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動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書) 新書 – 2001/11/20
東 浩紀
(著)
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購入オプションとあわせ買い
気鋭の批評家による画期的な現代日本文化論! オタク系文化のいまの担い手は1980年前後生まれ第三世代。物語消費からデータベース消費へ。「動物化」したオタクが文化状況を劇的に変える。
哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
浅田彰と宮台真司と大塚英志と岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、
サブカルチャーとハイカルチャーを行き来するはじめての書として、
2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。
また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、
本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。
これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、
いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。
2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、
2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。
哲学の本でもなく、社会学の本でもなく、文化研究でもなく、サブカル評論でもなく、社会評論でもなく。
浅田彰と宮台真司と大塚英志と岡田斗司夫とフラットに並べて論じ、
サブカルチャーとハイカルチャーを行き来するはじめての書として、
2000年代以降の批評の方向を決定づけた歴史的論考。
また本書で語られているデータベース消費、解離的な人間といった分析は、
本が出てから十数年を経過した今日では、さらに有効性をもったキーワードとなっている。
これは、2001年当時は、本書のサブタイトルである「オタクから見た日本社会」であったものが、
いまでは「オタク」という言葉をつける必要がなくなっていることを意味している。
2000年代を代表する重要論考であるのと同時に、
2010年代も引き続き参照され続ける射程の長い批評書。
- ISBN-104061495755
- ISBN-13978-4061495753
- 出版社講談社
- 発売日2001/11/20
- 言語日本語
- 寸法10.6 x 0.9 x 17.4 cm
- 本の長さ200ページ
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対象商品: 動物化するポストモダン オタクから見た日本社会 (講談社現代新書)
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商品の説明
内容(「MARC」データベースより)
いま、日本文化の現状についてまじめに考えようとするなら、オタク系文化の検討は避けて通ることができない。コミック、アニメ、ゲームなどオタクたちの消費行動の変化から現代日本文化を読みとってゆく。
著者について
■東浩紀(あずまひろき)
1971年生まれ。東京大学大学院総合研究科修了。批評家。専攻は哲学および表象文化論。著書に『存在論的、郵便的』――新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞――『郵便的不安たち』『不過視なものの世界』――ともに朝日新聞社――などがある。
1971年生まれ。東京大学大学院総合研究科修了。批評家。専攻は哲学および表象文化論。著書に『存在論的、郵便的』――新潮社、第21回サントリー学芸賞受賞――『郵便的不安たち』『不過視なものの世界』――ともに朝日新聞社――などがある。
登録情報
- 出版社 : 講談社 (2001/11/20)
- 発売日 : 2001/11/20
- 言語 : 日本語
- 新書 : 200ページ
- ISBN-10 : 4061495755
- ISBN-13 : 978-4061495753
- 寸法 : 10.6 x 0.9 x 17.4 cm
- Amazon 売れ筋ランキング: - 21,216位本 (本の売れ筋ランキングを見る)
- カスタマーレビュー:
著者について
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1971年東京生まれ。批評家・作家。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。株式会社ゲンロン創業者。専門は哲学、表象文化論、情報社会論。著書に『存在論的、郵便的』(新潮社、第21回サントリー学芸賞 思想・歴史部門)、『動物化するポストモダン』(講談社現代新書)、『クォンタム・ファミリーズ』(新潮社、第23回三島由紀夫賞)、『一般意志2.0』(講談社)、『ゲンロン0 観光客の哲学』(ゲンロン、第71回毎日出版文化賞 人文・社会部門)、『ゆるく考える』(河出書房新社)、『ゲンロン戦記』(中公新書ラクレ)ほか多数。
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トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2023年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
機動戦士ガンダムのようなオリジナルの物語を補完していくような「大きな物語」への関わり方から、エヴァのように、オリジナルがデータベースとして機能して、そこから派生していく「小さな物語」へと移行して、現代日本文化と社会構造がある。また、さらにその前に日本の敗戦でアメリカ文化が介入したことによる要因も見逃せない。アダルトゲーム、ノベルゲームの考察は馴染みがなくても、アニメをある程度観てきたという人にはとてもわかりやすい古典的名著。「小さな物語」を消費者が自分の好みや快楽のままに活用する様を、動物化しているとする。
2023年8月29日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
