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高坂正堯と戦後日本 単行本 – 2016/5/18

4.2 5つ星のうち4.2 12個の評価

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没後20年、歴史に裏打ちされた予見力や現実政治への率直な提言、道義性を求め理想を追った高坂。
豊かな人格と真摯な思索が紡ぐ的確な発言の数々。彼こそ戦後日本を映す鏡である。
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登録情報

  • 出版社 ‏ : ‎ 中央公論新社 (2016/5/18)
  • 発売日 ‏ : ‎ 2016/5/18
  • 言語 ‏ : ‎ 日本語
  • 単行本 ‏ : ‎ 286ページ
  • ISBN-10 ‏ : ‎ 4120047407
  • ISBN-13 ‏ : ‎ 978-4120047404
  • カスタマーレビュー:
    4.2 5つ星のうち4.2 12個の評価

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五百旗頭 真
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上位レビュー、対象国: 日本

2018年12月11日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
戦後日本における進歩的知識人と言われた「岩波・朝日文化人」が闊歩していた1960年代に、28歳の若さでその時流に反旗をかざした「現実主義者の平和論」を発表し、衝撃的な論壇デビューを飾り(もっとも高坂はこの論文発表の後に「落下傘で降りたら周りは敵ばかりだった」と述懐しているのは面白い)、その後豊富な歴史の知識を背景として、安全保障、国際政治経済、文明論など複数の領域を融合できる稀有な存在として、学術論文や多彩なメデア、また時の総理のブレーンとしても活躍した高坂正堯の伝記。
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レポート
2016年11月1日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
中西輝政さんは書いておられない。これは少し残念だ。

題名の「永らく続いた制度・・・」は平成元年島根県松江市で開かれた新聞労連全国大会での、パネリスト高坂さんの発言である。後述。
数人の人のそれぞれの論が、国際政治の優れた入門書ともなっているし、また日本がかかえている問題や、それに対する国内の右派左派の対応の違いを、振り返ることにもなっている。

特に興味をひいたのは、高坂の中国論(第四章)、高坂のアメリカ観(第五章)、権力のアンチノミー(第八章)だった。
中国については、ライシャワーさんの「歴史的に日本人は中国を愛していたが、中国人は日本に大いなる軽蔑をもって接したきた」(ザ・ジャパニーズ)が、両国の相いれない本質を端的についている。

第四章だが、「日本がその独自の偉大さを築きうる方法は、中国との同一性ではなく、それとの相違にめざめる(p111)」ことであるとする。中国についての高坂さんの発言が各所で引用されている。。若干時期的なずれを感じさせるものもあるが、いずれも中国の本質を示唆していて、大変参考になる。
中国の「尊大なまでの自己主張(p107)」、だが、「中国が完全に国際社会のなかにはいり、盛んに相互交流を行うことによって、国際政治のなかの大国になることは、私にはどうしても考えられない(p120)」という。「この国が非常に強い現状打破的なイデオロギーにもかかわらず極めて限られた能力しか持たないこと(p118)。」
引用したい個所はたくさんあるが、たとえば日中国交正常化について、「日本の新聞の中国報道の歪み、財界の酷さ、野党の中国詣で、日本人の情緒主義的アジア主義」などを危険視する(p123)。アジア主義については、高坂はそれを退ける。日本は中華圏でもないし、また他のアジア諸国の文化とも大きく違うことを指摘する。「文明の対立」のハンチントンもそれを重視する。

「高坂の歴史問題に対する憂いは、死の直前にかけてさらに深まった。・・・一応戦後処理が済んで-両当事者がそれを認めた後・・・基本的には、過去の戦争がシンボル操作上、きわめて有効だからではないだろうか(p217)。」 中国も韓国も反日政策とその国際宣伝によって得るものがあるからだ。両国の骨の髄からの儒教文化により、自分たちの言っていることが本当か嘘かは、彼らに関係しないのだ。
(李浪という中国一の引越会社をつくった男が、「われわれ中国人のDNAには、残酷な殺しあい、大量飢饉の過去がつまっている。自分は自分以外にだれも信用できない」と言っていた。11月6日NHKBSチャイナブルー)

