に取りました。二世ということで、周りからは距離を置かれ、かといって家族に心の拠り所を得られず、二世の方々の生きづらさを知ることができました。同じ立場の方が、この本を読んで、自分1人じゃないことを知ることができること、そして、周りが、二世がおかれた状況を知るためにも重要な本だと思います。
1人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年12月16日に日本でレビュー済み
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小学生時代から仲の良い友人の両親が熱心な信者でした。3人姉兄妹の中で友人だけが宗教から離れましたが、家族間の確執の話を聞いていたので読みながら友人の家庭を思い浮かべました。
3人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2023年9月13日に日本でレビュー済み
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宗教二世の方だけでなく沢山の方に読んで欲しいと思う。漫画でこれだけの深い内容を伝えられる作者さんもすごいと思う。
5人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2022年10月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
評者はプロテスタント・バプテスト派のクリスチャンだ。母がクリスチャンなので、その意味では本作に言う“宗教2世”になるのだろうか。
だが、母からキリスト教信仰を強制されたことは一度もない。本来はそれが自然当然のはずだ。

信仰を持つ持たないは、完全にそのひとの自由。他人から強制される筋合いはない。
評者の考えを付け加えれば、宗教あるいは信仰は、それが必要だと感じたとき、心の安らぎや癒しがほしいとき、幸せを感じたいときなどに、自分の自由な気持ちのままに求め手にするものではないのかなと思う。
大事なのは、幸せや満足の尺度はひとそれぞれ。自分と同じ質や量では満たされないひともいれば、驚くほどチョッピリでもそれで十分だというひともいるということ。

ただ、宗教について語るのはとても難しい。そのひとの心持ちの繊細な部分に土足で踏み込むようなもので、上っ面だけサラッと撫でてそれで終わりにはできないと思うのだ。

日本の歴史を繙くと、仏教はもとより土着宗教や八百万の神々は、無意識のうちにひとびとの暮らしに溶け込み、空気のようにそこにあって当たり前の存在だった。武士であれ農民であれ商人であれ、生まれた環境の中で一生を過ごすのがほとんどだから、先祖代々の信仰や価値観を受け継ぐのは自然なことだった。
どこの家にも仏壇や神棚のひとつふたつあるはずだ。ひと昔前の3世代同居世帯ではそれが普通だったろう。意味がわからないまま、仏壇に手を合わせたり線香を上げたり、神棚にお札を捧げたり灯明を上げたり、したことがある方は多かろう。
だいたい、おおかたの日本人は、ふだんは神仏など気にもしていないくせに、正月にはこぞって初詣に出かけ、お札や破魔矢を買い求めるし、クリスマスやハロウィンやヴァレンタインにはほんとうの意味など関係なく大騒ぎするし、お盆になれば帰省して墓参り・・・まるっきり節操がないじゃないか。

そんなふうに、我々日本人は昔から、身近に神仏がいて当然という生活をしてきた。ならば、「神様がいる家で育った」などと、何か特別な意味があるみたいにわざわざカミングアウトする必要はないはずだ。
にもかかわらず、「神様がいる家で育った」ことが必要以上に強調され、場合によっては問題視されるようになってしまった。なぜだろうか。「宗教2世」なる言葉が流行語みたいになってしまった。どうしてだろう。

本書には、著者自身の実体験談を含め、7つの話が収められている。どの事例も、扱われた“宗教”がすぐに「アレだ」とわかってしまうから、本書が出版にこぎ着けるまでに起きた悶着も、起きるべくして起きたと腹落ちする。

本書で描かれた“宗教”と、そこに集うひとびとの特徴や傾向などを眺めると、教義は全然異なっても、雰囲気、空気感には恐ろしいほど多くの共通項があると容易に理解できる。
評者なりにそれらを纏めてみると・・・