明晰に分かりやすく描かれた95年以降の消費社会の神話と構造というイメージです。
もっと難しい本だと思っていましたが普通に読めたのでお勧めです。
言葉にならなかったアニメゲームの世界が言語化されたという思いです
もっと難しい本だと思っていましたが普通に読めたのでお勧めです。
言葉にならなかったアニメゲームの世界が言語化されたという思いです
2021年10月17日に日本でレビュー済み
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今読み返しても色あせない。
2020年1月26日に日本でレビュー済み
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わたしには難しかったです泣
2020年2月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
日本の哲学界の若手スター(と私が勝手に思っている)東氏の著作。
副題がオタクから見た日本社会とある通り、一見簡単そうに見えますが、中盤からぐっと内容が難しくなるように感じました。
内容は。。。
ポストモダンの時代は、宗教とか主義とか或いは家柄とかのこれまで信じることのできた所謂「大きな物語」が喪失された時代だとしています。それにとって代わったのが「大きな非物語」であるデータベース(個別の要素的なストーリの集積)と、そこからシミュラークル(複製)を通じて多数生成される小さな物語。ありきたりの感動や表現がこれでもかと生成され、さくっと流行し消費され、いつの間にか忘れ去られる。そのようなに消費的に欲求する「動物的」態度こそがポストモダンの特徴であり、そのポストモダンの特徴を端的に表すものこそオタクだ、とこう読みました。
全体を通して読みやすく綺麗にまとめられており、書いた人は頭の良い人なのだろうなと読んでいて感じました。表現に過不足がなく、段落の切れ目とかもいちいち丁度よい。また新書にも拘わらず参考文献のまとめもしっかりしており、巻末と途中を行ったり来たりしても何ら問題もなく読めました。
その他、印象的であったのは、いわゆるインターネットの世界での「横滑り」論。フォトショップで描いた東氏の書作表紙のイメージ・それをコマンド化したもの(英語のような所謂プログラミング言語)、そして16進数化したもの(所謂機械語と呼ばれるもの)と三つの表象で表されたものの本質をどう突き止めるかと問います。微分的に見ていくと、これらの表象はいずれ二進数の数字の羅列に行き着くのでしょうが、それはすべての命令をコンピュータにわかる形で置換したものであり、いつまでたっても表面をなでるだけで本質にたどり着けない「横滑り」の様相を呈してしまうというもの。
結果、IT化された現代社会では、「大きな非物語」をとらえようとしても表面を感じるだけであり、その世界は「可視化」されない世界となります。ポストモダンの現代は複製的に流行りそうなよくある物語しか世にはなく、かつ信じられる絶対的なもの(「大きな物語」)はすでになく、代替されるもの(「大きな非物語」)は断片のデーターベースの要素としてしか認識できず全体としては見通せない。言ったら、本物のない、あるいは本物は直観という根拠のないやり方でしかつかむことのできない、答えのない世界ということなのでしょうか?
当方頭が悪いので、すべて理解できたとは思いませんが、横滑りだったり、現代という世情のとらえ方にへー、とか、なるほどとか思いつつ、他方で東氏は何となく絶対的な何か(救い?)を求めているようにも(勝手に)感じました。
著書は最後に、当書は今後の現代の状況を自由に議論するための叩き台としてほしいという旨を述べています。これはこれで筆者の本心なのでしょうが、他方で「大きな物語」や「決して可視化されない」「大きな非物語」を論じている東氏はこうした世界をメタ的に認知しているわけで、単に近現代からポストモダンへ遷移する思想状況を整理したいだけなのではなく、むしろ私は、こうしたメタ的認知を可能にする人間の思想力?直観力?をもって人間という「大きな物語」を規定したいのではと勘繰りました。私自身はそうした方向を志向してしまいます笑。
ということで、纏めるますと、とてもきれいで丁寧にまとめられた現代思想本です。フランスポストモダン思想を学ぶ入り口としてもいいのだと思います。これをきっかけにもう少し東氏の著作も読んでみたくなりました。
副題がオタクから見た日本社会とある通り、一見簡単そうに見えますが、中盤からぐっと内容が難しくなるように感じました。
内容は。。。
ポストモダンの時代は、宗教とか主義とか或いは家柄とかのこれまで信じることのできた所謂「大きな物語」が喪失された時代だとしています。それにとって代わったのが「大きな非物語」であるデータベース(個別の要素的なストーリの集積)と、そこからシミュラークル(複製)を通じて多数生成される小さな物語。ありきたりの感動や表現がこれでもかと生成され、さくっと流行し消費され、いつの間にか忘れ去られる。そのようなに消費的に欲求する「動物的」態度こそがポストモダンの特徴であり、そのポストモダンの特徴を端的に表すものこそオタクだ、とこう読みました。
全体を通して読みやすく綺麗にまとめられており、書いた人は頭の良い人なのだろうなと読んでいて感じました。表現に過不足がなく、段落の切れ目とかもいちいち丁度よい。また新書にも拘わらず参考文献のまとめもしっかりしており、巻末と途中を行ったり来たりしても何ら問題もなく読めました。
その他、印象的であったのは、いわゆるインターネットの世界での「横滑り」論。フォトショップで描いた東氏の書作表紙のイメージ・それをコマンド化したもの(英語のような所謂プログラミング言語)、そして16進数化したもの(所謂機械語と呼ばれるもの)と三つの表象で表されたものの本質をどう突き止めるかと問います。微分的に見ていくと、これらの表象はいずれ二進数の数字の羅列に行き着くのでしょうが、それはすべての命令をコンピュータにわかる形で置換したものであり、いつまでたっても表面をなでるだけで本質にたどり着けない「横滑り」の様相を呈してしまうというもの。
結果、IT化された現代社会では、「大きな非物語」をとらえようとしても表面を感じるだけであり、その世界は「可視化」されない世界となります。ポストモダンの現代は複製的に流行りそうなよくある物語しか世にはなく、かつ信じられる絶対的なもの(「大きな物語」)はすでになく、代替されるもの(「大きな非物語」)は断片のデーターベースの要素としてしか認識できず全体としては見通せない。言ったら、本物のない、あるいは本物は直観という根拠のないやり方でしかつかむことのできない、答えのない世界ということなのでしょうか?