第五章「高坂正堯のアメリカ観」も興味深い。アメリカ人の持つ合理性やたくましさを指摘する。G.F.ケナンがその「アメリカ外交五十年」でアメリカの過剰な法万能主義・や道徳的熱情を諌めるとき、高坂さんはそれには異議をもたれたようだ(p139)。その他1920年代の排日とそれに対する日本の反応が、日米関係に負の影響をあたえたことなど、いずれも面白い指摘に富む。日米関係の悪化は、日本だけが悪いとされてきたが、本当はアメリカにも責任があるのだ。なるほど1930年代の日本の外交政策はほめるられたものではないが、それ以前にアメリカの対日観に誤りがあった。また日本は基本的に対英米と協調妥協路線、つまり「融和的」だった。たとえばワシントン会議、ロンドン軍縮会議。欧米の日本観ははこうした日本を無視して、日本を表面的に見るだけだ。それにより自己の道徳的正当性を保っている面がある。
(今なお「日本が1930年代西太平洋、東アジアにおける国際秩序に全面的に挑戦した」という大嘘の、いわゆる欧米側の戦勝史観、東京軍事裁判史観が根強く残っている。日本に長く住んでいる外国人からそれが誤りだったことを知り、海外に発信される人々が出てきたことは喜ばしい。たた気になるのは、逆に日本は全面的に正しかったとも取られる危険があることだ。)

第八章の権力政治のアンチノミーも面白い。高坂さんは権力を無視することの無責任性や危険性を指摘していた。
日本の「自立の追及はたとえば朝鮮半島情勢に影響を及ぼし・・・日米の基本的な信頼関係に脆弱さがあることはを考えれば、(日米間家は英米関係と比してみると)はるかに難しい(p214)。」

なお第八章には、キッシンジャーの名前が再三出てくる。彼もまた国際関係における力を擁護するが、彼の外交については、これまた有名な国際政治学者スタンレー・ホフマンが、「キッシンジャーの外交はメテルニッヒ(キッシンジャー自身の研究したウィーン体制の、オーストリアの宰相)の外交より、ビスマルク(ドイツの鉄血宰相)の外交ににている」と評していた。アメリカのソ連問題の専門家アヴェレル・ハリマンは昭和47年夏毎日新聞のインタビューで、「キッシンジャーのドイツ式外交は私には理解できない」としている。
キッシンジャーの中国や日本ついての無理解はひどい。歴史的に中国は平和国家で、日本は近代以前からずっと朝鮮半島と中国への膨張の意図があったというのだ。何たる無知。彼は中国へゴマをする。トランプさんンがキッシンジャーを相談に招いたそうだが、宮家邦彦さんによると、彼はもう過去の人だという(たかじんのそこまで言って委員会、11月27日放映)。

私は高坂さんと個人的に二回接触している。といっても、こちらが勝手にそう名づけているだけだが。最初は私が広島大学3年の秋、政経学部祭の講演にこられたとき。会場の学生会館は他学部の学生もつめかけ超満員、立ったままの聴衆も出た。その講演で「ソ連の外交政策は現状維持を目指した保守的なものである」といわれ、当時大変驚いた。弟の高坂節三さんに「対ソ関係は問題ではない」と言っておられたという。
詳述はできないが、その通りである。ロシア人は欧州人でありたいのであり、様々な人が指摘するように、根本的には欧米人に対して劣等感と親近感をいだいている。たとえばの実例だが、1954年のジュネーブ会議のレセプションなどで、ソ連代表は同志たる中国代表団そっちのけで、米英仏の代表と楽しげに懇談するのである。ソ連代表ある国際会議でおきまりの反米演説をして自分の席に帰ると、北欧の代表がそのことにふれた。ソ連代表は驚いて、「あなたたちは私のいったことをその通り取っているのか」とあきれていた。今なおロシア人は根本には欧米といっしょにやりたいと思っている。ケナンは冷戦時モスクワの大使館に勤務していたが、飛行機でシベリアにいく用事があった。途中給油のとき、ケナンが翼に下に立ってトルストイの「戦争と平和」を朗読してやると、乗り合わせたロシアの農民たちがじっと聞き入ったという。ただロシアに民主主義体制を期待するのは無理だ。

中国人は違い、欧米も中国の下に位置すべきだと考える。日本などは尚更である。中西輝政さんが雑誌(諸君?)で書いておられたが、二十世紀中国外交界を震撼させた出来事が二つあったいう。一つは、義和団の反乱のあと北京講和会議で、日本代表団が欧米の代表と同格で同じく勝利者席についたこと。もう一つは、国際連盟で、中国はヒラなのに、日本は英仏などと理事会の常任理事国だったこと。

他の一回は平成元年2月、昭和天皇が亡くなられたすぐあと、島根県松江市で新聞労連の全国大会が開かれた。高坂さんもパネリストとして招かれた。テーマは「天皇報道を問う」といったような題だった。わたしは新聞関係者ではなかったが、主催者の山陰中央新報に頼んで会場にいれてもらった。高坂さんの発言のなかで、二つとても印象に残っている。