  ・ 信仰の対象や教義それ自体は、世界宗教史上それなりに認知認識されてきたもので、格段の目新しさはない
  ・ その宗教の本来的な教義の全部または一部を、誇張または歪曲し、ことさらに強調する傾向がある
  ・ 自らの存在や教えを唯一無二の正道と説き、それ以外は全否定して“悪魔”“サタン”などと表現する
  ・ “教祖”や“創始者”を名乗る、あるいはそれに類する立ち位置にいる“生身の”人間がいる
  ・ “教祖”的な存在自体が、本来の宗教における開闢者やその教義以上に尊いとされ、崇拝対象となる
  ・ “教祖”に代わるもの、“ご真影”や身につけた衣服、使用した道具などを礼拝させることもある
  ・ “教祖”はしばしば特殊能力や権能を有すると自称し、カリスマ性を帯びる
  ・ “教祖”の言葉や振る舞いは絶対的真理や価値をもつとされ、狂信的雰囲気や集団催眠的効果を惹き起こす
  ・ 奉仕などと称するある種の訓練を重ねることにより、教祖と同様の能力を得ることができるとするものもある
  ・ 俗世から完全に聖別されたとする巨大な建造物を保有し、全信者を一堂に集めた催事が頻繁に開かれる
  ・ 信仰の最終到達点を極楽浄土などに喩え、一切の穢れなき魂のみが迎え入れられるとする
  ・ 活動中に過ちを犯せば、それまでの努力は一切無効となり、地獄に落ちるなどとする極端思想が目立つ
  ・ 子孫を残すための性的思考や行為を、穢れとして排除するか、異常なほど奨励するか、両極端になりやすい
  ・ 信者獲得のための奉仕活動が最重要視され、その手段や頻度などには非常な粘着性や反復性が見られる
  ・ 家庭生活のほぼ全てが宗教行為へと向けられ、とくに子どもの躾は教義において最優先される意識が強い
  ・ 信仰生活を送る上で禁忌とする思想や行為が多く、しばしば正常な社会生活の妨げとなる
  ・ 布教活動にも信仰生活にも、いわゆる社会常識が通用せず、法令違反等があってもまるで意に介さない
  ・ ・・・

他にもいろいろあろうが、少し考えただけでもこれくらいの特徴が列挙できよう。
評者は、これらどの項目も、程度の差はあれ、問題アリと感じる。とくに最後の方に挙げた項目ほど、看過できない重大な課題を含んでいると思う。

本書の7つの事例はいずれも「宗教2世」と呼ばれる子どもたちの立場や目線で描かれている。
年端もいかない子どもたちは、何が善いことで何が悪いことか、区別する基準も知識も知らない。やるべきこと、やってもよいこと、やってはいけないこと、それらをきちんと認識し判断するための知識の多くは、周囲から少しずつ教わり、学び取って身につけていくよりない。
子どもたちの近くにいて、そうした知識や価値観を教える存在。それはほぼ例外なく、父親母親だ。子どもに最も近しい存在であり、子どもを生んだ者として、世話をし、躾け、個性を伸ばすように養育していく責任が、親にはある。

ここで、親がウッカリしがちな、絶対忘れて貰っては困ることを指摘しておきたい。
それは、子どもも立派なひとりの人間だ、ということだ。
子どもは親の所有物ではない。まして、オモチャや慰み物などでは断じてない。一生懸命生きようとしている、命ある存在だ。どんなに小っちゃくても、ひとりの人間としての人格を持ち、人権を認められた存在なのだ。そして、それらの人格や人権は、親が持っているものとまったく同じ。その意味で、親と子は対等、平等だと言っていいと思う。
ただ、子どもは小さいから、人権のなんたるかも、それをどう守ればいいかもわかっていない。だからこそ、子どもの人権は親が責任を持ってしっかり守ってあげなければならないのだ。

その子育てを、もし、誤った価値観を基準に誤った方法で進められたらどうなるか。子どもの人権を蔑ろにし、親の好き勝手で強権的に行われたら、どういうことになるだろうか。
子どもは、抱っこしてくれたりご飯を食べさせてくれたりする親を信じ、もっともっと甘えたい、可愛がってほしいと思うはず。なんとか“いい子”になろう、“いい子”でいようと、健気に頑張るはず。だから親の前ではしばしば、自分の気持ちを押し殺し、優等生として振る舞う、演技する、なんてこともあるだろう。
なのに、親がそうした子どもの気持ちを理解せず、身勝手なやり方で歪んだ価値観を叩き込んだり誤った意識を植え付けたりしたら、子どもはいったいどう思うだろう。どんなふうに感じるだろう。

その結果、子どもたちは、人間として当たり前の、普通の社会生活を送ることができなくなる。
近所の友だちと遊べない。学校で体育の授業に参加できない。病気になっても薬を飲めない。異性を好きになることができない。それでいて、その理由を訊かれても相手に納得して貰える説明ができない。
周囲からは不思議なものを見るような目で見られる。孤独を感じる。寂しさが募る。でも、そんな悩み苦しみを身近な大人に打ち明けることができない。そんなことをすれば親に叱られるのがオチだから。