当方頭が悪いので、すべて理解できたとは思いませんが、横滑りだったり、現代という世情のとらえ方にへー、とか、なるほどとか思いつつ、他方で東氏は何となく絶対的な何か(救い?)を求めているようにも(勝手に)感じました。
著書は最後に、当書は今後の現代の状況を自由に議論するための叩き台としてほしいという旨を述べています。これはこれで筆者の本心なのでしょうが、他方で「大きな物語」や「決して可視化されない」「大きな非物語」を論じている東氏はこうした世界をメタ的に認知しているわけで、単に近現代からポストモダンへ遷移する思想状況を整理したいだけなのではなく、むしろ私は、こうしたメタ的認知を可能にする人間の思想力?直観力?をもって人間という「大きな物語」を規定したいのではと勘繰りました。私自身はそうした方向を志向してしまいます笑。
ということで、纏めるますと、とてもきれいで丁寧にまとめられた現代思想本です。フランスポストモダン思想を学ぶ入り口としてもいいのだと思います。これをきっかけにもう少し東氏の著作も読んでみたくなりました。
2020年2月29日に日本でレビュー済み
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キレのある批評で70~90年代日本、ならびに当時の現役世代の精神構造を裁いています。
そしてそれは、2020年代に生きる人間でさえ他人事ではないどころか、
自覚を持たないまま、傾向を強めてきているように思われます。
底を持たずに無限増殖する幻想や性処理道具を、飽きることなく猿のように追いかけ続け、
欲すれば欲するほど同じだけ虚しくなり、虚しさを埋めるために更に欲し続ける。
今でも、不特定多数を相手に虚勢を張るSNS。
焼き増しと猿真似ばかりのテレビ、携帯ゲーム、youtuber、ウェブサイト。
会社帰りに駅前で集まる白髪頭のポケモンマスターたち。
これらは、本書で指摘する「ポストモダンの動物」のなれの果てだと思います。
あえて"空気を読んで"、"ノッている"フリをするというのが、"粋"な町人文化だという見方もありますが、
猫も杓子も虚構に侵されすぎだと思います。
社会のポストモダン化を招いた原因を改善する手段は分からないですが、
この本を読んで、少しでも多くの方に批判的思考を取り戻してほしいと思います。
そしてそれは、2020年代に生きる人間でさえ他人事ではないどころか、
自覚を持たないまま、傾向を強めてきているように思われます。
底を持たずに無限増殖する幻想や性処理道具を、飽きることなく猿のように追いかけ続け、
欲すれば欲するほど同じだけ虚しくなり、虚しさを埋めるために更に欲し続ける。
今でも、不特定多数を相手に虚勢を張るSNS。
焼き増しと猿真似ばかりのテレビ、携帯ゲーム、youtuber、ウェブサイト。
会社帰りに駅前で集まる白髪頭のポケモンマスターたち。
これらは、本書で指摘する「ポストモダンの動物」のなれの果てだと思います。
あえて"空気を読んで"、"ノッている"フリをするというのが、"粋"な町人文化だという見方もありますが、
猫も杓子も虚構に侵されすぎだと思います。
社会のポストモダン化を招いた原因を改善する手段は分からないですが、
この本を読んで、少しでも多くの方に批判的思考を取り戻してほしいと思います。
2018年11月20日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
この本はオタク系文化を分析しながら現代日本社会の特質を考える本です。『動物化するポストモダン』という奇妙な題名が付いていますが、要約すると、ポストモダンの時代を支えているのは情報の集積であり、人々はただ単に自分の欲求を満足させるだけの動物のようになるということが書かれた本です。インターネットが大きな影響力を持ち、人々が麻薬のようにコンテンツを消費する現代社会の様子がよく表現されている本だと思いました。
第一章は「オタクたちの疑似日本」です。東氏は、オタク系文化には私たちの時代(ポストモダン)の本質がよく現れていると考えておられます。東氏は私たちの社会をよりよく理解できるようにするために、オタク系文化を分析し批評しやすい状況を作り出そうとします。
第一章では、オタク系文化から戦後日本文化の歪みを抽出する試みがなされています。東氏の見解によれば、オタク系文化の起源は戦後にアメリカから輸入されたサブカルチャーだそうです。古き良き日本が敗戦によって滅び、そこから入ってきたアメリカ文化を日本的なものに作り変えることによってオタク系文化が生産されてきたと東氏は考えておられます。