一つは題名にした発言。他のパネリストが昭和天皇の戦争責任を述べ、また皇室(天皇)制度の廃止が望ましいと述べたのに対し、これに答える形で「永らく続いた制度というものは、それだけの意味があったから続いたのではないだろうか。そうした制度は無理になくそうとしないほうがいいのではないだろうか」と発言された。

もう一つは、同じくこの関連で言われたのだが、フランス革命は賛否両論あり、それは当然だがと言って、そのあと続けて、「ドイツの革命は明らかに失敗だった。」 そのあとは具体的に説明はされなかったが、「失敗だった」とは、帝政が倒れ、金きらきんのワイマール共和国ができ、ドイツ国内ですさまじい憎悪と激しい暴力が用いられて、大混乱の大騒動。結局ヒトラーとナチがその混乱に終止符を打ったことを意味しておられたと思う。ここでナチの学者カール・シュミットが出る。彼は「混乱に終止符をうち、社会秩序を回復した者のみが正統性を持つ」と主張した。
なるほど、ビスマルクで有名な第二帝政は、簡単にいうならば封建的で反民主的なものが満ち溢れていた社会政治体制だったが、ヒトラーのような男やナチのような大衆運動が大きな力をもったり、あるいは政治の中心に出てくるということは、およそ不可能だった。(この件で面白いのは、高坂さんの同僚野田宣雄さんはなにかで、「もしロシアに共産主義政権ができなかったなら、ドイツにナチ政権もできなかったろう」と書いておられた。その通りだと思う。)

ACPAULさんがコメントで中国について高坂さんはいまどういう意見か知りたいと記しておられる。中国については、「もう私は歳だ。これは君たちの宿題だ」とお弟子さんたちに語っておられたそうだが、ある雑誌でおどけながら、「中国とはケンカすーんな」と書いておられたことがある。中国は昔からルール無視の国、自分が世界一の国だから難しい。
しかし、中国は弱みがたくさんある国だ。特にいまのように中国が世界に依存するようになってからは、強みより弱みがはるかに多くなった。中国はかつてその繁栄のために外界に依存する必要はなかった、今は往時とは逆に、その繁栄を維持するにはどうしても外界との接触が欠かせないし、その外界を思うがままにコントロールできなくなった。「中国はアジア・太平洋地域といった広大な地域において圧倒的な存在になることはないし・・・。それには理由が二つある。現在においてはいかなる地域も閉鎖的ではありえない。これと関連し第二の理由は、正統性の問題である。「典型的な『パクス・シニカ』は、中国が正統性の源泉であったことに基づいていた。中国のみが文明であり、それ以外は辺境であった。・・・今日のところ、中国が理想的な体制と提示するようには思えないし・・・専制が世界的に正統になることはありえない(高坂正堯外交評論集、p433)。」
また専制、民主制などを別にして、イスラム圏、インド圏、ラテンアメリカ圏その他のとって、「中国? Who?」なのである。ここが中国の弱みの一つである。

欧米人の中国誤解は酷いものがある(日本誤解も)。例えば、19世紀半ば日本も中国も欧米と近代の接触をしたわけだが、その最初から「中国は近代化するだろう。日本はなかなか近代化しないだろうと考えていたそうだ」(昭和38年の中央公論の4~7月ごろの号において、当時の駐日アメリカ大使ライシャワーさんの寄稿文)。日本は例えば戦前から民主主義を発達させつつあったのだ。ライシャワーさんに言わせると、1930年代は近代日本が明治以来歩んでいたその歴史発展の大通りから横道にそれた時期であるという。
欧米人の中国誤解についてはamazon usaの Michael Pillsbury著The Hundred-Year MarathonにIt Is Not China's Fault(中国は悪くない)と題してコメントを送ている(Nov.16、2015付)。
確か昭和39年ジョージ・F・ケナンが来日*、京都大学の桑原武夫、吉川幸次郎、猪木正道、高坂正堯さんらと、「高坂君の名通訳で(桑原)」懇談している。この時のケナンや桑原さんの発言も引用している。下手な英語だが、読んで頂ければと思う。
*中西寛さんは昭和40年としておられる(p242)。
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レポート
2016年9月23日に日本でレビュー済み
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高坂京大教授が鬼籍に入られて今年で丁度20年。一つの区切りとして、このような真摯な形で「高坂論」が世に出てくることは非常に嬉しい。
第一部では、かなりアカデミックに、高坂教授がその論を進めていく上に常に重要な要素となった「歴史」「現実主義者」「社会科学」「米国観」などが
高坂を良く知る論者によって読解分析されていく。私なりに有している高坂論から大きく外れる点はないし、高坂正堯という稀有の国際政治学者の
業績と方向性を知るうえで、いい頭の整理になる。第二部では、もう少しカジュアルな形で高坂正堯の考え方が、なぞられていく。私も高坂先生
には2年程の短い期間であったが、ゼミ生として教えを戴いた。この書にも出てくるが、常に物事の「多様性」を見ることの重要性を説かれたことが
印象に残っている。つまり、右とか左とか二社択一的な判断を嫌われたと記憶している。途中高坂教授と懇意にしていた田原総一郎が、もし
高坂教授がまだ生きておられたなら、現在の安保論争や国家論を聴きたかったと言っているが、私は更にそれに加えて、中国論を是非聴き
たかったと思っている。
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2016年8月14日に日本でレビュー済み
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没後20年の年に企画されたナイスなプロジェクトと思います。収録された一つ一つが異なった角度から早くして逝った高坂正堯さんを検討するもの。実弟高坂節三さんによる著書も昨年読んだが、本書は、どのようにして研究者である高坂正堯さんが形作られ、さらに発展していったかをさまざまな方向から明らかにしてくれるもの。とくに生前の高坂さんにTV等でよいので接し強い印象を受けた人には、振り返る上での様々な材料を与えてくれること、間違いありません。
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レポート
2016年7月26日に日本でレビュー済み
この本の執筆者たちは、それぞれの分野で高坂先生の資質を
受け継いでいるのかもしれない。
なにしろ影響力のあった人だから。

