がやって来る。
私は発達障がい者でゲイの当事者だが、この本に書かれていることに衝撃を受けた。
その上でこれから懸念されることを述べると、知的障がい者がいなくなる未来がやって来ることであろうか。
他のレビューにも書いてある通り、現在では妊娠中の人に出生前診断が当たり前であり、9割の親が知的障がい者が生まれることが分かると中絶する事実がある。
そのために、2050年には知的障がい者は日本から消滅する。
親殺しが猛烈に進化して、完成したのは嬰児殺しが親権の元合法化され、オギャーと生まれる前にその口を塞ぎに来る体制が出来上がるのである。
障がい者に生まれたら不幸だろ?という理由で!
身体障がい者や精神障がい者は生まれた後になる場合があるから、仕方がないが…
もしかしたら、遺伝しやすいとされるASの障がい者も消えるかも知れない!
やまゆり園事件や旧優生保護法下の断種手術が当たり前だった頃より、完璧に静かに健康的に…
ナチズムも真っ青な世界はもうすぐそこまで来ているのだ!
当たり前だけど、そんな障がい者に生まれたことが悪いと断罪する社会に生きる障がい者が快適であるとは私は絶対思わない…
全ての障がい者は幸福になる権利があり、幸福になれないのは障がい者を排除する社会に原因があるのは明らかなのだから…
長文すみませんでしたありがとう。
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【増補新装版】障害者殺しの思想 Kindle版
「青い芝の会」横田弘の原点が復刊
1970年代の障害者運動を牽引し、健全者社会に対して「否定されるいのち」から鮮烈な批判を繰り広げた日本脳性マヒ者協会青い芝の会の行動綱領を起草、思想的支柱であった故・横田弘氏の原点的書の復刊。
【目次】
第一章 障害者殺しの事実
第二章 障害者殺しの思想
第三章「優生保護法」とは何か
第四章 障害者はどのように生きたか
第五章 われらかく行動する
第六章 カナダのCP者たち
〔増補新装版〕編集部注
あとがき
復刊にあたって 解説/立岩真也
資料 横田弘年譜
【著者】
横田弘
70年に起きた、障害児殺しの母親に対する減刑嘆願運動反対の取組みを皮切りに、「青い芝」神奈川県連合会の一員として、映画『さようならCP』制作・上映、バス乗車拒否に対する闘争、優生保護法改定反対運動、養護学校義務化阻止闘争など、障害者の生存権確立運動を展開。
1970年代の障害者運動を牽引し、健全者社会に対して「否定されるいのち」から鮮烈な批判を繰り広げた日本脳性マヒ者協会青い芝の会の行動綱領を起草、思想的支柱であった故・横田弘氏の原点的書の復刊。
【目次】
第一章 障害者殺しの事実
第二章 障害者殺しの思想
第三章「優生保護法」とは何か
第四章 障害者はどのように生きたか
第五章 われらかく行動する
第六章 カナダのCP者たち
〔増補新装版〕編集部注
あとがき
復刊にあたって 解説/立岩真也
資料 横田弘年譜
【著者】
横田弘
70年に起きた、障害児殺しの母親に対する減刑嘆願運動反対の取組みを皮切りに、「青い芝」神奈川県連合会の一員として、映画『さようならCP』制作・上映、バス乗車拒否に対する闘争、優生保護法改定反対運動、養護学校義務化阻止闘争など、障害者の生存権確立運動を展開。
- 言語日本語
- 出版社(株)現代書館
- 発売日2020/9/18
- ファイルサイズ2769 KB
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登録情報
- ASIN : B08J872M71
- 出版社 : (株)現代書館; 第1版 (2020/9/18)
- 発売日 : 2020/9/18
- 言語 : 日本語
- ファイルサイズ : 2769 KB
- Text-to-Speech(テキスト読み上げ機能) : 有効
- X-Ray : 有効にされていません
- Word Wise : 有効にされていません
- 付箋メモ : Kindle Scribeで
- 本の長さ : 323ページ
- Amazon 売れ筋ランキング: - 167,782位Kindleストア (Kindleストアの売れ筋ランキングを見る)
- - 930位社会病理
- - 5,493位社会学 (Kindleストア)
- カスタマーレビュー:
-
トップレビュー