第二章は「データベース的動物」です。東氏は、近代は「大きな物語」に支えられた時代だったというリオタールの見解を引用します。大きな物語とは、近代人を一つにまとめあげるための単一の大きな社会的規範のことです。それに対してポストモダンになると、大きな物語が機能しなくなり、社会全体がうまくまとまらなくなるそうです。近代を支えていたのは中心のある大きな物語でしたが、ポストモダンを支えているのは中心のない「データベース」だと東氏は考えておられます。インターネットのような情報の集まりがポストモダンの深層にあり、ポストモダンの表層には無数のシミュラークル(オリジナルでもコピーでもないもの)が漂うそうです。
東氏は、ポストモダンの時代を生きるオタクたちは「動物化」していると指摘します。動物化した人間たちは、食物を食べるだけで完全に満足する動物のように自分の欲求を満足させる生き物になってしまうそうです。萌え絵を見ると性的に興奮するような肉体を持ち、生理的な欲求を満足させるためにエロ漫画やエロゲーを消費するオタクたちは、動物に近いものになってきていると東氏は考えておられます。
第三章は「超平面性と多重人格」です。この章では前章の知見を踏まえて、インターネット空間と伝説のエロゲー『YU-NO』が批評されています。東氏の言葉を借りれば「超平面的」なインターネット空間や、『YU-NO』の高度なシナリオには、ポストモダン世界の特徴がよく表れています。
東氏はこの本の末尾で、「ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために、本書は書かれている」とおっしゃっています。確かに、この本が世に出てから、オタク系文化を批評する本がずいぶん増えたなと思います。この本の内容がいろいろな方面から批判されていることを私は知っていますが、この本は批評の自由度を上げることに明らかに貢献したと私は思っています。
第一章は「オタクたちの疑似日本」です。東氏は、オタク系文化には私たちの時代(ポストモダン)の本質がよく現れていると考えておられます。東氏は私たちの社会をよりよく理解できるようにするために、オタク系文化を分析し批評しやすい状況を作り出そうとします。
第一章では、オタク系文化から戦後日本文化の歪みを抽出する試みがなされています。東氏の見解によれば、オタク系文化の起源は戦後にアメリカから輸入されたサブカルチャーだそうです。古き良き日本が敗戦によって滅び、そこから入ってきたアメリカ文化を日本的なものに作り変えることによってオタク系文化が生産されてきたと東氏は考えておられます。
第二章は「データベース的動物」です。東氏は、近代は「大きな物語」に支えられた時代だったというリオタールの見解を引用します。大きな物語とは、近代人を一つにまとめあげるための単一の大きな社会的規範のことです。それに対してポストモダンになると、大きな物語が機能しなくなり、社会全体がうまくまとまらなくなるそうです。近代を支えていたのは中心のある大きな物語でしたが、ポストモダンを支えているのは中心のない「データベース」だと東氏は考えておられます。インターネットのような情報の集まりがポストモダンの深層にあり、ポストモダンの表層には無数のシミュラークル(オリジナルでもコピーでもないもの)が漂うそうです。
東氏は、ポストモダンの時代を生きるオタクたちは「動物化」していると指摘します。動物化した人間たちは、食物を食べるだけで完全に満足する動物のように自分の欲求を満足させる生き物になってしまうそうです。萌え絵を見ると性的に興奮するような肉体を持ち、生理的な欲求を満足させるためにエロ漫画やエロゲーを消費するオタクたちは、動物に近いものになってきていると東氏は考えておられます。
第三章は「超平面性と多重人格」です。この章では前章の知見を踏まえて、インターネット空間と伝説のエロゲー『YU-NO』が批評されています。東氏の言葉を借りれば「超平面的」なインターネット空間や、『YU-NO』の高度なシナリオには、ポストモダン世界の特徴がよく表れています。
東氏はこの本の末尾で、「ハイカルチャーだサブカルチャーだ、学問だオタクだ、大人向けだ子供向けだ、芸術だエンターテイメントだといった区別なしに、自由に分析し、自由に批評できるような時代を作るために、本書は書かれている」とおっしゃっています。確かに、この本が世に出てから、オタク系文化を批評する本がずいぶん増えたなと思います。この本の内容がいろいろな方面から批判されていることを私は知っていますが、この本は批評の自由度を上げることに明らかに貢献したと私は思っています。