冒頭の五百旗頭真は、序章の中で高坂の戦後日本への視点を再現してみせる。
戦後を肯定的に見る一方、その限界をも厳しく評価する高坂。
1960年代の経済的大成功にもかかわらず、「1960年代は退屈な時代であった」と。
「平和の退屈」「豊かさの退屈」。
「自主性を口にする集団主義」「決意なき革命論議」「道義なき平和国家」・・・。

考えてみると、高坂はけっこうな毒舌である。
いけしゃあしゃあと、よくもこんなことを言うものだ。
五百旗頭氏の文章にも、そうした無茶な感じが受け継がれている気がする。
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レポート
2016年6月11日に日本でレビュー済み
元京大教授で稀代の国際政治学者高坂正堯が没して二十年になる。本書の第一部は高坂の広範な業績を多角的に分析したものだが、中でも五百旗頭眞、待鳥聡、中西寛三氏の論稿は、単なる身贔屓ではなく、独自の切り口で高坂に迫っており読み応えがある。第二部は師である猪木正道の令息猪木武徳氏、若き日にハーバードで共に学んだ入江昭氏、サンデー・プロジェクトの「相方」田原総一朗氏が高坂の人物像にスポットを当てており、知られざるエピソードが興味深い。高坂の数々の名著を久し振りにじっくり読み返したくなる好論集だ。

高坂は吉田茂が打ち出し、戦後日本の保守本流の基軸となった対米協調、軽武装、経済優先主義を最も早い段階で肯定的に評価した一人だが、同時にその限界を誰より意識してもいた。70年代初頭に「道義なき平和国家」を批判し、経済偏重の日本に「生命以上の価値」に殉ずる「真実のとき」が存在しないと喝破していたし、戦後日本の精神的頽廃への苛立ちは、湾岸戦争以降晩年にかけてより強くなったという。猪木門下の後輩五百旗頭氏は戦後日本の歩みに沿って高坂の業績を辿っているが、現実主義者で軽妙洒脱な風の高坂が普段あまり見せなかった道義的な側面に光を当てており、五百旗頭氏らしい味わい深い文章である。

待鳥氏の専門は国際政治学ではないが、高坂の晩年に京大の村松岐夫のもとでアメリカ仕込みの実証主義的政治学を学んでいる。高坂はアカデミックな研究者としてより、むしろ深い歴史的教養を湛えたヨーロッパ型の知識人としての評価が高いが、待鳥氏は若き日の高坂が当時のアメリカ政治学の方法論を自家薬籠中のものとし、後の研究・言論活動の随所にそれが活かされていると主張している。社会科学者としての高坂を正面から論じた貴重な論稿である。

そして本書の白眉は高坂の国際政治学講座の後継者中西氏の力作である。キッシンジャーやケナンなどの古典的リアリストとの異同、ドイツ歴史学派やカント研究者である父正顕の影響、三島由紀夫との対比など、思想史的アプローチを取り入れ、従来の高坂論の土俵を大きく拡げており、中西氏の懐の深さを感じさせる。高坂に比して堅実で地味な印象のある中西氏だが、氏の意外な一面を見たような気がする。
33人のお客様がこれが役に立ったと考えています
レポート
2018年10月29日に日本でレビュー済み
高坂氏は日本最高の国際政治学者(少なくとも当時)というコンセンサスがあり、高坂氏を通じて戦後日本を見るというのは大変面白い。この時代に関心ある方なら是非!