上位レビュー、対象国: 日本
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2021年6月25日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
とても良かったです
2020年7月10日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
1度読んでとすすめられて…うーん、うーん、私の知りたい「意思疎通の出来ない障害者を葬る正義、までに至る心理」については、よく分からなかった。例を変えて同じ話を繰り返されてるような…
2017年5月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
まず始めに保証したいのは、本書が単純に面白いということ。本書は読みやすい。
横田弘さんの、機転、ユーモア、表現力はぐいぐい読ませてくれる。本当に文才のある方である。
表紙のショッキングさ、テーマの重さで躊躇している人。本書は絶対に購入したほうがいい。
相模原事件の後、いろいろ考えたいひとにもお勧めだ。
乙武洋匡さんがレストランでほんのわずかな手伝いを店側に要求しただけで、ネットではひどい誹謗中傷であった。
あの事件と根を同じにする問題を本書では扱っている。
つまり、全く現代とつながる問題である。むしろ、日本ではこれから顕在化する問題といったほうがいいかもしれない。なぜなら、
日本はこれから貧困国に転落する可能性が高いからである。かつての余裕が失われる可能性が高い。
人のやさしさ、手助けする力とは、つまり、その人の「余裕」に規定される。
余裕は、社会の状態によって刻々と変化する。貧困国になったとき、余裕が失われ、どんな行動をとるのか。
自分のことでさえ、皆、余裕がなくなってからでないと、予測がつかないのだ。
そんな謙虚さはもっておいたほうがいいと思う。
乙武さんの、車いすでも人気のレストランを利用できる権利を要求することは、当然の権利である。憲法に保障されている。
本書の、横田さんの要求する、車いすでもバスを利用できる権利も、当然だ。憲法に保障されている。
ただし、資本主義の前提条件である、「フロンティア」が消失した現代において、これ以上の経済成長の見込みはない。
余裕を失っていく現代において、トランプ当選にみられるように、「建前なんてクソ食らえ!」という発言は増していくばかりだろう。
乙武洋匡さんに、「うるせー、めんどくせー」とねっとで誹謗した人たちが、
余裕があって、幸福な人だとは想像しがたい。
日々を必死にしのいでいるところに、「すこし手伝ってくれませんか」という当然の要求は、
うるさく聞こえるのだろう。むしろ、多忙な店員側に同情があつまっていった結果だろう。
それほど、日本人は余裕がなくなってきているのだと思う。(社会が円滑に動くために必要な建前を大切にする余裕がない)
結論からいうと、この本書の問題提起には答えがない。
多忙を極めて、猫の手も借りたい状況では、人は助けるひとを限定するし、
(震災のときの医療がおこなうトリアージがその最たるものだ)
一日中、ゆっくりお茶を飲めて、明日の心配が無い人は、多少の手助け、足労だって、むしろ気分がよいものだ。
おかれた立場にどれだけ余裕があるかによって、(あとはどれだけ相手が自分にエネルギーを要求するかによって)
人の相互扶助、共存可能性は変動するのだ。
横田さんのラディカルな思想は、能力が高いものを愛するという感情さえも批判する。
社会で当たり前になっている、効率的に仕事をすると評価されることさえも、覆そうとする。
ここまでラディカルに生きるということを求めてしまう、社会が横田さんに対して行ってきた不条理。
これを徹底的に本書をとおして見つめ直すしかない。ただし、答えはない。苦しい。
一時期ネットで話題になった、ヤフー知恵袋「弱者を抹殺する」に対する「神解答」を知らないひとは是非検索を。(「ヤフー知恵袋」、「弱者を抹殺する」などで)「適者生存」についての話が非常に腑に落ちる内容になっている。しかし、この知恵袋の解答にもあるように、
人間の生存戦略である「社会の進歩」に陰りがみえてきている。また、技術の進歩により、「弱者が全うに生きるためのコスト」