そんな気持ちを振り払い、少しでもみんなと同じ行動をすると、親の厳しい叱責、ときには理不尽としか思えない手酷い体罰が待っている。そして、「周りはみなサタン、あなたは選ばれた特別な存在」と、わかったようなわからないようなことを言い含められる。ほんとうは、親には可愛がって貰いたい、愛して貰いたいのに。
親にそんな仕打ちを受け続けるうちに、とうとう、それが当たり前で自然なことなのだと、子ども心にも納得し、半ば諦めの境地になってしまう。
本作にも描かれているが、こんなのどう考えてもおかしい、普通じゃない、と感じるのは、真っ当な人間なら当然ではないだろうか。

ここまでの論調からおおよそ推測いただけると思うが、評者は、「宗教2世」問題の真の責任は、全てその親と“教祖”にあると考えている。子どもは一方的な被害者でしかない。
“教祖”が妙ちくりんな“教義モドキ”を唱えて世を惑わさなければ、親がほんのちょっとでいいからまともな思考力判断力を弁えていれば、そしてなにより、自分が産んだ子どもを人間として心から大切に思い、人間らしい温かな愛情を注いで育てていれば、こんな問題は発生しようがなかったのでは、と評者は思う。そして、“宗教を騙る変人集団”がこれほどまで勢力を拡大し、我が物顔に跳梁跋扈することも起こらなかったのでは、と評者は考えるのだ。

作者が、自らの体験をもとに「ヘンじゃないか、おかしいじゃないか」と感じ、「やっぱりヘンだ、絶対おかしい、なんとかしなければいけない」との思いに突き動かされてこの作品を手掛けるには、相当な勇気や決断が要っただろう。
評者は、その姿勢には深く敬意を表するし、本作品をよくぞ世に出してくれたと大いに感謝する。
だが一方で、もどかしい、いわく言い難いものを感じているのも事実だ。

冒頭「はじめに」漫画で、「宗教2世」の定義らしきものが提示される。「親が宗教を信仰している家の子」だとか。だから評者も本稿冒頭で、自分も「宗教2世」になるのかな、と書いた。たしかに、広義の、漠然とした、大雑把な捉え方としては、間違いではないだろう。でも、決して正しいとも言い切れないのではないか。
案の定、すぐ次のコマで事態は一変する。
「彼らは宗教ありきで育てられ、世間とずいぶん違う生活をしている」と、唐突にここまで言い切ってしまうのは、いかがなものだろう。評者は、そりゃまぁ、自分でも偏屈な老人だと自覚があるし(爆)、ビジネスパーソンリタイア後、かれこれ4年も“引きこもり”をやってるけどさ(爆×2)、そこまで言われるほどおかしな生き方をしているつもりはないんだけどな(ホントかぁ?)。

話が逸れたが、作者は、自らが関わってきた“宗教”をものごとすべての価値判断基準に置く習慣から完全に脱却しきれていないのではなかろうか。たしかに評者も、キリスト教的な価値観や倫理観がしばしば表に出て、その基準でものごとを見てしまうことが多々あるから、作者の考え方にも一定の理解はできる。周囲に相談するのを躊躇う心理も理解できるつもりだ。
だが、相談した相手が宗教と聞いたとたん顔を引きつらせたり、その後ろで「宗教怖い」と陰口を言い合ったり、する描写は、さすがに何かの固定観念に囚われすぎでは、と思う。

作者を含めた“悩める宗教2世”の対極概念として“無神論者”や“無宗教者”が出てくる。だが、先に縷々述べたように、日本人のバックボーンには八百万の神や土着の信仰が根強く関わっている。クリスマスからすぐ正月モードに切り替えられる宗教観も日本人の特徴だ。だから、厳密な“無神論者”なんていないんじゃなかろうか。
「宗教怖い」と陰口叩く連中だって実際は、なにがしか拘っているモノ・コトがあるはず。
  たとえば、迷信。
  あるいは、占い。
  はたまた、黒魔術。
・・・ン?
こういうのだって、ある意味、宗教みたいなもんじゃないのか。

サタンとか祟りとかの“専門用語”も、あらためて考えれば何かがおかしい。
先祖が祟りを成すとよく脅されるけれど、子孫を残すために産んだ子や孫に、なぜ先祖が祟らなければならないのか。一族や子孫の繁栄は喜ばしいことのはずだから、むしろ子を産まない方が祟られ呪われなければ理屈が通らないじゃないか。
前世で悪さをした報いが云々という言い草もヘンだ。人間には前世があるとか、輪廻転生を繰り返すとか、そんな俗説に対するきっちりした説明はあるのか。科学的に証明できているのか。評者はそんな話を一度も聞いたことがないんだが。
科学的な証拠はない、論理的な説明もできない。だのに、「自分は誰それの生まれ変わりでぇ~」などと宣う妙な輩が後を絶たない。だから“似非宗教”“宗教モドキ”が乱立し、人心を惑わすのだ。

そういう“妄言”“虚言”“戯言”を信じるのも、そのひとの勝手だ。何をどう信じてもよいと、国の最高法規・憲法が保障してくれているんだから。
だが同時に憲法は、個々人の人権や他の権利も保障している。そして困ったことに、“虚言”を“盲信”する連中に限って、それら人権や権利を無視し、時には犯罪などに関する法規も無視して、自分の子どもを“私物化”し、得体の知れない価値観を強制し、“洗脳”して、自分の思いどおりに操れる存在を作り出してしまう。
2022年の日本で俄に騒がれるようになった“カルト”や“宗教2世”の問題は、こうして表面化し、世に穢れや災いを撒き散らすのだ。

宗教の問題は、最初はほんの些細なことであっても、いったん論じ始めたら、どんなに分厚い書物を何百何千冊と費やしても絶対に収束しない、果てしがない。世界を全面的な最終戦争に巻き込んで人類が破滅するまで際限なく激論が続いてしまうものなのだ。理由は、深層心理など、人間の存在の根源にまで論及し考察せざるを得ないほど、本質を突く必要があるからだ。宗教学と呼ばれる学問が一般的には哲学と分類表現されるのも、それが主な根拠だ。

だから評者は、書評欄という狭っ苦しい場所で宗教論に触れるなど、金輪際したくなかった。
たまたま某カルトが大騒ぎになったのと同時期に、宗教が抱える大問題へと意識を向けさせる素晴らしい作品が刊行されたから、その感想を含めたレヴュー記事を投稿しようと思っただけ。なのに、なんだってこんな長大駄文をものすハメになっちゃったんだろ(核爆)。

作者は、某カルトの騒動や、きっかけとなった例の一件は、本書の成立には影響していないという意味のことを、「あとがき」漫画のさらに後ろの「終わりに」(文章)でチラッと述べている。その上で、宗教2世が現実に悩み苦しんでいることを少しでも知ってほしい、ちょっとでいいから自分のことのように想像を働かせてほしい、と願っている。評者は、そう願う気持ちはある程度理解できるつもりだ。
だがその後すぐ、“宗教”そのものやそこに集う親や信者を断罪するつもりはない、とも述べている。これには正直、ガッカリした。

漫画は、宗教2世の苦しみをほんとうにリアルに描いている。そして、成長した彼らに、自分が宗教を抜けたら親が悲しむ、自分をこんな道に引きずり込んだのは親だ、親の笑顔を見たくて、親に愛してほしくて、だから自分はイヤイヤながら親について行ったんだ、等々、簡単には割り切ることができない複雑な心情を吐露させている。
だとして、自分の人生を狂わせた親を、親の人生を狂わせた“宗教”とその“教祖”なる存在を、なぜ断罪しないのか。「宗教2世」が問題になる要因が“宗教1世”の身勝手無理解にあることは明らかだし、そんな“宗教1世”がなぜ生まれたかを考えれば、そもそもの出発点が“教祖”だということもこれまた明白。それらを徹底的に批判し糾弾し、根絶やしにしない限り、何ひとつ解決しないと思うのだが。

宗教は、相手の権利や人格を否定してまで強要するものでは決してない。何か頼れるもの、心の支えになるものが必要なとき、幸せを見出したり心の癒しがほしくなったときに、そのひとが自由な意思で手にするもののはずだ。決して、気持ちを押し殺したり、金銭的負担を強いたり、あらゆる日常生活を犠牲にしたり、などの理不尽な考えや行動の“ご褒美”や“代償”としてでなければ得られないものではないはずだ。だいいち、そこまで“苦行”しないと得られないものが真の救いと言えるのだろうか。大いに疑問だ。