が医療業界を始めとして、急上昇しており、(2016年、新薬、薬価などで検索をお勧めする)、たてまえを貫くためのコストがうなぎ上りになっており、余裕がない我々日本人は、それに目くじらを立てる時代になってきている。
人権は憲法で保障されており、公共の福祉に反しない限り、保証される。
ただし、「公共の福祉」つまり、簡単に言うと「みなの幸せ」の定義がが世の中の変動にあわせて、変わってきている。
みなが不幸せなとき、多忙をきわめているとき、自覚的には「1分の時間のロスが人生を奪う」という認識で働いている人間などからすると、
乙武さんがおいしい料理をたべることを手伝うことでさえ「公共の福祉に反している!!!俺の時間を奪うな!」と糾弾することだろう。
このように、出口のない問をつきつけられ、ただただ右往左往するしかなかった。
しかし、自分は本書を読んで、一気に横田さんを好きになった。幼少期のエピソードなど、本当に面白い。
自分は脳性麻痺者ではないので、結局は横田さんとは、同じ場所に立つことはできない。
ただし、相手が脳性麻痺の方であろうが、関係なく、横田さんを好きになったこと。
これだけでも本書を読む価値があった。そこをスタートとして、考えていくしかない。
つねに葛藤し続けることが、本書の問題提起への答えであり、一足飛びのきれいな解答を示すことこそ危険だということを強調したい。
※ドキュメンタリー「さようならCP」も持っているが、あれは音声の質が悪くて字幕がないとよくわからないし、
この表紙のシーンのような「ねらって」やっていることが多すぎて(監督の原一男さんの癖だと思うが)、
横田さんの魅力が全然表現されていないと思う。
横田弘さんの、機転、ユーモア、表現力はぐいぐい読ませてくれる。本当に文才のある方である。
表紙のショッキングさ、テーマの重さで躊躇している人。本書は絶対に購入したほうがいい。
相模原事件の後、いろいろ考えたいひとにもお勧めだ。
乙武洋匡さんがレストランでほんのわずかな手伝いを店側に要求しただけで、ネットではひどい誹謗中傷であった。
あの事件と根を同じにする問題を本書では扱っている。
つまり、全く現代とつながる問題である。むしろ、日本ではこれから顕在化する問題といったほうがいいかもしれない。なぜなら、
日本はこれから貧困国に転落する可能性が高いからである。かつての余裕が失われる可能性が高い。
人のやさしさ、手助けする力とは、つまり、その人の「余裕」に規定される。
余裕は、社会の状態によって刻々と変化する。貧困国になったとき、余裕が失われ、どんな行動をとるのか。
自分のことでさえ、皆、余裕がなくなってからでないと、予測がつかないのだ。
そんな謙虚さはもっておいたほうがいいと思う。
乙武さんの、車いすでも人気のレストランを利用できる権利を要求することは、当然の権利である。憲法に保障されている。
本書の、横田さんの要求する、車いすでもバスを利用できる権利も、当然だ。憲法に保障されている。
ただし、資本主義の前提条件である、「フロンティア」が消失した現代において、これ以上の経済成長の見込みはない。
余裕を失っていく現代において、トランプ当選にみられるように、「建前なんてクソ食らえ!」という発言は増していくばかりだろう。
乙武洋匡さんに、「うるせー、めんどくせー」とねっとで誹謗した人たちが、
余裕があって、幸福な人だとは想像しがたい。
日々を必死にしのいでいるところに、「すこし手伝ってくれませんか」という当然の要求は、
うるさく聞こえるのだろう。むしろ、多忙な店員側に同情があつまっていった結果だろう。
それほど、日本人は余裕がなくなってきているのだと思う。(社会が円滑に動くために必要な建前を大切にする余裕がない)
結論からいうと、この本書の問題提起には答えがない。
多忙を極めて、猫の手も借りたい状況では、人は助けるひとを限定するし、
(震災のときの医療がおこなうトリアージがその最たるものだ)
一日中、ゆっくりお茶を飲めて、明日の心配が無い人は、多少の手助け、足労だって、むしろ気分がよいものだ。
おかれた立場にどれだけ余裕があるかによって、(あとはどれだけ相手が自分にエネルギーを要求するかによって)
人の相互扶助、共存可能性は変動するのだ。
横田さんのラディカルな思想は、能力が高いものを愛するという感情さえも批判する。
社会で当たり前になっている、効率的に仕事をすると評価されることさえも、覆そうとする。