宗教2世へ理解や同情を示すのはおそらく簡単だ。だが、彼らを理解し受け入れればすべて解決するのか。

否。

人間の本質に背いた異常な存在や思想それ自体を完全消滅させなければ、何も解決しない、何の意味もない。そうじゃないか。

本書は、宗教2世の現状と実態を広く知らしめ、問題提起する分には、とても素晴らしい作品で、世に出した意義は非常に大きい。しかし残念ながらそれだけに留まってしまっている。
宗教2世を生み出してしまった“闇”に鋭く斬り込み、多少なりとも問題を解決して、宗教2世(そしておそらくは宗教1世も)の存在自体をなくそう、なくすための行動を起こそう、という意志や意欲がほとんど感じ取れない。その点もすごく惜しい。

ましてや、本作は、不正や悪意に満ちた闇勢力により、それこそ闇に葬られかけた事実がある。それも作者だけでなく、本作をWeb公開してくれていた出版社やその関係者にまで害を及ぼしてやるぞ、という、卑怯卑劣な恫喝だ。
出版社にも“法人格”が与えられ、出版の自由が保障されている。権力に阿ることしか知らない出版社もあるが、世の不正に断固立ち向かう意気に溢れた出版社も数多いはず。
ひとりの人間が個人攻撃されれば簡単に心折れそうな不当圧力でも、企業という集合体なら徹底抗戦する知恵も体力も豊富だから、十分に耐え、反攻できたはずだ。悪意の脅迫や恫喝に屈するなんて弱腰では困る。
「おう、上等じゃねぇか。やれるもんならやってみぃや!」という威勢の良い啖呵のひとつも切ってみせてくれていれば、会社の格にも箔がついたんじゃないかな(違)。

・・・だいたい、ねぇ集英社さん、貴社が出版しているコミック作品には、「仲間で力を合わせて悪をやっつける」ってコンセプトのものがいっぱいあるよね。「友情、努力、勝利」ってスローガンもあるよね。あれ、どこ行っちゃったの? 作者と一緒に力合わせて最後まで闘い抜き、みごと「勝利」してほしかったな。

本書について気がかりがもうひとつ。
作者の意を汲んで本作を引き取り、見事単行本刊行を果たした文藝春秋が、“邪教集団”からどれほどの不当な中傷を受け、出版物不買などのキャンペーンを展開されるか、心配だった。いくら漫画の中で「ウチは何があってもビビりません」と宣言しても、気にならないはずがなかろう。
刊行から1週間以上過ぎたが、心配は今のところ杞憂に終わっている。思い切って勇を奮い、メディアに登場した女性には、親をダシにしてまで卑劣極まりない圧力をかけ、挫けさせようとしているようだが、伝統ある大企業相手に何かアクションを起こしたという報道はまだない。もっとも、1か月2か月後にどうなるか、予断は許さないけれど。

この件だけ見ても、邪教が大声で脅迫恐喝できる相手は、後ろ盾も何もないか弱い個人だけということが、わかりすぎるくらいよくわかる。己以外みなサタン、滅ぶべし、世界を制するは我等ぞ、といくら大言壮語したところで、この手の連中こそが腰抜けの卑怯者で、崇める価値など皆無、滅亡すべき存在なのだと理解できるはずだ。
そうした理解をもっと深め、闇に引き込まれない強い意志を持ち続けたいものだ。
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2023年8月19日に日本でレビュー済み
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一人一人により添った、決して糾弾するのではない方法で、大切なことが理解できました。
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2023年4月4日に日本でレビュー済み
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こちらは他の出版社では描くことを許されず、ポシャってしまった企画だったそうです。
日本ではウヤムヤにされてきた新興宗教問題ですが、去年の事件から注目されるようになりましたね。
大人の都合で人生を左右された子どもたちが出てきます。生まれてくる家も親も選べないことで犠牲となっていますね。
ひとつ不思議に思ったのは、新興宗教ばかりかと思ったら、割と一般的なプロテスタント教会のお話が一話入っていたことでした。
両親共に信徒ではなく、母親だけがクリスチャン。しかも新興宗教ではなく町のキリスト教会。
昭和50年代ぐらいまでは、ノンクリスチャンの家庭でも、子どもだけで誘い合って近所の教会の日曜学校に行ったり、親も快く行かせたりしていたものですが、現代ではそれもかなわないのでしょうか…。お寺や教会の日曜学校、信者じゃなくても楽しかったのになあ…。時代ですね…。

個人的に、作者の方のお母さんがとてもあわれでした…。
作者さん、よくぞ乗り越えられましたね。
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2023年4月22日に日本でレビュー済み
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自分の知らない世界を知った。
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