ここまでラディカルに生きるということを求めてしまう、社会が横田さんに対して行ってきた不条理。
これを徹底的に本書をとおして見つめ直すしかない。ただし、答えはない。苦しい。
一時期ネットで話題になった、ヤフー知恵袋「弱者を抹殺する」に対する「神解答」を知らないひとは是非検索を。(「ヤフー知恵袋」、「弱者を抹殺する」などで)「適者生存」についての話が非常に腑に落ちる内容になっている。しかし、この知恵袋の解答にもあるように、
人間の生存戦略である「社会の進歩」に陰りがみえてきている。また、技術の進歩により、「弱者が全うに生きるためのコスト」
が医療業界を始めとして、急上昇しており、(2016年、新薬、薬価などで検索をお勧めする)、たてまえを貫くためのコストがうなぎ上りになっており、余裕がない我々日本人は、それに目くじらを立てる時代になってきている。
人権は憲法で保障されており、公共の福祉に反しない限り、保証される。
ただし、「公共の福祉」つまり、簡単に言うと「みなの幸せ」の定義がが世の中の変動にあわせて、変わってきている。
みなが不幸せなとき、多忙をきわめているとき、自覚的には「1分の時間のロスが人生を奪う」という認識で働いている人間などからすると、
乙武さんがおいしい料理をたべることを手伝うことでさえ「公共の福祉に反している!!!俺の時間を奪うな!」と糾弾することだろう。
このように、出口のない問をつきつけられ、ただただ右往左往するしかなかった。
しかし、自分は本書を読んで、一気に横田さんを好きになった。幼少期のエピソードなど、本当に面白い。
自分は脳性麻痺者ではないので、結局は横田さんとは、同じ場所に立つことはできない。
ただし、相手が脳性麻痺の方であろうが、関係なく、横田さんを好きになったこと。
これだけでも本書を読む価値があった。そこをスタートとして、考えていくしかない。
つねに葛藤し続けることが、本書の問題提起への答えであり、一足飛びのきれいな解答を示すことこそ危険だということを強調したい。
※ドキュメンタリー「さようならCP」も持っているが、あれは音声の質が悪くて字幕がないとよくわからないし、
この表紙のシーンのような「ねらって」やっていることが多すぎて(監督の原一男さんの癖だと思うが)、
横田さんの魅力が全然表現されていないと思う。
2019年1月17日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
脳性麻痺の著者(1933.5.15~2013.6.3)が、障害者の子を道連れに親が心中を図り、命を取り留めた親への減刑嘆願や無罪判決に異を唱え、養護学校義務化や改正優生保護法に対して先鋭的な戦いに向かいます。
私が小学校に入ったばかりのころは聾の子や青い目をした精薄の子がクラスに居ました。
ある日青い目の子は朝礼の時突如大人に連れ去られ、それきり会うこともなかったです。彼の家は大きな家の裏の壁に立てかけられた掘っ立て小屋でした。
それでも母校には特殊学級があり、そこの通う生徒ともよく遊びました。何しろそこには大きな積み木など魅力的な遊具がありましたから。
今は特殊学級はなくなり遠く離れたところの養護学校に通うのが標準のようです。
山に行くと「え、こんなところに」と思える場所に老人ホームや介護施設があります。
著者は普通学級に進むか養護学校に進むかの選択権は本人になると主張します。
著者は親に本人の意思とかかわりなく就学免除の手続きを取られ、義務教育を受けられませんでした。
現在は既に進行中ですが胎児検診により障害の疑いがある胎児を堕胎する権利を親が持ちます。これは障害者の存在を根本から否定することであり、著者自身がいつ殺されてもおかしくない状況になると畏怖します。
障害児を持った親の苦労を慮っても、命を絶たれた障害児の無念に対しては誰も語らない。
以前、私は病院で検査中に造影剤によるアナフィラキシーショックで死にかけました。
検査医からER担当に引き継がれる際、「付き添いは居るのか。家族に連絡をするべきではないか。」と医師が緊張した声で引継ぎを行っていました。「おいおいおい全部聞こえているよ。医者が緊張しては患者も緊張するよ。」体は動かせなくなり、会話もできなくなりましたが、耳はしっかり聞こえ、会話は当然理解できたのです。
障害のある人でも同じです。コミュニケーションが全く取れなくても、すべてを理解している場合もあるのです。特に脳性麻痺は運動能力が奪われる場合があっても知的能力が奪われることはまれなそうです。
ただ、以前に読んだ双頭の姉妹の本にも書かれていましたが、本書でもCP者が精薄者を下に見ている記述があります。結局差別の根源は頭のいい悪いなのかなと思います。
実際に本書でも障害者とはCP者を念頭に置いて記述されています。
話が脇にずれましたが、障害者と健常者は物理的に出来るだけ共有の場で暮らすのが、よいと思います。
私が小学校に入ったばかりのころは聾の子や青い目をした精薄の子がクラスに居ました。
ある日青い目の子は朝礼の時突如大人に連れ去られ、それきり会うこともなかったです。彼の家は大きな家の裏の壁に立てかけられた掘っ立て小屋でした。
それでも母校には特殊学級があり、そこの通う生徒ともよく遊びました。何しろそこには大きな積み木など魅力的な遊具がありましたから。
今は特殊学級はなくなり遠く離れたところの養護学校に通うのが標準のようです。
山に行くと「え、こんなところに」と思える場所に老人ホームや介護施設があります。
著者は普通学級に進むか養護学校に進むかの選択権は本人になると主張します。
著者は親に本人の意思とかかわりなく就学免除の手続きを取られ、義務教育を受けられませんでした。
現在は既に進行中ですが胎児検診により障害の疑いがある胎児を堕胎する権利を親が持ちます。これは障害者の存在を根本から否定することであり、著者自身がいつ殺されてもおかしくない状況になると畏怖します。
障害児を持った親の苦労を慮っても、命を絶たれた障害児の無念に対しては誰も語らない。
以前、私は病院で検査中に造影剤によるアナフィラキシーショックで死にかけました。
検査医からER担当に引き継がれる際、「付き添いは居るのか。家族に連絡をするべきではないか。」と医師が緊張した声で引継ぎを行っていました。「おいおいおい全部聞こえているよ。医者が緊張しては患者も緊張するよ。」体は動かせなくなり、会話もできなくなりましたが、耳はしっかり聞こえ、会話は当然理解できたのです。
障害のある人でも同じです。コミュニケーションが全く取れなくても、すべてを理解している場合もあるのです。特に脳性麻痺は運動能力が奪われる場合があっても知的能力が奪われることはまれなそうです。
ただ、以前に読んだ双頭の姉妹の本にも書かれていましたが、本書でもCP者が精薄者を下に見ている記述があります。結局差別の根源は頭のいい悪いなのかなと思います。
実際に本書でも障害者とはCP者を念頭に置いて記述されています。
話が脇にずれましたが、障害者と健常者は物理的に出来るだけ共有の場で暮らすのが、よいと思います。
2017年1月18日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
丁寧な梱包、スピディーな配達手手も良かったです。有難う御座いました。
2015年9月13日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
再販となり、やっと読むことが出来ました。
横田さんのお話は、生前に何度か聞かせていただく機会がありましたが、知人等に聞いても、本書を持っている人が見つからず、この度、やっと読むことが出来ました。青い芝の活動によって、本来の当事者運動のあり方が、問われて来たように思います。
自分の人生を他者に決められ、自分の意見は言う機会をもたない。その様な福祉施策への変革を求めていく活動の原動力となっているように感じました。
障害のある方に係わっている人達だけでなく、多くの人に読んでもらいたい一冊です。
横田さんのお話は、生前に何度か聞かせていただく機会がありましたが、知人等に聞いても、本書を持っている人が見つからず、この度、やっと読むことが出来ました。青い芝の活動によって、本来の当事者運動のあり方が、問われて来たように思います。
自分の人生を他者に決められ、自分の意見は言う機会をもたない。その様な福祉施策への変革を求めていく活動の原動力となっているように感じました。
障害のある方に係わっている人達だけでなく、多くの人に読んでもらいたい一冊です。
2015年10月3日に日本でレビュー済み
Amazonで購入
障害者本人がいかに健全人(健常者)の社会のなかでごく普通に生活することの必要のこと、重要なことがわかります。